Last Esperanzars

Last Esperanzars

第5話 野犬達の咆哮


「一機、ちょっとお使い頼まれてくれるか?」
「はい?」
 物理の授業終了後、担任の新木が声をかけてきた。
「お使いって何です?」
「校長室にまでこの用紙を持っていってくれ。俺はちょっと忙しいんでな」
 ――校長に会いたくないだけじゃないのか? この不良教師。
「わかりました。手渡すんですね?」
「いや、いなかったらそのまま置いてきていいから」
「ええ」
 最低限の言葉だけで確認して用紙をもらう。まあいいだろ。
 さっきこの男を不良教師といったが、実は勤勉な方だったりする。ひどいのになると授業自体しない。音楽でも流すか、教師自身が授業に出ないか。生徒のみならず教師の不登校もここでは毎度のこと。授業をやらないので受験に対応できるはずもなく、この学校の進学、就職率は10%未満を維持している。この学校来たら高卒ニートと進路はほぼ決定。
 んなことはどうでもいいとして、お使いをせねば。脳内の校内地図を表示する。
 ――1番近い階段から行けば早いけど、今連中がたむろってるな。ちと遠回りだが、1つ先の階段から連絡通路を通って行ったほうがいいか。
 長い高校生活から制作されたマップには時間別危険地帯が登録済み。経験則がものをいうここでは大変貴重な情報だ。
 でも、いくら経験則でマップを作ったって所詮は人間の行動。計算外もあるわけで。
「ん?」
「……あ」
 よりによって山伏と鉢合わせ。幸い1人だけだけど。
 うっわやべぇどうしようかと対処法を思案し、
「…………」
 とりあえず無視することに。
「おいまて」
 呼び止められるが、誰が待つか。
「シカトこいてんじゃねぇよ!」
 背中に蹴りを打ち込まれ、転倒する。
「ぐ……」
 背中がズキズキ痛む。でも相手はそれぐらいで許したりしない。
 胸倉をつかまれ、立ち上がらせられる。
「むかつくんだよ貴様。いっつもいっつも馬鹿にした目で見やがって。ああ?」
 絵に書いたような不良の口調で脅してくる。怖くはない。ただ滑稽なだけだ。
「おい聞いてんのか! 貴様俺をなんだと思ってやがる!」
 馬鹿にしてます。
 口には出さないが、目で十分すぎるほど言った。
「このヤロ……!」
 もう一発ブン殴ろうとしたが、そこに地獄に仏……いや、同類の鬼がきた。
「あらぁ、何をしてるんですの? この野蛮人」
 折口率いる取り巻き連が登場。無論山伏対策の乾も。
「また弱い者いじめ? 相変わらず乱暴ですねぇ」
「んだこの女ぁ! ぶっ殺されてぇのか!」
「ああ、やだやだ、一般人ってのはこれだから……乾!」
 忠犬よろしく乾が立ちはだかる。よく見てみると折口達の後ろに教師が。
 ――ああ、いいカッコしたかったってわけね。助けるなんてあり得ないと思ったけど。
 この学校では教師など空気中のホコリ以下だが、見栄っ張りな折口は少しでも栄誉が欲しいんだろう。まったく馬鹿馬鹿しい。
 乾と山伏がにらみ合う。これ以上構ってられるか。用紙を拾って退散する。
「ちょっと貴方! お礼くらい言ったらどうですの!?」
 ――お礼?
 俺は双方をゆっくりと見回し、たった一言。
「……フン」
 とだけ言った。
「……!」
 山伏も折口達も顔を真っ赤にして怒るが、山伏は乾がいるからうかつに動けないし、折口はいいカッコするためにきたのだから何にもならない。
 結局そのまま放っておかれ、俺はさっさとその場を後にした。

「失礼しま~す……って誰もいないか」
 せっかく用紙を届けに来たのに、校長室はカラッポだった。
「しっかし、悪趣味な部屋……」
 部屋を一見すると妙なものがたくさん。壷だったり誰が描いたかわからない絵画だったり鎧だったり火縄銃だったり……あら、西洋のソードまである。あのバーコード頭の趣味の程度が窺える。
「骨董マニアなのかね? でもたいしたことなさそうだなあ……まあいい。ちゃっちゃっと置いて帰るか」
 自分で言ったとおり帰ろうとしたらドアがガチャと開いた。
「ん? 誰かね君は」
 入ってきたのは悪趣味なバーコード頭、燃余高校校長黒部 林蔵が現れた。一瞬動揺する。
「あ、ああいや、先生からこちらの用紙を届けるよう頼まれまして……これです」
 手渡すと、校長がんー? とした目で用紙を見る。これ以上長居する理由は無い。戻るか。
「それじゃ、失礼しました」
 退室したらドアの向こうから「まったくあのバカが……」といった声が聞こえてきた。やっぱり不良教師としての立場をとっているらしい。
「さて……どうするか」
 このまま教室に戻っても別に何かあるでなし、図書室は閉まっているし、かといってここにいるわけにもなぁ……と、毎日同じ悩みを繰り返す。もう嫌気が刺す。
 こんな高校辞めちゃえばいいんだとはわかっているが、どうも踏ん切りがつかない。
 とどのつまり、俺って自分でなにか出来ないんだよな。中学だって高校だってここがいいんじゃないかって推薦されるまま流されて入ったし。優柔不断……とはちょっと違うと思うけど。このままだと大学も行かされることになるかも。
 なんとかしたほうがいい、とは俺も思う。でも無理だ。
 今さら生き方なんて変えられるか。



 サジタリウス~神の遊戯~
 第5話 野犬達の咆哮



「……変えられなくても、変えさせられはするんだな……結局、流されたままなのは変わりないけど……」
「そりゃそうさ。生き方ってのは変貌するもんよ一機。お姉さんもいろいろあってねぇ……よよよ」
「……独り言盗み聞きしないでくれるかなイーネ。それに、ここじゃロージャと呼べって言われてるでしょ」
「ああ、そうだったそうだった」
 悪びれもせずあっけらかんとしている。軽い人だ……。
 言い忘れたが、いま俺たちは荷馬車の中にいる。外は荒野。
 親衛隊総員、王都への帰路へ立っているのだ。

「――荷馬車? MNって荷馬車で運べる代物なの?」
「さすがに無理だ。MNは専用の車両で運ぶ。荷馬車に乗るのは我々だ」
「車両って、こっちにも車あるの? 動力はガソリン? それとも石炭?」
「アマダス機関」
「ああ、またかよ……」
 出発前日、自分用の自室(新米が1人部屋などとヘレナが言ったが、その他大勢の隊員が俺の受け入れを拒否した)ヘレナから移動についての説明があった。
「ルートは? 直行じゃないだろ?」
「無理だそんなこと。周辺都市を点々としながら王都に戻る。半分は野宿になるぞ」
「MN連れて?」
「無論」
「……とてつもない大名行列だな。あんな巨大なの大量に運んだらバレバレだろ」
「当然だ。だから警戒を怠るなよ」
「え? 24時間……じゃなかった、20時間ずっと?(なぜ20時間かは第3話参照)」
「だから当たり前だといっているだろう」
「うわあ……大変だこれは」
 天を仰ぐ。大事だなこいつは。
「ああ、ところで1つ言っておくが、輸送中はロージャを名乗れよ。あとこれ」
 と言って全身すっぽり覆う黒のローブを渡された。
「な、なにこれ?」
「お前の存在は親衛隊内だけの極秘なんだ。そのままの姿だったら一発でわかってしまう。だからそれで変装しろ」
「変装って……」
「それと、荷馬車はイーネと同席だからな」

「……暑いです」
 そんで今俺は言われた通りにローブを着ています。外はカンカン照り。先ほど述べたように荒野なのでなおさら暑い。
「もうすぐ冬のはずなのに、なんだってこう暑いんだ……!」
 イライラがたまっていた。言われているので脱ぐわけにもいかず、熱気が内部にこもってきつい……。
「一……じゃなかった、ロージャ、今なんてった?」
 独り言を聞いていたイーネがキョトンとした顔で尋ねてきた。
「え? 『なんだってこう暑いんだ』だけど?」
「その前」
「『もうすぐ冬のはずなのに』?」
「なにバカ言ってんの。春爛漫って時期なのに」
「……は?」
 春って……俺が来たのはあっちの11月半ば。こちらは1年が10月までしかない(1月が36日ほどあるので同じ365日)から計算すると……1月くらいじゃないか。正月過ぎてるぞ。
「冗談は止めてくれよ。今何月だと思ってるんだ?」
「5月半ば」
「5月!?」
 ちょっ、ちょっと待て、さっきの計算式から5月半ばを出すと……やっぱり5月だ。ということは、あっちとは季節がちょうど半年ズレてる!?
「ま、まぁ、別世界に来たんだから、季節が一致するとは限らないけど……青天の霹靂だなこりゃ」
「さっきからブツブツなに呟いてんの?」
「今さらながら自己の常識との落差に愕然としてる所」
「はぁ?」
 変な顔をされたが、間違いじゃないからしょうがない。
 それにしても、あちらとはだいぶ常識が違うようだ。前に勉強しなきゃと思っていたが、忙しくて全然だった。もっとも、生まれつき勉強なんてする方じゃないけど。
「あ~あ……」
 荷馬車にゴトゴト揺られながら、自嘲のため息を漏らした。
「なに若いもんがため息なんてついてんのさ。もっと気楽に生きなよ気楽に」
「……それができたら苦労は無いよ」
 ケラケラ笑うイーネが腹立たしい。ずっと疑問に思ってるんだけど、女ってどうしていっつも笑ってるんだ? 涙腺ならぬ笑線が甘いのだろうか。他人の笑い声ほどムカツクものはない。自分を嘲っているように聞こえる。
「そりゃー、あんたの境遇は大変だと思うけどさ、いつまでもウジウジ悩んでても仕方ないじゃないの。隊長が世話してくれたんだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ。隊長がいなかったらあんたどうなるかわかんなかったんだよ」
 ん? 何の話だ? ――ああ、そっか。イーネの奴、この世界に来た事で悩んでると勘違いしたのか。
 それについてはまぁ、自分的に解決している。無理矢理連れてこられたならともかく、自分で来たんだからな。とても言えないけど。
「いや、そうじゃないんだけどさ。ただ、あっちとこっちでは何もかも全然違うから、今さらながらその差に驚いてるだけだよ」
「全然? どう違うのさ」
「もう全て。一緒なとこ探すほうが大変なくらい。――あ、いっぱいあるか同じとこ。電気があったり水道があったり。ていうかそっちの方が驚きだなどっちかと言えば」
「どうして?」
「この世界は向こうの世界のヨーロッパ――向こうにある地方のことね。そこの中世に近い環境なんだけど、その頃には電気も水道もなかった。ていうかそれらが生まれたのは今から100年近く前のことだから、あるのがとても信じられなくて」
 『文明の漂流』によって俺の世界から大量のモノがもたらされるとはいえ、よくもまあ解析して役立てるもんだ。この世界の科学者ってよっぽど頭良いんだな。
「ふ~ん……よくわかんないねぇ。あ、そうだ。ロージャ、一度機会があったら聞いとこうと思ってたんだけど」
「なんだいいきなり」
「あんたあっちじゃどんな生活してたの?」
「……!」
 ぐっと喉に何か詰まったかのように息を呑んだ。そんな質問が来るとは思ってなかった。
「な、なんで……いきなり……」
「だってあんた、変じゃないか」
「変? どこが?」
「全然世慣れてないんだもん。その年で敬語も礼節も苦手だし、喋るどころか話しかけるのもままならないじゃないか。ひょっとして、人と話したこともろくにないの?」
「…………」
 驚いていた。
 そう思われていたことにではなく、イーネにそこまで完全に見抜かれていたことに。
 このとき初めて、イーネが見た目通りの人物ではないとわかった。
「……その通りだよ」
 ここまでバレていまさら隠すことなど何もない。アッサリと肯定した。
「やーっぱりね。ちょっと初々しすぎると思ってたんだ」
「――初々しい?」
「そうだよ。だって、ほら……」
 色気を含んだ声でそういうと、胸元が大きく開いたシャツをさらに広げてより胸を強調させる。とび色の瞳が怪しく輝く。
「……!」
 く、くそっ……今まで見ないようにしてたのに……。
 いつもそうだが、イーネの服はやたら露出度が高い。今日のシャツだって胸元をばっさり開いたへそ出しミニだし、ズボンは相変わらず短い。青少年にはきつすぎる……というより、絶対狙ってやっている。この目が証拠だ!
「しょ……しょうがないだろ!? 俺の人生の中で、こっちにくるまでまともに喋った女なんて2人だけ……あ」
 叫ぶかのように発した一言は失言だった。イーネも呆気にとられている。
「ふ、2人って、あんたいったいどんな生活送ってたの?」
「……人と接しなくていい生活」
「はぁ? そんなおかしなことありえんの?」
「あっちの世界じゃありえたんだよ……」
 実際、そんな生活を送っていた。
 引きこもりではなく、ちゃんと学校に行っていたが、それでも誰かと喋ることなどなく、24時間学校にいても街を歩いていてもアパートの1室にいるのと何一つ変わりなかった。別に今始まったことではなく、小学生くらいからずっとこんな感じ。むしろあいつがいたので小学中学より圧倒的に人と接していたと思う。
 ――接していなかった、というのは違うか。接してはいた。だけど……ああ、嫌なこと思い出した。ここのところいろいろありすぎて忘れていた忌まわしい記憶が蘇った。そこで、イーネが知らず追い討ちをかける。
「まともに喋った女が2人だけなんて……1人は母さんかい?」
「――! い、いや、母さんとは、ちょっと事情があって会ったことないんだ……」
 嘘じゃない。でも本当でもない。でも言ったら引くと思うのでこのことは誰にも話さないことにしている。母とは生まれてすぐ離れ離れになってしまい顔も写真しか知らない。声だって……

『あんたの――せいで――』

「……ぐっ!?」
 思わず苦悶の声を出した。イーネがギョッとしているがこっちはそれどころじゃない。頭がガンガンする。息ができない。
 ――落ち着け、落ち着け落ち着けっ!
 激しくなった動悸を無理やり押さえつける。駆け寄ろうとしたイーネを大丈夫と押しとどめた。
 ちくしょう、いつもこうだ。いいかげん慣れなくちゃな……。
「――ゴメン、余計なこと聞いたみたいだね」
 突然の異変を自分のせいと思ったのか、イーネが顔を伏せて謝ってきた。
「いや、そうじゃないさ。ただ、ちょっとね。そんなこと言うけどさ、それじゃイーネは今までどんな生活を――」
 話をそらそうとそこまで言って気がついた。
 そうだ。イーネは元義賊だといっていた。そんな人間がまともな生活をしてきたわけがない。
 NGワードにイーネから目をそむけてどうしたもんかと悩んでいたら、突如笑い声が。ビックリして顔を上げると、イーネが大爆笑している。
「あっはっはっはっはっ!そんな気ぃ使わなくていいよ。そりゃアタシはまともな生活なんてしてないよ」
「い、いやいや、誰もそんなこと言って……」
「でも、そうなんだろうなって思ったんだろ? 顔に書いてあるよ」
「うう……ヘレナといいイーネといい、俺ってそんなに顔に出るタイプなのか……?」
「ああ」
「即答しないでくれよぅ!」
 泣きたくなってきた。俺っていったい……とりあえず、場の雰囲気は元に戻ったから良しとしよう。
 でも、本当にイーネってどんな生活してたんだろう? 野次馬根性なのはわかっているが、無性に気になる。

「……で、それをあたしらがやれと?」
 同時刻。野営のテントの中で2人の男女が話し合っている。
 男のほうは黄土色のフードだが、中は高級そうな礼服で、シワ1つない様は男の潔癖さを表していた。サングラスで瞳を隠すが、そんなもの見えなくても女を軽蔑しているのは誰にでもわかった。
 対して女のほうはかなり露出度が高く、タンクトップとショートパンツで豊満な胸も、スラリとした脚線美も惜しげもなく披露していた。顔たちから20代後半と思われるが、肌の艶やキメ細かさからはもっと若く思わせる。とび色の瞳に赤毛のセミロングの整った、だが左目に深く走る傷跡がある顔が不敵に笑った。
「やれやれ、犬共がやられたらこっちに乗り換えてきたのかい。素早いんだねえあんたら」
「……そういうわけではありませんよ。今回の件はあなた方が適切だと判断したのでお頼みしているのであって、犬は関係ありません。こちらも仕事を成功させるためには最適の相手を選ぶ必要がありますし」
「適切? はは、こりゃいいや。あたしらはあんたらにとって使い勝手のいい道具ってわけだ。自分らは影でこそこそやってさ。男らしくないったらありゃしない」
 男の顔に青筋が立つ。だが女はそんなこと気にも留めない。男にとって自分達に蹴られるとどうにもならないことを知っているから。
「いいじゃありませんか。利害は一致しているのですから。シルヴィアが没落の一途を辿っている今現在において、最も問題なのは近衛隊と親衛隊。それら1つが潰れるだけでシルヴィアは崩壊、悪くても混乱が起こる。あなた方もそのほうが都合がいいでしょう?」
「そしてあんたらはそれに乗じて……と。だからって、親衛隊退治をたかが盗賊に任せるのはどうかと思うけど」
「だからちゃんと支援はしますよ。それに今の親衛隊は少女兵ばかりのお遊戯場だ。親衛隊とは名ばかりの、ね。あなた方にとって赤子の手をひねるようなもののはずだ」
「フン……おべんちゃらばかり言いやがって。確かに貢物はもらったけど、あんま乗らない仕事だねぇ。いい子ちゃんは嫌いなんだよ」
 また青筋を立てるかと思ったが、男は平然としている。それどころか今度はこちらが不敵な笑みを漏らした。
「その様子だと、ご存知ようですね。親衛隊に、あの青バラがいることを」
「……! な、なんだと!?」
 今まで冷静だった女が始めて動揺する。その様が面白いらしく男を顔を歪める。
「ヘレナ・マリュースが拾ってやったそうですよ。どうです? 受けてくれる気になりました?」
 聞くまでもないことを男は知っていた。青バラの一言で女の腹が決まるのは分かりきっている。
「……いいだろう。乗ったよその話」
「ありがとうございます。やり方はそちらのお好きなように――あ、こちらの存在は悟られぬようにお願いします。では、私はこれで」
 一方的に話して男はテントから立ち去っていった。
 1人きりになった女は、左目の傷をさすりながら遠くにいる親友に話しかけた。
「やっとのことでまた会えるねぇイーネ。この傷の貸し、ちゃんと返してあげないと。クククク……」
 さきほどの不敵な笑みとはまったく違う、邪悪で妖艶な笑みを零しながら、盗賊団バラの棘団長エラル・ローズマリーは親友との再会に心を弾ませた。

「……乗り心地最悪だな。どうにかなんないのかねこれ」
「無茶言いなさんな。これが普通だよ」
 3日目になるが、このグラグラは全然慣れない。また気持ち悪くなってきた。
「後2日でノイマンに着くから、そこでゆっくりベットで寝たらいいじゃない。ガマンだよガマン」
「長ぇ……」
 ここ3日全部野宿。キャンプすらやったことが無いインドア少年には少々きつい。しかも暑さが増している。いや、別に気温が上昇したんじゃない。こっちが暑さを増やしたのだ。ようするに、
「……ねぇ、ヘレナって絶対おかしいって。こんなの着てたらぶっ倒れんの考えなくてもわかるだろ。暑いし重いし……鎧ってこんなに重かったんだ」
「だから、そうならないように鍛えてるんじゃないの。着てるだけでへばってたら戦いなんてできないよ?」
「鍛えられる前に熱中症で死ぬ……」
 そう、今俺はヘレナの命で鎧を着た上にローブを被っています。
 移動中は訓練ができないから「何もせぬよりマシだろう」と鎧を常備着て筋力を上げろ、と。悪魔のギブスじゃねぇんだから。ちなみにこの鎧は特訓用に重量を重くしたものだそうで、実戦用はもっと軽いから安心しろと言われたが、そっち着せろよ。
「地獄だ……」
「弱音を吐くんじゃない。ほら、もうすぐ日が暮れるよ」
 外を見ると確かに夕焼け空。世界全てがぼかしたかのようになっている。ああ、イーネの顔まで……ってそれは意識朦朧としてんだよっ!
「ううっ……」
「あらら、またぁ?」
 はい。またです。
 鎧着用が義務付けられてから何度も何度もぶっ倒れている。その際はさすがに鎧を脱いで良いが、回復するとまた着けられる。誰にって? 同車しているイーネに決まってんじゃん。
 「ごめんねー、隊長には逆らえないの。サービスしてあげるからぁ」と色っぽく言いながら鎧を着ける様はサキュバスを想像させて……怨むぞ、イーネ。
 で、サービスって何かっていうと……。
「ほらほら、元気出しなさい。この自慢の胸の中で寝られるんだから元気100倍でしょ? どこの、とは言わないけど♪」
 むぎゅー、というほど圧迫感はないが、とりあえずそんな感じ。
 例によって殺人ボインアタックである。
「あ、ああああ……」
 真っ赤になって抵抗したのは初日の話。そもそも暑さで朦朧としているのだからまともな抵抗などできず、今では呻き声を上げるのが精一杯である。というかだんだん慣れてきました。もう十数回くらいやられてるし。
「喚いてないで、さっさと寝なさいよ。いつまで経っても元気にならないよ?」
 いやいやいや、健全な青少年にこの状態で寝ろってのは無理があると思いますが。イーネもわかっててやってんだからタチが悪い。
「力を抜いて楽にしなよ。嫌いなタイプじゃないけど、つまみ食いしたらさすがに怒られるんでね」
 そりゃそうだ。グレタあたりが怒りのあまり血管切れて大出血起こすな。確実に。それ以前にこの状況自体が……
「お母さんの胸だと思って、ね?」
「!!」
 その瞬間、
 サウナ状態だった体が一気に凍りつき、肉体も硬直した。
「か、一機、どうかした?」
 イーネもこちらの変化に気がつき、慌てたのか一機と呼んでしまった。
「――もういい、イーネ。ありがとう」
「え、ちょっ、ちょっと一機」
「ロージャだよ、俺は」
 イーネからゆっくりと離れる。さっきまでが嘘のように胸の奥が冷たく凍り付いている。イーネが寄って来たが手で制した。
 ――まったく情けない。いまだにこれほど動揺するとは。
 先日も決めたとこだが、そろそろ割りきらなきゃな……。
「……一機、ちょっとこっち来な」
「え? だからいいって……」
「いいから! ほらっ!」
「う、うわっ!?」
 今度は無理やり抱き寄せられた。また頭が熱くなる。
「や、止めてっていってるだろ……」
「いいから」
 優しく、しかし強い一言。
「…………」
 それで少しも抵抗できなくなる。
 そして2人とも無言のまま時が流れる。不思議と離れようとは思えなかった。
「……一機、お父さんはどうしてるの?」
 唐突にイーネから問いかけが飛んだ。
「え――?」
「だから、お父さん」
「あ、ああ……昔は一緒だったんだけど、今は別の所で暮らしてる……」
「別の所、ね」
 ――わかってるんだな、イーネ。
 “別の所”がどこか。
 でも言えない。言えるわけない。
 人に言って良い話じゃないから。――違う、そうじゃない。
 知られたくないんだ。自分の弱いところを――。
「――アタシもね、あんまいい生活送ってないよ」
「え……?」
「アタシ、両親と小さな村で暮らしてたんだけど、戦争に巻きこまれて焼け野原になっちゃたんだ。村も、両親もいなくなって独りぼっち……あとはもう、お定まりの話でね。盗みだろうがなんだろうがなんでもやったよ。野犬みたいな生活してたなあ……」
「……苦労したんだな」
「そうでもないさ」
 見上げたイーネの顔が、いつもの人をからかう顔とはまったく違う、慈母のようなひどく優しげなものになっていた。
 首筋に青いバラの刺青があるのを見つけたが、さして気にならなかった。
 ――それに比べて、俺は……。
 衣食住すべてが揃った生活。飢えたこともなければ渇いたこともない。熱さに身を焼かれたことも、寒さに凍えたこともない。欲しい物はほとんど全て手に入る。誰もが羨むほど幸せだ。
「――俺なんか、よっぽと幸せなんだろうな……」
 いや、幸せかなどと考えることすら不敬か? そう思ったところで、まぶたが閉じられていった。
 イーネが悲しそうな顔をした気がしたが、確認することは出来なかった。 

 日が沈み、親衛隊が野宿の準備を始めた頃。林の茂みの中。
「――そろそろ行くよ」
「頭、移動中か寝静まったところじゃなくていいんで?」
「そんな当たり前の時間に攻めても守りは堅いに決まってんだろ。あっちだって賊との戦闘経験は多いだろうし。1番いいのは食事時だよ、レッドローズ」
「なるほど、さすが頭で」
 グリーンのウェーブがかかったショートヘア(くせ毛だそうだ)に黄色い瞳のリザ・レッドローズが感心したかのようにうんうん頷く。
「MN隊のほうはどうしてる?」
「高台の定位置についてますよ。打ち合わせ通りです。まあもっとも、うちらの奇襲で全滅するのが関の山でしょうが」
「油断すんな。この部隊にはあいつがいるんだよ」
「……青バラ、ですか」
 リザの顔色が曇る。そして、恐る恐る一言。
「……頭、イーネはどうするつもりで?」
 どんな反応をされるかと震えたが、表情をピクリとも変えない。不審に思うリザにエラルは質問で返した。
「――リザ、イーネがどの荷馬車にいるかわかってんのかい?」
「え? ああ……あの荷馬車です」
「よし……」
 にたぁと笑って唇をなめる。最高に楽しい狩りに出向く際の癖だ。
「ま、まさか……1人で行くつもりで!?」
「イーネの車両はあたし1人で抑える。あんたらは別のを狙いな。――なんだいその顔。あたしがイーネ如きにやられるとでも?」
「い、いえ、でも……」
「大丈夫……」
 リザの首筋を優しく擦る。正確には首に刻まれている赤いバラの刺青を。
 擦られたリザはああ……と艶めしい声を出す。手は首から頭の髪の毛1本1本、そして背中へと移る。リザに抱きつき、胸が引っ付き合う。
「あんな奴にやられたりしないさ。リザは指揮を頼むよ。信頼してるからね、副団長?」
「は、はい……」
 リザの目はとろんとして、顔は恍惚で熱を帯びている。筋肉は弛緩し手はだらんと垂れている。笑顔の影で、ちょっとやりすぎたとエラルは悔いた。
「じゃあ、行ってくるから」
「はい、頭……」
 リザから顔を背けた瞬間、優しい笑顔は消え去り、獲物を狙う女豹がそこにはいた。

「う、うん……ん?」
 最初、自分がどうしていたのかわからなかった。気がついたら薄いタオルケットにくるまって寝ていた。荷馬車は止まっていて、誰もいない。窓から見える空は星が輝いている。夜か? 暗くてよくわからないが、外は荒地で右側に地面が隆起して出来た高台が見える。あの丘は昼間はもっと遠くに見えたから、だいぶ近づいたらしい。
 そこで、イーネの胸の中で眠ってしまったのを思い出し、顔が紅潮する。まったく恥ずかしい事をした。
「あ、起きた?」
 そこに、イーネが2人分のパンとスープが入った皿を両手に持って荷馬車に入ってきた。もう夕食時らしい。
「ごめん、寝ちゃった……」
「いいっていいって。アタシが寝かせたんだから。ほら、食べな」
 そう言ってパンとスープを差し出す。会釈して受け取る。
「悪い。俺が来なかったんで怒ってなかった? ヘレナとかグレタとか」
「疲れて寝てるって言ったら隊長が「訓練が足りんな」とか言って、グレタは「親衛隊の恥さらし」とか怒ってたよ」
「やっぱりな……」
 特にグレタは諸事情で入隊させざるを得なかったとはいえ、まだ俺を認めていない。基本的にいるだけで恥だと思っている。あからさまに敵意向けてくるし。ヘレナもそれをわかっているから早く一人前にさせたいと無茶な訓練を強いるのだろう。わかっている。わかっているけど……。
「――ねぇ、一機」
「んー?」
「迷惑だと思ってる?」
「――何が」
「隊長のこと」
「…………」
 迷惑、というより大変と言ったほうが正しいか。
 あっちでは学校などで重要なポスト――委員会とか実行委員とか部長とか――になったことはない。そもそもそんな機会がなかったし、自分とは関係ないと思っていたからだ。何事にも参加せず、ただ決められたこと従い行動していただけ。一度も頼られたり期待されたことはない。
 だから、急にこれだけの任を負われ、重圧に感じているというのはある。正直、なにもかも投げ出したいとも思っている。
 でも出来ない。
 訓練にずっと付き合ってくれるヘレナを見てると、どうしても弱音を吐くことが出来なくなるのだ。
「――結局のところ、流れに逆らわず漂っているだけ、か……。ハン、馬鹿らしい」
「? 何のこと」
「いや、別になんでも……」
 そう言いかけたとき、イーネの顔色が変わった。
 何かに気付いたようにハッとし、険しい顔をする。
「ど、とうした?」
「一……ロージャ」
「はい?」
「どいてなっ!」
 そう叫ぶと、急に服を掴まれ、横に投げ飛ばされた。
「えっ? ええっ!?」
 驚く暇もなく、パンとスープと共に壁に叩きつけられる。積んであった荷物が雪崩のように襲いかかってくる。
 頭に強い衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。

 それは一機を投げ飛ばしたのに間髪を入れずに現れた。
 荷馬車に音もなく近づき、獣のような速さで荷馬車に押し入った。
 両手に構えたナイフは、アタシの首を一瞬にして引き裂いた、はずだった。
 アタシがすぐさま腰からナイフを取り出し、受けとめなければ。
 金属同士がぶつかり合う独特の鋭い音が荷馬車に響く。
 ナイフ同士が衝突したまま停止する。ナイフを介した力比べ、ギリギリと擬音が鳴っているようだ。
「くっ……」
「久々だねぇイーネ。ちょっと腕がなまったようだね、一瞬反応が遅れたろ」
「そ、そっちこそ歳のせいでキレが無くなったんじゃないですか? 昔のアナタならその一瞬を見逃さなかった」
「クククク……それを言われると弱いね。確かに最近そんな気もしてたよ。でも、国だの民だの馬鹿げたことを抜かす連中の仲間になった阿呆に負けるほど耄碌しちゃいない」
「そうですかね? さっさと引退したほうが身のためと思いますけど!」
「ほざけっ!」
 ギン、とナイフを鳴らして両者離れる。ナイフを構え直し、睨み合いになる。
 エラル・ローズマリー。盗賊団バラの棘の団長であり、かつての師、そして友だった女との決着をつける日がついに来た。
 元盗賊団バラの棘副団長、イーネ・ブルーローズとして。

「くっ……たあああああっ!」
 ガキィンと音を響かせ、ナイフを弾き飛ばした。
 すかさず間合いを詰めて斬りかかろうとしたが、飛び退かれてしまった。
「おのれ……よりにもよってバラの棘とは……!」
 バラの棘。盗賊団としてはシルヴィア1凶悪と呼ばれている集団。団員は少なくとも100人以上といわれ、MNも所有している。盗賊だけでなくのみならず暗殺や傭兵としても悪名高く、もはや盗賊団というより立派な1つの犯罪集団だ。
 構成員は全員女。そのことから闇の親衛隊などと呼ばれているが、とんでもない。
「ヘレナ様っ!」
 槍を構えたグレタが現れた。さすが副団長、奇襲にもかかわらず傷1つつけられていない。
「グレタか!? 状況は!? 死者は出たかっ!?」
「何をバカなことを。これしきのことで戦死する愚か者など栄光ある親衛隊にはおりません」
 誇らしげに言うグレタの顔にひとまず胸をなでおろす。だが安心するのはまだ早い。
「今隊員全員が独自の判断で行動しているのはまずい。敵に付け入られる前に指揮を取り戻す」
「当然です。命令はどうします?」
「MNと輸送車の安全を確保。ただし隊員の生存を第一とする。そう皆に指示を。行けっ!」
「了解!」
 駆け足で皆のところへ向かって行く。行動の早さは昔から変わらない。変わったのは立場だけだ。
「――いかんいかん。なによりもまずこの状況を打破せねば」
 あのエラル・ローズマリーが率いていることでも厄介なのに、あちらのほうが人数が多い。下手を打てば全滅する危険がある。それだけは何としても避けねば。
 それにしても、接近にいち早く気づいてよかった。奇襲が成功していたら今ごろどうなっていたことか。
 ――あとで礼を言っておく必要があるな。イーネに。
 イーネには1対多数の戦闘方法や、ナイフ相手の対処法、さらに盗賊の戦い方など様々なことを教えてもらった。今誰も死んでないとすれば、それはイーネの教えによるものだ。
「――! そうだ、イーネはっ!?」
 すっかり失念していた。イーネは元はバラの棘の団員。エラルとは因縁の仲なのだ。
「くぅ……無事だといいが……」
 あわててイーネの荷馬車に向かおうとしたが、そこにまた賊が。
「死んでもらうぞ、ヘレナ・マリュース!」
「邪魔をするな! そこをどけっ!」
 女とは思えないほどドスの効いた声をする首に赤いバラの刺青をした女――リザ・レッドローズ――に斬りかかった。

 ギン! ギギィン!
 この時、一機は気絶していたのだが、それはかなり幸運だったろう。
 もし起きていてこの戦闘を見ていたら、絶対トラウマになっていたはずだ。
 それほどまで、バラの名を持つ2人の戦いは恐ろしかった。
「そらそらそらっ! 押されてるよイーネ!」
「ちいぃ……アタシをなめんじゃないよこの年増っ!」
 四つのナイフが入れ乱れ、ぶつかり合う。
 それは、人間の戦闘と言うより肉食獣の戦いといったほうが正しい。
 互いが互いの急所を狙い、互いがそれを受けとめる。ただそれを繰り返しているだけだが、目にも止まらぬ速さで続けられるその様は、激しいダンスのように可憐でもあった。
 両者の殺気と殺意が部屋中を飛び交う。でもどちらも傷1つついていないのは、二人の力が拮抗している何よりの証。少なくとも今は。
 ――ちいぃ……このままじゃ……。
 心の中で舌打ちする。
 エラルの実力は誰よりも知っている。でもアタシもこの3年間寝ていたわけではない。義賊として、そして親衛隊として生きていき、昔より強くなったと思っていた。
 だけどそれは自惚れだった。ローズマリーにも勝てると思った自分がとんでもない馬鹿だと知った。
 強すぎる。かつても強かったがこれはそれ以上。左目の傷はやはり奇跡の産物だった。
 こちらの攻撃は全て受けとめ、それでいて攻撃を緩めることはしない。それに比べてこちらは防戦一方。今は拮抗しているが、いずれやられるのは目に見えている。
 ――どうする? 逃げる? ううん。そんなことしたら一機がやられてしまう……。
 今は気絶しているのか荷物の山に埋もれているが、エラルも気付いているのは間違い無い。ここで置いていったらあたしの代わりに一機が……それはなんとしても防ぐ。
 例えあたしが死んでも、一機だけは守ってみせる。絶対に。
 と、その時、
「いたたたた……、おいイーネ! いきなりどつくとはどういう……」
 一機が荷物の山から起き出した。アタシの行為に対し抗議しようとしたが、目の前の光景に言葉を失う。
 だけど、言葉を失ったのは一機だけじゃない。
「……!?」
 一機の顔を見て、エラルが息を呑んだ。
「あ、あんた……なんでここに!?」
 死闘の最中だと言うことも、アタシの存在も忘れ、一機に驚きの声を出す。もちろんそんなチャンスを見逃すアタシじゃない。
 エラルに飛びかかり、首のバラの刺青に斬りかかった。

 最初、何がなんだかわからなかった。
 気絶していたらしくクラクラする頭で起きてみたら、イーネが誰とも知らない女と斬りあいをしていた。
 唖然と馬鹿みたく口を開けていたら、相手の女が驚愕の目をこちらに向け、動きが一瞬止まった。
 その刹那、イーネが女の首にナイフを突き刺した。いや、突き刺そうとした。
 女は信じられない速さで回避し、荷馬車から飛び降りた。少し斬ったのか、首に一筋の赤が見えた。
 こうして語ると長いが、それら1つ1つはあまりにも早く、瞬きでもしたら見逃していたことに違いない。
 脳が正常に働くようになった時には、すでに荷馬車にはイーネと俺だけしかいなかった。
「ふう……なんとか追っ払ったか。それにしても、どうして一機を見てあんなに驚いてたんだろう……一機、あいつ知ってる?」
 質問に超高速で首を横に振って答える。あんな怖い女知り合いなわけない。「そりゃそうだよね」とイーネは納得。
 すると、突然甲高い笛の音が。
「! この音……MNが来る!」
「ええっ!?」
 話が勝手に進んでわけわかんないんですけど、とりあえずMNってのは相当やばくないか!?
「まずい……こんな混乱状態でMNが来たら対処のしようが無い……エラルの奴、白兵戦じゃらちがあかないってんでMNに切り替えたか……!」
 何を話しているか見当もつかない。でも、敵が来ているってんなら……。
「――イーネ、ヘレナに許可貰っといて」
「え? ちょっ、ちょっと一機、あんたどこに……」
 イーネの言葉に耳を傾けもせず、一心不乱に駆けていた。
 その顔は、戦に挑む戦士ではなく、新しいおもちゃで遊びたがる子供のようであったと、見ていた者は思ったらしい。

 ――畜生っ、イーネにここまでやられるとは……!
 エラルはMN部隊が隠れている丘に退却しつつあった。
 MN部隊は正直言って万が一のために連れてきた伏せ手で、本当に使う気はなかったのだが、まさかこうなるとは。
 笛を吹いたのはリザだ。苦戦したら撤退とMN部隊を呼ぶ笛を鳴らすようにと言っていた。鳴らしたとはつまり、本来自分たちだけで可能とされたこの奇襲が見事失敗したことに他ならない。
 失敗の理由に、自分が油断していたからなのももちろんあるだろう。子娘ばかりだと実際思っていた。
 だが本当の理由はそうじゃない。
 横を走っているリザの話では、隊員たちは皆賊との戦い方を心得ていたそうだ。俊敏な動きで敵を翻弄する賊の戦い方は騎士の戦い方と全く違う。そんなものが堅物ばかりのシルヴィアで教えられるわけが無い。もし教えられるとすれば……
「イーネ……よくもあたしの顔に泥を塗ってくれたね……」
 怒りを露にし、歯を食いしばる。左目の傷が疼いてきた。
 3年前不覚にもつけられた傷。飼い犬に手をかまれるという言葉を聞いたことがあるが、あのときのショックはそんな生易しいものではない。愛情が全て憎しみに変わり、築かれた蜜月の日々が復讐へと駆り立てる。1年前親衛隊に捕らえられたと聞いていたが、よもや隊員として配属されているとは――予想外だった。
 決着をつける気でこの仕事を受けたが、イーネは3年前より数段腕を上げていた。あのままだと持久戦に持ちこまれただろう。
「――フン。どうせMNの連中にやられるんだ。悪運尽きたね、イーネ」
 丘にいるMN部隊。
 連中はMNキューピット改、アマゾネスに乗っていた。
 キューピットは『グリード侵攻』の際亡命者によって得られたMU製造技術で始めてシルヴィアで作られたMNである。ちなみにゴーレムはグリード皇国が製造したMNをそのまま流用したもので、いうならばキューピットは純国産MNだ。
 しかし、いくら技術がもたらされたとしてもいきなりMNが作れるはずも無く、キューピットはそれなりの性能しかなかった。50年経った今ではすでに遺物と化している。
 だが、アマゾネスは一応キューピットを母体としているが、全くの別物と言っても過言ではない。
 極限まで装甲を削り、もはや素体のみとも言えるその姿は、人間にすれば鍛え上げられた女性を思わせる。
 武装はナイフ、小型の弓、鎖鎌など騎士の武器とは違う、ゲリラ戦のプロの専用武装。特注品なのは間違い無い。
 ――あの男も奮発したもんだ。そんなに親衛隊が怖いかね。
 アマゾネスや武器などを見てハッキリ言って呆れたが、今は感謝せねばなるまい。おかげでイーネを殺れるのだから。
 そろそろMN部隊の奴らが見えてきた。全力で親衛隊に向かっている。
 親衛隊のMNは奇襲の際駆動系を壊してきた。さすがに全部は無理だったようだが、30機のアマゾネス相手に敵うわけがない。
 これで終わりだと笑みをこぼした。その瞬間、
 ブォォン!!
「!?」
 耳を劈く轟音が辺りに響き渡ったかと思うと、MN部隊のいる場所から火柱が上がった。
 鉄の巨人が空高く舞いあがる。
 突然の事態に混乱していると、再び轟音が。
 ブォォン!!
 また火柱が上がる。地面が地震のように大きく揺れ、
 ――これは、火を吹く方舟? 違う、そんな馬鹿な!!
 かつて見た悪魔の舟。
 記憶の奥底に厳重に保管してあった悪夢が復活した。
 同時に、忌まわしき悪魔の顔も。
 ――まさか、あいつが?
 リザが豹変した自分を揺さぶるのも気付かず、その場にうずくまった。

 敵はやはり高台の丘、距離にすると500mほどにいた。
 恐らく、すぐ敵に到達出来るようにするためだろう。MNは飛べないし加速装置も無いので走るしかないが、あまり遠くて戦場につく前に奇襲部隊が全滅、となったらシャレにならないからな。だけど、
「――悪いな。そことっくに射程範囲内だよ」
 ブォォン!!
 ハンマーと砲弾がぶつかり合う音が装薬の爆発音に消されている間にまた1発発射された。発射の衝撃で腕がしびれ、鋼鉄の体が装薬の爆風に焼かれるが、それすら心地よく感じてしまう。
 爆風が冷めぬ間に敵が吹き飛ばされる爆音が。時速2808kmの九一式徹甲弾にとって500mなど至近距離。約0.178秒で到達する。ほぼ一瞬だ。
「次っ!」
 次弾が装填された。トリガーを引き、再び発射する。
 ブォォン!!
 今度はアマゾネスの1体にまともに当たった。
 見るからに脆弱な装甲は操縦者を守ることなく貫かれ、その身を真っ二つにする。砲弾は地面に突き刺さり、地雷のように土を吹き飛ばす。
 ここで大ポカをしていることに気がついた。九一式徹甲弾は遅延信管、つまり目標に命中した後爆破する。戦艦に発射された時、内部で爆発したほうが破壊力が強いからだ。でもそれは強靭な装甲を持つ戦艦だからこそ有効なもの。比較対象にするのが愚かなほど装甲が薄いMNでは大穴を開けるだけ。
「地面に埋まって爆風が減少しちまう……着発信管の零式通常弾にしたほうがいいな。砲弾変更!」
 ガチャン、と金属音がなり、自動的に砲弾が変更される。本来は掛け声など必要なく、サジタリウスは思っただけで好きなように動くのだが、そこはご愛嬌ということで。
『――おい、一機! 誰がサジタリウスに乗っていいと言った!』
 無線からヘレナの怒声が聞こえる。予測されたことだ。
「イーネに許可貰っといてって言っといたはずだけど」
『お前が貰え!』
「時間が無かったんだよ。どっちにしろ怒るのは後にしてくれないか。今はこいつらを片付けてからだ」
『しかし……!』
「どうせそっちのMN動かせないんだろ?」
『むっ……!』
 口篭もった声がした。やっぱりそうか。
 こいつに乗って転身した際、変な違和感があった。足が動かなかったのだ。さっきの輩が何かしたのは明白、恐らく他のMNもそうだろう。
 しかし、このサジタリウスには意味の無い行為だった。サジタリウス最大の攻撃である46cm砲は足が動かなくったって余裕で動かせる。極論すれば大砲だけあれば良いのだこいつは。幸い46cm砲は問題無かったので今こうして撃ちまくっている、と。
「これで……終わりだ!」
 ブォォン!!
 変更した零式通常弾が飛ぶ。今度は敵機に命中した瞬間爆発し、今までよりひときわ大きい火柱が生まれた。
 そして火柱が消えると、そこに立っているものは何も無かった。
「――やっぱり物足りない」
 前もそう思ったがスッキリしすぎだ。しかも今回は前回より数が少なかったのでなおさら。やった気がしない。
『ご苦労様。1発ぶん殴ってやるから降りてこい』
 いつもより何オクターブか下がったヘレナの声で正気に返る。そうだ、それどころじゃなかった。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ。確かに無断出撃は悪かったけど……だけ……ど……」
『――? どうかしたか、一機』
「ま、また力が抜け、て……」
『やれやれ、またか……』
 今度は心配してくれなかった。まぁ2回目なんだから当然だけど。

「……どうするか、イーネ」
「どうするって、何がです隊長」
「決まってる、一機のことだ」
「寝かしてあげましょうよ。疲れたんだから」
「いや、そうじゃないんだが……」
 とぼけた発言に隊長は苦笑いする。紅茶を1口啜る。
 荷馬車の中、眠っている一機のそばで2人だけのお茶会中。
「1発ぶん殴るのは起きてからでいいでしょう。助けられたのは事実だし」
「それなんだが……一機の奴、我々を助けようとしたのだろうか?」
「どういうことです?」
 そこで会話が途切れた。言い辛いことらしい。やがてゆっくりと口を開いた。
「一機……MNに乗るのが楽しくて仕方がないんじゃないだろうか」
「……まさか」
 口では否定したが、アタシも薄々感じていたことではある。
「一度乗って以来、やたらサジタリウスに執着するようになってな。乗せないと言ったら反対したんだよ。あれは玩具を取られてたまるかと抵抗する子供だ。それに、最初に乗ったときの話なんだが……」
「……何です?」
「あいつ……笑ったんだよ」
 体が硬直し、危うくカップを落としそうになった。
「笑った……?」
「ああ。別に大爆笑したわけじゃない。ハハハ……と少しだけな。そのときは驚いていてそれどころじゃなかったが、今思い返してみると、な」
 天を仰ぎ見た隊長の姿に、何を考えているかは容易にわかった。
「隊長は……あいつが狂戦士になるかもしれない、と思ってるんですね?」
「……ああ」
 カップを置き、互いに目を伏せた。相手の辛そうな顔を見たくないのはお互い様。
 確かに考えられない話ではない。
 戦いに飢える狂戦士。戦いのみを求め、戦いだけに命を費やす狂戦士。どこの戦場にも必ず存在する。そう、エラル・ローズマリーのように。
 隊長の懸念はわかる。サジタリウスほどの強大な力が狂戦士に与えられたらどうなるか、子どもにでも分かること。そうなるかもしれない一機に乗せていていいものだろうか。気持ちはわかる。でも、
「――ダイジョ~ブですよ、隊長♪」
「――は?」
 突然の笑顔に隊長はビックリしている。こちらの様子が変わったのについていけてない。
「あいつはそうなったりしませんて♪ この3日間ついていたイーネが保証しまぁす♪」
「そ、そう……か?」
「はぁい♪」
 少し引かれた。でもいい。
 大丈夫、あいつはそんなになったりしない。あいつは普段は生意気だけど、優しさを持っている。それに――
 ――それに、傷つけられたことがある人間は、人を傷つけたりしない……。
 一機の傷、それがなんなのかはわからない。
 でも、その傷が優しさをもたらしてくれる。作ってくれる。
 だから……
 大丈夫だよね、一機?



「え? 次はボクなんだ。はい、シルヴィア王国騎士団親衛隊隊員、レミィ・ヘルゼンバーグです。やっと地方都市に到着したんだけど、盗賊との戦闘で壊されたMNを修理するのに足止めを食らっちゃった。そこにエミーナのお父さんが来るんだけど、なんかやたら一機に興味を持って……なんでだろ? 次回、サジタリウス~神の遊戯~ 第6話 『放浪者達の邂逅』をよろしく。……エミーナの秘密が明らかに? あんま好きじゃないなそういうの」

to be continued……


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