Last Esperanzars

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楽園のサジタリウス3 十二


ケイロンはその死後、彼を悼んで天に上げられ星座になったと語られている。海神ポセイドンの子オリオンを殺した功績で星座となったさそりを、もしそのさそりが暴れた際射殺すためケイロンは常に弓を引いている。ただしこれはギリシャ神話には描かれていない話だが。
 いずれにしろ、女神より弓を習い、神の子を殺したさそりを抹殺する役目を持ったケイロンの矢。『神の矢』というフレーズが自分で考えたものかどこからか聞いたものか一機はもう忘れたが、己の分身たる鉄伝の愛機にその二つ名と共に射手座の名前を付けた。
 祖父が亡くなって暇になったから始めた鉄伝だったが、才能があったのか今では鉄伝内で知らない者のいない強豪となる。扱いの難しい大砲で敵を撃ち殺す、まさに神話のスナイパー射手座(サジタリウス)として。
 それくらい有名だから、様々なギルドから組もうと連絡してきたが、みんな断った。わざわざ組む意味はない、一人でやってけると言っていたが、本当は面倒だったからだ。チームともなれば連携だの協力だの必要になる。基本自己中心的な一機には周りを慮るなんてできそうになかった。なんとなくコンビになった麻紀も索敵中心で襲われたことはゼロなので構ったことはない。戦闘においていつだって一機は一人だった。
 親に勘当され、祖父が死んで以降一機は常に一人。学校だろうが家だろうがネット上ですら話し相手もいない。もうすぐ卒業、麻紀も進学するのならばこのおかしな関係とそのうち切れる。そうなれば家の外に一生出ない生活となるかもしれん。鉄伝に飽きれば、もう外界との唯一の繋がりであるパソコンも二度と開かないかもしれない。
 それでいいと思っていた。つまらない、もっと楽しいことがないと願っていたとしてもそれは妄想。自分のことしか考えず生きてきて自分の都合ばかり気にする男に、それ以上のことがあると思わないし期待もしていない。いずれシリア・L・レッドナウの名前も捨て、社会の片隅で誰も気にせず死ぬのが、自分にとってふさわしい。そう思っていた。
「……だってのに」
 ふらつく足を制した一機は、肺の空気を一旦全部捨てるように息を吐いてからまた吸った。胸元のネックレスをいじくり、口角を上げる。
「なんでこんなところに突っ立ってるんだろうねえ、俺」
 失笑した一機の目の前にあったのは、自らの半身と同様の名前を付けた鋼鉄の巨人だった。
「《サジタリウス》……俺も酔狂なもんだ。その場の勢いとはいえなんて名前だよ。――こうなったら、ちょっと後悔してるところだが」
 ブツブツ呟くと、辺りを見回す。MNの整備室を兼ねた空洞には様々な工具が置かれていた。
「さてと、ペンチやツルハシじゃどうにもならんけど、大砲だから必要ないだろ。マッチみたいな発火物が欲しいんだが……お?」
 ついと、背中が押される感触がした。
 何か、細くて硬い棒のようなもので突かれているのと、後ろに荒い息遣いが聞こえて、一機は全てを理解した。
「……はっはっは、起きたのかお前。俺も回復早い方だけど、あれだけ飲んでてよくもまあ。それとも演技だったのか? だとしたら俺もほら吹きの名返上しないとな」
「……何してんのよ、あんた」
 低く、そして冷たい声でマリーは問いかけた。振り向かない一機の背中にピストルを突き付けて。
「あのさー、ピストルなんて使えるの? それ撃つのには色々工程が必要で、しかも素人には難しいんだけど」
「使えるわよ。これくれた旅人が使い方教えてくれたから。誰かに追われてるって言って、予備の弾とこれ置いたら逃げてったけど」
「――その人、確実に殺し屋か何かだね。証拠隠滅だったのかしら。それはいいとしても、本当に撃ったことあるの? 人とか」
「ないけど――この距離なら外さない」
 ごもっとも。背中に直接押し付けているのだからトリガーさえ引ければ赤ん坊でも一機を殺せるだろう。――その銃が、ガクガク震えてなければ、の話だが。
「そんな状態で撃ったら、どこに当たるかわからんからしまいなさい物騒なものは。跳弾して自分の脳天にズドーンとかなったら末代まで笑われるぞ」
「うるさい! 殺されかけてるってのに余裕ぶってんじゃないわよ!」
 いつしかマリーの声自体も震えている。どうも泣いてるようだが、それが悲しみか怒りか、多分両方だろうと一機は判断した。
「あんた、やっぱあっち側の人間だったのね……あんなこと言ってたけど、本当は最初から『魔神』を奪うだけが目的だったんでしょ! アマデミアンであること利用して潜入して、油断したところを……!」
「そんな馬鹿なことあるわけないだろ」
 不意を突かれ、「へ……?」変な声を上げた。クックックッと笑いながら一機は続ける。
「潜入して、寝たところ狙って、そしてどうするんだよ。《サジタリウス》は動かせないんだぞ? 動かせないものを俺一人でどう回収するのさ」
「そ、そんなの、味方がやってくるのを待って……」
「それこそ意味無いだろ。とっくに親衛隊は殺到して来てるんだぞ? 潜入したなら、そのままじっと待ってればいい。わざわざ危険な目に遭ってまで《サジタリウス》を確保する必要はない。それ以前に、俺が親衛隊の間諜だとしたらお前が無事なの変じゃない?」
 マリー自身それは自覚していたらしく、声を詰まらせる。
「じゃ、じゃああんたどうしてこんなところにいるのよ! 意味がないってんなら、何をしに……」
「決まってんだろ」
 と、そこで一機は初めて顔だけマリーに向け、こう告げた。

「ぶっ壊すんだよ、この《サジタリウス》」

 マリーはしばし口を「あ」の形にしたまま硬直していたが、やがて「はあ!?」と叫んだ。
「生憎MNは動かせないし工具とかもないようだけど、発火物ぐらいあるだろ。《サジタリウス》は見たとおり重量級のカタブツそうだが、積んでる砲弾は火薬搭載なんだから爆発させればさすがに木っ端みじんさ。松明の火じゃ難しそうだが、油とかよく燃える物とかぶせればなんとか――」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ! ぶっ壊すって、どういうつもりなの!?」
「それが一番、誰にとっても穏便に済ませられる方法だろうが」
 振り返り、後ろ指で《サジタリウス》を示しながら一機は説明する。
「お前は『守護の民』としてここを防衛しなきゃならない。親衛隊も任務である以上ここを攻略しなきゃならない。――でもさ、それってこの《サジタリウス》……いや、『炎の魔神』があるからだよな?」
 戦慄し、目を見開いたマリーも一機の考えを理解したらしい。そのまま一機は続ける。
「お前も別にこの場所が大事なんじゃなくてこのFMNを守りたい。親衛隊もここに留まってる残党なんか用はなくて伝説の兵器が欲しい。お前も今更明け渡すなんて出来ないし、親衛隊も面子があるからお前一人のために「持って帰れませんでした」なんて報告するわけにゃいかない。だけど、それがなかったとしたら?」
 そう、それが一機の出した結論。誰にとってもいい結果、いや、正確には誰にもリスクがあるが一番被害の少ない解決法だった。
「お前にとっちゃわざわざここにいて守ってる理由が消滅する。親衛隊としても「ぶっ壊れてました」って言えば任務は失敗したことになるが責任はない。戦う意味も理由も消滅して両者丸く収まる。帰ってく親衛隊にお前も用ないだろ? あっちだって『魔神』が存在しない僻地で戦闘しても徒労だし、そもそも無人だと思ってるからお前を追う奴なんていないよ。……まあ、個人的な事情で俺もこの《サジタリウス》を欲しかったんだが……こうなっちゃしょうがない、自分でなんとかするさ」
 らしくないな、とは一機自身思う。この方法はマリーやヘレナたちだけに利益――というより損がないか――があり、自分は骨折り損のくたびれ儲けだ。自己中心的(アンビレイカブル)と常日頃認めていた一機らしくない。《サジタリウス》を回収した功績も、この力で親衛隊で地位を確立することもできないのだから。
 しかしまあ、それは怠慢だとわかってはいる。麻紀の安全と確保するとか言って自分は楽な道が欲しかっただけではないか。それに比べれば両者の事情は切羽詰まったもの、優先すべきはどれかなど考える必要はない。
 麻紀に関しては……正直困っているが、ヘレナなら悪いようにはしないだろうしとりあえずはどうにかなる。今は親衛隊で揉まれていずれどうにかしようと決めていた。――いい加減だけど。
 というわけでこうして《サジタリウス》の破壊活動に訪れたわけだが……マリーがそれを歓迎するかと言えばそんなわけはなく、
「だ、だだだ、だ……」
「だ? 顔が三つくらいあっても意味の無い宇宙人?」
「だあああああああああああほかあんたはああああああああああああああああっっ!!!」
 もう絶叫というより爆発と表現した方が正しい衝撃波を喰らった。峡谷に反響し一種の音波兵器と化す。
「づううぅ、くそっ何しやがる! 耳がキンキンするぞ!」
「こっちだってキンキンしてるわよ! ってんなことどうでもいいの! ぶっ壊す!? 冗談じゃないわよっ!」
「冗談でんなこと言わんて、本気だ本気」
「本気ならなおのこと悪い!」
 逆上したまま詰め寄ってくる。こうなるとわかっていたからこそ寝ているうちに済ませたかったのにとため息をつく。
「『炎の魔神』を壊す!? ざけんじゃないわよ! こいつを守るためにあたしたち一族はその身と人生を犠牲にしてきたのよ! それを壊すなんて、絶対させないんだから!」
「だから、説明したろ? これが無くなってしまえば、お前がその使命に縛られる必要なんかない。ここから出て、自由に生きれるのだって……」
「あたしはここで『炎の魔神(こいつ)』を守る! それがあたしの生きる意味そのもの!」
 涙混じりの目は血走っていて、こちらに対する敵意と憎悪に染まっていた。その姿に、一機も泣きそうになる。ただしそれは恐怖でなく。
 違う。こんなのはマリーの目じゃない。一機が起きた時こちらを気遣う目、携帯をバラバラにして子供のように昂ぶっていた目。料理を御馳走したら尊敬するように見つめてきた目、《サジタリウス》を見せて自慢げに語る目。それら全てが微塵も失せ、こっちの方が切なくなる瞳を寄こしてくる。
 こんなのはマリーじゃない。こんなのがマリーでいいはずがない。本来のマリーを縛るものがあるとしたら……
「……何の意味があるんだ、こんな鉄クズ守ることに」
「っ! だから、これは母さんが、一族のみんなが……!」
「お前だって出たいんだろ!?」
 マリーの腕をつかみ叫ぶ。複雑に絡まった様々な感情を叩きつけるように。
「あんだけ携帯面白そうにいじってたの誰だよ! 久しぶりの人に楽しそうに話してたの誰だよ! 《サジタリウス》を気分よく解説してたの誰だよ! 本当はここに出てやりたいこといっぱいあるんだろ!? いろんな人と楽しくお喋りしたいんだろ!? 機械いじくって遊びたいんだろ!? なら出ろよこんなとこ。こんなポンコツ捨ててって、さっさと逃げちまえよ!」
「な……か、勝手なこと言わないでよ! あんたに何がわかるっての!?」
「あーはいはい、わかりませんねえさっぱり! なんせ俺は、そういった使命とか役目とか背負うべきものから逃げちゃいましたからねえ! イェーイ!!」
 言ってみて、驚いたのはマリーより一機本人だったかもしれない。まあ、最初から分かり切っていたことではあったが。
 無能として追い出される前から、自分は次期当主としてすべき努力をしてきたか。追い出された後、それを撤回させようとさらに精進したか。答えはどちらも同じ、NOだ。
 元から当主になる気なんかなかった。面倒で嫌で、無能として何もせず怠惰に過ごしてあちらから勘当させた。自覚はなかったとはいえ結果は同じ、一機は自分のすべき責任を投げて妹に押し付けたのだ。
 だから、理解なんてできない。マリーや、ヘレナのように、自分の責務に辛いとか理不尽とか言わず果たそうとする者たちの気持ちも分からず、故に非難も否定も口をはさむことすら許されないだろう。
 だけど――その使命やら責務やらが何の意味もなく、生きてる人間を苦しめて、死なせるだけのものだったら――
「そんなのは、使命でも責務でも、ましてや役目でも繋がりでもなんでもない。
 ただの――呪いだろ」
 愕然と、目を見開いたマリー。目の前が暗くなった、というのを体験しているのかもしれない。俯いたマリーの手を握り、《サジタリウス》を指さした。
「お前ら『守護の民』は、ずっとこのFMNに縛られ、呪われてきたんだ。四十五年前の亡霊に、こんなとこに捕らわれてきた。血を吸い、肉を喰らって、命を、希望を奪う最悪の呪いでだ。もう流すべき血も涙も一滴だってあるもんか。いい加減解放されるべきだろう。違うか?」
 肩を抱いて、ゆっくり語りかけた。マリーを助けたい、嘘つき男の偽りない本心を乗せて。
 その想いを悟ってくれたのか、感動でマリーはふるふる震えている。泣いているのだろう、一機は手をそっと放して、
「ふっ、ふざっ、ふっざけてんじゃないわよおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!」
 二行ほど文面修正。全然伝わってなかったようだ。銃を振り回してまたしても絶叫。
「黙って聞いてりゃわけわかんないことばっか言って! キザ!? キザってんのあんた!?」
「いやさっきの説得は考えて言ったわけじゃないんだけど、というかちっとも俺の言うこと理解してくんなかったのおたく?」
「知らないわよそんなのっ! いいからもうあんた黙ってなさい! うおりゃあぁっ!」
 そう奇声を上げると、大リーグの選手もかくやという見事なフォームをとると、手に持ったものをボール代わりに振りかぶった。
「っておい、ちょっと待てぇ!」
 一機が止める間もなく、オートマチック銃は投げつけられた。
「うひゃあい!」
 通常の一機ではあり得ないほど敏捷な動きで回避すると、ピストルはそのまま地面に叩きつけられた。
 ガゥン! と激しい音がすると、一機とマリーの顔をかすめるように一筋の閃光が過ぎ去った。
「………………」
「………………」
 硬直する二人に、数刻前とはうって変わった静寂が訪れる。
 地面に激突したピストルが、衝撃で暴発してしまったのだ。
「ば……ば、馬鹿ーっ!! オープンボルトの銃投げる馬鹿がどこにいんだ! あやうく大地に射殺されるとこだこの馬鹿女!」
「ば、馬鹿馬鹿言わないでよこのアホ男! 何よオープンボルトってまたわけわかんないこと言って!」
「だああぁ、おい旅人! 銃教えるなら安全な扱い方くらいちゃんと把握させておけ! 自爆するならマシだけど被害被るのこっちだぞ! とにかく素人にそんな危ないもの持たせておけるか、よこせ!」
「ちょ、何人の物盗ろうとしてんのよ泥棒! 渡してなるもんですか!」
 両者地面に落ちた銃に飛びつこうとしたが、位置的に近かった一機と運動能力が上なマリーが同時に行ったため見事に空中でクロス、互いに頭突きあう奇跡の瞬間が生まれた。
 二人とも頭を抱えて悶絶するが、すぐに回復してまた飛びつく。今度は両者握って離さない。傍目からすると男と女が抱き合ってるもう少しで青年指定が必要だぞという光景だが、当人たちはにらみ合って威嚇している。
 てなわけで一機とマリーが銃を握ったまま罵声を浴びせつつゴロゴロ転がるというさっきまでのシリアスムードどこ行っちまったんだよ(泣)な有り様となる。しかし、神はどこまでも慈悲深いのか、この緊張感の欠けた展開を打ち消す鐘の音を鳴らした。

『――グオオオオオオオオオオォォッ!!』

 鐘の音というわりには、ずいぶん低くて重みのある音だったが。
「んっ?」
「えっ?」
 二人はびっくりして互いに顔を見合わせる。というか、一機はこれとまったく同じことに経験があった。
「これって、まさか……」
「やっばい!」
 あわててマリーは《ゴーレム》に駆け付けた。どうも乗り込むつもりらしい。
「お、おい、どうしたんだよ!」
「はあ!? あんたさっきの咆哮聞こえなかったの!? 《ウサギ》が攻めてきたのよ《ウサギ》が!」
「《ウサギ》ぃ!?」
 この場合の《ウサギ》とは、無論バニーちゃんでもモチつきマシーンでもない。こちらの世界に来た際一機を殺しかけた、あのでかくてごつい魔獣のことだ。
「で、でもどうやってこんなとこに入ってきたんだ? こんな狭いところに……」
「やっぱり馬鹿ねあんた、ウサギなんだから潜ってきたに決まってんでしょ!」
「潜ったぁ!? あれ地面潜るの!?」
 一機は意識を失いそうになる。外見上は九割九分九厘ただの化け物なのに、どうしてそんなとこだけ兎チックなんだよ!
「あいつら馬鹿で悪食だから、たまにこんなとこにも出てくるのよ! やばいわね、この咆哮からすると結構大群で来てるみたい……」
「前にもこんなことあったのか? よく防げたな」
「だからあんだけ罠作ってたのに、あんたたちがぶっ壊したせいで!」
「ああ、あれって魔獣退治用でもあったのね……」
 なるほど、それであんなにバカスカ作られていたのか。魔獣用に大した擬装もしてない簡易バージョンもあるんだろうなあと考えていると、咆哮とは違った音が聞こえてきた。
 鉄がぶつかり合うような、鋭い音。魔獣とは違う雄叫びがすると、魔獣も吠える。轟音はますます大きくなって峡谷内をうめつくそうとした。
「――っ! しまっ……!」

    ***

 親衛隊にとって幸運だったのは、《ウサギ》の襲撃が完全な不意打ちではなく、後方を確保していた隊員が異常に早く察知したことであった。
 作業は続行していたものの深夜帯でもありほとんどが眠っていたが、敵襲に隊員たちは飛び起きた。
 しかし不意の出来事だったため、混乱はすぐには収まらない。大挙してくる《ウサギ》から逃げようとする輩はいないものの、まだ全員が臨戦態勢には入っていなかった。
 したがって、今戦っているMNは、ヘレナやグレタ含む数体のみだった。
「くう……せえぇいっ!」
《ヴァルキリー》がロングソードで袈裟がけに《ウサギ》を斬る。流血が飛び散り、断末魔と共に絶命した。が、すぐに別の《ウサギ》が飛びかかってくる。
「ちい、このぉ!」
 今度は胸に剣を突き刺した。その身を貫かれた《ウサギ》は最初ピクピク痙攣していたが、すぐにがっくりとうなだれ動かなくなる。《ヴァルキリー》はその巨体を蹴り上げると、刃を肉体から抜いた。
「はあ、はあ……おのれ、まだ来るか!」
《ヴァルキリー》の操縦席に入ったヘレナには、谷間の向こうから突進してくる《ウサギ》が見えていた。MN内部には原理は知らないが外の光景を透過する素材が貼ってあって容易に確認することができる。たとえ嫌なことであったとしても。
 しかして、幸運はまだあった。峡谷自体が狭いので、《ウサギ》も一気に大群が押し掛けるということができず、数体と戦っていれば済むことだ。もっとも、その数体が倒しても倒しても迫ってくるのだが。
 今も、駆けていた《ウサギ》が直前で跳ねて、空から《ヴァルキリー》に飛びかかってきた。
「っ! なんのっ!」
(はあぁっ!)
 とっさに剣を構えた瞬間、影が己の上を飛んで《ウサギ》に槍を突き立てた。
「グレタか、助かったぞ!」
(礼は結構、次が来ます!)
「応っ!」
 グレタ専用の長槍を持った《エンジェル》と共に直進する。戦うだけでなく、テントから離れる意味もあった。
 親衛隊とはいえ、全員がMNを操縦するわけではない。自分のMNを持たない隊員にとって巨人と巨獣の戦いの中混じるのは死を意味する。まだMNに乗っていない兵を守るためにも、ヘレナたちは前進するしかない。
 しかし、状況はこちらに不利だった。
(ヘレナ様、上っ!)
「くっ!」
 崖の上から《ウサギ》が降ってきた。犬歯を剥き出しにし、爪を伸ばしこちらを喰らいつくそうと狂気を瞳に宿して。
「ぬおっ!」
 反射的に左手に取りつけられた盾で受け止める。衝撃が操縦席内部のみならず、自身の左腕にも伝わった。
「くくくっ……!」
 左腕からケダモノがこちらを押しつぶそうとかける重圧や熱気まで感じられる。無論本当に感じているわけではない、MNの精神操作によるものだ。
 MNの操縦は、いうなれば手足を動かすのとあまり変わらない。『アマダス』を介して『ディダル』の骨に刻まれた術式と精神を同調させ、擬似的にMNを肉体とする、いや、自らがMNになるといった方が正しいか。詳しい原理はヘレナにはわからないが、とにかくそう理解していた。
 だがこれにはリスクがある。MNで受けた攻撃がそのまま伝わってしまうのだ。表面を火で炙られれば焼かれる痛みが、首にロープでも巻かれれば締め付けられる苦しみが。腕でも切り落とされれば激痛がそのままやってくる。無論、実際には傷一つつかないが、その苦痛は本物だ。
 ヘレナ自身、四年前両腕を引きちぎられ、腹に五本ものランスを突き刺された記憶は今もなお薄れることなく残っている。MNの操縦とは生身で戦うのと同じ、あるいはそれ以上の苦痛を伴うものなのだ。
 しかして、MNと魂の同調が強くなればなるほど、MNの動きは速く、鋭くなる。
「はあっ!」
 左腕に力を込め《ウサギ》を押しのけ、ひるんだところを真っ向両断した。凄まじい領の血が雨のように降り注ぎ《ヴァルキリー》を汚した。
 正面で視界を塞ぐ血だけを拭うと、まだ迫ってくる《ウサギ》に剣を構える。と、横の斜面が突然崩れた。
「っ!」
 殺気を感じ飛び退くと、崩れた岩肌から《ウサギ》が《ヴァルキリー》へ襲いかかってきた。地面を掘ってきたに違いない。十本の爪がこちらを切り裂こうとする。
「なんのぉっ!」
 両腕が振り下ろされる一瞬、跳ねるように《ウサギ》の内懐に入り爪を抜け、その勢いのまま胸に剣を突き刺した。潰れたカエルのような声を上げると、そのまま崩れ落ちた。
「くっ、まずいな……」
《ウサギ》の生態は知っていたから予測の範囲だが、ヘレナは背中に冷たい汗をかいた。
 こちらはこの狭い峡谷の中で戦うしかない。しかしあちらは縦横無尽。地面からも、崖をよじ登って空からも攻撃できる。この差はあまりにも大きい。《ウサギ》は知能は低いが獰猛さと執念深さは恐れと共に語られている。きっと一機たちを助けた時仕留めたものが仲間を集めたのだろうが、何十匹いるか想像したくもない。収束していない混乱からしても、状況からすればこちらが不利だった。
 ざわ、と肌が泡立つ。後方を振りかえり、松明の炎を見た時、違う光景が瞳に映し出された。
 周囲のものは自然物から人工物、生物までも区別なく全て焼きつくそうとする業火。数刻前まで人型をしていたモノがボロボロに崩れ壊れていく。あれはMNか、それとも人間か。そもそも自分はMNからこの光景を見ているのか。真っ赤になった視界は自分の血によるものか他人の血によるものか。いつの間にか両腕の感覚が失せている。千切られたのはMNの腕だ、頭で考えても怖くて視線を向けられない。いや、動かせないのか? なにせ、私はランスを五本も刺されたんだ。死んでいるのが当然――
(――レナ様、ヘレナ様!)
「!」
 操縦席に取りつけられた『ジスタ』による通信機から、グレタの呼ぶ声がした。ハッとなると眼前に《ウサギ》が血走った目で《ヴァルキリー》に食らいつこうとした。
「ぐぅっ!」
 戦慄する間もなく、左腕を開いた口に突っ込む。ガキンと腕に牙を立てられるが、銀色に染まったMNの腕は噛み砕かれはしない。引き倒す要領で地面にひれ伏させると、剣を頭部にグサリと刺した。
(大丈夫ですかヘレナ様)
「……ああ、問題ない」
 一瞬意識が飛んでいたなどとは口が裂けても言えない。もっとも、グレタは承知の上だろうが。
「はあ、はあ……くそっ、またか」
 小さく舌打ちをする。『ジスタ』が内蔵されているこの通信機は通信を止めるということができない。箱に蓋でもすれば別だが、戦闘中にそんな真似は馬鹿の所業。操縦席では一人言すら容易に言えないのだ。
 ふと、右腕――剣を持っているMNのものではない本物の腕に視線を向けた。小刻みに、しかし止まることなく震えているのを見て呆れ返った。
「はは、酷いものだな……ここ数日は何もなかったというのに」
 四年前蛮族に殺されかけ、仲間が壊滅したことが心の傷になってしまい、戦場平時にかかわらず震えたり自失状態になる騎士。普通ならばとっくに軍を追い出されていたろう。
 だけどシルヴィアは自分を、ヘレナ・マリュースを必要としていた。見栄えのいい看板として勤まるなら、中身がまともに戦えない腰抜けでもそれなりに役立つということだ。さすがに剣すら持てなかった四年前よりはマシになったが、気を抜くとすぐこうなる。
 わかっている。今の親衛隊が名ばかりでまともな戦力もなければ任務も来ないのは、全てヘレナ自身のせいだと。ある意味素人よりたちの悪い隊長が率いる隊に優秀な人材を誰が寄越そうと思うか。任務など果たせると思うか。望んで就いた立場ではないとはいえ、現在の親衛隊の状況を生み出したのは全てヘレナの不実によるものだと。
 自覚はあるが、だからと言ってあっさり治せるほど四年前刻まれた傷は軽くなかった。理性ではどうにもできない自分の脆弱さに屈辱と恥辱にほぞをかむ日々が続いた。
 故に、求めてしまったんだろう。幼き頃から唯一の心の安らぎだった、あいつを。顔も背格好も面影がまるでないのに、ただ生きていればこの年頃だと思ったとき被せたのは、つまりは誰でもよかったからだろう。あいつを思い出せる何かがあれば、その時現れたのが一機だ。身勝手の極まる。勝手に無関係の人間を重ね合わせ、自分の寂しさを紛らわせようなどと。
 そんな誤魔化しをしたところで、今はこんな無様ぶりを見せ付けている。あいつがいなくなったからか? だとすれば情けないし、結局自分の脆弱さはそんなことで治るものでないとしたらなお情けない。
「……だがっ!」
 顔を上げ、地面に剣を突き立てる。少し盛り上がった地面からくぐもったうめき声がして、剣を抜くと間欠泉のように血が噴き出した。
「こんな腐れた命でも、くれてやる気はない!」
 己を奮い立たせ、剣を構え直す。
 たとえ騎士として失格でも、名だけの隊長に堕ちた身としても、まだ死ねない。自分の肩に乗る命と名誉、それこそどれだけ錆びた刃でも守らねばならないものである限り。
 そうだ、そうでなければ、あいつだって――
「――ん?」
 ふと、脳に妙なものが浮かんだ。いや、何かははっきりしているが、どうしてこの状況であいつの顔が、違う、あいつの顔が出るのはおかしくない、だけどだったらどうして自分はこんなに動揺して――
(ヘレナ様、前っ!)
「えっ、うわっ!」
 今度は掘ったわけでも飛びかかったわけでもなく、普通に正面から突っ込んできた魔獣にぶつかった。なんとか踏ん張って倒れるのは防ぎ、《ウサギ》の額に思い切り頭突きをして昏倒させる。
(ヘレナ様、いい加減にしてください! 調子が悪いんだったら下がったらいかがです!?)
「いいや、大丈夫だグレタ。体調は問題ない。……体調は、なんだが」
(はい!?)
「だ、だから大丈夫だ! こっちは支援しなくていいから周辺を警戒しろ!」
 恐らくこちらをいぶかしんだ目で見ているだろうグレタを無視して息を整える。なにか胸が体力の消耗以外の理由で激しく鼓動している気がしたが、気のせいだ、うん。
「それより、隊員たちは!」
(搭乗員は既にMNに搭乗、他の者は後退させてますが、なにぶんこの状況ではどこから現れるか……)
「下手に退かせるのも危険か、手の打ちようがないな……」
 このままではまずい。わかっていても手段が見つからず、歯がゆい思いでいっぱいになる。どうすればいいのか、どうしなければいけないか――
「……せめて、道が開けるか、もっと空間が広がれば――!?」
 ゾッ、とその時、ヘレナの背筋に強烈な寒気が走った。
 いや、寒気と言うより、全身の熱を力づくで奪われたような強烈な初めて味わう感覚だった。
(へ、ヘレナ様……?)
 グレタが声をかけてくる。あいつも何か感じたらしい。視界を動かすと、他の《エンジェル》や《ウサギ》の動きも鈍くなったように見える。
 何か感じた。今まで感じたことのない強烈な圧力を。しかしこの感覚自体は知っていた。
 これは――殺気だ。
 どこから? 何者、いや何物がこれを発しているのか。視線を巡らせるが、一瞬の知覚はもう消え失せ、どこからかわからない。
 だがその場にいた人間、否、《ウサギ》も凄まじい殺気に怯え、誰もが戦わずその場で固まっていると突如、
 轟音が、響いた。


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