こばぴょん1969のブログ

こばぴょん1969のブログ

PR

プロフィール

こばぴょん1969

こばぴょん1969

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

2011.01.17
XML
カテゴリ: 日々の日記
1995年(平成7年)1月17日早朝

あれから16年経った…

私は、今と変わらず埼玉県にいたので直接的な被害は受けていない。
だけど、間接的に色々な思いがある。

後から記憶されたこともあるだろうけど
その日、テレビで神戸長田地区などで発生している火災の映像を見て
いたたまれない気持ちになったことと国家は国民を救ってくれないんだという現実を知って驚いた。
あのS会党のM総理大臣だったから自衛隊に指示を出すのが遅れたのかも知れない。

誰が総理大臣でもベストな対応は出来なかったかも知れない。
最近の総理大臣は、阪神淡路大震災の経験を生かして
あのときよりも迅速、的確な対応が執れるようになっていると信じたい。

当時、私は大手企業のインハウスの旅行会社に勤めていた。
テレビで何度も流されていた大通りに横倒しになっているビルの映像。
その映像だけでも驚いていたのだけど、後にあのビルが親会社のビルだと知り
自分の知っている人達が無事か気になった。
親会社は神戸に生産拠点も含めて、多数の関連する物、人がいた。
東日本地区にいる社員を神戸地区に送り込むのは大変だった。
東海道・山陽新幹線が使えないと、こんなにも不便なのか?と思い知らされた。
普段は資材を運んでいる船を利用して人員を神戸入りをさせると聞いた時は


時は流れて…
「なんで銀行通帳や印鑑を持ち歩いているの?」と彼女(当時)に聞いた。
(阪神の地震知っている?)と聞かれて
「知っているよ。でも、○は大阪だよね?」

「あまりニュースになっていなかったけど大阪も結構揺れた。」

「だから大事な物は身につけるようになったんだ」

と言った後で、

「あの地震で、お友が死んだ。」

彼女の友達に会ったことはない。
だけど、自分の目の前に阪神淡路大震災の被害者が映し出された…そんな気がした。
「怖い」そして「哀しい」と思った。
彼女は大阪在住で、神戸の街が好きということあり、よく神戸でデートした。
彼女を待っている間に、神戸の街を歩くと駅前は急あつらえ感は
ぬぐえないけど復興はしていた。
ただ、少し駅を離れると空き地が目立った。
神戸の街のイメージはハイカラな港町…だからいっそう空き地が寂しく見えた。
そう…その空き地達は1995年1月17日から時が止まったままなんだ。

彼女とは別れた。
大阪、神戸へ行く機会は、ほとんど無くなった。
神戸に行ったのは旅の途中で1回通ったくらい。
今日流れている様々なニュースを見て、なんだかよくわからないけど

「神戸に行きたいな」

と思った。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.01.18 01:03:33
コメント(2) | コメントを書く
[日々の日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: