今から 50 年も前になるが、伊勢崎の会社に勤めていたことがある。職場は倉庫を改造したような事務所だったからとにかく暑いのだろうが、幸い冷凍冷蔵ショーケースメーカーだったから、冷やすのはお手の物。製品の性能評価をするのは 26 ℃の雰囲気温度で、データ収集をしていることにして実験室は常時 26 ℃、暑さ知らずだった。
ところが退社するとこの恩恵には浴せない。最初の 2 年は会社の独身寮に入っていたが、 1970 年代、冷房なんてない。昼間の灼熱の太陽に焼かれたコンクリートは夜になっても熱を放出し続けていた。廊下の一隅に会社の製品である冷蔵庫があったが、あまりにも暑く、結露して霜だらけ、冷却のための放熱で廊下を増々暑くしていた。
寮を出て伊勢崎とは利根川を隔てた埼玉県本庄市に家を借りた。川向こうと言っても数キロメートル離れただけで暑さは同じ。金目のものが家にあるわけではなく、窓を開けたまま出社していたが、帰宅後の暑さは寮と変わらない。低層階になり風の通りも悪くなった。
扇風機をフル稼働させても熱い空気を攪拌するだけ、安サラリーではエアコンなんて贅沢品だった。何とか涼しくしようと知恵を絞り、風呂場で水道水を霧にして散布してみた。その風呂場の空気を居室に導いた。確かに気温は下がった。 2 度。 理論的には当然なのだが、気温が下がった分湿度が上がり、少しも快適にならず、ばかばかしいので止めた。
最後の手段は 24 時間営業のスーパーに行って涼むこと。スーパーは食品の関係で必要以上に冷やしているから、しばらくすれば汗は引く、しかしいつまでも居るわけには行かず、体の内部から冷やそうとカキ氷を作る機械を買った。そんなものを毎日食べても汗は出る。睡眠の質は下がり、仕事中も眠くて仕方がない。
大学卒業後最初の職場だった。初めての一人暮らし、初めての土地で何とも惨めな毎日は、あの猛烈な暑さの記憶と共に今は懐かしく思い出される。
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