全18件 (18件中 1-18件目)
1
昨日の北海道新聞に長倉さんの記事があった。長倉洋海さんのことを多くの人に知ってほしいと思い、転載する。会員限定記事なので、本文だけコピペしよう。<言葉の現在地2024>私たちは地球に生かされている 写真家・長倉洋海さん 争いやめて自然と共存を 10歳のころ、地球儀を買ってもらった。丸い地球の上にたくさんの国があった。少年は大人になって戦場や紛争地に向かった。激動する世界をカメラでとらえたかった。そこで生きる人々に出会った。人が生きていくとはどういうことか、世界とどう向き合うべきか、出会いから学んだ。釧路出身のフォト・ジャーナリスト長倉洋海(ひろみ)さん(71)。今も地球を駆け回る。 40年前、内戦中のレバノンで、政府軍と市民軍が砲弾を撃ち合う最前線を越えて真ん中に行ってしまった。両方から砲弾が飛び交い、死を覚悟した。その時、同行した現地ガイドが飛べなくなったカナリアを抱き上げて助けた。最前線を脱出した時、車内に流れたピアノソナタを聴いて、生きていることを実感した。 南アフリカ、ジンバブエ、ソマリア、コソボ、カンボジア、ブラジル、エルサルバドル、グリーンランド自治領…。これまでに63の国・地域で撮影した。最も印象深い国、写真家としての土台を作った国、今も現地の子どもたちの支援を続ける国が、かつて旧ソ連の侵攻を受けていたアフガニスタンだ。 同世代のアフガンの司令官マスードのもとには、彼が2001年に暗殺されるまで17年間、何度も訪れ計500日を一緒に過ごした。マスードは戦場で花を手にしていた。戦闘の合間に草原で読書をしていた。ソ連軍の爆撃で故郷が破壊された後、彼が真っ先にしたのが植林だった。「彼の言葉、表情、行動、それぞれのディテール(細部)を今もよく思い出します」。戦下にいる人ほど平和を強く求めていることにも気づいた。■まず自分が変わる 今、ロシアがウクライナに侵攻し、イスラエルがパレスチナ自治区ガザを攻撃している。欧米がウクライナに武器を供与する。ガザで子どもを含む多くの民間人が殺りくされるのを世界は止められない。私たちは無力なのか。そう聞くと長倉さんは答えた。「一人一人、その場所で自分自身が変わることが、実は世界を変える一歩になる。半歩かもしれないし1ミリかもしれない。でも必ず少しずつ、世界を変えることにつながっていくはずです」 記者は1月に東京で開かれた写真展「地球に謳(うた)う」の会場で初めて長倉さんに会った。世界各地の先住民や遊牧民など自然と共存する人々の写真に心を打たれた。当初は「持続可能な開発目標(SDGs)」の特集記事で長倉さんの世界観を紹介しようと思った。ただ、インタビューするとSDGsに違和感を持っていた。「地球に優しくとか、持続可能とか、それは人間本位の話でしかない。僕たちは地球に生かされている。逆に地球は人間がいてもいなくても関係ない。人間がいなくなっても他の動物や植物は困らないのだから」■欲の飽和 壊れる森 長倉さんは昨年、飛行機で27時間かけて地球の反対側のブラジルに行った。森林破壊の進むアマゾン川流域の環境はさらに悪くなっていたという。便利さや経済的な利益を追求する欲望の飽和。「開発する側の人間は欲望のために森を壊し、そこで暮らす先住民族の生活や命を脅かしている。木材も資源も食料も、それらがどのように切り出され、掘られ、作られたか、日本にいると最前線がオブラートに包まれて見えない」。四半世紀ぶりに再会した先住民のリーダーは、かつては「写真でアマゾンの現実を世界に伝えてほしい」と話していたのに今回は「人間がいなくなってしまった方がいい」と話した。故郷の川が汚染され、先住民もペットボトルの水を飲んでいるという。「人はモノによって生かされるのではなく、人によって生かされる」と強く思う。 年齢を重ねるにつれ、長倉さんが撮る写真も変化した。カマキリが道端をゆっくり歩いていれば、はいつくばって写真を撮る。雪が積もったシラカバの若木を見て、枝が細くて重そうだからとかわいそうになって、雪を払う。「自然に共振、共鳴することが若いころより増えました」 世界を回りつつ、今は故郷の釧路に根を下ろした長倉さん。地元の小学生に授業をする機会もある。「僕は写真や旅の話をするのが楽しくて、そんな姿を見た子どもたちが、好きなことをしていると楽しいんだなと思ってくれるといい」。子どもたちに伝えたいことは?と尋ねると「いや、ないよ」と即答した。「僕たちが伝えなくても、子どもには可能性がある。芽っていうかな、命の中にある、生きていこうとする気持ち。きっかけさえあげれば、木々が芽吹いて太陽に向かうのと同じように伸びていくはずです」と優しい表情で話した。 <略歴>ながくら・ひろみ 1952年釧路市生まれ。同志社大卒。時事通信社を経て80年からフリーのカメラマンとして紛争地などを回る。写真集やエッセーなど著書多数。土門拳賞や講談社出版文化賞を受けた。2015年から釧路の実家で「長倉商店塾」を開講。半生を描いたドキュメンタリー映画「鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)」が昨年公開され、全国を巡回中。7月13日~9月29日に道立釧路芸術館で写真展が開かれる。
2024年04月30日
コメント(0)
夫が在職中は、ゴールデンウイークは人並みに天気が良ければ外出していた。子ども達が小学生の頃までは、まだ肌寒い時期ではあったがあちこちの自然がい所に出かけた。ある年は、然別湖に行ってどこかでキャンプをしようという予定だったが、湖はまだ氷に覆われていて、キャンプするには寒すぎて夜中に帰ってきたことがある。その頃は、ゴールデンウィーク中で桜を見る年はほとんどなかったと思う。子ども達が中学生以上になると、部活や友達と出かけることが多くなり、せいぜい実家の庭先でジンギスカン(バーベキュー)をすることがイベントだっただろうか。やがて息子たちが家を出てからは、多分夫婦でドライブしていたような気がする。そういえばこの時期は、庭の手入れや実家のビニールハウスを建てたりするのが恒例だった。長男が結婚し、孫が生まれ、息子がワイン用ブドウ農家になってからは、息子たちは忙しいので私達が孫たちをあちこち連れてくことが恒例となった。滝野スズラン公園の「子どもの国」、モエレ沼公園、動物園や水族館、砂川の子どもの国、岩見沢グリーンランドなど、毎年楽しみだったような気がする。そして孫たちも大人になった今は、晴れた日は庭の春仕事と、息子たちのブドウ畑の手伝い。昨日・一昨日の連続二日で剪定枝集めとそれを燃やす作業に頑張った。ということで、今日は全身筋肉痛。斜面のブドウ畑の上り下りはそれだけで疲れるし、集めた枝を効率よく安全に燃やすのも結構忙しいのだ。それでも、今年も元気に働けそうだと思うと感謝するばかりだ。コブシも終わりころになったけれど、山々は山桜のピンクや春紅葉、木々の芽の萌黄色が美しい。本当にこの時期は、自然の美しさに毎年感動する。今日は休養日。連休後半はどうなるかな。
2024年04月30日
コメント(0)
昨日・今日と急に暖かくなって、当地の桜も一気に咲き始めた。朝はパラパラ、午後は満開に近い感じがするほどで、今年は連休中がお花見日和になった。以前は、連休中に桜が咲くのは珍しいくらいだったのに、最近は当たり前になってきた。札幌の桜はすでに満開のようだが、同じ札幌市内の平岡梅園はやっと開花宣言したばかりのようだ。北海道では梅より桜が早く咲くのですよ。
2024年04月27日
コメント(2)
大谷翔平、水原一平容疑者について言及…「(親友を)失った以上に支えてもらった人がいる」…喪失感より仲間に感謝4/25(木) 長年の相棒で「恩人」とまで思っていた人からの手痛い裏切りを受けた時、どのように受け止め対処できるかで、その人のその後が変わってくる。あるいは、想像していなかったような不運に見舞われた時も同様だ。「ピンチをチャンスに」とはよく聞く言葉だけれど、ピンチの時にチャンスの芽や光を見出す力を持つことができる人は、それほど多くないような気がしている。多くの人はショックに打ちひしがれ、自分を立て直すために時間がかかるだろう。相手が人間だったなら、恨みや怒りや憎しみを制御するために多くのエネルギーを使うだろう。どうしようもない事故や事件や自然災害の時には、運命を呪ったり自分の不運を嘆く時間が続くだろう。多分私も、その例を免れないだろうと思う。そんなことを思う時、大谷翔平のすごさをあらためて思う。単に能力に恵まれているだけではない。これまでの長い時間続くぶれない夢や信念、その目的のための努力や忍耐や節制、その中で培う周囲の仲間や親しいとの信頼関係や感謝の時間。それが土台になっての「ピンチはチャンス」になる。彼から学ぶことは本当に多大だ。
2024年04月25日
コメント(0)
「恩送り 泥濘の十手」麻宮 好出版社内容情報第1回警察小説新人賞受賞作!付け火の真相を追ったまま、行方知れずになっている岡っ引きの父・利助を探す娘のおまき。おまきを手助けする材木問屋の息子・亀吉、目の見えない少年・要、そして臨時廻り同心の飯倉。手がかりは漆で塗られた謎の蓋のみ。器の身はどこにあるのか? いったいどんな器なのか?もつれた糸がほどけずに四人が焦るある日、大川に若い男の土左衛門が上がったという。袂から見つかったのは漆塗りの毬香炉。だが、妙なことに蓋と身が取り違えられていた。身元は薬種問屋相模屋の跡取り息子・藤一郎で、のちに利助の遺した蓋と藤一郎が遺した毬香炉は一対だったと判る。利助と藤一郎とを繋ぐ毬香炉は果たして誰のものなのか?内容説明火付けの真相を追ったまま、行方知れずになっている岡っ引きの父・利助を探す娘のおまき。おまきを手助けする材木問屋の息子・亀吉、目の見えない少年・要、そして臨時廻り同心の飯倉。手がかりは漆で塗られた謎の蓋のみ。器の身はどこにあるのか?いったいどんな器なのか?もつれた糸がほどけずに.四人が焦るあの日、大川に若い男の土左衛門が揚がったという。袂から見つかったのは漆塗りの容れ物。だが、妙なことに蓋と身が取り違えられていた。身元は薬種問屋相模屋の跡取り息子・藤一郎で、のちに利助の遺した蓋と藤一郎が遺した容れ物は一対だったと判る。利助と藤一郎とを繋ぐ容れ物は果たして誰のものなのか?おまきと三人は新たな手がかりを元に利助を探し出せるのか?第1回警察小説新人賞受賞作!著者等紹介麻宮好[アサミヤコウ]群馬県生まれ。大学卒業後、会社員を経て中学入試専門塾で国語の講師を務める。2020年、第一回日本おいしい小説大賞応募作である『月のスープのつくりかた』を改稿しデビュー。22年、本作で第一回警察小説新人賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。おまきと三人は新たな手がかりを元に利助を探し出せるのか?麻宮好の「母子月 神の音に翔ぶ」を読んで面白かったので、続けてこの本を借りてきた。主な登場人物は、様々な事情をかかえながらも運命の中で健気に生きている少年少女たち。前回も少年の物語だったけれど、そこには当然彼らを励まし育む大人達もいる。舞台は江戸時代だけれど、現代にも通じる様々なことを面白くも深く描いている。ミステリーのジャンルなのかもしれないけれど、人間の成長物語の色合いが強い。よくみたらこの人も女性だ。最近は手に取る本が女性作家に偏っているような気がする。小説はやはり、どろどろとしたものがあっても、どこかに希望や「人間って捨てたものではない」と感じさせてくれなくちゃね。また麻宮さんの本を探してみようかな。
2024年04月24日
コメント(0)
4月13日(土)三姉妹が揃っているので、久しぶりに「安暖亭」でのディナーを楽しむ。このお店は創作和食のお店でいつもそのお料理が楽しみなのだが、意外にも末の妹はまだ行ったことがないというのでこのお店に予約した。さほど大きいお店ではないので、この日は一階の席は満席なので、二回の宴会場で四人がゆったりと食事を楽しむ。どの御料理も丁寧に作られていることがわかるもので、見た目も味も大満足だった。4月16日(火)息子たちの畑の作業。この日も剪定枝集め。腰に負担がかからないようにビニールシートに枝を集めて引っ張り下ろすことにした。それでも、午前中の作業でやはり腰が疲れてきたので、午後からの途中からは番線張りの作業にしてもらった。殺風景な山々にコブシの花がぼんぼりのように浮かんで見える。コブシの季節にはいつも、小学校の時の担任の西木先生を思い出す。先生が亡くなってからもう何年たっただろう。そうだ、ブログに書いていたっけと調べたらN先生の思い出があった。ああ、もう36年も経ったのだな。本当に月日が過ぎるのは早いものだ。4月19日(金)Tさんと札幌のシネマフロンティアで、「オッペンハイマー」を観る。彼女とは随分前に違う映画を観ようと日程を決めていたのだが、胃腸の調子が悪化して入院してしまっていた。彼女はこの数年、次々と色々な不調が続いていて、体調が回復した時には励ましのために食事をしたり映画をみたりする状態が続いている。今回も、ずっとまともな食事ができないうえに動くことも少なくなり、体力が落ちたと聞いていたので当日も大丈夫かと心配していた。でも、久しぶりの彼女は確かに体力は落ちて歩くのも以前に増してゆっくりになったような気がしたが、明るい顔をしていたのでホッとした。さて映画であるが、予想通りの重たい映画であった。私は事前に映画の公式サイトを見て予習していたので、Tさんには概略を映画の前に話しておいた。彼女はうつ病のせいでもあるのか、なかなか自分で決めることができない傾向がある。だからいつも、時間やお互いの興味の傾向を考え、複数の映画を示して選んでもらうようにしている。今回もそうしたのだが、やはり彼女は映画の内容もよくわからないせいか、私のチョイスに従った形だ。調子のよい時は控えめにではあるが自分で選ぶので、今回は不調なのかもしれないとも感じた。そんな感じで今回の映画は私が見たかったのだが、内容は少し重たいはずなので、彼女にとってあまり良くないかもしれないとの懸念もあった。鑑賞後、彼女のお腹に優しいであろうと思った「オムライスドリア」を食べながら映画のことを話したのだが、やはり映画の重さをどのようにプラスに考えられるかが私の修行でもあった。どれほど真面目に頑張って努力しても、それが望む結果にはならないことがこの世には多いし、それは彼女の人生そのものであるところもあるからだ。それでも、誠実に自分の心に正直に自分とも周囲とも折り合いをつけながら頑張るのは、人間の価値でもある。結果がどのようになったからといって、真面目に良いことを願い続けて努力することは決して悪いことではない。帰宅後、彼女からのラインが届いた。「自分一人で見たら重い気持ちになってしまったでしょうが、その後色々話したことで暗くならずにすみました」。それを読んでホッとしている。
2024年04月20日
コメント(0)
四月に入ってからの寒暖差には本当に戸惑う。ある日は夏日に近い暑さでクーラーを使いたいと思ったら、ある日は寒くてストーブを付けっぱなし。でも、急に暑くなったためにコブシが一斉に咲いたと思ったら、札幌では桜の開花宣言。我が家の周囲ではまだ桜は咲いていないようだが、庭のチューリップは咲き始めた。しかし今日はとても寒いので(8時現在8℃くらいか)、チューリップも固く花びらを閉じている。天気予報を見ながら、その日の服装を考える日々である。この季節は寒暖差が上下するのは当たり前なのではあるが、ちょっと激しすぎる。
2024年04月20日
コメント(0)
《小池百合子“学歴詐称疑惑”》「文藝春秋」告発手記で渦中の千代田区長が「公務ドタキャン」行方不明になっていた!4/17(水) 16:12 文春オンライン古舘伊知郎、小池百合子知事は「日本のトランプ」学歴詐称疑惑で私見 少ない報道にも苦言日刊スポーツ 4/18(木)数日前から、ネットでこの記事を見るようになった。随分前にも小池さんの学歴詐称疑惑は言われていたようだが、その後うやむやになっていたのか。(そのまま都知事を続けていたので、疑いは晴れたのかもと思っていた)私は学歴が小学校卒でも、ずっと学校に行っていなかったとしてもそれが問題だとは思わないが、それをごまかして高学歴のようにみせかけていたというのは、人としていただけないと思っている。学歴詐称に加担していたという自分が許されない思いで、側近が告白したことは人として理解できる。それに、古館氏も指摘しているが、学歴詐称で選挙に出て当選したなら公職選挙法違反となるのだろうから、許しちゃいけないな。こんなことが起きてしまうのは、日本文化の学歴信仰によるものだろう。学歴信仰よりも、ごま化したり嘘をつくということを恥じる文化の方が大切だ。それはどこに行ってしまったのか。小池さんはこれからも、堂々と嘘をつくという政治文化の中で生きることになるのだろうか。
2024年04月18日
コメント(2)
昨日は「HBC北海道文化塾」の二回目、齋藤孝先生のお話でした。齋藤孝さんを知ったのは、多分「声に出して読みたい日本語 2001/9/12発行」がブレイクしたころ。当時の私は、不登校の親やその子ども達との関りを始めていた頃で、中学校に通っていない女の子と話を時々していた。その彼女に、「この本を声に出して読んでみたらどう?」と教えたことがある。その時に初めてこの人を知ったと思う。今、この本を検索したら、シリーズになっていて⑥まであった。講演を聞いたのは二回目。東京で当時関わっていたブックスタート事業のボランティア団体が、何かの賞をもらったので、会長の代理で授賞式に行った時。多分、もう20年近くも前だったんじゃないか。この時の講演は、全国各地で国語教育や図書館活動をしている人が対象者だったので、日本語の本質などに関わるようなレベルの高いものだったと記憶している。資料も随分丁寧に沢山作成されて配布され、一部を参加者全員で音読したのだが、古典であっても音読すると何となく意味が腑に落ちるというか、ちょっと目から鱗の気持ちがしたことを思い出す。それに比べたら今回は、「コミュニケーションと発想力」というテーマで、対象者も高齢者が多いということで、かなりくだけて楽しいものだった。言葉遣いも以前の印象とは全く違っていたし、話題も私たち世代の特徴や現代世相をちりばめているので、聞いているだけでも全く飽きない。後半は、全員が体を使いながらの初対面同士のコミュニケーションをとるワークショップになり、あの大人数の講演会場を沸かせる技術は大したものだと感心した。昨日のお話でメモをとっていたものを羅列する。・コミュニケーションには漢字変換能力が大切確かに、相手の話している言葉を脳内で漢字変換できなくては、何の意味か分からないことが多い。・相手を褒める時には具体的に・人の話は胸で聞くちゃんと話す相手に体を向けて聞くこと。耳だけ、顔だけ、頭だけ向けるよりも伝わるのは確か。・人と会話する時は、意味はなくても上機嫌でいること。確かに、不機嫌そうな人と話すと余計な気遣いをしてしまう。私のモットー「とりあえず笑顔」に通じることかな。・身体文化と精神文化は人格の基盤。この二つは継承可能なことであり、その上に個人の心が乗っかっている。心は不安定なものなので、基盤がなければ揺れるし風に左右される。・読んだり聞いたりしたことを、要約して誰かに話すことで自分のものになる。そんな話の中に、自分の経験をプラスして話すとよりgood!・出会いの時を祝宴に。そのほかにも、丹田呼吸の大切さや、緊張をほぐして出会いを明るいものにするヒントなど色々あったけれど、笑ったり拍手したりしてメモしていない方が多かった。それほど目新しいことではないけれど、やはり時々意識することは大切だと思う。–
2024年04月15日
コメント(0)
“威圧的言動”問題の長谷川岳・参院議員を直撃!東京まで出向かせる“面通し”の証言、夕方「明日の朝9時に来て」の急な出張指示など「基本、ないですね。表現方法は極めて無自覚、全面的に変えていく」4/13(土) 北海道放送この放送を私も見ていたのだが、とにかく自己弁護に終始している感じで、本気の反省はしていないだろう。熱意のあまりの言動で、俺は人一倍仕事をしているんだということを示したいようだった。彼がどれほどの仕事の成果を上げていたのかわからないけれど、これでは人に慕われたり信頼されたりすることは難しい。そして、このようなやり方でしか物事が動かないとしたら、それも問題だ。「表現方法が無自覚」というよりは、そのような言い方が人を思い通りに動かせるとの考えでやっていたとしか私には思えない。「不徳の致すところ」と言っていたが、まったくもって貴方には徳がない。何でも「損得」で考え、忖度させていたというよりも、上のものには忖度しまくりだっただろう。反省して考え方や態度を改めるかもしれないけれど、多分本質がこうだし、周囲の人に対する(特に目下と思う人)に対するリスペクトがないから、どこかに修行にでも行かなくては徳を積むのは難しそう。本当の北海道出身でないことに、多少の救いを感じている。
2024年04月13日
コメント(2)
「夜明けを待つ 」佐々 涼子生と死を見つめ続けてきたノンフィクション作家の原点がここに!私たちは10年という長い年月を、とことん「死」に向き合って生きてきた。しかし、その果てにつかみとったのは、「死」の実相ではない。見えたのは、ただ「生きていくこと」の意味だ。親は死してまで、子に大切なことを教えてくれる。(第1章「『死』が教えてくれること」より)家族、病、看取り、移民、宗教……。小さき声に寄り添うことで、大きなものが見えてくる。『エンジェルフライト』『紙つなげ!』『エンド・オブ・ライフ』『ボーダー』……。読む者の心を揺さぶる数々のノンフィクションの原点は、佐々涼子の人生そのものにあった。ここ10年に書き溜めてきたエッセイとルポルタージュから厳選!著者初の作品集。(目次より抜粋)第1章 エッセイ「死」が教えてくれること夜明けのタクシー体はぜんぶ知っている今宵は空の旅を命は形を変えてこの世の通路幸福への意志もう待たなくていいダイエットハノイの女たち未来は未定夜明けを待つ痛みの戒め柿の色ひろちゃん和製フォレスト・ガンプ誰にもわからないトンネルの中スーツケース梅酒ばあばの手作り餃子縁は異なもの第2章 ルポルタージュダブルリミテッド1 サバイバル・ジャパニーズダブルリミテッド2 看取りのことばダブルリミテッド3 移動する子どもたちダブルリミテッド4 言葉は単なる道具ではない会えない旅禅はひとつ先の未来を予言するか悟らないオウム以外の人々遅効性のくすり佐々涼子(ささ りょうこ)ノンフィクション作家。1968年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学法学部卒。日本語教師を経てフリーライターに。2012年、『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回開高健ノンフィクション賞を受賞。2014年に上梓した『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(早川書房)は、紀伊國屋書店キノベス!第1位、ダ・ヴィンチBOOK OF THE YEAR第1位、新風賞特別賞などに、2020年の『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)は、Yahoo!ニュース|本屋大賞2020年 ノンフィクション本大賞に輝いた。他の著書に『ボーダー 移民と難民』(集英社インターナショナル)など。友人に勧められて図書館で借りた本。エッセイとルポという、連続して読まなくても隙間時間に読めるのをいいことに、返却期限ぎりぎりまで借りている。生と死を見つめ続け、その間に生きている人たちの人生を深く見つめ、それをノンフィクションとして書き続けてきた人の言葉はとても優しくて心に響く。この人の作品は読んだことがなかったと思っていたが、ブログを確認したら、「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」を読んでいました。あとがきを読んで二度ビックリ。なんと、彼女自身が悪性の「神経膠腫(グリオーマ)」で余命宣告されているという。佐々涼子さん、できるだけ長く生きて自分の命と向き合う日々を書き残してほしいです。そして、もう少し彼女の本を読んで彼女と対話してみたい。もしも現実にお話が出来たなら、きっと共感することが多くて楽しくお話ができるのではないかと思ってしまった。
2024年04月12日
コメント(0)
昨日は、今年初めてのブドウ畑の仕事を手伝った。この日の作業は、息子たちが剪定している枝集めと、番線張り。午前中は暖かかったので、剪定枝集めを一時間くらいしていたらのぼせ状態に近くなった。こまめに水分補給はしていたのだが、これはマズイと小休止。この状態で作業を続けて熱中症になってしまった経験があるので、用心に越したことはない。しかし、その後は割と落ち着いて、あまり疲れを感じずに作業をすることができた。この日のブドウ畑は傾斜がきついので、上り下りだけでも結構大変なのだが、この数年通っているカーブス効果なのか、春の最初の作業の割には楽だった。この畑で手伝うようになった最初の頃の方がずっと体力がなくて、いつもゼーゼーハーハーしていたような気がする。人間はいくつになっても、健康であれば体力や筋力は維持向上するのかもしれない。この日は、鎌倉からボランティアで実習にきているHさんが少し離れたところで作業していたのだが、昼食の時に「お母さん、すごいですね。あの斜面を休まずに上っているのを見て、負けちゃいられないと思いました」と言った。何だかちょっと嬉しかったのは、正直な気持ちである。この日は息子夫婦と長男の娘、私たち夫婦での作業になったので、Hさんが「三世代揃ってますね」という。このような日は珍しくはないので「ああ、そういえばそうですね」と答えたが、よく考えたら現代農業ではさほど多くはないのかもしれない。ただ、私の本音は(農業って、本来家族みんなで働くものだったんだよ)である。現代は様々な事情で家族による小規模農業は次第に減り、個人であっても大規模化した形か、農業法人、他の業種の会社が農業に参画することが増えている。それも農業を守るために必要なことであるとはわかっているが、家族が力を合わせて農作業をし、自然を守り食糧自給率を守り、家族の絆を守ることが、日本の農林畜産業の土台にならなければ、日本人は益々弱体化するような気がしている。と、そんなことまで思ってしまったのは、私が考えすぎかな?本当は三時頃で帰ろうと思っていたのだけど、夫は運搬車で剪定枝を運ぶ係で、私も思いのほか元気だったので、昼食をはさんでの9時から午後4時まで頑張ってしまった。流石に今日は全身筋肉痛だけど、明日は大丈夫のような気がする。
2024年04月12日
コメント(0)
「老いはみんなに訪れるけど、成長は望む人にしか訪れない」ダフネセルフある人のFacebookでみつけた言葉。ダフネセルフという人は知らなかったけれど、検索したら下記を見つけた。世界最高齢モデルの生き方(2)老いはみんなに訪れるけれど、成長は望む人にしか訪れないダフネセルフ誰にでも当てはまるものではないと思うけれど、とても励まされる言葉だ。少なくても、今をよりよく生きようとする意志なくては、前向きにはなれない。諦めることはいつでもできる。まだ自分にできることがあるならそれを目指した方が、今日と明日が楽しみになる。
2024年04月10日
コメント(0)
今年は「HBC北海道文化塾」の受講を申し込んだ。会場の札幌までは電車を利用するし、講座料金も10回で23,000円。それほど高額でもないけれど安くもないという感じなのだが、今回はお話を聞いてみたい人が多かったので申し込んだ。費用や開校日(日曜日)であることが、友人を誘うのもちょっと遠慮して、私一人の受講だ。さて第一回目のこの日、30分ほど前に会場に行くと、もうかなりの人が席に座っている。講演が始まる頃には空席は見た目ではわからず、会場係がパネルで指示しているが、その係の人もなかなか空席を見つけられない状態。ざっと見たところ、今日の講演内容のせいなのかほとんど高齢者でそれも女性が多い。最近はこのような講座に参加する機会がなかったので、久しぶりのことで少しワクワク。さて、この日は和田 秀樹氏の「老いの正体」というテーマ。この方のことについては以前から知っていたけれど、お話を聞くのは初めてであった。今までの経歴のお話の中で、若い頃から浴風会病院で勤務されていたと知った。浴風会は関東大震災後に見寄りを失ったお年寄りのために、日本で初めての病院併設の養老院としてスタートしたため、最後までお世話して亡くなった後は解剖させていただくということで、高齢者の病理についての研究実績は蓄積されているという。そのことは初めて知ったのだが、そのような研究の結果でのお話は、説得力があると感じた。なるほどと思ったことは沢山あるのだけれど、全部を書くのには記憶も時間も足りないので、自分にとって関係あると思ってメモしたことだけ書いておこう。・現在の「臓器別診療」→薬の量が増える。薬を五種類以上服用すると副作用が出てきやすい。・高コレステロールや糖尿傾向で数値を下げると問題も出てくる。 コレステロールは免疫細胞の健康に重要。低血糖も低コレステロールも良くない。 高齢者の自動車の暴走は、薬による意識障害の可能性も高い。 糖尿の人はボケない。・85歳以上の人にはほとんど癌がある。検診で発見し手術や放射線治療が良いかどうかは?・感情の老化→前頭葉の委縮、セロトニンの減少、男性ホルモンの減少。・老いを遅らせるためにできることは沢山ある。 できることはやめない。 高齢者の自動車事故はそれほど多くはない。ニュースに取り上げられるから多く見える。 服薬の影響による意識障害が多く、本人が死ぬことが多い。(低血糖、低ナトリウム) (他を巻き込むのは高齢者ではない)・引退しないで働く→身体と頭を使う。・栄養をバランスよくとる。光を浴びる。バランスの良い運動→散歩が良い。動ける間は積極的に脳機能や運動機能を使い続け、好奇心を持ち、やりたいことをやり、ストレスのかかる付き合いはせず、インプットよりアウトプットを大切にした方が良いようだ。ということで、私も昨日インプットしたことをブログでアウトプットして、少しでも健康に老いていきたいと思う。ただし、記憶能力は落ちているし、久しぶりにメモを取ったら字がグチャグチャ。だから、ここに書かれていることを鵜呑みにしないで下さいね。あくまでも私のメモです。
2024年04月08日
コメント(4)
「母子月 神の音に翔ぶ」著/麻宮 好 〈 書籍の内容 〉歌舞伎役者が命を懸けて守りたかったもの。公演中に毒殺された歌舞伎の女形――驚愕の事情と意外な下手人!女形の歌舞伎役者・二代目瀬川路京は人気低迷に足掻いていた。天に授けられた舞の拍子「神の音」が聞こえなくなっていたのだ。路京は座元と帳元の強い勧めもあり、現状打破のため、因縁の演目を打つことに。師匠の初代路京が舞台上で殺され、さらに瀬川家が散り散りになったきっかけの「母子月」だ。子役として自分も出演した因縁の公演を前にして、初代殺しを疑われた者たちが集まってくる。真の下手人は誰なのか?初代はなぜ殺されてしまったのか?終幕に明かされる真相に涙を流さずにはいられない、感動の時代小説。〈 編集者からのおすすめ情報 〉『恩送り』で第一回警察小説新人賞を受賞した際、満場一致、全選考委員が激賞しただけあって、筆力は折り紙付きの著者です。本作は歌舞伎の世界に浸かれるのはもちろんですが、江戸情緒も余すことなく描き込まれています。最高の読みどころは、主人公を陰ひなたで見守る、女形歌舞伎役者である初代瀬川路京の息子の心の機微。本当に俊逸です。この本は、多分新聞の書評で見て図書館に予約して借りた本。歌舞伎の世界を舞台にしているというので、興味を持ったはずだ。歌舞伎の世界のことは勿論、人間社会の感情の様々な色合いが巧みに描写されている。というような蘊蓄は別にして、物語としてとても面白く一気に読んでしまった。この人の作品は初めてだったけど、もっと読んでみたいと思いました。
2024年04月06日
コメント(0)
母が亡くなり、実家は妹が一人で住んで管理している。渡道四代目なので、私が若い頃までは農地だった場所も、今では周囲が住宅地や商業施設に変貌した。それでも、曾祖父(渡道からは125年)の時代からの庭や木々、築100年は経つであろう納屋や築50年の旧住宅があり、敷地もそれなりに広い。妹は、自分が元気なうちにそれらをキチンと処分することが自分の仕事と考えていて、数年以内に納屋や小屋や庭などを解体処分して売り払い、自分が住む住宅だけ残そうと考えている。私や末の妹は、妹の考え方に従うだけだ。再活用できたらと思ってはいたが、あの敷地や庭をまるごと購入してくれる人はなかなか見つからなかったのだから。ところが、「もったいないなあ」と数人の思いが集合すると、道が開けてくるのが不思議だ。長男の住む近くに、古民家再生もしている建築会社がある。息子たちのワイナリーもその会社が建ててくれたので、せめて納屋の木材だけでも再活用できないかと相談してもらった。それで、昨日その会社の社長と社員と長男が実家に見に来てくれたのだ。納屋は、およそ百年前に曾祖父と祖父が、地元の大工に建ててもらったと聞いている。今はもう無くなってしまった最初の旧実家も、「蔵」と呼んでいた穀物倉庫もその人が建てたと思う。曾祖父と祖父は、持山から木材を切り出し、乾燥させて準備して、住居・蔵・納屋と建てていった。社長はその納屋を一目見るなり、「どこも歪んでいない」という。土台も梁もしっかりしているし、地中に埋まっている柱は傷んでいるかもしれないが再生には問題なさそうだし、「これを建てた棟梁の腕が良かった」とも。実は息子は、ワイン倉庫を作りたいと言っているので、納屋の木材の一部でも使ってもらえればと思って相談したのだ。色々と調べた社長は「これは、このまま移築してリノベーションした方がいい」とおっしゃる。私達はそれほどまでのことは全く考えていなかったので、ビックリである。それを聞いた私の胸には、なぜか不思議な思いが湧き上ってきた。実家の姓は妹で絶える。父は生前、私達が三姉妹なので「姓なんて消えたっていいんだ。その命がつながっていればそれでいい」と言っていた。しかし、きっと内心では娘の代で祖先からつないできた姓が消えることに寂しさはあったと思う。曾祖父は養子に入って姓をつないだが、明治維新の波の中で北海道に渡り、新たな地で一族をつなごうとした。その子である祖父もそうだし、多分父もそうだったはずだ。戦後の農地解放、平成・令和の時代の土地開発の波の中で、とうとう苦労して手に入れたはずの土地も残りわずかだ。その中で開拓時代の名残を残す納屋もなくなる寸前で再利用されると知った時、あちらの世界の曾祖父母・祖父母・両親がどれほど喜んでいるだろうかと思うと、ひょっとすると今回のことは、ご先祖様たちがそのように仕向けてくれたのかもしれないとさえ感じる。だが、移築して再生するとなれば、新築よりも費用がかかるかもしれない。でも、開拓時代の木々を次の世代に残すことは、きっと大きな意味があると思うので、できるだけ応援をしたいと思っている。
2024年04月05日
コメント(0)
私の母の実家は、明治25年に広島県から曾祖父が出稼ぎのつもりで北海道に渡ってきた。広島県に妻子を残し、当時13歳の祖父だけを連れて、船を乗り継ぎ一か月かかって北海道に着いたという。父方の曾祖父とは違い、裸一貫での渡道だった。その後、農地を借りて農業をやってみて、何とか農業で生計が立てれそうだと家族を呼び寄せて、子孫も増えて現在に至っている。先日、曾祖父の渡道から百年を記念しての集まりが平成四年に開かれた時の映像を見ることができた。最初はビデオでの撮影だったようだが、それをDVDに変換したものを近くの従兄が渡してくれたのだ。もう32年も前のことであり、記念誌は手元にあるのだが映像で見たことはなかった。そのせいか、私たち三姉妹はそんな集まりがあったことも完全に忘れていた。いや、本当に驚いた。私達の家族は全員参加していて、115人集まった親族の前で父がまとめて自己紹介をしている。母は八人姉妹の末っ子だったし、時代のせいもあり母の姉たちは沢山子どもを産んでいる。当然従妹たちも多くて、全員集合したわけではないのだが、115人もの大集合パーティだったのだ。会場は母の実家近くの集会所で、仕出し弁当での集まりで、ぎゅう詰め状態だった。この集会所は母の娘時代は小学校だったらしく、母や叔母さん達にとっては懐かしい場所なのだ。主だった人達の挨拶で(主催は母の実家を継いでいる四代目)、曾祖父が北海道に渡ってからのエピソードや苦労話を知り、あらためて昔の人は本当にすごかったと思うばかりだった。そして、映像に映っている人の多くはすでに亡くなっているので、在りし日の動く姿を見て本当に懐かしかった。当然ながら私も若かったし、息子たちは高校生。長男の映像を見て、長男の息子である孫とあまりにも似ていることにビックリ。似ているとは思っていたが、これほどまでとは!昨日、届けてくれた従兄の家に寄り、お礼と共にあのビデオを撮ってくれたのは誰だろうと聞いたが、「きっと本家の誰かが撮ってくれたんだと思うよ」とのこと。DVDに変えてくれたのは、母の二番目のお姉さんの孫だという。付き合いはないので、「その人にお礼を言っておいてね」とお願いしたのだが、子孫にとっては先祖のことを知ることのできる、貴重な資料である。「栄枯盛衰」というけれど、沢山の親族が集まることがで来たあの時から32年。酪農業を営む本家は後継者がなく、これからどうなるのかもわからない。しかし、大勢の私にとっての従兄・従妹たちは道内はもとより全国に散らばって、曾祖父の開拓者魂のDNAをつないで頑張っているはずだ。私の息子たちは「自分には開拓者のDNAがある」なんて時折言うけれど、それは間違いなく母方の遺伝子だと映像を見ながら確信した。誰が映像を撮って編集してくれたのかわからないけれど、心から感謝します。もちろん、家族を養うために北海道に渡ってくれた曾祖父や祖父にも、感謝するばかりです。
2024年04月03日
コメント(2)
長男のワインは、ワイナリー設立の時にサポート会員として出資してくれた人や、応援してくれる人(メール会員)や酒販店、レストランなどに先に販売するので、その他の一般の人にはホームページで時期限定で受け付けるだけになる。できるだけ対面で買っていただきたいと店頭販売分は先着順なのだが、これが年々熾烈な競争になっているらしい。昨年は15分くらいで定員に達したが、今年は2022年のブドウの収穫量減で本数が少なく、アクセス集中のためにサーバーがフリーズし、復活後は数分で終了になってしまったとか。ということで、運よく購入可能になった方に販売するのが昨日の日曜日だった。例年通り私たち夫婦も朝から助っ人に行き、私は販売、夫は車の誘導整理担当。本当にありがたいことに、道内各地はもとより、本州からも来てくださった人がいた。交通便の悪い場所なので、JRの駅からタクシーで来てくださる人も。日曜日の販売の時には、懇意にしている地元のイタリアンのお店が、おつまみ料理セットやピザの販売、ワインの試飲もしてくださる。(試飲には販売するワインでだけではなく、一般販売しないものや次男のワインも提供)11時の販売開始から多くの人が来てくださって、多少肌寒いけれどワイナリーの前で飲食とおしゃべりに花を咲かせていらっしゃった。毎年のことだけれど、その様子を見ていると親として幸せな気持ちに満たされる。このように多くの人に愛され支えられている息子たちと、「本当においしいんですよ!」といって下さるワイン愛好家の人達や仲間。私には、ワイン好きの人達のワインに対する熱量は信じられないくらいだけど、その人たちのおかげで息子たちも頑張れるのだ。おつまみセットだけは時間を見て買えたのだが、お目当てのピザはお昼過ぎには売り切れ。お店の人が急遽食パンを買いに行って、それでパンピザを作っていたので、それは食べることができた。(ピザのトッピング材料はまだまだあったらしい)午後三時が販売終了だったので、私達もその後帰宅。戸外に半日いて車の整理や誘導をした夫も、販売で常日頃しないお金の計算や、買いに来てくださった人との会話を続けていた私も少し疲労気味。でも、心地よい疲れの一日だった。
2024年04月01日
コメント(2)
全18件 (18件中 1-18件目)
1