Last Esperanzars

Last Esperanzars

第3話 神の矢 来る(前編)


 某日、市内のレンタルビデオショップにて。
 今日もいつも通りDVD(ロボットアニメ)を借りようとしたら、見知った顔を店内で発見した。
 ――霞先生?
 そう、その場にいたのはあの生真面目おどおと新任教師の霞 今日子だ。ビデオの裏見ながらふぅとため息をついている。
「何のビデオ見てんだ?」
 ふと気になったのでちょっと覗いてみることに。気づかれないように接近。
「さてさてなにを……」
 絶句した。
 ビデオのタイトルは『熱血ッ! 教師一匹!!』そりゃもうコテコテの熱血教師ものだ。
「うわああぁぁぁ」
 見てはいけないものを見てしまった気分になって、慌てて音を立てないようにゆっくりと素早く逃走。
「……あの女、あんな趣味があったのか……」
 うまいことビデオショップから外へ逃げおおせてホッと一息ついたところで、ふと考える。
 ひょっとしたらあいつ熱血教師ものにあこがれて教師になった口か?
 だとしたら哀れなこった。うちの高校には更生せねばならない生徒は山ほどいるが、誰も教師の声など聞くまい。熱血教師など不要だ。
「……必要とされてない人間ってことか? あの人も」
 そんなことを考えていたら、サイレンの音が響いた。しかも近い。
 見回してみると、1人の男が警官に捕まって連行されていた。その傍らには破壊された車と金属バットが。
 ――あ、幸光だ。
 警官に罵声をあげながら抵抗するのは、金髪ツンツン頭の不良。熱血教師がお呼びでない我が高校最も危険な人物だ。
 ――どうせまたすぐ出てくるんだろ。警官も忙しいのに哀れなことで。
 あの男、これまで1回も捕まったことがない。正確に言うと警察には行くが出てくるのが異常に早い。1時間も刑務所にいたことがないと言われている。
 噂によるとこれまで奴がやった事件は主に未成年飲酒、喫煙、飲酒運転、無免許運転、器物破損、婦女暴行、傷害、殺人未遂、さらには少女誘拐監禁などもあるとか。表歩いている方が不思議だ。父が代議士とかで、この国の司法制度の腐敗を生きながらにして訴えている。
 嫌気が差す。はっきり言って。
 いつまで俺はこんなひどい世界にいなければならないのだろう。
 抜け出せるものなら抜け出したいものだ。



 サジタリウス~神の遊戯~
 第3話 神の矢 来る



「……確かに、そう、言ったが……ハァ、ハァ……」
 朝靄が残る空気を、汗だくになってうずくまりながら大量に吸引する。こちらの世界で借りたシャツとズボンがビショビショになってしまった。胸ポケットのアマダスが重い……。
「日が昇る前に……ハァ、ハァ、フルマラソン……ハァ、ハァ……やらされる……世界に……ハァ、ハァ……来たいとは、ハァ、ハァ……言って、ない、ぞ……ハァ、ハァ……」
「フルマラソンとはなんだ? 一機、全然ダメだなお前は。10分の1も走れなかったではないか」
「当たり前じゃあ!! なんの特訓もせず42.195km走れる奴は怪物じゃあ!!」
「まだそんな叫べる元気があるなら余裕だな。走ったのは3.5ガルナだぞ」
 何を愚かなことを、とキッパリ言われたが、とんでもないことだ。
 ガルナとはシルヴィアの距離の単位で、1ガルナ=12kmである。それを知らなかったから早朝(真っ暗で深夜と呼んで良い時間)特訓だと叩き起こされて何キロ走る気だと聞いて大したことはない、ほんの3.5ガルナだと言われたから1ガルナ=1kmと勝手に思いこんで仕方ないなと走ったらこの始末。
 しかも後ろから「遅い遅いっ!」と怒鳴られて無理矢理走らされた。スポーツテストの診断(10人もやってなかった)で20mシャトルラン記録52回。つまり20×52=1.04kmでヘトヘトなのに、その3倍走ったんだからむしろ褒めてください。
「これぐらいでへばっていては親衛隊など勤まらんぞ。これから毎日鍛え上げねばならんな」
「ヘレナさん。スポーツ医学って……知ってる訳ねぇよなぁ……」
 泣きたくなってきた。鼻息荒いし。スポ根タイプだったんだなぁヘレナって。
「水持ってきて水」
「ダメだ。水を飲むとかえって疲れるぞ」
「それ迷信だから水! なんで知ってるんだよ!」
「仕方がないな……ちょっと待ってろ」
 全くダメな奴だと言いながら井戸へ向かう。こんなの毎日やったら死ぬわ確実に。
「地獄だぁ……ん?」
 地面に仰向けに寝っ転がると、ヘレナの後ろ姿が視界に入った。
「…………」
 さすがのヘレナもそれなりに水分を消費したらしく、シャツは汗で濡れていた。
 体にピッタリ張り付き、ボディラインを強調する。
 さらには水くみで動くたびにヒップが揺れて……
 ――ああ、イーネには負けるけど、良い体してるんだよね……。
 体力は使い果たしたが、性力は全然だったようだ。
 と、その時。
「!”#$%&’@+*<>¥|○×△□!?」
 ぐわし、と下半身を踏まれた。
「~~~~~~~~~~~~!!」
 叫び声も上げられず、ただただ悶絶するのみ。
「なにヘレナ様をやらしい目で見てるんですのあなたは!?」
 高飛車な声が非難する。この声は確か……。
「な、なにをしているジェニス! 一機、いったいなにが……!」
 駆けつけたヘレナの驚いた声がする。自分じゃない名前で襲撃者が誰か悟った。
 そうだ! この黄色縦ロールに緑の瞳のタカビー娘はジェニス・フォンダ。昨日副長に続いて2番目に俺をケダモノを見るかのような目で見てた奴だ!
「なんでもありませんわヘレナ様。ちょっとヘレナ様をいやらしい目で見ていた不届き者の欲情したものに天誅を与えただけですわ」
 まるで大したことじゃないと言い切るジェニスに腹が立ったが、『いやらしい目で見ていた』発言に反発するため全速力で首を横に振る。実際は見ていたのだがそれを言うと俺の立つ瀬がない。
「この大馬鹿者っ! なんてことを……」
「大馬鹿者はそいつですわヘレナ様! 男のくせにヘレナ様をあんな目で見るなんて……即刻断罪されるべきです!!」
「……それより、お前のこの行為の方が断罪されるべきかと思うが……」
「男は黙りなさいっ!!」
 苦悶の中からやっとひねり出したことばをいとも簡単にはじかれてしまった。この世界、男女の差が激しいってホントだな……。
「ジェニス、その傲慢な態度は止めろといくら言えばわかるんだ?」
「まぁ、そんなひどいこと言わないでお姉様ぁ」
 タカビー娘モードからブリッコモードへ。こいつかなりの役者だ。
「傲慢だなんて。ワタクシはただ教えを守っているだけですわ。それをそんな、ひどいっ!!」
「……いや、だからな、ジェニス」
 ああああ、怒気削がれちまった。それがそいつの手なんだよヘレナぁ!!
「ひどいのはあんたよ、ジェニス」
「!? あなた……マリー!!」
 いつのまにかマリーが憮然とした表情で立っていた。突然の乱入者にブリッコモードを止めて戦闘モードに。マリーとジェニスの後ろに龍と虎が見える。
「ああ、なんてこと、こんなひどい目にあって。大丈夫、一機?」
「……とりあえず、生命維持には問題ない」
 妙に芝居がかったセリフで駆け寄ってくる。なんかやな予感。
「はあぁ、良かったぁ。やっと適材を見つけたってのにこんなところで……」
「……適材?」
「あ! ううん、なんでもないなんでもない!!」
 明らかに動揺しているその様はなんでもないとは思えない。どうやら何かしら企んでるようだ。
「ちぃ。死ねばいいのに」
「ジェニスッ!!」
「ああ、ごめんなさいお姉様ぁ」
「ふん、なにが『ごめんなさいお姉様ぁ』よ。気持ち悪い声だしてこの変態ブリッコ」
「なぁんですってぇ!?」
 マリーVSジェニス、バトルモードへ突入。とりあえず悶え苦しんでる俺を介抱してください誰か。
「一機大丈夫か? 立てるか?」
「……無理です」
「……しょうがないな。ジェシー、ミオたちを呼んできてくれ」
 めんどくさそうにヘレナが近くの木に向かって言うと、木の影からゆっくりと黄色ウェーブに緑の瞳の小さい女の子が出てきた。彼女はジェシー・フォンダ。ジェニスの全く似ていない双子の妹。『小さい女の子』と言ったが、実は同い年(17歳)である。
 ヘレナの頼みをコクンと頷いてトタトタトタ駆け足で呼びに行く。う~ん、やっぱり少女、いやフランス人形っぽい。
 ほどなくして(その間マリーとジェニスが取っ組み合いのケンカを初めてヘレナが止めたりしていたが)ジェシーが少女2人(こちらは本当に少女。12歳だとか)を連れてきた。
「あらあらまあまあ、大丈夫ですかカズキン」
「……………………」
 同じ青い髪に緑の瞳で髪型も同じシニヨン。顔もそっくりだから判別不能な似過ぎ双子姉妹ミオ・ローラグレイとナオ・ローラグレイ。耳を疑ったが親衛隊の看護兵なんだとか。ちなみに優しい笑顔でカズキンと呼んだのがミオで無口無表情なのがナオってカズキン?
「……なに、カズキンって」
「まあ、カズキンはカズキンですわ。一機だぁかぁらぁ、カ・ズ・キ・ン♪」
 む……くぐ、な、なぜだ? なんか妙に色気を感じるぞこいつに!? 12歳の幼子になに考えてんだ俺は!? 待てよ、この雰囲気は身に覚え、いや顔に覚えが……
「はっはっは、カズキンとは笑えるね。でもミオ、アタシが教えた誘惑術ちゃんと覚えてたようだね。一機がメロメロだよ」
「あらあらイーネお姉様、もちろんですわ。ナオ、あれからいっぱい復習しましたもの♪」
 やっぱりあんたか! 昨日の殺人ボインアタック(胸に埋めて窒息死)の豊かな感触……じゃなかった、恐怖が忘れられん!!
「幼女になに教えてるんですかあなたはっ!?」
「副長、幼女だってちゃんとしたレディですよ。男を堕とす術は心得ていた方がいいに決まってるじゃないですか。早期英才教育って奴ですよ」
「遊女じゃあるまいし、そんな教育いりませんっ!!」
 騒ぎを聞きつけてきたのか、副長来るなり髪を振り乱してのブチギレ。この2人犬猿の仲のようだ。ていうかこの世界にもいたのか遊女って……。
「……なにしてんの? いったい」
 後ろから心底呆れ果てた言葉をかけられた。振り返るとそこには黒目緑髪にショートカットの同世代の女が。レミィ・ヘルゼンバーグ、親衛隊の見習騎兵だそうだ。
「……よくわかりません」
「ふうん……どうでもいいけど」
 そう言うと、興味なさげにスタスタ井戸の方へ離れていく。そういえばこの女昨日の挨拶の時も嫌っていると言うより興味が無さそうにしてたっけ……てなんか親衛隊大集合してるぞ!?
「おいおい野次馬根性丸出しだなっ!?」
「無礼者!」
 ガン!!
「がっ!!」
 突然頭に鈍い痛みが! なんなんだよ今度は!?
「ライラさん、もっとやってしまいなさいっ!」
「おう、こんな男、喝を入れてやまねば気がすまぬ!!」
 振り向くとオレンジの波がかかった(天パかどうかは知らん)にブラウンの瞳の高級そうな雰囲気の女――エミーナ・ライノス――と紫カールに碧眼の顔に似合わぬ男らしい女――ライラ・ミラルダ――が……ああっ! ライラの奴手刀構えてやがる! 犯人は貴様か!!
「な、なにすんだよ!!」
「男が五月蝿い口を聞くな!!」
「チョップ喰らわされたら五月蝿い口の1つや2つ言うわい誰だって!!」
「男に文句を言う資格などありません!!」
 2人から『下等生物が』との視線が。ムッカツクなこいつら!!
「じゃかましい! 男が何とか言ってるが、お前らだって男の父親が母親とヤんなきゃ生まれなかったくせに!!」
「「「「「「「「「「ッ!!!!!!」」」」」」」」」」
 しいぃぃぃぃぃぃぃいん~。(静寂の音)
 あ、あれ? 全員集合していた親衛隊の皆が一気に静かに……ひょっとしてこの手の話弱い? これはいけるかも……ふっふっふ、あいつにさんざん猥談かまされたのがこんな所で役に……
「こ、こ、この……変態があああああああああ!!」
「立つわけねぇよなああああああああっ!!」
 真っ赤になった親衛隊員がグレタを筆頭に津波になって突っ込んできたぁ!! ヘルプ、ヘルプミィ!!
「なんだ、まだ全然走れるではないか」
「ホント。でも度胸あるわねぇ、この連中にそんな発言するなんて」
「ヘ、ヘレナ、イーネッ! のんきに談笑してないでこいつら止めてくれぇっ!!」
 確かに体力使い果たしたとは思えぬ速さで逃げている俺は。しかし追っかけている副長以下の軍勢、怖すぎる。映画版『三銃士』のラストじゃあるまいし。
「カーズキーン、頑張ってぇー♪」
「…………」
「お前らも楽しそうに見てないで助けてくれよぅ!!」
 ええい、俺とあいつらとは温度差がありすぎる! このままでは総員からボコボコにされてスプラッタホラー顔負けの顔にされてしまうのは明白、なんとか逃げ切らねばっ!! そうだ、あの井戸の向こうの森に逃げ込めば撒ける……
「え?」
「へ?」
 ドン!!
「うわぁ!」
「だあぁ!!」
 突然出てきた女にぶつかった。だ、誰だよおい!?
「いたたたた……」
「お、おい、なんで突然飛び込んで来るんだよ!」
「いやだって、こちとら殺されそうで……ん?」
 むにゅ。
 こ、この昨日気絶するまで散々味わった感触はまさか……
「あああああ、レミィか押し倒されてるぅ!!」
 違う、違う違う! 確かに状況的にはそうだけど、ちょうど顔が胸のあたりにスッポリ埋まっているけど、けどけどけどぉ!!
「ちょっとどいてよ、重いなあ……」
「……は?」
 まるで『あっついなぁおい』と布団を蹴り上げるみたいにナチュラルにどかされてしまった。あれ? 胸触ったのに怒ってないの?
「まったく、なんでボクがこんな目に……」
 ブツブツグチを言いながら、離れていってしまう。その意外な様子に俺も副長以下親衛隊総員もスッカリ毒気を抜かれて呆然としていた。
 なんなんだあいつ? ちょつと他の奴とは違うような……。

「と言うわけで一機。1日目からだが、早速剣の修行を始める」
「……朝あんだけ走らされてですか。足筋肉痛で痛いんですけど」
 実際足笑ってるし。
「案ずるな。走る時に使う筋肉は足、腕は問題なかろう」
「どう問題ないってんだ……」
 実際問題立つのも辛いんですが。まぁこのスポ根まっしぐらのヘレナに何言っても無駄なのはわかったから言わないけど。
 早朝の騒動からはや数時間、ナイフとフォークで朝食を食い(この時代のヨーロッパって手掴みで食べてたんじゃなかったっけ?)寄宿地近くの空き地で訓練再開。
「他の隊員は?」
「あっちはグレタに任せてある。グレタは私の姉弟子でな、人に教えるのは私より上だ」
 姉弟子だったのか。しかし今、なんとなく敗北宣言してないか?
「色々剣の道を語るより身をもって知るほうがいいだろう。一機、これを持ってみろ。訓練用の模造剣だ」
 そういうと、1本の剣を差し出した。80~90mほどのロング・ソードだ。
 ここまでくれば仕方がない。郷にいては郷に従え。ここの生き方に染まるしか生きる術はないのだ。
 言われた通り剣をガッシリと握りしめると、
「うおっ!?」
 速攻で落とした。
「こ、この馬鹿者! 模造剣とはいえ、剣を落とす者がいるかっ!」
「いやこの剣重いんですけど!?」
 実際これは重い。剣なんて持ったことないけど、もっと軽そうなもんだったが。
「これぐらい普通だ。たったの1.2バレドだぞ」
「1バレドって何キロ?」
「知るか」
 (この後、一機は1バレド=5kgであると知る。つまり1.2バレドは6キロ。通常(あっちの世界)の3倍。そりゃ重い)
「いくらなんでも重いぞこれ……鋼じゃないのか? なあ、ちょっと聞いていいか?」
「またか。今度はなんだ?」
 特訓の邪魔をされたのが気に食わないのか、それとも特訓が嫌で質問責めで時間を潰そうとしている思われているのか、ヘレナの機嫌が悪くなってきた。
「ヘレナが持ってるその剣って何人も斬れるの?」
「当たり前だ馬鹿者。シルヴィア1世が使用した王家に伝わる名剣シルヴィアだぞ。10人や20人斬って劣るものではない」
「え!? 剣って1回斬っただけでお陀仏になる代物じゃなかったの!?」
「それはいったいどんなナマクラだ!?」
 10人や20人斬って平気って……どんな名剣だよ。斬鉄剣じゃあるまいし。しかもそれが普通? ありえねぇ……
 あ! だから重いのか!? つまり強度もずっと強いってことで……いやいや、それでも凄すぎる!!
「そんなことはいい。それより修行だ。私が直々に鍛えてくれると言っているのに、そんな馬鹿げたことを言って誤魔化すな。ほら、構えてみろ」
「え? え? こう?」
 見様見真似で構える。
「ええい、ダメだダメだ! ここはこうじゃなくてこうだ!」
「うわっ!?」
 業を煮やしたヘレナが後ろから抱きしめてきた。手の上から剣を握って型を覚えさせようという考えらしい。
 しかしここで問題が。俺は背が低く、ヘレナは長身だ。頭ひとつ分くらい上だろうか。それが背中にピッタリくっつくと自動的に俺の頭はヘレナの胸あたりに来るわけで、これはつまり……殺人ボインアタック再び、いや三度?
「あ、あ、あ……」
「剣は体の中心線から出ぬよう……おい一機、聞いてるのか!?」
 聞いてるのかって、聞いてるわけないでしょう!? こちとら脳が沸騰寸前ですよ! 絶対顔真っ赤だと思うし! ああああ、イーネほどはないけどけっこう柔らか……ってバカぁ!! 俺はエロガキかっ!? そりゃ女性経験なんてないけど、これはあまりにも情けなすぎるぅ!!
「一機、なにをボーっとしている! 剣を覚えようと本気で思っているのかお前は!」
 剣は覚えないでしょうがこの感触は絶対に忘れないと……違う違う違う!!
「い、いや、だって、だって……」
「だってじゃない! この馬鹿者が、こうだと言ってるだろう!!」
 うわあああああああっ!! さらにきつく抱きしめてきた! つまりそれは体をより密着させる事になって、それで、それで……!
「へ、ヘレナ様!? いったいなにをしてるんですか!?」
 情欲で溺死寸前だったところに黄色い悲鳴が。血走った目(多分)で見てみるとそこには副長たち隊員数名の姿が。
「見てわからんのか、剣の特訓だ! それよりグレタ、隊員の特訓を放っておいて何の用だ!」
「アガタから連絡があったので伝えに来たのです! それよりヘレナ様こそなにをしてるんですか!?」
「だから、剣の特訓だと言っている! こうして剣の持ち方を直々に教えているんだ!」
「抱きついているようにしか見えません!」
「うっわー、一機顔真っ赤」
「なっ!?」
 マリーの一言でやっと俺の状況を把握。ヘレナも顔真っ赤になる。
「な、何を考えているんだこの痴れ者っ!!」
 ガツゥン!!
 思いっきりきつい一撃を喰らいました。俺こんなんばっかと思いながら。

「ああ、疲れた……」
 宿舎内の浴場にて大変な1日を思い返した。五右衛門ブロに入りながら。
「しかし風呂五右衛門かよ……ヨーロッパでも風呂入ってたって聞いたことあるからあんま驚かなかったけど」
 あれからヘレナとグレタにさんざん説教されてなおきつい特訓を課せられヘトヘトになったら夕飯で訓練終了。飯食って後は寝るだけ。ちなみに今は8時過ぎ。
 今あとは寝るだけにしちゃ早くないと思った人、それは違う。この世界の1日は20時間。つまり数字は10個しかない。それでいて1時間は60分。これは何故かというと、あっちの世界の時計は5、10…で1、2と5進法で進んでいたが、こちらでは6,12…で1、2と6進法で進んでいる。だから20時間でも24時間と同じ1440分である。つまり8時はあっちの世界での9時半くらい。数字(見たこともないけど読める)が10個しかない時計見たときは唖然としたよ……。
 その他もろもろもあっちの世界とは違うらしい。もっと勉強する必要があるな。
「……しっかし、練習きつかったなあ……勤まんのかな、俺……」
 本来はもっと前に悩むべきだったのに、つい忘れていた。あの世界も辛かったが、こっちは別の意味で辛そうだ。
「辞めたいって言うべきかな……でもあのヘレナが許すとは思えんし……」
 ガラッ。
「ん?」
「あれ? 人いたんだ?」
 誰もいないと思ったのか、レミィが浴場に入ってきた。
 全裸で。
「!?!!」
 え? え? えっ? えっ? ええっ!?
 本日最大の衝撃が今来た。驚きのあまり風呂ん中でひっくり返った。
 み、見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見た見てるっ!!!
 網膜に完全に焼きついた。写真でしか見たことのないものが、今眼前に存在する!!
 目を逸らすべきなんだろうが、全然動かない! あああ、どうしよう。このままではラブコメよろしく「きゃーっ!!」って騒がれてさっきみたいにみんなからリンチを……
「ちょっと、何騒いでるのさ。まだ余裕あるだろ。入れてよ」
「……え?」
 レミィ、そのまま何事もないかのように風呂の中へザブン。無論全裸。……なして?
「……ん? どうした、ボクの顔に何かついてるの?」
「い、いや……」
 どうして男と風呂に入ってるのにそんな普通なの? とは聞けなかった。
 考えてみればこいつ、朝からずっとそうだったような……他の奴は俺の事汚物を見るかの目で見てるのに、こいつは別に……いいや、なんとも思ってなさそうで……う~~ん……
 ……! ああ、わかった!!
 こいつ俺の事、いや男のこと“本当に”なんとも思ってないんだ!!
 つまり、その辺を飛んでる虫とかそれぐらいにしか認識してないんだ!!
 ちっくしょおおおおおおおお、なんかもんのすっごいムカツクッ!!
「何怒ってるの?」
「別に、なんでも……」
 ――このアマ……ぜぇったいひどい目にあわせてやるからな……ふっふっふっふっふ。
 胸の中で復讐を誓いながら、そのまま風呂に同伴し、目はばっちり裸体を凝視していた。眼福眼福……ダメだダメだダメだ!!

「――ハンスが帰ってくる? ハンスって誰?」
「ああ、言ってなかったか。ハンスはお前と同じ、親衛隊の男子隊員だ」
「そういえばそんな話もあったような……なんでいなかったんだ?」
「前の魔獣退治の際怪我をしてな。カルバナでは治療できぬから王都アガタへ搬送されていたのだ。それが完治して今日帰ってくるのだ」
 次の日。日課になる予定の早朝特訓。筋肉痛で辛いのに……。
 んで、散々走らされて一旦休憩になっての一幕。
「で、いつ頃?」
「昼前になるそうだ。フフ、楽しみだな」
 ヘレナ、妙に嬉しそうだな。ちょっと気になって聞いてみたら、当然だろうと言われた。
「ハンスの母は母上の側近でな。昔から知っている。親衛隊に入れて喜んでいた矢先の出来事だった。やっと戻ってくるんだ、嬉しくないわけなかろう」
「ふうん……さて、行きますか」
 よっこらせと立ちあがる。足がフラフラするが、耐えられないことはない。
「なんだ、もういいのか」
「ああ、行こう」
「……そうか、やる気を出したか。よかろう。行くぞ」
 ヘレナの鼻が膨らんでいる。ボルテージが上がってしまったらしい。ヘレナの顔見てたら何故かムシャクシャして、話を止めたかっただけなのだが。まだ足痛いのにどうしよう。
「ヘレナ様、ヘレナ様大変です!」
 さあ走ろうとしたら、ジェ二スが血相変えて走ってきた。
「どうした、ジェニス?」
「け、け、警備隊から連絡があって……魔獣がこちらに接近中と……」
 その途端、ヘレナの顔色が変わった。今まで見たことが無いような、厳しい顔。
「なんだと!? おい一機、すぐ戻るぞ!!」
「あ、ああ!」
 緊急事態が発生したようだ。ダッシュで城に戻った。

「――現在確認されている数は約30体。まだまだ増える可能性があります」
「30体。それでは親衛隊総員で立ち向かう必要があるな」
 城内の親衛隊用宿舎の会議室。親衛隊総員集合しているさまは見ていてなかなか壮観だったが、そんなこと考えている場合じゃない。
 今テーブルいっぱいに周辺の地図しかれて作戦会議中なのだから。
「いいえ、この城を空にするわけにはいきません。半分、少なくとも3分の1は残さなければ」
「ダメだ。この数が全部とは思えん。兵は多ければ多いほどいい」
 隊全員がシンとして聞き入っている。あのイーネですら真剣な面持ちだ。彼女たちが親衛隊であると今さらながら理解し、自分の存在がひどく場違いに思えてくる。
「では、どうする気ですか?」
「私1人で残る」
 ――ええ!?
 ヘレナの爆弾発言に部屋中が騒然となる。
「しょ、正気ですか隊長。いくらなんでも、隊長1人でここを守るなんて無理がある」
「そうですわヘレナ様っ。たった1人でなんて……ワタクシもお供させて下さい!!」
 イーネが思い留まらせようとするが、ジェニスが顔を赤くして任せてくださいとドンと胸を叩いた。鼻息荒いし。
「ジェニス、お前はダメだ。お前は弓兵だから魔獣のほうへ行かなければならない」
「そんなぁ……お姉様……」
「でも実際、1人でカルバナを守るなんて不可能でしょう。どうされるおつもりで?」
 エミーナの心配を、ヘレナは「問題ない」と軽く言い切った。
「現在魔獣がいる距離はここから30分ほど。そこへ駆けつけて魔獣を殲滅し戻ってくると2時間もかかるまい。たった2時間の間に何も起こりはせん」
「しかし、盗賊は我が親衛隊とヘレナ様を目の敵にしております。1人になるのは危険では……」
「案ずるなライラ。盗賊も最近は影をひそめている。もう大した力は残っていないのだろう。襲ってなどこない。というわけでグレタ、指揮は頼むぞ」
「は……は。了解しました」
 ピシッと綺麗に敬礼。さすがだな……と思いながら質問。
「あのー……俺はどうするんだ?」
「ここで待機。特訓の続きをしていてくれ」
「やっぱりな……」
 そりゃそうだ。昨日今日入った新米なんぞが実戦で役に立つわけがない。むしろお荷物だ。
 でも、蚊帳の外感が拭えない。

「ところでヘレナ、魔獣ってなんなんだ?」
「む? ああ。魔獣とは巨大な獣……古代より伝説として語られていたが、この50年程前から各地で発生している謎の生物だ」
「謎? なにが?」
「どこでどうしてどうやって生まれているかだ。正体も何も不明……まったくわからないんだ」
「ふぅん……この世界に生物学なんてあるわけないから、当然っちゃ当然かな」
「――あのー、僕を忘れないで下さい」
「ちぃ」
 舌を打つ。話し込んでたのに横槍を入れたが、上手くいかなかった。
 親衛隊が魔獣退治に出発してからすぐ、ハンス・ゴールドがやってきた。そんでヘレナが嬉しそうに話している姿が気に食わなかったので邪魔したのだ。
 ――しかしこいつ、同い年とは思えんな……。
 ハンス=ゴールド。第一印象は、ちっちゃい。ヘレナと同じ金髪をショートヘアにした青い瞳を持つ美少年だが、150cmほどしかない成長ホルモンに異常があると予測される体型。しかも童顔で小学生で充分通る。この世界にいるかどうかは知らないが、年上ショタキラーと呼ぶべき存在だ。
「――今僕の体格に対してものすごく失礼なこと考えているでしょ?」
「――体格に問題があると自覚しているのか?」
 視線に気づいたのか、睨み付けながらこちらの思考を的確に読んだ一言を嘲笑で返す。なんでだろう。こいつものすごく嫌い。
「この――!」
「止さぬかハンス。一機、お前もどうしてそうケンカ腰なのだ?」
「別にケンカするつもりなんて……」
 あからさまに不機嫌な顔でふて腐れる。ヘレナがはあーっとため息をつく。
「お前たちは親衛隊に所属するたった2人の男子隊員だ。仲良くしてもらわねば困る。だいたい……」
 ビーッ! ビーッ!
「!?」
「な、なんだこのサイレン!?」
「敵襲警報だと!?」
『隊長、緊急事態です! MN50機の大部隊が接近中です!!』
 城内放送からマリーのパニックを起こした叫びが聞こえる。こちらも誰もがその内容に顔を青く染めた。
「ご、50機!? まずいな……ハンス、病み上がりで悪いが出れるか!?」
「大丈夫、いつでも出れるよっ!!」
「よし、一機は城で待機していろ! わかったな!! いくぞハンス!!」
「了解!!」
「あ……」
 2人が格納庫に走って行って、1人俺だけが馬鹿みたいに取り残された。
「……待機って、ようするに邪魔だから引っ込んでろってことだろ……!」
 当然だ。剣すら持てぬ俺が行った所でなんの役に立つ。わかっている。わかっているが……
「くそっ!!」
 石の壁を力強く叩いて八つ当たりをする。
「これじゃ……あっちと変わんねぇじゃないか……!」
 疎外感。いてもいなくても同じ。役立たず。そんな言葉が頭をよぎる。
「……一機?」
 突然呼ばれたのでびっくりして振り返ると、そこにはマリーがいた。
「……マリーか、なんか用か」
「……力、欲しいの?」
「……!」
 欲しい。
 何者よりも強い、圧倒的な力が。
 屈服するのも服従するのも大嫌い。媚びを売るなんて冗談じゃない。我を通して生きたい。でも力がないからできない。だから全てから逃げるしかなかった。世の中全部を避けて通るしかなかった。
 力さえあれば、俺は俺の思うがまま生きられる。何者を打ち滅ぼせる力さえあれば、何者も恐れずにすむ。
 そんな力が……欲しい。
「……あげようか、力」
「……え?」
 マリーがニヤリと笑った。
「私の血と汗と涙の結晶、扱えるのは恐らくあんただけよ。それでなくても、この状況じゃあれに頼るしかないの。協力して、一機」
 目の前に、マリーの真剣な、でもどこがマッドサイエンティストを思わせる瞳があった。
「…………」
 嫌な予感がする。メフィストに誘われるファウストの気分だ。でも……
「――わかった」
 断る理由などどこにあろう。


© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: