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父危篤の報を受けてからブログをお休みしていましたが、本日よりまた書こうと思います。お休みしている間、更新もしていないのに時々のぞいていてくださった方もいるようです。ありがとうございました。ここで、簡単に経過を記しておこうと思います。父は2月1日に緊急入院し、酸素マスクをつけたまま頑張っていましたが、ついに10日目に息が途絶えてしまいました。その10日間は山あり谷ありで、苦しそうな時も比較的スヤスヤ寝ている時もあったり…。最期の日は、そのスヤスヤしている安定した日で、各数値(血圧や血中酸素、等々)も良く、体温も、入院してから38~39度台をさまよっていたのが(良くて37度台)初めて36度台の平熱でした。お昼ごはんを病室の床にピクニックのように広げて、母と姉と3人で食べながら、「回復することはないって言ってたけど、案外良くなっちゃったりして~」なんて話してました。そんな呑気な雰囲気の中、午後になってから父の呼吸のリズムが不規則になってきたことに気付きました。呼吸が穏やかすぎて、なんだか怖い…。看護師さんを呼び、痰の吸引など処置をしてもらいましたが、呼吸が止まってしまいました。その後、心臓は10分くらい動いていましたが(心臓は丈夫だったらしい)14時48分それも途絶えました。おそらく医師をはじめ病院関係者にとったら、予想以上の延命だったようです。本当によく頑張ってくれました。79歳没(享年80歳)最終的な死因は肺炎による呼吸不全。(13日に亡くなった市川崑監督と同じ)その後はバタバタと葬儀関係で慌ただしかったのですが昨日、初七日を済ませたところです。母をはじめ初めての事だらけで大変でしたが、幸いうちは親戚も多く、商売をしていた関係で、仕事関係の知り合いも多く参列してもらい、いろいろ助けてもらいました。棺に入った父の顔はビックリするほど凛々しい男前で、若返ってました。時代劇に出てくるお侍さんのような…。亡くなった晩、父の酒飲み仲間だった親戚のオジサンたちは、男泣きしながら一緒に酒盛りしていました。その後、父の顔がだんだんと紅潮してピンクになってきたのは不思議でした。本当に一緒に飲んでいたんでしょうか・・・ お花がいっぱいでした。覚悟をしていたとはいえ、やはり別れは突然だった気がします。まだまだ普通の生活に戻るには時間がかかりそうですが、意外と大丈夫な気もします。ご霊前に供えるお酒を探していたところ、父と同じ名前の焼酎を見つけました。きろく 720ml 25° 宮崎の地酒です。初七日に間に合うよう注文したら、すぐ届きましたが・・・やはりこういうものも、生きているうちに見つけてプレゼントしたかったなぁ。
2008年02月17日
さっき、母から電話があって、入院中の父の容態が変わって今手術中だという。え~?どういうことよドキドキしながら聞いてみると・・・なんでも今日の午後、というか夕べかららしいのだけど、なんか痛がっているようなうめき声をずっとあげていたらしく(喋れないので)調べたところ、胆のう炎?とかで胆嚢に膿がたまっているらしい。父は今、点滴のみで栄養を摂っている状態なので(恍惚の父(闘病編)体力が無く、手術の方法も限られるらしいで、救急車で地元の市立病院に緊急転院し、今手術が始まったとこらしい肝臓を貫通して膿を出すとかで、リスクもそれなりにあるとか・・・私も今から行こうと思うのだけど、今日は自治会の広報を受け取りに行く日で(組長仕事)それが済んでからでないと家を出られない。(19:00過ぎ)なんだか、いてもたってもいられないのだけど、とりあえず気を落ち着けて(運転もしなきゃならないし)行ってこようと思う。今日は帰れないかな。
2008年02月01日
父の転院先がほぼ決まりかけていると思っていたのに…母が今の病院の紹介状を持って訪ねたところ、一足違いで?満床になってしまったらしいいろいろ私なりに調べてみたところ、病院からあぶれていく老人が増えつつあるらしい。なんだか医療制度が変わって(介護保険との絡みもあり?)大変になっているらしい私は自分自身はもちろん、身近にも大きな病気の人がいなくて、その手の話題に疎かった。多分いろいろニュースにもなっていたんだろうけど、あまり関心がなかったせいか、記憶に残ってないそもそも病院に「療養型」と「一般型」があるなんて最近知ったし。(ひょっとして常識?)今まで病室を追い出そうとする?病院側をひど~いなんて思ってたけど、違うらしい。制度がどこかおかしい?上手く機能していない?うちの父は自宅診療(&介護)が不可らしくて、もう一生病院生活。なのに~、入れる病院がない~だったら何とか自宅療養に切り替えられないものかな~。(栄養チューブの問題?)長期療養型の施設が不足(削減された?)している? これからますます患者は増えるのに?介護施設は最近すごく増えたような気がするのだけど?まぁ一応、空きベッド待ちの状態だから、急に入れることになるのかもしれないけど。まだまだ勉強が必要だなぁ。わからないことが多すぎ
2008年01月12日
今日の父の様子。相変わらず もうろうとした感じだけれど、じっと私の顔を見つめてくる。手を握ったら意外と力強く握り返してくる。こんな風に病気になってなかったら、顔を見つめ合ったり手を握ったりなんて、絶対無かっただろうに父の転院先が決まりそうだ。今のところは長くいられるタイプの病院ではないらしく(病院にはいろいろあるらしい)転院先の新富士病院は長期入院が出来るタイプの病院らしい。お母さんも毎日通うのが大変だから、本当はもっと家に近いところの方がいいのだけど、やっぱり難しいみたいだなぁ。ただ少し安心することがあった。富士でバイトしてたときに知り合った友達が、その新富士病院に勤めていることがわかった。けっこう仲良くしていたし、介護の仕事が天職ではないかって感じの人なのだけど、勤め先の名前を忘れていたので今日連絡を取ったら、そこだったことが判明した担当の病棟になるとは限らないけど、何となく心強いし良かったぁ
2008年01月10日
入院中の父のところに行ってきた。このあいだ流動食を入れる為の胃婁(胃ろう)手術をしたが、今度は横隔膜ヘルニア?とか。で~、結局、嘔吐してしまう可能性があるとかで流動食の摂取は難しく、また別の所にチューブを付けて栄養の点滴を受けている。これは普通の点滴より高カロリー(1000Kcal程度)で、腕の血管に入れるのではなく胸の辺りの静脈に入れているらしい。それに今日は酸素吸入もしていて鼻にもチューブが入っているし、行く度にチューブが増えているような…1日1000Kcal程度でいいのかって気もしたけど、ほとんど寝たきりの老人だから必要最低限は摂れているんだと思う。それにしても飲まず食わず…辛すぎる本人は既にそういう感覚さえ無いのだろうけど。脳梗塞の方の治療は特にないし(出来ない)一日寝たきりで点滴を打たれているだけ。何とか自宅診療(看護&介護)に出来ないものかといろいろ調べてみたけど、どうもダメらしい胃婁から流動食を入れるのが成功してたら、何とか在宅医療が可能だったらしい。それにしても、症状が落ち着いたら今の病院にはあまり長くいられないらしく、来年早々にも転院という事になる。そういう患者さんを受け入れる長期型の病院老人医療の保険適用でも月17万くらいかかるらしい。費用はともかく…(っていうか払えない人はどうなるの?って気もするが)そこって入ったらもう出て来られないんでは?何とか自宅で最期を迎える事はできないんだろうか
2007年12月21日
脳梗塞で入院中の父(78歳)、胃婁手術をしました。母親からの説明で、盛んに「いろう、いろう」って聞いていたけど、いまいちピンときていなかったので、ネットで調べて漢字が判明要するに胃にパイプをつなげて直接栄養(流動食)を入れていく為の手術。ず~っと点滴だけで飲まず食わずだったわけで、父の体はやせ細り、あばら骨までくっきり入院しはじめた頃から手に付けられているミトン(拘束具)もそうだけど正視するのがつらいくらい明け方仕事帰りに来た主人、当日の朝かけつけた姉、母、私と4人で病院へ。手術とは関係ないが、病院に行ったついでに4人揃ってインフルエンザの予防接種を受けた。一人\2000也…安い待合室でコンビニのおにぎり食べていたら、手術終了。(20分くらい?)あっけないくらい早く終わったし、執刀したドクターもビックリする程カジュアルな服装。(Tシャツ、でももしかしたら手術中は上に手術着着てたのかも)その後はグ~グ~寝てたっけ。何事も無く、早くまともな食事をとれるようになればいいけどその日の晩、清水へ帰る前に前日行ったイオンに再度、主人と行った。昨日、目を付けてあった食材を購入。(カルディコーヒーファーム)唐辛子入りの赤いスパゲティは最近どこの店にも置いて無くてあきらめていたから発見して嬉しかった~ついでにバジル&ガーリックのリングイーネ、ピクルス(ホットドッグに使おうと思って)、クランベリー(クッキーやマフィンに入れて焼こうと思って)も購入。ブラブラしてから、結局食事は回転寿司(はま寿司)。タッチパネル完備だったし、以前焼津で行ったときよりネタ良かったような。でも、ケーキはやっぱり不味かったなぁ。使えると思ってた株主優待券も使えなかったしそれにしても大盤振る舞いして、二人で\3000超えてしまった!(ビール含む)食べ過ぎ…
2007年12月11日
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