Last Esperanzars

Last Esperanzars

新訳サジタリウス5



「はあ、はあ、はあ……昨日……いや数時間前の俺、ここのどこが理想郷(ユートピア)だ、ここのどこが絶望郷(ディストピア)よりはましだ。はあ、はあ……」
「何を一人でぶつくさ呟いている。ほら、休憩は終わりだ」
「あのー、休憩って二十秒ほど膝ついていただけですが……」
「もう一分経った。充分すぎるな」
「ヘレナさーん! スポーツ医学ってご存知ー!?」
 知るわけが無い。キョトンとした顔をしたヘレナは、いいからと無理矢理一機をまた走らせた。夜も明けないうちに。ほとんど寝てないのに。
 そもそもが夜型なのと、色々考えてなかなか寝付けず、やっとうとうとした矢先に「いつまで寝てるんだ!」と叩き起こされたのはいつだったか。そして起こされるといきなりの走りこみ。もう何キロ走ったのかわからん。いやこの世界の距離単位がキロかどうか知らないけど。
「まったく、走ったのは四ガルナ走る予定が、一ガルナも走れんとは情けない。半分にも満たないとはな」
「一ガルナって何キロ?」
「なんだきろとは?」
「いや、いい……」
 会話が成立しなさそうなので、手っ取り早く諦めることにした。
注 この後、一機は一ガルナ=十二キロと知って憤慨すると同時に愕然とすることになる。
 一ガルナとやらには到達できなかったが、それでも最低二、三キロは走ったはずだ。この前のスポーツテストの診断(十人もやってなかった)で二十メートルシャトルラン記録五十二回。つまり二十×五十二=一.〇四キロでヘトヘトだというのに、その三倍近く寝ぼけ眼で走ったんだからむしろ褒めてください。
「これぐらいでへばっていては親衛隊など勤まらんぞ。これから毎日鍛え上げねばならんな」
 鼻を膨らませて、あー楽しそう。やはりヘレナはスポ根タイプか。ネトゲ中毒の半ひきこもりには最悪の人種だぜ。
 そう言ってまた走らせようとする。いかん。このままでは俺は絶対に死ぬ。なんとか止めさせないとと思案する。サボる方法を。
「ヘレナさん、悪いんですけど水持ってきてくれません?」
「ダメだ。水を飲むとかえって疲れるぞ」
「それ迷信だから水! なんで知ってるんだよ!」
「仕方がないな……ちょっと待ってろ」
 全くダメな奴だと言いながら井戸へ向かう。こんなの毎日やったら死ぬわ確実に。
 ああ、太陽が昇ってきた。いや別物だけど。朝日がこんなに美しいものだったなんて。汗で濡れたシャツとズボンが風に当たって涼しい。そういや今日は暖かいな十一月なのに。
「いつも夜明けなんて寝てるか鉄伝やってて無視してるのに、今日はどうしてこんな美しく感じられるのだろう……てか、日の出見たことないな俺」
 なんて馬鹿なことを呟きながら地面に仰向けに寝っ転がると、ヘレナの後ろ姿が視界に入った。
「…………」
 さすがのヘレナもそれなりに水分を消費したらしく、シャツは汗で濡れていた。
 体にピッタリ張り付き、ボディラインを強調する。
 さらには水くみで動くたびにヒップが揺れて……
 ――ああ、やっぱヘレナって、良い体してるよね……古い言葉でボン、キュッ、ボンだ。着ているのは皆と同じシャツとズボンなのに、こうところどころはち切れんばかりに押し上げて、ああ……
 体力は使い果たしたが、性力は全然だったようだ。
 と、その時。
「!”#$%&’@+*<>¥|○×△□!?」
 何語かわからない絶叫を発した。
 ぐわし、と下半身を踏まれたのだ。
「~~~~~~~~~~~~!!」
「なにヘレナ様をいやらしい目で見ているのですかあなたは!?」
 高飛車な声が非難する。この声は……
「な、なにをしているグレタ! 一機、いったいなにが……!」
 駆けつけたヘレナの驚いた声がする。やっぱりあいつか!
「やっぱり成敗しましょうこんな不埒者! ヘレナ様に対しいやらしい目を向けて欲情するなど言語道断! 即刻断罪されるべきです!!」
「なっ……」
 赤くなったヘレナに対し全速力で首を横に振る。実際は見ていたのだがそれを言ったら確実に殺される。
「往生際が悪い! ええいこうなれば、今私自身の手で断罪してくれる! 首を上げろ!」
「……それより、おたくのこの行為こそ断罪されるべきかと思うが……」
「男は黙りなさいっ!!」
 苦悶の中からやっとひねり出したことばをいとも簡単にはじかれてしまった。この世界、男女の差が激しいってホントだな……。
「はあ……まったく。とりあえず、無事か一機?」
「……一応、生命維持には問題ない」
「そうなのか? 私にはよくわからんが……おい、誰か看護兵を呼んでこい」
 ヘレナの命令に対し、騒ぎを聞きつけ起き出してきた親衛隊の一人が渋々とした様子でやけにゆっくりどこかへ行った。こいつら、示し合わせてるんじゃないだろうな。
 んなこたどうでもいい。まだズキズキ痛む股間を押さえていると、ふっと影が差した。見上げると、マリーが目の前に。
「あらら、大丈夫一機?」
「……これが大丈夫そうに見えるのか、お前には」
「いや、あたしわかんないし」
 ははは、と笑われた。冗談のつもりか、なるほどそうかと納得する反面ムカつく。
 と、そんな馬鹿らしい会話していると、
「うわっ!?」
 ずいと、横から真っ黒いビンを突き出された。
 違うな。ビン自体は透明だが、中にどす黒い粘液が入っているな、なんだこりゃ?
「ああナオ、ありがと」
 と言ってマリーがそのビンを受け取る。そのビンを持っていたのは、小柄、というよりどう見ても十歳以下の子供である。青い髪に緑の瞳、髪型は……シニヨン、か? こっちの世界での名称は知らないが。
 それだけなら可愛らしい子供だが、こいつはまるで無口無表情。顔立ちは綺麗なのにこれではフランス人形だ。
そしてもう一つ問題なのは、こやつが一機のズボンを掴んで脱がそうとしていることだ。
「……ねえ、何してるの?」
「…………」
 無言で返された。引っ張る力が強まるのでとりあえず近場にいたマリーへ。
「あの、この方は何をする気なんでしょう?」
「ズボン脱がせてこの軟膏塗る気でしょ、ナオは看護兵だから」
「いやいやいやいやいや」
 それだけは勘弁してくれ。一応自分にも男の尊厳というものはと泣きそうになってズボンを離さなかった。

 しかしこの一件、一機にとって悪いことばかりでもなかった。それでは辛かろうと、ヘレナが今日の特訓を中止してくれたのだ。あくまで特訓だけだが。
 何が特訓だけなのかというと――
「……重い。そして暑い。んでもって気持ち悪い」
 荷馬車に揺られながら、全身鎧を被って死にそうになっている一機を見れば説明の必要はあるまい。
 そもそも特訓中止も別に一機のためじゃない。元々、親衛隊はどこかへ向かう途中だったらしく移動する必要があったのだ。そのため一旦は中止となるに至ったが、その間休憩させるほどヘレナは甘くなかった。「何もせぬよりマシだろう」と予備の鎧を常備着て筋力を上げろ、と言ってきた。悪魔のギブスじゃねぇんだから。
「暑い……もう十一月だってのに……どうしてこんな……」
 そりゃ一つはこんな鎧着ているからでしょうが、それにしたって元の気温が高い。まるで五月のたまになる暑い日みたいな暑さだ。
「は? 十一月? 何それ?」
 暑さで狂いそうになっていると、マリーが声を掛けてきた。ああ、こいつもこの荷馬車、いや荷トカゲ車に同席してるんだったな。
 そう、今一機たちを乗せているのはあのマンちゃんこと『マンタ』という魔獣だ。そりゃあんな巨大ロボット五十体近く運ぶんじゃそれぐらいないとダメだよな。巨大トカゲの大群見たときは気絶するかと思ったぞ。
で、その輸送車はキャンピングカーも兼ねていて、それぞれ騎手と隊員が乗せられているわけだが……他の誰からも同乗拒否され、仕方がない私が一緒にとヘレナが名乗りを挙げたらほぼ総員からの猛反対を喰らった。となると、必然選択肢はマリーのみ。
「え……なに、今月って十一月でしょ、違う?」
 キョトンとした顔をされた。間違えたか?確かにカレンダーなんか見ないし……待て待て、昨日携帯で確認したばかりだろうが。
「違うって……あんた何言ってんの? 一年は十月まででしょ?」
「……はい?」
 今度はこっちがキョトンとした顔をしたろう。十月まで? 一年が?」
「おいおい、おかしいだろ? 一年は十二月までだ。そんなもの子供でも知ってるぞ」
「その子供連れてきなさいナオに診せるから……あ、そっか」
 何か思い当たったらしく、うんうんと一人何度も頷いている。
「な、なんだよ」
「あーと、えーと、どう説明すりゃいいかな……あ、そだ。そこら辺にカレンダーあったと思うけど」
「カレンダー? この世界にもカレンダーあんのか……と、ここから探すのかよ」
 マリーが指差したのは、なんか色々無造作に物が積まれている山だった。ほとんどゴミ山。とにかく探ってみる。……なんか昨日辺り大量に目撃した布切れがあった気がするが、無視することにした。お、あったあった。
「白黒だな。ガリ版か? おお、見たこともない形だけど数字ってわかる……ん?」
 興味深そうに流し見ていた一機、一点で眼球の動きが止まった。
 文字や数字はこちらの世界のカレンダーとそう変わらない。が、ひとつだけ、いや数個だけ別のものがあった。
「……31、32、33、34……36!?」
 他のも開いてみる。すると37のとこまであった。それに月もマリーの言うとおり十月までしかない。なんだこりゃ、落丁? まさか、こんな落丁作る方が難しいだろ。
「あんたの世界じゃ知らないけどさ。こっちじゃ一年は十月までしかない。わかった?」
「……そのようですね」
 いかん、なんて馬鹿なんだ俺は。この世界と俺の世界は常識なんぞ共有していない。一年が365な訳が無いんだ。昨日それを実感したはず――あれ? 一ヶ月36日で37日あって十月までだと……やっぱ365日だ。一緒じゃん。待てよ、一年が一緒ということは、
「な、なあマリー」
「あん? なによ一機?」
 質問しようとしたら、なんかドライバーらしきもの片手にカチカチ操作してる。ってそれ!
「おい! なに人のPLP分解しようとしてるんだよ!」
 このアマ、隙をついて俺のバッグを開けて、中の色々なもの取り出してやがる。しかも今まさに命から比べると安いPLPを分解しようと!
「いや、これは機械好きのアマデミアンの性ってやつで……こういうの見ると分解したくなるっていうか」
「あっちの世界の人間は、無許可に人の荷物を漁って分解などせんわ! ったく、ちょっと待ってろ」
 下手に壊されるとまずいと判断した一機は、ならばと思いPLPを起動させた。
「え、うわ、何これ、絵が動いてる!」
「PLPってんだよ。要するに……説明する言葉が出てこないな」
 なにぶんアニメもテレビも写真もないからな、と困ったが、マリーの爛々とした目をしているので、これで充分と理解した。
「にしても、機械だろうがスポ根だろうが、オタってのはどの世界にもいるんだ……て、なんだこりゃ?」
 輸送車の薄い床板に、何か銀色のものが転がっている。親指大のそれに、どこか異質な気配を感じ、拾い上げた。
 シルバーアクセ、というのだろうか? 親指大で、鍵のようだが、こんな小さくて変な形の鍵はあるまい。
どうも出所は俺のバッグらしいが、こんなものあったか? 第一、見たこともないぞこんな……
「……あ」

   ***

「さて、帰るか……」
 麻紀に起こされて、いつものように遊ばれて帰る放課後のことだった。
「……あれ、なんだ?」
 足元に置いてあったバッグを取ろうとすると、何か転がっていた。
「これは……鍵か? 俺のじゃないし……」
 なにせこの図書室には人が訪れない。生徒どころか教師も図書委員もである。となると、必然これを落としたものは限られる。
「なあ、麻紀――」
「あら、まだいたんですか? さっさと帰れとおっしゃったはずなのに耳が遠いんですか汚名挽回さん?」
「…………」
 いつもの罵りがやけに頭にきた。これくらい通例なのだが、なんとなく腹が立ちそのまま何も言わず帰った。
 その時、首元からネックレスが消えていたと思ったのは、気のせいとした。どうせ何かあれば明日あっちから聞いてくるはずだし。

   ***

「やば……入れっぱなしにしてた」
 頭を抱える。どうしよう。ってどうにもできないか。あっちに帰ることすら不可能なんだし……て
「お、おいマリー?」
 数秒間ほど忘れていたマリーは、その間にどうやってだかPLPの使い方をマスターしていた。文字なんか読めないはずなのに、スケジュール帳とか開いている。
「だから、勝手に使うなっておい!」
「ねえ一機、この時計盤、数字が十二個まであるけど、そっちじゃそうなの?」
「……は? お前数字読めるの? こっちのと全然違うけど」
「いや、お母さんに教えてもらった」
「ああ、お前の母さんアマデミアンだっけ……」
 それなら読めても問題ない。そして、もう一つの疑問も問わず答えてくれた。
「なあ、それじゃやっぱこっちの世界は一日二十時間なのか?」
「二十時間? ああ、そうよ」
「で、一時間は何分?」
「六十分。ちょっと、話しかけないでよ」
 まさに初めておもちゃを貰った子供の如くPLPをいじくるマリー。それを尻目に、一機は自分の推論が正しかったことに安堵する。
 時計の数字が十個で二十時間、それで一時間は六十分なのは、恐らく五進法じゃなくて六進法なのだろう。
 つまり、あっちの世界の時計は5、10…で1、2と五進法で進んでいたが、こちらでは6,12…で1、2と六進法で進んでいる。これだと二十時間でも二十四時間と同じ千四百四十分である。
「それにしても……こっちにも時計があるのか。せいぜい手巻きくらいだろうが、ホントいびつな世界だ。あんなロボットまであるし」
「は? ロボット?」
 振り向いたマリーが怪訝そうな声を出した。
「ほら、あのMN。ロボットなんだろ、あれ。中に機械がびっしりと……」
「……別にそんな機械部品はないけど」
「――今なんて言った?」
「だから、MNは機械じゃないって。ほとんど」
「……はあ!?」
 驚愕した。実はこの世界へ訪れて一番くらいに。
 機械じゃない? ロボットじゃない? あのどう見ても巨大ロボットなMNが? 嘘だ、絶対嘘だ。俺は今日輸送車に積むため起動したMNを見たが、あれは間違いなくアニメもしくは特撮顔負けのロボット駆動だったぞ!
 なんてことを一機が考えているのを読んだのか、「はあ、しょうがないな」とため息混じりで口にすると、PLPを手放して、
「ほら、こっち来なよ。シルヴィア王国親衛隊整備士マリー・エニスが解説してあげるから」
 どこか嬉しそうに、マリーはさっさと外へ出て行く。あわてて追いかけてようとしたが、鎧のせいでうまく歩けない。仕方ないので鎧を脱いでシャツとズボンに着替えてからドアを開けると、マリーが腕を組んで《エンジェル》のまん前にヒーローっぽく立っていた。
「さて一機くん、何から聞きたい」
「はあ……えっと、とりあえずMNとやらがロボットじゃないなら、いったい何なのか教えてくれる?」
 なんか妙なテンションなので正直引いたが、このままにした方がいいと判断して何も言わなかった。
「ふふん、よろしい! では、シルヴィア最高の技術を元に作られた《エンジェル》を解説してあげましょう! ほら、こっち」
「は、はあ……」
 よくわからないが、言うとおり《エンジェル》の胸部装甲辺りに。ってあれ、留め金みたいなのがある。これを外せということか。
「うんぬ……うおりゃ!」
 意外と固かった留め金を外すと、マリーも上方の留め金をあっさり外していた。想像以上に力持ちだったらしい。
 それはさておいて、留め金を外したために胸部装甲が二つに割れて、ゆっくりと開いていく。そこには……
「……な」
 絶句した。
 そこにあったのは、複雑な電子機器やら骨組みやらがあるとした一機の予想を遥かに超えていた。
 あったのは、骨。
 いや、骨組みとかそんな比喩的なものではなく、間違いなく本物の骨。肋骨が何かわからない金属の間から浮き出ていた。
「これって……」
「そ、『ディダル』の骨。MNは『ディダル』の骨を基礎に作るのよ。あの採掘場はそのために化石を掘っていたの」
「なるほど……」
 そうとしか言えなかった。他にどうコメントすればいいんだ。現代科学の粋を集めても完成できない巨大ロボットが、中身は金属以外スッカラカンの骨? これは確かにロボットじゃない。
「てか、これどうやって動くんだ? モーターとかサスペンションもなさそうだし、どういう駆動方法か見当もつかん」
「だから、機械じゃないって言ってるでしょ、魔術よ魔術」
「……はい?」
 今一番予想外な言葉が聞こえたような。幻聴か、なんだ。疲れてるのかな、それとも俺も歳ってか。
「だから、魔術だって魔術。『骨人形』って呼ばれてる古代の術なんだけど」
「やめろ俺の現実逃避を邪魔するな!」
 一機の悲痛な叫びも理解できないらしく、マリーは続ける。
「はっきりわかってないんだけど、古代の魔術師は死んだ人間の骨格を術で操って、それに鎧を被せて兵士として戦ってたんだって。MNはその技術をそのまま大きくしたの。でも、シルヴィア一世が魔術を禁じたからその術も廃れちゃったけど」
「……? ちょっと待て、じゃあ今なんで存在する?」
第一、こんなでかくて作るの大変そうな代物を標準兵器として運用していること自体おかしい。構造が単純だろうが、十メートル近いMNを機械もなしに建造するのは難しいはず。それだというのに、どうしてこんな量産されているのか。
そう訊くと、マリーは顔をしかめて視線を逸らした。
「しょうがないでしょ、あっちの国が使ってるんだから、こっちだって対抗するためには必要なのよ」
「あっち?」
「敵国よ敵国」
 忌々しそうに呟かれた『敵国』のフレーズに、一機が思い浮かべたのはたった一国のみ。
「ああ、ギヴィンとかいう地方の国だっけ?」
「違う、グリードってとこ。教えられてないの?」
「グリード?」
 全く覚えがない。……待てよ。そういや昨日ヘレナが発していたような。シルヴィア、ギヴィンと同じく。
「あたしもよく知らないけど、五十年前に建国されたというか、生まれた国だって。元はピスティアって国だったんだけど……」

 マリーの話を整理するとこうなる。
 かつてアリノル海峡を挟んだ南部地帯にあったピスティア王国は、シルヴィア大陸から南側に存在する小さな島々が1つの国として成立していた国で、シルヴィアとは友好国だった。
 しかし、五十年前にクーデターが発生。詳細は不明だが、そのクーデターで王族は全員処刑され、皇帝グリードか支配する新国家グリード皇国が建国された。そしてすぐにシルヴィア、ギヴィンに対し宣戦布告。国力では圧倒的に勝るシルヴィアの勝利かと思われたが、その目論見は簡単に崩れ去った。
 MNの存在によって。
 グリード皇国が侵攻の際主力兵器として運用したのがMNだった。なにしろ剣や弓で戦っている時代に十メートルの鋼鉄巨人に勝てるわけがない。両者のパワーバランスは崩れ、シルヴィアの敗北かと思われたが、この侵攻は失敗する。
 理由は簡単。シルヴィアのMNの存在だ。
実はピスティア崩壊以前に多数の亡命者がシルヴィア大陸に流れ込み、同時にMNの建造技術をシルヴィア、ギヴィン両国にもたらした。それを用い急ピッチでMNを製造。両国は緊急事態として一時的に同盟を組み、辛くもグリード皇国を撃退する。
ちなみに、亡命の際持ち出されたMNをFMN(ファーストメタルナイト)と言うそうだ。ほとんど残っていないようだが。
とにかく、グリード侵攻は失敗し、グリード皇国軍はメガラ大陸から撤退。MNの建造費と長きにわたった戦争によって国力が衰退したので両国とも追激戦は不可能であるため、ここにグリード侵攻は終結した。
しかし、それは偶発的に誕生した休戦に過ぎず、再侵攻の可能性は大であるとし、禁じられた魔術『骨人形』を使ってでもMNの量産をしなければならなくなった、と……

「ははあ……それがMN誕生秘話か。てことは、わけのわからん技術を仕方無しに利用してるってことじゃないのか?」
「いや、そりゃぶっちゃけるとそうだけど、だったらあんた全部構造わかっててこのPLPとやら使ってるの?」
「……それもそうだな」
 言われてみれば、この世界でもあっちの世界でも、構造とか仕掛けとか全部知ってて機械を動かしている人間などいくらいるか。ほとんどいないと一機は思った。なら、別におかしな話じゃない。
「魔術ねえ……とても信じられないと言うべきなはずだけど、実際動くところを見ちゃ反論できないや。ところで、そのFMNってのはどんななんだい?」
「さあ?」
 がくっと崩れそうになった。ここまで引っ張っておいてさあってなんださあって。こめかみ辺りをピクピクさせて上のマリーに叫ぶ。
「なんださあってのは。あれだけベラベラご教授しておいて、肝心とも言えるFMNはさあってどういうこった」
「そんなこと言われても、どこにも語られてないんじゃ仕方ないじゃん」
「……どういうことだよ」
「FMNを記した文書なんか一つもないの。どうしてだか歴史書から抹消されて……シルヴィア王国に」
 ……そういえば、シルヴィア一世による統一以前の歴史も抹消されたとか言ってたな。でも五十年程度昔の記録を消さなきゃいけないなんて、どういうことだ?
「じゃあ、もうFMNのことは全然わからないわけだ」
「ううん、残ってる機体もあるから」
「……残ってる? FMNが?」
 そりゃグリード侵攻とやらで破壊し切れなかったのも多少あるだろう。しかし五十年の前じゃとっくに鉄くずかな。
「これから行くライノス領にもあるんだって、FMNが」
「え、マジか? どんなの?」
「さあ?」
 今度は本当に膝から崩れた。別世界で天丼をかまされるとは、予想外だ。
「おいおいいい加減にしろよ、なんだその無責任は」
「だって……形も名前もわからないんだもん、《アレ》としか」
「……《アレ》?」
「そ」と返したマリーは、再び語りだす。こういうの好きなタイプ多いなあ親衛隊。
「ライノス領にFMNが封印されてるのは確実。でも、どういった名前でどういった形状なのかはライノス領主しか知らないの。グリード侵攻と共にFMNは封印されたから、別に《アレ》に限った話じゃないんだけどね」
「封印? どうして? グリード再侵攻の際には切り札になる兵器じゃないか」
「ヘレナ隊長は、だから下手な相手に渡ると変な野心を持つから、自国のMNが完成するまで手の届かない所に葬ったんじゃないかとか語ってたことあったけど……」
「……ふうむ」
 一理ある気はするが、イマイチ納得いかない。この辺りはシルヴィア王都から少し離れていると聞く。そんなやばい代物ならむしろ自分の手の届く範囲に置いておくべきじゃないか?
「まあ、あたしにしてはどうでもいいんだけどね。このMNの存在があったから、あたしたちアマデミアンはシルヴィアで地位を確立できたらしいけど」
「へ……?」
 眉をひそめた一機に対し、「あれ、聞いてない?」と今度は言いづらいような顔をした。
「え、何? どうしたの?」
「いや……大した話じゃないんだけどね」
 そう前置くと、それでも細々と語りだした。
「アマデミアンってさ、別世界だろうと、結局余所者でしょ? だから、シルヴィアにおいてその立場はあんまり良くなかったんだ。あのギヴィン帝国だって、その土地は元々シルヴィアから追い出されたアマデミアンの土地で、彼らの力を借りて建国できたって聞くし」
「あ……」
「でも、グリードに対抗するためのMN建造で、メガラ大陸には本来存在しない高度な技術を持っているアマデミアンの協力が必要不可欠になったから、渋々受け入れたって。まあ、今でも市民権はないけど。あたしは父がシルヴィアの人間だからあるけど」
「…………」
 息を飲んだ。マリーから発された一言一言を、頭で反芻し飲み込むのにかなり苦労した。
 人種による差別、迫害。あっちの、絶望の国と名付けられた世界ではむしろ当然であったフレーズが、ここでは強い異物感を持って耳に入ってきた。
 そうじゃない。自分が勝手にそう思っていただけだ、と一機は自嘲する。どこかでやはり決め付けていたのだろう。ここはあんな世界とは違う、差別も迫害もいじめもない世界だと。思い込みたかったんだ。その幻想に、浸りたかった。
 ――結局、人間がいるところじゃ、どこでもそういった類のはなくならないってことか……馬鹿馬鹿しい。
 呆れ返り、深々とため息をついた。それがシルヴィアかメガラ大陸に対してのものか、それとも新天地に浮かれていた自分自身のへのものかは、一機自身よくわからなかった。
「ん? なにしてんのあんた。ちょっと聞いてる? おーい……いああああっ!」
「え!?」
 悲鳴がしたからギョッとして見上げると、マリーが眼前へ落ちてきた。どうも身を乗り出しすぎて落下したみたいだ。ってそれどこではない。
「うわあっ!」
「ぐふっ!」
 落下したマリーを受け止める、なんて芸当が一機にできるわけもなく、そのまま潰された。背中とか胸に激しい痛みが生じる。
「いたた……ちょっと、一機大丈夫!?」
「ぐぐぐ……」
 大丈夫、などと言われても、潰されている身では言葉一つ発せない。うめき声を出すのがせいぜいだ。重い。
 しかし、重さの他になにか、別の感覚が。いや、これは、感触……
「……なあ」
「え? どうしたの、どっか怪我した?」
「そうじゃないけど……」
 自分の胸に、覆い被さる形で落ちてきたマリー、必然的に顔が目の前にあって近い。そして、自分の胸元近くに押し当てられた控えめだが確かな感触……
「あの……どうしてブラジャー着けてないの?」
「は?」
 キョトンとした顔をされた。おい、これが『ぶらじゃー』を言及された女の顔か? 光いう時は赤くなるか「ふふん♪」と妖艶な笑みをするものだろう。後者はこいつ違うか。実体験で得た知識ではないけど。
「いや、だからブラジャーだって。胸に直接着ける下着……」
「……無いよ、そんな下着」
「……え?」
 ………………………………………………………………
 ……無くて当然か。ブラジャーの原型はフランスで1889年にエルミニー・カドルが発明したって言うし。似たようなのは古代ギリシャにおいてクレタ文明時のクレタ島やスパルタでゾナと呼ばれる一枚布の下着が着用されていたそうだけど、シルヴィアはヨーロッパと似通っていても違う世界。下着まで同じとは限らないか。
 ……ってちょっと待てぇ! ブラが無いってことは、この国の人間、つまり親衛隊員全員が……ヘレナも、あのグレタも……ええええええっ!?
「……とりあえず、一つ聞いていいか?」
「へ? はあ……いいけど」
「メガラの、あるいはアマデミアンの女ってのは、男に胸を押し当てて平気なものなのか?」
「……はい?」
 理解できなかったのか、口をポカンと開けたマリーは、自分の押し潰されている胸や、実質押し倒している状況を確認すると、顔をゆっくりと紅潮させ――
「きゃ、きゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 と悲鳴を上げた。
 いっそ鼓膜破れればいいのに、と一機が嘆いたとか嘆かなかったとか。

 結局その騒ぎは、「何してんのこの変態」「いやお前が勝手に落ちてきたんだろ」と二人がもみくちゃになり、聞きつけた親衛隊の方々がこの機会に一機を始末しようと駆けつけ、「天誅」とグレタが剣を振り上げた時点でヘレナが止めに入ったためお流れとなった。正直、こいつらよくこんな情緒不安定で親衛隊なんぞやってられるな。しかもほとんど十代だし。
 まあ原因の一端はマリーにもあるとしてその場は収束。しかし二人の間に生じた微妙な空気は消せず、ライノス領首都カールに辿り着く三日間息苦しかった。
 とはいうものの、ほとんど特訓と鎧着ていてそれどころじゃなかったけど……と連日の特訓の名を借りた拷問で疲労の極みに達した一機が遠のきそうな意識で考えていると、
「ほら、寝てるんじゃないの。着いたよ、首都カール」
 マリーが鎧を被った俺を叩き起こす。勘弁してくれ……泣きそうになったが、兜を被っている身ではそれを示すことは不可能だった。
 しょうがないので誘われるまま、輸送車から顔を出して首都カールを拝む。そこにあったのは――
「……なんだありゃ」
 首都、だから都のはずだが、遠目から見ると城、というより戦闘要塞だった。
 都市全体を、数十メートルありそうな白い壁が覆っている。ところどころ小さな穴があるが、あれは大砲用の銃眼か? はて、こちらでは大砲や銃の類はあまり使われてないと聞いたが……ライノスでは使われているのか?
 つまりこれは、城壁都市というやつだろう。商業の都と聞いていたが、こういうのもやはりあるか。
 その城郭の中ひときわ目を引くのが、目測で十メートルから二十メートル近くある巨大な扉であった。一機の視点からすれば異常だが、十メートル近いMNが通常兵器ならばこれが当然だろう。
「あれが商業都市カールか……てっきりラスベガスみたいなの想像してたけど、やっぱああいうの必要なんだなあ。そりゃ、商業都市だから金もあるし、盗賊やら魔獣に襲われる可能性大だしな」
「ん、違うよ。カールは元々あれくらい強固な城郭都市だよ。もっとも、今の領主がだいぶ作り直したって聞くけど」
「え……?」
 すごい違和感のある話だ。ライノス領に関してはこの三日間で聞かされていた。シルヴィア王都から少し離れた僻地で、現領主ジャクソン・ライノスが統治する以前はただの貧乏な土地に過ぎなかったと。そんな場所に、あんな城塞を築く必要が、金があったのか。
 そう聞くと、マリーは声を低くして「耳貸して」と手招きした。一機も応じる。
「この首都カールって、昔から色々噂の絶えない場所だったんだって。『マヨイガの秘宝』とか、前に話した《アレ》とか」
「『マヨイガの秘宝』……?」
《アレ》、FMNの話は勿論覚えている。それを守るために城塞が必要というのはわからなくもないが、『マヨイガの秘宝』は初耳だ。
「なんでも、聞くところによると百年以上前、ライノス領でどこかから来た流れ者が見つけた財宝だって。そりゃもうすごい大金らしいよ?」
「ん……でもそんな財宝があったら、とっくの昔に発展してるだろ。財宝が『ある』じゃなくて、『見つけた』なんだから」
「それがおかしな話で、その財宝は「何億何兆の価値を持つが、まったくお金にならない」財宝なんだって」
「はあ……?」
 ついおかしな声を出してしまった。マリーもそんなこと言われてもと当惑気味。わけがわからないのはお互い様である。何億何兆の価値を持つのに金にならない? 意味がわからん。
「まあそれはともかく、そんな噂もあるくらい曰くつきだから、変な盗賊とかに目つけられやすかったんですって。だから必死になって城塞を作ったのが目に止まって、《アレ》の保管場所にされたとか。まあほとんど厄介払いだと思うけど」
「厄介払い? FMNが?」
「そ。だって《アレ》って、全然動かなかったらしいから」
「……動かない?」
 また困惑した。FMNは五十年前のグリード侵攻の際活躍したMNじゃなかったのか?
「なんでも、グリード侵攻が終結した途端、ピクリともしなくなったんだって。それで気味悪がられて、カールに放り出されたとか……」
「ははあ……」
 一応納得する。どうして動かなくなったかは無視するとして、それでこんな僻地にFMNが封印されているわけか。動かないんだったら変な気起こす奴もいないよな。
「てか、詳しいなお前」
「あはは、ほとんどヘレナ隊長とグレタ副長の会話から聞いたんだけどね……」
「そういえば、グレタは歴史好きとか言われてたっけ……でも、あれだけ強い信仰持ってるグレタが歴史好きってなんか違和感あるな」
 宗教と歴史は対立するもの、と印象がある一機にとって、あっちの世界の事情と比べて異様にしか感じられなかった。
「あ、それはね、ヘレナ隊長のお母様の趣味が歴史研究だったんだって。だから、二人はその影響を受けたとか」
「へ? ヘレナの母さんって……シルヴィア十七世?」
「当たり前じゃん。グレタ副長のお母さんは、シルヴィア十七世の側近なんだって。だからお互い子供の頃からの付き合いで……」
「それでか。一応の礼節は保っているようで二人とも歯に衣着せないのは」
 元々へレナ自身、あまりそういうことに拘らない人間のようだったので気にしていなかったが、それならあの仲が悪そうでいい関係も納得できる。昔なじみなんていないから解り辛いが、上司と部下に分かれて何かと面倒なのだろう。
「さてと、そろそろか……どんなとこなのか見てみたいな。街歩くのは許してくれるかな?」
「さあ? ヘレナ隊長は寛大だけど、副長はねえ……第一、あんた騎士として訓練中の身じゃん」
「……仰るとおりで」
 なんだか泣きたくなった。

「構わんぞ」
「え?」
 あっさりと許可したヘレナに、周囲が騒然となった。
「ヘ、ヘレナ様!? 本気ですか!?」
「まあ、本来なら特訓させたいところだが、私もライノス殿との会談があるからな。少しばかりなら許可しよう。但し、顔は隠していけ。今はまだ正式に隊員となったわけではないし、余計な騒ぎを起こしたくない。マリー、ついていってやれ」
「は、はい……」
 マリーも二つ返事でOKしてくれるとは思っていなかったので狐につままれた顔をしている。驚いてるのはこっちだって。
「ちょっ、ヘレナ様、勝手に決められては……!」
「いいから。ほら、さっさと行ってこい」
 グレタの反論を無視し、ほとんど追い出すように一機たちを首都へ向かわせた。

    ***

「……どういうつもりですか」
 憮然とした顔のグレタに対して、ヘレナはフッと意味深に笑う。その様子に、何か感じるものがあった。
「……何か、企んでらっしゃるんですか?」
「聞き捨てならんな。企むとは。少し、試したくなっただけだ」
「試す……?」
 意味がわからず聞き返す。ヘレナは身支度をしながらそれに応じた。
「あいつが予言の存在がどうか、まだわからない。しかし、本当に変える可能性を持つのならば、閉じ込めておくより動かしたほうがはっきりするだろう」
「あえて動かすことで、奴が本物か見極めると? しかし、それで本当に何かが起こったら……」
「そうだ。だからこそ早く見極めねばならない」
 礼服に着替え終わると、グレタの言葉を断ち切るように一言。
「シルヴィアを覆う現状くらい、お前も充分把握しているはずだ。これ以上、余計な不穏分子を溜めておくわけにはいかん」
 ぐっと二の句が告げなくなった。告げるわけがない。誰よりも現在のシルヴィアが許せないのはグレタ自身だから。
 本来は王都で女王陛下をお守りするのが親衛隊の存在意義。それだというのに、こんな遠方まで担ぎ出さねばならなくなったシルヴィアの体たらくは、堕落という言葉では片付かない。そのような不満を抱えているのは、皆も一緒だろう。
「とにかく、今はライノス殿と会わなければな。一機には、つかの間の休息を楽しませてやろう」
 ――何が見極めるだ。やはり全然信用していないじゃないか。
 そもそも監視する意味もあるにはあるはずだが、実のところアマデミアンとなった一機が哀れになって助けてやろうというのが本音に違いない。予言を嘘と確信してはいないものの、基本的に信じていない。
 ずいぶん変わったな、と感慨にふける。
 昔はこれほどではなかった。信仰深い、とまではいかなくても、それでもカルディナ神に対する信仰はきちんと持っていた。母であるシルヴィア十七世も信仰が薄い方だったのでその影響も受けていたろう。だが、これほどまで不信心になったのは、やはりあの事件のせいだ。
 四年前、私達が、いやシルヴィア王国が親衛隊を失った日。あの時、ヘレナ、様の中で神は死んだ。それを考えれば、信仰を捨てるのもわからなくはない。
 しかし、信用しなさ過ぎという思いもある。確かに予言の的中率は高いものではない。だが、それだからと切り捨てられるものでもない。どうも意固地になって否定している気がする。
 そういう自分も、どうしてここまであの男を嫌うのだか。よくわからない。ただの勘としか説明できない。
 一つだけ、言えるとすれば――あの時の、瞳くらいか。
 地面に縛られて生殺与奪権を握られている状況で、怯えながらなおも憎らしげにこちらを睨み付けていたあの瞳。自分自身で気付いてしていたのか? グレタは無性に寒気を覚えた。
 ――ヴァン・デル・ヴェッケン、的場一機。メガラを大きく歪ませる、あるいは変える可能性を持つ存在――
 それがただの戯言だと、笑えない不快な気持ちが体から離れない。だから、必要以上に荒れて接してしまうのかもしれないと、グレタは感じていた。

    ***

「すっげえ……商業の都って聞いたけど本当だな」
「はー……外とはえらい違い」
 まったくそのとおりだ、と横の一機も同意した。城壁に囲まれ戦闘要塞そのものであったが、その中は美しく活気に溢れた街。外見と中身の落差はキウイ並みに激しい。
 街並みは、やはり中世ヨーロッパの雰囲気を持つ石造りだ。ところどころアーチ状の橋やレンガの煙突があってヨーロッパへ観光旅行に来た気分になる。ヨーロッパどころか群雲市から出たこともロクにないが。
 街道には小さな店が溢れ、それ以上に人が溢れていて押し潰されそうになる。売り子の声なんてテレビを介してでないと聞いたことなかったが、ここまで大きいものだったか。活気に包まれたその場所は、商業都市の名に恥じないものであった。
「すっごいなあ……活気に負けちまいそうだよ」
「ちょっとちょっと、そんな気弱なことでどうすんのよ。せっかくの自由時間だってのに」
 それもそうだ。来たばかりだというのに。しかし、そう言っているマリーの顔も圧倒されたように一機には見えた。
「で……とりあえずどうすんの?」
 当たり前のようにマリーに聞いてみた。一機からしてみれば、カールどころかこの世界に来たのも四日前のことなので知るわけもないから、マリーが案内するものだと考えていたからこの質問は当然のものだったのだか、
「へ?」
 とマリーに目を丸くされてしまった。
「……おい、ちょっと待て。お前まさかノープランで来たんじゃないだろうな?」
「え、だってあたしここ来たの初めてだし……」
「俺なんかここの存在知ったのだって二日前だっての! こういうのはお前がエスコートすべきだろうが!」
「そんなこと言われても……」
 困ってるのはこっちだ、と一機がフード越しに眉根を寄せてため息をつく。正直暑い。あの後聞いたのだが、今メガラでは五月、四季だと春に値するらしい。そりゃ異世界だから季節が一致しているとは限らないが、いきなりの季節逆転に体がついていかない。ま、別の意味で既に体がついていってないが。
 とにかく、鎧を脱がせてもらっただけで僥倖と思おう。とにかく今はこの自由時間で何をするかだ。
「んー……とにかく、どこか店入るか?」
「え、どんな店かわかんないのに?」
「なんでもいいんだよ、こういうのは店の人にいいスポットないか聞くのがセオリーだろ……ゲームで得た知識だけど」
「何、ゲームって」
「……なんでもない。それなりに金は貰ってるんだろ、行くぞ」
 目に止まったカフェらしい店へ足を向けた。ついていくようにチョイチョイと右手で合図しながら数歩歩いたが、なにか気配を感じないため振り返ると、マリーはポカンとした様子で突っ立っていた。
「何してんの、来いって言ってるじゃん」
「いや……あんたこそ何してんの?」
「は……?」
 ……どうも、意思疎通に多大な食い違いがあるようだ、と理解するのに十数秒かかった。ついてこいと口で言うしかなかった。
 カフェは盛況だったが、なんとか二人分確保するスペースは存在した。木製の椅子はいまいち座り心地は良くなく、手製の代物だということが改めて実感された。
 カフェの店長らしきヒゲのオッサンは、二人だけの若い客、一人は顔を隠した男をさして怪しむ様子もなく応じた。商業都市となれば様々なタイプの客がやって来る。俺達ぐらいは別におかしい組み合わせではないのだろう。
 とりあえず紅茶をマリーが注文したのでそれに合わせる。紅茶は正直好みじゃないがだからと言ってココアと言うわけにもいかん。我慢するか。
「しかし、予想以上に綺麗だな……ゴミもそんな落ちてないし」
 中世ヨーロッパとほとんど同一に認識している一機にとってはちょっとしたカルチャーショックだった。なにせ近代に入るまでのヨーロッパの不潔さは有名だ。風呂に入る習慣も十九世紀までなかったと聞くし、糞尿は道端に捨てるのが常識。なんてことを三日前に話したら親衛隊が騒然となったのも今は懐かしい思い出だ。
 やっぱり、あっちの知識が抜け切っていない。離別する必要があるとはわかっているが、一度沁み込んだ常識を捨てるのはなかなか難しい。次第に慣れるしかないか。
「何一人でブツクサしてるの? ほら、紅茶」
「おっとっと」
 目の前に差し出された紅茶に口をつける。……苦い。渋い。やはり紅茶は好きになれないようだ。近くにあった砂糖壺から砂糖をドッサリ入れる。
「で、これからどうしようか」
「あん? どうするって……だから、それを決めるためにここに来たんじゃないか」
「そりゃそうだけどさあ、時間もないし、それに……」
「ぎゃははははははははは!」
 マリーの声が、突然響いた笑い声にかき消された。
 近くの席が騒ぎ出したのだ。どうも昼間から酔っているらしく数人の客は総じて顔が赤い。ゲラゲラ笑ってかなり耳障りだ。ここの自警団か何かか、全員女だが腰に剣を帯刀している。
「はっはっは、で、それ本当か? 今ここにあの親衛隊がいるって」
 ドキリ、とした。いや、別に親衛隊が来ているのは知られていておかしくない。なにせあの大行列だ。騒ぎにならない方がおかしい。
 ただ、なにか様子が変なような……
「ひゃはは、あいつらもご苦労なこった。こんなとこまで揃ってくるとはよ」
「当たり前だろう? 今シルヴィアにまともな騎士団なんかないんだから、名ばかりでも親衛隊に頼むしかないからな。けけけ、なにが栄光あるシルヴィア親衛隊だが。ガキばっかのお遊びだってのに……」
 カチャンと、カップを思わず鳴らしてしまった。少し零れて指先を濡らしたが、そんなこと気にしていられなかった。
 ――え、な、ど、どういうこと……?
 名ばかり、お遊び。どれもこれもハンマーで殴られたような衝撃を一機に与えたと共に、それでいて何かのピースがはまるような音がした。
 そうだ、最初から変じゃなかったか? 近衛隊に代わって王都を護衛するはずの親衛隊が、どうしてこんなところにいる? なんでみんな異様に若い? ヘレナは二十四だし、グレタだってせいぜい三十路前だろう。この世界の平均寿命なんか知らないが、いくらなんでも若すぎる。
「――まあ、そう言うなよ」
 中心人物らしい女が下品に笑う連中を止めた。が、そういう自分だって下卑た笑いをしている。
黒髪セミロングだが、クセ毛なのかかなりウェーブがかかっている。年は一機と同年代だろう、碧眼で綺麗な容姿をしているが下品に笑っている姿がそれを台無しにしていた。唯一ネックレスに、何故か猫の形をした愛らしい年相応のデザインをしたアクセサリがあった。
 テーブルにクレイモアに近い大型の剣が立て掛けられているが、まさかこのチビ女のものではあるまい。体格が違いすぎる。
 その女は、髪をかき上げるとクククと再び笑い出し、
「所詮、時代遅れのガタガタ国家の騎士なんてそんなもんだよ。体面だけ取り揃えれりゃそれでいい。それがこんなとこまで来るなんて、シルヴィアも終わりだな。ギャハハハハ!」
 耳障りな声がシャクに障るが、それよりも重要なことがある。何のことだ、とマリーを問い詰めたかったが、
「……っ」
 悔しさを滲ませて唇を噛んだ姿に言葉を失う。
 おい、なんだその顔。怒れよ、反論しろよ。シルヴィア最強の騎士団じゃなかったのかよ。最新鋭MNを配備された精鋭じゃなかったのかよ。投げかけたい台詞は山のようにあったのに、喉が枯れてしまったようになり一言も紡ぎ出せない。そうしている間にも、罵詈雑言はエスカレートしていく。
「もうシルヴィアなんてただの老いぼれババアよ。これからはこのライノスの時代だ。そうだ、あとであのヘレナ・マリュースの面でも拝みに行くか? 王家の血だからって親衛隊隊長になったすねかじり女をさ、あはは!」
「……ちょっと、待った」
 その言葉は、意図して出したものではなかった。
 ほぼ反射的に口にしていたと言っても過言ではない。ヘレナの名前と笑い声がした途端立ち上がっていた。マリーも向かいに座るマリーもギョッとした様子。
「あん……なんだお前」
 楽しい酒盛りに水を差した不審人物を、あからさまに睨みつけてくる。特に中心人物らしい女の目は、グレタが生ぬるく思えるほどの殺意に満ちていた。
「さっきの……どういう意味?」
 正直怖いのだが、口が勝手に喋る。きっと、今の自分を動かしているのは感情などより心の奥深くの部分なんだと感じた。
「ああ? さっきのって、なんだよ?」
「だから、親衛隊が名ばかりとか、シルヴィアがガタガタとか……」
 口にするのだけで虫酸が走る。顔に出たかもしれないが構いはしない。マリーの制止を振り切ってテーブルに近付く。
「ああん……誰だお前」
 ジロジロと値踏みされる視線はあまり気持ちの良いものではない。が、とにかくここで引くわけにはいかないので平然とした顔をしてみる。
「誰って……ちょっと田舎から来た旅人だよ」
 話の様子から、仮とはいえ自分が親衛隊の一員と知られるとまずいかなと判断した一機は、そういって言葉を濁す。
 すると、その女はまたゲラゲラ笑い出した。
「ひゃはははは、そうか田舎者か! それじゃ知らないのも無理ないよなあ。あのな、良く聞けよ」
 ぐいとグラスの酒を飲み干すと、その女はこう言った。
「親衛隊はな、四年前に馬鹿やって崩壊したんだよ。ガタガタになった国の尻拭いの果てにな」
「……なに?」
 自然とマリーの方へ目がいった。視線をあからさまに逸らしたその様子から、間違いないことを悟る。
「……どういうことだよ」
「お前、本当に知らないのか?」
 ぎゃはは、とまた周囲が笑い出した。普段ならこの嘲笑に怒りを露わにするところだが、今はそれどころじゃない。続きを促す。
「はっはっは、お前、名前なんてんだ?」
「……一機」
「あん?」
 変な顔をされた。そりゃメガラ人にしては変な名前だからな。しかし、今更ヴェックと名乗るわけにはいかない。
「ふうん……そうか。俺はここの自警団団長を勤めているエミーナってんだ。よく聞けカズキ。この国はな、もうとっくに滅びてるんだよ」


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