2002/11/30
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抱擁家族/小島信夫
 二人の伯母は背の低いこと以外似ているところがない。
 祖父が危ないというので交代で泊まり込みをすることになり、伯母二人に替って母と二人で病院に着いたのが夜九時十五分。一進一退と医者が言う容態は現在「進」の状態らしく(実際には回復の方向へ進むということはもうないのだが)、今すぐに何がどうということはなく。他の四人の患者、いずれも男性の老人達の中には意識のある人もいるらしいが、私たちの声にも明かりにも迷惑がる様子もない。簡易ベッドを借りて祖父の横に母が寝、私は広い喫煙室にあるソファで過ごすことに。
 喫煙室は空気が悪い。換気扇は黒くなっていないところがなく、回すと余計に濁った空気が振りまかれそうだった。回さないと眠れそうもないので回した。窓から見える電車の窓と窓の重なりが十字架に見えた。多くの墓を運んでいるように見えた。それらしい場所でそれらしいことを思おうと思っている、そう感じた。


 カメの中に水があった。水がなぜ気にかかるのだろう。なぜカメの中の、とるにたらぬ水が、そこに在る、そこに在ると思えるのだろう。


 夜中の病院の廊下を歩いても怖いことは何もない。うめき声や咳が聞こえてもその出所はそこら中にある。看護婦も仕事をしている。喫煙室の自動ドアを開ける音は大きく響く。静かですらない。読書は進んだ。
 肝心な場面もそうでない場面も同じ速度で進む。余命幾ばくもない妻のために嗚咽する夫の前に溜まる水は涙ではなく雨漏りによるものであった。今にも亡くなりそうな肉親の近くで死に向かう妻の描写が続く本を読んでいた。夫は病床の妻とも交わった。祖父は少なくとも76歳まで祖母と性生活を営んでいた。それぞれ祖父らしいこと、孫らしいことをした、された記憶は少ない。それでも残された日記を読むと血の繋がりを感じた。政府を罵る文章はあっても、親族に注がれる言葉は平等であり、そこに好き嫌いが見られないのは、誰かに見られることを予感してのことか、それともそのような付き合いしかしていなかったからか。
 半分読み終えたのが午前二時頃、結城信一作品集を既に読み終えていた。もう一度病室をのぞいて機械の数値を確かめてから、寝るか、と部屋を出るとすぐ傍を歩く看護婦にぶつかりかけ、さすがに驚く。最初の頃の主人公のように心臓に痛みが走ったがすぐ治った。
 酸素濃度? だったかの表示が0になっていた。これは機械の調子か何かでそうなるだけで、心配することではないという。母もまだ起きて立っていた。しかし出来ることはない。眠気は冷めた。


 誰か他人がいなければ、他人がいなければ、
 と俊介は呟いた。


 三時過ぎ読み終え、解説を残し夢に入る。
 伯母が隣の病室に作家が入院していて、今インタビューを受けているという。名前を聞くと森内俊雄というので驚く。目は覚めない。落ち着いた頃に病室に入り「森内俊雄さんはどこにいらっしゃるでしょうか」と本人の正面にいる人に尋ねると、黒い着物を着た小柄の男がそうだと言う。慌てて何を言っていいかわからず「あなたの作品あ、好き、です、この間の『新潮』の、『十一月の少女』も、読みました」と、マイナーといっていい作家のファンが突然現われるなんて珍しいことでしょう、と下衆っぽい考えを持ちながら話すと、「風邪薬代くらいはあなたにもらったことになるかもしれませんね」と斬り返される。紙がなく、余白の多い松阪の野球カードがテレビの上にあったのでそれにサインをしてもらうと、冗談で書いたような句が記されている。名前も違うが、そちらが本名だとのこと。帰りの玄関にてもう一枚、さっきの句に続く下の句が書かれた紙を見つける。ますます安っぽい冗談みたいになったサインを大事に抱えて夢から出る。
 清掃員の人が、少しでも臭いを遠ざけるために端にどけていた灰皿の中身を片付けていったのが午前五時四十分、その後何度か人の出入りがあった。寝付こうとも自動ドアの開く音で目が覚める。朝に見る電車は意外と近くに見え、昨晩無理やり作り出した不気味さの影も見えなくなっていた。廊下を歩く足音は時々部屋の中にまで入りこんできたように聞こえたが、それも昨晩より音が近くなっただけのことだった。八時半に病室に行くと既に簡易ベッドは片付けられて母が座っていた。耳栓はしたもののやはりろくに眠れなかったとのこと。祖父の状態は昨日の危ない時に比べるとかなり落ち着いてきたそう。


 いずれにしても、文学作品は、たとえ前に読んだことがあっても、いま読んでみたければ、何もいうことは出来ないようなところがあります。新しい時代に入ってきたので、それが書かれた時代から自由になり、その作品をとりまいていた雑音から自由になって、私たちが急に目のさめるように思うとしたら、それはたぶん値打ちのある作品ということになる。そういう作品はその発表当時から、そのまま私たちの前にあり、私たちの眼はその活字の上を走っていたのです。その時なりに理解していたのかもしれないが、自分がいい当てる言葉が見つからなかったというようなことなのかもしれません。こうしたことは、作者本人もそれなりに気づかないこともあるので、この意味で、一般に文学作品は生き物で、たえず動いていて、私たちが読むときに生物の本領を発揮して動きはじめ、変化しはじめるのかもしれません。

著者から読者へ より


 次に読み始めた古井由吉「櫛の火」でも、入院する女の場面が最初にあり、病院の内で話が進む。
 帰る少し前になり、換気扇を取り替える工事をする人達が来た。二人来た。真ッ黒の換気扇は取り外された。「それらしい舞台も簡単に消える。朝の陽や工事で」と私は思った。祖父はまだ生きている。一年以上前から意識がないままに。

小島信夫「抱擁家族」(講談社文芸文庫)
2002/11/30 20:29:28

セザンヌの山・空の細道 結城信一作品選/結城信一
2002/04/28(日) 戦後短篇小説再発見5 生と死の光景/講談社文芸文庫 編 で私はこう書いている。


 そして、これまで読んだこのシリーズの中でも一番良いのが結城信一「落葉亭」。どうも私は、藤枝静男の茶器趣味や森内俊雄の小筆蒐集などの、爺さん趣味、「落葉亭」の場合は庭園造り、そういったものについて書かれたものが、非常に好きらしい。作者の思い入れが強いというのもあるし、老境に入ったからこそ書けないものを、自らの愛する事物に託した文章は、とても真摯で、美しく、また楽しそう。実際、大きな岩の上に寝そべってみたくなった。大きな庭のある家を持つことが出来たなら、庭に巨岩を置きたくなった。それだけではなく、このような小説に出会えて、とても嬉しかった。


 たしかにそのくらい「落葉亭」は気に入った。だから今回短篇集が出てるのを見て驚いた途端に買ってみた。が・・・・・・、少女趣味が、露骨で・・・・・・。森内俊雄の場合は、全編それということはないし、自制もきいていて、よくは知らないがその傾向が現われたのも老年に入ってからじゃないだろうか。結城信一の場合は、それまで恬淡とした雰囲気で好きな感じの話だなあと思ってたら、少女が出てきた途端に物語が安易に流れて、見てられなくなってくる・・・。全部読んだけれど。
「螢草-柿ノ木坂」「鶴の書」は、とくに「鶴の書」は、カルロス・フェンテス「女王人形」に似た最悪の後味を残す作品で、しばらくは本を置いたが、それだからといって悪い話というわけではない。ただ、そこで受けた衝撃が、後の短篇を読むにつれ、少し嫌あなものに変わっていった。21歳の時の初恋の相手が小学生だったというくらいは別にいいんだが・・・。
 そういう意図で編まれた短篇集なんだろうが、次があるとしたら、「落葉亭」傾向のものが多く入ることを望む。


結城信一「セザンヌの山・空の細道―結城信一作品選」(講談社文芸文庫)
2002/11/30 15:13:12





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Last updated  2002/11/30 08:29:28 PM
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