全198件 (198件中 1-50件目)
さて、草木も眠る牛三つ時のなんていいますが皆さん結構起きて活動しておいでのようですね。さっきから表で車の乗降の物音が少々煩いくらいです。飲み会の帰りかなにかだと思われます。私も12時少し前にお薬を飲んで今日こそぐっすり眠れるものと思いましたが胃の激痛に先程目が覚めてしまいました。こうなると中々寝付けるものではなくこうしてプログなんて書いてしまったり入院準備だけしてみたりヒマつぶしようの刺繍セットを購入してみたりする訳です。よく考えると今日で9月も最終日もうすぐ10月になるわけでベッドの空き待ちをして1ヶ月ほど入院したとしましたらあっという間に年末になってしまうのですね。そろそろカレンダーと手帳と年賀状の季節になるのですからあぁ、本当に時間が立つのはなんという速さなんでしょうか。でも今夜のように眠れない夜はゆっくりと過ぎていくようです。そう、何かの歌にもありました。眠れぬ思いは貴方だけじゃないって。我が家には本当に養母の御霊がいるのかもしれない。何故って2・3日調子の悪かった冷蔵庫がとうとう壊れて動かなくなってしましったから。5/24から色々な物品が壊れて私自身も壊れているけれど、しっかりしなさいという養母からのお叱りかもしれないと謙虚に受け止める。でもね、おばちゃん何から何まで修理にせよ買い替えにせよお金がかかる事忘れないでね!そちらの世界にはないものなのでしょうから。
2007年09月29日
コメント(51)
ブックオフにいってちょっとびっくりしました。はるか昔、正確に何年前になるんでしょうか少女漫画の「アリーズ」が復活していました。最近やたらと昔の漫画を復活させる例が多いですが「アリーズ」に限っていうと絵柄が違いすぎて続きとかパート2にはとても見えませんでした。でも立ち読みだけはしてきましたけれど。書き忘れ 微熱37.3~37.4℃が続く今日ショックだったこと 私に万一のことがあった為に交通費と葬儀代を預けてあった実家ですっかり使い込んでいることが判明しました。もう実家はあてにしないでそれこそ「死して屍拾うものなし」の心構えで無縁仏になるのを覚悟しておいた方がよいようです。しかしあきれた母親と弟だと思います。
2007年09月29日
コメント(2)
抗鬱剤を飲むようになってのどが渇いてたまらない思いがします。通りすがりのコンビにで午後の紅茶ダブルベルガモットというのを飲み干してしましましたが、おいしくなかったです。エビアンにすればよかったです。
2007年09月28日
コメント(2)
今日は大学病院の予約日だったので仕方なく部屋着のような茶色っぽいワンピースと唯一入る黒いサンダルで行ってきました。先生も驚いて「ちょっとよく見せて」としげしげ私の足を診たりつついたりしておられましたがもう一週間だけ様子を見ましょうという結論になりました。今日は生まれて初めて脳のMRI検査をしました。あれって暗闇の中で物凄い音が響きますよね。ちょっとびっくりしました。主治医の「どうしてそんなに死にたいの?」と聞かれました。それは養母が亡くなったことがきっかけだと思うけど正確な事が私に分ってどうにかできるならお医者にかかったりは致しません。よくは分らないけど突然死にたくなって薬や剃刀が手放せなくなるんですとしか答えられません。
2007年09月27日
コメント(0)
全身のむくみがひどくなりパジャマでさえも入らなくなってしまいました。これは真面目に嫌でも病院に行って検査するしかないのでしょうか?でも着ていける靴も服もないです。困ったぞ。
2007年09月26日
コメント(0)
20日前後から何故か全身がむくんでおります。普段の靴も服もはいりません。何とかならないものでしょうか?まだサンダルが許される季節だからいいですが。
2007年09月25日
コメント(0)
吐き気も胃痛もどちらも治まらなくて困ってます。きっと性質の悪い風邪でもひいたのでしょう。ひたすらアクエリアスを飲む毎日。固形物は吐き気がして口に入れるのも嫌です。プリンタとPCが両方復旧して一安心しました。しかし、人間勝手なもので今度は自分の痛みしか頭になくPCなくて生きてはいけるわよ~と現実的ではない所に感情が行ってしまいました。
2007年09月24日
コメント(0)
ひたすら吐き気と胃痛を薬で宥めながらベッドの上を転がりまわっておりました。何とか治らないのかなぁ。
2007年09月23日
コメント(0)
吐き気に転がりまわって一日過ごしてさすがにこのままではマズイのではないかと心配になって病院へ行こうと思ったまではいいのですが時刻はすでに深夜でしたので、夜間救急へ。はっきり行って行くだけ無駄でした。薬がでてるならそのうち治るよの一言に生まれて初めて医師が嫌になりました。他の人に対しての対応に腹を立てたことはあっても自分の事で病院に怒りを感じたことはなかったのですが。もう2度とあんな病院行かないぞ。それと何故か全身むくんで普段の靴や服がはけませんし着れないです。何故なんでしょうか?書き忘れ 微熱37.3~37.4℃が続く
2007年09月22日
コメント(0)
余りの胃痛に耐えかねて病院に駆け込みました。いつもの内科が金曜日で午前中だけで午後休診でしたので一番近くの内科へ。3日分の殺菌作用のある胃薬を頂いただけ。この吐き気と胃痛をどうにかしないとなんにもできないと泣いて訴えてみましたが、点滴2日連続だけでした。痛いです。吐き気に困っています。
2007年09月21日
コメント(0)
今日は大学病院の予約日でした。時間10:30ですが予約している意味があるのか疑問に思う程待たされて胃についてはいつもの内科でどうぞだって。マイスリー・デパスも同じく。これは養母の時も疑問に思ったのだけれど大きな総合病院で何故各科の連携がとれないのでしょうか?精神科はA病院へ、心臓はB病院へこれで彼女が転倒して骨折でもすればまた更に違う病院へという事になった訳で何故に精神科と身体科で連携してくれないのでしょうね。だから医療費が嵩むのではないでしょうか?お医者さまそれぞれ違う分野が得意なのは分りますがまったくうちは精神科ですから、内科ですから、と言われると困っちゃいますよね。ストレスと胃腸とかの消化器の関係は深刻なんですから。特に胃痛はある程度我慢できますが吐きそうなのを我慢するのは非常につらいです。で、保証人いりませんから2週から1ヶ月入院しましょうってそんなに私を入院させたいのでしょうか?万床状態でお客様には困ってなさそうなのに、何故にそうも熱心に入院させたがるのでしょう。結局ベッドが空いたら考えると言うことにしていつもの内科へいって吐き気止めなど点滴、投薬処方され帰宅しました。養母がいつも点滴して貰っていたベッドだったのでこっそり泣いてしまいました。ひたすら疲れた一日でした。お彼岸の入りなのにまだまだ暑いですね。ちょっとプログのデザイン変えて気分だけ秋にしてみましたが。今日からちょっと薬が増えました。アビリット錠 50mg 朝夕1ヶコントミン糖衣錠 12.5mg 就寝前ベンザリン錠 5mg 2ヶ 就寝前リスバタール内用液1mg/mL 0.1% 就寝前マイスリー錠 10mg 1ヶ 就寝前デパス錠 0.5mg 一日3回1ヶムコスタ錠 0.5mg 一日3回1ヶプリンペラン錠 食前3回1ヶずつ今日死ぬ事と20年後に死ぬ事に何か違いがあるのかな。
2007年09月20日
コメント(2)
昨夜もぐっすりと夢も見ずに眠れるという事はなく朝刊が配達されて直ぐに読みもう一度ベッドに7時までのつもりでもぐりこみました。30分うとうとしないうちに理由のない吐き気に襲われ胃の中は空っぽででるものもないのにきょうはひたすらトイレとベッドの往復だけになった。何で突然こんな吐き気にダウンしたしまったのでしょうか?性質の悪い風邪でもひいたのでしょうか。ナウゼリンがあって助かりました。今日はもうひたすらぐったり。吐くのって本当に体力消耗します。何分粥になるのか分らない程薄くしたお粥というより重湯かな?を流し込んで空っぽの胃袋を宥めることにしまして、薬を飲んだらお休みなさいします。明日病院でこの話をすると摂食系障害の疑いがまた言われるでしょう。子供の頃からやせっぽちなせいでよくそういわれては検査するんですが、異常が見つかったのは貧血=鉄分が少々不足気味くらいです。胃腸も異常なし。心臓が平均より少し小さめなだけで機能的には全然大丈夫な訳で、結局いつも酷使・疲れ・ストレスで薬漬けの日々なのでした。思えば何の薬も飲まない日って一日もないですね。
2007年09月19日
コメント(0)
散々調べたけれどやはり故障であり修理にだすより買い換えた方が安上がりにつくので某オークションで同じ型を購入することに。インクの買い置きがあるので。まぁ、5年間私の酷使にたえその間に一度も修理にださなくて済んだ働き者の愛機なので、お別れするのは悲しいけれど減価償却とっくにすんでるでしょう、という事であきらめました。ありがとう、そしてさようなら成仏してね。君の事は忘れませんからね最近の眠れない夜に呼んだ本J・ディーヴァー クリスマス・プレゼント 12番目のカード浜辺祐一 こちら救命センター 救命センター当直日誌 救命センターからの手紙 救命センターからの手紙 再び安野モモコ 働きマン 明日をつくる言葉酒井順子 会社人間失格!!島沢優子 アタシ探し シゴト探し 33歳からのハローワーク松永詠美子 採用される女はココが違う 女性の転職・再就職小川洋子 博士の本棚 博士がくれた贈り物大野裕 こころが晴れるノート うつと不安の認知療法自習帳山口律子 「家族力」がうつから救う!向田邦子 向田和子 向田邦子の暮らしの楽しみ常に家の中に居て私を今も呼び続ける養母に伝えたい事があります。私は生きていて貴女とは次元の違う世界に隔てられて寂しいのは分るけれど死の闇の中に大事な母である貴女をおきざりにしていく訳じゃないのですからどうか安心して安らかにお休みになって下さい、と。常に頭の中でなっている救急車のサイレンの音と私を呼び死を命じる養母の声これらから解放されたいと思っているけれどそれとは別にいつもおばちゃんの冥福を祈っている私の気持ちも知って欲しいです。うつ状態から平常心に戻りたい、治そうとする意思もあるけれどそれは大好きなおばちゃんを忘れる事とは違うことです。
2007年09月18日
コメント(0)
現在、就職活動中であります。それ以前に介護中の薬がたたったらしく(結局散々検査しても原因不明)内科のかかりつけのお医者はあっさりとまぁ、精神的なものでしょで済まされたので、大学病院の精神科に通院開始。でも、指先に軽い麻痺が今も残って困っています。自力で字がかけない、もしくは書くことそのものに不自由がある人にとってPCは生き残るための大げさに聞こえるかもしれないけれど空気や水や食品と同じで必需品な訳です。たとえば私にとってはPCと同じほどに大切なものに眼鏡とコンタクトがあります。12歳のとき裸眼で0.01の視力になり自分の顔さえ鏡ではっきり見えない、車の免許は安全の為に取らないほうがいいでしょうと眼科医に告知?され弱視、乱視が強度であり3.0もこれは使い捨てのコンタクトの技術ギリギリラインだそうで後はオーダーでハードのコンタクトを使うしかない。確かに平成11年まではそれを使っていたのです。しかし、事務職はPCとは縁がきれません。当時会社で女性事務員乳がんと交通事故で入院加療を余儀なくされおまけに○ビルと六本○ヒルズの伝票は打っても打っても終わらずに残業ばかりで頚椎捻挫と腱鞘炎、止めにドライアイが進行しついに節を屈してクリアーな視界と引き換えにディスポータブルのレンズに買い換えたのでした。これによって光が物凄く滲む視野に常に耐える事と信号が花火のように見える事に常時耐えなければいけません。そうかといってハードは痛いのです。3時間程は大丈夫です。しかし、その後瞬きするごとにチクチクと刺すような痛みに絶えなければなりませんし、イライラは募るしおまけに肩こり、偏頭痛にもたえなければならないのです。更には使い捨てのコンタクトレンズも眼鏡(家の中でしか使えませんが)もマッサージも足もみも更に更に整形外科も接骨院も長期かかると健康保険からチェックが入るのです。そして医療費控除の対象外でもあります。事務職にとって肩こりと頭痛・腰痛は職業病のようなものです。後は冷え性と更年期障害でしょうかね。少子高齢化が社会問題になっているくらいなのですから不妊治療とならんでこのような持病も保険適用にして頂きたいものです。タバコの煙でアレルギーを起こし喘息まがいの咳をする方もいました。話がそれましたがもはや現代社会でPCと携帯は仕事の必需品でしょう。なかった頃には戻れません。勿論気骨ある方にはPCも携帯も私は入らない、必要ない、なければないで生きていけると仰る方も少数ですがおいでになります。けれどそのような方は私がリサーチした限りではお仕事をリタイアした方ばかりでございました。もしくはフリーランスでPCの代わりにFaxを使用していらっしゃいます。そして私が今深く深くため息をついている原因は就職活動において今や必須の職務経歴書についてなのです。履歴書は手書きでも許されます。会社によっては職務経歴書も手書きでも許される場合もありますし、市販もされてます。大抵の会社では事務志望者のPCスキルを見るためにもA4でPCで作成するものなのですよ、困ったことに。ネットに接続できるし、ワードもエクセルも使用可能なのにプリントアウトできない!!なんというトラブルでしょうか。あちこち電話しましたし、相談しましたし、思いつく限りの事は試みましたがどうにもならない。しかも出張サービスも引き取りも明日、明後日になるというのではお話になりません。当方の勝手な事情ではありますが。PCもプリンタも税法上は消耗品扱いです。しかし個人としてはいくら10万円を切る機種があってもすぐ買い換えるという訳にはいかない金額であると思います。個人で保守サービスに入っても今すぐ(ここが重大)に直らなければ困るのです。健康上、仕事上PCがなくては困る生活をしているのですから。現在就職活動中の皆様方は職務経歴書を作成中のフリーズやトラブルについてどう対処しておられるのでしょうか?仕方ないと思って修理、点検後にやり直すのかけれど、大きなビジネスチャンスや面接の機会を逃す事だってあると思うのです。得意先や面接までこぎつけた会社は寛大な心でお許し下さるのでしょうか...。
2007年09月17日
コメント(4)
最近といってもここ2~3年位だと思いますがリストカットシンドロームとか練炭自殺とかが流行?するようになっていたようです。自己中といわれようとも私は養母と自分の事で一杯一杯だったので人様の自殺に至るまでの苦しみを思いやることはできなかったのです。最近就職活動を始めて困ったことができました。それは手首の傷跡なのです。これはうつ病なのか人格障害なのか知りませんが(お医者によって言う事が違うから)実母が親子心中を図って自分のお腹と私の手首を切った時の痕な訳で正確にいうとリストカット=自傷行為と訳するなら自分で自傷した訳ではないのでリスカの範疇ではないのかもでも、目立つんですよね、これ。丁度手首の所なんで左側は腕時計で隠れるからまぁ、いいとしても問題は右腕の方ですね。長袖・スーツでもちょっとした動きでチラチラと見えてしまうのです。正直に訳を話すか、事故と無理やりこじつけるかいっそ自分で切った過去をでっちあげるか考え中です。面接担当の方が見ないフリをしてくれるのが一番助かりますが、そう都合よく事が運ぶとは思えませんし。上京して養母が役員の会社に縁故採用された訳ですから2週間勤めた会計事務所以外就活はした事がないのです。あの時は所長が気が付かなかったのか善意で見てみぬフリをして下さったのか簿記2級の資格がありながら筆記の悪さに驚かれたのか、あるいは例の占い優先で採用されたのかもしれません。あくまでも私の個人的な感想ですが今現在にリスカしている人達はおそらく10代・20代位の方達と思います。一時しのぎか一瞬のストレス解消にはなっても根本的な解決にはならないと思います。そして時間が経過した後、つまり就職・結婚を考える時期が来るとこの傷跡どう説明しようか?と悩むはめになるのです。誤解を恐れずに(でもビクビクしてますが)言うのなら自傷するなら自己責任と強弁できるかもしれませんし理解ある優しい方々もいるでしょうが、嫌な思いをする場面が後々増えるだけだと思うのです。とはいえうつ、パニック障害等の方は今この時が全てでそれしか考えられない程苦しい訳で、いや実をいうと自分でも目立たない足首で切ってみたことは私自身もあるのです。どんな気分かしりたくて。確かに想像していたような痛みはないしスッキリしましたが切ってもなんにも変わらないのです。血だらけになったお風呂場と床の掃除の手間が増えただけ。救急車も呼ばなかったし消毒もせず自然に出血はとまり縫う程でもなくうっすらと赤い線が残っただけでした。馬鹿馬鹿しくなってもうやらないと思いました。しかし我が子を傷つける母親ってどんな気持ちなんでしょうね。病気に意識を乗っ取られているのだからと言われても子供としては納得できないし30歳過ぎても未だに心の片隅に許せない、憎たらしい、そんなにいらないなら産まなければこんなに苦しい思いをさせられなくて済んだのに、という呪いに似た気持ちが膨れ上がる頃があります。だからこそ実母と私は距離をおいて暮らした方がいいのだと思います。
2007年09月16日
コメント(0)
本日は土曜日で就活はお休み。ウォーキングという事で以前から行きたかった等々力渓谷へ出発しました。入り口に渓谷内の温度が電子掲示板にて表示されていましたがそんなに涼しくなかったです。今年は格別猛暑ということなのかも?ぐるっと一周しましたが特に危険な事も場所もなく色々な人とすれ違いながら散策と森林浴を楽しんで参りました。ただ車椅子はちょっと無理そうな遊歩道でした。養母が健在でも一緒に散歩という訳にはいかなそうです。残念です。これは私の偏見と独断ですが仮にも「渓谷」と呼ぶならばもう少し水質浄化した方がよろしいのではないかと思われます。見るからに水が汚い...。「渓谷」というと私が連想するのは奥入瀬なのですがあそこには修学旅行含めて3回行ってきましたが遭難しそうなほど山深き渓谷でした。23区中のオアシスというならもう少し環境美化するべきだと余計なお世話な事を考えました。世田谷区も財政難なのでしょうか。ただ夜中に行ったらまた違う感想を持つかも知れませんが。結構怖そうです。お地蔵さんのあたりとかが。それから出かけなければいけない所がもう一箇所あるのです。それは洗足池公園という所です。桜の名所です。ここの池に今を去ること何十年前になるのか正確な事は不明で多分戦後まもなくと思われますが、養母がかつて自宅で飼っていた亀(物騒な種族ではないそうです)をここに夜中一人でこっそりと放したといいましょうかそれって捨てた、という事ではと私は思った事でしたがとにかくそういう事実があったそうです。多摩川が氾濫して護岸工事が始まる前の年といういつのことなのかは私には見当がつきませんがその亀の行く末を確かめに行ってみたいと二人で話していたのです。池のほとりを一周したくらいでくだんの亀さんが見つかるとは思っていませんが養母の思い出話なので就職前に行ってみたいと思っております。全体に養母の話には「東名高速が開通する前」とか私が生まれる前の例えが多くて同居したばかりの頃はジェネレーションギャップを感じたものです。今思えば懐かしい限りですが。そういえば阿久悠氏がお亡くりになったとか。ご冥福をお祈りいたします。久世光彦氏もお亡くなりだし、並べるのは僭越ながら養母もいなくなったし昭和は本当に遠くになった気が致します。
2007年09月15日
コメント(0)
薬を飲んでもまるで眠れそうもないので手書きのメモを元にPCの日記を遡って書くことに致します。お医者さんによってはPCと携帯はメンタルヘルスの敵であり不眠症の素というご意見のお方もいらっしゃるようです。私の個人的感想ですが、ネットゲームにはまったりするのはまず体が丈夫といいましょうか健康でなければできないと思います。私はPCの前のファミコン・スーファミ全部お医者に禁じられていました。視力がこれ以上下がらないようにする為です。これが小学校の時なので私はコンピュータ関係のゲームはしたことがありません。TVも一時間以上は見ませんし、映画もしくはDVD鑑賞読書は必ず休憩を取りながら致します。たかが近視・乱視ドライアイとあなどれません。休憩を忘れると痛い思いをするのは自分なのです。自分の痛みは他人様には理解して貰えません。自分で気をつけ管理するしかないのです。無理してもたかが視力が悪いくらいでとかドライアイなんてとかそこまでしろなんていってないだろう、とか言われるのがオチなのです。しかも瞬きする度に痛いのです。仕事をしていたときはお客様は神様です、と心の中でとなえながらPC入力していたものです。コンタクトをしている方なら経験者もいらっしゃるかもしれませんが目が乾いている状態で目薬をさせばいいものをついつい疲れているとか面倒とかの理由であせってはずそうとして角膜に傷をつけてあわや救急車を呼ぼうかと思うような激痛に襲われたこともあります。他には救急車を呼びたくなる理由は胃痙攣があります。こちらはストレスが(おそらく)原因です。どちらの痛みも鎮痛剤で治まるものではなくまさしく七転八倒の苦しみです。私は胃痙攣は経験上から胃薬を飲んで5時間程で治まるとしっているのでひたすら時計と睨めっこして何とかやり過ごします。問題は目の方でこれは我慢していると涙がとまらなくなり目をあけられなくなります。仕方がないのでタクシーで夜間救急外来へ3度程お世話になりました。この時眼科のお医者さんが様子を診ようにも痛くて目が開けられないので点眼で麻酔をしてくれます。しかしこれは処方してくれないお薬なのです。その後は角膜に傷がついています、という事で大抵2種類目薬がでます。これでおしまいです。2~3日で大体治りますが放置すると角膜潰瘍とかの失明の危険がある病気に発展する場合もあるので甘く診る訳にはいかないのです。一番いいのは点眼の麻酔を処方してくれる事なのですがやはり素人には駄目なのでしょう。あれがあると救急に行かなくて済むのですが。悪用しませんから、念書もいれます、とお願いした事もありますが無理でした。PCと携帯は不眠症の原因になるのか?という問題ですけど不眠症になる前に肩こり・頭痛・ドライアイなど身体的に問題が発生して痛いからやめるとはならないものなのでしょうか?私個人は肩こりと腱鞘炎と頚椎捻挫の為携帯メールを片手で素早く打っている方を電車などで見かけると尊敬してしまします。どう頑張っても私には無理です。これをやると腱鞘炎の再発につながるので気をつけるように注意されました。いえいえ、注意されなくても出来ませんし、痛い思いをわざわざしてまで練習したりもしませんってば。でも携帯メールがお好きな方は腱鞘炎にはどうぞお気を付けてくださいね、と他人事ながら尊敬の気持ちとその方の手首の状態が気になって仕方ないのでした。
2007年09月14日
コメント(0)
昔といってもそんなに昔でもない筈ですが「天上の青」という小説を読んでそれ以来どうしてもヘブンリーブルーを自宅に植えたくなりました。毎年欠かさなかったのに今年は養母の容態が急に悪化しつつあった事もありとうとう種まきしませんでした。変わりにルリマツリがすごい勢いです。例年なら朝顔が咲いているところまで侵略してしまいまして通りすがりの方に「お花を頂けませんか?」と言われる程になりました。種は取り敢えず大事に冷蔵庫にしまって来年巻くことに致します。「天上の青」の名前の通り天国の養母に届きますように。
2007年09月13日
コメント(0)
生まれて初めてエステというものに行ってきました。といってもたいした事をしたわけではなくて駅ビルの中の一室で顔と首のお手入れだけです。シェーピングとアイブロウとデコルテのお手入れセットというコースです。何でも結婚式前の花嫁さん達に人気のお店だとか。秋のブライダルシーズンを目前に予約が一杯でした。しかし9月半ばでこの気温ではウエディングドレスを着るのも大変だろうな、とまた余計な事ばかり考えていました。私の場合は結婚式までに少しでも綺麗になどという野心?ではなくつまりは履歴書に添付する写真を撮る為に先にお手入れした訳です。洗面所の鏡の前に立っても自分顔すら見えない視力では例えコンタクトをいれても目元にアイラインを引くなどという事は恐ろしくてできません。怖い、という理由でビューラーも使えません。とにかく目元に金属製のものが近づいてくるのが無性に恐ろしいのです。更に眼圧をはかるのが苦手です。私は上京してこのかた同じ眼科にもう10年以上通院していますが、眼圧を苦手にしていることは看護師さん達もよくご存知でイザという時には三人がかりで素早く頭をがっちりと固定されまぶたをこじあけられても3度くらいやってようやく測定すると言う有様なのです。恐怖とお金をはかりにかけて潔くプロにお任せしました。担当の方には本当にご迷惑をお掛けしました。きっと大抵の方にはなんでそんな事が怖いのだと首をかしげられるでしょう。コンタクトだってはずすときには爪の先に引っ掛けるという方もいるくらいです。私は爪の白い部分は絶対に残さずやすりで削っています。ネイルアートなんて夢のまた夢です。伸ばした爪の先で目に傷をつけるのではないかと想像するだけで恐ろしくて爪を伸ばしておけないのです。よく「痛くないの?」と聞かれますが痛くはないです。特にダイエットしたこともないのに現在161センチ・体重38キロなのです。これは中学時代と同じです。最高で体重は42キロです。多分これがベスト体重なのだと思います。生理はもう一年くらいありませんが出産を希望している訳ではないし検査の結果卵巣・子宮に異常なしなので放置しております。これもお医者に言わせると介護と養母の急死によるストレスということになります。つまり私は女性の給湯室もしくはお昼休み時間の主な話題であるTVドラマ・お化粧・ダイエットそして恋愛相談もしくは結婚・出産あるいは子育てなどなどこれらのいずれにも私は関心がありません。健康上・家庭環境からどうしても関心がもてないのです。聞いている分には何でもないのですが、自分の事にはならないので「そういうあなたはどうなの?」と聞かれるのが一番困ります。なるべく話を合わせる努力はしておりますが世間一般的ではないというのは中々に気苦労が多い日々です。
2007年09月12日
コメント(0)
ここ2年ほど病院以外の場所には行かずに買い物は全てと言っていい程にネットで済ませて外出するのは新聞・郵便物を取る時、ゴミだし庭とベランダの水遣りのみという昼夜逆転生活をしておりました。最近駅を利用するようになって駅近の本屋さんコンビになどにも求人情報誌がおいてあるのでそれを目当てに巡回するようになったのです。ついでに本が大好きな私は中の売り場も全てのコーナーを巡回しつくさないと落ち着きません。そしてかつての愛読書が文庫化されていたり完結していたりするのに気がついて、大げさな表現ですが時の流れの速さに愕然と致します。購入を続ける本は最初から新刊が発売されるとお知らせメールがくるように予約しておいているのです。完結して欲しい本 田中芳樹系列・ガラスの仮面・王家の紋章 妖精国の騎士などこちらは当分完結しそうもないですね。完結して欲しかったのに連載再開されていた本 やじきた学園道中記 エロイカより愛をこめて最終話を知らなかった本 輝夜姫・罪に濡れたふたりそして...アルカサル-王城これは購入して速攻で読了といっても漫画なのでそんなに時間はかかっていませんが。未完の歴史物漫画の大作で終わるものと思っていたので最終巻が出版されていたことに驚きました。いつかアルハンブラとこのドン・ペドロのアルカサルの宮殿に行ってみたいものです。他に海外の旅行希望地にグランドキャニオンと万里の長城とピラミッドそしてヴェネツィアのサン・マルコ広場があります。年々ひどくなる一方の環境汚染に負けずにいつの日にか私が訪れるその日まで健在でいて下さますように。特に心配なのは明日にも水没しそうなサン・マルコ広場でしょうか。それならさっさと貯金を崩して気分転換がてらに出掛ければいいでしょという声が聞こえてきそうですが、行きたくても行けない理由があるのです。それはほとんど亜熱帯と化している日本では考えられない程にもユーラシア大陸は広大で乾いているという事なのです。日本のなかでも高温多湿の東京でさえクリアーな視覚を保てるのはせいぜい3時間目薬と専用のゴーグルを併用しても5時間が限度でしょう。つまりせっかくはるばると遠い異国へ世界遺産を歴史のロマンをこの肌に感じてみたいと願っても「見えない」という障害が立ちふさがっているのです。それなら部屋でクリアーかつ安全(この点は養母がいなくなったのでうるさく言われない訳ですが)な自宅で旅行雑誌・旅行記・DVDを鑑賞している方が見えるのでそれで我慢しているのでした。 痛いのを我慢しても万里の長城に自分の足で立って中国四千年の歴史の風に直にふれたらきっとDVDやTVでみるのとは全く違う感動があると思うのです。「輪違屋糸里」が文庫化されて更にドラマ化もされていたようです。全然知りませんでしたが、DVD化されたらレンタルして見たいと思います。副長役はどなただったのでしょうか?文庫版の装丁の方がずっと私好みでした。単行本もあの感じの方がいいと思うのですが。
2007年09月11日
コメント(0)
このタイトルはうろ覚えですが養母が好きだった時代劇の台詞だったと思うのですが肝心の時代劇のタイトルを覚えていません。何方かご存知の方がいらっしゃったら教えて下さいませ。その前に検索すれば分るかも?養母の喪主は私がつとめた訳ですが友人はいても身内と呼べる人がほぼいない養母はこの台詞のような気持ちで日々暮らしていたようでした。私によくそう言っていたものです。女の人が日常口にする言葉としては少々物騒な気もいたしますが天涯孤独な人達、もしくは家族と事情があって離れている死別したとか事情はそれぞれでもこれは一人で生きていく為の心得かもしれませんね。ただ私は心の中でだけ思っていようと思います。
2007年09月10日
コメント(0)
エアコンはあっても養母が嫌っていたので昨年まではつけなかった我が家でも昨日、今日の猛暑で省エネと節電・節水と書類への集中力を天秤にかけて除湿をかけた。昨夜は恒例の花火大会の音が聞こえてもう2度と養母と一緒には行けないと思うと泣けてたまらなかったが悲しい気持ちは波があって我慢できるようにはなってきている。気持ちというか頭の切り替えスイッチをいれられるようになった。私の実母も養母も物心ついた頃から持病があって実母は自殺未遂を繰り返していたし養母は心臓が悪く、虚弱体質で段々に分ってきたけれどある程度の年齢になるまでは両親というのは元気で子供の面倒をみてくれる存在なのだな、という事。長女に生まれたせいもあっていつも親のフォローばかりしていたけれど普通一般の家庭では母は死ぬの生きるのと騒いで子供を困らせたりはあまりしないようです。普通がエライとは思わないけれど時々世間とのギャップに戸惑うことがある。
2007年08月16日
コメント(0)
昨日と今朝実母から電話あり。長万部の友人宅から帰宅した旨のご連絡。弟は私が実母に愚痴をいい実母がいわゆるパラサイトの弟の事で愚痴を言うのが気にいらないので実母に内緒でうちの電話を受信拒否にしてたり。正社員でなくてもいい、バイトでもなんでもお金を稼ぐという気持ちが彼には希薄なようで時給600円のバイトなんて27歳になってやってられないと言い張っているそう。(函館では600円から650円くらいが時給の相場)実母が居るからいいけれど、彼女に何かあったら家などは4人のきょうだい全員が法定相続人になる訳で遺産分割協議書などが必要になってしまう。50代になって持病が沢山ある実母に何かあったときに泣くのは次男の弟なのに、そんな先の事まで考えてられないと言うけれど、私で知れたこと、親に死なれるのはダメージが大きいし実母に何かあったとききょうだいの意見が一致するとは私には思えない。更に介護の問題だってでてくるかもしれない。人間家族に都合よく一瞬とか一晩で死んでくれるとは限らないのだから彼は実母を大事にして元気で仕事しながら長生きさせて欲しいものだが。肝心の弟は何ら危機感は感じないらしい。困った人達だなぁ。
2007年08月15日
コメント(0)
全国的には夏休みの最中のようです。お盆の帰省ラッシュは毎年のことながらお疲れ様です、と見知らぬ方にさえ申し上げたくなる民族大移動。私自身は実父のがんの告知と葬儀以外一度も実家には戻っていないので、毎年帰省する方々には尊敬の気持ちをもっております。今日はホームヘルパー2級のテキスト3冊読破。ちょっとテキストなので仕方ないとは思うけどなんと申しましょうか、綺麗事すぎる感じでした。理論と主に身体介護のやり方を実践させてからということになるんだろうけれど、介護職だからとかいうことではなくプロとして利用者さまとの程よい信頼関係を将来築いていければいいと思う。9月半ばからは医療事務の勉強も始めることにした。カフェとか料理屋さんの調理する方のバイトもしたい。学生時代に蕎麦屋のバイトのおかげで私は出汁のとり方と天ぷらと特に茶碗蒸しのおいしい作り方を身につけた。来年の再就職・社会復帰目指して頑張るぞ。と思いつつ毎晩おばちゃんを探して泣ける日々。
2007年08月14日
コメント(0)
私の実母は昭和24年生まれ私の養母は昭和8年生まれ私の養父は昭和6年生まれ養母は6ヶ月で男の子を流産して入退院を繰り返し養父母は実子を持つことをついにあきらめた。以前から親戚から聞いて知ってはいたけれど先日養母が亡くなりはっきりしたことが分かってきた。つまり実母は養母が入退院を繰り返している間養父は私にとっては母方の祖父母にあたる家に居た訳なのだが、その間かなりなセクハラというか当時10歳から12歳くらいの実母にイタズラしていたということ。事実なのか真実なのかはこの際もういいけど事実だという親戚と実母に聞きたい。何故、そんなことがあったにも関わらず相変わらずに親戚付き合いを続け実母は平然と私他の子供たちを養父の腕に預けられるのか。そして伏せたまま養子縁組し、お金を貰い養母が死んでからあぁでもない、こうでもないというのか。昭和30年代今とは時代が違うのは理解するが自分に痴漢した男の人のうちに娘を養女にやるというのはどういう感覚なのか。実母いわく「そんなこととても実の娘に話せないわ」宥めて電話を切ったが、4人も子供を産んでおいて50歳もすぎておぼこいフリするのは気持ち悪いから止めて欲しいものです。話せないというのなら墓場まで言うべきことではないだろう。妹は亭主の稼ぎが少ないので離婚したいとごねてるようだ彼女は私と9歳違うがもう2回離婚し3回目の結婚生活中さらに3人の子供がいる身だ。長女は今年小学1年生になったばかりだそうだが、もう好きな男の子がいるんだそうな。結婚も出産も経験していない私が思うのは余計なお世話かもしれないが恥ずかしくてもなんでも最低限の性教育だけは親子間で小学生からするべきだと思う。自分達はやりたいことをしておいて結果を放置するのは無責任だし今の子供たちは昭和の世代とはまた違う危険に日常さらされているのだから。
2007年08月10日
コメント(0)
昨日歯医者さんでガリガリされた。明日もう一度いけばほぼ治療完了になりそう。今日は朝早く目が覚めたもののデパスも飲んでないのに何故か睡魔との闘いだった。色々書類書いていると体が拒絶反応を起こすのか手が震えて冷や汗が止まらなくなる。自分の体が言う事聞いてくれないのはホントに困るし悲しい。ゆっくりでも時間は過ぎていくらしく今度は養父の命日が目前ではないか。私のペースを少しずつでも取り戻そう。
2007年08月08日
コメント(0)
8/3ホームヘルパー2級講座の説明会に行ってきた。もっと色々してあげたかったとかプロなら助けられたのではないかと後悔つきぬ気持ちになるのも私一人ではないらしく母を看取ったので今度は父の介護に備えてという方もいらした。意識が混濁したときの「死にたくない」という言葉は誰でもそうなので余り思いつめないようにとお医者に言われた。そういえば私の実父の最後の言葉は「苦しい」だった。すこしずつでもバランスを取り戻したいと思う。
2007年08月05日
コメント(0)
昨日張り切りすぎた反動なのか朝刊が配達されてもまったく目が覚めたまま。仕方ないので眠剤を飲んでさっきまで眠っていた。ベッドからでるのに決死の覚悟とすごい動悸にたえなければトイレにも行けないというのはいつまで続くんだろう。時間だけが薬だと言われたが、本当に元にもどるのか不安がつのる。明日こそ早起きして公園を散歩したい。うつには休むこと、考えるのをやめること、投薬が治療だそうだけどベッドに横になっているとろくなことを考えられないから体を動かしたいのに起き上がれない。
2007年07月22日
コメント(0)
今日は思い切って病院に行って動悸と息切れ、ほてりかのぼせで汗だくになってしまう症状について話して検査の予約。甲状腺と脳のCTもとります。更に美容院に行って髪をカットとカラー。随分と久しぶりにショートになりました。自分で滅茶苦茶にきったのでショートにしかできなかったのですが、店長さんが気を使って軽く明るい感じにしてくれました。ここの社長さんのお嬢さんもうつ病とのこと。リストカットもつい先日あったそうです。幸いなことにためらい傷で済んだとのこと。私は自分でピアスホールを空けるのさえ冷や汗をかいて手が震えて結果できなくて病院に行ってあけて貰ったので自分で自分を傷つける行為にはある意味で追い詰めらた自己主張と病気を感じて怖いです。実母もやたらと自殺未遂を繰り返す人なのですが本人に言わせるとそういう時には周りの人のことなんて考えられないのだそうです。私はひとりぼっちで老いて死ぬことが怖くて睡眠薬を服用してお風呂に入ろうかな、とまでは考えましたが、発見者のショック=自分の体験を思うと、とうてい運命のその日がくるまで自分から寿命を縮める行為は実行できません。死ぬのが怖いから今死ぬという実母の行動は共感半分、否定半分で怒るというより心配でどうしようとおろおろしました。だからといって函館に帰る気持ちもないのですが。後でしまったと思ったことには前の就職活動の時の写真が余っているのに髪型が変わったので使えないかも、ということ。でも今すぐにということではないからこれでいいや。来月も美容院でカットするという約束がひとつできたのだから。更に取り寄せたホームヘルパーと医療事務の学校の場所を確認してきました。全部自転車と徒歩で。とにかく外気に触れないと引きこもりになってしまう。それと全身運動しないとお腹がすいたりする感覚が変になって戻ってこない気がするので。規則正しい生活が一人暮らしの健康を守るのでしょう。広い家に生まれて初めての一人暮らしの日々なんだな。おばちゃんが元気なら帰宅がこんな時間になったら怒られるだろうし、お互いに心配もして携帯に電話をいれただろうけど、今後はそういうことはないのだから。一人暮らしの30代独身、ウツ傾向の親の介護が不安、老後が不安な人のサークルとかあればいいのにな。自分でつくる?明日は反対方面の公園や文化会館に散歩に行くぞ!
2007年07月21日
コメント(0)
今日はお風呂場を徹底的にやっつけるという気合で頑張りました。大分つかれましたが、問題は夜一人でいるときです。今、大地震がおきても誰も助けに来てくれないんだなぁと考えて不安がつのってきたので実母と長々2時間この先一人で暮らしていくための行動を起こせずほとんど引きこもりの状態であることを話した。実母は32条適用されているうつ病の人だがこういう時に話せる相手はやはり母だけなのだった。人が一人自分の腕の中で死を迎えるということはおばちゃんの冥福を祈ると同時に私自身ものすごいショックだった。実母は35歳で実父をなくし48歳で夫をなくしているのでその点私よりは経験が豊富なのでゆっくり休みなさい、と言ってくれたのでありがたかった。
2007年07月19日
コメント(0)
今日は歯医者さんに行く日。そんなに痛い訳ではないのに「キーン」というあの特有の音が聞こえてくるだけで動悸、冷や汗をかくけれど、この際悪い所は検査し可能なら治療して、再就職活動に望みたいと思う。体重も早く戻したいものだ。結局体重=体力なんだな。でも贅沢なことは言ってはならないと思う。自分自身のことで心も体も一杯一杯な私だがボランティアに行く人は自分のことはきちんと管理できること食べる寝るは自力で確保しなければ行くわけには行かないだろうと思う。生きていてごめんなさいと思っては泣いて絶対に立ち直ってみせると思う私が居てきちんと地に足がついてない、我ながら情けない。34になっても無職で結婚願望もなく友人一人居る訳でもなく。なんの確かなものひとつ持ってない。怖がってばかりで自己嫌悪。この悪循環から早く抜け出したい。取り敢えず今日はお風呂と歯医者。明日は美容院に行く。
2007年07月18日
コメント(0)
また大地震が起きてしまいました。おばちゃんはいつか東京に大地震が来ることをいつもすごく怖がっていた。だから我が家には水も食料も一週間分常に常備してあったし急な入院に備える意味もあって荷物をまとめてベッドの脇においてある。確かな明日や地面なんて日本全国どこにもないようだ。被災地の皆さんの無事を祈ります。
2007年07月17日
コメント(0)
夕方雨は止んだけれど、湿気で火がつかなくて参った。小さいながらもちゃんとしました。
2007年07月16日
コメント(0)
今日はひたすら食べて寝ての繰り返し。やっとおかゆを一日3回食べるようになった。とにかく体重を42キロまで戻さなければ。おばちゃんの誤嚥に気が付かずに死なせてしまった私は今食べ物を食べることに物凄い罪悪感がある。しかし情けないことにお腹はすくのです。でも、これが生きていくということよね。そろそろ5/28に切った髪も美容院に行ってカットとカラーをして気分転換しようと思う。いつまでもめそめそしているのは天国のおばちゃんに失礼だ。でも、だって、は女々しい言葉として我が家の禁止言葉。ぐずぐず言い訳しない。悪いことをしたと思ったら申し訳ございません。言い訳不要、問答無用なおばちゃんんだった。18歳で同居してからひたすら公私共々おばちゃんの老後の面倒というのが私の最大の責任だった。今度は自分で自分の為の人生をセルフプロデュースしなければならないことになった。ある意味楽しみで怖い。今の心境は空っぽ。そこをどんな風に埋めていくか今度は私一人の責任で考えて生きていく。
2007年07月15日
コメント(0)
養母の友人の方がお見えになった。甥が作ったというメロンを持ってきて下さった。それはありがたくお供えさせて頂いたが、何度も「報われない人生だったね」と仰ったのがこちらとしては非常に気になった。努力して報われるのは人生最大のラッキーだと私は思う。努力ではどうにもできない病気の果ての死が報われない人生ならば世の中は報われない人の方が圧倒的に多数だと思う。では報われる人生というのはどういうもの?と聞き返したいところだが、早くお引取り願いたいので我慢して30分でお帰り願った。
2007年07月14日
コメント(0)
もう少し暗いなったら迎え火をたくうちにある提灯は上からつるす奴なのでおばちゃんがまだ一人暮らしの頃に物置にしまいこまれて迎え火、送り火だけするのが我が家の習慣だった。過去形だけど。果物とお花とお馬さんをお供えして明日はおばちゃんの好きな桃の烏龍茶をいれてあげるからね。49日で天国へ行ったおばちゃんは2日後また地上に戻ってしばらく滞在する。今夜あたりきっと足がくたびれたじゃないのもんで頂戴とか、夢枕に立たれそうな気がする。しかし30代でローン済みの一戸建ての持ち主になってもちっとも嬉しくない。固定資産税はそんなにかからない、なにせ築23年だもの。借地権の更新のときはかなりかかるがもうしばらく先になる。それまでには立ち直ってかたぎな職業についていなくてはならない。それより問題はおばちゃんがこの腕の中で死にたくないといいながら死んでしまったショックから、過酷だった介護の経験からのノイローゼから立ち直ることなのだ。名義変更手続きをきちんと正確に終えて気持ちの整理をつけてから行く。その前に健康診断もしなくてはならないし。別に遺品を整理し大掃除をするのは仕事ではないがこれをしなければ、前に気持ちが行かないのだから仕方がないと思うし、生命保険料というのは残った遺族の生活保障の為にある保険なのに。その間に身辺の手続きを終え健康状態を整えてから再出発しようと思っているだけなのに。何故養母の友人達は泣くな、泣かないなんて可愛げのないおばちゃんが沢山残してくれたでしょうからっていい気になるなとか、早く結婚しなさい、子供を産みなさいなどと私に嫌味を言いに来るのだろう。じゃぁ、と言ってすぐに見合い結婚でもすればいいのか私はあなた方のおもちゃではないのだ。時間とお金が有り余っているのね。何も一生遊んで過ごすなんて誰もいってないし働かなければ、食べることもできないではないか。そんなこと言われなくてもちゃんとわかっているのに。これまでの人生で最大の責任おばちゃんを看取るという大仕事を終えて、どうしても残る残務整理をしてちょっと休憩してから新しく始めようとしているのに家族が死んでショックが少しもなく明日から働ける人の方が世の中には多いのかな。
2007年07月13日
コメント(0)
養母の友達からお花が届く先ほど御礼の電話をいれたら留守電メッセージいれておくもう一人新盆だけどお線香をあげさせてほしいという用件明後日いらっしゃる元気なの?お勤めはじめたの?あのね、49日があけたばかりで続いて新盆で介護ノイローゼで寝込む暇もなく私の個人的な友達なんてひとりもいないこの世の中で食欲もなく慢性的に寝不足で息も絶え絶えになんとかその日その日を乗り切っていくのに精一杯で病院に行けば?ってなんでも病院にいけばなおるわけじゃないし煩雑な葬儀の後の相続手続きに追われてそれをやらなきゃ電話、ガス、水道の順でとまるだろうしかも名義は昭和54年に亡くなった養父のままになっているのだからなお訳がわからない。取り急ぎコンビン払いに変更させて貰ったけど名義変更つまり一戸建てを相続するのは並大抵ではないのだ。しかも、しかも家族が死んだというショックで寝込む暇もなく養母には血縁、姻族が私以外誰もいないというところまでつきとめただけでも褒めてほしいくらいだ。代わってくれる人はもう誰もいないのだ。世間一般並みってなんでこう難しいのだろうか?親も親戚もいない人はいない訳じゃないと思うがみんなどうやって生きていくのだろうか?ホームレスやうつ病はきっとこうやって増えていくんだな
2007年07月12日
コメント(0)
今日は養母が他界してから49日になる。花を買いに行く途中自転車の学生さんとぶつかりそうになった。それで家に戻ってよく考えたのだがもしこれが交通事故とかだったらどうなるんだろう?私の携帯に片っ端から連絡されるだろうが誰もすぐには動けないだろう。病気・けがあるいは最悪即死だったら?まぁ、無縁仏で私はいいとしても迷惑なのは発見者であろう。冠婚葬祭というけれど結婚式と披露宴は省略可能でも私の遺体は何とかしなければいけないのだからまったく死ぬのはただではないのだ。やはり実母か弟か妹に家の鍵と葬式代だけは渡しておくのが一人暮らしの心得だろうか。養母は世間体を人の3倍は重んじるひとであった実母は自己中で子供達とも折り合いがつかない人。私としては養母の完璧主義も実母の自己中と拝金主義もどちらも受け入れがたいので、ほどほどにしておきたい。我が家の周囲は交通事故が結構多いのだ。ちょっと考え込んだが、まぁ、いざその時には誰かが何とかするだろう、と軽く流しておくべきなのかも。真面目に考えれば落ち込むだけだし。
2007年07月11日
コメント(0)
明日で養母が他界して49日になる。辞退しれきれなかった香典返しも発送される筈。そして私自身の心の区切りとしての忌明けでもある。養母だから世間一般的には服喪は一年ということになるが。ちょっとでも気持ちを前に進めなければいけない。と思いつつ、雨音を聞くと養母の声が頭の中で聞こえる。せつないなぁ。この頭の中で聞こえる私を呼ぶ頼りない子供のような声はいつになったら聞こえなくなるだろう。最後の一週間くらいの生まれたの赤ちゃんのような済んだ養母の目が消えない。小雪はお昼寝しないの?ね、いっしょに寝て一人じゃ寂しいからいけない、いけない、センチになりすぎだ。でも突発的に込み上げてくる気持ちはやはり49日だけでは整理しきれないよ。
2007年07月10日
コメント(0)
いつか必ずこの日がくることの覚悟を決めていたつもりでもいかに安定剤を飲んでも不意に涙が込み上げてきてとまらなくなる。我ながらだらしない、とは思うが正直自分でも悲しいものは悲しい泣いてなにが悪い、と思う気持ちと一人になったのだからしっかりしなければという気持ちの両極端を行ったり来たりしている。30代で介護地獄を経験して死別するというのはどんなものだろう?世の中様々な家庭があるだろうから私とまったくではなくても似たような経験をした人はいないわけではないだろうと思う。とにかく死別という事実によって私は親離れを余儀なくされた。これが幸か不幸かは今のところ分らないけれど。
2007年07月09日
コメント(2)
養母は私に葬儀の遣り方を事細かく指示しておいてくれたのでその通りにした。後で仏壇の中から祖父の軍隊手帳等が見つかりこれについては指示されていないので妹を通じて実母に送るかどうか質問した。すると着信拒否をとくから直に話すというので話したが嫌になった。当てつけにまたまた自殺未遂をおこして現在HCUにいるそう。酒と睡眠薬と甲状腺の薬を大量に飲んで弟が発見して救急車を呼んだそうである。私の中学時代とまったく同じだなと思う。この入院費は私が養母の生命保険金から払うはめになる。早く健康診断を受けてハローワークに行こうと思う。それにしても34歳で喪主というのはやはり世間様という得たいの知れない人達から様々なことを言われる。泊まりこんで一緒に居てくれたK夫人が養母の友人と連絡し合って私の実母の方にまともな子じゃない世間の常識も知らないでとか色々実母に言ったそうだ。実母の方がまともではない現場にいたくせに。養母は世間一般の葬式仏教が嫌だから細かく私に指示してごく親しい友人3人だけに知らせるようにいったけれど同時に私はそのときもう居ないけれどその時その人達の本性がわかるわよ、悲しいけれど葬儀と相続の時は人を見たら泥棒と思えでなんとか乗り切るしかないの今にその時が来たら解るから。女一人というのはつけこむチャンスと思われるのよ。どうやら養母の言っていたことは本当らしい。それと養母が認知症になるわけがないあのしっかりもののが、という訳のわからないお説教。認知症は性格でなるものではないのに知らないらしい。それは確かに私でさえ目の前で社長に殺される、助けてそうかと言えば会社に放火してやるとか私に向かって色々なものを投げつけたりする。そういう養母を認めたくなくても現実は待ってはくれない。だからこそ素面に変えるとまた私が暴れたのねと深く自己嫌悪しみっともない自分を人前にさらしたくないといってベッドからでなくなってしまい、ひたすら私のことだけ呼んで死んでしまった。養母の親兄弟がいない以上通知の範囲は故人が決めたこと知らされなかったからと言って唯一の遺族がなんで怒られなければならないのか?これはもう手続き一式を頼んだ司法書士から分ったが養母にはやはり相続人になれる人は私以外まったくいなかった。これなら相続争いにならないかというとそうではない。私の実母は養母のいとこになるので除外なのだった。多分それと自分の老後が不安になったのが今回のODの原因だろう。養母の冥福を祈りながら私は自分自身の生命力を信じて何とか生きていく。規則正しい生活自分で自分の大きさの墓穴を掘らないこと自分の思い込みで自分の首をしめないこと世間・親戚などの陰口・悪口は気にしないこと世間なんてそんなもの、まぁ、いいや、で忘れることしかし言うべきことは言うことこれが解っていれば多分大丈夫だろうでもこれが結構難しいのでした。
2007年07月08日
コメント(0)
少しづつ色々な手続きをしながら気持ちを落ち着ける努力をする毎日の繰り返し。毎日殺されるという極限の恐怖を味わいながら体力の限界まで暴れられて、本当に養母を殺して私も責任を取って死のうかと思う程介護生活だったし、疲れ果てはしているけれどとにかく物心ついたころから負わされた責任は何とか果たしたのだった。おばちゃんの老後は私が看ること。希望通りに病院でも施設にも入れずにこの家で死にたいということ。残った宿題はこれからは一人で生き抜くという事。取り敢えず相続手続きの合間をみて人間ドックの予約からだ。体中ガタガタだからなぁ。
2007年06月22日
コメント(0)
今日は何もなく過ぎたので明日に備えてK夫人は夕方まで一緒に居て下さったが、一応お帰りになり最後の夜何度も冷たくなった養母を抱きしめて夜を過ごした。明日になればこのベッドは空になると思うと切なくてやりきれなくて何故あんなに傍にいたくせに誤嚥に気づかなかったのかと思うとやるせなくてただ涙だけがこぼれた。これが肉親よりずっと大切な絆があった養母の顔を見る事ができる最後の夜だった。
2007年06月05日
コメント(0)
たくさんの手続きがあるのは解っているのにただ養母の前に座ってお線香が灰になっていくのを見ているだけの毎日。おばちゃん、世界中で私とおばちゃんだけで二人ぼっちです。
2007年06月03日
コメント(0)
いつのまにか朝。とりあえずみっともなくないようにお風呂に入り、養母ももう一度シャンプーして綺麗にお化粧する。お棺に一緒にいれる物は燃えないものはダメなので万年筆や眼鏡、ピアス、養母のお気に入りの指輪は却下されたので、毎日読んであげていた本の表紙カバーと手紙と私と亡きご主人の写真数枚、それから私が切った髪を封筒に入れて、上からは一番好きだった竹林の遠景の着物をかけてお棺に入れて貰った。養母は骨だけになっても綺麗で小さくて可愛かった。帰りの車でずっと膝に乗せていた養母は暖かかった。きっとこの暖かさは忘れないだろうと思う。
2007年05月28日
コメント(0)
今日、明日養母のお別れにおいでになる方の為に家にいたのだが、とんでもない電報が届いてしまいあやうく心臓発作を起こしそうなくらいショックでその場に倒れた。実母からの電報で内容は「お母さんが今夜行くから鍵を開けておいて」今時の東京で鍵を開け放しておく家があるだろうか。それにもまして一週間前に双方納得づくでお互いに携帯も固定の方も着信拒否にしてあるのに。どこからともなく養母の死去がもれて誰かが実母に伝え函館から乗り込んできたのだ。私は玄関前のフェンスの前にバリケードをつくり養母の遺体が安置されている部屋はもう夕方だったので雨戸を閉め厳重に警戒して敷地内に一歩も入れないようにしたのだが、庭から進入して玄関を絶え間なく叩き続けられた。さらに養母の遺体が安置されている部屋の雨戸まで外からこじ開けようとしたので泊まりこんで下さったK夫人と相談の上警察を呼んでお引取り願った。亡くなる一週間前にけんかしてもうお互い連絡しないと決めたのにどうしてこうも非常識な振る舞いにでるのか一緒にいてくれたK夫人は「まるでやくざの取り立て屋みたいね、絶対家に入れてはダメよ!」と仰り私も当然だと思った。仏が安置されているいないにかかわらずにここは亡き養母の家でいやたとえ自分の家でも夜9時以降絶え間なく玄関を叩き続けるなど非常識だとしか思われなかった。何よりもこの間のことは反省しているごめんなさいさせてと泣かれても養母は2度とこの家の敷居をまたがせるなと私に厳命したのだし、許すも許さないも言えない無防備な養母を守らなくてはならない。お金目当てははっきりしているし、普通なら一週間前のことを覚えているなら謝って済む問題ではないことくらいは理解できるだろう。養母はもう遠い世界に旅立ってしまった。今更見え透いた泣き落としに私も養母も絶対だまされないぞと、思って110番したらその電話越しにさえドアを叩くすごい音が聞こえてパトカーまで来てくれて連れ去ってくれた。養母の死後の眠りまで妨げた実母を私は絶対に許すことは出来ないと思う。
2007年05月26日
コメント(0)
義母の頭を抱えて泣いているうちに夜が明けた。どんなときにでも朝はやってくるし時間はもう2度と戻らない。でも、私だけはおばちゃんを裏切った事は無い。養母とケンカは沢山したけれどその度にちゃんと仲直りして一緒に暮らしていた。毎晩尋ねられたこと「小雪はおばちゃんのこと好き?介護でこんなに迷惑かけても夜中に騒いでも嫌いにならないの?」「ならないわよ、寝不足で不機嫌そうな顔をしていてもそれはおばちゃんを嫌いになるのとは違うよ。譫妄の発作は病気のせいでおばちゃんがわざとしている訳じゃないからそれくらいちゃんと知っているから大丈夫よ、嫌いになったりしないよ。大好きだからね。」明るくしてあげる為に雨戸を開けてもう一度髪をシャンプーして顔を洗ってあげて綺麗にお化粧しなおした。昨日看護師さんもしてくれたのだが、口紅が養母の好みではない派手なオレンジだったので、いつものブラウンとローズが混ざった自然な感じの色のリップを紅筆で丁寧に仕上げると、会社から帰ってきてお化粧も落とさずに夕食前に一眠りするわ、と言ってお昼寝ならぬお夕寝していた頃のようだ。手の拘縮のために手を組み合わせることはできず胸からお腹にかけて3つもドライアイスを乗せるのが可哀想でならなかった。もう初夏だが秋口から冬の間重いから羽根布団も嫌だといって薄手でも保温効果の高い毛布にたどりつくまでダダをこねられて大変だった。生まれ付いて心臓が悪いからいつも胸の上に何かがかかるのさえ嫌がり、お風呂だって首までつかったことは一度もない人なのに。でもこればかりは仕方がない。私も支度して出かける準備をした。とにかくも死亡診断書を貰わないと火葬の許可が下りないのだから、出かけなくてはならない。本当は今日は往診日だったのだけれど。死亡診断書を取りに行く。ついでに私の薬も貰えませんか、と聞いたら娘さんの方はついでに診ていただけですのでご自分で病院へ行って下さい、とのこと。私がほとんど養母のそばを離れられない状態は良くご存知の筈なのに、昨夜死んだらそれでおしまいか。安定剤も睡眠薬も切れたらどうなるのか知っている医者がこういうことを言うわけですか、とすぐにあきらめた。どうせ死亡診断書が2~3通いるだろうなと思ったから取り敢えず2通依頼して速達で送ってもらうようにする。以前の実父のときの経験から何度かに分けて頼むとお医者に嫌がられるのは知っていたからだ。それにしてもついでとは恐れ入りました。最初は無効からご家族の分もカルテをつくるのはよくあることですからご遠慮なくどうぞ、と言ってきたのは向こうなんだし、74歳の養母より私の方がはるかに医療費を支払っていたのにね。午後2時に葬儀屋さんが来て無宗教で親しい人だけで密葬にしたい故人の希望を告げたらさすがに義母の友人達2人がそんなことで葬ったことになるか、と仰るので、今は昔と違いますからここは故人の意思でと一人だけ味方をしてくれた。養母が夫妻ともども仲が良かった奥様が助けてくれた。私も北海道には絶対に連絡しませんでとうして、養母の面会許可?が下りているご友人達とお別れの日になった。しかし、皆さん昭和1ケタ世代でおいでなので本当に坊さん呼ばないのか?と何度も尋ねられた。おばちゃんはずっと会社と社長を恨んで死んでしまったし私は無神論者よ、この世の中神も仏もあるもんですか。私の葬式では無宗教のお別れのセレモニーだけでいいからね。と、認知症になる前から百回以上は聞かされたことだ。故人の意思で押し通した。荼毘に付すのは月曜日に決まった。本当はお線香もあげたくなかったのだけど何故って本人は結婚式と葬儀と両方によく出番が来る人であったからお線香の匂いって大嫌い、と帰って来るたびに怒っていた。結構前からお通夜と告別式のあとうちに帰ってきても塩かけないでよ、とまでなっていたんだから義理で出席する席が嫌だったんだろうな、と思う。私は体が弱い割には運が強いから大丈夫よ社長と違ってどこからも恨まれるマネはしてないしとよく言っていたものだ。喪主になってはじめて解ったこと。密葬にして、指名以外の人に連絡しないでと言われた意味が。義理で心にも無い事を弔問客の方々に言われたくなかったからだなと、解った。昨夜死去して喪主の私が傍らに献花するかわりにおばちゃんの好きなジャスミンのお香でお焼香して頂きベッドのまわりはユリで一杯にしたのだがその遺体を安置しているベッドの前で「さぞお疲れでしょうからご旅行にでも」とか「お一人だと寂しいでしょうから早くご結婚を」と手伝いに来て下さった3人の女性に言われて返事に困った。色々な手続きにはどう少なく見ても3ヶ月はかかりそうな感じだし、旅行も結婚話も当分はそんな気になれるわけがない。納骨までは3年くらいうちにおいておいてねとのことだからなおさらだ。ちなみに養母が言われて一番腹がたった弔問客の慰めは「せめてお子さんでもいらしたらねぇ」と某夫人に言われた言葉だそうで、おばちゃんの言い分によると「子供がいようといまいと、自分の亭主が、私の男が死んだのよ!悲しいにきまってるでしょ。子供がいたってそれが亭主の替わりになるわけないのよ!」こういう時は下手に逆らわずにごもっともです。と同意と共感するに限る。うちの法律はおばちゃんなのだ。夜になってさすがに眠くなった。もう数えてみれば3日近くほとんど眠っていない事を急に体が思い出したようだ。泊まると申し出てくれたKさんには申し訳ないがゆっくり眠りたいのと、もうひとつおばちゃんと2人きりでいたかったのだ。あれこれ思い出してずっと一人で喋っても返事なんてない。そのまま隅のソファで寝てしまった。
2007年05月25日
コメント(0)
なにもいつもと変わらない朝で、昼だった。いつもの通りに二人でベッドに横になってとりとめもない話をしていただけの。夜になって養母に今日って何日だったっけ?と聞かれたので、5/24です、と答えた。養母はふーん、じゃぁ、もうすぐ6月なのねなのに今年は初鰹を食べてない気がすると言い出した。確かにそうだったけれど時刻は8時過ぎだったからおすし屋さんで鰹をとって食べさせていたら急に呼吸がおかしくなり始めた。往診のドクターに電話をいれる。口に入れたものを取り敢えず吐かせて熱を測ったら36.9度あった。これは、まずいと思った瞬間本人もまずいと思ったのか「どうしよう、おばちゃんは死んじゃうのかな、怖いよ」養母の手をとって「そんなことない、絶対大丈夫!」そう言ったときインタフォンがなって先生が到着。先生、様子が変なので早く診て下さい叫んだ。先生が部屋に入ってきたときに丁度取り敢えず座らせたソファから養母が前のめりになって、私が慌てて抱き止めた。ドクターが下顎呼吸が始まっている、すぐに救急車をと指示される。いつも先生についている事務の人が僕がかけましょうか?と聞いていたが自分でかけた。多分10分くらいで救急車が到着。その間吐かせたり、注射器でとれない水分をとったり心臓マッサージをしてくれた。が、救急隊員が到着して心電図を測ったときはかすかに電波がふれるだけで前もって延命処置を本人が以前から希望していなかったことは伝えてあったので死亡確認の為に救急車で病院は向かう。だめなんですか?と聞いたような気がする。11:07死亡を確認しました、と告げられる。急でしたが、これは認知症特有の誤嚥性肺炎です。明日うちの方に死亡診断書を取りにいらっしゃい。看護士さんがおばちゃんの体を綺麗にしてくれている間に廊下に出て下さいと言われたので渡された葬儀屋さんに電話して前からの指示通りの人達に亡くなったことを伝えた。葬儀屋さんの車で家に戻る。あっという間にドライアイスが運び込まれておばちゃんはいつも一緒に寝ていたベッドに寝かされた。明日の約束をして葬儀屋が帰って2人だけになったのでずっと養母の頭と手を抱きしめてみたりキスしたりさすっていたけれど、家に2人で戻ったときはまだ暖かかった身体がだんだん冷たくなっていった。あぁ、これが死なんだなと思いながらもなんだか夢の中のようで腕の中で冷たくなっていく養母を両腕に抱えながらただおばちゃん、と呼び続けても勿論返事なんてありはしない。この夏は越せるのか、この冬は大丈夫かとハラハラするようになってからもう5~6年たっている。いつかこの日が来るのは覚悟を決めていたのにあんまり突然で何が何だか飲み込めていない気がする。だって、お鮨を食べたらいつも通りに本を読んであげて着替えをさせて一緒に寝る予定だったのに。毎日添い寝していてあれほど誤嚥と脱水に気をつけていたのになんて私は大ばか者なんだろうか。おばちゃん、おばちゃん、お願いだからもう一回だけでいいから私の小雪って呼んで欲しい。
2007年05月24日
コメント(0)
最近色々義母の介護と家族関係で大モメしていたのだけど昨日義母と話あって実家とは法律上どうあれつきあいは一切断ることにした。勿論手紙とかで通知したりしてはいないけれども。中でも一番ショックだったのは二歳違いのすぐ下の長男の件自分は酔っ払っては夜中に自分の彼女の事、忙しさの割には給料が安いことで愚痴を聞いてくれと電話してきてこちらは夜中は大抵起きているから聞いていたのだが最後に電話したとき俺は明日仕事が忙しいのだから迷惑だと言われた事だった。君だっていつも酔っ払っては愚痴をこぼしに電話してくるでしょう、その偉そうな言い方って何様のつもりでいるのよ、とこちらもつい怒鳴り返してしまったがあきれた事に俺がアンタにいつ電話したんだよ、何月何日の何分だと小学生のような言い方だった。返事せずに切った。彼は一応は宮○建設という一流とされている橋を建設する会社の現場監督をしていて全国を飛び回っている。酔っ払って私を含めてあちこちに電話していることは綺麗さっぱり忘れているのだ。こんなストレス社会で酒でも飲まなきゃやってられないよという言い分は一理あるかもしれないがそれにしても一方的な言い方が嫌だった。彼は高専卒業でその学費を出したのは義母だしサッカーの全国大会に出たときの旅費をだしたのは私だ。多分一生に一度のことだからと思ってお金を送ったが就職したばかりの私にとっては大金だった。今更それを恩にきせる訳ではないがもう肉親だろうとお金の貸し借りは2度とごめんだとしみじみ思った。
2007年05月20日
コメント(0)
いつも不思議だがどんなに不出来な親でも何故法律上子供の側から縁を切れないのだろうか?私のように養女になっていても法律上両方共母親になってしまう。それをいい事にして義母にお金をたかる実の母親や弟はわが身を省みて恥ずかしくないのだろうか?弟が来るために部屋を空けてやるのに義母と私が大事にしていた着物の類を函館に預かってもらった。ところがそれを実母は売り払ったのだからあきれて文句をいう気力も失せた。その着物類はいつか養子縁組した記念に義母が私との記念撮影の為に購入したものだというのに。子供4人の学資から全て義母に出して貰って義母には身寄りがいないのをいい事にお金だけたかるというのはどういう感覚なのか?おまけに妹まで25歳で高校中退で3人の子持ちだ。亭主は自己破産したばかりでその上にすぐ下の弟は彼女の為に借金して貢いでいるのだそうだ。よくもまあ揃いも揃ったものだと思う。そして私の弟2人と妹夫婦には実母も含めてまったく貯金がない。馬鹿馬鹿しくて固定電話も携帯も全員受信拒否した。やりきれないなぁ。
2007年05月17日
コメント(2)
全198件 (198件中 1-50件目)
![]()

