■お陽さま探し
♪寿美子さんの朗読「おかあさん」
お陽さま探し。これは彼らの言葉を拾うことから始まった。きっとお陽さまは、まだ誰にも気づかれない、原石の状態だろう。
「うちの子はそんな詩になりそうなこと言わないんです」
そういうお母さんがほとんどだ。だから原石なのだ。誰も詩とは思えないようなものが詩になる。だからいいのだ。だが、原石もただの石っころ。どれが詩になるかは、なかなかお母さん方にはわからない。ああ、だからうれしい。この意地悪な表現者は喜んでいる。
私は寿美子さんのある強烈な言葉が耳から離れなかった。それは、康子さんの誕生会での出来事だ。ビールを飲んで眠くなってきた寿美子さん。お母さんに電話して迎えに来て欲しいと康子さんのお義姉さんに言った。眠くなったのと、明日の仕事が気になる様子。周りのお客さんたちはとても親切で、
「おばちゃんが送ってあげるから、もう少しゆっくりしたら?」
なんて口々に声をかけてくれる。とても温かい雰囲気だ。なのに寿美子さんは
「いや、おかあさんでなくてはいや」
と大きな声できっぱり言った。寿美子さんにとっては今日初めて会った方たち。不安になったらしい。大慌てで、
「いや、お母さんでなくちゃ、だってお母さんがすきなんだもの。お母さんの子どもなんだもの。お母さんから生まれて来たんだもの」
必死で繰り返した。真剣な叫びだった。もちろん、お母さんが迎えに来て、寿美子さんは安心して帰っていった。
明るくよくおしゃべりをする寿美子さんだから会話も多いが、私はこの時の寿美子さんの叫びをそのまま朗読発表の詩に選んだ。寿美子さんは実際に言った時はとても真剣に、早口で言っていた。「連れて帰ってもらったら困る。いくつになっても、私にはおかあさんがいいのだ」と必死で訴えていた。
おかあさん 久寿米木寿美子
おかあさんがすき
だって
おかあさんのこどもなんだもの
おかあさんがいいの
だって
おかあさんからうまれてきたんだもの
寿美子さんは読み書きができるので、字を読む形で録音しよう。そしてデジカメ撮影。こうやって、写真を映し出す発表の形にすることで、当日のストレスを軽減しよう。リラックスした中での表情を見せることもカーニバルらしくていいかもしれない。練習を重ね、読み上げる寿美子さんには、康子さんの家で叫んだのとは違う真剣さがあった。力強さや自然な間合いと共にじんと胸を打つ。これも寿美子さんの身体の中にあるリズムなのだろう。誰にでもは表現できない、素晴らしい朗読となった。
♪緑さんの朗読「わたしをみて」
カーニバルは歌が大好きな緑さんがいたから始まった。緑さんはとても心配性だと思う。次に何をするのか、みんなが真面目にやっているか、お母さんたちがちゃんと聞いているか。気配りがすごい。まるで全体をとりしきっている感じもする。お母さん譲りかもしれない。納得できれば安心するが、また次の気配りが新たに始まる。これが緑さんの一日なのだろうと私は想像している。全く貧乏性だなあと思ったりもする。もっとゆっくりすればいいのにと。
緑さんがよく言う言葉は「見て。見て」「お母さんたち。聞いて」「おしゃべりやめて。私がうたうから」と注目させる。自分が歌う前、みんなが歌うときは真剣に聞いて欲しいと訴える。「わたしの歌を聞け!」というカーニバルの合言葉を忠実にアピールしてくれる人だ。カーニバルの歩く広告塔のような人。緑さんがいつも言っている言葉をそのままつなげてたら自然と詩になっていた。何の苦労もせずに出来上がった。
わたしをみて 朝倉 緑
みて みて
わたしをみて
わたしがうたうから
おしゃべりやめて
わたしをみて
わたしがうたうから
この緑さんの言葉は奥が深い。「私がうたうことをきいてほしい、注目してほしい」とただ言っているだけなのに、障害のある彼女が言うと胸を打つ。彼女はルピンスタイン・テイビ症候群という先天性の発達障害がある。それと関係があるのかはよくわからないが、口の中に普通の人より大きな空洞があるらしい。彼女の努力により、発声法は素晴らしく上達した。発音は少しこもった感じに聞こえる。初めは不思議な感じがしたが、慣れるととても心地よい柔らかな響きだ。
問題は録音。もちろん緑さんは自分が言った言葉だからといって「じゃあ、今のを続けて言ってください」なんて言っても、それはできない。覚えて言うということは、彼女にとって、とても「ドキドキする」ことみたいだ。だから一行ずつ私が読むのを、オウム返しに言って、やっと録音した。そして編集でつなげた。それは長い会話となって、緑さんの夢の朗読の作品となった。ちょっと反則技だが、いずれは一人で朗読ができるようになるためのデモ・テープのような作品。これも寿美子さん同様、彼女の声質と絶妙なスピードと間合いが、鳥肌立つほどの感動の朗読となっている。どんな役者さんでもこの緑さんには敵わないだろう。
♪弘樹君の新曲「サイクリング」
「お母さん。井上陽水の銀座カンカン娘って何分何秒だった?」
なんて質問をしに来る弘樹君の言葉。初めはそういう好奇心がテーマの曲ができるかなあ…とおぼろげながらに思っていた。ところが、弘樹君のお母さんに電話で聞いた話で考えが変わった。お母さんは、弘樹君の言葉をメモしてくださっていた。
弘樹君は自転車が大好きで、地図とか磁石とか持ってかなり遠出のサイクリングを時々していたらしい。夜遅くなり、心配して迎えに行ったこともあるという。でも、
「絶対に車では帰らない。自転車で帰るんだ」
と怒ったらしい。そんな心配をするお母さんに携帯電話で30分おきに必ず連絡を入れる。その時、思いついたことを話してくれるのだという。例えば、
「ねえ、おかあさん。自然ていいよね。畑に寝てもいいですか?」とか
「ねえ、おかあさん。戦争はだめだよね」とか
「トンネル通っていいですか?」とか。
スピード感のある弘樹君のイメージと、自然派でやさしい弘樹君のイメージが重なる素敵なエピソードだ。なんとかこれを曲にしたい。
この携帯電話でのお母さんへの語りがメイン。浩臣さんに言葉を取捨選択してもらい、サイクリングの曲に仕上げてもらう。浩臣さんにとっても大変勉強になる。カーニバルの彼らの言葉を曲にする場合は、ある程度キーワードがある。そのキーワードはイメージ作りに役に立つ。完全な歌詞にしなかったのは、曲と詞が同時に出てくる浩臣さんの作曲の仕方に合わせたからだ。
ギターを手にしてキーワードをずっと見つめていた浩臣さんは、いきなりギターでイントロを弾きだした。力強く、軽快だ。おっ!これはサイクリング!と思った瞬間、彼の口から歌詞が飛び出した。
サイクリング 詩 南崎弘樹
自転車乗ってサイクリング
楽しい気分サイクリング
いろんな景色見えるよ
風をきって走ってく
サイクリング サイクリング 楽しい楽しいサイクリング
サイクリング サイクリング 楽しい楽しいサイクリング
ねえ母さん自然ていいよね
畑に寝てもいいですか
サイクリング サイクリング 楽しい楽しいサイクリング
サイクリング サイクリング 楽しい楽しいサイクリング
ねえ母さん戦争はだめだよね
平和のために走ってゆく
弘樹君の「サイクリング」は私の目の前で一気にできあがった。
彼がどんなリアクションをするのか絶対に見たい。すぐどこかへ行ってしまう弘樹君を呼んで、みんなが見守る中、椅子に座ってもらった。デモ・テープをかけた。「ねえ母さん 自然ていいよね 畑に寝てもいいですか」が聞こえた時、弘樹君は自分の言葉だと気づいて声を出して笑い出した。みんなも詩の面白さと弘樹君の笑いに釣られてどっと笑い出した。曲が終わると、お母さんたちから大きな歓声と拍手をもらった。それは予想をはるかに越えるものだった。
「サイクリング」は弘樹君のソロ曲。でもメリハリを利かせるために、拓也君のコーラスを入れることにしよう。
♪じゅん&メグの新曲「愛」
ここへ来て少し困っていた。純子さんと恵さん。二人の会話から、まだ歌作りのヒントになる言葉は拾えていない。ユニット名は「じゅん&メグ」とカッコイイのに、曲ができない。4月のある晩、二組の親子4人が集まった。ヒントをもらおうと思った。お茶とお菓子でリラックスタイム。家はどこ?何が好き?なんてたわいもないことで話が弾む。彼女たちはよく笑う。恵さんは思ったよりよくしゃべる。静かに微笑む姿だけではない。よくしゃべるので、どれを記録したらいいのか、お母さんも困っていた。恵さんはシュークリームを持ってきていた。
「シュークリーム大好き。どうぞ」
恵さんが配った。にこにこだ。
純子さんはおすしが好き、すしネタのことに言及すると、カニ エビ イカと言ってにこにこ笑顔だ。そうか、サウンドオブミュージックの中で「わたしのお気に入り」という歌があった。好きなものをリストアップする。好きなもののことを考えていると楽しくなるなんて歌詞の歌だった。好きなものを思い浮かべたり、好きな言葉を言えば、笑顔になるのだ。こんなこともあった。二人はデビューの日、ステージも終わり、写真撮影へと移動する通路で、私と三人で童謡「森のくまさん」をにゃんにゃん言葉で歌って歩いた。♪にゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃん♪と、とっても上機嫌だったことを思い出した。まだあった。リハーサルの時、マイクに向かって「アイ~ン!」を繰り返し喜んでいた。そうだ、とにかく二人が笑顔になる言葉をならべる。言って笑顔になる歌。そして二人でいることのパワーを歌にする。彼女たちのキーワードは以下の3行にまとまった。
カニ エビ イカ
にゃんにゃんにゃんにゃん一緒パワー
アイ~ン!
詞は「サイクリング」同様、不完全のままとした。あとは浩臣さんがやってくれるだろう。さあ、ここから何が生まれるか?彼の感性に託す。これは楽しいことになりそうだ。
浩臣さんは3行のキーワードをじっと見つめていた。彼らと浩臣さんのコラボが始まる。私はわくわくしながら待った。彼は笑って、おもむろにギターを手にした。
「新曲。タイトルは愛です」
そして即興で歌が始まった。
愛 じゅん&めぐ
カニ エビ イカ 愛
カニ エビ イカ 愛
カニ エビ イカ 愛
カニ エビ イカ 愛
にゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃん
二人はいつも一緒
にゃんにゃんにゃんにゃんにゃんにゃん
一緒一緒パワー
カニ エビ イカ 愛
カニ エビ イカ 愛
カニ エビ イカ 愛
カニ エビ イカ 愛
ハード・ロック。もちろんもちろん、愛という言葉はアイ~ン!と歌った。彼が笑った理由がわかった。この斬新な歌詞は、カーニバルの曲の中でもずば抜けている。いや、巷に流れるCMソングもここまで斬新なものは珍しいかもしれない。スナック菓子の会社に売り込みたいような素晴らしい出来だ。カニ味、エビ味、イカ味、かわいいアニメーションまでが動いて見えるようではないか!
新曲発表の日。残念ながら恵さんが欠席した。だから、純子さんとお母さんに椅子にすわってもらっての発表。純子さんは喜んで出てきた。お母さんと、期待を持って座っている。曲が始まる。いきなりカニ エビ イカ!あの歌詞だ。アイ~ン!を聞くたび、必ず、アイ~ン!と体が反応してしまう純子さん。仲のいいお母さんと二人、顔を見合わせて笑っている。お母さんなんか、笑いすぎて涙を拭いていた。
■11の個性をつなぐには
練習は進んでいた。みんなで歌う第1ステージ。メッセージ曲は、歌うほどに声がよく出るようになり、すっかりカーニバルのものとなっていった。第2ステージで使うソロ曲は、ミニ・コンサートでいつも発表して本番に備えた。第3ステージのダンスも振り付けが少しずつ進んでいた。
ソロ生出演の3人。貞雄君の即興演奏はどんどん進化した。何も心配なし。康子さん、声質とアカペラというスタイルが合っている。何も心配なし。さて、ゆかりさんだ。彼女はキーボード演奏の曲を「さとうきび畑」に選んだ。いい選曲だが苦戦している。二川さんとのアンサンブルができない。言葉も豊富、心の中もしっかり整理できる彼女が、一つの試練を自分に課して、どのように乗り越えていくか、私は見てみたいと思っている。どうしてもだめなら映像で。できたらステージ生出演を実現させて自信を持たせたい。
ゆかりさんは、もうひとつ頑張っているソロの曲がある。私が作詞、小山さんが作曲した「オリオン」という曲。第8代国連難民高等弁務官の緒方貞子さんをイメージして作った。アフガニスタンの荒野を難民のために歩く志の高い女性の姿。だが、作ったばかりで誰も歌っていない。この感動的なバラードを、第2ステージの締めくくりに使いたいのだ。これぞ、私のわがまま。役得だ。
11の個性の紹介のあと、サポートメンバーが活動する様子を映像や写真で紹介する。ゆかりさんの歌はそのタイミング。ステージ上でゆかりさんが歌う。バック映像に活動の様子の映像。やがて写真となり、テロップが流れる。ゆかりさんが歌いこなすことができれば、映像や写真と共に感動が会場を包むだろう。テロップがすべて終わった時、ゆかりさんだけがステージにスポットライトを浴びて立っている。そして最後の大サビを歌い上げる。第2ステージ終わりは感動的にしめくくりたいのだ。
オリオン 詞:くすか
雲の切れ間から 瞬く 冬の星座
どんな日も 変わることなく めぐっている
一番大切なものは 消えることはない
いくつもの理(みち)が こわれ去っても
わたしを待ってる人がいるから
どんなに 遠くでも 翔けてゆきたい
わたしを信じる人がいるから
大きく 高い 夢が持てる
この空をゆくオリオンのように
静かに ただゆくだけ
愛をうしなった 眠れる 大地にも
たくさんの 生命(いのち)の群れが うごいている
一番大切な人を 守れるしあわせ
どれほどの人が 知っているだろう
わたしを待ってる人がいるから
この手の温もりを 持ってゆきたい
わたしを信じる人がいるから
願いをこめて 歌をうたう
この空をゆく オリオンのように
静かに ただゆくだけ
わたしを待ってる人がいるから
どんなに遠くでも翔けてゆきたい
わたしを信じる人がいるから
願いをこめて歌をうたう
この空をゆくオリオンのように
静かにただゆくだけ
この歌は初めからあったので、早い時期にゆかりさんに手渡すことができた。彼女に歌って聞かせようとしたら、ゆかりさんは自分の曲だといううれしさで、前に出てマイクを持った。そして、初めて聞く曲だというのに、なんと私に合わせて歌っているのだ。すごい音感だ。あえて難しく言うと、曲のコード進行を察知して、もう次の音をだいたい予測できる能力が備わっているのだ。ゆかりさんは文字を読むので、歌詞を見ただけですぐ歌える。私の場合、演歌だったらそういう芸当ができるが、ポップス系だったら1回は聴いてからでないと~と思う。ゆかりさんはすごい。このゆかりさんにオリオンを託す。自分の曲を歌手に歌わせる。これが私のささやかな夢。ゆかりさんなら願ってもない最高の歌手だ。
第2ステージでビデオ出演となった広大君、拓也君にも見せ場を作ろう。拓也君は「あなたが教えてくれたもの」の最後をソロでしめくくる。広大君は第3ステージの踊りで目立たせよう。題字も字を書くのが大好きな広大君に書いてもらう。緑さんの描くユーモラスな絵もどこかで使いたい。また、知毅君のスルドが「カーニバル」の低音部を支えていることを、しっかり強調しよう。
探していたお陽さまたちは、原石だったのに、もうすでに磨かれて光さえ放っているものもある。見つかったばかりのものもある。一旦見つかったが、膨大な映像の中で置いた場所が判らなくなったものもある。まだまだ光りそうにないものも。だが、確かに11のお陽さまは見つかった。メンバーやお母さんたちも、発見の喜びを一緒に分かち合った。夢のような日々だった。そのひとつひとつはステージで輝くのを待っている。ひとりひとりのお陽さまとして、光り輝くのを待っている。
ああ、しかしここで…。私の前にこれまできれいに伸びていた一本の道が消えてしまった。頭の中ではステージで彼らが演奏する様子、映像、写真が次々と浮かんでくる。これをどうやったらスクリーンに映すことができるのだろうか。パワーポイントなのか、DVDなのか。私はそれらの区別もできないほどの器械音痴なのだ。撮りためている写真や映像を、ナレーションでどのようにつないでいくのか。パソコンでどうやったらいいのか。誰かしてくれる人が見つかるのだろうか。その人はカーニバルのメンバーのことを知らないかもしれない。その人に映像のどこを切り取るのか、判断ができるのだろうか。その人に付いて指示できるのは、この私しかいない。でも、そんなことをしている時間はない。コンサートまでには、まだまだ山ほどの仕事がある。では、どのような手順を踏んだら、私は第2ステージという作品を作ることができるのだろう。それに、まだ肝心な音が収録されていないのだ。8月も終わり。リハーサルまであと2ヶ月とちょっと。私は焦っていた。どうしようもなく焦っていた。
そんな時、文化会館の内村さんから、
「サルの映画観にきませんか?」
と声をかけられた。
「え?サルですか」
「そうです。幸島のサルの映画です」
「はあ、サルですか」
私は確かにどのように第2ステージを作り上げたらいいか、まだヒントを得られないでいた。藁をも掴もうとしている。でも、だからといってサルの映画が私を救ってくれるとは思えなかった。あまり気乗りがしなかった上に、当日は雷がゴロゴロ鳴っていた。台風も近づいていた。
迷っていた。ぎりぎりまで迷っていた。しかし私は出かけていった。この日、出かけて行ったことが私にとって、カーニバルにとって思いがけない展開となった。