こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

顆粒膜細胞腫


どうにか退院までこぎつけた。入院期間は50日ほどだった。
自分で確認する為に診断書を余分に取り 中を確認(前述)。
「かりゅうまくさいぼうしゅ」と復唱し、決して忘れないでおこうと心に決めたのだった。
でも、主治医の先生からこの言葉を聞いたことはないと記憶している。
退院してから一年は経口の抗悪性腫瘍剤を服用していたので一ヶ月ごとに通院していた。

いつだったか、もう記憶していないけど 病気について一応説明されたのかもしれない。
「腫瘍は決して悪いものではないが、悪くなる可能性がある中間性のものだった。
(昔はこの表現だった。現在は境界悪性というようになったようだ。ものは言い様である。
「決して悪いものではない」が、良くもなかったのだった。転ぶのは「悪い方に」であり、
良い方向に転ぶのではない。)
この病気は子供がすでにいる人だったら子宮卵巣をすべて取ってしまうのだけど
まだ20代だし、これから子供が欲しいだろうから左の卵巣と子宮を残した。
その代わり化学療法をしたんだよ」と。
そんなことを聞いたような気がする。それとも自分で調べたのだろうか?ちょっと記憶が
あやふやになっている。インターネットなどない時代。
今だったら情報もたくさんあるけれど、当時は主治医の言う言葉がすべてだった。
再発の危険性とかそういう説明はされなかったような気がする。
もし、もっと突っ込んだ内容の話をしてくれていたら 後年再発したときにもっと違う
行動を取ったかもしれない。同じだったかもしれないけど・・・。
あれだけ忘れまいと決めていたのに・・・・。
抗がん剤を服用しているうち、妊娠は厳禁だった。
仕事はその後一度だけ声を掛けてもらったのだが 自信がなくて断ってしまった。
一度断ると2度と仕事は来ないのだということを学習したが、別に惜しくはなかった。
恵まれていた環境だったが 仕事にもどこか限界を感じていたのかも知れない。
ベランダでひなたぼっこをしながら「こういう生活もあるのか」とのんびりしていたの
だった。
さすがにツルツルの頭では外出できないので数ヶ月間はカツラを被っていた。
でも 髪が伸びはじめてくると地毛とカツラで二重になりうっとおしくなる。
ベリーショートくらいの長さで思い切ってヅラ生活からオサラバしたのだった。
ないほうがすっきりして気持ちよかった。
一年後 抗がん剤の服用が終了し(実は薬を結構飲み忘れていてあまり真面目な患者では
なかったのだった。不味かったし・・・。自分で治療するという意識に欠けていたのかも
知れない。再発は自業自得かな…)
不妊治療を再開することになったのが、私は引越しをしたのを機に不妊治療で有名な病院を
紹介してもらい転院した。
(この後のことは卵巣腫瘍3に書こうと思います)
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