読書メモの続きです。
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『モリー先生との火曜日』
2
(p84~132より。基本的にモリー先生の考えを紹介する。
モリー先生と著者ミッチのやり取りは、小さい顔の絵文字を使用。
間の 緑文字
は僕の個人的コメント)
・「いずれ死ぬことを認めて、
いつ死んでもいいように準備すること
。
そのほうがずっといい。
そうしてこそ、生きている間、
はるかに真剣に人生に取り組むことができる
」
・死に直面すれば、すべてが変わる?
「そうなんだ。
よけいなものをはぎとって、
かんじんなものに注意を集中するようになる
。
いずれ死ぬことを認識すれば、
あらゆることについて見方ががらっと変わるよ」
「いかに死ぬかを学べば、
いかに生きるかも学べる」
「生きる」「死ぬ」という言葉は、古今東西の名言に多く見られますね。
「ハムレット」の「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とか
「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」とか。(^^;)
聞く方も、「生と死」というフレーズがあるとドキッとします。
死んでしまえば、それから先はないわけだから、
死とは究極の終わりを指している言葉。
人生の終わりを考えることは、
人生を考えること。
いろんな人がいろんな言い方で同じ意味のことを言っていると思いますが
僕も同感です。
でも、自分の人生の終わりを考えたときに、
僕の本当の生きる目的ってなんなのかな、って思います。
何をゴールにして生きるべきか?
それが定まれば、それこそ関係ないささいなことに
こだわらなくなるのでしょうね。
・「 他人頼りを楽しむことにしたのさ 。
今では、誰かが横向きにねかせてくれたり、
ただれないように尻にクリームをすりこんだりしてくれるときには、
楽しいなと思う
。
額を拭いたり、脚をマッサージしてくれるときも、
うれしくてうれしくて
。
目をつぶって、味わいつくすっていう感じさ 。」
これができるかできないかは、大きな差だと思いますね。
決定的な差です。
普通だったら、今までできたことができなくなって
他の人に頼まなければならなくなったら、
ショックですよ。
それを、楽しむ。
これができたら、 何でも楽しめる んじゃないかな。
・「私自身の中に すべての年齢がまじり合っているんだよ 。
3歳の自分、5歳の自分、37歳の自分、50歳の自分ていうように。
そのすべてを経験して、どんなものだかよくわかっている。
子どもであるのが適当な場合には、喜んで子どもになるし、
思慮深い老人であるのがいい場合には、喜んでそうなる。
何にだってなれるんだ!
私はこの年までのどんな年齢でもある。 わかるかい?」
(p84~132まで)============================
深い言葉がいろいろ飛び出してくると思います。
ここから学ぶことはいろいろあるな、と感じます。
続きはまた次回。

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