第3章 11人のお陽さま探し
■イヴのプレゼント
今日はクリスマス・イヴ。我ながら何ということだ。私は落ち着きなく、部屋の中をぐるぐる回っている。今まさにわくわくすることを思いついてしまった。確か、康子さんの誕生日は今日。家族や仕事仲間が集まっての大パーティーが始まるらしい。康子さんからの情報だ。このホームパーティーに彼女に内緒で突撃訪問したい。まるでテレビのどっきりカメラみたいに。何のために。私たちの今度のステージは、2月11日の「童謡まつり」。三股町が取り組んでいる文化の祭典のイベントの一つだ。たくさんの団体が参加する中、カーニバルも5分間のステージに立つ。カーニバルは、その童謡まつりへ向けて練習が進んでいる。その曲のある部分を、康子さんにソロで歌ってもらうことを思いついてしまったのだ。承諾してくれれば、そのことが彼女への素敵な誕生日プレゼントになるはずだ。
康子さんはお兄さんの家族と暮らしている。お義姉さんは、康子さんと名前も同じ「安子」さん。お義姉さんは康子さんのことを「やっちゃん」と呼んでいる。
「やっちゃんは健康の康だけど、わたしは安物の安ね」
二人はとても仲良く、助け合って暮らしている。もう二十年にもなるそうだ。昼間仕事で外に出るお義姉さんの代わりに、康子さんが家事を引き受けている。お義姉さんには電話で了解をとった。内緒にしてほしいと。
夕刻。足を踏み入れた杉山家の前庭は、色とりどりのイルミネーションが楽しげに今日の日を演出していた。玄関の横はキッチン。その窓から康子さんが準備の作業をしているのが見えた。私に気づいて「あっ」と康子さんの驚く顔。すぐに犬のサンタ君と康子さんが出迎えてくれた。
「お姉さんがやっちゃんの知っている誰かが来るよって言うから、だれかなあって思ってたらあ、カーニバルの先生だった。どうぞ~」
暖かい部屋には、テーブルが並び、鍋がいくつも用意されていた。康子さんの友達として今年は寿美子さんが招待された。康子さんの考えだという。
お客様が来ないうちに康子さんとお義姉さん、そして私は、康子さんの部屋へ行く。ぬいぐるみがたくさん飾ってある。その超乙女らしいインテリアセンスにみんなで笑ったあと、お義姉さんが切り出した。
「今日はね、先生がやっちゃんにお話があるんですって」
康子さんは急に真顔になり、「はい」と言って私を見つめた。
童謡まつりでカーニバルが出場すること、今練習している童謡のメドレーを歌うこと、そしてその中の「雪の降る町を」の中、
♪遠い国から落ちてくる
♪この思い出をこの思い出を
♪いつの日かつつまん
この部分を康子さんのソロにしたいことをゆっくり話した。彼女は大きく目を見開いて真剣に受け止めていた。
「どう?やってみたい?カーニバルの練習の他に、ソロの練習もしなくてはならないけど」
と聞くと、
「やってみたい」
と上気した顔で答えた。
早速、個人練習の日を決める。
「絶対にやる!」
と力強く康子さんは言った。メンバーの中では最年長。生真面目で、これまで集団の中で自己主張する場面など無かった。私が康子さんの歌声を聞こうと近づくと、緊張するのか声が出なくなる。私の目に映っていた少し恥ずかしがりやの康子さんに、こんな隠れた闘志があることを初めて知った。
安心した私はその後、寿美子さんや大勢のお客様たちと一緒に、飲めや歌えの喧騒の中に入っていった。
今回、康子さんのソロで、と考えたのは、童謡メドレーの中で変化をつけたかったこと、この部分がソロに適しているということ、そこでは大人の雰囲気が欲しかったことだ。その条件に一番近いのが康子さんだった。それに康子さんで「いける」と思ったのには根拠がある。康子さんが人前で歌うごとに声がよく出るようになっていることだ。これまでにカーニバルは2回のクリスマス会を経験している。17日のカーニバルだけのクリスマス会と、20日の招待されたクリスマス会。
最初のクリスマス会は、カーニバルの練習日。一人ずつ持ち歌をエントリーして発表会をすることになった。康子さんが童謡「夕焼け小焼け」をアカペラで歌いだした。初めて聞く、澄んだきれいな声。みんな驚いて、し~んと静まり返った。心に染み入る声だ。「スゴイ!」みんなが歓声をあげた。貞雄君が親指を立ててOKサイン。彼女の声はソロで使えるとその時思った。
そして、もう一つのクリスマス会。矢車草の会という車椅子ダンスの会の三股支部のみなさんが、カーニバルに素敵なクリスマス会をと準備してくださった。全員参加することはできなかったが、車椅子ダンスを楽しんだり、ダーツゲームをしたり、楽しく過ごした。私たちもそこでクリスマスソングを披露。
司会の私は、ちょっと悪戯心を出した。メンバー紹介で康子さんの番になった時、私は
「康子さんです。ソプラノのとても美しい声を持っています。では康子さん、きれいな声を披露してください」
そう言って康子さんの度胸を試してみようとした。康子さんは目を丸くして驚いた。恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらもすぐに出てきた。そして私に耳打ちした。
「音をください」
すごいでしょう。「音をください」なのだ。そのあと、堂々とアカペラで「夕焼け小焼け」を歌った。
幸運だった。会議用の小さな録音機が回っていた。そのおかげで康子さんが「場数を踏めば上手になる」という物的証拠を掴んだのだ。ビデオこそ無かったが、その2回ともを録音していた。二つの「夕焼け小焼け」。聞き比べしてみると、明らかに2回目の方が声がよく出ているのだ。初対面の人がたくさん居るとか居ないとか、関係ない。どんどん上手になるに違いない。自信を持って、康子さんにソロの話を持っていったという訳だ。
■とんでもないクリスマス会
「次の練習日はカーニバルのクリスマス会にしましょう。一人ずつ好きな歌をうたってもらいます。何を歌うか決めてきてください」
私は子どものようにわくわくしながら、みんなに言った。12月に入り、すっかり世間はクリスマスカラー。私の場合、忘年会や新年会は毎年いくつかある。だが、クリスマスパーティーはもうずっとない。クリスマスには、お決まりのようにケーキを食べるだけだ。
だが今年は違う。カーニバルのメンバーとクリスマス会ができる。11月からクリスマス曲を数曲選んで練習日に楽しく歌っていた。童謡の練習だけでは物足りないから、ちょうどよかった。デビューの後、曲をマスターする早さに加速度がついたように感じていた。文字を読む人読まない人に関係ない現象なのだ。だから、知的障害があるとか無いとかではなく、歌が好きかどうかで歌を覚える早さが違うのではないだろうかと思うようになっていた。歌を覚えるのが遅いなどという先入観で彼らを見たらいけないと。
だが、彼らの才能はそれだけではなかった。このクリスマス会で、さらにたくさんの才能と出会うことになるなんて、だれが想像できただろう。カーニバルの最初のクリスマス会。それは康子さんだけでなく、ひとりひとりの才能に気づく「とんでもないクリスマス会」となった。
カーニバルのクリスマス会の日。ケーキの差し入れもあり、始まりからわいわいと、いつもに増してにぎやか。「赤鼻のトナカイ」や「サンタが町へやってくる」などのクリスマスソングで余計に盛りあがる。それは11月からずっとやっていること。私にとってそれほど大したことではない。しかし、今日のメインは一人ずつエントリーして発表する「わたしの歌を聞け~発表会」。一人ずつの好きな歌を聞くのは初めてだ。さあ、今日はみんな歌を決めてくるだろうか。
緑さんの「誕生日の歌」から始まって、次は寿美子さんと拓也君の「文字書き歌」。これは「おつかいありさん」の替え歌で、あいうえおの筆順を詞にしたもの。字を書きながら歌う。五十音だから、50番まである。どこかの公文の教室から伝えられ、私が公文の幼児タイムで使っていた曲だ。カーニバルのメンバーに一番受けがよかったこともうれしい。字を書く寿美子さんと拓也君が特に気に入って、二人で文字を書きながら歌ってくれた。しかし、字を何度も書き間違えて、ずっこけ文字書き歌になって大笑いとなった。まるでどこかの喜劇を見るよう。
でも、その大笑いで緊張感が解けた。次に始まった康子さんの「夕焼け小焼け」。これはもうお話したとおりの出来となり、皆が大感動。さらに、ゆかりさんも。持ってきたCDに合わせて歌った。曲名は「snow boy」。リズムの刻みもよく、歌心が抜群にある。続けて喝采を受けた。この人もソロで活躍できる。ソリスト二人が続けて誕生したことに、みんな驚きを隠せない。
次に出た貞雄君。キーボードの即興演奏をするらしい。ちょっと勿体つけたような腕まくりから始まった。もう彼のパフォーマンスは始まっている。それからが凄かった。黒鍵だけに指を素晴らしく速く走らせる。即興曲だ。どこにもないリズム、どこにもないメロディー。何かを表現している。それが何なのか、キーワードは不明。やがてリズムが変わって、フィナーレの構え。そして華々しいフィニッシュ。みんなが唖然となった1秒後、その天才ぶりを讃える熱狂的な歓声と拍手が起こった。涙が出そうだった。そういえば、10月のデビューの日の朝。リラックスした中で初めて私たちの前でキーボードを弾いてくれた。彼は小さい時からピアノを習っている。その時は日本的なメロディーを作っていた。「何だ、この人は!」とその時思った。今日で2回目。凄い人をカーニバルは所有しているのだ。
次に広大君が「モー娘。」の曲を歌った。CDに合わせて振り付けを完全マスターして歌う。歌いながら、彼は一人の少女になりきっている。この見事なまでのなりきりぶりに私たちは口をぽか~んと空けていた。これもまた、やんややんやの拍手喝采だ。この人は、歌いながらのダンスが素晴らしい。そういえば、練習でも必ず身振り手振りで歌っていた。
ハーモニカでみんなの信頼を集めた拓也君が、初めて歌を披露した。CDの歌詞カードを見ながら、まるでカラオケボックスで歌っているようなリラックス感。気負いのない、普通にカラオケの上手い青年という雰囲気が、私たちの興奮を穏やかになだめてくれていた。やさしい柔らかい声だ。この人も十分ソロができる。う~ん。彼らは私が想像していたよりスゴイ!絶対にスゴイ!この日の記録は二川さんのデジカメによる撮影。会議用のちっちゃな録音機。ああ、ビデオカメラが必要だった!
童謡まつりへの参加は、カーニバルが始まってすぐに計画としてあった。だから準備は早くから進んでいた。そう、私はデビューステージを目指すと同時に、次の練習の仕込みをしていたのだ。そして今、童謡の練習をしながら、私は次の練習を何に向かっていくかを、考え続けていた。2月11日が終われば、もう次の予定がないのだ。
デビューステージは確かに楽しかった。だが、10分間のステージで彼らの個性をアピールできたか?元気なカーニバルを表現できたか?その後の広報みまたの特集で補足してもらったから、何となくカーニバルをアピールできた気になっていた。では純粋にステージだけでカーニバルの楽しさが表現できたと言えるだろうか?人間の気持ちというものは絶えず変化する。デビュー後のあれほどの大感動から醒めてくると、私の心の中からは確実に充足感が消えていった。そして、今度こそ生のステージでカーニバルの個性をアピールしたいという気持ちが生まれてきた。彼らの才能の確かな存在に気づいたこの日から、それは急速に、大きく渦を巻きながら膨らんでいった。
■DOYOカーニバル
ところで、童謡まつりへの参加曲のデモテープ作り。これは、「SMILE」ができてすぐ、小山さんに取り組んでもらっていた。彼に相談したところ
「勉強になるから何でもやらせてください」
と言ってくれたのだ。まだカーニバルが始まって間もない夏のことだった。
カーニバルのメンバーがどんなリズムにも慣れるように、楽しく練習ができるような童謡メドレーを作ること。これが小山さんの新しい課題だった。原曲のイメージを少し変えても面白い。リズムを変化させていく楽しさをみんなで共有したい。「童謡かるた」で遊んだ時、彼らが童謡をかなり歌い込んでいることを感じていた。だからとても楽しみ。
先ずは曲選び。これは作る人の趣味がかなり左右する。小山さんと二人で互いに、それはだめ。それもだめ。などとダメだしを互いにされながら、曲が決まった。
.マーチング・マーチ
.椰子の実
.メリーさんの羊
.夏の思い出
.まっかな秋
.雪の降る町を
.夕焼け小焼け
.ドレミの歌
彼は以前はキーボードで音を重ねていって編曲をしていたが、最近ではYAMAHAのQY100というシーケンサーを使うようになった。
「コンピューターによる打ち込みには違いないが、生音が入っていて、コンピューターより音がクリヤーだ」
というのは、小山さんの意見。悲しいことに、凡人の私にはそれほど判別できない。小山さんが言うのだから、間違いないだろう。私は絶対音感を持ったこの人の才能を信じている。だが、小山さんはどちらかというとアナログ派。最新のデジタル機器との格闘の日々が続いた。
数日後、これらの曲がすてきにアレンジされた。「椰子の実」はハワイアンで、「雪の降る町を」はジャズ、「夕焼け小焼け」はなんとサンバだ。ほかにも、マーチ、レゲエなど変化に富んで、しかもおしゃれなものになった。これはみんな喜ぶことだろう。男女パートも決定し、小さな録音機でレコーディングした。デモテープは早い時期に完成したが、デビューが終わるまでは内緒にしておいた。直面しているステージに集中してもらいたかったからだ。そして、デビューを無事すませた11月。すぐにこの童謡メドレーの練習が始まった。題して、「DOYOカーニバル」。「どうよ!カーニバルの童謡だぜ!」と、自慢したい気持ちを込めたネーミングにした。あんなに童謡かるた取りを楽しんでいた純子さんに、練習ではそっぽを向いて歌わない純子さんに、一番に喜んでもらいたかった。
康子さんの個人レッスンの日が来た。音楽の先生になったみたいだ。対面指導だなんて、久し振りにこちらがドキドキしている。練習場に家が一番近いのが康子さん。時間通り、自転車で軽快にやってきた。彼女、昼間の移動はいつも自転車だ。今日はあずき色のフリース。よく似合う。すぐ練習に入るより、少し二人でおしゃべりをする。宮崎市の施設にいた頃の話。コーラスをしていた話。グループホームでの暮らし。お兄さんの家族との生活。彼女はゆっくりだが、次から次へとおしゃべりする。彼女は自分の立場や心の中をきちんと整理して話せるすばらしい人だとわかって感心する。それに、上あごから鼻にかけてよく共鳴したきれいな声だ。
小山さんアレンジの「雪の降る町を」は、原曲をジャズにしているため、粋で大人っぽい滑り出し。だが、康子さんがソロで歌う部分は一転して明るいメロディライン。彼女のきれいな高音が、汚れの無い雪を連想させるはず。マイクを通してさらに美しく響かせたい。
初めはCDの歌に合わせて身体を動かしてリズムに慣れる。腹式呼吸。康子さん、いつもより真剣だ。言葉をはっきり発音して前へ飛ばすなどの練習。マイクを持つ練習。その練習しているところを録音して、家でも同じ練習が自主的にできるテープを作った。このテープをかければ、自動的に自主練が始まるように。アカペラでは全く問題ないが、伴奏に合わせるのが難しそうだ。音程が少し上ずってしまう。問題点は共有できた。彼女が自主的に取り組んでくれることを期待した。
■ミニ・コンサートはヒット企画
話は4ヶ月ほど前。カーニバルの練習にサポートの小山さん、中井さんが入ってくれた8月。この時から、練習の後にミニ・コンサートをお楽しみとして続けてきた。これは、一人で歌ったり、他の人の演奏を聞いたりすることで、度胸をつけたり、マナーを身につけることを狙った。そして何より「次は何を歌おうかな?」と家で考えてくるということになれば、また一つ生活にはりが出てくることにもつながる。これは、発表するサポートメンバーも同じ。新作も披露できるチャンスだ。
これはヒットの企画だった。みんなが少しずつ受け持ってその日のコンサートができる。エントリーする曲は、全体の練習が終わった後のティー・タイムに決めて心の準備。小山さんや中井さんには必ず1曲受け持ってもらう。ミニ・コンサートはどこかのコンサート会場でやっているかのように始まる。
「みなさーん。今日は東京ドームにようこそ!」
「韓国のみなさ~ん。アニョハセヨー!」
お互いに観客になり合うから、緊張感もある。だが私は初めのうちは、CDを持ってくるようにとか、声をかけなかった。自然発生的に持って来るようになることを望んでいた。
クリスマスの発表会の後、それは一気に過熱した。緑さんもCDを家から持参した。大好きなSPEEDの曲。すごい。英語の歌詞も、ものともせずに歌っている。一人舞台だ。フルコーラスを歌い切った。SPEEDが好きなのは知っていたけれど、やはりこれほど好きだとは。そして次々とCDを持参する人が出てきた。差し出された1枚のCDを受け取りながら、鳥肌が立った。カーニバルの練習は月に2回。その間の2週間は、彼らにとって、次に何を歌おうかと考える2週間ともなったのだ。目には見えないが、こうした生活の張りは確実に彼らの何かを変えていく。
デビューステージではあきらめた「世界に一つだけの花」も、このミニ・コンサートで引き続き歌っているナンバーだ。ソロをつないでみんなで分けて歌うのが定番となった。マイクをうまくバトンしていき、最後にはみんなでのりのりの大合唱となる。本当に彼らはこの歌が好きだ。この歌、ステージで歌えなくてごめんね、といつも思う。だが、たいした対策も目途もつかないまま歌いっぱなしなのに、この曲はミニ・コンサートの中で少しずつ少しずつ変化していった。このミニ・コンサートは、進化していくカーニバルに欠かせないホームステージとなった。
■みんな発揮できる場所を求めている
年の暮れ。二川さんをランチに誘った。これまで練習日にゆっくり話す時間などなかった。もう少し彼女と話したかった。ゲーム機が付いたテーブルが片隅に置かれてある、レトロな雰囲気の店。サポートメンバーの中で一番早く練習に参加してくれたのが二川さんだ。メンバーの中にうまく溶け合っていい雰囲気を醸し出している。ピアノ専門の彼女だったが、カーニバルのために初めてのキーボードもすぐマスターした。若いって素晴らしい。それに偉ぶるところが全くなく、いつも謙虚に学ぶ姿勢。でも、この頃何か控えめというか遠慮がち。私との年齢差、19歳という若さが心配でもあった。彼女はカーニバルの活動をどう考えているのだろう。
広報の岩元さんが預けてくれた膨大な量の写真を持って店に入った。二人で見ていく中で、一枚の写真に目が止まった。貞雄君と二川さんが顔を合わせて笑っている、いいショット。彼女は静かに言った。
「貞雄君すごいですよね。貞雄君の才能がうらやましい」
彼女がこんなにもカーニバルの雰囲気に溶け込んでいるのは、彼らに尊敬すら感じている心があるからだ。キーボードを弾ける人ならいくらでもいる。だが、こういう心の人はなかなかいない。それに、カーニバルが海のものとも山のものともわからない時から関わってくれ、一緒にカーニバルの雰囲気を作ってきた。この写真にあるように目と目を合わせて、大切な時を分かち合ってきたのだ。私にとっては彼らと同じく大切な人。
「どう?この中にキーボードで自分以外の人が写っていたら?」
「…ちょっと悔しいですね」
この本音を私は大事にしていきたいと思った。
二川さんと話をしていて学生時代のことを思い出した。若い時って自分を過小評価してしまうことがある。特に自分の知らないことや出来ないことをばりばりこなす人を見た時などは。私は学生時代、「廿日市の会」といって障害児と一緒に遊ぶ活動をしていたことがある。その活動は障害児と遊ぶだけではなく、わが子を普通小学校へ入学させたいという親たちを支援する活動だった。当時その親の間で問題になっていた就学前検診。それは、障害児を普通学校か盲・聾・養護学校かに振り分けるものとして、入学前の障害児の前に関所のように立ちはだかっていた。差別の無い社会というのは、どう考えても社会の中で一緒に暮らすことでしか実現しない。だが、6歳の時点で住み分けが作られてしまうのだ。私たちの活動も、就学前検診を拒否する活動につながっていた。そこには、親や学生の活動に助言してくれる女性がいた。役場職員だった。行政の仕事に携わっている一公務員がこうした活動に助言という形であっても参加するというのは、非常に勇気ある行動。首スレスレの活動だったらしい。自分はこういう素晴らしい人にはとてもなれないなあと思っていた。
二川さんが昔の私とダブって見えた。彼女にそのことを話した。
「今の私は30年後のあなたかもしれないね」
と。
そのあと、カーニバルで二川さんができることを二人で挙げていった。そうだ、ゆかりさんがキーボードを弾きたいらしい。ゆかりさんとのアンサンブルなんかもいい。また、音楽療法を学校で学んでいるのだから楽器や演奏の工夫の仕方も、知っていることはどんどん教えて欲しい。目が輝いた彼女はだんだんと饒舌になってきた。簡単なキーボード伴奏だけでは彼女は満足していない。もっとカーニバルに貢献したいと思っているのだ。なんと素晴らしい人だろう。30年前の私なんか比べ物にならないほどではないか。
発揮できる場所。小山さんも二川さんも、私も、そして他のサポートメンバーも、私たちは全員これを求めている。今あるサポート力を落とさない。そしてもっと引き上げる方法として、大きなステージを準備する必要がある。そうでなければ、物足りなくなる。この私でさえもが、そうであるように。私たちは何かを表現することを、人生の友に選んでしまっているのだ。
■目の付けどころをオープンに
年が明けると、「DOYOカーニバル」の練習に拍車がかかった。2回目のステージなので、ステージ衣装のことはお母さんたちが自主的に話し合っている。
「カーニバルだから、いろんな色がいいね。あんたんとこは、何色ね?」
みたいに。今回も口出しはせずに、お母さん方の盛り上がりを楽しんでいる。実は私もステージ衣装で悩んでいる。自分を含めてみんなが目立つようにしたいから、せめて両隣りの人と同じ色にはしたくない。あれかな、これかな。脱ぎ捨てられた服が散乱している鏡の前。もはや人の服装のことまで考えているゆとりはない。う~ん、どうしよう?私までがこの始末。
今回のステージのサポートは3人。ヴォーカルで小山さんと私、キーボードの二川さん。挑戦者はソロの康子さん。そして楽器チェンジをする知毅君だ。スルド、ボンゴ、トライアングルの3種類の楽器に挑戦する。11人のうち、少しずつ焦点を絞ることを考え出している。全員のことを一度に考えるというのは、まだまだできない私だ。今回はこの二人。立って演奏する彼のためにスルドの台を探した。大工仕事ができる人がほしかったが、まだ私の真剣さも足りなくて、見つからない。ボンゴの台もまだ不安定なままだ。康子さん、緊張しながらもよく頑張っている。自分の出番になると、自然に身体が動く。あの恥ずかしがりやの康子さんは、もういない。
歌の方はとてもいい。歌いやすい編曲であること、早く作っておいたことが功を奏して、短期間ではあったがとてもいい仕上がりになってきた。曲に合わせて身体をゆらしたり、少しずつ振り付けをする余裕まである。ハワイアンの「椰子の実」で、男性が慣れないフラダンスをする。とてもフラダンスには見えない。見るに見かねて堂領さんの指導が入る。が、よく見えてもクマさんたちのフラダンス。これもまた愉快。今回のステージは文化会館が2回目ということもあって、会館スタッフの方々もよく理解してくださり、緊張の中にも安心感を感じながらのリハーサル。
今回取り入れたのは、私の目の付け所をオープンにすること。そうすることによって、保護者・サポートメンバー共に、気づいたことをどんどん言ってくれるようになった。花丸シールは卒業だ。11人もいるのだから、目はたくさんの方がいい。これは大助かり。「立ってるものは親でも使え」とは良く言ったものだ。おかげでデビュー時よりも、私は細かいところに目を向けることができるようになった。さあ、こうして童謡まつりの日を迎えた。
■イベント参加スタイルの限界
童謡まつり本番の日。朝8時半、文化会館集合。リハーサル室での練習を終えカーニバルの出番だ。楽器のセット。今回もこの仕事にボランティアさんをお願いしてある。こんなことも少しずつ出来るカーニバルになっていかなくては。幕があがり、ステージが始まる。私たちの元気が客席に伝わるだろうか。華々しいマーチのイントロ。客席に人が入ったせいか、リハの時ほどステージに音が聞こえてこない。でもみんな一生懸命にリズムをとって歌う。あ、緑さん、のりのりで歌っている。いい顔だ。この声は広大君。声が太くなった。あ~、純子さんが歌っている。ずっと歌っている。一生懸命うたっている。この童謡、絶対純子さんが喜ぶと思っていたのに、練習中はほとんど歌っていなかった。なんだ、歌えるじゃないかぁ。出たあ、ハワイアンダンス。真剣すぎてこれまた愉快。打楽器の知毅君や貞雄君もずいぶん慣れて自信を持ってやっている。「雪の降る町を」に入った。いよいよ康子さんのソロ。あっ、出遅れた。でも音程のずれはない。うまく後をつないでセーフ。「夕焼け小焼け」のサンバ、元気いっぱいのドレミの歌、そしてフィニッシュのポーズ!たった数分間だったが、デビュー時よりは、カーニバルの楽しさを表現できたと思った。
ステージが終わって舞台袖から通路へ。そこには保護者やお客さんが詰めかけ、みんなの笑顔であふれかえった。康子さんも、お義姉さんと手を取り合って喜んでいた。大きなステージをまた一つ経験して、またやりたいという意欲につながったことだろう。会場の反応がつかみにくい合同のイベントでは、感想を言ってもらえることが最大の喜び。
「感動のステージだった」
「どの子もその子なりの一生懸命さが出ていた。みんな素敵だよ」
「楽しくてこちらも笑顔になった」
「体中から声が聞こえるようだった」
「周りの人の想いも伝わった」
などの声が寄せられた。
しかし私には、何か腑に落ちないものが残った。福祉的な要素での感動と音楽としての感動がミックスしてしまうのは、仕方のないことかもしれない。だが、カーニバルのメンバーに対して、もう少し違った感動が私の中にはあるのに、どうしてそれが伝わらないのだろう。こんなイベント参加を毎年毎年繰り返したところで、会場から大感動の拍手がもらえるのは何時のことだろう。わかってもらえる人にしかわかってもらえないような彼らではない筈だ。たった一度でもいい。大感動の嵐のような拍手を彼らにあげられないものだろうか。
わずか数分間のステージスタイルでは、もう限界だと思った。