TRENTINO-Alto Adige ~南チロルの町たち~ 30
EMILIA-ROMAGNA ~エミリア・ロマーニア~ 161
La Costiera Amalfitana ~アマルフィ海岸 105
全161件 (161件中 1-50件目)
ダンテさんのお墓のある小さな路地を抜けてゆくと、大きな建物に囲まれた広場に出ます。ラヴェンナの旧市街には実はめずらしい、信号機 電線からぶら下がってるダケみたいな信号機は、なんとなく頼りなげに見えますが、十字路に4つも柱を立てるより、便利なのかもしれません・・・でも、慣れないとちょっと見にくいかも。。。そして、信号機よりもさらに気になったのが、 建物のカドで、あっち向いてホイ状態のこちらの方きっとこの建物の所有者に関係ある紋章かなにかなんでしょうが、信号機よりもついつい、こっちを見てしまうのは、私だけかしら。。。??
June 25, 2010
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ラヴェンナの大聖堂でしばしのんびりと過ごしたあとは、再び太陽が降り注ぐ外へ 聖堂の正面には松の木に囲まれた広場があって、中央にマリア様の像が立っていました 木立よりもはるかに高いところから、ラヴェンナの町を見守るマリア様。金色の王冠がこころなしか重たそうですネこの日も気温は40度近く。アドリア海からの風はカラッとしていてあまり暑さを感じません。青い空と松の葉の緑に縁取られた白いマリア像も、爽やかさを感じさせてくれました♪・・・・で、油断していたせいか、ノースリーブの肩が真っ赤に日焼けしてしまったのでした
June 24, 2010
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マリア様の礼拝堂、中に入ってみるとやっぱり、絢爛豪華天使が支えている厨子の中には、マリア様のイコンが入っているようですね周りをよく見てみると、天使がたくさん いったい何人いるのかと思ってカメラをズームしてみたけど、お約束の「顔だけ天使」たちがわっさわさ ・・・これがホントの「アタマ数」ってやつね~~
June 23, 2010
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荘厳な雰囲気のラヴェンナ大聖堂。 正面右奥に見える人がオルガン奏者さん。教会というところは基本的に、音響効果がイイみたいですね。イタリアではよく、教会を使ったコンサートも催されます♪椅子に座ってしばし、オルガンの音色に聞きほれたあとは、祭壇右手にある、マリア様の礼拝堂へ。 シンプルな正面の祭壇に比べると、そのきらびやかさに圧倒されちゃいます天井にはたくさんの天使や聖人たちに囲まれて、天へ上ってゆく聖母被昇天の美しい場面が描かれています。 礼拝堂の入り口から、被昇天のマリア様を見上げたところ門の上部にはマリア様の頭文字「M」が、12の星に囲まれて飾られてあります☆豪華で優雅なマリア様の礼拝堂。・・・文字通り、口をあけて見とれてしまったのであります
June 22, 2010
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ここは、ラヴェンナの大聖堂。白亜のファザードの向こうに見えている古い鐘楼は、やはりモザイクで有名なネオニアーニ洗礼堂です。数日前、動画でも紹介したのですが、聖堂の中ではオルガンの練習をしていて、荘厳な音色は教会の外にまで響いていました♪ 聖堂は三身廊になっていて、正面の祭壇と、左右に礼拝堂がならんでいます。ラヴェンナのほかの見所が、絢爛豪華なモザイクだったのに対し、ここはバロック様式の優雅な装飾。なんとなく、ほっと落ち着きます。 こちらは正面の祭壇。十字架につけられたジェズ様と、ろうそくの光に癒されます。ここへ来る前に、実はモザイク鑑賞で裏手のネオニアーニ洗礼堂を訪ねたのですが、豪華なモザイクと、例の(?)スッケスケジェズ様にコーフン気味でしたので、大聖堂の静謐な雰囲気がとても素敵に感じてしまったのでした(笑)
June 21, 2010
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前回に引き続き、ケータイ動画で失礼します。。こちらは、ラヴェンナの大聖堂~ラヴェンナは世界遺産の町だけあって、見所の教会とかでは音楽を流してるんだ~なんて思ってしまったのですが、こちらでは録音ではなくてオルガン奏者さんが熱心に練習をしているところでした。最後の方に出てくる豪華な天井画はマリア様の被昇天。荘厳なオルガンの音色にぴったりの、華やかな世界に思わずうっとりしちゃったのであります・・・昨日から仕事が忙しくなりました。仕事が終わって帰って来てから食事してお風呂に入って、少しだけパソコンいじってただけで4時ごろになってました(トホホ)仕事の時間帯が遅いので、普通にしてても寝るのが2時過ぎなんですが、さすがに4時になるともう、空が明るくなってくるので「こりゃいかんな~」と思ってしまった私ですその時間にイタリアの友達にSMSしたら、「アンタいったいドコにいるのよ!?」ってツッコミメールが返ってきました(笑)人並みな生活時間に戻りたい、最近のciao-chie.なのです
June 16, 2010
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せっかく新しいネットブック買ったのに、お仕事が忙しくてなかなかいじれないでいます。。。今日も、そんなワケでケータイに入っていた動画をアップしてみたいと思います♪こちらは、ラヴェンナのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会の入り口。つたの絡まるアーチをくぐって敷地内に入ったら、厳かな歌声が響いてきたのと、小鳥が飛び交い、花の香りが漂っていたのが印象的でした。教会の中の様子は、こちらの記事をご覧ください♪
June 15, 2010
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鉄道ボローニャ駅から歩いてすぐのところに構えるガリエラ門駅を降り立ち、町の中へと入るときに誰もが目にする、立派なボローニャの入り口です。こちらは、町の中から駅のほうに向いて撮った写真なのですが、こうしてみると「門」というよりはむしろ、教会のファザードのようにも見えますねアーチのすぐ上についているステンマ(紋章)には、法王サマのしるしである3重冠と、交差した「天国の鍵」がついているのがわかります。 この門が作られたのは1661年。時の法王、パパ・アレッサンドロ7世の紋章です面白かったのは、パパ様のステンマの両脇に並んでいる4つのステンマたち。パパ様はもちろん、3重の法王冠を戴いてるわけなんですけど、その両隣の2つの紋章は、なんだか麦わら帽子をかぶってるみたいに見えません??そしてさらにその外側、一番小さい2つの紋章にいたっては、帽子のないおじ様風の男性の頭部が。。。コレにはなにか、意味があるんでしょうか??気になりますねぇ~~ ・・・あのおじさんたち、帽子もないけど、髪の毛も・・・(以下自粛)なんて思いながら門をくぐって、駅側から振り返ってみました。アーチの上にはやっぱり、クロスした鍵に王様に家来が差し掛けるような傘がかぶっているという、なかなかえらそうな(!)紋章がついていました ちなみに、反対側からみたガリエラ門ってこんな感じ。(ボローニャ市のサイトから拝借)内側からみると教会のファザードみたいなデザインだったのに、外からみるとこんな風に、堅固なお城風にみえるようになっていたのですその昔、ボローニャの町が、門と城壁に守られていたころを想像してしまいますネ☆外から来る者には威圧感を与え、門の内側の人々には法王領としてパパ様の威光に守られているという安心感をあたえていたのかもしれません。 門のすぐ下には、小さいながらも堀を思わせる遺構がありました。町を守るのは要塞なのか、それとも法王サマなのか。 ちょっと面白いボローニャの入り口ですネ☆
April 25, 2010
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アルキジンナージオ宮を後に、再び広場へと向かう道すがら。ポルティコ(柱廊)を歩いていると、その風景の独特さに気づきます。照りつける日差しをさえぎるポルティコは光と影のコントラストをつくり、そのアーチの中に見える風景をくっきりと際立たせる、「額縁」の役目も果たしているみたい ふと見上げたときに、古い町の古い建物が、ポルティコのアーチに切り取られて、まるで絵葉書みたいに見えるんです。。。私だけ? ・・・ネプ様のお尻も、ポルティコの額縁で魅力倍増よ~
April 24, 2010
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中世から大戦後まで、歴史を物語るアルキジンナージオ宮。そろそろおいとまの時間です。ポルティコの下から見上げると、夏空にそびえる時計塔が、ちょうど見学してきたアルキジンナージオ宮でのタイムトリップを物語っているかのように見えました 出口近くの階段の踊り場に残されていたのは時代を感じる木彫りのステンマ(紋章)と、聖人サン・カルロ・ボッローメオの記念碑この学び舎が完成してからわずか13年後にイタリアはもちろんヨーロッパを恐怖に陥れたペストの流行(西暦1576年のペストをイタリアでは『サン・カルロのペスト』と呼んでいます)があったわけですが、きっとそのときの功績をたたえての記念碑だと思います。サン・カルロさんの像の周りにもたくさんのステンマが描かれていますが、なんとも豪華な紋章たちですまず、頭上にある大きな紋章は3重冠と天国の鍵のついた法王サマのしるし この紋章はクレメンス8世のものでしょうか。 そして、像の足元にあったのは木彫りの古い紋章たち。上段真ん中にある、3匹の蜂が描かれているのはフィレンツェの名門バルベリーニ家で、この家からは法王ウルバーノ8世が出ています。さらにその右にはシエナの名門ボルゲーゼ家の紋章もボルゲーゼ家からはこの時代、やはり法王パオロ5世が出ています。なんだかすごい面々のステンマに囲まれているサン・カルロ様。・・・ちょっと、肩がこりそうな気がしちゃうのは、私だけ。。。??
April 23, 2010
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見ごたえタップリなアルキジンナージオ宮で、衝撃的な写真を見てしまいました。戦争による爆撃を受けて崩壊したアルキジンナージオ宮。まさに、木っ端微塵とはこのことです もともと、回廊に囲まれた中庭とその周りに講堂があったということなんですけど、中庭は、倒壊した建物の瓦礫で埋め尽くされています。回廊部分にはかろうじて残っている学生たちのステンマ(紋章)が痛々しい姿を見せています。つまり、ずっと見学させてもらっていたところは戦後に修復したものだったのですネ~!でも、ステンマに覆われた回廊といい、テアトロ・アナトーミコといい、見事に復元されていて、この写真を見なければ、中世からずっと保存されているものと信じてしまいます。 さすが大学都市、きっと建物の資料や写真などがきちんと残っていたのでしょうね~。そして、こうして爆撃の被害に遭わなかった部分と照らし合わせての大仕事だったことでしょう。。!よ~く見ると、やっぱり中世に残されたステンマは、壁の地色が黄色くすすけているんですね。 そして、新しい方はナルホド、地色が真っ白だ~イタリア人は、「古いものを保存する」ことが大好きなんだ、とは何度も引用していますが、「ボローニャ紀行」の中で、イタリア女性図書館館長のアンナマリア・タリアヴィーニさんのお言葉☆日本がまだ戦国時代だったころ、ローマではすでに法王さまによって、「ローマの遺跡を保存しなければならぬ」と提唱されたのだそうですそうした考えはやがて、事前の許可がなくては遺跡を掘り返すことすらできないという勅令を生み、遺跡の発掘や修復に関しての知識や技術が進んでいったのだそうです。「古いものの前に立つと、歴史が、過去が、そして消えうせたはずの時間が、すべてのものが一瞬のうちに目の前へ立ち現れてきます。そのことによってだれもが、自分が現代に孤立して生きているわけではないという真理を直観するんですね。そして自分が過去と未来をつなぐ役目を背負っているという責任を自覚します。大事なことは、こういったことがすべて人間を勇気付けるということです。。。。」そういえば、私たちにも「温故知新」という言葉があります。なんでも新しいものはものすごいスピードで広まり、浸透していきますが、時代を超えても残るものにはやはり、惹きつけられてしまう。今あるものの中で、いったい何が、100年後、200年後までそのままの姿を留めていることができるのか、そしてそれは人間を勇気付けるものなのか。。。、なんて、ちょっと考えさせられてしまいますネ私たちは未来を造るとともに、歴史を造っているのだということをこうして教えてくれるイタリアに、ますます惹かれてしまうのであります。。。。
April 22, 2010
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さて、アルキジンナージオ宮のもうひとつの見どころはこちら、テアトロ・アナトーミコと呼ばれる「解剖学教室」ですここについても、「ボローニャ紀行」では詳しく触れていて、実際に見たときにはわからなかったことがたくさんありました☆大学の施設として「解剖学教室」が設けられたのはやはりここ、ボローニャからだと言われています。教室内はすべて木造で、中央にある大理石の台の白さがかえって目立ちますネ。正面の立派な席には教授が座り、解剖の指揮をとり、3-5人の助手たちが実際に人体の解剖を行ったのだとか。 これは解剖室の天井。キレイな彫刻だなぁ。。くらいにしか思っていなかったのですが、この彫刻は中央に人類に医学を教えたとされるアポロンの像があり、その周りには星座を表す像が並べられているのだそうです。。ナルホド、右上はきっと、ふたご座だわね この解剖室が出来たのは17世紀初頭。当時ボローニャ大学の医学部には女性教授が4人いたんだそうですよ~。市民であれば男女を問わず、また学生でなくとも見学する権利があったというのですから、「独立自治都市」ボローニャの進んだ考え方には驚かされてしまいますネ。 もっと早く読みたかった「ボローニャ紀行」 旅の後で読むと、また行きたくなってしまいます。。。もちろん、思い出も倍増すること間違いなしですけどネ♪
April 21, 2010
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「青空教室」だったボローニャ大学に、総本部として建物が作られたのは16世紀に入ってから。ここは、その最初の総本部が置かれていたという、アルキジンナージオ宮殿です。法王様の勅令によって造られたという建物は、現在では市立図書館になっていて、市民はもちろん、観光客でも見学できるようになっています。 ここの見所は、中世の学生たちが残していったとされる、夥しい数のステンマ(紋章)戦争で建物の一部は崩壊してしまったらしいのですが、こうして残されているステンマだけでも、相当な数に上ります。廊下の壁はもちろん、階段、そして天井にいたるまで、紋章がびっしりと貼り付けられているので、それだけでもすごく見ごたえがあります。 建物の2階部分は、一部が市立図書館、そしてかつて解剖学の講義が行われていたという教室が公開されています。この廊下の突き当りが図書館です。 廊下にも、ガラスケースの中にボローニャの歴史を語る文献や資料が並べられていて、見ごたえ十分☆かつてこの地で学んでいた学生たちの息吹を感じるステンマ(紋章)たちに見下ろされていると、なんだかちょっと、緊張しちゃうかもアルキジンナージオのステンマについて、もっと見たい方は、こちらからドウゾ♪⇒アルキジンナージオ宮⇒ 紋章だらけ!
April 20, 2010
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一日中歩き回って、ようやく日が暮れて。再びマッジョーレ広場に戻ってきました。 薄暗くなり始めた広場には、地元ボロネーゼたちがどこからともなく集まってきていました。昼間の暑さはいつのまにか、カラっとした夕風が追い払ってくれていて、涼しくてとっても気持ちいい 照りつける日差しの下とはまた一味ちがう、ちょっとロマンティックなボローニャの顔なのです。。。。
April 19, 2010
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さて、広々としたサン・ドメニコ教会の広場には、聖人のほかにもうひとつ、背の高い柱の上に立つ像があります。 その、もうひとつの像というのがこちら、聖母子像ですよ~く見ると、ひび割れてたりして、痛々しい像なのですけど、やっぱりマリア様の像は見るだけでどこか安らぎますマリア様の絵や彫刻を見ると、象徴としていつも、ブルーの服やマントを纏っているんですよね。私はいつも、空を見るとこのマリア様のマントを思い出し、そのマントに包まれているような、なんともいえない幸福な気持ちになります ・・・でも今は、お腹がすいてきたので、教会の建物さえ、ケーキに見えてしまいます~~~
April 19, 2010
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モーツァルトやミケランジェロの足跡が残る、サン・ドメニコ教会ミケランジェロの作品は彼が19歳の時(1494年)のもので、神童モーツァルトが当時のボローニャ音楽院(現マルティーニ音楽院)の入学試験を受けにやってきたときに、ここで自作の曲を演奏したのが1770年10月。モーツァルト14歳の秋のことだったそうです。数百年のずれはありますが、いずれも偉大な芸術家が、二人とも10代の若さでこの教会に足跡を残していたのですネ教会の外には広場があり、この広場から教会全体を見てみると、正面からは見えなかった建物の大きさがよくわかります。右側の、ブルーのとんがり屋根の建物は、一見東屋風に見えますが、実はお墓ボローニャ大学初期のころの教授たちの遺体が、今でもこの石棺の中で眠っているのだそうです。ここからは再び、井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」の一節を拝借。「そのころの大学には、まだ大きな教室がなかった。そこで教授たちは大勢の学生たちを引き連れて、町の中を歩きながら講義をしていました。ですから町の人たちも講義を聴くことができたわけですね。つまりこの石棺は、真理はみんなのものであって、大学の構内にだけ留まるものではないということの象徴でしょうか。」ふ~む、なるほど!世界最古の大学は、言ってみれば「青空教室」だったのですね 当時の学生たちは町を歩きながら論じ合い、五感のすべてを使って学んでいたということなのでしょうか。また、中世のボローニャでは、教授と学生の関係は授業料を払う学生のほうが高い地位にあるとされていたのだそうです。(・・・当時の学生たちのほとんどが貴族や富裕層の子女であったということを考えれば納得ですけど)石棺のそばの石碑にはこう刻まれています。「われわれ法学生はここに自治団体としての学生組合を結成する。そして、学生組合が招いた教師たちに、われわれは次のことを要求する。学生の許可なしに講義を休んではならない。教師は始鈴とともに講義をはじめ、終鈴とともに退出しなければならない。ただし難問を説明しないうちは、その退出を禁止する。講義を飛ばしてはならない。その学問について一から十まで丁寧に講義すべきである。これらの要求が満たされないときは、われわれは教師に対する報酬を支払わない。」・・・学生と教授の、真剣勝負が目に浮かんでくるようですネ~。こうした学びの姿勢があったからこそ、名だたる有名人たちがここから生まれていったのかもしれません。・・・・・自分が学生だったころを思うとなんだか、申し訳なくなってしまいます 石棺の前から広場を見渡したところ。炎天下の広場には誰もおらず、ただぽつんと、聖人の像がたたずんでいました。数百年前のこの場所で、熱い論議がぶつかり合い、ミケランジェロが鑿をふるい、モーツァルトは曲を奏でたのですネ。な~んか、ロマンを感じますなぁ~
April 18, 2010
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ボローニャの中心から少し歩いたところにある、サン・ドメニコ教会。スペイン出身の聖人サマ、サン・ドメニコが眠るところであり、世界中に広がるドメニコ修道会の総本山ともいうべき場所なんだそうです。「総本山」にしては、意外と地味な教会なんですけど、井上ひさしさんの著書「ボローニャ紀行」によると、聖人の遺骨はもちろんのこと、歴史上あまりにも有名な二人の芸術家の足跡が残っているのだとか 「ボローニャ紀行」によると、聖人サン・ドメニコの遺体が納められている墓碑の飾りは、若き日のミケランジェロの作品なのだそうです。また、主祭壇の後ろ、聖歌隊席にあるというオルガンは、モーツァルトが自作の「主よ、憐れみたまえ(ミ・ゼレレ)」を弾いたという由緒あるものだとか・・・ ・・・ところがねぇ~、そんなスゴイところだったなんて、全然知らなかったんですよね、私。。。炎天下のボローニャを歩いていて、暑さしのぎに駆け込んだような感じだったので、本当にサラ~っとしか見てないの数日前、本を読んでいて、そういえば写真があったはず!と改めて探して見たんですけど、オルガンに関しては、いくつか写っていたのですが、ドレがその由緒あるオルガンなのか、まったく見当もつかず。。。聖歌隊席のオルガンということだったので、おそらくこの写真左上のパイプオルガンがそうなのではないかと思うのですが。。。。 そうかと思うと、こちらの礼拝堂は天井画も立派だし、オルガンは両側についているこっちのオルガンも捨てがたいわ~。 それに、肝心のサン・ドメニコさんはいったいどちらにいらっしゃるの。。。??ああ、ここまで行っておきながら何も気づかずに出てきてしまっていたのですね(恥)再びボローニャへ行かなくては、このままでは気になって夜も眠れませんどなたか、ご存知の方、いらっしゃらないでしょうか~~~??
April 16, 2010
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ボローニャの風景に欠かせない、ポルティコと呼ばれる柱廊。雨風をしのげて便利だから、と安直に考えていたのですが、最近その由来を知ってなるほど、と納得してしまいました。この柱廊は、学生の町ボローニャならではの住宅事情が生んだものだ、という由来です。世界最古の大学都市であり自治国家でもあったボローニャへはヨーロッパ中から学生たちが集まってきたので、そうした学生たちの住居を提供する側のボローニャの人々が考えたのが、2階から上の増築。 しかも、もともとの敷地面積よりも道路側に建物をせり出し、道路には木の柱を立ててその建て増し部分を支えるようにしたのが始まりだったんだそうです。実際にこういう造りにしてみたら、歩道を歩く人も雨や風がしのげるし、職人さんたちなどは暗い家の中で仕事をするよりは風通しがよくて明るいポルティコの下で、世間話に花を咲かせながら仕事に精を出すことが出来る、と市民たちからも大好評せっかくだから市の条例にして、木の柱は頑丈な石の柱になり、高さも馬が通れるように一律2メートル66センチ以上、という決まりまでできたのだそうです☆ なるほど、そういわれてみると、ボローニャ大学周辺のポルティコは特に、すぐ上が居住スペースになっているみたい生活の知恵が、見事に町のシンボルとして美観を形成しているというところ、見習いたいものですネ~
April 14, 2010
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さて、サント・ステーファノ大通りを通り抜けて、ようやくボローニャの中心に戻ってきました。この、二つ並んだ塔を見上げると、なんだかホッとするようになってきますね、ボローニャ。ボローニャのシンボル的な存在のこの二つの塔の下は、実は7本もの道路が交差する、いわゆる七差路になっています 七差路とはいえ、昔ながらの街並みを作るそれぞれの道は決して大きな道路ではありません。写真の右手に伸びる道が、かなり広いのですが、それでもその広い道路に流れ込むのは6つの流れ。。 しかもこれ、1点集中型ではなく、合流する道路がそれぞれ少しずつずれているので、どうしてもゆるゆると進んではとまり、進んでは止まる、という流れになってしまうのです。時間帯によっては、かなり渋滞しそうですネ ・・・信号だって、どれを見たらいいのかわかんなくなっちゃいます
April 13, 2010
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サント・ステーファノ門から、サント・ステファノ大通りを道なりにまっすぐ歩くこと十数分。。。エレガンテな広場に出てきましたサント・ステーファノ広場です。歴史ある古都ボローニャの中にあって、ルネサンス時代の宮殿や家々がたちならぶ、町一番のエレガンテなストリートといわれているこのあたり。なるほど、このまま歴史ドラマの撮影ができそうですネ☆丸石を敷き詰めた広場をはさんで、向こう側に見えている建物は、15世紀に建てられたという、イゾラーニ邸。ポルティコの上の飾り窓が素敵です☆ちょっとのぞいて見たら、中庭に続く扉が開いていました 小さな中庭には、テーブルや椅子がならんでいました。・・・アペリティーヴォの時間帯に、もう一度覗いて見たいですネ☆
April 12, 2010
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公園でリフレッシュした後、再び道路に出てみると、道路の反対側に大きな教会のクーポラが見えました。・・・この教会も気になってしまいますが、教会の手前にず~っと続いているのはもしかして、中世ボローニャの城壁?ボローニャは教皇を支持する政党(グエルフィ)の町だから、壁の形も、上部が凹凸になっていますさっきの公園といい、この城壁といい、適当に歩いてこなかったら出会えなかったかも。。 壁に沿って歩いて行くと、サークル状の交差点の真ん中に、これまた古い城門が残っていました。サント・ステーファノ門です。この門から城壁の内側に入れば、サント・ステファノ教会群まではまっすぐ一本道☆帰り道が見つかってほっと一安心チェントロにつくまで、寄り道しないで歩かないとネ☆
April 11, 2010
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ポルティコの下をさまよい歩いていたら案の定、迷子になりましたボローニャの町は、イタリアの他の都市と同様、中心部から同心円状に広がっていて、時代ごとに町をとりかこむ城壁が外側に拡張していった様子をうかがうことができます。歩いていたら突然、頭上のポルティコがなくなって、幹線道路みたいな広い道路に出てしまって、「しまった、郊外に来てしまった」と気づいたわけでありますもときた道を戻るのも癪に障る(?)ので、昔の城壁にそって設けられた環状道路を歩いて、違う道で引き返すことにしました。ちょうど道路に沿って広々とした公園があったので、そこを通り抜けてゆくことにしました。 この公園、噴水のある池なんかもあったりして、すっごくキレイこんなところがあるって知っていたら、途中でパニーノとか買ってくればよかった 芝生の上では、幸せなカップルが結婚式の記念撮影いい写真が撮れそうですね~迷子になってあせって歩いていたんだけど、いつの間にかのんびりした気分になりました♪ そういえば、時計も、カレンダーも見る必要ないんだって気づいたんだもん♪木漏れ日見上げて深呼吸よ~
April 10, 2010
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サン・ジャコモ・マッジョーレ教会から、エミリア街道沿いに東へ進むと、今度はポルティコに囲まれた広場が姿をあらわしましたサンタ・マリア・ディ・セルヴィ教会です。・・・こちらも、お昼休み時間で、教会の中はみることができずイタリア人は、お昼休みに教会に行くっていうことはしないんでしょうか。。。しかたないので、外から観察。 サン・ジャコモ教会で、「ポルティコ越し」に建物を見上げる楽しみを知ってしまったので、こちらでも♪こちらはまた、お菓子の家かお城のような、とんがり屋根がかわいい建物だったのですね~☆せっかく細部までこだわって作った建物も、ポルティコにさえぎられてなかなか見えないというのはちょっと皮肉な話ですネ。・・・あ、でもボローニャといえば塔の町。下から見えないものは、上から見ることができるのかもしれませんね 裏庭の、ちょっとわびさびな感じもイケてると思いません??
April 7, 2010
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久しぶりにイタリアの写真を。ブログをお休みする直前まで、ボローニャ散策をしていたんでしたっけ。・・・そうそう、ここはサン・ジャコモ・マッジョーレ教会。あのモーツァルトが学んだというマルティーニ音楽院が併設されています。残念ながら教会の中には入れなかったんですが、道路に沿ったポルティコ(柱廊)が美しかったので、そちらの写真を撮ってきました ポルティコ越しに見上げるサン・ジャコモ・マッジョーレ教会。こうしてみると、かなり奥行きのある大きな教会であることがわかりますネ☆ポルティコの整然と並ぶアーチと、その上に見える教会の塔やドームの、動きのあるシルエットが対照的です。 ポルティコには、中を歩いているとわからないような装飾が。ボローニャの代名詞ともいうべき赤い色と、繊細な彫刻で飾られたポルティコ。車道を通る車からの目線まで意識してたのかしらね。。
April 6, 2010
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さて、再びボローニャの町歩き♪古い町並みを眺めながらポルティコ(柱廊)の中をさまよい歩いていたら、こんな雰囲気のある教会にたどり着きました♪サン・ジャコモ・マッジョーレ教会です。レンガを積み上げた質素なファザードですがこちらも奥行きのある、大きな教会です。中を見たかったんだけど、ちょうどお昼時で扉はしまってましたなんだか印象的だなって思って、あとで帰国してから調べたらなんと、この教会には世界の音楽家たちがあこがれていたという、「ボローニャ音楽協会」が隣接されていたんです!西暦1770年10月9日、あのモーツァルトがこの音楽協会の入会試験を受けに来たんですって当時、音楽協会へ入会するためには年齢制限があり、20歳以上でなければならないという決まりがあったんだそうですが、当時14歳の少年は1時間足らずで作曲や演奏をこなし、審査員全員一致で合格その後の音楽キャリアに多大な影響をもたらしたのが、このボローニャの音楽院での滞在だったということです。・・・・うわ~、そんなことぜんぜん知らなかった今でも、教会の隣にはかつての音楽協会が、「マルティーニ音楽院」という名前で現存していますロッシーニやドニゼッティらも学び、教えたことでも知られていて、たくさんの肖像画の中にはモーツァルトの姿も見ることができるのだそうです。上の写真、教会の右側に赤い建物が見えてますが、どうやらアレが音楽院らしいんですよね~。。偶然にもなにか、その辺を撮った写真がないかと探してみましたが、 なぜかバイクが並ぶ駐車場くらしか出てこなかったのよね~~~~ま、こんなこともありますよね(苦笑)
March 17, 2010
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ブランドショップの立ち並ぶポルティコを抜けて歩いてゆくと、レンガ造りの大きな建物が現れます延々と続くように見えるこの大きな建物、まるで「赤レンガ倉庫街」みたい でもホントはココボローニャの中心にあるサン・ペトローニオ大聖堂でした大聖堂の横を歩いていたというワケなんですね~。ファザードも印象的ですが、あんなに奥行きがあったんだ!って、改めてビックリしてしまいます正面のファザードは下半分が色大理石でお化粧済みですが、上半分はロマネスク様式の石積みの「素顔」のまま。 ばら色の大理石も華やかだけど、質素な石積みの、どこか厳しい表情の上半分のほうに、より魅力を感じてしまうのは、私だけでしょうか・・・??
March 15, 2010
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ボローニャの中心、マッジョーレ広場から少し離れたところで、こんな「ボローニャ色」のお屋敷に出会いました。1階部分はテナントになっていて、フルラとか、アルマーニなど、ブランドショップが軒を連ねている、ちょっと高級なゾーンになっていますボローニャを象徴する赤褐色の建物はやっぱり、インパクトがありますネ。ちょうど通りかかった路線バスも赤・・・偶然? ちょうどバーゲンシーズンだったので、ウィンドウショッピングをしようかと思ってポルティコの下に入ったら、内側のフレスコ画があんまり綺麗だったので思わずぼ~っと、立ち尽くしちゃった 美術館とか、博物館とかじゃなくって、ホントに普通の「歩道」なんですよ~~。このポルティコの下を歩くだけでもう、セレブ気分よね・・・すっかり満足したので、ムダ遣い(?)しないで済みました~~
March 14, 2010
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ひきつづき、ボローニャのポルティコ探検~☆こちらはまた、どっしりとした構えの建物ですネ。 大きな銀行さんだったと思います。 天井や壁の彫刻もスゴイけど、この大きな窓には思わず目を見張っちゃいますコレだけ大きな窓があると、建物のなかも相当明るくってよさそうだけど、やっぱり気になるのが防犯対策。せっかくの大きな窓だけど、頑丈な鉄格子をはめるのは仕方ないかもしれないですね~。 でも、たとえ防犯対策だったとしても、エレガンテな装飾は忘れませんこれもまた、社会の知恵ってやつなんでしょうね・・・さて!いよいよ今年もF1グランプリが開幕しました! 今年の開幕戦はバーレーン。予選では我等がフェッラーリチームがポールポジションは逃したものの、2番手、3番手のグリッドを獲得!そして、2006年以来、いよいよピスタに帰ってきたミハエル・シューマッハも予選7番手グリッドからスタートと、なんだかワクワクしてしまいます♪ 明日の決勝が楽しみですね~~
March 13, 2010
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ボローニャといえばポルティコ、ポルティコといえばボローニャ、というくらい、町の歩道の大半を占めているのがこうしたポルティコ(柱廊)です。夏は照りつける強い日差しから、また真冬には冷たい風や雪から歩行者たちを守ってくれるポルティコですが、慣れないと自分がいまドコを歩いているのかわかりにくかったりもします。でも、歩き回ってみると一口にポルティコ、といってもいろんなデザインがあって、なかなか面白かったりします。 ボローニャのポルティコのスゴイところは、こうして延々とつながってるところこのあたりはボローニャ大学の近くで、大学の建物なども多いからか、こうしたシンプルな柱廊が多いのですが、もっとチェントロに近くなると、貴族のお屋敷やお役所が立ち並ぶようになってきて、そういうところだと、ポルティコにも華やかな装飾が見られたりします。こういう飾り気のないポルティコもいいな、なんて思ってみていたのですがふと、右側の黒い扉が半分開いているのに気づき、中がどうなってるのかちょっぴり気になってしまいました いかにも「年代物」っぽい黒い扉の奥には繊細な模様の鉄門と、その奥は中庭になっているみたいお屋敷に入っても、やっぱりポルティコは欠かせないみたいですネ☆
March 12, 2010
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ボローニャの中心、マッジョーレ広場は町を東西に貫く目抜き通りに面しています。この写真は先ほど行ってきたアクルシオ宮殿の窓から、目抜き通りを撮ったもの。最初、ガラス戸越しに写真を撮っていたら、学芸員さんみたいな感じで部屋の隅に座っていたスィニョーラがツカツカと近づいてきたので、なんだろう、怒られちゃうのかしら??なんてビクビクしてたら、スィニョーラはおもむろに窓を開けて、「この方が写真撮りやすいでしょ」って。ホント、親切ですね~♪おかげさまでいい写真が撮れました写真の奥のほうに写っている、ひときわ高い塔が、ボローニャのシンボルでもあるアシネッリの塔。地上93メートルの塔からはボローニャはもちろん、エミリア・ロマーニャの絶景を楽しむことができます☆そして、塔から手前にずっと伸びている石畳の大通りが市内を貫くロマン街道、「エミリア街道」なのであります☆ 宮殿を出てから、もう一度エミリア街道に出て撮ったのがこちらの写真。右手に見えるお城みたいな建物は、エンツォ王の館。エミリア街道は、奥に見えるアシネッリの塔の右下を回り込むようにして、イタリアの東海岸、リミニへと続いています。街道をあの塔の上から眺めるのは本当にロマンを感じる、すばらしい景色です♪ 同じ場所から、西側を向いてみました。左側には先ほど訪れたアクルシオ宮殿の立派な壁が続いています塔の上から眺めるエミリア街道も圧巻だけど、こうして自分の背の高さで見つめる街道というのもまた、違ったロマンを感じます♪ボローニャの古い町並みだからこそ、なのかもしれませんネ☆
March 9, 2010
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豪華なアクルシオ宮殿の見学もそろそろおしまい。出口の近くには現在もコンベンションなどが開催される広間があって、こちらも公開されてました。・・・高い天井と、歴史を感じるフレスコ画に囲まれての会議って、なんだか緊張しちゃいそうですけど、イタリアの人ってこういうのに慣れてるんでしょうね。以前ミラノでも、ヴィスコンティ家のお屋敷で行われたコンベンションに潜入(!)したことがありますが、逆に、こういう使い方をしないと、お屋敷のほうでも維持が大変なんじゃないかと思ってしまいます。。 こちらが、宮殿に続いていた階段。上から見ると結構急勾配に見えますけど、実際はわりと緩やかな坂に滑り止めを埋め込んだ感じです。以前にも書きましたが、コレが、その昔馬や馬車でそのまま乗り込んだ、といわれている階段なんですね馬はともかく、馬車だと滑り止めの段々がかなりヒビイちゃったんじゃないかと心配になりますが。。それに、実際に歩いている方の立場としては、上るときはいいけど、降りるときは坂の部分が滑りやすくてちょっとコワかったです。 階段を降りきったところには、お米がたくさん散らばっていて、ハトがたくさん来てついばんでいました。現役市庁舎でもある、アクルシオ宮殿。この日は日曜日だったから、午前中に結婚式があったのかもしれませんネ Un caro otto Marzo... ciao-chie.
March 8, 2010
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さて、デミゴッド診断が終わったところでお次はこちら、アポロンの間でございます絢爛豪華なアクルシオ宮殿の一番奥まったところにあるお部屋なのですが、壁から天井にかけて、びっしりと緑あふれる楽園が描かれています 緑の中の東屋風な天井画には、ゴキゲンで戯れるかわいらしい天使たちがいて、いたるところに描かれている泉からは今にも水の音が聞こえてきそうボローニャの町のド真ん中ですから、窓の外には建物がびっしりと立ち並び、道行く車の喧騒が絶えないところですが、ここだけは静かでなんとも癒される空間になってました。そしてもちろん、お部屋の中央にいるのが、 ギリシャ神話の、神々の中でも最も美しいといわれたアポロン様~ゼウスの子供であり、太陽神でもあるアポロンは、お父さんとは反対に、あんまり女性に縁がないタイプ 愛する妻がほかの男性と談笑していたと、嘘つきカラスに告げ口されて、怒りのあまり弓で射殺 そうかと思えばキューピッドのいたずらでダフネに一目ぼれしちゃったアポロン様。猛アタックしたのはいいけれど、ダフネはアポロンのストーカーぶりにすっかりおびえて月桂樹になっちゃったりと、美男の割にはツイていない神様なんですね~。太陽神アポロンは芸術の神、そして弓と竪琴の名手、人間に初めて医学を教えたとして「真理の神」とも言われていますが、恋愛面では意外と不器用だったりするところが逆に、われわれ人間にとっては魅力だったりするのかもしれませんネ♪
March 7, 2010
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ボローニャの中心、マッジョーレ広場に面した市庁舎の最上階、アクルシオ宮殿の窓から見た、サン・ペトローニオ大聖堂質素なレンガ積みのファザードは下3分の1ほどが色大理石で飾られているという、いわば未完の建造物。壮大な大聖堂になるはずだったサン・ペトローニオ聖堂は、バチカンのサン・ピエトロに影を落としてはならないという法王庁からの牽制によって、工事が途中で終わった形でいまに伝わっています。この大聖堂では1530年に法王クレメンス7世によって、神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世の戴冠式がとりおこなわれたのですが、その戴冠式にあたって、皇帝の身を守るために、このアクルシオ宮殿の窓から、大聖堂の中央をむすぶ通路がかけられたんだそうです ・・・ちなみにこちらが、ボローニャで一番高いアシネッリの塔から見た、マッジョーレ広場。向かって左側にサン・ペトローニオ大聖堂、正面に時計塔がある建物が現市庁舎であるアクルシオ宮殿です。「通路を架ける」ってカンタンにいうけど、結構距離もありますよねここから宮殿の時計塔を見たところでもうひとつ、ボローニャの太っ腹なエピソードを。中世のころから「自由都市」と呼ばれたボローニャですが、その昔皇帝派との戦いに勝利したことを記念するお祭りの日には、あの時計塔の下のバルコニーから、広場に集まった市民に金貨や食料を投げ与えるというイベントがあったんですってその時代だったら絶対に、お祭りに参加したいものですよね♪ ・・・で、件の「通路」なんですが、もしかしたら、こんな感じで架け橋みたいなのが作られていたのかもしれないです。。皇帝の戴冠式ですからきっと、1日限りとはいえ、立派な橋だったんじゃないかと思うんですけど、今はただ、想像するしかないですね見てみたかったわ~~☆
March 5, 2010
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再びボローニャの市庁舎から。ここのコレクションはレースや刺繍といった手工芸品から絵画、彫刻にいたるまで、膨大な量を誇りますが、こういうのを無料で展示してくれているところがスゴイですよね。 こちらは彫刻作品のお部屋スポットの当て方がすばらしくって思わずうなってしまいます彫刻も素敵だけど、お部屋の天井画も捨てがたい! だまし絵みたいになっていて、すっごく奥行きを感じます☆お部屋の片隅には、市庁舎が面しているマッジョーレ広場にあるボローニャのシンボル、「ネプチューンの噴水」のミニチュアのブロンズ像がありました。 あの噴水をそのまま小さくしたブロンズ像は、細かいところまでじっくりと観察できるのが魅力☆ 壁に映ったネプチューンの三叉の矛がなんともリアルですね♪お部屋にひとつ、飾っておきたく・・・なりません??(本物のネプチューンの噴水は、写真をクリックするとごらんになれます☆大迫力よん)
March 4, 2010
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ボローニャのアンティークレースで作られた、赤ちゃんの洗礼用の衣装素材はコットンとサテンで出来ていますこの小さな服だけでもこんなに愛らしいのに、さらにゴージャスなレースと刺繍の数々。。! このボンネットっていうのかしら、小さな帽子のかわいらしいこと!!サテンのおリボンがくるくるって飾ってあるところがまた、ニクイ 圧巻は、赤ちゃんの「おくるみ」フリフリのキラキラよ~~こんなお支度をしてもらう赤ちゃん。。。きっとお金持ちね うっとりしながら見とれてしまいましたが、ふと日本の「お宮参り」を思い出しました。お宮参りの衣装も、豪華ですもんね そう思ったら、ニッポンも負けてないゾ!と、ちょっと嬉しくなっちゃったんですよね~(笑)
March 2, 2010
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ボローニャ市庁舎の美術コレクションは、絵画や彫刻はもちろん、歴代の王やローマ法王さまも滞在したという建物や調度類、さらには伝統工芸品にいたるまで、膨大な量を誇っています。1つひとつの部屋の天井画や、さりげなく掛けられた小さな絵など、時間のたつのも忘れてしまうほどです そんなコレクションの中でも素晴らしいのが、こうした手編みのアンティークレースたちとても細かい仕事ですけど、その編み方の多様性と、作品の美しさには思わずため息が出てしまいます 房のついた胸飾りや襟、袖の飾りといった小さなものからテーブルクロスのようなものまで、見れば見るほど、その繊細な仕事ぶりに驚かされてしまいます。何でもコンピューター化で、小さなものでも大きなものでも、作ろうと思えば同じものがいくつでも作れてしまう世の中ですけど、何世紀も前に、1つ1つ、手で編み上げていった、色の変わってしまったこの小さな作品たちを見ていると、時間を掛けて、思いをこめて作り上げるものにはやっぱり、何か訴えてくるものがあるな、としみじみ感じてしまいます。。真ん中の、孔雀の形をしたレース飾りなんて、スゴイでしょ?? 足のつめまでリアルなんだもん~~~!!
March 1, 2010
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さて、市庁舎の中にあるアクルシオ宮へは、階段を上って3階へいくことになります。面白いのは、この通路が広くて長いこと。階段をまっすぐ上って、まずこの広間のような廊下に出ると、廊下を突っ切って突き当たりを左に曲がって、もう一度階段を上る。これはその昔、宮殿に馬や馬車でやってきたおエライさんたちが、馬車や馬に乗ったまま、2階まで上がることができるようにするためなんですってひゃ~、そうするとこの廊下も昔は、馬車や馬で埋め尽くされてたのかも 廊下に飾ってあった大きな絵。・・・偉い人が勉強中?背景は遠く左上に塔の立ち並ぶ町並みが見えるから、きっとアレはボローニャね。町の手前に十字軍の旗をひらめかせた軍勢がいるから、この人はきっと王様とか、軍隊の大将とか??最初は居眠りしてるのかと思ったんだけど。。。 よ~く見たら、超真剣書類の山に囲まれて、眉間にシワをよせて書面とにらめっこしてる。。。計算?作文?それとも、ラブレターかしら・・
February 28, 2010
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ボローニャの市庁舎は観光客にも公開されていて、法王様も滞在したという優美なお屋敷を見学することができます♪見学できるパラッツォへと向かう途中、裏手の駐車場を見下ろしてみました。ボローニャをあらわす言葉はたくさんありますが、中でも「学」、「食」、と並んで有名なのが「赤」。赤い都と呼ばれるゆえんはこの、屋根や壁の燃えるような色合いから。アスファルトで舗装された駐車場も、こんな真っ赤な建物に囲まれていると、やっぱりなんだか雰囲気がありますね☆そして、そんな駐車場のアスファルトの上に、かわいらしいハートの落書きを発見 周りの建物の赤よりもかえって印象的だった、白いハートよくみると、キューピッドの矢が刺さってるみたい♪私のハートもドッキュンよ
February 27, 2010
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ボローニャの、数あるお屋敷のヒトツ、ボンコンパーニさんのお宅。シンプルな外観ですが、16世紀に建てられたという歴史あるたたずまいは重厚で、ついつい引き寄せられてしまいます。もちろん非公開の建物なんですけど、外側に建物の説明看板があって、美しい螺旋階段がある、なんて書いてあったの。・・・見てみた~い お屋敷の入り口には、大きな扉。扉につけられたドアノッカーはなんと、手の形 ・・・この手を握ってドアをノックするの?たぶん右側の手がよく使われてるみたいで、いいツヤがでてましたひるまはともかく、夜だとなんだか怖い気がするの、私だけ・・・??
February 26, 2010
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世界遺産のグランデ広場、市庁舎の下のポルティコから見た大聖堂。ちょうどここから見えるのはドゥオモの後陣部分になります。三つの身廊からなる後陣のつくりが、こうして外から見るとよくわかりますネ。小さなアーチが連なる部分と、その下の窓は2階の祭壇で、一番下の窓はアラバスターがはめ込まれたクリプタの窓。前から、横から、後ろから、それぞれの表情を見せてくれた大聖堂ですが、そろそろお別れして、再び町を横断して駅へ戻ります。 エミリア街道沿いの町は、小さな路地でもやっぱり風情がありますネ☆人っ子ひとりいない、というのがやっぱり、白昼夢のような、キミョ~な感覚なんですが。もうちょっと賑わっていたら、もっとのんびり滞在しちゃってたと思うのですが、ごらんのように静まり返っていたモデナ。・・・もともと日帰り途中下車で立ち寄っただけなので、今度はもっとたっぷり、時間をとって散策したいです。 そういえば、モデナのお隣、パルマも、去年ぶらっと立ち寄っただけでスルーしちゃってたんだっけ。今度はモデナ&パルマで必殺くいだおれツアーを企画したいと、心に誓った私なのであります
December 15, 2009
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さて、モデナの大聖堂をたっぷりと堪能したあとは、大聖堂の南側にある、グランデ広場に行ってみました。正面から見た大聖堂はなんだか小さく見えていたものですが、こうして広場から見ると、かなり奥行きのある大きな建造物であることがわかりますネ。・・・ああ、それにしても。ラ・ギルランディーナと呼ばれてモデナの風景のポイントである鐘楼が、あんな(!)養生幕に覆われちゃってると。。。 青い空とのコントラストに泣けるわぁ~。。モデナの民謡で、「ギルランディーナの鐘」という歌があって、あのパヴァロッティも好んで歌っていたというエピソードもあるのですが、ここはもう、想像に頼るしかなさそうですね 大聖堂のお隣には、これまたアンティークな雰囲気の建物。こちらは市庁舎になっているそうです。それにしても、町の中心、世界遺産の風景だというのに、本当に静かです市庁舎の下のポルティコに入っているバール、あのあたりにちらほらと人の姿が見えるくらいで、広場にはだれもいません。2年前、あのパヴァロッティの葬儀が行われたときの群集のイメージが強かったので、このだれもいない広場の風景はまるで、夢の中にいるような、不思議な感覚だったのでした。
December 14, 2009
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モデナの守護聖人、サン・ジェミニアーノが眠るクリプタには、美しいテラコッタ製のプレゼーピオがありましたかなり大きい作品で、生き生きした表情とテラコッタの鮮やかな色彩がとってもキレイ説明を見ると、1480年 グイド・マッツォーニ作 『Madonna della Pappa』と書いてありました1480年というと、ちょうど中世、ルネサンス時代の作品ということになります。かれこれもう、500年以上の歳月がたっているとは到底思えないほど新鮮な表情と、臨場感あふれる構図にぐぐっと惹きこまれてしまいましたちなみに、作品名のマドンナ・デッラ・パッパのPappaって、辞書で調べると1)離乳食2)幼児語の「ご飯」、つまり日本語でいうところの「まんま」って書いてありましたでも、プレゼーピオって、ジェズさまご降誕のシーンなワケでしょう?いくらジェズさまでも、生まれてすぐに離乳食っていうのは無いんじゃないの・・・??なんて、ちょっぴりツッコミを入れたくなってしまったのでした クリスマスまで、あと10日ですネ☆
December 14, 2009
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モデナの大聖堂、1階のクリプタには、守護聖人である聖ジェミニアーノのお墓があります。モデナで生まれ、モデナで亡くなった聖ジェミニアーノ(San Geminiano)ですが、トスカーナの「塔の町」、サン・ジミニャーノの守護聖人でもあります。 こちらは、ウィキから拝借しました、聖ジェミニアーノの肖像なんだかいかめしそうなおじいさん、という風情です。モデナで司教を務めていた聖ジェミニアーノは、4世紀半ばにイタリアへ侵攻してきたフン族のアッティラ王率いる軍勢からモデナの町を救ったとして有名。一滴の血も流さずに敵軍からモデナを救ったのは、軍隊でも説法でもなく、聖人の「先見の明」のおかげ。敵軍がヴェネトから南へと進軍してきたとき、ジェミニアーノ司教はただ、「何もせず、息を潜めて敵をやり過ごす」という作戦を提案すると、ちょうど敵の軍勢がモデナ公国の領土に近づいたあたりで、急に濃い霧が町全体をすっぽりと覆ってしまい、敵はそこに町があることにも気づかずに通り過ぎてしまったんだとか先見の明、というよりはもう、気象予報士みたいな才覚があったのかもしれませんネ モデナを救った聖人のお墓は、質素な石の棺。年に一度、聖ジェミニアーノの祝日である1月31日には、棺の中の遺骨が公開されるんだそうです。災難を退け、旅人を守る聖人として、モデナの人々の信仰を集めています。私も、旅の安全を祈願して、聖人サマの棺にガラス越しではありますが触れさせていただきました☆・・・・ご利益あるかなトスカーナのサン・ジミニャーノ(San Gimignano)には、聖人の指の骨と、指輪が納められているそうです☆ ・・・名前が微妙に違うのは、トスカーナ訛りなのかしら??今では断然、サン・ジミニャーノの方が有名になってしまってますけどネ。トスカーナの塔の町、サン・ジミニャーノはこんな町
December 13, 2009
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モデナの大聖堂の1階部分は奥がクリプタになっていて、モデナの守護聖人である聖ジミニアーノのお墓があります2階のきらびやかな様子とはまた違った、荘厳な雰囲気が漂っていますネ。 レンガを積み上げて造られたアーチには豪華なモザイクやフレスコ画などは一切ありませんが、切りっぱなしの石の祭壇に飾られた百合の花と、蝋燭の光がこの空間を逆に美しく見せているような気がしました。祭壇の奥、レンガの壁に切られた窓にはガラスではなく、薄~くスライスされたアラバスター(雪花石膏)がはめ込まれています。 自然石が作り出す美しい模様に彩られた窓からは、日差しがやわらかく通ってきていて、そのなんともいえないマーブル模様に、ただただうっとりと、見とれてしまうのでありました
December 13, 2009
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モデナ大聖堂の2階部分の身廊の礼拝堂です。向かって左奥に見えているのが前回紹介した中央祭壇。中央もステキでしたけど、ここも負けず劣らず豪華です 「銀の燭台」って、こういうヤツのことをいうのね~~~燭台も立派だけど、それを置いてある台そのものもスゴイですよね☆大理石の台の中央に据えられている黄金の櫃には、ご聖体が納められています。写真の左端、切れかけちゃってるんですが、赤いランプがぶら下がっています。このランプが灯されているときは、ご聖体が入っていますっていうしるしなんですって。ヒトツ上の写真だとわかりやすいかも。でもね、私が気に入ったのはなんと言っても天井ドームのキラキラの絵 十字架のイエス様の下、ブルーの帯の中に、きちんと整列したヒツジたちちょうど真ん中の、金色の輪を背負っているのがジェズ様をあらわす「神の子羊」で、両側から12使徒をあらわす12匹のヒツジたちがジェズ様に向かって並んでるの。お隣の中央の絵もそうでしたけど、このヒツジたちもまた、ラヴェンナのサンタポッリナーレ・イン・クラッセ教会を思い出しますネ。もちろん、世界遺産のラヴェンナのモザイクにはかないませんが、こういう構図って、結構参考にしたのかも。 神の子羊として、私たちのために「いけにえ」となったジェズ様。十字架にはたくさんの白いハトが描かれていて・・・・ちょっと、コワイかも。。。(最初にちらっと見たときはサカナかと思っちゃって。。。。。まさかねぇ。。十字架の周りに描かれた唐草模様(?)、よ~くみると、天使とか聖人さまとか、たくさんいるんです。時間をかけて、じっくり鑑賞したいですネ☆
December 12, 2009
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質素な石造りのモデナの大聖堂ですが、後陣2階にある祭壇と礼拝堂はやっぱり豪華3つの身廊からなる2階部分は、中央の祭壇を取り囲むように、大理石の細い柱が立ち並んでいます 奥のアーチには、3つの窓が切られ、その間に4人の福音書記者が立ち並び、中央のジェズ様の絵を取り囲むように聖人達の肖像が描かれています。ちょっと、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂を思い出させますネ。中央の金彩画は 聖母の戴冠金色の空に、雲と一緒に浮かんでいる椅子に座るジェズ様とマリア様。周りには天使たちが飛んでいるこの情景、なんだかSFチックに感じてしまうのって私だけ?天使の光背がね、なんていうんでしょう、宇宙服のヘルメットみたいに見えません?歴史ある作品なんですけど、かえって近未来的な雰囲気~☆
December 11, 2009
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モデナ大聖堂の内部です。しん、と静まり返った聖堂内は、ほとんど貸切状態。堂内の薄暗さに目が慣れてくると、どっしりとした石造りの身廊が両側から迫ってくるような迫力を感じます。 両側の壁はシンプルなんだけど、 後陣の祭壇は2階建てになってて、とっても豪華2階部分には、アンセルモ・ダ・カンピオーネ作の「最後の晩餐」。 左端には、晩餐を迎える前に、弟子のひとりひとりの足を洗うジェズ様が描かれ、そしてその右側に、ジェズ様を囲んで食卓につく12人の弟子たちが描かれています。この大聖堂でミサに与るときは、まさにこの彫刻の下で聖体拝領が行われるということで、きっと信徒さんたちにとっては、いつもジェズ様と食卓を共にするような感覚なんでしょうね~。・・・モデナなんだもん、もしかしたらこの食卓にもバルサミコくらいおいてあるかも・・ネ
December 10, 2009
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モデナの町を東西に横切るエミリア街道。街道沿いの広場に面して、有名な大聖堂が建っています。モデナの大聖堂といえば、世界3大テノールのひとり、「神に祝福された声」とまで絶賛された、ルチアーノ・パヴァロッティの葬儀が行われたところ。世界中のファンに惜しまれながら世を去ったパヴァロッティの棺が大聖堂に運ばれてゆく葬列は映像でも配信されましたので、ご存知の方も多いかと思います。私も、テレビで葬列を見送った一人なのですが、あの大聖堂にこれからお参りできる、という思いで、かなり期待して行ったのです。。。。。が。 なんと、工事中~~~~文化遺産に指定されているという、美しい鐘楼「ラ・ギルランディーナ」もすっぽりと、モダンアートな養生に覆われてしまっていたのでした養生幕や足場のせいもあって、パヴァロッティの葬儀の時はあんなに大きく壮麗に見えた大聖堂が、なんだか小さく見えてしまって、ちょっとがっかり。・・・といっても、本当はこの裏手のグランデ広場から見たほうが、大聖堂の威容をしっかりと実感できるのですが、この時点ではなんだか拍子抜けしてしまった私。ガイドブックに書いてあった、古代ローマ時代のライオンの像が飾ってあるという正面の入り口も見られなさそうだし、せめて脇の入り口の彫刻だけでも。。。と思って近づくと、 ・・・良かった、扉は開いていました~シンプルなロマネスク様式のファザードの、シンプルな扉をくぐるとそこは、期待通りの荘厳な世界が待っていたのでした・・・つづく!
December 10, 2009
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モデナの駅から、人気のない通りをさまようことしばし、ようやくお目当てのエミリア街道へとやってきました。イモラやボローニャ同様、町の中心を貫いている2000年の歴史を見つめてきた通り。昼下がりの静かな時間帯とはいえ、時がとまったかのような風景に心打たれる思いがしますそんなエミリア街道を歩いていたら、目の前に突然日本語が てっっ、哲学突然目の前に現れた、筆跡もみずみずしいこの垂れ幕に、思わず立ち止まってしまいます。古い町並みに、毛筆で書かれた大きな二文字。違和感どころか、美しい調和すら感じてしまい、ただただ感心して見とれてしまいました 垂れ幕の下には、作者である書道家の永山 典男さんを紹介する看板がありました。イタリアで書道を教えること実に20年という永山氏は、イタリアでは「マエストロ・Norio」と呼ばれているのだそうです北イタリアを中心に個展などを開いたりしているそうですが、ここモデナでも、たくさんの生徒さんを指導していらっしゃるようです。バカンス気分でブラブラと歩いていた私ですが、この垂れ幕を前にして、自分は日本の文化や歴史について、どれくらい外国の人々に伝えることができるのだろうか、と反省。日本の文化や技を極めるときに使う「道」という言葉。書道、茶道、華道、柔道、剣道。。。。どの道も近道は無いけれど、人それぞれのペースや技量に合わせて進むことができる道。どこまでも極めて行くもよし、寄り道しながら楽しく行くもよし。そんな考え方、しばらく忘れてしまっていたかもしれません。歴史を伝えるモデナのエミリア街道。昔からいろんな人々や文化が行き交ってきたこの道で、21世紀に交差していたのは、ニッポンの「書道」という道だったのでした・・・これって、哲学。。。?
December 10, 2009
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さて、エミリア街道を旅するに当たって、ボローニャに滞在しつつ、欲張ってモデナまで足を伸ばしたのは良かったのですが、いかんせん思いつきでぶらりと行ってみただけだったので、ドコにナニがあるかどうかもわからない状態。普通駅前にインフォメーションとかあるよね、なんて思ってたんですがそれらしき場所も見当たらないどころか、町を歩く人の姿さえなししかたなく、野生の勘だけを頼りに歩き始めました(笑) それにしても、コワイくらい誰もいないんですけど。。。。今振り返ってみると、すぐそこの角を左に曲がって行けば、町の中心へたどりつけていたんですけど、ず~っと突き当たりに見える緑地が気になって、ずんずんと突き当りまで歩いちゃったんです。。・・・行ってみたら「展示会会場」でしたしかも、なにかイベントをやってるならまだしも、やっぱり静まり返ってて。。結局もと来た方向へ引き返し、とぼとぼと歩いてゆくと、舗装道路だった道が、少しずつ、石畳の道に変わってきました ・・・・果たして、やっぱりこの道がエミリア街道だったのでした写真でいうと、左右の道です。一時はどうなることかと思いましたが(笑)、ここでなんとか、リミニ、イモラ、ボローニャで歩いたエミリア街道がつながったわけです♪気がつけば、周りの建物も、ぐっと時代っぽい感じですネ♪・・・・それにしても、モデナの人たちはいったいドコに行っちゃったの~~~~!?
December 9, 2009
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