Last Esperanzars

Last Esperanzars

消し屋


 あ、知ってる知ってる! お願いすれば、嫌なこと全部忘れさせてくれるんでしょ?
 そうそう、でね……

 消し屋

 まただ。この感覚。
 寝ている時にだけ訪れる感覚に、俺は自分が眠っていることに気づいた。
 寝ている時、正確にはまどろみから覚醒の合間に時たま訪れる感覚。
 足から血の気がどんどん引いていき、足もとから抜けていく感覚。
 まるで、足を誰かに引っ張られているような……
「……おい、おい起きろってば」
「ん……?」
 体を揺さぶられて、二段ベッドから起き上がる。目の前にはルームメイトのボツボツだらけの顔があった。
「ええと……今何時」
「七時だよ。そろそろ起きないと朝飯間に合わないぜ?」
 呆れ顔の男が掛け時計を指さす。修学旅行始まってから三日間この様だからルームメイトの苦笑したい気持ちもわかる。
「ん……わかった」
 まだ覚醒しきってない頭をボリボリ掻いて、俺はペットから降りた。

「……なあ」
「あん? なんだ」
「お前さ、『消し屋』って知ってる」
「『消し屋』? そんなもん、俺たちの年頃じゃ知らないほうがおかしいだろ」
 確かに、と朝食の安レストランバイキングを食べながら俺は頷いた。
『消し屋』とは、俺たちが子供の頃――と言っても、まだ高校生だからせいぜい十年も経っていないが、その時語り継がれた都市伝説だ。
 なんでも、『消し屋』と呼ばれる謎の黒マントに黒いマスクの男がいて、そいつに願えばどんな嫌なことでもたちまち忘れさせてくれるそうな。まあそれだけの話だが、嫌なことや気に食わないことがあるのは子供の世界でも一緒らしくて、全国中に『消し屋』伝説は知れ渡った。――と、聞いている。
「そうなのか。俺は知らなかったんだけど……」
「おいおい、ホントかよ? 社会現象にまでなったんだぞ? 知らないわけないじゃないか。よっぽどの田舎じゃあるまいし」
「う、うん……」
 そう言われても、実際に聞いたことがないのだから仕方がない。自分の小学校だって、田舎どころかこいつと同じ学校だ。もっとも、互いにそれを知ったのは高校で出会ってからだったが。
「ふふん、実はな」
 自慢げにルームメイトは笑ってこう宣言した。
「実は俺、『消し屋』に会ったことあるんだ」
「……はあ」
 適当に相槌を打ちつつ、またかと小さくため息をついた。
 これで何人目だったか、この話題を振ると大抵みんなこう言う。自慢げにというか誇らしげというか、とにかく『消し屋』に会ったと言い出すのだ。
「あれは俺が小学生の頃だったか。突然目の前に現れたんだよ。いやあすごい人でな。たちどころに消されちゃったよ。俺の……」
 これだよ。『消し屋』に会ったという人は皆、『消し屋』に感謝に称賛する。そりゃ悪い思い出を消してくれるってんなら大感謝だろうけど、でもなあ。
「なあ……ひとつ聞いていいか?」
「あん? なんだ藪から棒に」
「その、『消し屋』ってさ、どんな格好してた?」
「え? そ、そいつはあれ、勿論黒マントに黒マスクだよ。顔まではわかんなかったけど」
 一瞬口ごもったのを、俺は見逃さなかった。やっぱりな……と何度目かわからないデジャヴを感じ、脱力した。
「なんなんだよおい。最近『消し屋』伝説が再燃してるからって、おかしいぞお前」
「ああ……別に」
 湯みたいなスープを啜りながら、俺は一月前のことを思い出していた。

『消し屋』に限らず、こういった都市伝説の類は一時で消えるのもあれば、しばらくすると再燃するのもある。
 俺が『消し屋』を知ったのも、そういったブームに乗っかったテレビ局が伝説検証といって面白おかしく特集したのを観た時だった。
 テレビもよくよくネタが尽きたんだな。そんな中身のない都市伝説を使うなんて……と笑って観ていたが、すぐに表情が凍りついた。
 再現VTRとやらに映った『消し屋』の姿に、何故か釘付けになった。
 いいや、釘付けなんて生易しいものではない。凝視。テレビから目を離すことができなくなっていた。
 動悸が激しくなり、息が苦しくなる。どうしてだがわからないが、安っぽい黒マントと黒コートの姿に、俺は凄まじい恐怖を感じていた。
 その恐怖の中身が知りたくて、こうして会う奴会う奴に聞いて回っている。――収穫はほぼゼロだけど。

「……いやあしかし、『消し屋』のこと知らないのがいるなんて驚きだよ。しかも俺と同級生でだぜ?」
「……放っとけ」
 夜。消灯時間を過ぎても俺ら二人は寝ていなかった。なんでだか知らないが、二人とも寝る気になれなかったのだ。
 そのままベッドでそれぞれいても仕方ないので、同じベッドで合流してみることにした。
「しっかし、なんであんな中身のない話が騒がれるのかね……消し屋いて、記憶を消して、終わりです。の575で済んじゃうじゃないか」
「うん? そりゃ勿論、『なんでも忘れさせてくれる』ってとこだろ。人間誰しも嫌なことあるもんさ。俺だって、みんなだってだからこそ……」
「……何を忘れさせて貰ったのさ」
 え? と呆気にとられたボツボツ顔に、たたみ掛けるように続けた。
「みんな『消し屋』に会って忘れさせて貰ったって言うけど、何を忘れさせてもらったのかと聞くとみんな黙っちゃう。お前だけじゃないよ」
「そ、そんなの、忘れさせてもらったんだから当然じゃ……」
「なるほど、それはそうかもしれないけど、まだあるよ。『消し屋』の姿恰好はどんなの?」
「え? だ、だから黒マントに黒マスク……」
「そればっかり。歳とか背丈とか言うと、みんな口ごもっちまう。第一、みんな口を揃えて『消し屋』を称賛するよな? 嫌なこと忘れさせてくれたんならそれも道理かもしれないけど、その嫌なことを忘れてるくせにどうしてこう合わせたように感謝感激するのかね?」
「そら、あの……」とルームメイトはもう言葉にならない呟きしか吐けなくなっていた。その惨めな様に、俺は確信した。
 ここまで強烈に追い込んだことはないが、得てしてみんな同じような反応をしていた。『消し屋』に会って消してもらって感謝、以外なにも持たない恐ろしく曖昧なくせに揃って同じことを言う。その反応に、俺は確信していた。
 こいつら全員、『消し屋』に会ったことなんかない。
 まあ、お化けを見たとか妖怪談を自分のことのように語るのは子供なら誰でもあることだ。それは別に不思議じゃないが、どうしてみんな例外なく『消し屋』を称えるのだろうか?
 第一おかしいんだ、あんな怖いやつをすごい人なんてのは……あれ、今俺おかしなこと言わなかったか……?
「だ……黙れぇ!」
「うわっ!」
 突然、首を掴まれてベッドに押し付けられた。
 ギリギリと首を絞める力が強くなっていき、息が苦しくなっていく。
「ちょっ、どうじだんだよ、おぢづげ……!」
 ルームメイトの異常行動に困惑していると、ふとルームメイトと目が合った。
「……!」
 気道が圧迫されていくなか、俺はルームメイトの瞳に息を呑んだ。
 黒。
 真っ黒だった。
 黒目がちなんてものではない、本当の黒。白さなど微塵も感じられない黒。
 いや、それはもう黒ではない。
 暗闇とはいえ、こちらをまったく写していない。完全なる、闇色。
「や、やめろぉ!」
 渾身の力を振り絞って、ルームメイトを蹴り上げた。
 ぐっと呻くと、ルームメイトはベッドから落ちた。
「んあ……」
 落ちたルームメイトは、しばらく呆けた顔をしていた。瞳はもう元に戻っている。
「お、おい、大丈夫か……?」
 心配になって声をかけるが、ルームメイトは聞こえていない様子でしばらく突っ立っていると、おもむろに自分のベッドに戻っていった。
 ――な、なんだったんだ、今の。
 俺はわけがわからず、戸惑うばかりだった。

 こんな公立高校が使う安っぽいホテルでも、パソコンくらいはあるもので。
 俺はそのパソコンに、あるものを箇条書きしてメールに添付し送った。
 自分でも意味がわからない言葉の羅列。そんなものをどうして書けるのか、自分でもわからなかった。
 ――違う。俺は見たんだ。あの日、あの時……
 首を絞められてからしばらく、眠れずベッドの上で座っていると、突発的にビジョンが浮かび上がった。
 遠い日の、夕焼けの色。
 俺は今よりずっと背が低く、一人歩いていた。
 すると、目の前に何かが落ちていた。俺はそれを拾うことにした。
 それは紙の束だった。なんだかよくわからないけど、色々難しいことが書いてあることはわかった。
 意味は理解できないけど、とにかくペラペラめくって中身を流し読む。
 すると、突然あたりが暗くなった。
 もう夜? と思ったけど違う。誰かが自分の後ろに立ったんだ。
 振り返ると、そこには……
 ゾクリ。悪寒が走った。
「…………」
 俺は修学旅行の記念にと持たされたビデオカメラを取り出して、自分に向けると数分だけ録画し、映像をパソコンに移す。そして、その映像をメールに貼り付けもう一度送信した。
 これでいい。何となく不安に駆られた故の行動だった。自分でもどうしてそんなことをするのか、よくわからなかった。
 とにかく寝よう。ドッと疲れを感じて、ベッドに横になった。
 ――あいつどうしたのかな。明日どう顔合わせよ。まあいいか。明日考えりゃ……
 疲れに身を任せ、俺はまどろみに入っていった。

 ――ああ、またこの感覚だ。
 自分がまどろみにいるか、覚醒しようとしているのか、それはわからなかったが、あの感覚がやってきた。
 足から血の気が引いていく。まるで――
 ――朝かな。起きるのかな。でもまだ寝足りないんだけど……
 睡魔の欲求は強かったが、この感覚は強くなっていくばかり。そろそろ起きるんだなと諦観があった。
 しかし、今回はどんどん引いていく。
 まるで、誰かに足を引っ張られているような……
「……!?」
 そこで目が覚めた。
 足を引っ張られているようなではない、本当に足を引っ張られている。
 ぐいぐいと引っ張られ、引きずられている。誰に?
 怖気を感じて、掛け布団を剥ぎ取る。
「……え?」
 自分の足元には、何もなかった。
 何も、そう。自分の足すらも。
「な、な……」
 悲鳴を上げようとしたが、見えない手にに口を塞がれているかの如く声が出せない。
 自分の腿から先にあったのは、黒。
 漆黒と呼ぶべき黒。闇の中でもひときわ暗い暗黒。
 その闇が、自分の体をどんどん吸い込んでいった。
「うわ、ああ……」
 必死に手を動かして逃げようとするが、どうにもならない。どんどんその闇に体を吸い込まれていく。いつの間にか俺は泣きじゃくっていた。逃げられない、助けも呼べない。待っているのは、暗闇。
 ――フフ、フフフフ
 ふと、場違いな笑い声が聞こえた。
 地の底から、響くような笑い声。どこかで聞いたことがある、と思った時、自分を呑みこもうとする暗闇から、何か出てきた。
「……ひっ!」
 叫び声が、声にならない。
 暗闇からニョキリと出てきた両腕が、俺を掴んで離さない。
 手の主は、ニッコリと大きく口を裂けて笑っている。
 その顔は、黒いマスクに包まれて――
「け、消し……!」
 最後の一言を発する前に、俺の体は闇に飲み込まれた。

(警察庁秘匿情報、機密ファイルより)
 19××年頃、各地で神隠しと呼ばれるような失踪事件が相次いだ。
 どの失踪事件も行方不明者に共通点はなかったが、姿を消したと思われる現場はどれも完全な密室であり、人一人いなくなるのは不可能であった。
 こうした連続失踪事件は表ざたにはならなかったものの、当時広まったばかりのネット社会に噂として浸透し、『消し屋』伝説になったと学者は推測する。
 なお、一人その失踪事件の関係者と思しき人物がいて、警察が保護した件がある。
 男は完全に錯乱状態になっていて、話は要領を得なかったが、誘拐されかかったといい、しかもその男は警察有力者の関係者だったため地元警察は護衛することとなり、本人たっての希望により監視カメラ付きの部屋を与えた。以下はその映像資料である。

(AM0:10分、男が突然叫び出した)
『うわ、やめろ、来るなぁ!』
(男は自分の足元を、恐怖に怯えた表情で見るが何も存在しない)
『よせ、やめろ、助けてくれぇ!』
(助けを求めるが、交替の警護担当の警官は何も聞こえなかったと証言。布団は警官からの死角にあったが、事実への監視カメラ以外はこの声を拾っていない)
『だ、誰か、誰か助けてくれぇ! 消える、消されるぅ!』
(ここで男の体に変化が現れる。男の足元が消えていくのだ)
『あああ、あ、足が、足が。来るなぁ、来ないでくれぇ!』
(体の消滅はなおも続く。とういう顔以外消えてしまう)
『た、助け、黒が、黒が……』
(それを最後に、男の体は完全に消滅。以後、男の消息は掴めていない)

 このテープは極秘とされ、一般には公開されていない。
 その後、連続失踪事件は誰一人帰ってこないまま鳴りを潜め、『消し屋』伝説も風化したが、近年また発生し、『消し屋』伝説も囁かれ始めた。
 同様の失踪事件と思われるもののうち、失踪直前に自分の姉にメールを送った高校生が存在した。
 その二通のメールのうち、一通は昨年騒がれた自衛隊火器の不正流出問題に関わる資料であり、一介の高校生がどうしてこのようなものを知っていたか不明である。二通目のメールは動画であり、姉に対してのビデオメールが入っていた。以下はその映像資料である。

『姉さん、よく聞いてくれ。自分でもわけがわからないんだけど、とりあえず話せることだけ話すよ。
 俺は昔、『消し屋』に会ったことがある。信じてくれないのはわかる、でも本当なんだ。
 自分でもよく覚えていない。どういった状況でどんな奴だったのか。だけど、今まで俺は完全に忘れていた。わかる? “消された”んだよ、消し屋に記憶を。
『消し屋』は、みんなが語っているような善人じゃない。むしろ相当やばいやつだ。さっきのメール、あれは俺が小学生くらいのころ拾った紙束に書いてあったことだ。それを見たとき、おれはその記憶を消されたんだよ、『消し屋』に。
 俺はそのことを、『消し屋』の存在自体とともに忘れていた。でも最近の『消し屋』伝説でそれを思い出したんだ。思い出してみると、頭から離れない。あの不気味な顔と、その笑い声が……
 とにかく怖いんだ、誰かにこのことを伝えないと気が狂いそうで……だから、送った。ごめんね、こんな変なの送っちゃって。
 明日には帰るから、お土産楽しみにしてて。じゃ』
 そこを最後に映像は終了。
 しかし、捜査員の一人が何か別の音が聞こえると発言したため、科捜研に送られる。
 科捜研により、映像の最後に失踪した高校生以外が入っていることが判明。
 映像の最後に、低い笑い声。そして、

 黒いマスクを被った、男の顔。


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