紀りんの館

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日本の正教会


《現況》「聖自治日本正教会」法人名は「日本ハリストス正教会」。東京大主教区、西日本、東日本の三つの主教区があり、信徒は約2万人。
《教役者》主教は2名(首座主教「東京の大主教及び全日本の府主教」ダニイル主代郁夫、「仙台及び東日本の主教」セラフィム辻永昇、「京都及び西日本の主教」現在府主教が兼任)、司祭22名、輔祭11名,副輔祭10名,伝教者3名。

【略 史】
幕末の開国後、本格的な伝道が、1861年函館領事館付き司祭として来日したニコライ・カサトキン師によって開始されました。師はサンクトペテルスブルグ神科大学を卒業後,日本派遣募集のポスターを見て志願して日本伝道に従事し、生涯をこの国の伝道に捧げました
 1872年、活動拠点を東京に移し本部を神田駿河台に置き、活発に活動が展開しました。1891年には、宣教の拠点として東京復活大聖堂が建立されました。1904年の日露戦争では苦境に立ちましたが、捕虜救援などで逆に信頼を高めました。
 1912年ニコライ大主教が永眠。セリギイ・チホーミロフ府主教が首座主教になりました。セリギイ師はサンクトペテルスブルグ神科大学学長を務めた後、1908年来日し、命をかけて福音を証ししました。1917年のロシア革命によりロシア正教会との連絡が中断したり、1923年の関東大震災で東京の大聖堂が崩壊するなどの事件を乗り越え、1929年に東京復活大聖堂が復興し、新たな宣教に乗り出しました。
 1940年、15年戦争下の国家総動員体制のもとで教会は苦難の道を歩みます。ロシアとの関係などから憲兵、特高警察の監視、干渉があり、「邦人主管者問題」でセリギイ府主教は引退、ニコライ小野帰一主教が首座になりました。セリギイ府主教は、スパイ容疑で数ヶ月投獄され、拷問や獄中生活の打撃により1945年8月終戦数日前に殉教永眠しました。
 冷戦のもとでロシア教会との関係は回復せず、GHQの意向により、アメリカの正教会の管轄下に入りました。
 1970年、ロシア正教会との関係が回復し、日本正教会は正式に「自治教会」の承認を受け、世界の正教会の枝の一つとして、自律した教会となりました。この時ニコライ大主教が「日本の亜使徒聖ニコライ」として列聖され、三つの主教区が設置され、首座にフェオドシイ永島慎二府主教が就任しました。  
 2000年5月、モスクワ総主教を東京に迎え、ダニイル主代郁夫師の府主教選立式が挙行されました。  


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