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4月2日(水) 旧暦3月5日 六曜は「先勝」
先だって、後輩たちにお呼ばれしたお茶会時に、「島の歴史あまり知らないよね」の話になり、自分たちの集落付近にある歴史の舞台を訪ねてみようという事になりました。
お茶会は西銘集落内の喫茶店「結人舎」で開かれましたので、この界隈に久米島の歴史上で有名な「笠立若茶良(がさしわかちゃら)王子」のゆかりの地があったのです。
「笠立若茶良」は島を統一した「伊敷索按司(ちなはあじ)」の3番目の息子で、聡明がゆえに親兄弟に疎まれ、若くして自死せずを得なかった悲劇の王子です。「登武那覇城(とぅんなは城)」の主として近隣を統治していましたが、彼だけは伊敷索按司の側室の子で兄二人とは異母兄弟でした。
それゆえ、彼の母親は現在の山里集落に家を与えられ、出身が粟国島だったため、この屋敷は「粟国屋敷」と呼ばれていました。
<現在の粟国屋敷 建て替えられたとは言え、100年以上の家である>

<屋敷内の古井戸> <屋根のシーサー>
清閑なたたずまいの、趣のある家屋敷で、この地を知るものはあまりいないようです。
若茶良はここで生まれ幼少期を過ごしますが、彼が生まれた時の「へその緒」を埋めたと言う場所も、近くにあり、そこも訪ねてみました。

うっそうとした小道を抜け、大きな松の木をまわりこむと・・・
<若茶良のへその緒を守るソテツ>
大きな松の木の木陰に、その場所はありました。ソテツの根元に埋められたのか、それとも埋めた場所にソテツが生えてきたのか、何百年と言う長い間、ここは集落の人たちの信仰の場所になっていました。
もう500年も前の出来事ですから、ソテツがその頃から生えていたとは考えづらいのですが、いずれにしても古いソテツに守られています。
若茶良は、島の中高校生たちが毎年、ミュージカル風「組踊り」として公演していますから、島人には最も人気の高い王子です。
西銘の集落には、彼が「釣り竿」を置き所としていたという場所もあり、「チナバク」と呼ばれる拝所になっています。

「笠立若茶良」は、これだけの痕跡がありながら、幼少期の物語は、ただ口伝だけで伝えられているのが不思議です。
いつか久米島の歴史物語として語る機会があればと思っています。
今日は沖縄本島へ日帰りのお出かけです。行って来ます。
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