Hard-boiled or soft-boiled

ステイゴールド


 晩年にこの馬を勝てる馬にしたのは
 武豊だったのかもしれないが、
 それ以前に彼がこの馬を
 勝てない馬にした可能性がある。

 通算50戦7勝(海外含む)。
 国内ではG12着、3着が多く、
 いわゆる名脇役と言われる存在だった。

 あまり知られていないことだが、
 デビュー戦ではペリエ騎手が乗っている。
 3番人気3着、次もペリエ騎乗で、
 確勝かと思われたのか1番人気に押されている。

 しかし、結果は最下位16着。

 次のレースは気を取り直して熊沢騎乗。
 だが、ここでも競走中止。
 大差負けした暮れから2ヶ月ほどたった日だった。

 サンデーの良血で、名門池江厩舎所属、
 そしてデビュー戦の鞍上ペリエと
 クラシックを狙うはずだった馬は、
 皐月賞トライアルが始まる頃、未だ未勝利だった。

 この年はサンデーが不振で、
 初年度だったメジロライアンが
 内国産旋風を巻き起こす原動力となっていた。

 例えば、メジロブライト。
 例えば、エアガッツ。

 しかし、結局クラシックで上位を占めたのは
 サンデーではないにせよ、
 ブライアンズタイムの子供たち。

 例えば、シルクライトニング。
 例えば、シルクジャスティス。
 そして、サニーブライアン。

 後に武豊を鞍上に得て、
 伝説を残すサイレンススズカも
 まだこの時点では多少スピード能力に
 秀でたただのOP馬だった。

 当のステイゴールドは
 それから2回ほど2着を続け、
 ダービーと同じ舞台で、
 ダービーの数週間前にようやく
 未勝利を勝ち上がった。

 一度勝利の味を覚えると、
 馬が変わるというのはよくあることで、
 続く500万下の特別もあっさり勝った。

 次のやまゆりSこそ、
 中京の小回り馬場で追い込み切れず、
 取りこぼしてしまった格好だが、
 同期のエリートたちよりも
 一足先に始動して秋口に3勝目を飾った。

 古馬相手に勝ったことで自信を持った
 陣営は菊花賞を目指した。
 そのトライアル、京都新聞杯では、
 春の中心馬メジロブライトに続く4着。

 10番人気だった菊花賞は、
 陣営は秘かな期待を持っていただろう。
 しかし、展開が向かず、
 スローの上がり勝負になってしまい8着。

 それでも勝ったマチカネフクキタルから
 たったの0.5秒差に踏み止まった。

 もしもサイレンススズカが
 後のローエングリンのように
 菊花賞に出てきていたら、
 意外にあっさりG1ホースに
 なっていたかもしれない。

 ここから、苦難の道のりが始まる。

 ゴールデンホイップトロフィー。
 毎年、年末に開催される
 ジョッキーが主役のこのレース。

 抽選によって出走馬と騎手の
 組み合わせが決定するシリーズだが、
 主戦の熊沢騎手が日本を代表して
 出場できるはずもなく、
 くじで決まった相棒は武豊だった。

 ここで久々に一番人気に推されるも
 川原正一の乗ったファーストソニアが
 粘りに粘ってクビだけとらえ損なった。

 実はこのレースが彼にとっての
 ターニングポイントだった気がする。

 それまでは勝ったり負けたり、
 競走中止したり大差シンガリ負けしたり、
 少なくとも惜敗するキャラクターではなく、
 どちらかというと派手なレース振りだった。

 それがこのレース以降、
 万葉S、松籟S、ダイヤモンドSと
 2着が4度も続くことになる。
 それもハナ差負けを2度も含んでいる。

 いつも掲示板は確保するも
 勝ち切れないというキャラクターで
 98、99、そして2000年の前半を過ごす。

 この間、G1でも2着4回、3着2回。

 そして久々の勝利を得た時、
 彼の背には武豊がいた。

 天皇賞・春と宝塚記念の間にある
 隙間重賞である目黒記念、
 そこで彼は武豊を背に勝った。
 一番人気での堂々たる勝利だった。

 それ以来、彼はG1で指定席だった
 2、3着に座ることはなくなった。

 世の中には勝ち切ることができる代わりに、
 大敗することが多いタイプと、
 勝ち切ることができない代わりに
 常に接戦に持ち込むタイプの2種類がいる。

 ステイゴールドという馬は、
 長い競走生活の中で、
 その競走スタイルが後者から
 前者へとシフトした珍しいケースだ。

 こうした馬のタイプ分けは
 特に3連単を検討する際に有用だろう。


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