優季(ゆうき)のこと



 帝王切開、未熟児

 検診に行くたびに「順調ですよ」
と言われていたのに、
 6ヶ月の時、家で夕方テレビを見ていたら少量の出血。
かかり付けの病院に電話
「入院の準備をしてきてください」
歩いて5分のところなので
「歩いていっていいですか」
「だめです」
で、タクシーで行く。
 内診してみると
「前置胎盤だな~、安静に・・・」
と言われ,入院。(うっそ~)
 出血も止まり、と言うより本人はどこも痛くないので、
(何で入院しなきゃいけないの?)
と言う感じで、5日目で退院させてもらった。

 自宅でも安静という事で、外に出れず何も出来ない毎日でした。

 2週間くらいたってまた出血。即入院。
前回より胎盤が子宮にかかっているので、またも安静。
四人部屋なのに、トイレにも行けず、
ポータブルトイレを置かれた。
 したくても音が気になり、もう泣けてきた・・・
結婚して静岡に来たばかりで友達もいないし、
両親は岐阜,愛知で遠いし、
お見舞いは会社がえりの主人だけ。

 2週間入院してよくならず、薬治療だったのを点滴に変えたら、
(多分医療ミス、看護婦さんが入れた薬のあとおなかが張ると先生にいったら、
じゃあ僕が確認して変えるね。みたいな事を言われた)
 その数時間後、
おしっこをしてるとは違う感覚で大量の血が流れ出ていく・・・

 緊急手術。(まだ32週なのに・・・)
主人に電話してもらい、来たのを確認し手術室へ
 麻酔がなかなかきかず大変
急な事だったので、看護婦さんにずっと手を握っててもらっていた。
 夜9時15分、2015グラムの女のコ
「小さい・・・、でも元気そう・・・」

 岐阜から母が来てくれ夜中の11時過ぎ
 (新幹線に1人で乗った事がない田舎者)
「よくこれたね~」
 母は心配そうな顔

 その1時間後、優季、肺に異常
呼吸を上手くしていないらしく、他の病院に転送されるとの事。
 ママに内緒で行くのはかわいそうだからと
テニスボールの空気入れみたいな物で、
酸素を吸っていた優季が私の部屋に連れてこられた。
「今から行くけど,大丈夫だからね」
と先生が言って連れていかれた。

 入院中は授乳の時間は一人お乳を絞って冷凍パックに保存していました。
私だけ赤ちゃんがいないので、寂しかった・・・

 術後4日目くらいに、外出許可をもらって転送された病院へ
体に色々クダを付けられた優季を見て
もう涙が止まりませんでした。

 自分が退院して、優季に毎日会いに行き
それでも、1ヶ月は保育器に入っていて
手だけ入れお乳を飲ませたり、
オムツを変えたり・・・

 初めての子供だったので、不思議とこれが当たり前の事なのかな~
と普通に接することが出来ました。

 ただ夜寝るときは、病院から電話がかかってくるんじゃないかと
心配で不安で寝れず、
主人に手を握ってもらわないと、寝れませんでした。

 2500グラムになって優季も退院することができました。

優季誕生




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