今日は敬老の日です。
というわけで、今日こそふれねばなるまい、
講談社イブニングKCコミックス『 ヘルプマン!
』(くさか里樹)の話です。
これは、 老人介護をリアルに描いた福祉マンガ です。
といっても堅苦しかったりまじめなものではなく、
老人介護をラクに考えられるようになったり、
「介護」ってこうなんだーという視野がひらけます。
(決して「介護」自体がラクなわけではありません。
それはこのマンガの事例を見ればよくわかります。
ただ、その中でも、ラクな接し方・考え方というのが見えてきます。
「何でこんなことするのか理解できない」というのが、
「そうだったのね」と気楽に分かることもある、というか、
一生懸命やりゃあええっちゅうもんやない、というか。)
また、「介護」者の苦労、「介護」される側の心情もよくわかります。
今まで自由に動いた自分の体が動かない、
排泄を見ず知らずのヘルパーのお世話になる、
そんな人の気持ちが判りますか?
このような立場には、いずれだれもが立たされる可能性があるものです。
そういったことを普段考えないからこそ、
マンガで知ることには意味があると思います。
おすすめです。ぜひ手にとって読んでみてください。
このマンガ第1巻の巻末に、
「 介護の”介”は媒介の介
」と題したコラムが載っています。
引用
============================
・ 介護の"介"は媒介の介だ。
老人が主人公になるために 自分を媒介、つまり、きっかけにする技術
なのだ。
・医療や看護がどうしても人間を一方的な治療の対象に見てしまうのに対して、
介護は自分自身を「杖」や「手すり」にする
のだ。
・介護の介は介入の介ではない。
もちろん、お節介の介でもないのだ。
~文:三好春樹(生活とリハビリ研究所代表・理学療法士)===========================
マンガの中で描かれる具体的なエピソードに触れると特に思いますが、
「 これって、教育も同じだよな
」と思います。
自立するのはあくまで本人であって、大人がムリヤリ自立させるのではない。
自分を媒介として、本人がやる気を出し、がんばってやっていこうとするのを助ける役割でしかないのだ!
そういうわけで、
「介」護の精神と、教育の精神、けっこう似ているんだ、というのが
この本を読んでの発見でした。
決して「できないことを代わりにする」のだけが「介護」ではないのですよ。
主人公がさけぶ
「いい思いできねェんなら生きてる甲斐がない!!」
という言葉は、
本人の「生きている甲斐」なんて思いも及ばない周辺介助者の心に突き刺さります。
つまるところ、○○ができなかったって、××ができなかったって、
人間だもの、生きているんだもの、
生きていることを喜びたいよねえ。
「ヘルプマン!」アマゾンの評価でも5つ星の連続です。検索して読んでみてね。
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