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が全ての元凶。原爆の投下を許可したトルーマンも広島市に自分の孫が居たら落とさなかった。彼や他のアメリカ人にとって広島市は自分たちと関係のない世界、そこに人間が住んでいてもそれは黄色人種で自分たちとは関係のない劣等人種の住む世界。日本にゆとりのある夫婦がいた、公務員を退職した夫と年金ぐらし、子供もかたづき毎月振り込まれる30万円ほどの金で何の不安もなく暮らしている。毎年行く海外旅行も楽しみだし、友人夫婦との会食やアスレチッククラブで流す汗もここちよい。今の日本が経済が低迷し、失業者があふれていることは知っているが、それは自分たちの責任ではないし、自分の身内にそういう人がいなかったのは幸せだったと思っている。一般市民の上に原爆投下したトルーマンとアメリカ人たち、それと現代日本のこのような夫婦は無関心という糸で結ばれている。
2011年08月06日
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尾野真知子主演うだしげき、新人、とあるうだしげきって結構年配だろう? 頭も真っ白だし、でも映画は新人か。河野もなかなかやるな。
2011年08月05日
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鍋を押してる手
2011年08月05日
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放送局の使命とは何か?人々に情報や文化娯楽を与えて社会的な有意義さをもたらすこと。こんなところか?でも放送局には人と金が集まるという特殊な性格がある。これを金儲けに利用しようとすれば、かなりな収入が放送局とそれに群がる人々に入ってくる。長野県に信越放送という老舗の民放がある。 放送自体は手堅くまとめた番組作りが特徴で柔軟性には欠けるきらいが昔からある(例えば、ナイター中継で一点差の9回裏ツーアウト満塁でも時間が来たから中継を打ち切る)。この放送局はこのようにあまり冴えてはいないのだが、金儲けに関しては呆れるほど貪欲なようだ。ラジオの番組内で何度も流す通販、不動産売買や放送局近くに持つ巨大駐車場等等この金儲けしたがりが鼻についてあまり好感をもてないのがほんとうのところだ。
2011年08月04日
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失恋した男が夜汽車に乗ってふるさとへ帰っていく。手にはキオスクで買ったウイスキーの小さな瓶、口に運ぶたびに彼女の笑顔が頭の中に浮かんできて、せつなくなる、その笑顔が男の様子を笑っているみたいにさえ感じる、このまま酔いつぶれてしまいたいな、そう思ってはまた小瓶を口に運ぶ、もう半分以上なくなった小瓶の中の液体が列車が震動するたびに波打つ。窓の外はもう暮れてしまって男の顔がガラスに映る、なんて寂しそうな顔つきなんだ、これがおれの顔なんだな、出会ったころの彼女と交わした会話が男の頭によみがえる、あしらっているつもりの恋がこんなにおれを苦しめることになるなんて、よくある人生の一ステップさ、そんなことばをつぶやいてみるが、むなしさに耐えられなくなり、男は残り少ない小瓶の液体を口の中に流し込む、苦さが口中から頭にひろがり、彼女の笑顔がまた浮かんできて男は目に浮かんできた涙を手の甲でそっとぬぐう...
2011年08月03日
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山崎アナウンサーは中野市出身で鉄道オタクの好漢。基本的に人に対するやさしさを持っている。坂橋アナは今やすっかりSBCの看板アナになったが昔はただの準でぶアナだった。菊地恵子アナはいい味だしてる。ベテランらしくて安心感がある。中沢佳子はひょうきんで売ってて結構人気があるようだが、性格は結構きつくて好悪分かれるところ。 誰にでもやさしく出来るほどの人徳はない。岡本由紀アナは自分の高校の後輩でもあるし、おっとりした語り口が耳に心地よい。
2011年08月03日
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CDが売れないわけだよな、「You Tube」でおもいっきり自分の好きな曲を聴けるんだもの。ひさしぶりに荒井由美やサザンを聴いてたら30年前を思い出して感慨に浸ってしまった。「Thunami」なんかなつかしくて泣けてきそうなほどだった。あ、ところで泣くといえば、「号泣」という言葉があるだろ。今日、テレビのアナウンサーが海江田がめそめそなきべそをかいたのを「号泣」したとのたまっていたのに呆れましたな。「号泣」ってのは大声で泣いてることだろ、そのアナウンサーは知らずに使ったんだろうけど言葉を生業にしているくせに、お粗末だなと思ったよ。閑話休題、「Thunami」の映像に三枝夕夏ってシンガーソングライターのお姉ちゃんが使われていたけど、きれいで良かった。きれいな曲にきれいな女がダブルで脳髄の凝りをほぐしてくれて、とてもリラックスできたのでした、チャンチャン
2011年08月02日
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世の中。ちゃーすいたやつばっか。ネット利用して儲けたとか、そんなのを賞賛するNHKの馬鹿番組とか、うんざりの二乗。こういうの見るとNHKに受信料払うの本気でやめてやろうかと思う。雑誌も放送もみんな儲けた人間は偉いと本気で思ってんだったら人間やめろ。金儲けを偉いなんて誰が決めた? 誰が公式作った?金持ってて、生活の不安がないのはうらやましいし、俺の反対側の立場であるけど、そんなの賞賛して仕事してるつもりだったら、ボケあたまや。へんてこなバームクーヘンやら、手ぬぐい生地の服やら、おかきやら、ほしがきやらへどが出る。
2011年07月31日
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前から気になっていた作品を鴎外忌の7月9日にちなんで読んでみた。他人の手記の体裁を取っているが、この小説はまぎれもない森林太郎の自伝である。彼がものごころついてからの印象が、性にまつわる部分を中心軸に時代を映す鏡のように綴られている。「セクスアリス(性欲)」というが、さほどどぎつい事柄が書かれているわけではない。林太郎少年のまわりに起こる性的なこと、幼いころ未亡人の家で見せられた絵草紙(当時のポルノグラフィ)、祭りの踊りの場で耳にした性的な会話、から少年期の寄宿舎での男色の危険、初めて試してみた自慰、青年期の突然の吉原体験、等、現代の我々からみたら、何の変哲もない程度の性的体験が書かれているが、それよりも印象深いのは、鴎外の感受性から見た明治という時代と自己の生き方の気持ちよさがこの書物をエロ小説などとはまったく異なる次元のものとしている点だ。鴎外の他の作品では知ることのできない、両親とのやりとり、彼が二人に抱いている敬愛がとてもよくわかる。母親の林太郎にたいする愛情もとてもすがすがしく僕には映った。また、通学の途中にある古道具屋の店先に居る美少女の話など、彼が日常の中から受け取った想いやせつなさなども鴎外を知る上でとても参考になった。明治も今も何も変わっていない。人間の想いは今日も明日も続いていく。
2011年07月10日
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著者はかつて江戸川乱歩賞を受賞し、30冊の小説を上梓したれっきとした小説家である。その彼がいかにして、コンビニ店員をやることになったのか?何よりもびっくりしたのは、何十冊も本を書いている人間をこのような状況に追い込むほどのものだったのか! 日本の出版界のダークな一面を見たおもいである。もう10年も書いていない小説家である彼、森雅裕氏は困窮していた。うまく立ち回って他の作家(例えば石平)のように売文を書きまくっていたら今頃は豪邸に住み、高級外車を数台所有していてもおかしくなかったのにである。あまつさえ、彼はこのコンビニに応募するまでに、しけた仕事をいくつも断られているのだった。この葛飾区のコンビニが閉店せざるを得なくなるまで彼は働くのだが、そこで彼の小説家としての観察眼が、かつてない「コンビニ店員の目から見た店と客事情」を描き出させることになる。チンピラ、不良、クレーマー、次から次と現れる下等生物のような客たち。それに対応せざるを得ない自分の立場、この本をよむことによって現在の日本人の程度がどのようなものか、どのような人種構成なのかが理解できるようだ。著者は自身の性格的な生きづらさから現在の苦境にあるようだが、心根は他人の痛みがわかるやさしさを持った人物である。それは最後のほうに書かれている、閉店した個人商店に対する思いをつづった部分から容易に察することができる。コンビニという現代を象徴する魔的な店をとおして、人生の一部分を描いた異色のドキュメンタリーといえるだろう。
2011年06月12日
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ドラッカーの言葉だよ。
2011年06月05日
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俺自身の訳もし少ししても このいやな気分が治まらなかったら決めているんだ。近くの塔に登っていって、そこから自分を落っことしてやろうって。そうしたら誰でもわかるだろ、こなごなになるってどんなことかって。教会で花嫁が来ないんだ、人々もざわついてる。「なんてことだ。 ひどいもんだ。 結婚式をすっぽかされるなんて!ここに居てもしようがない、帰るとしよう。」やっぱりな、またこれか。僕はいつもこういう目に会うんだ、結局ひとりぽっち...ほんの昨日のようだな、元気いっぱいで陽気に生きてたのが。夢もいっぱいあったし、誰でも僕みたいに生きたいと思うほどさ。でも僕を殴り倒すみたいに、現実ってやつが現れるのさ。ほんの軽い一撃で僕を細かく砕いてしまうんだ。神様なんていないって僕に教えるみたいに。本当に居るなら神様って誰さ?なんで僕を見捨てるのさ?必要な時に本当に僕はまたひとりぽっち...以上、二番まで訳してみた。この詞を書けるのは、深い人だと思う。知ってる人間でないと書けない。ありきたりの人生を歩けない苦しさ、もどかしさ、悩みを持った人間だ。何を知ってるのかって?それは自分で考えるんだな。
2011年06月04日
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まあ、どうなってんの?団鬼六、上原美優ワンジル児玉清ぞろぞろ、ぞろぞろみんな死んでく。田中好子もいたね。僕が一番ショック受けたのは、上原美優だな。あのキャラで自殺されると、なんか、日常をひっくり返されたみたいに複雑な違和感を感じた。きれいな顔立ちで、性格も素で気に入ってた。ただ、男好きだから、そこが嫌だったな。つきあってた男もつまらん奴に違いない。もっといい男とめぐりあってたら、こんなことはなかったろうに。NHK教育TVの「中学生日記」に出てた時も魅力的だった。清水由貴子の自殺と今回の上原美優が僕のこころにズシーンと来た、芸能人の死でした。
2011年05月17日
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昨年の清水由貴子の時も思ったのだが、彼女の「言問橋」という曲。とても淋しいメロディと歌詞だ。これは偶然ではなくて、彼女の心象がこの曲に出ているからでは?デビューした時からなにか薄幸な感じを受けたが、後年の太ったキャラからは想像できない苦悩を抱えて生きていた。酒井法子もそうだ。去年の彼女の騒動は彼女の生い立ちと無縁ではない。「鏡のドレス」を久しぶりに聴いて清水由貴子と同様の悲しい声が聞こえてくるようだった。「あしたの分の涙は、今日流してしまえばいい。泣いて泣いてずっと泣いて、あなたがわたしにたどり着くように」...
2011年04月23日
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兵庫県の神戸で先生は世の人人を難病から救い続けられた。「新精神衛生学会」を興され、地域の人人を苦しみから解放された師の功績は世に知られぬけれど、あの「ルルドの奇跡」以上のすごいものであった。リューマチ、胃下垂といったものから、癌、網膜色素変性による失明、カリエスによる歩行不能まで、ありとあらゆる難病を見事に癒していった。20年前に遷化されてからも、その教えは滅びずにこの日本にある。般若心経に示されている大明呪、すなわち「ぎゃーてぃ、ぎゃーてぃ、はーらーぎゃーてぃ」がそれである。この呪を数限りなく反復して唱え続ければ、あらゆる難病も経済的苦悩も家庭苦も影のように消えていくのである。必要なのは、あきらめないで、唱え続けること、これだけだ。
2010年11月28日
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今は、星野真里が好きだな。劇場の女教師役の演技がとてもよかった。「晩秋」だったっけ?島に赴任してきた新米の星野真里が子供達に接するしぐさが胸にきた。今夜見た村井美樹も気に入った。(前回のQさまにも出てたらしいけどその時は気がつかんかった。 今回頭脳明晰により、大いに私めの興味を引きました)頭のいい女は魅力的だな。なぜかって自分の知らないことを言い出しそうで刺激があるからさ。頭は常に新鮮なことばや知識を求めているのだ。
2010年09月06日
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9%の合格率だった。1452人受験して130人の合格者。11人に1人の合格だから、まあ誇っていいわな。そうです、僕はバカじゃありませんでした。万歳! 万歳! 万歳!
2010年09月02日
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「はやぶさ」は宇宙の彼方から戻ってきた。オレもかならず生還する。片肺で生き延びつつ、言うのだ。宇宙の光芒が数千億のいにしえより、この地球という生命の存在する実存にふりそそぎ、あまたの生命が生のいとなみを紡ぎつつあるここに、われは生き延びつつ、証を積み重ねていこう、そは小さくとも、われの証、それが宇宙に生まれたわれの居た証拠...
2010年08月29日
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AV見てると、可愛い子が多いなと感じる。よくこんな可愛い子たちがこんなにハードなHに、金のためとはいえ、いそしむなあと感心する。この子たち、みんな自分で応募してやってるんだから、日本ってつくづくすごい国だなあと思う。40年前には、ピンク映画というものがあったが、そこに出演している女性たちは、たまに美人もいたけど、たいていはさもありなんという顔立ちの女性がほとんどだった。それでもさかりのついてる十代は夢中になってスクリーンに見入っていたものだ。今、それらのピンク映画を見たら、おとなしさに呆れることだろうね。だいたいが、ピンク映画は擬似本番だったんだから、早く言えば子どもだまし。まさに騙されていたわけだ。現在のAVは、もろ本番、本番どころか、あらゆるバリエーションでこれでもかとばかりにエロの爆発ですな。それでもすごくなった分、興奮度も大きくなったのかは疑問。きれいな女性と手を握り合って、じっとしている時の興奮度のほうが大きいとも言えるし。すごいことをすれば興奮するとは限らないのが不思議なところだね。
2010年08月22日
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「お父さん、お父さん、あのフランス人の女の人、頭が丸刈りだよ。」「うん、あの人はマルガリータさんだよ。」「お父さん、お父さん、あのロシアの人、さっきからずっとエリを裏返して見てるよ。」「うん、あの人はウラジミールさんだよ。」見ざる、言わざる、着飾るショパンが好きなだんごの味は? あまだれ。
2010年08月21日
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小さい頃から僕にとってこの世は理解できない場所でした。母親の背中に負ぶわれて、夜空に浮かぶ月を眺めていました。「なんで月はあんなふうに空に浮かんでいるのだろう?」「なんで月はあんなふうに丸いのだろう?」「なんで月はあんなふうに白いのだろう?」朝、まだ3歳ぐらいだったろう僕にとって、戸の隙間から入ってくるオレンジ色の強い光は、何かすごい存在に違いないと思えたものでした。ひとびとが皆、一生懸命に働いているのを見て、「人はなぜ働くのだろう? 小学校に行っている僕は学校に行かなかったとしたら何をしていればいいのだろう?」そんなことを考えてばかりいる小学生だった僕は、決して快活な、大人の理想とするような子どもではなかったと思います。
2010年08月07日
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何かのきっかけで小生の拙いブログを読んでくれた君たち、ありがとう。どうやら小生の命も尽きそうです。僕は基本的に人を怨んだりすることの苦手な生まれなのです。それなのにものごころついて以来、人という動物の持つとげに傷つき、いやいやながら人に対する憎しみを育てなければ生きてこれませんでした。僕は最近人に対して怒鳴ることが多くなりました。そしてその度に、僕自身も深く傷ついてしまうのでした。この世に善があるというのが僕が生まれてから自然に感じていたことです。しかし、善が力を持つとは限りません。善でないものが、大きな力を持ってこの世に存在していることも確かです。でも善が最後には勝って欲しい。僕はそう思ってこれまで生き続けてきました。
2010年08月07日
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大阪の橋本知事が小泉ファンだと知ってうんざりしたが、今日は小泉がいかに低脳な人間かを少し語ろう。この男が総理になる時に山崎拓が言った。「みんなこの男がいかに政治を知らないか知ったらびっくりするよ。」そんな男に自民党のお家事情から総理のお鉢が回ってきた。たまらないのがそんな総理をいただく日本国民だ。この小泉という男、生まれながらの知ったかぶりとパフォーマンス好きが見事に時代の雰囲気にピッタリ合ってしまった。自民党に現れた行動的な風雲児という役柄を演じるのに怖気ずくような繊細な神経など生まれつきこの男にはこれっぽっちもなかったからさあ大変。おつむの弱い日本大衆に受ける受ける、爺、婆、ヤンキーからくそがき、阿呆芸能人あらゆる分野の低脳人たちが一斉に支持した。あわれ日本は大事な時をこんな男に託してしまい、低迷と混乱の長い時代に突入してしまうのだった。なんせこの男、何にも知らないので何をするか考えた末に見つけたのが郵政民営化というしょうもない案だった。他に触るのにふさわしい案が思い浮かばないのでこれをさも重大な事案と言い張った。この男、学生時代には婦女暴行まがいの事件を起しているらしいが父親の権力でもみ消したという噂がある。おつむも弱いらしく、息子も同様に現在中身のないパフォーマンスにまい進して党内の地歩を築くのに必死になっているのは周知のとおり。小泉にくっついて来るのは同類のおぞましい性格の人間である。その一人が竹中という売国奴。こいつのブレーンであった木村剛が逮捕されたが竹中にインタビューするマスコミが一社もないのはなぜか?マスコミも自分の身に火の粉がかかるような取材はしないということでしょう。マスコミの正体なんてこんなもの。小泉は頭の悪さが顔に出ている。あの顔は親子で低脳の人相である。竹中も低脳で性格の悪さがもろに顔に出ている。こんな連中に簡単に騙され、今も騙され続けている阿呆の大衆どもよ。おぞましいまま生きていけ!
2010年07月15日
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この問題が出てきたのでびっくり。「二合半」この読みは「こなから」と読む。「小半ら」とも書いて一升の半分の半分、二合五尺のことをいう。これは面白いと記憶に残っていたので正解できた。たった1点だが価値ある1点だったな。 カメルーン戦の1点みたいってか?
2010年07月10日
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合格してたやんけ。思ったとおりやんけ。多分165点ぐらいやんけ。前回より13点も落ちたやんけ。今回すごーく難しかったんやんけ。予想合格率10%前後やんけ。難しい時の合格のほうが充実感あると思われるやんけ。
2010年07月10日
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先月の20日に1年半ぶりに漢検一級を受けた。前回は2008年の2月、178点で合格した(200点満点で160点以上が合格)ので今回はそれ以上の185点ぐらい取れるかなと思ったら、すごい難しくなっていたのでびっくり。2009年2月の問題は易しかったようだが、さすがに28%の合格率は一級にしては高すぎと思ったのか、今回急に難しい傾向に舵を切ったようだ。自己採点では165点だから何とか合格はしそうだが、明後日の発表は少し緊張。漢字の勉強を始めたのは3年前だが、それまでは漢字なんて充分知っているつもりだった。日常使う漢字ぐらい、ほとんど書けたし、自分は漢字について困らない能力を持っていると思い込んでいた。ところが、ふと開いた漢字の本に、生まれてから初めて見た漢字がぞろぞろ出ていることにショックを受けて、勉強を始める。半年後、漢検準一級に合格、更に一年後一級合格したのだが、今考えてみると、この3年間の漢字学習で得たものは漢字だけではなかったことに気が付いた。知らないうちに日本の古典や江戸時代のことばや風俗、古代中国の言葉や慣習が少し知識として身についてきたのだった。たとえば、古代中国ではいかに「罵詈讒謗」の類のことばが多いことか、これは当時の中国の役人世界、権力世界では、他人を追い落とすために嘘をつくのが当然の方法となっていたことを表している。これは現代中国の役人世界が賄賂のまかり通っていることと無縁ではないだろう。このように知識は得ておいて損はないようだ。
2010年07月06日
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初めてこの人の歌声を聞いたのは30年前の石野真子のコンサートだった。その時はまだ無名だったが、ピアノを弾きながら歌うその声はとんでもなく魅力的だった。そのコンサートに出ていた石野やアグネスチャンなんかどうでもよくなってしまうくらい深みのある声で紡ぐ曲はこころに染み入ってきたのだった。その後、スターダムに登ってからはご存知のとおりだが、このあいだ久しぶりに「You Tube」で「GOODBYE DAY」を聞いた。 痺れた。 あまりにも素晴しい声の質!この人の曲は、自分でも言っているとおり、来生たかお自身が最も曲の真髄を理解して歌えるのかもしれないな。さびの Goodbye Day と歌い上げるところは、絶品。アンニュイな都会の男と女の日々、女の子が寝ている傍らで寝顔を見ながらつぶやく男のこころの襞。 一日が終る、お前との日がまたひとつ終る、こうしてお前と紡いだ日々を僕は後悔していない、これからも、ずっと...来生たかおという歌手が存在していてよかった。 こんな名曲を聴くことができてよかった。
2010年06月10日
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昔、「マルテの手記」を読んだ。今ではほとんど忘れてしまったが、頭の中にはパリでひっそりと暮らす孤独な青年のこころ模様が感覚として残っている。リルケの書いたこの小説が当時の僕の心境に染みとおるように入りこんできたのだ。僕の街で、最近自殺が数件起きた。立体駐車場から飛び降りた青年。自宅の部屋で硫化水素自殺した青年。愛人の首を絞めて殺した後、近くのビルから飛び降りた中年男性。自殺ではないが、近くの居酒屋の主人が店先で殺された事件は二年たっても未解決だ。昔聞いた井上陽水の「都会では自殺するー」の歌詞がいまごろ切実に感じる。今日、大阪で小さな女の子が見知らぬ女に刺されて重体になるという事件を聞いた。このような事件は、陳腐な言い方では「社会が病んでいるから」という。でも誰もその病んだ社会を指摘しないで当然の顔で生きている。みんな不安を内にかかえたまま、でもそれを見せまいとして自分を演じて生きている。昔、媒体の少ない時代、ひとはそれぞれの思いを自分でかかえこんでいたがそれでも今ほど不幸ではなかった。今、ひとはインターネットやケータイであふれるほど頻繁なやりとりを交わしているがおそろしく孤独で不幸になってしまっている。自殺は多く、病気はへらず、経済は人間をますます不幸に駆り立て、為政者はいっそう人間に無関心になっている。ひとびとも隣人の人生を考えてみるということを忘れ、自分と家族の幸せだけしか考えられなくなって近視眼の人生を送っている。マルテがパリの下宿で過ごした孤独な日々。
2010年05月17日
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たまたま点けたテレビで見たNHKドラマ「その街のこども」導入部の新幹線車内のちょっとナンパな上司とその部下らしき青年のやりとりから見ることに。サトエリと青年の居酒屋での会話なんか面白く見てた。そこまでは阪神大震災を扱ったドラマとはつゆ知らず。映画はサトエリと森山未来演じる青年とのやりとりがほとんど。コンビニが出てくる場面はやっぱりって感じでステロタイプ。 だいたい現代のドラマっていうとなにかとコンビニを出す凡庸演出者にはうんざり。見終わっての感想。 まあまあいいんじゃないですか、こんな程度で。そう思ってたら、このドラマやたらと評判がいいらしいのでびっくり。そりゃ、大震災は大変な出来事だし、被災者や遺族には重く同情しなければいけないけど、それとドラマの出来とは別な話。このドラマはそれほどたいしたものではなかったと思う。佳作といっておけばいい程度のものじゃない?そんなに感激するひとびとの頭は「おれにはわかんね!」
2010年05月05日
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新聞記事でたまたま中学時代の同級生の所在を知り、ブログもやっているので興味を持って見た。そいつはクラスで一番成績の良いやつで、女子にも人気があり、うらやましい存在だった。(ちなみにオレはそいつにテストで勝ったことは一度しか記憶にない。 勉強しなかったからなあ、漢字検定みたいに勉強にハマってたらクラスや学年でトップクラスになれてたかもしれないのに。)閑話休題。 そいつがなんとバリバリのクリスチャンになっていて、現在、教会関係の出版や翻訳の仕事をしているのだった。なんでも、高校時代に登校拒否なんかがあって悩んだ末、外国人神父のキャンプに行き、そこでイエスキリストを信じることを決心したんだという。それからは神学校で学び、結婚後アメリカの神学校に2年間留学して帰国。現在は生家で仕事をしているらしい。でもなあ、なんでイエスキリストなんか信じるのかなあ?オレはイエスキリストが嫌いってわけじゃないけど、信じちゃいないし、これから先も信じないな。むしろ観音菩薩や諸天善神、さらに大日如来のほうを信じるよ。日本に生まれて仏教が周りに有りながら本物の仏教とめぐり合わずに生涯を終えてしまうのもなあ。まあ、オレがスキーにうつつを抜かしていた20年間にアメリカ留学して筋金入りのクリスチャンになり、結婚もして子どもも持ち、まっとうに暮らしていたんだなあ。オレはまるで浦島太郎ですなあ。
2010年04月17日
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過払い金返還の上前をはねて暴利をむさぼる糞弁護士がたくさんいるそうだ。ラジオやテレビで盛んに「払いすぎたお金を取り戻しませんか?」と唱えているCMはこう聞くのが正解。「払いすぎたお金があったら私に任せなさい。私はあなたと違って上手に世渡りしている身分だから下賎な君達に代わってサラ金どもから取り戻してあげよう。そのうちの少しだけ無能な君達に分け与えてあげるから、あとは全て私がもらうよ。私はそれだけの価値がある存在だし、君達は常にダメで無価値な貧民だからね。」唾棄すべきはこういう輩。ラジオもテレビも糞の金儲けを後押しとは情けない。
2010年03月11日
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「がく○ん」という通信講座大手がある。新聞などで盛んに講座受講を宣伝している大手。でも大仰に「稼げる」というのは、こんな時代にいかがなものか?実際に「アフィリエイター講座」を6万五千円も出して受講した者としては誰でも稼げるみたいな宣伝は止めてもらいたいと思うな。そりゃ、すごく稼いでる人種もいるだろうよ。センスとか時期とかに恵まれて毎月大金を手にしている人がいることは否定しない。でもそれは、明らかにほんの一部の人間でしょ?そうでないというなら数字で「これだけ受講したうちでこれだけ儲けてる人が何人」という証拠を出して欲しい。たぶんそういう数字は永遠に出さないでしょ、がく○んさん?僕みたいに全然稼げなかった人がほとんどじゃないのかな?みんな、新聞で「アフィリエイター」や「建築模型」で稼げるなんて宣伝してても信じるな!あんなの稼げないよ!
2010年03月10日
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アンデルセンが山を越えて行きました。山のあなたに行きました。マイマイ踏んで行きました。みにくいアヒルの子になって。池の端にはかいつぶり。どんぶらどんぶら流れてる。牛のよだれも流れてる。ちいさなめだかも泳いでる。カイマンなんかも現れて小さなこども泣き出しておんなも恥部をさらけだし、おとこがだらだら寄ってきてマントも仮面もぬぎすててかいつぶりが首を入れ池の端には波が立つ
2010年03月04日
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五木寛之氏の「遊行の門」より。「格差社会とは、社会的、経済的格差がはっきりする時代のことではない。 格差社会の本当の意味は、三つの段階をへて明らかになってくる。 一つは格差の成立。 二番目は、格差は常に進行し、その差がダイナミックに開いていくということ。 三つ目は、極端に開きすぎた格差が、弦を切った弓のようにこわれる時がくるということ。」氏は現在は格差の臨界点に近づいているのではないか、と言う。「諸行無常」は真理だろう。敗戦後の劇的な価値転換を経験した五木氏は身をもって、昨日の常識が今日の非常識になることを知っているのだろう。すべてのものは変化する。今日栄えているものも明日は滅びるかもしれない。これを現在に当てはめてみよう。「トヨタ」は数年前には想像もしていなかった事態に直面している。他の繁栄企業も明日はしれない。「ユニクロ」も「ダイソー」も個人でいうと「勝間」も「藤巻」も明日は価値のない存在になりうるのだ。反対に現在、苦悶の声をあげている企業や個人も希望の種さえ持ち続けていれば、明日が開けないとはいえないのだ。弓をいっぱいに張ったつるはそれ以上張るとかならず切れる。音を立てて切れてしまうのが現在繁栄を謳歌している企業や個人の未来だ。
2010年02月21日
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川野夏美の「紙のピアノ」聴いた。よかった。メロディも歌詞も心に染み入った。この人、演歌歌手らしいけど、今まで知らなかった。たまたま聞いてたラジオで流れてたのがこの曲。自然に聴き入ってしまった。ダ.カーポの曲風で、やさしさとなつかしさで心がキュンとなる感じだ。聴いたことがない人は「You Tubu」で聴いてみな。
2010年02月15日
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21世紀に入るや自爆テロが始まった。アメリカの同時多発テロ、現在も続くイラク他のテロ。それらを引き起こしているのは凶悪な人物でなく、普通の子ども時代を過ごした人間たちだ。かれらが引き込まれた悪魔の組織がイスラムの教えの仮面をかぶった地獄の使者、アルカイダやタリバン。日本で、嫌いなのは派遣労働に入った連中。彼等は他に仕事がなかったから派遣労働に入ったと言う。 でもそれは愚かな政府と悪徳な企業の思惑に従い、奴隷労働の世の中をつくる手先になったことに他ならない。コンビニという悪徳業態をはびこらせたのも、同様の考える力のない無能な酒屋と脱サラ人間たちだ。悪徳システムの奴隷に志願してまともな労働時間やフェアな取引をこわされても文句ひとつ言えずに唯々諾々と今日も店をやらされている。極悪人「鈴木敏文」がアメリカで仕入れた悪のシステムを更に磨き上げて、悪徳弁護士、悪徳会計会社と組んで、不当な暴利を毎日むさぼり続けている。これらの頭のない連中が日本社会をダメにし、日本の商業を腐らせ、日本の善良な労働環境を完膚なきまでに破壊しつくしてしまったのだ。無能で無策な政府、自己利益のみ追求する官僚たち、同様に貪欲なけものと化した大企業ども。真理のわかるはずもない無知なマスコミはそれらをあおり、愚鈍な大衆を洗脳し、知識欲もなくなって明治以来もっとも愚かな大衆愚民層がほとんどの日本人口を占めるようになってしまった。この浅はかで理解力のない日本大衆は、ノアの箱舟の時代のように大嵐に呑みこまれてしまうほかないのだろうか?自爆テロの実行犯のように、自分はまともで何も間違ったことをしていないと思い込んだまま...
2010年01月31日
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樋口一葉のような超有名作家についてこんなところで一家言めいたことを述べても意味が無い。だから彼女の作品に特有の「哀しみ」について少しだけ。父親や兄達を失い、一家を支えなければならない身になった奈津(一葉の本名)が直面した困難はとても大きなものだった。明治という時代の中での女の身分の軽さ、現実問題として大きく立ちはだかる金銭面の不自由さ。彼女は怪物のような困難と、文筆で立ち向かおうとした。小説を書くことによって生活に必要な金をかせぎ、母親、弟、妹を救おうと必死になった。挫折しそうな自分と小説を書いて羽ばたく自分とが交互に現れてはせめぎあう。夢がいくつも輝きかけ、恋や女としての幸せの屈折と共に現実が自分を窒息させる。「にごりえ」は彼女の内面を写している。遊女「お力」の身の上は奈津の内面に他ならないし、馴染み客の朝之助に言われた「出世を望むな」という言葉は彼女が恐れる不成功(作家としての)を表しているようだ。お力のせいで没落した蒲団屋の源七一家。その女房の「あわれさ」とお力の訴える「哀しみ」がシンクロして響いてくる。冷厳な現実という不可解なしろものと格闘した奈津。貧しい身の上から遊女となり、現在の自分におそれおののくお力。お力のせいで亭主がダメになり、没落してしまったとなげき、離縁を言い渡される女房。最後にはこの世の破局へと向かってしまった源七とお力。彼女たちを責めさいなむ見えない怪物。
2010年01月15日
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ストーリーは昔からあるタイムスリップ物。「バックトゥザフューチャー」じゃんとか思って冷やかし気味に見始めたけど、結構ハマって見てしまった。なんで相武沙季が歳取ると泉ピン子なのさ、なんて思いながらも、西田敏行の味のある演技に見入る。亡くなった森繁翁の跡継ぎになれると思うよ。いい俳優になった。息子が40年前にタイムスリップ、自分と同年代の父と母と激動の青春時代のひとときを過ごすことに。そこで、ハマっちまった。 学生運動、大学紛争、角棒、赤ヘル、新宿西口、フォーク、岡林信康、これらが呪文のように団塊ちょっと後に産まれたおいらの気分を主人公と同じく40年前に引っ張っていっちまった。ラーメン屋の二階に下宿して、そこの娘に密かな恋心を抱く田舎出身の学生。学生運動をしながらも自分の行く末に悶々として生きている昭和の青年の姿。そんな当時の青年達の当たり前におかしくも真剣な生活がおいらの意識によみがえった。みんな一生懸命に滑稽に頑張って生きてきたよなあ。今、我々はどういう原因からか、こんな暗黒時代を手探りで生きているけど、日本人はこんなに真面目に頑張ってそれぞれが生きてきたんだよなあ。 負けたくないな、絶対こんな暗黒時代は終る時が来るはずさ。岡林の唄にもあるように、「友よ、夜明けは近い」と思いたいな。
2009年11月16日
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今、我々は暗黒の時のまっただなかに居る。周りは冷笑と酷薄さを持った人間もどきがひしめいている。ものごころついた頃から知っていたよ。この世ってこんなやつらがたくさん居て、つまらないことどもをみんなでもっともらしい顔をしてやり続けるんだって。まだ小さなからだの時分から僕は知っていたよ。だから僕は無邪気にもなれなかったし、大人たちが望むような陽気な少年にもなれなかった。だって小学生の頃から僕は人生の意味にとまどっていたんだから。学校に行かないとしたら僕の居場所はどこなんだろう?同級生達はふしぎに思わないのだろうか?どうして学校に行くの? どうして働くの? どうして生きていくの?僕の心はものごころついた頃から憂鬱に支配されて僕のからだは居場所のない空間の居心地の悪さにけいれんしていた。今、おとなという入れ物に入った僕はまだ小さい頃と同じ恐れおののく感覚のまま生きている。僕は何を待っているのか?
2009年10月27日
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NHKラジオ10月8日夜の「わが人生に乾杯」という番組。山本晋也が司会で結構気に入ってたんだが、もう聞かないっと。この夜は最低の人物を出演させてしまった。こいつのせいで何十人も自殺するはめになったし、こいつは史上最低の冷酷な人物である。人間の感情を持っていない蛇のようなおぞましい男。腐った人格を札束と虚名に包んで生きている。かつてこれほど腐臭を放つ日本人がいただろうか?あわれ、NHKあわれマスコミあわれ山本晋也さらばNHK
2009年10月08日
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一番の歌詞はどうもこういうシチュエーションらしい。教会で結婚式を挙げるつもりの主人公が花嫁にすっぽかされたんだ。それで参列者がひそひそ声で「なんてこった!ひどいな。」「待ちぼうけじゃないの。」「どうすることもできないわね。」「帰ったほうがよさそうだな。」と話してるわけだ。これなら整合性がある。すると出だしの「もうちょっとしても気分が直らなかったら、近くの塔から飛び降りて死んでやる。」というのもこの状況が言わしめているのか。知ってる人いたら教示願う。
2009年10月01日
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名曲。当時、歌詞は分からないままでも、楽曲の美しさに聞き惚れていた。ギルバートオサリバンは最初はきれいな顔してるが、後年は脂ぎってじじむさい顔つきになっちまったな。歌詞はせつなさとダサさが混じった味のある詞かな。「塔の上に登って飛び降りるのさ。身体がこなごなになるってどういうことかみんなに判らせてやるんだ。」ってなかなかいい。そこからいきなり教会の中に状況が移ってしまうのが最初は面食らった。ずっと残る世界的名曲だな。
2009年09月25日
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昔、「さぶ」、「薔薇族」、「アドン」が元気に売れ続けていたころ、日本は健康だった。今、これらの雑誌は発行されていない。正確に言うと、「薔薇族」のみネット販売されていたらしいが次号で完全に終焉するそうだ。タモリのボキャブラ天国で「さぶ」が面白おかしく使われた時代がなつかしい。コントで、「僕たち、薔薇族」で終るのもあった。コンビニとネットで全てが変になってしまった。弱肉強食が当たり前のようになり、自己責任の名の下に、罪のないひとびとが無視され死に絶えていく。こんな馬鹿げた現状は変わるべきだろう。
2009年09月24日
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漢字検定一級なんか合格しても何にも実生活には役に立たないしな。2月に178点で合格してから半年すぎて、覚えた漢字もだいぶ忘れかけてきてる。でも長野県では19人受験して合格したのは俺だけだったから少しは気分良くなれたから全く役に立たなかったわけでもないか。2年前まではよくウォーキングしてたけど、もう今は全然歩いてないから身体の調子もいまいち。スキーも2年間ほとんど行ってない。それまでは戸隠(長野県)でたっぷりと滑ってたのに...40度の急斜面やコブコブの斜面を滑りたいなあ。洗濯や料理もしなきゃならないからしてるけど、店の経営と家事とその他いろいろが一気に自分にかかってきたから俺もだんだん疲れてきてる。精神的にも肉体的にも疲れてきてる...
2009年09月04日
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御巣鷹山の日航123便墜落事故の写真でフォーカスだかフライデーだかに載っていた墜落直後の犠牲者の写真が忘れられない。その写真は墜落時の残酷で冷酷な事実をそのまま写し取ったものだった。小学生と思われる男児が恐怖と激痛の表情を浮かべたまま焼け残った枯れ木のそばで真っ黒な遺体となっている、しかしその遺体は永遠に続く不条理の結果としてまるでオブジェのように身体を立たせている。もしこの遺体が地面に伏していたらこれほどの衝撃を僕に与えはしなかったかも知れない。そのこどもの遺体は、生きていたいのになぜこんな苦しい目に会うの?なぜ死ななくちゃならないの? なぜ、なぜ、なぜ?と問いかけているように思えた。当時、まだ青年だった僕は「死」という存在ははるか向こうの方にあるのだろうけれど、まったく自分とは関係のない「もの」だった。そんな僕にその写真は自分よりも幼い存在が受けた「死」という恐怖と巨大な苦しみをその表情に刻印して突きつけてきた。今、幾分か大人になった僕は「死」の苦しみは生きるための苦しみと共通の性質を持っていることにやっと気がついてきたところだ。生きることに苦労していなかった季節は過ぎ去ってしまい、経済的にも家族的にも苦労だらけになってしまった時間に僕はときどきあの日航機の事故を思い出す。あの日航機の機長はほとんど操縦不能になった機体を30分余りの間、力と技術を搾り出して操縦し続け、山にぶつかりそうになり、その山を越してまた次の山が迫ってくるという連続だった。「頑張れ、頑張れ」と自分を鼓舞して自分や乗客の「生」を維持するための努力を続けた。しかしついにあきらめの時がやってくる。ボイスレコーダーには「これはだめかもしれないね..」という機長のつぶやきが記録されている。僕は今、この機長と同じ気持ちで生きているのかもしれない...
2009年09月02日
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志村けんが「あいーんシュタイン」小松縫製ダルビッシュ(有)加藤茶店高橋のおでんあとなんか面白いのあったら誰でもいいから書け。
2009年08月28日
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「二人のアイランド」って歌、昔あったよね。この中にれっきとした日本語の間違いがある。「ピンボールみたいで気が置けない」気が置けないは「気持ちの許せる親密な」意なので、「気が許せない」と間違えたんだろうけど、この曲の作詞家って頭を疑われるよね。歌ってる二人が知らなかったのは仕方ないにしても回りの人間ープロダクションやレコード製作会社の人間達はおそまつ。
2009年08月27日
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日常の地獄の中で生きている民衆はその中に怒りの炎を焚き続けている。そんな囚人たる民衆は、怒りのはけ口を常に捜して目を走らせる。それは時には有名人のスキャンダルであり、無名人の奇怪な殺人事件であったりする。東京電力のエリートOLが渋谷でほぼ毎日売春婦をしていて殺された事件は後者であり、今回の酒井法子事件は前者である。両方に共通しているのはカタルシスである。カタルシスー浄化作用、すなわち、うんざりするほど汚く自分を殺し続ける日常の生活から精神的に浄化された気分を味わいたいのだ。あんなにエリートで何不自由のない人がこんなことをして堕ちて行った。真っ暗な穴をのぞきながら民衆は自分達の手の届かない所に居た有名人やエリートが苦しむさまを表面にはいくぶんかの同情と批判の表情を浮かべながら興味津々に眺めているのだ。
2009年08月11日
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与えてしまったのさ。こんなに世間をびっくり仰天させたアイドルはいないっての。その意味では山口百恵も松田聖子もかなわない。この一週間、日本中をのりぴーが席捲しまくったんだからなあ。おれっちなんか、別にのりぴーのファンじゃなかったから当時からたいして曲に関心もってなかったのに事件以来、U-tubeでのりぴーの曲ばっか何十回聴いたかわからないくらいだ。「渚のファンタシー」初期の曲らしいけど、松田聖子を彷彿とさせるね。タイトなコスチュームとふりつけが魅力。「夢、冒険」甲子園の入場曲に選ばれたぐらいしか知らなかったけど、いい曲だ。初々しさがアップテンポに乗ってる。今考えると松田聖子以来のビッグアイドルだったんだね。「鏡のドレス」不思議な魅力を持った曲、好きになった。しゃれたサビがムードのあるメロディに乗って頭を刺激する。「青い(字の変換できぬ)うさぎ」は知ってたけど、そのドラマさえ見なかったオレがこんなにのりぴーの曲にひたったことはなかったよ。あらためて酒井法子というタレントを楽しませてもらったっち。
2009年08月10日
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久しぶりに読んだ。中学の時に教科書に載ってたのを覚えてる。確か、その時に印象に残ったのは「フェイタルか? いやフェイタルではない。」というやりとり。「フェイタル」という英単語が珍しかったせいか?短編だけど、事故に遭った自分という存在を生命体という観点から見直す物語だな。主人公は電車事故の養生に城之崎温泉を訪れる。そこでしみじみと自分という生命のはかなさと不思議さを味わって時をすごす。その自分を見直す比較物として表されるのが、逗留する部屋から見える屋根の上に死んでいた「蜂」であり、散歩で見かけた川の中の「首に串がささったねずみ」の必死に岸にあがろうとする姿であり、自分の投げた石で殺してしまった川の中の石に留まっていた「イモリ」達だ。川沿いの冷え冷えとした日陰を歩く。自分という生命体。
2009年07月22日
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