私が震災後に初めて大船渡に入ったのは、2011年の8月だった。
山間の国道から一気に視界が開ける沿岸部に下り、中心部と思しきあたりを進むと、次第に津波の被害を目の当たりにするようになる。
壁が破壊された鉄鋼作りの建物がわずかに残るだけ、木造の建物は跡形もなく流されていた。
街はずれまで来た時、突然大きなショックがあり動けなくなった。
左前輪を50cmもの段差のある低地に落とした。
道路の安全施設が整備されていない当時は、危険がいっぱいだった。
この時の顛末はこちらをご参照ください。
https://plaza.rakuten.co.jp/kozoeng/diary/201107250000/
これ以降、何度か大船渡を訪ねた。
大規模な港湾工事が行われ、大型船も見られるようになった。脱輪した箇所もフェンスで覆われ、すっかり奇麗になった。
脱輪しジャッキアップしていた場所は、大船渡湾の西側だった。対岸の山が今燃えている。。
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