こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

帝王切開1-2


【帝王切開1】
紹介された病院へは数ヶ月間不妊治療で通った。タイミングを見て排卵誘発剤を
一週間ほど毎日(日曜日も)病院に行って注射をするのだった。
不妊治療で成果を挙げている有名な病院だったのであちこちから患者が来ていた。
自宅が遠いのでホテルに泊まりながら注射を続ける人もいたし、体外受精や人工授精
をする人もたくさんいた。治療期間が長くなると患者や家族の負担や不安、悩みも
増大するが費用も大きな問題だった。注射の治療でも一ヶ月4~5万、体外受精は
一回数十万と言われていたが、それでも「子供が欲しい」という一念でみんな
頑張っているのだった。
その中で私は相変わらずの中途半端さだった。幸い治療期間は短期で済んだことも
あるが、治療が長くなっていたら嫌になってやめていたかもしれなかった。
人工授精も、という話もなかったわけではないが運良く排卵誘発剤だけで妊娠した。
妊娠中は特に問題もなかったが 子供の心音が弱くなり、又低体重児であったので
帝王切開での出産となった。
無事に生まれた男の子は元気だったが 私とは別の病院(私が今回脳腫瘍でお世話に
なった病院)のNICUに搬送され入院した。

【帝王切開2】
長男が生まれて2年ほどして 下の子を授かった。今度は自然妊娠。卵巣は片方でも
その頃はちゃんと機能を果たしていたようだ。
この子が生まれる時、私は又も帝王切開となった。第一子が帝王切開だったので
二番目も帝王切開かもしれないとは思っていたが、自然分娩にこだわるあまり
不幸にして亡くなる事もあるのでその点はどうでもよかった。
実際は選んで帝王切開したのではなく、胎盤早期剥離になってしまった為
予定日より一ヶ月早く緊急手術になってしまったのだった。

2番目の出産を前に私は再び引越しをしていた。
今度はダンナの実家の敷地内に家を新築し 一人暮らしをしていた義母と(一応)2世帯で
住むようになっていた。
その日は引越し前のマンションの友人宅に遊びに行っていたのだが どうも身体の調子
が良くない。そう思っていたら突然出血し貧血状態になってしまった。
驚いた友人達の手で病院に運んでもらうと医師は
「胎盤がはがれかけ、破水もしているのですぐに手術をする」という。
(胎盤早期剥離というのは子供が生まれる前に胎盤がはがれてしまい
母体は大量の出血を起こし子供も危険な状態となる。輸血しても間に合わず、死んでしまう事も
あるのだった)
慌しく術前の準備がされ 手術室に運ばれた。てきぱきと準備が進められて行ったが
私は貧血がひどく朦朧としていた。こんな状態でも承諾書にサインはさせられるのだった。
そして、麻酔も効かないうちに下腹のあたりに一直線に激痛が走り「痛い!!!」
と叫んでそのまま意識を失ってしまったのだった。
(麻酔もなして切るなんて酷い)と思ったのだが そうではなかった。
あと少しで手術が始まるというところで胎盤がすべて剥がれてしまったのだった。
手術室の中は修羅場になった、と後で担当の看護婦さんから聞かされた。
私は1800CC出血し、子供は仮死状態で誕生したのだった。
血小板を大量に失うと止血できなくなり危険な状態になる、といわれたが、輸血を1200CC
され私は無事だった。
幸い次男にも障害が残ることはなかった。
卵巣腫瘍に長男・次男と帝王切開。見舞いにきた母親が「ホントにアンタは・・・。
昔なら死んでいるよ」と呆れ顔で同情するのだった。
私だって好きでこうなってる訳じゃないんだしそう言われてもなぁ・・・。テレビでよく
子だくさんの家族とか、自宅で出産した、とかいう話を聞くと「いいなあ丈夫で」と感心
するけど・・・。
このとき入院したのは 卵巣腫瘍の手術をした病院だった。あれから6年ほど経って
いたが 何人かの看護婦さんは私のことを覚えていてくれて、まるで同窓会のようだった。
私が退院した後も、子供はしばらく入院していたが 元気に退院した。
あの時 もし友人の家にいなかったら、自宅で長男と二人きりだったら、又、どこか別の
場所だったら、もし、手術室に入るもっと前に胎盤が剥がれてしまっていたら・・・
恐らく私も次男もこの世にいないと思う。数々の偶然が重なって私たちは
生かされたと思うのだ。
(だから、次男の成績が多少悪くても・・・?いいえ!それとこれとは別なのですよっ!)
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