■ある気がかり
弘樹君はこの大切なリハーサルを2回とも欠席した。
知的障害の中で、自閉症という障害ほど誤解され、理解されていない障害はないかもしれない。自閉という言葉のイメージからドラマでも間違った自閉症が演じられていた歴史がある。理解が容易に得られない場所に連れて行くときの家族の大変さは想像を絶する。同じ自閉症と言われる人でも、千差万別。人の性格の数ほどある。
私はカーニバルの人たちを障害の名前で区別したり 障害の名前を知ろうとしたことはない。だが自閉症の弘樹君だけは、いろいろなものを参考にしたいと切に思っている。コミュニケーションをとりにくいから、彼に合わせていくための手がかりができるだけ欲しい。自分の持っている知識や想像力では、彼をうまく誘導できていない。自閉症はその場の雰囲気を読むことが苦手だというが、果たしてそうなのだろうか。
彼がリハーサルを欠席した理由はお母さんの心の問題だ。弘樹君は歌が本当に好きで、ソロでも歌える実力者だという。だが、このカーニバルではみんなと静止して歌い続けるという場面を見たことがない。みんなが歌っている間、練習中もほとんど動き回っている。お母さんにしてみれば、動き回ってみんなの迷惑では?と考えてしまうのも無理からぬこと。
私は弘樹君が動きたければ動けばいいし、歌いたければ歌えばいいと思っている。とても嬉しそうに、突然笑う声もいい。制止したり抑圧したりなど、彼にとって苦痛なステージだけは避けたい。つまらなそうにしている彼の姿はいやだ。その点は朝倉さんも同意見なので、弘樹君のお母さんに話してもらう。ここは保護者同士。朝倉さんにお任せした。私は彼が来てくれることだけを願った。歌好きな仲間といる空間を彼はどのようにとらえているのだろうか、来てくれるだろうか。
■デビューの日
デビューの日の朝、私はこの日をとても楽しみに迎えることができた。普通なら心配で心配でということになる。
だが、とても晴れやかな気持ちだった。弘樹君が来るとの連絡があったから。こんな気持ちでこの日が迎えられるとは。すべてをやりつくした気持ち。みんなと共にステージは間違いなく楽しいものになる。自信に満ちていた。あとは今日の日を楽しむだけだ。本番の日ほど、楽しいものはない。思いっきり楽しもうと思った。
当日、あいにく養護学校の行事と重なり、練習場に集まるグループと文化会館に直行するグループに分かれた。早く練習場に集まったグループはお化粧ボランティアの方たちにきれいにしてもらう。お茶をゆっくり飲む。普段の練習にはない、緊張感もあるがこのゆったりとした時間を一緒に過ごすことが、本番の一つの楽しみだ。全員文化会館に集合としなかったのは、こういう理由からだ。会話内容もいつもとは違ってくる。だって第一に「こんばんは」ではなく、「おはよう」なのだから。
康子さんはもう家できれいにお化粧をしてきた。とても張り切っている。気合の入ったお化粧だ。バンドをやっていたお兄さんのキラキラの青い上着が超ハデ。ステージで映える。いいぞ。
寿美子さんもお母さんにお化粧してもらっている。その頬にフェイスシールを貼って、さらに気分を盛り上げる。それにしても赤の上下が似合う。頭に赤い花までつけている。ステージが近づいてお化粧道具を買いに行った話をしてくれる。「すご~くしあわせ」と大きな声で言って、みんなを笑顔にさせる。
白い毛糸の帽子を深々とかぶった恵さん。それは小さい頃からのお気に入り。角がつんと立っていてまるで子猫ちゃん。お化粧をしてもらいながらとても嬉しそう。いつもよりテンションが高い。よかった。
ゆかりさんの黒地に花柄のシャツもパンチが利いている。赤いジーンズと赤いバンダナで格好良く決めている。お化粧をしてもらいながら緊張をほぐす。
純子さんは「お母さんが選んでくれた」と言って、大きなチェックのシャツとオレンジ色のバンダナを自慢してみせる。触られるのが嫌いだから、お化粧なんてとんでもない。でも、人がしてもらうのを眺めるのはとても嬉しい様子。ダイナミックな笑顔が絶えない。
おっ、白いタオルをかぶっているのは貞雄君だ。私は貞雄君のこの白いやわらかなタオルスタイルが好きだ。是非!とリクエストしていたのだけれど、「ステージではねえ」という母親の意見で、リハでは帽子だったりバンダナだったりしていたのだ。こんなにタオルが似合う人はめったにいない。今日はいつものタオルを選んでくれてよかった。
みんな思いっきりおしゃれをしている。このことがより一層、気分を盛り上げる。あれっ、拓也君。散髪に行って確かにすっきりしているが、どうして黒いコートなのだろう。彼は平気な顔だ。この格好のままステージに上がるつもりなのだろうか。
メンバー7人が集まった。あと4人は文化会館に集合することになっている。サポートメンバーも集合したところで発声練習。これから向かう文化会館のリハーサル室でも練習をするので、ほどほどにする。さあ、車に楽器を積んで出発。
鏡張りの素敵なリハーサル室。広く見えるはずなのに、メンバーと保護者が入るとそれだけでいっぱい。そこへ会館の人、福祉課の人が様子を見に来られる。楽器の運搬などを手伝っていただけるそうだ。みんなが今日デビューのカーニバルに注目している。そう。デビューという言葉は、私たちがステージを楽しい目標にするために使ってきた。
「みなさん。カーニバルがデビューするのはいつですか」
「10月25日!」
もう、みんなの中で10月25日は芸能界デビューの日ということになっていたのだ。
「すごいよね。みんな有名になって、道を歩いているとサインくださいなんて来るかもしれないね」
などと煽り立ててきた。そのデビューという言葉が外部に向かっても歩き出し、カーニバルのデビューを多くの人が注目するようになっていたのだ。
緊張感が走る。私は一人で歌えと言われたら、今頃どこかへ隠れてしまいたい衝動にかられるだろう。だが、今日はこんなに大勢のメンバーとステージに立つ。だれもが、緊張しているのだろうが、服装をほめあったりして、笑顔笑顔だ。ふざけあったりする余裕さえある。そんなみんなを見ていると、よかったみんな一緒で、と大勢の強味を噛みしめる。
拓也君はまだコートを脱ぐ気配がない。これがやっぱりステージ衣装だったのか。
「拓也君、ステージは暑いよ。脱いだら?」
と声をかけてみた。
「あっ、はい」
そうだったというように、脱ぐ。「うわっ!すごい」。赤いチェックのシャツに蝶ネクタイ。イメージ通り、バンドマスターだ。こんな格好になんて言わなかったのに、家族が選んだのだろうか。何という以心伝心ぶり。
そこへ、あとの4人が集合する。久々に見る弘樹君。黒の帽子に白いオーバーシャツ。いつもに増してスポーティーなイメージだ。大勢の人が集まって弘樹君の気分も高揚しているように見える。あんまりうれしくて、伝える言葉もない。どうか、今日という日を楽しんで欲しい。
広大君はチェックのシャツに黒いベスト。塘さんからオレンジ色のバンダナをそれはそれは嬉しそうにつけてもらっている。何と柔らかな笑顔だろう。「今日は出遅れてもやり直しはしないからね」と心の中で広大君に言う。
知毅君が心配そうにリハーサル室を見回す。自分の楽器を見つけると安心して「よしよし、あったか」とばかりにスルドをなでる。いつも通りの笑顔だ。白いトレーナーに赤い帽子が映える。軽快なイメージだ。
同じ色が見つけられないほど、たくさんの色にあふれている。この1ヶ月でカーニバルのファッションセンスは急激に進化したように見える。
そう。この人。カーニバルが始まるきっかけを作ってくれた緑さんは、本当にうれしそうに、みんなを見回している。「みんな来ているか、みんな元気か、がんばろうよ」とお世話好きな彼女の顔が言っている。今日はもうすでに最高の日になる予感で、みんなが引き締まったいい顔をしている。
社会福祉大会の本大会が終了し、アトラクションが始まる。どんちょうが下りたステージ上に楽器やマイクがセットされた。いよいよそれぞれの小さな楽器を手にステージへ。マイクとの距離を一人ずつ確認する。どうしてもふざけモードになりがちな男性たちを前列にして責任感を持ってもらう。今ではこの人たちなしではカーニバルはありえない。すっかり頼りにしている私がここにいる。女性たちは後ろで結構リラックスしてスタンバイする。
今日のナレーションを務める朝倉さんが緊張してステージ下手に立った。手話通訳も控えている。暗転。幕が上がる。
「世界にはいろんな音楽がある。私たちには私たちの色がある。私たちには私たちの音があるはず。今年の6月、この三股町で結成されたバンド・カーニバルです。4人でスタートし、今では仲間も増えました。今日はその素敵な仲間たちと一緒にはじめてみなさんの前で演奏します。初めは、オリジナル曲SMILE。どうぞ、お楽しみください」
私がカスタネットでリズムをとる。みんなのかけ声。「S・M・ILE SMILE SMILE GOGOGO!」ステージはぱっと明るくなる。キーボードのリズムが入る。拓也君のハーモニカだ。会場から
「た~くや~!」
と声がかかる。あっ、まるでライブ会場。客席には作業所の仲間らしい顔が見える。拓也君はハーモニカが会場に届くようにマイクに意識して近づいている。あまりにしっかりしたハーモニカの音に鳥肌が立った。こうなると、みんなも張り切る。あんなに練習では疲れた表情を見せる恵さんも、一生懸命リズムを取りながら歌っている。純子さんもマイクから離れない。彼らは本番に強いと信じていた。その通りだ。演奏が終わり大きな拍手が起こった。
次は「風になりたい」。イントロが始まる。THE BOOMの演奏に重ねるように私たちの声が入る。スルドもボンゴも力強い演奏だ。間奏、ダンスショータイム。5人が前に出た。照明が派手に色を変える。その光景を初めて見た弘樹君は「おっ」という顔をしてうれしそうに微笑んだ。そしてそのあと、広く空いたステージ空間を手を上げて走り回ったのだ。その場の雰囲気を読むのが苦手なのが自閉症だという。しかし、しっかり弘樹君はその場の雰囲気に合わせて行動しているではないか。私は彼に間奏部分が変更になったことは告げていない。3回続けて練習を休んだ彼がアドリブで広いステージで笑いながらくるくると回りながら楽しんでいるのだ。私が思い描いていたくるくる回るという動き。危ないから実行に踏み切れなかった動きを長身のスピード感にあふれる弘樹君がたった一人で実現してくれている。
間奏が終わり、5人は元へ。弘樹君も元の位置へ。すごい、なんということだろう。彼らには、私が思っている以上の力がまだまだあるに違いない。私は何という勘違いをしていたのだろう。信じていたなんて、それは私の想像の範囲内での信じる力なのだ。彼らのすごさは想像をはるかに越えたすごさなのだ、きっと。♪生まれてきたことを幸せに感じる♪この生きることへの生命賛歌を彼らと共に歌っている幸せでいっぱいになりながら、私たちの10分のステージが終わった。大きな大きな拍手が会場に響いた。私はうれしすぎてはしゃいでいた。借り物のタンバリンは粉々に割れていた。
通路に待っていたのはカメラのシャッターを切る音。しかし、ステージを終えたみんなの歓声ですぐかき消される。役場の人、会館の人、保護者、作業所の職員や友達が次々と通路に詰め掛けた。歓声はどんどん大きくなっていった。みんな上気した笑顔で彼らを、私たちをねぎらう。あちこちで抱き合って互いの喜びを確かめ合っている。何と素敵な光景だろう。この喜びこそ、彼らへの最高のプレゼントだ。次へとつながる気持ちは、すべてこの達成感という喜びから来るのだ。私たちは、この喜びを心ゆくまでゆっくりと味わった。
もう一つ。静かなステージがあった。今日のアトラクション、メインゲストのグレープフルーツさん。宮崎市のエデンの園という入所施設。視覚障害のあるみなさんの演奏。楽器はギター・キーボード・打楽器。バンドの演奏もしっかりしているが、ボーカルの女性のすばらしい歌。澄みきった声が会場を魅了していた。「私たちには私たちの良さがある」と気炎をあげて数ヶ月を邁進してきたカーニバルとは違い、永年の歴史と安定した実力を感じさせた。この方たちの前座を無事つとめあげることが出来たのだ。ステージ袖で演奏を聴きながら、心が解けていく感じがした。肩の荷が下りるというのはこういう感覚なのかと思った。
この日。衝撃的で感動的なデビューを果たした私たちは、何のパーティーをするでもなく、さっさと帰路についた。喜びは帰り着いてもまだ続く。電話やメールで今日の感想等が届く。今日一日は十分この感動に酔いしれていよう。
●素晴らしいステージでした!拓也くんのハーモニカが鳴った瞬間、「ぞぞ~っ」ときました。これまで何のお手伝いも出来ず練習を見せていただいただけのことなのですが、昨日は、なんとも言えない充実感を味わわせてもらいました。それに加え、「ありがとう~!カーニバル!!」とそんな気持ちにもさせてもらいました。くすかさん、昨日まで「あっ」という間だったのでは?一つを終えたことで、ホッと一安心ですね。本当におつかれさまでした。とにもかくにも扉が開かれましたね。これからの活躍も、大いに大いに期待しています!!
●お疲れ様でしたぁ。最初はどうなる事かと思ってましたが、練習の度に皆がそれぞれに
上手になり、声もでるようになり(ほんとに出るようになりましたね)、楽しく(これが一番ですね)、仲良くやってこれて良かった!ですね。知毅もはたして曲にのれるのか、心配でした。知毅なりに成長したかなとうれしかったです。ゆかりちゃん、広大君はお誘いした手前、ちょっと心配でした。でもとっても喜んでくれてこれまたうれしかったです。
それにしてもグレープフルーツ素敵でしたね。一度宮崎で聞いた事があったのですが。
でもわがカーニバルも数ヶ月であれだけになったんですからたいしたもんですよね。
●やったぁー。すごかった。みんな輝いていてうきうきしました。本番に強いなぁ。と感心してたけど、みんなも持ってる力を全部だしたんだね。いつもみんなに元気をもらってるのは私の方です。ありがとう〓カーニバルは素敵な仲間だぁ!
くすか先生おめでとう。
●みんなの声が客席の一番うしろで聞いていた私の胸にドーンと届いてきました。くす
かさん、ほんとによかった!!特に風になりたいは厚みというか、立体感があって舞
台いっぱいに歌ってるみんなの気持ちが、満ち満ちていて、”感動”でした。一人一
人がほんとに生き生きしてたよね。見てて楽しかった。&涙も出ちゃった。歌ってる
みんなも最高のステージだったことでしょう。みなさんに”ありがとう”とお伝えく
ださい。
それからグレープフルーツのボーカルの女の子の声きれいでしたねー!心が洗われる
ような声でした。
●緊急な用事ができ、演奏会に行くことができませんでした。リハーサルを見てもきっとうまくいくと思っていましたから、成功の知らせを聞いて やっぱりね と思いました。作詞・作曲のお二人は自作の曲を披露できて、どんな思いだったのでしょう?
聞かせてください。これからがカーニバルの始まりですね。
活動が長くそしてどんどんいいものになるように…がんばってください。
タンバリンがこわれたそうですが、気にしないでください。ビデオを楽しみにしています。
●返事遅れましたが…発表会お疲れ様でした(^-^)これからも色々な所で演奏等していけるといいですね☆陰ながら応援させていただきますp(^^)q
■広報デビュー
さて、カーニバルの初めからデビューまでの期間、三股町の広報の取材がずっと入っていた。役場の岩元さんが担当者。彼はカーニバル2回目の練習から1日も欠かさず練習に付き合ってくれた。取材をしながらカメラを向けながら彼らに話しかけていた。その反応をまた私に教えてくれたことで私の判断材料もふえ、大いに助かったものだ。また、取材をされるということは、一つ一つの取組みの意味を確認することでもある。これはカーニバルがデビューまでの道を迷わず進むことに大きく貢献した。実を言うと、「風になりたい」をやろうと決心できたのも、
「やったらいいじゃないですか」
という岩元さんのひと言があったからだ。おしゃべりをしながら私は自分を納得させ、自信を持たせてもらっていたような気がする。
私たちの記事がどんな形で掲載されるのか。デビューが終わってからの一番の関心事となっていた。11月末の練習日。できたばかりの「広報みまた12月号」が届いた。岩元さんは、括ってある紐にハサミを入れた。パチンパチンと気持ちのいい音がした。「では」と配ろうとする岩元さん。みんなで同時に喜びの瞬間を迎えたかった私は、一部を取り「みんなで一緒に見ましょう」と言って、表紙を先ずみんなに向けた。メンバーも保護者も目を輝かせて表紙を見つめた。1ページ目をあける。緑色の照明の中、ステージに立つみんなの写真が見開きのページに大きくドーンと現れた。みんなの一生懸命演奏する姿だ。こんな大きな写真は予想外だ。「うわあ~~~~!きゃあ~~!」そして拍手。なんと、「カーニバルの合言葉は『わたしの歌を聞け』」というのが見出しだった。次のページからはデビューまでの歩みを写真や記録文で紹介したり、インタビュー記事などで、全部でなんと8ページもの特集だったのだ。それにはもう、ただただびっくりするばかりで、広大君は感激して声を上げて泣いた。私たちも泣きそうなくらいうれしかった。これが三股町の全戸に配布されるのだ。
デビューした日から1ヶ月後、カーニバルは広報紙によりローカルデビューを果たした。広報が出た後、見たよ~という反応があるまで拍子抜けするくらい時間がかかった。見た人にも温度差があるから、すぐ電話を下さる人、話題にのぼってやっと思い出す人、何か出てたね~という程度にしかほとんど読んでいない人。さまざまな反応だ。でも、それは誰のせいでもない。まあこんなものかもしれない。「今度は童謡まつりに出るんだってね。見に行くよ」こう言ってくれた人は、きっと隅から隅まで読んでくれた人だ。そんな広報読者の中で、私の携帯に来たメールを一つ紹介したい。
「せんせー久しぶりー!!元気!?ふるさと祭りのときもうちょっと話したかったんだけど、友達が待ってて探してたんやって!後んなって後悔したぁ~広報読んだよー!!先生すごい頑張ったね、障害もってる人達も1!何か上手く言えんけど写真に映ってるみんなの顔がすっごく一人一人イキイキしてて、歌を歌うの楽しいよ!!ってかんじた!!最初先生にカーニバルの話いろいろ聞いてて、障害持ってる人達で歌・・・??何て心のどっかで思っちゃったりしてたんだけど、広報にあるように、活動記録読んでいったら、自主練に来だしたり、音楽の楽しさを教える先生もすごい大変だったと思うけど、先生の頑張りのおかげで皆もすっごい変わってきてるのがわかった!!この人達は音楽大好きなんだ!!きっとこの人達は皆で一つの音楽を奏でるって事を通して、得られた物がすごいあったと思うし、この企画に携わった人達に学べる事がたくさんある!!それに、この広報読む人達も!!それだけ多くの人に勇気と感動を与えてくれた人達に感謝だね!!この人達と出会えて良かったね!!先生!!皆先生優しいから大好きだょ~ぉ」(以前私の公文の教室で学習していた、つまり教え子であった女子高校生からのメール)
女子高校生らしいメールだったが、広報が伝えたかった内容がしっかり伝わっている。丁寧に読んでくれ、自分に置き換えて考えてくれた心のこもったメールだ。私は何度も何度も読み返して心の中で「ありがとう」を言った。そして岩元さんに伝えた。高校生が広報を読んで、こんなにもきちんと理解してくれているのだ。彼がどんなに喜んでくれたことか。
広報の影響は読者だけではない。カーニバルのメンバーにもうれしい反応があった。康子さんだ。康子さんは掃除・布団干し・洗濯・買い物・食事の支度など働いている義姉を助けて家事をこなしている。よく行くお店の人から、「広報に載っていたね。がんばってね」と声をかけられたそうだ。とてもうれしそうだった。たくさんの人から親しみを込めて声をかけてもらえる。しかも、ほめてもらえる。障害者が社会の中で生きていく時に一番必要なもの。それは多くの人との関わり、支え合いだ。一つの取り組みとその情報が、周囲の人の言葉かけや行動につながっていく。自分たちだけで楽しく活動をするだけでなく、それを社会に伝えることの重要性がここにある。
広報に大きく掲載されるということは、社会的に認められた活動というように認識されるようだ。私もいつもに増して「今日はカーニバルだから」と家を出やすくなる。メンバーもメンバーの保護者たちも、またサポートメンバーも同じだ。みんなから認められる活動になったことは、親しい人たちの目から感じとることができる。
だが、心配なことがないわけではない。オファーにどう対応するか、取材にどう対応するか、新メンバーをこれからどのように受け入れるか、見学をどう受け入れるか、など。オファーについては、こちらの計画を先に作ること。オファーに振り回されない自主的な取り組みを軸にしていくことで回避できる。今のところは、家族ぐるみで動いているので大人数の移動となる。そのうえ、楽器運搬などが気軽にできない悩みもある。とても要請にこたえられるカーニバルではないのだ。
取材にどう対応するか。これは徒労に終わったが、丁寧な取材でなければお断りしようと思っていた。記事でカーニバルがどのように扱われるかは重大だ。「出ればいい」という安易な考え方はもとよりない。新メンバーについては、障害のあるなしに関わらず、慎重に時期を考えて無理なくカーニバルに溶け込むようにしたいと考えてきたが、そんなに気構える必要もなかった。応募してくる人は……。あっ、一人いた。三股町を拠点に活動しているシンガーソングライター。彼をどのタイミングでカーニバルに出会わせよう。
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