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恩田陸にしてはめずらしく、さらさらとした作品、それが「常野物語」シリーズ。「蒲公英草子」はシリーズ2作目。「聡子を描いてくださいね。この夏のうちに」なんてことない台詞なんだけど・・・読後、なんでか印象に残って頭の中でリフレイン。ぽっ、と陽に照らされたような、ひと夏の記憶。現実にはありえないおとぎ話なのに、とても身近に感じるのは何故?「この国は明日も続いていくのでしょうか」切なく、しかし暖かい物語の最後に、主人公は問いかける。さて、私はなんと答えましょう?「蒲公英草紙」 (集英社文庫) 恩田 陸 (著)にほんブログ村
January 14, 2015
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ああ、堪能した。人々の思いが連なって、歴史の必然を生み出した、みたいな?ベルリンの壁が崩壊する現場に立ち会った著者にしか描けないリアル。小説なのでフィクションは入っているけど、前作「プラハの春」と合わせて読めば、日本人になじみのうすい、東欧現代史の入門にも最適ではないかと。社会主義の崩壊を描きながらも、ところどころに資本主義社会への疑問も投げかける。その著者の眼差しが真っ直ぐで気持ちいい。ひとこと、苦言を呈するとすれば、ヒロイン・シルビアをそこまで汚さんでも、えんでないかい?にほんブログ村
October 14, 2014
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「孤独の歌声」天童荒太著先日、ブックオフの105円コーナーで何冊か購入したうちの1冊。天童氏のデビュー作なのだが、後の「永遠の仔」や「家族狩り」で開花する、人間の心の奥に対する観察眼はここでも十分に発揮されている。猟奇殺人とコンビニ強盗という2つの事件が絡み合って話が進んでいくのだが、それが単なるミステリーに終わらないところがすごい!以下、音楽事務所に所属しながらコンビニでバイトする少年が、女刑事から「宮沢賢治のどこが好きか」と問われて、語った言葉。『・・・この人が聴いている音は、普通の人間が聴いている音とは、全然ちがうと思った。風が草の原をわたっていく音、風が木の梢をふるわす音、強い音、そよ風、雨が土埃の道を打つ音も、雨が苔むしたでっかい長生きの岩を打つ音も、スズランが揺れる音も、鐘の音も・・・。全部、いままでの人間が聴いてきた音とはちがう音を、この人は、聴いていて、それを書きとめているんだ。』宮沢賢治の文学に音を感じる!?なんという感性だろう?あわてて賢治の本を取り出して読んでみたが、やっぱり何も聴こえなかった。修業が足りんのか、それとも凡人には聴こえへんのかぁ~。にほんブログ村
February 14, 2013
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一年ほど前、「トコホコの丘」という曲を書いた。他の音にまぎれて聴こえにくいが、ウクレレのストラミングのスピードは、私の限界、これ以上は早く弾けない。この曲のタイトルは、永島慎二という漫画家の同名の短編から拝借したもの。曲ができた時に、もう一度読んでみようと単行本を探した。書庫(というほどのもんでもないが)のどこかにあるはず・・・見つからない・・・・あきらめていたら、先日ひょっこり出てきた。「四畳半の物語」という短編集。この中に「トコホコの丘」が収録されている。わずか18ページの短編である。永島慎二の作品は、理想と現実のギャップに揺れる青年の痛みを描いたものが多かった。高校生だった頃にこうゆうのを読んだおかげで、良くも悪くも今の私がある。作者の価値観はあまりに実直すぎて、当時すでに古臭いと感じたのだが、今読み返すと、なんだろう・・・時代が一回りして、この時代に求められるものが描かれている、そんな気がする。さて、同名の私の曲、コミックの内容とは一切関係ない。「トコホコ」とい単語の出自を知りたいな、と思う。
November 14, 2011
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学生だった時のこと。何がきっかけだったか、どうしても思い出せないのだが、「坂道のぼれ!」という少女漫画を読んだ。全4巻、作者は高橋亮子という人。主要な登場人物はみんな、張り詰めた感性を持っていてその生き様や考え方が痛々しい。純粋すぎるのだ。それからしばらくして発表された、2つの作品。「夏の空色」と「道子」。なんだかねぇ、息が詰まってしまう。主人公たちは、なんでこんなに切羽詰った生き方をするんでしょうねぇ・・・。と思いつつ、彼らのひたむきさや純粋さが好きだった。晩秋から初冬にかけての、澄んだ空気感を持った絵も含めて。そんな作品をが通用したのは、70年代から80年代の初頭頃まで。必然的に、高橋亮子という漫画家はバブル経済の始まりとともに、フェードアウトしてしまった。・・・そして今、こんな時代だからこそ高橋亮子の作品を読みなさい!なんてことは言わない。あまりにも現在の風潮と違いすぎるのだ。ただ私はその違和感を、問い続けなくてはならない。どうも高橋作品の登場人物は、私の曲の登場人物にとてもよく似ていることに最近気がついたのだ。・・・どちらも“昭和”の遺物かも知れない。
July 14, 2011
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「永遠の0(ゼロ)」(百田 尚樹著)ちょっと前、S君のデスクに分厚い文庫本が置かれていた。「イラストレーターのIさんから貰ったんです」ふ~ん、読んだら貸してんか。で先日、私のところにやってきた。で、読んだ。特攻隊員としてなくなった祖父・宮部久蔵のことを調べる姉弟。「生きる」ことにこだわっていた祖父が、なぜ最後には特攻に志願したのか。かつての戦友たちの証言を聞き取りながら、祖父の実像に迫っていく。 という内容。証言にかなりのページが割かれていて、当時の戦況や心情の描写は驚くほど細やかだ。特にそのころの“空戦”がどのようなものであったか、私は始めて知った。戦記ものの小説なのか?と思いながら読み進めていくと・・・最後に驚愕のドンデン返しが!!!戦友たちの証言の中に伏線がたくさんあったのに、全然気づかなかった。兵を駒としてしか扱わず、現場を知らずに無茶な作戦を立てる、エリート将校。やみくもに国民をあおる新聞社。そういった“権力”にたった一人で立ち向かう男の姿。その強く優しい、祖父・宮部久蔵の“思い”。権力に対する“怒り”、名もなき市井の人に寄せる“慈愛”。この小説の行間に刻まれている著者の思いが伝わってくる。その“怒りと“慈愛”のまなざしを著者は、今の日本にも向けているに違いない。おそらくそれがこの本の隠されたテーマだ。
May 5, 2011
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2~3年前に近所でやってたフリーマーケットで買った、「現代東欧文学全集」、1冊10円!!!!奥付けを見ると、恒文社という出版社から昭和41~42年にかけて発行されたもののようだ。東欧文学って、なかなか触れる機会がないから、ユーゴとかポーランドの作家なんて全く知らない。この際、全部買っちゃえと。むふふ、これは読み応えあるぞ~。楽しみ、楽しみ♪と、スキップしながら家に帰ったさ。・・・で、まだ短編を1つしか読んでいない。そういえば最近、音楽と仕事以外の本を読んでないな~。
February 24, 2011
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美しい言葉に飢えたとき、とか・・・折にふれ、手に取る詩集がある。「智恵子抄」(高村光太郎)ここまで“純度が高く美しい日本語”を私は他に知らない必要な言葉だけを最も適切に配置する・・・簡単そうで、とても難しい。何より素晴らしいのは、光太郎の「まなざし」がそのまま詩になっていること。他の詩人は、「頭」で詩を書くけれど光太郎は「眼」で詩を書いている。私の正しさは草木の正しさですああ あなたは其を生きた眼で見てくれるのです(人類の泉)あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。(樹下の二人)狂った智恵子は口をきかないただ尾長や千鳥と相図する(風にのる智恵子)そんなにもあなたはレモンを待つてゐたかなしく白くあかるい死の床で(レモン哀歌)十月の深夜のがらんどうなアトリエの小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、私は智恵子をそつと置く。(荒涼たる帰宅)三畳あれば寝られますね。これが水屋。これが井戸。(案内)
January 22, 2011
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「美貌の青空」(筑摩書房、87年)という本がある。舞踏家、土方巽氏、86年の逝去直後に刊行された遺文集。2部構成となっており、前半が土方氏の詩文、後半が彼の死に寄せられた追悼文集だ。始めてこの本を読んでから、、私は、氏の文章に嫉妬し続けている。司馬遼太郎の構成力、宮尾登美子の近年の作品におけるシンプルな美しさ、詩歌では萩原朔太郎、高村光太郎、尾崎放哉など、嫉妬してやまない文筆家はたくさんいるのだが、土方巽はまったく別次元の存在。上手い下手でいえば、下手な文章。そりゃそうだ、舞踏家だもん。上手くなくて当然。でも、凄みのある文章を書くんだ、この人。「屋根からころげ落ちたとき、口に碍子をくわえていた。これだけの理由で故郷を追放された男の、あの風呂敷を握った掌のことを考えると、途端に真っ黒こげになってしまう。」身体からあふれ出るような文章。筋肉の軋みや汗が言葉になっているような・・・優れた舞踏家にしか書けない。とても真似できない、だから嫉妬する。ああ、こんな文章とか詩とか書いてみてぇ~。OOctober 21, 2009 11:33:01 PM
October 21, 2009
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高校2年の時、変わった風貌のIという先生が赴任してきた。何がどう変かと言うと・・・てかてかポマードのリーゼント頭にサングラス!お前は『ダウンタウンブギウギバンド』か?ってこんな“なり”で、某大学の哲学科出身の社会科教師!!私もかなり尖がった?高校生だったので、I先生とぶつかる、ぶつかる。ところが、さんざんやり合った(何をやりあったかは内緒♪)あげく、一学期の終わりに私が起こしたある事件(その事件も内緒♪、これには時効がない)をきっかけに仲良しになった。(チープな青春ドラマみたいだな♪)それからは、I先生の下宿に遊びに行き、深夜まで語り合うようになった。ある時、I先生が言った。「“中庸”という言葉を知っとるか?」「はい、でもそうゆう中途半端は嫌いです」「そうか、では“無為自然”は分かるか?」「ム、ムイシゼン?それはバームクーヘンの一種ですか?」「阿呆、『老子』だ、ロ・ウ・シ。leleの行動はあまりにも極端で過激に過ぎる。危なっかしくて見ちゃおれんのだ。老子を読んで、“無為自然”を学びなさい。でないと、身を滅ぼすぞ」ところが、私の町の本屋にはそんなの置いてない。“お取り寄せ”すると何日かかるか分からない。たまたま本屋に同行していたN君が、「次の日曜日に市内に行く用事があるから、買ってきてやるよ」持つべきものは友人である。翌週の月曜日に『老子』を手にした私は、むさぼるように読んだ。難しい・・・でも、理解できないなりに何かを感じた。少~しだけ“無為自然”が分かりかけてきた頃には、I先生はもういなくなっていた。その風貌ゆえに、他の教職員や父兄からバッシングがあり、わずか一年で県北の過疎地の学校へ転勤することになったのだ。それきり、I先生の消息は聞かない。その時の『老子』は大切に保管してある。この書物を通して、私は自身の内にある“熱い何か”と折り合いをつける術を学んだと思う。もし、I先生との出会いがなかったら、『老子』を読んでいなかったら、I先生の予言どおり、私はとっくに自らを破滅に追い込んでいたかも知れない。無人島に持って行きたい一冊であり、棺おけに入れてもらいたい一冊である。久しぶりに、ページをめくってみた。高校2年の秋の匂いがした。October 6, 2009 21:02:45
October 6, 2009
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あぶさん、ほんまに引退するんやねぇ。ってか、まだ現役だったの!!!野球漫画のネタです、興味ない方はスルーしてね。主人公の影浦安武(あぶさん)は、'73年の連載開始と同時に南海ホークスに入団。以来、ダイエーホークス→ソフトバンクホークスとなった現在も現役。サザエさんと違って、1年ごとに歳を取る設定だから、今年で62歳!すげなぁ~。実はコミックを何冊か持っている(笑)中学生の時に買ったものだ。最初の頃は代打専門で酒飲みで・・・アウトローなとこが渋かった。さらに、ホークスの裏方さん、例えば通訳、スコアラー、バッティングピッチャーなどの実在する人たちにスポットを当てたり、人生の悲喜こもごもが描写されていた。その頃は好きでよく読んでたんだけど、まだ現役だったとは・・・。でももっと凄いのは、野村さん。連載が始まった時はすでにホークスの監督。どんだけ監督業をやってるんだか。たいしたもんだ。October 05, 2009 8:25:12 PM
October 5, 2009
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<ながらみ書房>という聞いたこともない出版社から書籍が届いた。開けてみると、高校時代の恩師の奥さんが出版した短歌集だった。もうかなりの高齢のはずだが、火傷しそうなほどに熱い歌ばかりだ。おまけに美術、文学、演劇、歴史など、あらゆる方面に造詣が深くないと理解できない。昔から毒舌家であられたが、老いてますます激しくなっている。もう、生涯が青春なんだろうな。その中で私の恩師である“夫”が出てくる歌があるので、いくつか紹介したい。『陰と影のちがいを説きいる今日の夫教師たりし日の顔となりゆく』『開かれしままなるヴァレリーの一行に夫は数日をまた奪わるる』『「沖縄戦の図」寄りつ離れつ見つめいる夫よあなたの沖縄を彫れ』『雨しきるこの夜も像を刻みつつ岬に逝きし声を聞く夫』『天窓に映れる雲の春めきて凍てし粘土を夫ほぐしゆく』短い言葉の中に、懐かしい恩師の姿がありありと浮かんでくる。歌から察せられるように、恩師は彫刻家である。私は師から画家としての“眼”と芸術家としての“心”を学んだ。年に絵を100枚も200枚も描いていたあの頃。一向に上手くならない私に師は「サジ」を投げたし、奥さんは『ほんに絵のムシじゃのう』とあきれかえっていた。絵と彫刻の創作活動は数年前から、さまざまな事情によりお休みしている。その代わりにウクレレを弾いているわけだけれど、あの頃のように熱中している自分が可笑しい。精神年令は思春期のままだ。でも、気が付けば当時の恩師の年令になっている。師のように若い人に何かを伝えられる自分だろうか?<『歌集 珊瑚の島』 西村節子著>
December 13, 2007
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次の展開がよめる、犯人とトリックが最初から分かってしまう・・・俺って天才?と思いつつ読み進んで、最後の方で気がついた。これって前に一度読んだやつじゃん。俺って馬鹿?
April 18, 2007
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「・・謎のプリンス」が17日に発売された。息子は中間試験の前日だったため、母親から、おあづけをくらい、当の母親はその日のうちに、上下巻を読破してしまいよった。今日、堂島の地下街を歩いていたら、本屋さんの前で店員2人が「『・・謎のプリンス』発売中です!」と呼び込みをしていた。おまけに、女性の店員さんは魔法使いのコスプレまでして・・・なんなんでしょう?
May 19, 2006
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実は三島由紀夫という作家、あまり好きではない。文体の表面がヌメヌメしていて、生理的に合わない。恐ろしいほどの才能は認めるけれど、その才能を持て余しているようでもある。そんなわけで代表作のいくつかは読んだものの、興味の範囲外の作家であった。7、8年前に「豊饒の海」四部作を古本で入手した。これが、実によかった。天才・三島がのたうち回りながら書き上げた、入魂の作である。ところで「豊饒の海」の第一部、「春の雪」が映画化されたらしい。一般的には「春の雪」は純愛ものとされているが、我がままなお坊っちゃんと、気の強いお嬢さんが勝手に愛しあい、勝手に自滅しただけのくだらない内容である。「春の雪」の面白さは、「豊饒の海」全体を貫くテーマ設定と、後に続く物語の伏線が美しく、過激に盛り込まれているところである。「春の雪」だけを映画にした場合、ストーリーの陳腐さが浮き彫りにされるのではないだろうか。そのあたりがどうなっているのか、映像美で押し切っているのか、・・・それは見てのお楽しみ、ということで。
November 16, 2005
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