紀りんの館

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その他の信条(2)


■聖像(イコン)に関する定理議定書 (第七回全地公会議)

  (物質は悪、キリストの受肉否定等をベースとした聖像破壊(イコノクラスム)論に対し、イコンを用いることを擁護。キリストの受肉の教えを擁護した)

 書に依り又は書を以てせずして我等の為に制定されたる教会の伝を我等悉く新説を附会せずして遵守せん、画く所の聖像は福音伝ふる所の記事に附合し且我等をして神言の藉身の真実にして想像的に非ざるを信ぜしめ彼と同様の利益あるものなるを以て其伝の一なり。 盖し彼れの此れに指示する所彼れ必ず此れに説明すればなり。 されば我等は王の途を歩む者の如く我等の諸聖父の神出の教と公教会の伝とに循ひ(盖し此教は教会に在ます聖神の教えたるを知るなり)極めて確実に且つ最も精密の調査を遂げて議定すること次の如し。 神の聖堂に聖なる器物及び祭服に壁に板に家に途に尊貴にして生命を施す十字架の象と等く顔料を以て書かれ美石及び其他適宜の物を以て製造せらるる尊貴にして且つ聖なるの象即ち我等の主・救主イイススハリストス及び無てんの女宰・我等の生神女・並に尊貴まる使徒及び諸聖人克肖者の像を置くべし
 盖し屡々聖像の象を見るに由りて之に注目する者は其原像を想起して之を愛し接吻と敬拝とを以て之を尊敬するの念を起すべし但し此叩拝は我等の信ずる所に依るに当に惟一の神性に帰すべき真の拝神に非ず乃ち尊貴にして生命を施す十字架の象と聖福音経及び其他の聖物に対し薫香及び点燭を以て敬意を表するの例に倣ひ尊敬することにして即ち古時の敬虔なる慣例に行はれたる如し。葢し像に施す所の尊敬は其原像に移るものにして聖像に叩拝する者は之に畫かれたる者に叩拝するなり。是れ蓋し我が諸聖父の教の確かむる所にして地の極より極に至るまで福音を受けたる公教会の伝なり。


■ネオケサリアの奇跡者聖グリゴリイの信経

  (ネオカイサリアの主教モスプスティアの聖グレゴリオスの信経を尊重している)

 神、活言、睿智、自存の能、永在者の像の父は惟一なり是れ則ち完全者の完全なる父、独生子の父なり。 主、一者よりの一者、神よりの神、神性の象(かたち)と表(あらわし)、活言、萬物の合成を維持する睿智、萬物を堅立する能力は惟一なり是れ真父の真子無形者の無形者、不朽者の不朽者、不死者の不死者、永在者の永在者なり。 聖神、神より出て子に由りて人々に顕われし者は惟一なり、是れ則ち生物の原因たる生命、聖なる源泉、成聖を与うるの聖者なり、萬物の上にあり万物の中にある神父と萬物を貫く神子とは彼に由て顕わる。 完全なる三者は光栄と永遠と国とに於ては相分れず相離れざるなり、故に三者の中造られし者も事うる者も前にあらずして後に入るか如く来り就く者もなし、父も子もなくしてありし時なく、聖神なくしてありし時なし、然れども三者は化せず変せず恒に同一なり。


■聖大アファナシイの信経(抄訳)

  (アレキサンドリアの主教の聖アタナシオスの信経と呼ばれているものも尊重している)

・・公会は即ち斯の如し。・・三者なる唯一の神と唯一なる三者、其個位(イポスタシ)の混ぜず其本体の分れざる者を尊敬すべき事なり、蓋父の個位、別に子の個位、別に聖神の個位、別なり。然れども父と子と聖神の神性惟一、其光栄相均しく其尊厳同じく永遠なり、父の如く子も然り、聖神も亦然り・・・即ち父は神、子は神、聖神も亦神なり、然れども三の神に非ずして惟一の神なり・・父は何者にも創造せられたるに非ず、造成せられたるに非ず。子は創造せられたるに非ず、造成せられたるに非ず、乃ち父より生れたり。聖神は創造せられたるに非ず、造成せられたるに非ず、又生れたるに非ず、乃ち父より出ず・・而して此三者に前后の区別なく多少の差別なし。乃ち三位相全うして皆偕に永遠且同等なり。我等信じ且認む。主イイスス・ハリストス、神の子・神と人、は実に諸世の先に父の本体より生まれたる神なり、また実に時に於て母の本体より生れたる人なり、完全の神にして有智の霊と人体より成れる完全の人なり、神なりまた人なるもハリストスは二に非ず一なり、・・二性相混したるに非ず個位惟一なりと、・・我等信じ且認むるは是れ則ち正教なり。



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