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「遺品」若竹七海 角川ホラー文庫 物語は葉崎市の美術館学芸員だった〈わたし〉が失業者になったところから始まる。金沢の潰れそうなリゾートホテルの中に、曽根繭子という有名女優の「遺品」を整理して記念館を作って欲しいと頼まれたところからだった。 葉崎市が出たところで、あの葉崎シリーズだったのか!しまった!と思いきや単なる偶然だった。学芸員が主人公というところで、読んだばかりの「閉ざされた夏」を想起したが、書かれたのはあの作品から6年後なので全く繋がりはない。ただし、「角川ホラー文庫」なので、それなりに覚悟はしていた。有名女優は自殺らしいけど、死体は見つかっていない。如何にも怪しい。ホテルオーナーたちとは色々と血のドロドロ関係がありそうだ。横溝正史系だろうか‥‥。それぐらいだったらいいな‥‥。もっと怖いのはイヤだなぁ。 そうすると、幽霊は頻繁に出てくるんだけど、怖くない。むしろ、〈何故幽霊が出てくるのか〉というホラー・ミステリだった。 それにしても、作者の学芸員愛は本物だと思う。学生の頃、本気で目指していたんではないだろうか?主人公の大学では「200人博物館学課程に登録したが、学芸員になれたのは2人だけだった」という記述もある。若竹七海は立教大学史学科なんだけど‥‥。 年間10冊は若竹七海を読もうシリーズの5冊目。季節を選んで‥‥、いや今回は6月10日から7月25日までの話。少しずれた。
2021年09月15日
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「天国の五人」ミッチ・アルボム 小田島則子・小田島恒志訳 放送出版協会 2003年、エディの83歳の誕生日だった。妻に先立たれ、子供もいない。仕事も希望通りではなかった。その日も、いつも通り遊園地の機械のメンテナンスをしていた。エディは一瞬の事故で呆気なく死んだ。 彼の人生はなんの意味もなかったのか‥‥。 この物語は終わりから始まる。彼を天国で待っていた五人の人物は、どんな人たちで、彼にどんな大事なことを伝えたかったのだろう? ほとんどの人は平凡な人生を過ごして呆気なく死ぬ。 だから、エディの寂しさも、後悔も、怒りも、愛情も、そして思いもかけない真実も、あり得るかもしれない「天国の物語」かもしれない。 と、敬虔なクリスチャンである著者は想像して物語をつくり、ベストセラーになった。神様の存在をよく知らない私は、至る所でつまづきながら、それでもミッチ・アルボムの天国観におおよそ共感してしまった。すなわち、 「人生には終わりがある。愛に終わりはないわ」(191p) 此処でそう言ったのは、天国(?)で待っていたエディの妻なのではあるが、数千という書物で数万の物語を読んできた私も、こういう言い方はおそらく正確ではないはずなのだが、世界中おそらく一言で言い表せる言葉は存在しないと思うのでこういうのだけど、私は「愛」が、「愛」の存在が私の存在が無くなっても存在し続けると信じられるので、自分の死を受け入れることができるのではないか?と一瞬思うことができたのである。この感想、意味わかりますか?
2021年09月15日
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「春秋の檻 獄医立花登手控え」藤沢周平 講談社文庫 雨が上がったあとの濡れた道を、若い男が歩いていた。 ひと夜降りつづいた雨は、明け方にやんで、道のところどころに水たまりを残すばかりだった。東の空に、雨を降らせた雲が、まだ青黒く残っている。雲にさえぎられて、日の光はまだ地上にとどいていなかったが、日がのぼった証拠に、雲のへりが金色に輝いていた。空気が澄みきって、三月の半ばとも思えないほど、肌寒い朝だった。‥‥(6p) 冒頭である。あゝ藤沢周平の世界だと思う。なんのことはない描写ではあるが、この「若い男」が幸薄い世界を歩いていることだけは、なんとなくわかる。しかし、それは真っ暗闇の絶望的な世界なのではない。 「若い男」は女に会いに来たのであるが、木戸から出てきたのは待ち伏せをしていた岡っ引きだった。お縄になり、牢屋に入れられる。若い獄医の立花登は、診察時に「若い男」勝蔵の頼み事につい耳を傾けてしまう。「ある長屋を訪ねて10両を受け取って、おみつという女のもとに届けて欲しい」。しかし、10両という大金、相手が簡単に渡すはずもなく、登は襲われてしまうのだが‥‥。 藤沢周平の再読である。 でも、私には自信があった。 ・ほとんどが20-40年前の読了なのですじは一切覚えていない。 ・目を瞑って、どの藤沢本を選んでもハズレはない。 ‥‥その通りだった。新鮮に読めた。 わたしは約95%ほどは藤沢作品を読了しているけど、本書は約35年ぶり。発見の多い読書となった。 立花登シリーズは藤沢周平の代表作というわけでもない。最近NHKが溝端淳平主演でドラマ化した、というわけからでもなく、電子書籍で少し安く買えたので暇つぶし用に用意したのだが、表紙をスクロールしたが最後、止めること能わなかった。 著者の狙いは明らかだ。 主人公を短編にちょうどいい設定に作っている。 立花登は地方出身の医者見習いの若者。しかし必要な医術は一応できるから、藪医者の叔父貴の家に寄宿しながら獄医の代診も引き受けている。若いから理想家肌、純粋ではあるが、美人には弱い、また情に流されやすい。その一方で柔術の免許皆伝、達人という腕前だ。獄医者をしているので、犯罪と接点を持つ。武士としての責任はないが、岡っ引きや同心から情報を引き出すこともできる。若いので、無鉄砲に首を突っ込み、早急に解決に導く。 35年前にはわからなかった、立花登の女の色気に敏感な部分や従姉妹のおちえの不良に辟易しながらも時々ドキッとしている部分もわかるようになった。頭は良いし、腕も立つのでなんとか切り抜けるのではあるが、今読むと危なかしくてたまらない。藤沢周平は、そんな彼を息子を見守るように描いていたのではないか。 性悪女を信じて島流しにまでなるのに女に金を渡そうとするいじらしい勝蔵という男や、様々な哀しい男女を描きながら、立花登が若くてのほほんとしていて、それでいて強いので、作品に藤沢初期のような暗さはない。むしろ明るい。 さて、次は藤沢周平の何を読もうか?
2021年09月06日
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「翔ぶ少女」原田マハ ポプラ社 あかん、これ外で読んだらあかんやつやった。 最初から最後までグズグズやって、恥ずかしいたらありゃしない。 1995年1月17日(火曜日)午前5時47分。あの朝のことは忘れない。遠く岡山で遭って「たった」震度4でも岡山県人には生涯初めての揺れだったし、その2週間後ボランティアで行った神戸の風景は、それまでの世界観を揺らがせるには充分だった。全然他人事のように読めんかった。 長田町のパン屋のイッキ、ニケ、サンクの三兄妹は、両親を失い、命を助けてくれたゼロ先生の養子になる。こんな家族もおったはず。原田マハさんは2012年に連載を開始しているから、東日本大震災のあとに書き始めているけど、僕は3年前の西日本豪雨をも思い出した。あのうだるような夏のボランティア作業を思い出した。95年から、災害はいつか日本人の運命と共にある。 喪失とどう向き合うか。 ボランティアとは何か。 生きてゆくとは何か。 丹華(ニケ)は発見する。 ‥‥急に思い出した。 震災の直後に、ゼロ先生に同じことを言われた。 ーギリシア神話に出てくる、勝利の女神や。‥‥言うてもわからへんか。とにかく、女神さまやで。翼が‥‥羽が生えとぉねんぞ。背中にな、こんなふうに、大きな羽が。‥‥ ニケは前を向く。 (2021年9月1日防災の日記入)
2021年09月01日
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「野生伝説 羆風」矢口高雄 ヤマケイ文庫 prime readingで無料で読ませて貰ったが、総計1000頁近くある読み応えのある実録漫画である。大正4年(1915)の12月、北海道苫前に人喰いグマが現れる。袈裟掛けと称される巨大羆は12月9日に主人の留守を守っていた妻と男子を、翌10日に熊狩りを避けて避難していた二家族の女子どもを襲い胎児を含む4名を殺害、3人に重症を負わせ、結局最終的に8人を惨殺した(この事件以前に3人を殺していた可能性もある)。 村人たちはマタギを招集、自警団を組織して迎え撃つが、3回も取り逃す。やがて県組織の到着、熊撃ち名人の仕留めにより翌々日に死体となるのではあるが、その一部始終をリアリズムの極地の漫画によって再現している。戸川幸夫の「羆風」を原作としているが、実際はその小説の基になった木村盛武「獣害事件最大の惨劇 苫前羆事件」の奇跡的な調査記録が原作と言っていいだろう(事件から46年後、昭和36年に生き残りの方々に聞き取りして完成させた)。北海道開拓民と、森の主である袈裟掛けを同等に描き、一人ひとりの殺害場面は、幼児や妊婦といえども一切手加減なしに描いている。羆は羆のルールで、獲物(人間)を殺害し、美味いところを食し、保存し再び襲う。猟師たちは後手後手に回る。事実の持つ重みが、読者を撃つ。 まるで一人で30人を殺した「津山事件」のような悲惨な場面が続くのではあるが、読後感は全く違った。ここで描かれるのは、惨劇の悲惨さというよりも、自然の厳しさである。 半世紀以上に渡り、日本の自然を描いてきた矢口高雄の大人の漫画である。矢口高雄は同じ頃、海津波の恐ろしさを約一年かけて連載したこともある。それはリアルタイムで私は読んでいて、海岸ではあまり揺れは感じなくても、小さな津波でも釣り人にとっては命取りになることをまるでドキュメンタリーを見るように知ることが出来た。自然を甘く見てはいけない。それは海津波で友人を失った矢口高雄の切実な警告だった。 大正時代の開拓民の暮らしや、村人総出の橋作りや、囲炉裏の構造、ムシロのひとつひとつの機模様に至るまで妥協することなく描いていて凄かった。primereadingが読める環境にある人ならば、読んでおいて損はない。 (初出1996-97年「月刊ビッグゴールド」連載)
2021年08月30日
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「閉ざれた夏」若竹七海 講談社 若竹七海の極めて初期の長編。1992年「夏の果て」という題名で発表して第38回江戸川乱歩賞候補になった。文庫ではなく、単行本の感想を述べる。 冒頭モノローグの後には、完全架空の「新国市高岩清十記念館 高岩公園 パンフレット」の資料が出てきて、次に高岩公園地図と清十記念館間取図、清十旧邸間取図が現れる。‥‥こ、これは新本格推理小説の冒頭の体裁ではないか。それにしてもよく作り込まれた世界だ。清十は有島武郎ぐらいの位置付けの、教科書に載っている完全架空の有名作家として出てくる。こういう作り込みが本格の魅力です。これでそのまま乱歩賞を獲っていたら、若竹七海先生は本格推理の大御所になっていたのだろうか。 本書は、乱歩賞最終候補作品を加筆・訂正し「閉ざされた夏」と改題して1993年1月に出版された。表紙裏には30歳そこそこの女性が、かなり緊張した趣の著者近影として「将来が期待される大型新人である」と載っている。既に全ての頁が色焼けしていて、最後の頁には図書カードを入れる袋まで付いている。県立図書館はカードで管理していたのだろう。28年前と言うと、もはやそんなにも「閉ざされた」時代なのかと感慨に耽る。 資料は他にも「特別展企画書」、「企画展パンフレットもくじ」、そして事件にいろいろと影響を与える清十の遺品の数々や遺族の日記などが、さも実在しているかの様に出てくる。図らずも、私の好きな考古学ではないけれども、文学館の学芸員の仕事と生活が、冒頭から1/3ほど使って丁寧に描写される。珍しい学芸員主体の「殺人事件」なのである。 いや、私は殺人事件など起きずとも博物館や文学館、美術館は、本格推理モノには良い舞台と思うのですよ。学芸員の仕事は日々遺物を巡って果てしない推理合戦をしているようなものでしょう。 閑話休題。 新人学芸員の才蔵くんと同居している妹がミステリ作家という設定から、さてはこの妹が探偵役か!とミスリードさせるというなかなか一筋縄ではいかないつくり。犯人の正体も二転三転する。渾身の本格推理である。 おゝ「期待の大型新人だ」読んで行こう、じゃない‥‥。若竹七海作品を年間10冊は読もうシリーズの4冊目。一応季節を考えて選んでみました。
2021年08月29日
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「三体 死神永生(下)」劉慈欣 早川書房 kuma0504「三体が終わっちゃいましたね」 SFファン「終わっちゃいましたね」 kuma0504「どうでした?」 SFファン「素晴らしかったです!ヒューゴー賞、星雲賞ダブル受賞は伊達じゃなかった」 kuma0504「うん、素晴らしかった。重大なネタバレを避けながらあらすじ紹介するのは難しくて自信ないけどやってみます。 文化大革命で人類に絶望した葉文潔が発信した信号のために、地球文明を遥かに凌駕した文明を持つ三体星人の艦隊が400年後に地球征服のためにやってくることが明らかになる。というのが第一部。 相対する人類は地球連邦政府を作ってざまざまに対応するけど、ことごとく失敗する。羅輯が起死回生の手段で一旦成功するのが第二部。 第三部では、成功して抑止紀元が(西暦に換算すると)2208年に始まるけど2270年に破綻、2年の混乱を経て人類の生き残りをかけた計画が始まる。ハン体紀元が2333年より。そして2400年に思いもかけない展開に。実はそこで終わらずに、暗黒領域紀元が1800万年という途方もない時間が続き、それでさえも終わらずに‥‥」 SFファン「おゝなかなかストーリー紹介の匙加減が難しいですね。1800万年ですか‥‥」 kuma0504「言いすぎたかな。でも、言っとくけど、400年後以降まで描いているからと言って、ハッピーエンドじゃないからですね」 SFファン「いや、あれは悪いエンドじゃない気がする。むしろハッピーエンドでしょ」 kuma0504「それは人によって違うでしょうけど、私はむしろバッドエンドだと思います‥‥」 SFファン「訳者の大森望さんは小松左京「果てしなき流れの果てに」や光瀬龍「百億の昼と千億の夜」を引き合いに出していたけど、私も読んでいる間中、アレをもう一回読みたいと思いましたよ」 kuma0504「三体というメインテーマがあるのにも関わらず、途中で三体星人はフェイドアウトしちゃうし、でも最後で少し出てくるんですけどね。それでも三体という星人は智子という魅力的な助演女優賞もののキャラを生んだのだからよしとすべき。彼女はほとんど映画「キルビル」キャラですよ。劉慈欣の凄いのはそういうオタク心をくすぐるキャラを所々配置していること。第三部では「風ともに去りぬ」も重要な台詞とともに出てきた」 SFファン「主演女優賞はなんといっても程心です。彼女の咄嗟の2度に渡る選択が、人類をとんでもない運命に引き入れていくかのような物語になっている。とんでもない美女のようですし、映画化が楽しみです」 kuma0504「映画化と言えば、コレは一体どういう映像になるんだろうかという場面が十数ページに一回はありますよね。(上)では、なんといっても水滴対地球連邦艦隊との無慈悲なまでの戦闘を、それでも映像で見てみたいし、(下)ではサッパリ分からなかった色々な物理現象を、「あゝそうだったのか!」と納得させて欲しい」 SFファン「ふふ、君はホントに理系関係に疎いからね」 kuma0504「ほとんどがそうだと思いますよ。でも理系関係なくて、おそらく哲学的問題で、しかも作品の根本部分で、私は納得いっていない点があるんです」 SFファン「ああ、君が第二部から言っていたあの問題だね」 kuma0504「いやいや、第二部で言ったのは、三体シリーズ全体が中国共産党(三体)と中国知識人たち(主人公)の歴史のメタファーなんじゃないか、という仮説なんですが、全体が共産党批判になっていないからこそ劉慈欣は現在中国のあらゆる公開の場所で自由に動けているようだし、第三部では共産党批判の片鱗さえ見れず、かえって中華思想が所々見えたし(博愛思想も見えたけど)あの主張はとりあえず取り下げます。 ‥‥そうではなくて、問題にしたいのは暗黒森林理論です。それこそ詳しく話すとネタバレに抵触するので難しいんですが、宇宙は実は手探りの暗黒森林みたいなもので、文明を持つ星は他の文明星を見つけ次第、自らが殺されないために相手を抹殺しないわけにはいかない。よって、自分の星の座標を相手に知られることは、自殺行為である、ということです。話し合いは話し合いが可能な距離にあるから可能なのであって宇宙はそうではない。という理論です。つまり宇宙弱肉強食本能論ですね」 SFファン「ホモサピエンスは弱肉強食本能は持っていない、と主張している君には肯定し難い理論だろうね」 kuma0504「いや、本能を持っていないゴリラだって、相手のゴリラを殺す場合があるんです。本能というのは違うかも知れない。暗闇で相手が武器を持っていて、交渉出来ない場合は、殺し合わざるを得ない、特に相手の武器が進歩しない間に先制攻撃しないと自分が必ず殺されるという理論なんです。そこまで未来予測ができるのならば、私は先制攻撃よりももっと他の手段があるように思うんです。ここに出ている暗黒領域防衛もそうなんですが、もっと効果的な防衛手段もあるはずなんです。「銀河英雄伝説」に出てくるイゼルローン回廊は、そこだけがある星域に行くための関所になっているのですが、あれは自然にできた回廊だったのですが、それを人工的に作るとか‥‥」 SFファン「おっと、ここで銀英伝が出てくるのか。確かに、今までの理論をどんどん覆してゆくのが、この本の魅力だったのだから、その理論を覆すことも可能かもしれないね。いやあ、もっといろんな人とネタバレありで語り合いたくなる作品だったね」 kuma0504「作品に刺激されたトリビュート版も近々刊行されるようだけど、完結した以上、全てを図入りで解説して、完全年表も作成したムックを先に出して欲しい。それを叩き台に私のような無知なもんでも十分語り合えるようにしてもらいたいと思います。お願いします、早川書房さん!」
2021年08月19日
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「親切なおばけ」若竹七海・作 杉田比呂美・絵 若竹七海を年間10冊は読もうシリーズ。一応季節を考えて選んで‥‥おや、季節は冬でした(^^;)。 ほんの少しだけ昔、ほんの少しだけ田舎町の、ノノコの家は、かなり古くて傾(かし)いでいる。丸いじゃがいもがいつの間にか転がるほど。 おじいさんは「ねんだいもの」と言うけど、お父さんは「危ないしろもの」という。近所の人は「おばけやしき」という。お陰でノノコは「おばけ」にされて仲間外れ。 ノノコはそんなに悲しくないけど、おじいさんは「優しいおばけになれば、いいことがあるかもね」と最後の言葉を言ってなくなってしまう。 さあ、ノノコにはどんないいことがあったのかな? 光文社文庫本でずっと若竹七海作品の表紙を描いている杉田比呂美さんの絵が優しい。おそらく最初で最後の若竹七海絵本。客観的には辛い現実が、ノノコ目線で優しくなる。それは紛うことなき若竹七海の世界である。
2021年08月19日
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「宮部みゆきの江戸怪談散歩」新人物文庫 中経出版 前半はオールカラーで三島屋シリーズ(「泣き童子」まで)の舞台解説と「幻色江戸ごよみ」などの宮部怪談短編の九編の「場所」を、地図と現代写真で「特定」、また「本所深川ふしき草紙」の七不思議の「場所」を「特定」する。一応季節感を考慮して選んでみました(^^;)。 北村薫とのロング・スペシャル対談を経て、宮部の怪談短編(「三島屋シリーズ」の最初と「だるま猫」)と宮部みゆき推薦話2つ(「指輪一つ」岡本綺堂、「怪の再生」福澤徹三)を載せる。 本書は新人物往来社『やっぱり宮部みゆきの怪談が大好き!』(2011)に、大幅修正を加えて再編集したものらしい。宮部みゆき責任編集とあるからには、三島屋の場所とかの「特定」は信頼できると思う。 1番の価値はやはり前半であり、これを手許に東京散歩を是非ともやってみたい。よって電子書籍版(大幅割引の時)で購入。いつでも持ち歩ける。 もう一つの価値は、岡本綺堂「指輪一つ」だろう。江戸時代の半七も出てこない、岡本綺堂のいわば「現代もの」なのではあるが、なんと1912年の関東大震災直後の状況をつぶさに描いている。というか、ふとした瞬間にこれは2011年を描いた小説かと思うくらい、関東から少し離れたところの「庶民」の反応が似通っている。もちろん、少し怪談めいたこともあるのだけど、こういうこともあったんじゃないか、岡本綺堂は誰からかこの話聴いたんじゃないか、ホントにあったんだとしたら怖いけど良かったねとさえ思うのである。
2021年08月10日
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「八月の降霊会」若竹七海 角川文庫 若竹七海を年間10冊は読んでみようシリーズ。一応季節を考えて選んでみました。他に事前情報はなし。読み終わって98年の書き下ろし本だと判明。どう考えてもクローズドサークルのミステリでしょ。 私は最後の最後まで、そう疑わなかった。いや、今も信じている。私は頭が悪いので、理解しきれていないだけなのだ。種明かしのないミステリなんて、東野圭吾さえ2冊も書いているし、探偵役のいないミステリなんか山ほどある。 もちろん、ホラーなんかじゃない。幽霊なんてホラ1人も出ていないし、不思議なことはあったけど、人が呪い死になんて、多分していない。いや、もちろんしていない。誓ってもいい。でも人はキチンと死んでいる。 絶対◯◯◯◯◯じゃない。絶対ホラーじゃない‥‥。
2021年08月09日
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「小川洋子の陶酔短篇箱」河出書房新社 7月の初め、兄貴が急逝した。4時間前にはプールにも行っていたのだが、突然心臓近くの大動脈が乖離して鼓動が止まった。意識がなくなるのに15秒とも掛からなかったろうと、医者は言った。 数日後、定年後のアルバイトの仕事先から読みかけの図書館本が届いた。それがコレである。どう考えても読書家ではなかったのに、どうして小川洋子なのか。晩年病院に縁のあった兄貴は、誰からか、岡山県で暫く病院秘書の仕事をしていた小川洋子の話を聞いたのかもしれない、とも思った。何故これを選んだのかを知ろうとして、本書を開いた。そしたら、案に反してアンソロジーだった。 1. 河童玉(川上弘美) 2. 遊動円木(葛西善蔵) 3. 外科室(泉鏡花) 4. 愛撫(梶井基次郎) 5. 牧神の春(中井英夫) 6. 逢いびき(木山捷平) 7. 雨の中で最初に濡れる(魚住陽子) 8. 鯉(井伏鱒二) 9. いりみだれた散歩(武田泰淳) ここまで読んで、ほぼ半分。 全ての短篇に、小川洋子の2頁程の、解説のようには思えないエッセイがつく。 実際は、すべて小川洋子の新作短篇なのではないか?と思わせるようなアンソロジーだった。 ここまで読んできて、 人から勧められたのか 自分で図書館で数編読んで借りたのか わからないけど この本の抗いようにない特徴がわかってくる 総ての作品に、水のようにヒタヒタと沁みこんでくる死の翳が見えるのである。まさか自らのあまりにも速い死を予想していたはずはないが、それでも通常人よりは敏感になっていたはずだ。 河童は、庭園の池の築山の奥の限りのない奥に舟を進めてゆく。まるで冥府に行くかのよう。 武田泰淳は、散歩途中に太宰治の入水した川を眺め、または自らガス中毒に遭った経験から川端康成の自殺時の心境を想像する。自らの言っている言葉がおかしくなり、意識が朦朧として倒れたそうだ。まさか、コレが兄貴の最後の読書じゃなかったろうな。 10. 雀 (色川武大) 11. 犯された兎 (平岡篤頼) 12. 流山寺 (小池真理子) 13. 五人の男 (庄野潤三) 14. 空想 (武者小路実篤) 15. 行方(日和聡子) 16. ラプンツェル未遂事件 (岸本佐知子) 何故コレを選んだのかは、とうとう分からず仕舞いだった(←当たり前だわな)。 もう全ての短篇が、彼の最後の読書のような気がする。 今でも、マクドの席でうたた寝をして、ふと起きると隣に「俺死んだのか?」と言って芒洋と座っている気がする。
2021年07月29日
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「その果てを知らず」眉村卓 講談社 SF作家眉村卓の遺作である。2019年11月3日死去、2020年10月20日発行。 何度目かの入院生活をしているSF作家映生(84歳)は、ある日、天井から剥がれ落ちようとしている透明薄膜などが見えてくる。彼はそれが幻覚であることを自覚して観察している。それ以降さまざまな幻覚がやってくる。やがて映生はエッセイのようなSF黎明期の話を書き出すが、やがておかしな方向に話が進んでゆき‥‥。 まるでエッセイか小説か、前衛的なSFか、わからないような作品。映生の過去の話は、少しSFを齧った者には直ぐにモデルがわかるようなことばかりだと思う。私のような者でも速水書房が早川書房、「月刊SF」は「SFマガジン」、「原始惑星」という同人誌は「宇宙塵」、光伸一は星新一、毛利嵐は小松左京、会津正巳が初代マガジン編集長の福島正実、林良宏は次の編集長の南山宏とピンとくる。もしかしたら、ここで初めて明かされる秘話もあったのかもしれないが、私はそこまで詳しくはない。 私の父親は大手術の後に深夜明確な幻覚を見たが、ホンモノだと言って譲らなかった。回復した後は、そんな幻覚なぞ忘れたように3年間過ごしたが、最期の時が近づいたころふと「あゝ分かったぞ、ホントのことが」などと言っていた。幻覚と現実の狭間を「自由に」往来した眉村卓さんは、人生の仕舞い方について、その一つの典型を、私に提示してくれた。 映生(眉村卓)さんは、最後の方でテイニー(瞬間移動)能力さえ身につけ、林良宏から宇宙の秘密を授けられる。実際、何処から狙って構成された小説で、どこから本気の幻覚小説だったのか、わからなかった。真面目な読者は「こんなの小説じゃない、SFでもない」と怒るかも知れないが、私はアリだと思う。そもそも、SFって、こんなモノだった。
2021年07月28日
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「女の園の星2」和山やま FEEL Comios swing みなさん が読みながら クスクスしているのが 目に見えるようで幸せになります 何処でハマるか きっと人それぞれ うどんまん有段者のくだりか 中村先生の新しい彼女(人間とは限らない)か 小林先生が 早く帰りたいけど熱中する タペストリーつくりのくだりが 私の月一回の新聞つくりと重なって 大笑いが止まらず、周りを見まわしました 緑川先生の 大スキャンダル(じゃないけど) 女子高世界を震撼させる「あの」情報が 教頭辺りから漏れないかな、と心配する私は ちょっと悪魔でせうか 女子高生も先生たちも みんな同じような面長で みんな同じような美人美男ばかりなのは 誰かの女子高生の脳内世界なのでは、とふと思った
2021年07月27日
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「サンタクロースのせいにしよう」若竹七海 集英社文庫 気がついてみれば、昨年は若竹七海の葉村晶シリーズと御子柴くんシリーズを一挙に9冊読破していた。もしかしたら、あと少し頑張れば若竹七海をマイファンリスト(著作物の8割以上を読む)に入れることができるんじゃないか?という目論見で比較的初期の本作を紐解いた。結果、リスト入りを目指すことになりました。 葉村晶みたいな個性的な探偵が出てくるわけでも、御子柴くんみたいな情け無い刑事が出てくるわけでもない、主には銀子お嬢さんの家に居候を始めた柊子さんの、ご近所で起こる日常の謎を解くコージーミステリ。探偵役は柊子さんの場合もあれば、友人の夏見さん、銀子さんの腹違いの兄・竜郎さんの場合もある。読んで社会情勢に詳しくなるわけでも、人生の教訓を得るわけでも、涙を絞る癒しの場面があるわけでもないが、やはり相性が良いのか、ともかく楽しく次々と読んでいられる。姪っ子のお喋りに付き合っている、というような感じ。読んでいると、時代を感じる日常品が次々と出てくるのも良し(ハンディカメラとか)。 あと2年ぐらいしたら、「最近はちょっと若竹七海に凝っててね」というようなことも言えるかもしれない。 初出誌「小説すばる」 あなただけを見つめる 92年8月号 サンタクロースのせいにしよう 93年1月号 死を言うなかれ 93年4月号 犬の足跡 93年7月号 虚構通信 93年10月号 空飛ぶマコト 94年1月号 子どものケンカ 94年4月号 主な登場人物 岡村柊子 彦坂夏見 松江銀子 曽我竜郎
2021年07月22日
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「三体3死神永生(上)」劉慈欣 早川書房 表紙は一つの星の崩壊場面である。これが地球ではない保証は何処にもない。 上巻を読み終わった。ホントにSFなのか?上げて下げて、上げて下げて、もう一度上げて。普通これで物語を終わらすでしょ?未だ半分なの? このシリーズ全体に言えることなんですが、ケレン味たっぷりなんですよ。SF理論部分はついていけない程に専門的なんですが、ストーリーは作者か若い時から浴びて来た〈最近の〉小説や映画が基になっているに違いない。 例えば、本書の1/3を占める第一部は、ほとんど韓流恋愛ドラマです。 「三体危機」が世界的に知れ渡った頃、独身の一介の研究者が末期癌で死にそうになっている。そんな時に友人がやってきて「あのときのお前の一言で俺は億万長者になれたんだ」と言ってポンと300万元くれる。男はそのお金で自分の癌を治せないと確認すると、学生時代の片思いの女性のために、北斗七星のそばの5.5等級の恒星をプレゼントすることを思いつく。三体危機の下、国連が資金集めのためにそんな詐欺紛いのことまでやっていたのである。その女性は匿名のプレゼントに小躍りして喜ぶ。お互い天文学徒だったので、プレゼントの価値はよくわかるのである。一方、優秀なその女性は、三体世界に人間の「脳」を送り込むという「階梯計画」の担当者だった。男は安楽死法のもと、死のうとしていた。正にその時、男の前に片想いの彼女が現れる。「安楽死法は、階梯計画の候補者を見つけるために作られたのよ」。おゝこの気持ちのすれ違い!!彼女は、男のことが何故か気になり候補者から外してもらうように画策するが、すればするほど男の候補的確%は上がってゆく。女性に、男がプレゼントの渡し主と知らされたのは、男の「脳」を乗せたロケットが三体艦隊に向けて発射された後だった‥‥ ベタベタの恋愛ドラマじゃないか。 ところが、これが壮大なSF展開の伏線かもしれないのである(多分そうだろう‥‥)。 女はあくまでも美しく描かれて、男はあくまでもカッコよく描かれる。大衆や政府は情勢次第で敵になったり、味方になったり目まぐるしい。 ちょっとあざといぐらいの大衆文学である。あと一巻、どう決着つけるんだろ。 ‥‥ところが、直ぐにも読みたいところなのに、手元に下巻がない。数日前までは予約ゼロだったのに、今日見たら私含めて予約が3人。まるで本作のように先が見えない。次のレビューは1.5ヶ月後ぐらいになるかな。 不気味なのは、序文にあたる「『時の外の過去』序文より抜粋」という文章である。かつて作者が引用したことのある『銀河英雄伝説』の真の主人公は、ラインハルトでもヤンでもなく実は「後世の歴史家」であるというのは、ファンの中に一定支持のある定説である。その段でいくと、突然出てきたこの『時の外の過去』という書物(?)は、自ら「過去に起きたことではなく、今現在起きていることでも、未来に起きることでもない」と説明している。勿論、その言い方自体が伏線なのは間違いないが、私が言いたいのはそのことではなく、この未曾有のベストセラー小説の全体構造を示しているとも思えるからである。そのことの言及は、次巻に譲りたいと思う。
2021年07月14日
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「かがみの孤城(下)」辻村深月 ポプラ文庫 13歳は、1日で「おとなになる」ことがある。それは奇跡なんかじゃない。ちゃんと理由のあることだ。もちろん私は物凄く焦(じれ)ったかった。下巻でキチンと伏線回収はされるのだけど、半分くらいの伏線は私は気が付いていた。上巻でみんなどうして気がつかないのか、これも中学生だから未熟なんだろうか、等々思っていた。でも「気付きたくない」という気持ちが(どこにも書いてないけど)みんなの中にあったとしたなら、分かる気もする(リオンだけは自覚的に避けていた)。ずっと温めていた幾つかの仮説と、あの危機の場面と、その直前の東条美織との会話で、こころの中で一挙に点と点が繋がったのである。 あの日が分水嶺だった。いつの間にかそこまで辿り着いていた、というわけだ。その日から、水は反対方向に流れ出す。 中学生には良い読書体験かもしれない。 この半世紀で、小学生の名札に名前や住所を書くことはなくなり、幼稚園児の集団登校はなくなり、車の送り迎えは当たり前になり、不登校は当たり前、イジメをどうやり過ごすのかは全ての子供が身につける技能になり、ランドセルはカラフルになって男と女の区別はなくなり、教師はPTA対策だけで深夜残業、精神疾患になり‥‥というような噂が私のもとに届く。みんなそれが当たり前という。それの何処が当たり前なんだろうか。私は理解しきれない。不登校の子どもも、だからではないけれども、理解しきれない。 この半世紀で、ムラ社会たる昔ながらの共同体は壊され、日本で数人の被害体験は瞬く間に拡大共有されて、すべての日本人の共通課題になる社会が到来しているのかもしれない。もちろん、アンタには分からんよ。そういう声も聞こえる。アンタは、その数人になったときの痛みを経験するはずもないからな。そうなんだろうな。だから時々こういう小説でメンテナンスをしている。
2021年07月07日
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「かがみの孤城(上)」辻村深月 ポプラ文庫 私は滅多に小説家の幅は広げない。流行は追わない。そうでなくても、人生は短いのに‥‥。けど、本屋大賞を獲った作品は読むことにしている。直木賞ではなく本屋大賞を、私は流行小説の「鏡=窓」としている。 重松清以外に「イジメテーマ?」の本を久しぶりに読んだ。私は、イジメとか不登校とかよく分からない。そういう体験をした「リアルな友だち」が居なかったのが大きいと思っている。ホントにいなかったのか?アンタに見えていなかっただけなんじゃないか?うーん、中学生3年間で同学年で2人だけ「落ちこぼれイジメ」は、あったと思う。何故かその2人には慕われていた。その2人が大人になってからの運命を考えると、「いったい僕に何ができたのだろう」と無力感を覚えるけど、此処で語る話ではない。 上巻の主人公・こころの心理は詳細に描かれているので、不登校になった経緯はよく分かる。あと6人の事情や、「かがみの孤城」そのものの「謎」は、まだ材料不足だ。半年も経っているのに、まだわからないのか。その辺りが、こころの未熟なところなんだろうか。それとも、私が中学生の時はこれぐらい未熟だったのかな。今のところは、こころには共感できない。 さて、これから下巻を紐解く。
2021年07月07日
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「進撃の巨人」全34巻 諫山創 講談社コミックス 28-33巻を読み返し、最終巻を読み終わった。傑作。 このマンガを読んだからと言って、貴方が賢くなるわけではない。この残酷な「貴方の世界」の仕組みが分かるわけではない。この残酷な「貴方の世界」の過去や未来が分かるわけではない。 例えば、32巻でマーレのマガト元帥は、マーレの正義を語ったことをエルディア人に率直に謝っている。 「同じ民族という理由で過去の罪を着せられることは間違っている」 マーレ人は、巨人能力で過去に大殺戮を行ったエルディア人をずっと恐れて「悪魔の民族」と呼んでいた。一方で、その力を利用し支配し侵略の道具としようとしていたのである。 作者は、今までお互い戦ってきたマーレ側とエルディア側とが共闘を組む直前に、お互い言いたいことを言い合う場面を作った。 エルミンは、死地に赴こうとする元帥に言う。 「手も汚さず、正しくあろうとするのは断りたい(←私も手を汚す)」。 「この物語において」の「落とし所」はこうだったのかもしれない。けれども、それが世界の(例えば日本とか韓国とかの)民族対立の「落とし所」になるかと言うと全然ならない。 例えば、パラディ島の壁内世界の話は、「ひきこもり問題」「イジメ問題」「ブラック企業問題」を反映していると思ってはいけない。 例えば、マーレ攻略を目指して、調査兵団側と反マーレ義勇兵の分裂は、日本戦中の皇道派と統制派を想起させる。「地鳴らし」という巨人最後の手段は核兵器等の究極兵器を想起させる。また、それが「抑止力」という考えにも繋がっている。「悪魔のエルディア人教育」は、かつてのいや、これからの洗脳教育をも想起させる。 ‥‥でも、それをいくら分析しても、現代の問題の分析には役立たないだろう。 それでも、いやそれだからこそ、「進撃の巨人全34巻」は、物語で完結していて普遍性を持っているということもできるだろう。現代世界を寓話で鋭く批判すれば、その射程は数十年間しか保てない。「ガリヴァー旅行記」のように、現代社会から離れれば離れるほどに、その射程は遠くまで延びるだろう。このマンガは、平成時代後期の代表的な漫画として確固とした地位を築くだろう。 最後の16頁は、「天と地の戦い」の後の「人類」のおそらく100年間の歴史を駆け足で見せた。アルミンの予想通り、戦いを終わらせた彼らはいっときの平和をもたらしたが、戦争がなくなるわけではない。最後の場面が、自然と少年だったのは、作者の立ち位置がわかった。「良きかな」と思う。
2021年07月07日
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「萩尾望都作品集5 3月ウサギが集団で」萩尾望都 小学館 作品集は約40年ぶりの再読。多分この本を一番何度も何度も読んだと思う。日本舞台が多いし、明るいボーイミーツガール作品が多いというのもあるかもしれないが、読んで飽きなかった。大泉の下宿で、たくさんの漫画家の卵が入れ替わり立ち替わり出入りしていた頃の作品で、女子の姦しさ、若手漫画家が夫々に影響し合い時々現れる異質なマンガの線、ハッとする表現、台詞回しを歌に変えればまるでミュージカル‥‥、その当時でも、とても10年前の作品とは思えなかった。最近の少女マンガをざっと眺めてみて、テンポだけを注目しても、もはやこんなマンガは皆無に近い。 (1)「ごめんあそばせ」(72年1月作成、週刊少女コミック3月12号、50p) (2)「毛糸玉にじゃれないで」(71年12月作成、週刊72年1月2号、24p) (3)「3月ウサギが集団で」(72年1月作成、週刊72年4月16号、40p) (4)「もうひとつの恋」(71年8月作成、週刊71年9月39号、40p) (5)「妖精の子もり」(72年3月作成、別冊72年5月号、15p) (6)「10月の少女たち」(71年8月作成、COM71年10月、23p) (7)「みつくにの娘」(71年11月作成、別冊72年1月15p) ※週刊、別冊ともに小学館少女コミックの事。 作成、掲載順とも全て順不同ではあるが、コレはコメディから始めてしっとり終わらせる、編集上の都合以外の意図は無いだろう。 大泉下宿時代は、70年11月から始まり、72年12月に終わったので、ちょうどその真ん中の時期に描かれたことになる。 (1)は、「小鬼みたいな女の子エマを中心にした、キーロックスというグループサウンズのお話」だが、キーロックスは高校3年時に福岡で参加していた漫画同人誌の名称だし、同じ内容の作品が68年「別冊マーガレット」金賞を獲っている。しかし編集部にイチャモンつけられて掲載をやめた。これは、そのリライトで間違いない。隅の「落書き」に、「ここはあしべつ北国の町のササヤナナエターンのおうちで、しこしこおしごとしてんの‥‥ナナエタン、カゼヒイタッテ‥‥」又はローマ字で「野も山も木々も屋根も全てが白い。芦別の一月‥‥あゝ‥‥ここはサンタクロースの国です。今こそ見つけました」と書いているのを発見した(←昔は作品中に作者の呟きを残すことが流行っていた)。71年1月、萩尾は北海道のささやななえ宅を訪れている。そこでこの作品の仕上げをしたということだ。3年前の原稿そのままではなく、描き直しをしたのだ。そういえば、スクリーントーンは少しは貼ってるが、異常に手描きの背景が多い。トーンをあまり持っていってなかったのだ。それがこの作品の味と密度にもなっている。ささやななえはその2ヶ月後、大泉の萩尾宅を訪れ半年間居候をする。 (2)この頃、萩尾望都は拾ってきた猫を飼い始めた。その経験をそのまま描いている。しかも一コマだけ、キャベツ畑が続く、当時の大泉の「風景」が描かれている。中学受験生の心情を、かなりリアルに描いた。 (3)可愛いのんの(鈴木乃々)の恋愛をクラス全体で盛り上げる、美月中学(三月中学)の生徒(3月ウサギ)の話。7人ぐらいちゃんとキャラ立ちしている。コメディ部分と、陽を翳したり悩みが流れてゆく詩情描写のバランスが良い。「半分は事実をもとにつくっている。ざまぁみろ」という「落書き」もある。自転車の教室持ち込みや、ラブレター放送事件などは、ホントにあったのかな? (4)男女の双子もの。またもや一種の「取り替え」が起こる。 (5)こちらは、義兄妹になる前の「ボーイミーツガール」。全てのコマがチカチカ輝いている。この頃描いた「ポーの一族」の先駆け短編「マリーベルの銀の髪」を彷彿させるコマが凡ゆる処にある。 (6)「妖精」とこの作品を、私は何度読み込んだことだろう。印象的なコマのオンパレード。SFやファンタジー作品以外ならば、1番好きかもしれない。「トゥラ」と「真知子」と「フラィシー」の10代から20代初めの女性目線の3話オムニバス(←たった23pの中に!)。手塚治虫「COM」の女性マンガ特集号に載った。「女の子って‥‥おとななのか子どもなのか、てんでわかんないや」というロビーの呟きは、全ての男の子の悩みだと思う。 (7)ラストの娘の姿は、男にとっては「永遠」なのかもしれないが、女性にとってもそうなのだろうか。 いろんな所に、今読んでいる本が落書きされたりセリフで使われたりしている。曰く「10月はたそがれの国(ブラッドベリ)」「犬になりたくなかった犬(ファーレイ・モウワット)」「ウは宇宙船のウ(ブラッドベリ)」またはアシモフ‥‥。萩尾望都の読書傾向がよく分かる。それらに混じって71年12月、「キは吸血鬼のキ」と書いている。「ポーの一族」のアイデア帳がどんどん溜まっていった時期なのだろう。
2021年07月06日
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「萩尾望都作品集4 セーラ・ヒルの聖夜」萩尾望都 小学館 主な短編5篇のうち、4篇は萩尾望都が竹宮恵子と大泉で一緒に暮らした2年間の前半8-10月で描いた作品。本書と次の第5集が、第一期萩尾望都のモスト・リア充だった時の作品群である。 (1)「ケネスおじさんとふたご」(69年8月作成、小学館「少女コミック」別冊9月号、31p) (2)「秋の旅」(71年8月作成、別冊10月号、23p) (3)「白き森白き少年の笛」(71年9月作成、週刊11月45号、31p) (4)「11月のギムナジウム」(71年9月作成、別冊11月号、44p) (5)「セーラ・ヒルの聖夜」(71年10月作成、週刊冬の12月増刊号、79p) 全部季節に合わせた作品を描いているが、アメリカ西部コメディ、ドイツの実の父親、幽霊もの、少年寄宿舎マンガ、聖歌隊と、全部ジャンルが違う。でも全てリリカルな詩情が溢れている。 双子が出てくるのは、(1)(4)(5)だ。思えば、萩尾望都は双子が好きみたいで、他の作品にも頻出する。それが、やがて「半神」という名作双子モノに結実するのかもしれない。 「11月のギムナジウム」は、1974年の名作「トーマの心臓」のパイロット版のような作品だ。この短編集では1番物語の密度が高い。当時既に「トーマ」は構想ができていたので、そのパラレルワールドをつくったのだろう。キス場面があるからと言って少年愛モノではないことは読めば分かる(そもそもゲームのようなキスであった)。後に萩尾望都は言っているが、「少女同士のギムナジウムを考えると大きな行動を起こせないけど、少年だとしっくりくる」萩尾望都が現代にギムナジウムを描けば、迷うことなく少女を主人公にしていたかもしれない。 この時期から、萩尾望都のコマの構図がかなり凝ってくる。「白き森白き少年の笛」の流れるようなコマ割りは萩尾望都の独壇場だ。「ギムナジウム」でオスカーか気絶したフリをしたコマの色っぽさは、下から見るアングルによっている。コレと同じ構図は「小鳥の巣」でも使われた。下から見上げる構図、上から見下ろす構図、まるで映画のような構図は、おそらく萩尾望都から周りへ伝染したのではないか。また、コマが流れて水のように見える絵柄は萩尾望都から始まった。この叙情性は少年漫画では出せなかったのである。
2021年07月06日
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「ケーキ ケーキ ケーキ」萩尾望都 小学館 暫く70年代初めの萩尾望都を追う。初の長編作品である。1970年、講談社「なかよし」の編集部が、萩尾望都が両親の反対を押し切って上京できるように別冊2号分、原作つき(一の木アヤ)の仕事を用意した。260頁、26万円だった。萩尾望都上京直前の作品である。 他の短編とは全く趣きが違う。コマ割りはハッキリして、線は太い。コマは1.5倍ほど大きくなった。物語も、憧れの菓子職人目指してパリに行って成功する単純なものだ。けれども、今から考えれば「庖丁人味平」などが席巻する暫く前の、料理漫画の先駆け作品だった。 萩尾望都は、パリのことなど全く知らないので、友達が見かねてアシ先の自分の「先生」を紹介。パリの菓子店の様子を語らせてくれた。萩尾望都憧れの人、手塚治虫である。1970年の春は、手塚治虫が社長になっている虫プロ商事、そして「COM」が危機的状況に陥っていた時期だった。そんな最中にアシスタントが「有望な漫画家志望が困っている」というだけで、ちょっと前にパリに行って帰ってきただけで、時間を作ったということだ。手塚治虫は事業者としては失格だったけど、ただただマンガが好きで、マンガを好きな人を好きなんだったんだと思う。 作品は、原作と読者対象者を気にしたせいか、萩尾望都本来の抒情性はない。そうは言っても、リアルさは追求された。何度も編集部と対立したらしいので、何処か萩尾望都の置かれている状況は生きている。 お姉さんのように文学的才能も音楽的才能もなくて、お菓子にしか興味がない主人公の境遇は、両親にとっては山師のようなマンガにしか興味がない娘を、条件つけて上京させたのと似ている。 パリの菓子店親方は、「女の子は職人にむかない」という。「女は長い髪をしている、スカートをはいている、化粧もする、香水もつける、男より体力もない、おまけに結婚という逃げ場もある」という。偏見ではない。「長い髪なぞ不衛生だ、化粧の匂いは菓子にうつる、かまどでやけどする、メレンゲをつくるには体力がいる」説得力があるのだ。現代でも、「コレは区別か、差別か」に通じる問題である。当然、主人公は次の日髪をばっさり切って、ズボンをはいて、荷物を持って住み込で頑張ってゆく。この辺り、一の木の発想だろうか?萩尾望都の発想だろうか?ともかくジェンダー平等漫画の先駆けかもしれない。 これは1970年の「なかよし」別冊9-10月号に載った。一般大卒男子の半年分の資金を得て、11月、萩尾望都は竹宮恵子と一緒に大泉のボロい二階建ての借家に引っ越すのである。
2021年07月06日
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「塔のある家」萩尾望都作品集2 小学館 最近、70年代始めの萩尾望都についていろいろ学んだので、改めて読み返してみた。おそろしい。20歳ほどの女性が、ほんの数十ページの中に「世界」を描き、その終わりを恐れ、その愉しみを謳歌していた。 この短編集、全て素晴らしい。短評を載せる(本書には原稿完成時の記録しかない。他の資料から初出時の記録も載せる)。 ⚫︎「モードリン」(1969年5月作成、週刊少女コミック71年7月18日号以下「週少」40p) 講談社「なかよし」の没原稿。心理ミステリである。大好きなウィルおじさんの殺人を目撃したモードリンが、「秘密」を知ったことで大人になった気分になるが、ある日その事がわかったウィルはモードリンを殺そうとし‥‥。この時代、少女マンガでこんな見事なミステリ‥‥。 ⚫︎「かたっぽのふるぐつ」(70年12月作成、「なかよし別冊」71年4月、31p) 誰も評価していないが、ほぼ完璧な公害批判マンガ。名作だ。それを、小学生5年の教室の出来事として描き切っている。 スモック警報がでるような町で、仲良しのシロウとユウは、社会科で「公害」を討論した。その夜、シロウは工場に勤めている父親に聞くと最新機械を入れたから身体に害はないと説明された。それをしっかりモノのヨーコに聞くと、「実際には公害はあるじゃない。まだいい機械はできていないのよ。でも町の発展のためには仕方ない」という。これを「原発」に換えても、そのまま現代に発表できる。いや、現代誰も、少女マンガでこんな「原発マンガ」なんか描いていない!萩尾望都が2011年7月発売のマンガで、いち早く福島原発事故を描いた(「なのぬはな」)のは、決して偶然ではない。 (70年当時は「公害」は未来の見えない大問題だった。私の地域の水島も同じ問題を抱えていた。いっとき幼いわたしは、やがてはわたしの町まで公害の煙がやってきて住めなくなるんじゃないか、と兄にようやく伝えて泣き始めた事がある。) ユウは夢をみた。 「第三次世界大戦さ 石油コンビナート対人間の の」「石油コンビナート怪獣がごうごうとやってくる」‥‥彼は逃げ遅れる。様子を伺うと、アイツは町の真ん中に腰を据えて世界を終わらしてゆく。‥‥「ロケットでわずかな人々が月へ逃げた」「月から見ると地球はよごれて真っ赤だった。充血した目みたいにさ」‥‥ この夢の話をした数日後、ユウは公害のために亡くなるのである。ユウの姿は、やがてポーの一族の「小鳥の巣」で、エドガーたちがやってくる前に亡くなったロビン少年にソックリだ。 またはその構造は、もうまるで、その後の萩尾望都のSFの原型でもある(cf.スター・レッド、銀の三角)。これを大泉に越した直後に描いている。福岡の大牟田の炭鉱町の空気を敏感に感じ取り、それを昇華して公害問題も勉強して、こういう小学生問題に作り替え、新しい環境で一気に仕上げたのだろう。‥‥けれども、「なかよし」読者には受けなかった。現代も評価されていない。他にも名作は山ほどあるので仕方ないのだけど‥‥。 ⚫︎「ジェニファの恋のお相手は」(71年1月作成、「なかよし」4月号、30p) 60歳おばあちゃんと17歳堅物少女との「とりかへばや物語」。えっ、この内容がたった30p? ⚫︎「塔のある家」(71年2月作成、週少3月、30p) 大泉時代に本格的に作った作品で、週刊少女コミックに載った短編。ヨーロッパを舞台にした、幼い頃は塔の3人の妖精が見えた女性の、半生。 ⚫︎「花嫁をひろった男」(71年3月作成、週少増刊4月号、31p) コメディタッチのサスペンス。明るいし、天然な女の子も出てくるけど、人は3人殺されている。コイン入れて体重測るのと同時に「今日の運勢」まで出てくる機械、この時代あったのかな?「たいへんラッキーなひろいものをします」と出てくるけど、この花嫁、3人も婿を殺している可能性がある、というところから始まる物語。上手いなあ。 ⚫︎「かわいそうなママ」(71年3月作成、週少別冊5月号、30p) 萩尾望都版「恐るべき子供たち」。知る人ぞ知る傑作。これを母の日特集の別冊で掲載する小学館も、恐るべし。 ⚫︎「小夜の縫うゆかた」(71年6月作成、週少増刊8月号、15p) この短編集でキチンと覚えていたのは実はコレだけだった。人も殺されないし、恋も実らないし、外国じゃなくて純粋日本だし、でも今でも読んであゝ日本の情緒だなぁと感心する。それでも、小学一年生の浴衣を小袖のように被って提灯下げて持って行ってしまった女の子のエピソードのコマや、ラストページの時間が溶け出したような描写は、まさしく萩尾望都なのである。 この短編集だけでも、このバラエティ!!大泉時代、最初の半年間の作品。 最初、萩尾望都のファンだった竹宮恵子が、やがて同部屋の物静かなこの同年代の作家を恐れ、妬んでいくのもわかるし、小学館の編集者が毎回出てくる作品の、引き出しの多さ、完成度の高さに、「一切注文をつけない、全て無条件に掲載する」という方針を立てたのもわかる気がする。
2021年06月28日
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「台北プライベートアイ」紀蔚然 舩山むつみ訳 文藝春秋 kuma0504は、2017年1月3日(火) 台湾旅行最終日の6日目の午前中、当てのない散歩に出かけた。台北駅前から東へ青島東路を歩く。日本統治時代の古そうな家屋を眺めながら、やがて中正区の斎東街を過ぎて昔も今も高級住宅地だったところを過ぎる。文化里の公民館には掲示板があり、「寒冬送暖(お茶会)」や「農民暦・月暦」の無料配布の案内チラシなどが貼られていた。金山南路と仁愛路の交差点を過ぎて、kuma0504は永康街に入った。庶民の台所たる賑やかなところを通り過ぎると、和平路にぶち当たり大安森林公園に入った。公園には時々リスがいるのだが、今日は出会わなかった。南の出口からお粥街に入り永和豆漿店で遅い朝食を食べて、地下鉄大安駅から台北駅に帰った。 台北の地理に詳しい人が読んだのならば、kuma0504がどのように歩いたのか、手にとるようにわかるだろう。特にあらゆる道路は名前がついているので、どの道とどの道との交差点かを言えば、誰もがその場所を特定できる。台北は台湾という国の首都ではあるが、その中心部の中心地は、このように朝の散歩で一回りできるほどの広さなのである。本書には目次の後に台北市地図がある。それを見ると、終了地点とした大安駅から、もし30分ほど更に東へ足を延ばしたならば、kuma0504は本書の主人公呉誠の散歩コース、臥龍街周辺にたどり着いただろう。そうしたら、それまでは碁盤の目のように道路が交差していたのに、突然迷路のような昔ながらの町の中に入ったに違いない。本書は臥龍街を舞台にして、突然迷路のようなサスペンスが始まる探偵小説である。 呉誠(ウー・チェン)は、プライベートアイ(私立探偵)ではあるが、一方では台北という新しくて古い街を縦横に歩き回るプライベートアイズ(秘密の目)を持った男であり、その目を通して魅力的な街を散歩した気分になる本でもある。元刑事とか、華々しい迷宮事件を解決したとかの過去があるわけではなく、まぁ離婚したて大学教師辞職したてで、精神病疾患を治すために趣味で探偵業看板を掲げたばっかしの「素人」ではある。でも素人は侮れない、というのも古今東西の真理ではあるだろう。これも立派なハードボイルド探偵小説に入れてもいいんじゃないか。 台北は、DNA捜査を当たり前にやっているし、日本ばりに監視カメラ社会になっている一方で、文明によって飼い慣らされることを拒否する都市だ。紙銭に火をつけ飛び越えて猪脚麺線(豚足入り煮込み素麺)を食べれば厄落としが出来ると皆んな信じていて、呉誠がある事件に巻き込まれて容疑者になって、なんとか釈放された時には二つの家族が別々にそれを用意していた。事件は起きて解決するのだけど、kuma0504が楽しんだのは、台北プライベート日記だった。←おゝとうとう「事件」の内容は一言も紹介しなかった!
2021年06月27日
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「ひきこもり図書館」頭木弘樹編 毎日新聞出版 13年間のひきこもり経験のある著者の選ぶ「部屋から出られない人のための」アンソロジー。私はひきこもるタイプではないけど、今までにない視点で物語を読むことができて、とっても満足です。 引き篭もり止めたら、こんな楽しいことがあるよ、というような物語は12のうちひとつもありません。引き篭もるとこんな新しい発見があるよ、という話がほとんどです。ひきこもり部外者には、ひきこもりたちの声にならない声の代弁を聴いた気になります。朔太郎やカフカや星新一やポーや萩尾望都が、代弁をやってくれている。 私としては、岡山在住の日本民話の会会長立石憲利さんが採取した「鬼退治に行かない桃太郎」がお気に入り。完全岡山弁で、みんな意味わからんところもあるじゃろうけど、とっても身近じゃった。 萩尾望都の「スローダウン」(1985.1発表)。一度読んだはずなのに、ひきこもり漫画として紹介されると、おゝそういう見方もあるのか!と発見。その見方から見ても物凄く秀逸な作品なんだとビックリしました。五感全ての感覚を遮断した部屋で暫く過ごさせる実験。それをやると、「現実感覚」が変化していく、と頭木さんは言います。そういう時にふっと現れた「人の手」が特別なものになるという。頭木さんは、「どうしてあの感覚がわかるのか」「天才恐るべし」と書いています。「一度きりの大泉の話」を読んだ今、なんとなくわかる気がするのです。 「小説を読んで、心に残るフレーズがひとつでもあれば、それはもう読む価値はあった」と頭木さんはいいます。大きく肯首します。アンソロジーというものは、それを手助けする格好の方法だろう、と思います。頭木さんが多くのアンソロジーを編んでいるのはそういうことなのでしょう。 本書は、ひきこもりの方も読めるように、本と電子版同時発行だそうです。
2021年06月20日
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「DEATH NOTE 短編集」小畑健 大葉つぐみ 集英社コミックス この前書いた「DEATH NOTE」レビューにおいて私は「デスノートは究極の殺人兵器」になり得ると書いた。知らなかったが地球っこさんから現代編が短編で描かれていると教えてもらって紐解いた。果たして「究極」になり得たか? 読了後、原作者の大葉つぐみは、もうこれ以上の続編を作る意思は無いと思った。根拠は末尾に述べる。 「究極の殺人兵器」になる根拠は、二代目「L」(ニア)がもし、デスノート所有者の場所や名前を特定できなければ、絶対捕まえることは出来ないと考えたからである。初動さえ間違えず、慎重に行動さえすれば完璧に違いない、と思った。ところが、2008年に発表された「cキラ編」では、表面的にはその行動を起こしていた(c=チープ)キラに対してニアは、ある方法によって「排除する」ことに成功する。私は、コレは「たまたま」だと理解しているが、もはや「マンガ的には」同じようなタイプの所有者は存在出来ないだろう。 「aキラ編」は2019年の設定である。ほぼ現代だ。もはや、以前のようにネットを使った連絡や発表や工作は全て筒抜けになることを前提として作られている。もはや、デスノートの実在は国家間では「公然の秘密」になっている。本来ならば、戸籍上の名前は「超重要情報」なので、新・個人情報保護法により厳重管理する法律が作られるべきだ。漫画を見る限りでは、作った形跡はない。政治家は年寄りばかりなので「自分にとっては作っても手遅れ」、死なば諸共作る気はないのだろう。aキラは、ニアも認めるある方法によりデスノートを「使った」。ニアは初めて敗北を認める。しかし今更云うのもなんだけど、デスノートは核兵器のような「究極兵器」ではない。勿論その存在インパクトは核兵器よりも更に大きいけど(名前さえわかれば相手国元首をテロし放題)、ひとつ大きな違いがある。夜神月がリュークの気まぐれで死んだように、デスノートの最後の管轄は人間にはないのである。結局、最後の最後で「人の死」は運命に委ねられている。 今回は物語の規模を国家規模まで大きくしてしまった。それはデスノートの性格から当然の帰結ではあるのだが、だからこそこの結末にしたことで私は「詰んだ」と思った。もはやデスノートを使って、王将戦の如く棋譜を詰めて行っても「意味ない」と作者が宣言したようなものである。結局「人の死」は「運命」なのだ。 以上が、新たな「DEATH NOTE」は生まれない、と私が推測する所以である。
2021年06月19日
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「遠い唇」北村薫 角川文庫 最早、研究書か蘊蓄小説しか描かなくなってしまったのかと思っていた北村薫が、原点に戻って「日常の謎」小説(短編集)に挑んだ。 謎を解くことで浮かび上がる、人の気持ち。それこそが醍醐味で、北村薫の優しさも相まって、読後感はすこぶる良い。 よかったのは次の数編。 「遠い唇」 女性の回りくどい意思表示は、わからないことが多い(←私だけ?)。でも、この小編の暗号がわかる人は少ないだろう。大学サークルの女性の先輩の連絡葉書にあった意味不明のアルファベット。先輩は「何でもないわ。‥‥いたずら書き」というだけ。 2年越しに解かれた謎は、ああ言った後の「硬く結ばれた唇」と共に永遠に記憶に残る。 「しりとり」 今度は、早世した夫が妻に残した俳句もどき。 数年前のメモが、作者の分身の如き「わたし」によって解かれる。どうしても解かれるべき謎ではないけど、解かれた時の風景が美しい。 「続・二銭銅貨」 言うまでもなく(と言う言い方が出来るのは、北村薫ファンぐらいなもの)江戸川乱歩の出世作「二銭銅貨」を俎上に上げて、かの作品の「隠れた真相」を乱歩自身が突き止めようとした小編である。時は太平洋戦争末期、乱歩は20年前に「二銭銅貨」の「案」を話してくれた人のお宅を訪れ、ずっと気にかかっていた疑問をぶつける。 ‥‥とは言え、当然コレは北村薫の創作だ。基本あの小説「だけ」から、これだけの「真相」を創作できるのだから、やはり北村薫は凄い。 「ゴースト」 北村薫は編集者を主要人物にすることが多い。「八月の六日間」も「太宰治の辞書」も、この短編集の「しりとり」でも、この「ゴースト」でも編集者が出てくる。北村薫の活動範囲は書庫か図書館か、それとも各出版社の編集者(何故か女性)との語らいなのだろうか?それは兎も角、女性の細やかな心理は描かれている。 ‥‥と思っていたら、後書きで主人公は「八月の六日間」の朝美だと「謎解き」がありました。 「ビスケット」 「日常の謎解き」ではない。殺人事件が起きてしまう。しかも、「冬のオペラ」の巫弓彦と姫宮あゆみコンビが20年ぶりに再会する。それもそのはず、テレビ番組用の特別原作として書かれたという「謎解き」がありました。
2021年06月07日
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「デスノート」全12巻 大葉つぐみ・原作 小畑健・漫画 集英社コミックス 久しぶりに再読した。けれども、最後の4巻のみ。これだけでも2晩まるまる使った。それだけ大葉つぐみの原作は緻密を極めていたということだ。金子修介監督の「デスノート前後編」は、エルが亡くなるまでを描き、夜神月(キラ)の父親・総一郎に「(キラによる粛清は)正義ではない、ただの人殺しだ」と指摘させることで見事に原作後半のエッセンスを取り出した。しかしマンガはエルがキラに敗れた後を第二部として描いた。夜神総一郎は勘違いしたまま死んでしまう。夜神月がキラとはバレないで粛清を続ける展開が続いてゆく。そしてラスト、エルの弟分とも言えるニアとメロにより、冷静さと行動力によって、僅かにキラを超える展開になる。そこまでしないと夜神月(やがみらいと)を超えることが出来なかったということは、デスノートそのものが如何に究極の殺人兵器だったか、ということを逆に証明している。名前を書くだけで、人を殺せるだけでなく、死ぬまでの人の行動を操れる、という意味では、デスノートの所有者さえ隠せば、もう万能兵器だったろう。反対に言えば、よくもニアやメロはデスノートに勝てたのだ。 「DEATH NOTE」は、平成時代の前半を飾る少年漫画のエポックだった。正義のためならば、人を殺してもいいのか?という謂わば昔ながらの哲学的問いに真正面から答えた作品だった。少年漫画はここまで来た。そして「進撃の巨人」で次の階段を上がるだろう。
2021年06月04日
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「監督不行届」安野モヨコ 祥伝社コミックス 噂には聞いていたけど、庵野秀明は安野モヨコ無しでは生きてはいなかった、という説は信憑性があるような気がしてきた。 もちろん、自殺を思いとどまらせたとかのエピソードがあるわけではない。し、鬱病のことも一切出ていない。それどころか、延々、カントクくんのオタク具合に振り回されて、次第と夫婦とも似た者同志になって行く様を21話かけて描いているマンガである。奥さんは鬱病を治したのではなくて、夫を人間に戻したのである。圧巻は巻末14pもかけて三段組の細かい文字で「用語解説」がついていること。コレもしかして監督自身が書いた? しかも、巻末に庵野秀明自身がインタビューに出ていて、自身の暴露マンガなのに妻のマンガ応援に一役も二役も買っている。そして、そこで言っていることが10数年経って見事に今年の「シン・エヴァンゲリオン」に、そのまま繋がっている。ように思える。だとしたら、やはり、真希波・マリ・イラストリアスのモデルは安野モヨコということになろうかと思える(外見ではない)。 ウソだと思うなら確認して欲しい。インタビューで庵野秀明は、妻を評してこう言っている。 「嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者にエネルギーが残るようなマンガなんですね。読んだ人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる。そういった力が湧いてくるマンガなんですよ。現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。嫁さん本人がそういう生き方をしているから描けるんでしょうかね。「エヴァ」で自分が最後まで出来なかったことが、嫁さんのマンガでは実現されていたんです。ホント、衝撃でした。」 「シン・エヴァ」のラストは、まさにこの本の刊行の2005年から決まっていたのである。
2021年06月02日
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「女の園の星1」和山やま 祥伝社コミックス すみません。 絵柄から敬遠してました。 外見で判断しちゃダメですね。 人生の大きな教訓にしたいと思います。 星先生、 絵のしりとり、 私は最初から解けてましたよ(←ウソ。最後のも、わからんかった) 「エターナル・カオル」のマンガ、 思わずマスクしていない時に吹き出してしまい周りの顰蹙を買いました(←ホント)。 「秘伝のペット」って、 完全に意味ないあだ名じゃないか!可哀想だ(←ホンキ)。 星先生の誕生日よりも遥かに知りたかった大学漫研時代の110頁の大作「マン・ケーン教」のこと。電子版の特典で最期(焼却場面)を見届けました。 おそらくかなりの「見たい!」メールが来たのだと推察します。焦って証拠隠滅を図ったと思われます。いつかは回想録で明らかになる日のことを願います(←マジ)。
2021年06月01日
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「麦本三歩の好きなもの第二集」住野よる 幻冬舎 麦本三歩は推しメンです。 あ、いや、別に流行り言葉に乗ったわけじゃなくて、2年前の8月の第一集マイレビューにちゃんと断っていまふ。噛んだ。 何度も言うけど、私は「一生懸命頑張っている女の子」が好きなんです! 緊張しいで、 マトモなこと言おうとすると必ず噛むし、 ミスばかしで何千回先輩に怒られたかわかんないし、 自己肯定感薄くて「ひとりツッコミ」大得意、 なんだけど、 小説のお陰で彼女の内面まで丸わかりの私は、 三歩が真っ直ぐで誠実で一生懸命なこと、 知ってる。 第一集にて、 「確かに三歩を彼女にしたら、毎日が心配で堪らなくなるかもしれない。でも孫娘ならば、生きてくれているだけで嬉しい。」と書いたけど、 訂正します。 今回三歩にもボーイフレンドが出来た?ようだけど、 彼とおんなじで、 充分に三歩のこと理解できたら、 彼氏になっても「やっていける」自信?がつきました。 それに、女の子友達だけじゃなくて、 弟にもタメ口、カミカミなしの流暢な会話ができていることが証明されました。 つまり、早くその段階までの関係になればいいんです。 三歩の主観では、優しい先輩、おかしな先輩は三歩の味方になってくれていると思っているかもしれないけど、おかしな先輩は基本三歩のこと嫌いだから。まぁ気がつかなくて良いんだけど。 1番三歩のことを好きだった怖い先輩が居なくなって、 これから社会人4年目の三歩の未来は如何に。 ずっと応援してます。 ところで、文庫本と違って単行本には、リアル三歩らしき女の子が、今回は図書館(武蔵野プレイス)で働いている所でした。この装丁好きです。奥付説明見て、モデルはBiSHのモモコグミカンパニーさんとか。アマプラで聴いてビックリ!でも三歩の好きな歌手はラッパーなので、案外実際の所こんな女性なのかも。うーむ、よくも彼女を選んだもんた。。噛んだ。
2021年05月31日
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「ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞」澤見彰 ハヤカワ文庫 遠野市立博物館は2001年、「供養絵額」の大規模な展覧会を開催した。お寺に奉納されていた絵馬のようなものであるが、普通の絵ではない。全て、死者の絵であり、みんな幸せそうな表情で、ありとあらゆる幸せアイテムに囲まれている。遺族が、死んだ後の幸せを願って描かせた絵である。よって、現実はその反対である場合が多かったろう。遠野が発祥の地らしく、現存401点の半分以上が遠野で確認されている。 本書は、その供養絵始まりの物語を、本場遠野を舞台に、若干空想的設定を混ぜながらも、弘化の三閉伊一揆(1847)や嘉永の三閉伊一揆(1853)の歴史的事実をも取り込んで描かれた小説である。実在の人物、外川仕候を主人公に据えながらも、座敷わらし伝説や、多賀神社の化け狐伝説を物語に取り込むことによって、結果的に苛烈な藩主のもとで重税に苦しんでいた盛岡藩の百姓たちに寄り添った話になった。 webで実際の供養絵を探したが、3-4枚しか見つからなかった。一度見たら忘れられない。普通の様式張った錦絵のようなものなのであるが、過剰なぐらいに物に囲まれて、色も鮮烈、その全てに戒名と没年、行歳、俗名が記されているのが特徴である。私はこの供養絵を見て、小説を読んでみたいと思った。誰にも師事していないアマチュア画家が、やむに止まれない理由で描き始めたのだという事を確信した。本書は文庫書き下ろしではあるが、県立図書館には置いていなくて、県北の真庭市立落合図書館という謂わば辺鄙な所にある図書館から転送してもらった本である。何故、そこの住民か司書か知らないが、おそらく県で唯一この本を注文したのか?私はそこにも〈物語〉があるような気がするのである。
2021年05月26日
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「現代日本文学体系82加藤周一 中村真一郎 福永武彦」筑摩書房(1971年発行) 最近古書で手に入れた。欲しかった本である。何故ならば「1946文学的考察」が全文載っているからである。私のライフワークは加藤周一なので、「1946」とそれに関する加藤の事について書くだろう。 加藤・中村・福永3作家の共著「1946文学的考察」は、戦後出版業界がようやく立ち上がりつつある時に、雑誌「世代」に、ほとんどわら半紙印刷体裁で連載された。27-28歳の青年による、新しい世代の、時代・文学・世界に向けての文学的宣言だった。私は加藤周一著作集で加藤の担当章と関連文章は読んだが、各人の文章は初めて読んだ。発見したことは多い。 以下、いつか書かれる(35年間書かれていない)「加藤周一論」のためのメモである。 ⚫︎「1946文学的考察」は、3人の文学を語る上でも、戦後文学史を語る上でも重要書物である。何故ならば、3人にとっては正にレビュー作であり、46年1月連載開始、巷に文学雑誌が枯渇していた時期の貴重な時代の証言でもあったからである。 ⚫︎本書の付録に加藤周一「文学的自伝のための断片(1959)」が載っていて、「1946」に対して本多秋五が始めた「星菫(せいきん)派論争」への反論等々が述べられている。論争自体は、加藤の勝ちだったと私は思っている。それは別として、此処で加藤周一は、中村・福永以外に自分と付き合いがあり影響をもらった人物を次々と証言している。曰く。信濃追分に於いて尾崎行雄息子の行輝、中野好夫とのテニス。堀辰雄との知古。又他の友達として、窪田啓作、原田義人、白井健三郎、矢内原伊作、森有正、吉田秀和。又影響を受けた人として渡辺一夫、石川淳、中野重治、矢内原忠雄、太田正雄としての木下杢太郎、また斎藤茂吉が加藤の父親の同級生だったこと。 ⚫︎この1959年時点で福永武彦は古事記を訳し、中村真一郎は平安王朝に題を取った。加藤周一が万葉集や鎌倉時代の文学を主にやったのは、他2人への対抗心、或いはリスペクトだったのかもしれない。 ⚫︎付録に中村真一郎が「戦後文学の回想(1958)」を書いていて、前半は「1946」の中村からの解説になっている。 中村は加藤が「社会的」発言で一貫し、最も問題を多く引き起こしたと評する。非難しているのではなく、楽しんでいる風である。しかし福永武彦は文学的記述に終始したので迷惑しただろう、と述べる。中村にとっても、加藤のジャーナリステックな面は新たな発見だったようだ。つまり、友人からからも、加藤は「1946」で一皮剥けたように見えたのである。もしかしたら、加藤は加藤の「世代」の中で、最も前衛的で戦闘的だったのかもしれない。もちろん、この世代、時代は血のメーデー事件前夜であり、もっと過激な若者は多くいた。しかし、東大出身の若い知識人集団の中で、理性と知性を持ち合わせていて、なおかつ激情を持っていた若者として、加藤は記憶するべきなのかもしれない。それは(加藤は後々に告白するのだが)、大事な友達を2人を戦争によって失ったこと(戦死と心の変容)と関係しているのかもしれない。 ⚫︎「1946」の3人の論考は連続していないし、思想を統一しようとしたものでもない。中村は自ら謂うように、加藤のように戦闘的態度を取らず、時に三人対話、時に夢想を書き、「和解的態度」をとった。「福永に至っては、全く孤独に、北海道の雪の中で、内面を見守って、詩人的態度を持した」と中村は謂う。のちに中村と福永は、小説を書いてひとつの世界を創り、加藤は評論の仕事をして大きな世界を論じた。最初から3人は違っていたのである。
2021年05月24日
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「百物語」森鴎外 青空文庫 先の森見登美彦「新釈 走れメロス」で「新解釈」された名作短編の中で、最も知られていない一編であろうと思う。私も知らなかった。それで俄然興味を持ち読了した。森見版「百物語」と構造は同じ。所謂、狐に包まされた感は、森見版の方が優っている。 「百物語は過ぎ去った世の遺物である」 と森鴎外の分身ともいうべき「僕」は言っている。もはや明治も終わりごろ。怪談話は荒唐無稽の話になりつつあったのだろう。今回の催しにしたって、途中に酒や食事を出てくるわで、最初から怪談話がメインじゃない。 飾磨屋(しかまや)という一代の分限者が大勢を招待し、屋形船に乗せて、両国の北の寺町辺りの見知らぬ土地に連れてゆき「百物語」をするというのである(森見版が生まれた契機は寺町通りの喫茶店だったのだが、これは単なる偶然か?)。「僕」は冷めた目でこの催しを見ている。 主催者もかなりの変わり者である。 「そう云う心持になっていて、今飾磨屋と云う男を見ているうちに、僕はなんだか他郷で故人に逢うような心持がして来た。傍観者が傍観者を認めたような心持がしてきた」 世の中を傍観しているのだ。 森見版と同じように、主人公は怪談話が始まる前に会場から去ってゆく。 「二三日立ってから蔀君に逢ったので、「あれからどうしました」と僕が聞いたら、蔀君がこう云った。「あなたのお帰りになったのは、丁度好い引上時でしたよ。暫く談を聞いているうちに、飾磨屋さんがいなくなったので聞いて見ると、太郎(私注‥‥芸者)を連れて二階へ上がって、蚊屋を吊らせて寐たというじゃありませんか」 やはり、1番冷めていたのは主催者だった、 という話である。 そこはかとなき怖しい。 ただ、森見版もいろいろ凝っていてなおかつ、主催者と思しき人間が人間ではないような作りになっていて、更に恐ろしかった。 森版よりも森見版の方が優れているということではない。森見登美彦の選択の勝利である。 森鴎外版は、つまりは「普請中」の明治における、近代的自我の存在を描いたのかもしれない。
2021年05月16日
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「新釈 走れメロス」森見登美彦 祥伝社文庫 京都の森見登美彦は博学多才、平成時、若くして名を小説界に連ねたが、性、変態、自ら恃む所頗る厚く、有名に甘んずるを潔しとしなかつた。 「祥伝社編集者に誘われたる古典換骨奪胎」 「さようでございます。寺町通の地下のある喫茶にて、あの企画を提案したのは、わたしに違いございません」(渡辺某の証言) 森見登美彦は躊躇った。必ずこの様な古典的名作の改変を怒る輩が出現すると確信した。しかし引き受けた。渡辺某の提案に抗えなかった。孤高の腐れ大学生を主人公に「山月記」を書くという魅力的な話に抗えなかった。 森見登美彦というと、人々が酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれた物語(はなし)ばかり書くと思われているが、それは嘘です。コレはかなり恐ろしい小説なのです。 勿論生れて始ての事であったが、これから後も先ずそんな事は無さそうだから、生涯に只一度の出来事に出くわしたのだと云って好かろう。それは森見登美彦が「新釈 走れメロス」を書き終えた時である。 小説に説明をしてはならないのだそうだが、間違いは誰にもあるもので、この話でも万一ヨオロッパのどの国かの語に翻訳せられて、世界の文学の仲間入をするような事があった時、余所の読者に分からないだろうかと、作者は途方もない考を出して、行きなり「走れメロス逃走図」を以てこの本の表紙開きに挟み込んでいる。結果、とてもオモチロイものになった。 さて、非常に分かりにくいと思うが、順番に「山月記(中島敦)」「藪の中(芥川龍之介)」「走れメロス(太宰治)」「桜の森の満開の下(坂口安吾)」「百物語(森鴎外)」の冒頭部を改変して、本書の紹介に代えてみた。 やって見てわかったが、そういう安易な方法だと、つまらないモノしか書けない。森見登美彦は、文体は全体的に真似てはいるが、有名文章を無理矢理挿入したりはしない。でも構造は紛うこと無きかの名作なのである。でも紛う事無き内容は森見登美彦なのである。しかもラストの「百物語」で、主要登場人物総出という力技もやってのけ、他作品にも出演している詭弁論部や韋駄天コタツや図書館警察長官まで出てくるのである。正に唯一無二の作家と言えよう。
2021年05月15日
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「吾輩も猫である」赤川次郎 新井素子 石田衣良 萩原浩 恩田睦 原田マハ 村山由佳 山内マリコ 新潮文庫 2016年「小説新潮」が2か月続きで企画した漱石「吾輩は猫である」のトリビュート版を、文庫化した短編集である。その年の年末に出しているから、多分未だにそれぞれの人気作家の短編集には入っていない可能性が高い。ワンコイン弱で買える新潮社のサービス版(消費税値上げ以前は正に500円以内で買えた)。おそらく、これをキッカケに新潮文庫に揃えている漱石を読んでくれると嬉しいし、未読の各作家を手に取ってもらえたら嬉しいという編集長の意図が見え見え(「騙し絵の牙」を読んでから、そういうコンテンツで本を見る習慣がついてしまった)。でもだからこそ、かなりお得な一冊である。 赤川次郎 新井素子 石田衣良 萩原浩 恩田睦 原田マハ 村山由佳 山内マリコ、それぞれの御大が、「猫の一人称で物語を綴る」こと以外は、自由に書いている。 男性作家2人に女性作家6人、気がついたのは、読み比べて猫の立ち位置がなんとなく客観的なのは男性で、女性は完全に猫に同化している気がした。という分析的な評価自体が、いかにも男性的な評価なのかもしれない。 漱石は、当時の文壇や社会をそれなりに批判的に見ていたが、平成の猫たちもヒト科としての人間を相対的に見る視点がそれなりに面白かった。 大傑作は一つもなかったけど、つまらないものも一つもなかった。 赤川次郎さんは、途中でバレバレのゆるい推理ものだった。 驚いたことに「原作」とついていないので、正真正銘、萩原浩が描いたとしか思えない猫の4コマ漫画8pの完成度の高さ。 「彼女との、最初の一年」という短編では、芸大3年の女性に拾われた猫の1年間を描いていた。どうてことはない描写だけど、作者の原作映画「あのこは貴族」には感心したので最近知った作家である。日韓ワールドカップが出てくるから、明らかに2002年からの1年間を描いる。この小説自体を2016年に描いたことは、彼女の14年間に一緒についてきた猫の一生の最初期をあつかった作品に思えてくる。いつかその一代記を読んでみたい気にもなる。山内マリコは初めて読んだが、少し気になった。
2021年05月14日
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「ワカタケル」池澤夏樹 日本経済新聞出版 日本文学全集の「古事記」の全訳が、池澤夏樹の日本古代史正篇としたら、これは日本古代史列伝だろう。小説とは違う、というものを池澤夏樹は目指した。自らが稗田阿礼の如き語部となし、現代の考古学的成果を少しだけ取り入れながら、綿々と「伝えられてきた」神話を語って見せた。だから近代小説の持つドラマトゥルギーや研究書の持つ歴史的な正確さは無視する。 何故ワカタケル(雄略)だったのか。おそらく、古事記の中でも比較的研究が進んでいて、現代の著者の中に豊かにイメージが湧いたのだろう。ホントは最も語りたかったのはヤマトタケルなのに違いないが、それは本書の中で「既に神話となった物語」として生き生きと語られる。 当然、日本統一の物語も、半島侵略の物語も、大和の豪族経営も、現代に解るように語られるけれども、それが歴史的事実であると池澤夏樹自身が信じているわけではないだろう。古事記全訳をした後に、その魂のままにワカタケルの生涯を「夢の力」で見聞きしたのだろう。それは全訳をした者しか聴けぬ声だった。
2021年05月08日
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『陰の季節』横山秀夫 新潮文庫 久しぶりに横山秀夫を読みたくなって昔の文庫本の「山」から引き出した。完全に内容を忘れていた。面白かった。2003年2月読了のメモがある。この頃は感想文を直ぐにスマホに入れ込むなんて出来ないから章と章の間の白紙にメモしていた。 感想文の内容は省略するが、どうやらこれが横山秀夫を読み始めた最初らしい。D県警シリーズの最初だった。社会的事件ではなく、県警内部の〈事件〉を扱った短編集である。この後4年間ぐらいで立て続けに横山秀夫が10冊ほど文庫本が出て全部制覇したのを覚えている。 それほど新鮮だった。時の流れを感じる。 小説内では、まだぷかぷかタバコを吸い、家には刑事専用の電話があり、ファックスがメールの代わりになっている。まるで昭和のようだけど、21世紀の文庫本なのである(初出は98年)。4編のうち2編は警察内の出世のために東奔西走して敗れてゆく話。一編は昔気質の元刑事のプライドの話、一編は目に見えない女性差別の話。て、そんな話ではないという人も居られるかもしれないけど、私にはそう読めた。いずれにしても、少し話の構造が当たり前だけど古い。現在、横山秀夫の新作のスピードが落ちているのも、新聞記者時代のネタが尽きてもうネタ元が(死んだり退官して)居なくて描けないことに理由があるのかもしれない。
2021年05月07日
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「風の谷のナウシカ3」宮崎駿 アニメージュコミックス 「ナウシカ」の読み直しを再開する。間が空いても申し訳ない。これは思ったよりもしんどい作業なのだ。 ちょっと前巻を思い出して欲しい。土鬼(トルク)軍の辺境のマニ族の僧正は言った。「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」「(その者は)そなたたちを、青き清浄の地へみちびく」だろうと。腐海は、この時代、全人類にかけられた呪(のろ)いである。そこから救う救世主に、果たしてナウシカはなるのか? その「問い」が、全巻を通じて囁き続けている。それが「ナウシカ」である。第3巻は、「指輪物語」における黒門の戦いのような厳しい 戦争場面が続く。映画や「英雄物語」ならば、これ以上にないスペクタルシーンであり、聞き手を惹きつける山場ではあるが、宮崎駿の手描き感溢れる絵柄からは、かえってどんどん悲惨さが増してゆく。爆薬で飛び散る肉体の描写。のちに「もののけ姫」でも一部描いたが、その比ではない。ナウシカは、その戦いに間接的に責任を負ってしまう。 伝説の勇者ユパには、この預言を確かめる役割を与えられ、暫くは「森の人」の秘密と付き合う。 一般的には、まだラストに向かうための「繋ぎ」の役割しか持たない第3巻ではあるが、今回再読して重要なことに幾つか気がついた。 ひとつは、一巻目で明らかにされていた「トルメキア戦役戦線地図」がさらに拡大されたのである。これがもしかして、人類に残された最後の「ヒトが住める土地」なのだとしたら、なんと狭いことか!地球(だとしたら、ではあるが)の中では、ほとんど猫の額(ひたい)だ。それを2つの大国が共存するのではなく、激しい戦闘で殺し合う。なんという愚かなことなのか?と、神の眼を持っている私たちにはそう見えるのではあるが、トルメキア王国も土鬼諸侯国もそうではないのだろう。 ひとつは、ナウシカと同じ雰囲気を持つ「森の人」の存在だ。 「蟲使いの祖にして、最も高貴な地の一族。火を捨て、人界を嫌い、腐海の奥深く棲まう者。蟲の腸をまとい、卵を食し、体液を泡として住まう」。それは一巻目のナウシカの未来の姿なのかもしれない。しかし、3巻目で出てきたということは、これが作品のゴールではないということだ。 その他、皇弟ミラルパの本格的登場、悲しいカイ(馬の機能をもち、鳥の顔持つ機動動物)の最期、等々注目すべき場面・設定がいくつもあった。
2021年04月29日
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「三体 黒暗森林(下)」劉慈欣 早川書房 「人類は勝利できるか」 面壁者たる著者は、その裏に本心を隠す 「人民は勝利できるか」 勿論、この書評は物語(フィクション)です。 多くの評者が、本格SFとエンタメの融合という視点で評価しているので、私は多くを語らない。面壁者レイ・ディアスの最期の場面。ぼろぼろの面壁者・羅輯と三体星人との最後の交渉場面。もう、歌舞伎ばりの映える場面である。 私は別の視点から物語りたい。 解説者・陸秋槎氏は、作品構成が、密告が奨励された文革と関連していると指摘する。私はそんな限定的な「関連」ではないと思う。これは「中国人民」(特に知識人)と「中国共産党」との戦後60年にわたる歴史物語をSF小説にしたのだと、私は思う。本心を明かさない知識人としての面壁者の登場、それを暴く破壊者の登場、大峡谷時代、第二次ルネサンス、絶望の時代、そして新たな時代。それらの時代を跨いで猜疑連鎖と技術爆発が存在する。それはこの小説のあらすじであるのと同時に、中国共産党史でもあると、私は牽強付会的に思う。ネタバレの関係で、あらすじも必要最低限のことしか書けないし、歴史的事実も詳しく書けない。よって、よくわからんことを書いているかもしれない。でも、劉慈欣氏はかなり上手くやった。中国共産党は、第一部の文革批判ぐらいならば、党としても批判しているのだから目こぼししていたかもしれないが、小説の構造自体が党批判になるとは気がつかなかった。もしかして気がついた時には、既に2千数百万部の大ベストセラーになっていて、気が付いたと公表すること自体が党批判を助長することになるので「出来なくなった」。ベストセラーになったのも、劉慈欣もおそらく一生本心を明かさないだろうが、中国人民が気がついて一生懸命に買ったからかもしれない。これも面壁者・劉慈欣の戦略だったのだ。 第一部は中国の過去の話、第二部「黒暗森林」は文革終了以後の中国、そうなると第三部は「予想される未来」となるのだろうか。 因みに、(上)書評で、智子が全てのコミュニケーションを監視するならば、表情だけで言いたいことを読み取れる人類の特技〈以心伝心〉が現状を打開するだろう、と私は予測したのだけど、三体世界への勝利に何も貢献しなかった事を報告します。いや、(下)では重要場面で、そういう人類の得意技は出てくるんだけど、そういう浅はかな知恵では、三体世界の強大な力の前では無力なのだとわかった。私は面壁者にはなれそうにもない。 2021年4月25日読了
2021年04月26日
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「か「」く「」し「」ご「」と「」住野よる 新潮文庫 かくしごとがあります。日本人ならば、誰もが持っている超能力・空気を読むというやつ。私は持っていません!!今まで何とか誤魔化してきました。状況証拠を積み上げれば、科学的に動機などは推測できるので、いざという時にはそれなりの努力をしていたのです。それで仕事は大きな失敗はしませんが、男女のことになると、一瞬でわかる必要があります。そんな余裕はないので、はっきり言って1年後、20年後にやっと本心がわかるという体たらくです。 さて、ここに出てくる男女の高校生には、それに似た特殊能力があります。京くんは相手の頭の上に「?」などの記号が見えます。ミッキーは「/」などのように感情の上がり下がりが見えます。パラは‥‥、と皆んな相手の気持ち少しづつが可視化して見えるようです。 でも、そんなの読まされても私は「何、当たり前のこと書いてるんだ」としか思いません。皆んな多かれ少なかれそんな能力持ってんじゃないの?私にはなかったけど。 相手の感情が見えても、男女5人の恋模様や友情の勘違い、臆病、思いやりは、まったくもって普通に進行します。いやはや可愛いもんです。こんな仲良し五人組欲しかったな。あ、そう言えば、あの時イズミ(高校時の柔道仲間)がはしゃいでいたのは‥‥(ン十年ぶりに判明!)。 もう一つ隠し事ありました。この文庫本、普通に売っていたのだけど、何故か住野よるさんのサイン付きでした!皆んなに見せてあげたい!(私の頭の上には「喜」のスペードが!)
2021年04月25日
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「身分帳」佐木隆三 講談社文庫 もともとは佐木隆三原作「復讐するは我にあり」みたいな映画を作りたいという夢を持って監督業を始めた西川美和が、遂には絶版になっていた日焼けした「身分帳」文庫本にたどり着いたことで陽の目を見た再販である。そして傑作「すばらしき世界」という映画も生まれた。。 本書を手にしたのは、西川美和監督の長い寄稿文が載っているからである。そのことも含めて感じるのは、電子書籍で読んで欲しくないということだ。文庫本の紙感触を感じて欲しい。90年11月、山川は自身がモデルの単行本が出来上がった4ヶ月後、福岡市のアパートで病死した。旭川刑務所出所者の男が感じた手触りを感じて欲しい。山川は、ドラマ化する時にどんな俳優に演じて欲しいかと聞かれて大いに照れて「高倉健かなあ」と言ったらしい。しかし実際は苦み走った無口な男ではない。西川美和監督は役所広司をキャスティングした。望みうる最高の役者だった。映画では、三上という名前になっていて、その経緯も書かれている。 山川は、子供の頃から親はいなくて裏の世界に入り、1匹狼的なヤクザ生活の末に、恋人を庇って殺人を犯す。几帳面で地頭はいいのだが、直ぐにカッとなる性格で、前科10犯、刑務所でも反抗的態度を繰り返し13年間務所暮らし。出所後の「再出発生活」はすんなりと進まない。そういう世界があるのだと、私たちは詳細に知ることになる。 人間は複雑だ。実は私の知人に、隣の住人がヤクザみたいな人で、少しの物音でもすぐに文句を言うと怯えまくっている方がいる。山川も、隣人との騒音で何度もトラブルを起こしている。彼にしてみれば不正義を正しているつもりなのだろう。けれども生来言葉は荒い、激昂すると暴力を止められない。いや、止めようと何度も努力している。そのことを多くの人はわからない。複雑な人間を役所広司は立体感を持って演じた。私の知人の隣人がそういう人だとは言っていない。けれども、怯えてばかりではどうしようもない。小説内では、そして現実にも居たようだが、小さなスーパーの店主で町内会長は、山川の啖呵に怯えることもなく親身に相談に乗っている(映画では六角精児が演じた)。世界は、冷たいばかりではないのだ。 逃げ出した隣人もいた。山川の身分帳を見て取材を始めていたライター角田は、チンピラに絡まれている市民を助けるため山川がやってしまった半殺し場面を見て逃げ出した。映画は違う展開を見せる。ライターは心優しく臆病な仲野大賀が演じ、最後まで山川を見守り、ある意味山川の合わせ鏡の役割を持つ。 正直、山川のような男が隣に住んでいると、鬱陶しいかもしれない。ちょっと怖いだろう。でも本書を読むと様々な想像を働かせるのに役立つのは確かである。人間は面白く悲しくすばらしい。
2021年04月24日
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「三体 黒暗森林(上)」劉慈欣 早川書房 三体世界から送られた侵略艦隊が到着するのが400年後に迫った近未来、国連惑星防衛理事会(PDC)は、4人の面壁者を選ぶ。面壁者たちは、本心を言わないで凡ゆることを実現する権限が与えられる。人間同士のあらゆるコミュニケーションを監視する陽子コンピュータ智子の目を騙すためである。 あと400年間で、果たして三体艦隊と渡り合える力を地球人類は持つことができるのか? どうやら、勝利の鍵は面壁者の中でも、米国の元国防長官やベネズエラの元大統領、ノーベル賞候補の科学者で元欧州委員長でもなく、無名の中国人社会学者にして主人公の羅輯(ルオ・ジー)らしい。まるで忠臣蔵の大石内蔵助の如く、決戦を前に羅輯がした事は理想の場所で贅沢三昧をすることと、理想の女性と暮らすことだった。こういうケレン味が、ベストセラーを招くのだろう。羅輯の持っている鍵は何なのか、(上)では不明だが、ルーヴル美術館での出来事で、なんとなく予想した。それって、日本人が大得意じゃないか。 彼だけが、三体危機時代の起点となった葉文潔博士から宇宙社会学の二つの公理を聴いている。いや、これは謎でもネタバレでもなんでもないはずだ。(1)生存は、文明の第一欲求である。(2)文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である。 文系の私でも、常識的なことのように思える。けれども、(上)ではかなり重要事項らしく何度も出てくる。どう展開するかは予測つかなかった。 著者は文革終了後に凡ゆる世界の知識を詰め込んだ世代なのだろう。日本や世界文学の蘊蓄が至る所に散りばめられているのも魅力のひとつだろう。 待望の「銀河英雄伝説」の引用部分も読んだ。うーむ、秦の始皇帝や墨子の使い方同様、やはり著者の人文系知識はちょっと表面的すぎる。引用の意味は正しいんだけど、あと十数年経っても日本の防衛大臣がサラッと「銀英伝」を引用するとは、日本人としては思えない。 微小コンピュータ智子(ソフォン)は、近未来では「彼女」と呼ばれているらしい。日本語では「ともこ」と女性の名前になるから、そう決めたそうだ。地球規模で危機に対処している時代の「いかにもありそうな未来」ではある。こういう細かいところに、本格SFのリアリティがあるだろう。 因みに、SF読者からは大絶賛の本書ではあるが、我が県の図書館では、第1巻は予約して10ヶ月待ったのに、第二巻(上)を読もうとして2週間しか待たなかった。(下)に至っては、すぐにでも借りられる。この地方都市では、どうもこういう作品に対する免疫ができていないようだ。下巻に期待します。 2021年4月21日読了
2021年04月22日
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言うまでもなく、昨日の日米共同宣言には、批判的な立場です。 「東シナ海開戦(1)」大石英司 中央公論新社 カバー裏の著者の言葉に情勢認識の総てがある。「香港が陥落した。1997年の香港返還以降、中国は四半世紀をかけて、真綿で首を絞めるように徐々に香港の自由を奪い(略)遂に香港を手中に収めることができた。そのことに対して、世界は口先の抗議をするだけで、全く無力だった。(略)覇権は続く。中国の次の野望はどこに向かうのだろうか?」その答えはこの小説にあるということなのだろう。台湾領の東沙島を武力掌握して、台湾の中国編入を世界に認めさせる。 「いかにもありそうな未来」という読者の反応が散見する。「第三次世界大戦(全8巻)」よりもリアルだ、という感想も多い。その先に見えるのは、「だから、自衛隊の武力増強は緊急の課題だ」となるのだろう。 小説だから、何やらきな臭いテロの計画とか、中国の日本大型哨戒機撃墜という事件もラスト辺りで起きる。戦線は「なし崩し的に」拡大する。まるで、昭和初期の中国戦線のようだ。 私は、そういう「世界観」にもともと大いに反対である。けれども、代表的な軍事オタクが描いた、非常にリアルだと言われる小説も読まないで反対しても「現実を見ろ」と言われる。それで紐解いた。何も驚きはなかった。 なるほど、「実際に」中国が台湾に対して武力攻撃をしたら、こんな形で事態が進む「可能性」はあるだろう。ただ、私が予測した通り、中国が台湾を領土化し、東シナ海を自国の庭とする現実行使を「前提として」話を作っており、誰が何故この判断をしたのか、という描写は一切ない。なるほど、軍事的にはさまざまな紆余曲折はあるかもしれない。けれども、武力で勝つことは、そもそも国が戦争をする目的ではない。それは、世界史の常識ではある。著者はその方向性に関してはあまり関心はないようだ。私は著者に言いたい。「現実を見ろ」。 こうやって、日本人を煽り続けて、日本が後戻り出来ないところまで、「防衛力を増強」させることで得するのは、印税で潤う著者や一部の人たちだけではないだろうか。中国が覇権主義を持っていないということではない。むしろ持っている。しかし、中国が香港のように真綿方式ではなく大鉈をふるうかどうかの判断は、また別の見識が必要で、日本がどう立ち振る舞うべきかということも、私には別の見識がある。 結論。全然リアルではない、荒唐無稽小説でした。
2021年04月18日
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「騙し絵の牙」塩田武士 角川文庫 ホントに三万二千円の本を出版してやっていけるのか? 騙されました。映画を観て、めちゃ面白くて、幾つか確かめたくて本書を紐解いたのに、90%違う話でした。よって、冒頭の私の素朴な疑問の答は分かりません(映画のネタバレと言うなかれ。この一言で、映画ストーリーが予想できたら尊敬します)。映画と同じく、作家の大御所二階堂大作のパーティーが始まる。大泉洋にあてがきしたという速水「トリニティ」編集長が登場する。映画と同じなのは、ほぼ此処まで。 いやあ、よくもこの「原作」から、あんな面白い「脚本」を作れるもんだ。小説の中でも大泉洋は章ごとの扉写真モデルとして頑張っていたけど、映画でも正に速水編集長をやっていた。薫風社という出版社名は一緒でも、役員名も設定も違う。高野恵、柴崎、久谷等と同性同名が数人出てくるけど、設定が違っていた。こんな設定の高野恵(松岡茉優)も観てみたかったかも。読んでる途中、彼らの豹変の瞬間を読み間違ってしまった。 でも、出版業界が抱える底深い「紙産業衰退という」ジレンマは同じだ。あの「小説薫風」が廃刊に追い込まれる。映画では文藝春秋社屋がロケ地に選ばれていたので心配していたのだが、中身的にも「文藝春秋」とは別物の文芸誌でした。小説内とはいえ、「文藝春秋」を廃刊にしたらダメでしょ。それでも、3年間に9誌のうち4誌が廃刊に追い込まれ、2誌が電子コミック化になったらしい。この辺りは、どこかの出版社ではありそうな話ではある。 私は雑誌の利益構造を見損なっていた。雑誌の収入源は、「販売」「広告」だと思っていた。実はそれに付け加えて、「コンテンツの二次利用」というのがあったのだ。速水編集長はこれを見据えて、「トリニティ」廃刊にならないように東奔西走する。それが時にどれほどの利益を生むかは、鬼滅の刃での集英社を見たらイチワカリだろう。びっくりしたのは、企画段階で、それを見据えての予算組をしているのだ。必要とあれば、大御所作家の新作のための取材旅行に一千万円の調達も無理して実現する。 この小説自体が「企画段階でコンテンツの二次利用を企み、それを見事に実現したお手本」ではある。最初から、大泉洋あてがき、映画作成、を企画していた。KADOKAWAの「ダ・ヴィンチ」の編集者が大泉洋の「冗談」を実現したのだけど、その実現過程そのものが速水のやり方だろう。だとすれば、「トリニティ」のモデルは「ダ・ヴィンチ」か?確かにイメージが湧く。漫画も小説もあって、なんでもありの雑誌で、なんとまだ生き残っている。 因みに最新号(5月号)目次を見たら、「コンテンツ二次利用」だらけ! ◎「マンガ×凪良ゆう」 本屋大賞ノミネート作『滅びの前のシャングリラ』を浅野いにおがコミカライズ! ◎大反響!エッセイ集『THEやんごとなき雑談』刊行記念 中村倫也ロングインタビュー 小説読んで、あの場面を映像で観たいと思って映画を観るとガッカリする。映画を見て、深掘りしたくて小説を読むという順番を私はお勧めする。
2021年04月17日
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「健康で文化的な最低限度の生活10」柏木ハルコ 小学館 貧困ビジネス編は、やはり2巻ぐらいでは終わらなかった。しかも今回は途中からコロナ禍のもとでの闘いに突入する。 今回は表紙に初めて登場する京極係長がわりと活躍する。市の財政を圧迫するような事柄には神経質になる係長ではあるが、今回は不正支給に繋がる事案である。「意外と正義感が強い」と義経さんが驚いている。ちょっと感情的になりすぎているのを、ベテランケースワーカーの半田さんが修正するほどである。 しかしなかなか貧困ビジネスの違法の尻尾が掴めない。奥坂さんの入院先から告白があって、その仕組みがある程度わかったものの、お役所だから決定的な証拠が必要である。その間に、奥坂さんを遠くに避難させ、角間さんも他の支援の方法を探す。利用者に寄り添う。半田さんの助言があればこそではあるが、「空気が読めない」と落ち込む義経さんではあるが、真摯で誠実な姿勢は、要領が良い他の一部職員と一線を画している。義経さん、頑張って! 巻末の「生活保護Q&A」は、コロナ禍のもと住宅確保給付金、生活困窮者自立支援制度、生活福祉基金の特別貸付などの制度を活用する道筋を教えてくれている。4-9月で住宅確保給付金の支給は10万4千件もあったそうだ。そうのうちの1/10が角間さんのようなホームレスになることを防いだとすれば、狭い日本は大きな失敗を回避したことになるだろう。今のところはセーフティネットがギリギリ機能している。この長期のコロナ禍で、それもどうなるか、注視が必要だ。 表紙カバーを外してみると、昨年3月10日、厚労省通達「新型コロナウィルス感染防止等に関連した生活保護業務及び生活困窮者自立支援制度における留意点について」の「3適切な保護の実施(2)速やかな保護決定」が全文(大文字で)載っていた。問題のある厚労省ではあるが、これはかなりまともなことを通達している。こういう細かな文章に、その時々の社会の真実があると思う。是非手に取って読んで欲しい。
2021年04月16日
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「トガニ 幼き瞳の告発」孔枝泳(コン・ジヨン)蓮池薫 訳 新潮社 2005年光州市で起きた聴覚障害者特殊学校での長期性的暴行事件を小説化したものです。SNSでレビューを読んで、「あの」光州市でそんな非人権的な事件が起きたことがショックであり、「本質」を確かめたくて紐解いた。 小説なので、舞台も海沿いの霧津市になっているし、登場人物の名前は当然のこと、人数も省略されている。でも大筋では事実通りに話が進み、小説内では加害者の校長含む教職員は、極めて軽い判決で結審して終わっている。ただ、著者の孔枝泳氏自身は80年代の民主化闘争を闘った若者だったらしく、負けたままの小説を描くはずが無い。彼らは負けたのだろうか?小説の中でソ・ユジンは霧津市を離れた主人公カン・インホに宛てたメールでそうではないことを書いていた。 裁判の後、「事件の前と後で1番変わったこと」を聞かれて、被害者のひとりの子供がこんなしっかりしたことを手話で答えていたらしい。 「ぼくたちもみんなと同じように大事な存在なんだと気づいた(279p)」。 それは人権という観点から、とっても大切な言葉である。 軍事独裁政権を終わらせるキッカケとなった光州事件(韓国では5.18民主化運動とは呼ばれている。ホントは「事件」なんかじゃなかったから)、軍事独裁政権を終わらせた87年抗争、その結果、韓国は人権の尊重を国の方針にした。全国各地に人権センターを建てたのも、その一つの現れだろう。そのことを、2018年私は映画に刺激されて光州市ロケ地巡りをしてヒシヒシと感じた。 小説を読んで、それらの雰囲気が少しずつ残っているのを確認した。何よりも、主人公カン・インホと共に事件にかかわることになったソ・ユジンの勤め先が「人権運動センター」であり、図らずも此処が運動を最後まで指導することになる。2018年、私は光州市郊外にある駅のエントランスで、人権啓発のわりと大規模なパネル展示と、40ページオールカラーの光州市人権センター発行の無料人権解説パンフに出会った。少なくとも光州市は本気なんだと思っていた。光州市警察署は「市民にやさしい警官」の壁絵に囲まれていた。 小説を読んで、それらはたゆまない市民の運動なくしては掴めないものだということが、それを市民が「自覚して」いることが、ひしひしとわかった。 「韓国がそんなにいい国じゃないってことはわかっていたけど、ここまでだれも彼も同じとは思っていなかった。これからはたいへんな戦いになりそう。教育庁、市役所、みんな同じよ。霧津女子高や霧津高の同窓生か、そうでなければ、小学校の友達だとか、妻の甥っ子、でなければ栄光第一教会‥‥インホ、40億(約4億円)よ。あの人たちはわたしたちの血税を1年に40億ウォンも使いながらそんなことをしている」(121p) 韓国の地方都市を代表する「霧津市」において、複数の子供たちの明確で具体的な証言がありながら、教育長も警察も(少女を診察した)医師も弁護士も教会も、卑劣な特殊学校校長や副校長、生活指導教師に味方する。判決は被告人に有利に結審する。 目に見える建物や法律は数十年で変わるけど、目に見えない因習や地縁血縁金縁は簡単には変わらない。真実が見えない霧の中の街の風景が、小説全体を覆っている。これは決して抽象的な描写ではなくて、韓国南部を旅するとしばしば出くわす自然現象である。濃霧は時に10時ごろまで凡ゆるものを見にくくさせていた。 このバッドラストと見える(僅かに希望を見出す)終わり方が、俳優コン・ユを動かし、映画が韓国社会を動かし、法律改正、再捜査、学校の廃校へと動かしたらしい。 韓国市民は「動けば変わらせる」という成功体験を何度も、世代をまたがって持っている。この小説が韓国の「恨(ハン)」を描いたのだとしたら、珍しく小説の外で、その恨は「解かれた」。 5.18民主化運動の観光名所、日本語パンフはたくさんあったのだが、今度光州市に行った時には「トガニ法ゆかりの地と解説パンフを教えて欲しい」と観光案内で聞いてみようと思う。おそらく日本語パンフはないだろうけど、詳しく教えてくれると思う。
2021年04月13日
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「新世紀エヴァンゲリオン」漫画 貞本義行 原作 GAINAX 基本的に、旧劇場版と新劇場版「全て」を観ていないと、何のことやらわからない書評だと思います。 「シン・エヴァンゲリオン」を観た後、噂を聞いて初めて貞本版エヴァ全14巻を紐解いた。(慎重に読めば、だが)恐ろしいくらいに映画と違う。原作も庵野監督ではなく、GAINAXになっている。これはGAINAX流のエヴァンゲリオンなのだろう。(後にGAINAXはカラーと名前を変える。10-13巻は両方明記、最終巻はカラー単独になる) エヴァの暴走で内面世界に入り込んだシンジが、碇ユイの魂に出会う(8巻)。 ゲンドウ「セカンドインパクトの後に生きていくのか、この子は‥‥」木の下で若いゲンドウとお母さん碇ユイの魂がシンジに乳をやっている。 お母さん「いいえ。生きていこうとおもえば、どこだって天国になるわ。だって生きているんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ」 ゲンドウ「そうだな」 まるで「シン・エヴァンゲリオン」を先取りしたかのような碇ユイの台詞である(2002年12月刊行なので、むしろ旧劇場版の核の部分だったとも言えるかもしれない)。 そして、衝撃的な最終巻(14巻)のストーリー。発行は2014年11月だ。つまり、もはや「シン・エヴァンゲリオン」の脚本が半分以上出来上っていてもおかしくはない。 何処が衝撃かというと、ストーリー的には(台詞はかなり変わっているが)旧劇場版と同じように進んだ話が、最終話ではシンジはもはや赤い海の浜辺に降りたりはしない。もう1人のアスカから「気持ち悪い」などと罵倒されたりはしない。 表紙からわかるように、最終話、粉雪が舞う駅のホームで、碇シンジは東京の明城学園に入学受験をするために、中学生のともだちと別れを告げている(山口宇部駅だろうか)。もはやサードインパクトの記憶は世の中にはない。ところが、エヴァシリーズの遺骸が古代の遺跡となって建っているのが現代世界と唯一違うところなのである。明城学園駅前でシンジはアスカに出会い、アスカに色目を使うケンスケにも会っているのである。 これがもしかしたら、「シン・エヴァンゲリオン」の幻のラスト初稿だったのかもしれない。 更にボーナス短編として「夏色のエデン」がつけ加わっている。そこには、碇ユイの後輩にして、ユイの次ぐらいに優秀な女子学生にして、ユイに恋している細面の女の子が登場する。16歳の女の子は英国に留学するという。その娘の名前が最後に明かされる。だとすれば、その娘はセカンドインパクトの前に生まれている。永遠の14歳シンジ、綾波レイ、アスカとは決定的に違うのだ。あゝそういうことなのか(いや、それにしても、まだ謎は多く残るが)。いつから構想されていたのか?とても面白かった。
2021年04月01日
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「BLUE GIANT SUPREME 」全11巻 「なあD、オレ達は、本当に解散するのか⁉︎」 東京からジャズの可能性を求めてヨーロッパに単身やってきた宮本大。遂には、ヨーロッパ随一のジャズフェスティバルで大成功をおさめて、成長してきたバンド「NUMBER FIVE」を解散させる最終巻。 こうなるだろうとは思っていたけど、これってネタバレかもしんないけど、肝心の「演奏」は、読んでみないと「感じられない」のだから、1割ぐらいのネタバレでしかない。 「BLUE GIANT」を読んだ方は承知していると思いますが、主人公宮本大のジャズ人生は成功することが約束されています。毎巻末に必ず世界的に有名になった宮本大について語るインタビューが挿入されているから。それでも総巻数21巻までいったのは、大の音が何処まで行くのか見てみたいから。 「SUPREME」編全11巻読んで、体験して、感じて欲しい。ジャズの自由さ、強さ、技術、または「音」は現場でこそ作られるということ、そして「大きさ」を。 かつて日本編全10巻が終わった時に、私は「マンガ大賞一位を逃したので、(賞は8巻までの作品が対象だから)再起動してまた大賞を狙っているのだろう」と書いてしまった。恥じて訂正したい。11巻は、優劣をつけようとしたことをちゃんと叱ってくれた。そもそも、単なる名誉や金儲けならば、あの若者たちが、こんな頂点で解散することに同意するはずがない。彼等は何故解散するのか?漫画で観る「音」を聴くしかない。 やはり、次の舞台は彼の国(かのくに)だよね。
2021年03月22日
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「よつばと」第15巻 あずまきよひこ 電撃コミックス 今や翻訳言語14カ国、世界27以上の国で読まれているそうだ。前回13巻まで一気読みしたのが2016年だったから、2巻出すまでに5年(ホントは6年)経っている。けれど四葉の人生は1ヶ月ちょっとしか進んでいない。いや、この物語そのものが7月から12月半ば迄だから15巻で半年も進んでいない。それでも、四葉は日々成長する。それを「よつばと」愛読者は18年間見守り続けてきた。「普通という奇跡」すごいことだと思う。 18年も経てば、いろいろ設定上困ることも起きてくる。ぱりーきゃみゅきゃみゅはもう歌えない。お父さんも流石にスマホに買い換えた。「インフルエンド」ごっこさえ飛び出たけど、マスクは被らない。 お父さんと5歳の四葉との「関係」はまだ謎だけど、こんな日々はホント宝物だ。
2021年03月21日
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「四畳半タイムマシンブルース」森見登美彦 原案・上田誠 角川書店 普段は「ネタバレ警告」なんてしないのだが、今回はそれをしないと書けそうにない。でも基本的には匂わす程度に留めることをお約束します。 ‥‥まさか、そう来るとは! いや、ストーリーが意外だったわけではない。 むしろ映画「サマータイムマシンブルース」と、あまりにも相似形のストーリーに戸惑ったほどである(タイムマシンを持ってくる田村くん、穴掘り名人の犬のケチャという名前まで同じ)。 なんと森見登美彦の文体の才弁縦横、軽妙洒脱、機知奇策、因循姑息、満漢全席たる所が鳴りを潜めているのである。むしろ夏の終わりの蜩鳴く寂寥さえ覚える静かさが、この作品の特徴である。‥‥と言ったならば、「そんな大嘘を書いてもらっては困る、夏真っ盛りに終始一つのクーラーリモコンを巡って大騒ぎするこの作品の何処が寂寥なのか!」と怒鳴り込む相島氏も出てくるや知れぬ。彼は最後の挿話は知らぬのであるから、理屈屋の相島氏は理解しないであろう。 何故、「原案」と同じなのか?森見登美彦ならば、もっと弾けてもいいのではないか?しかし、私は最後まで読んで「承知」したのである。年代は書いていないが、これは現代の話ではない。携帯は出てくるけど、これは少なくとも映画公開の2005年の話であり、田村くんは2030年からやってきたのだ(と、推理する)。その間にあったことを、その間の人たちが青春を懐かしむ話だったのである。 アパートから炎天下の住宅地に出たのは午後4時前、傾き始めた太陽が足下に色濃い影を落とし、街路樹では蝉が鳴いていた。 まるでデジャヴのようだと私は思った。 しかしこれはデジャヴではない。紛う方なき反復なのだ。(114p) (以下は「私」ではなく私の呟き)まるでデジャヴのようだと私は思った。 しかしこれはデジャヴではない。紛う方なき「映画の」反復なのだ。 「そういうことだったんですね」 明石さんならぬ私は、呟き、ヴィダルサスーン紛失事件の顛末まで一緒なのを確かめながら、田村くんの名前が偽名だったことが明かされる。おや‥‥。 そして、図らずも第一部「四畳半神話体系」という「小説」が生まれる瞬間が登場する。つまり、登場人物が違う他には、映画には全くない挿話が2-3出てくるのである。 本書は、森見登美彦の見事な青春の書である。と、同時に森見登美彦から私たちに贈られた「タイムマシン」なのである。その意味の妙味を逐一書くことは差し控えたい。読者もそんな唾棄すべきものを読んで、貴重な時間を溝に捨てたくはないだろう。
2021年03月19日
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