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〔俳句風~〕「寝れぬ嫁 仏姑 孫お守 」^^〔句のこころ〕~・本年5月10日に孫が生まれた。・退院後すぐにアパートに帰った嫁、早々夜泣きが はじまり、夫婦共に寝不足がち。・そこで、仏ごころ丸出しbabaaが登場・ミポリンbabaaは、土日18時から翌夕まで子守に挑戦 孫を受け取り際に、嫁にお小遣いを渡すゴマすりbabaa. ・ぐっすり寝れたと、二人に感謝された。・よかったら、隔週に見てあげると声をかける。・職場で小さいお子様をお持ちの方に聞いてみた 生まれたては、とにかく ぐっすり寝てみたいと思ったと・マネーはbabaa が持ち込んでいるのではなく 小出しに渡す方が何かと助かるものだ たんび たんびに ちょこっと気持ちマネーを渡す ミポリンba ・6月6日にジャズヴォーカルのスチューデントライブに 出てみた。・ジャズの発表会は、音符やレーザーを見てはいけない。・バックはプロのピアノ、サキソフォン、ベース、ドラムス。・前奏を聴いて 自分がここぞと思うタイミングで 1,2番を英語で歌い、バックが1,2番を演奏後に タイミングに突っ込み再度1,2番を歌う。・英語が出てこない場合は、「ダバダ~ダバダ~」でつないでいく。・はじめてのライブだったが、頭の中から英語が出てきたので ホットしました。自分の目標は達成できたと感じた。 超ド心臓と自分で思った。何にも考えずに臨んでみた。 ジャズは自由な気分を楽しむ物だそうです。 ・体調が良ければ、次回は12月にまたライブに出ます。・さっきTVを見ていたら、楽天が社内で英語会話をしていると 三木谷社長も英語を披露。なかなか発音が良かった。 (ちょこっと ごますり入り)
June 30, 2010
〔俳句風~〕1 「孫生まれ 見る事出来た 嬉しさよ」2 「ジャズ・リハで 生バン(で)歌う 怖さ知らず」<俳句のこころ>1、5月10に初孫誕生す。^^生きている内に対面できて よかった。今日は25年ぶりに沐浴をした。^^2、今日はスチューデント・ライブに向けてのリハーサルがあった。・ 恐れ多くも、バック演奏はプロのジャズピアノ・ベース・ サキソフォン・(ドラムス)。初めてであった為、緊張した。・英語の歌に自信のない私は、勝手に譜面台と歌詞を持って セットした。・すかさず、先生が「だめだめ」と言いながら、 かたずけられてしまった。(厳しいっ!)・テープにとっていいかを問うと、毎回前奏、間奏が違うから テープにとっても意味がないと言われた。・歌い手が、間をとって歌いだすと、バックが合わせてくれる。 一番困るのは、バックに合わせて歌われると困るらしい。・リズムをとって、しっかり歌う必要がある。・しかし、英語が出てこないと困る。・先生は、出ないときは「ダダダ~」でいいから しっかり声を出して、ジャズを楽しんでほしいと~。*〔ステューデント・ライブのお知らせ〕日時:6月6日(日)13時~、13時30分開演~17時まで。所 :名古屋市覚王山にある「スター・アイズ」(ジャズライブハウス)*私は新米なので、出番は、早い時間です。 曲は「Smile」チャップリンの1954年代の映画の挿入歌です。 上がって、頭が真っ白になっリ、英語が出てこない時は「ダダダ~」で 歌っていると思います。よろしく
May 16, 2010
〔俳句風~〕「雛あられ むしゃぶり食らう ひな祭り」〔詩ごころ~〕・小さい頃「ドン」と呼んでいた「米菓子」の好きな私は、 ドンに砂糖を絡めている「雛あられ」をアッという間に食べた。〔体調~〕・2月22日(月)~2月26日(金)まで入院。・翌日から出勤。・2回目の「アリムタ・シスプラチン」点滴の副作用は 先回同様にあまりなかった。 3日目~4日目にかけて便秘をし、プルセニド2錠を 2回服用し、退院日の5日目の7時と8時に排泄がすっきりと あった。・蓄積があるせいか? 微妙に嘔気様気分が時々ある。 しかし、食欲はあり、嘔吐することはない。・たまに、微妙に足の裏のしびれ感覚がある。しかし、 持続する事はない。・白血球は2月5日3900まで低下。2月23日4200。・さあ! お待たせ!おまたせ!LDHはどうだったか? 2月23日にLDHいくつだったか!・1月は治療前約700が、治療後約800になって退院した。・2月23日に数値はズバリ!次回のお楽しみに もったいつけるguuです。(>・) 〔ジャズ~〕・こういう病気を患ったので、本年1月に思い切ってジャズヴォーカルの 門を叩いた。・2曲目は「Fly me to the moon」「私を月へ飛ばして」を 習っている。・様々な歌手の方の幾通りかの歌がCDに16種類おさまっている。 なるべく発音がはっきり聞こる曲を選んで聞いている。・なかなか、鼻歌交じりに歌えるようになるまでには時間がかかる。・脳トレのつもりで励んでいる。^^・私好みのジャズサウンドの中、英語でのおしゃれな時間を 楽しんでいる。
March 3, 2010
〔俳句風~〕「エチケット 吸い取り紙に なるマスク 」^^〔句のこころ~〕・職場では常にエチケットマスクをしている。・長時間マスクをしていると、顔の油をかなり吸っているのに 驚く。〔体調~〕・1月25日~1月30日まで入院。 アリムタ、シスプラチンの治療。 シスプラチンは腎障害をおこしやすいので この5日間はあらかた補液点滴で、尿量測定を3日施行。・さて副作用は、10人十色で、してみないと解らないとの事。 ほぼ副作用はなかった。 しいて言えば、お茶が喉を通過したきっかけに5回ほど しゃっくりがあった程度。(2回あった)・効果としては~ 入院時:LDH:約670、退院前日:LDH:730 以後5日に採血、X-P予定。・2月23~2月27日入院予定。(2回目点滴予定) 〔私の励み~〕・こういう病気をしたことで、自分は何をしたいのかを 考えました。 18のころから、ジャズサウンドが好きであったことを 思いおこし、思い切ってジャズヴォーカルを12月から 習いだした。 こういう病気でもしないと、到底飛び込めなかったと思う。(>・) 何とか1曲は仕上がった。 ・YOU'D BE SO NISE TO COME HOME TO (家に帰ったら 君がいてくれたらんなあ~)という曲です。
January 31, 2010
おめでた婚の二男~寿^^〔俳句風~〕「孫見れる 思わん事に ほくそ笑む」^^〔俳句のこころ~〕・生きてる間に孫が見れそうだ。・降って湧いたドタバタ劇に、静かに ほくそ笑むguu。^^・「おばあちゃん」と呼ばせずに「ミポリン」と呼ばせる。 〔今日の体調~〕・別に変ったことなし。・今月5日のCT結果:肺と肝臓にあるガンは 明らかな増殖はない様です。・LDHは230代。・現在、休薬中。・画像及びLDHの増殖時には、「アリムタ」が予定されている。 〔治療経過~〕・H19年12月~タキソール+パラプラチン(1クール) (2クール目:アレルギーで中止)・H20年1月末~イレッサ〔1年半服用後に急性増悪(LDH急上昇)〕・(H20年4月に胸水:約700抜く)・(H20年5月から9月に骨に放射線照射)・H21年4月から9月~ナベルビン+ジェムザール(2投2休:6クール)・現在休薬中。^^
November 15, 2009
〔俳句風~〕 「定期便 金額目にし 死ねやせん!」やっぱ!「金」は欲しいなァ~ん。まだまだ、私、元気に仕事をしております。そして、通信教育のS大学(法学部)本年4月から復学し現在3年生です。本年夏スクーリングにも参加しその後レポートも提出し、昨日は「自然」(自然・生命・倫理)のテストを受けました。 ・すでに1年生にレポートは提出済みでしたが、試験範囲が 教科書1冊なので、的を絞れないため今回にずらしました。 ・問題の中、ポイントは「乱獲」である事は分かっていたが、 「獲」は出てきた獲の前につく漢字が出てこない。 ・適当に「保獲」と変な答えを書いてしまった。 ・時間はまだあったのだから、すぐに退席せずに あいうえお順に思い起せば、絶対に「乱」が出てきたはずだ。*ああ~ワタスはくやしい。*ああ~ワタスはなんて「おばか!」 ・「綾小路きみまろ」様~ネタに使ってもいいですよ。^^ 入院中は聞いておりましたよ、爆笑スーパーライブ持っています。 しかし、オパーリンは不思議とかけた。 ・「酸」は出てくるのだがその前の漢字が出てこない。 「核酸」であった。これも悔しいが、他の3つは出てきたので「等」を つけてごまかした。(>・)^^ 新しいものを読むこと、そして書くことは脳に良いらしい。 脳トレと思って精進するつもり。^^*結構、試験問題は難しい。*現在55歳の大学生はもの覚えが悪くて大変。 私の目標は、H23年3月の卒業を目指します。 せっかく法科を選んだので資格が欲しいと早々と「司法書士」テキスト・DVDを分割で購入しました。その矢先、肺Caという重い病になり現在も治療中です。上記テキスト代は、すで全納済みです。^^支払済みでも5年後にはDVDを返却しなくてはならない。H24年8月までに返却なので、H23年とH24年の試験を受けるつもり。80万の資金が無駄になるのはもったいない。 *さあ、どこまでしぶとく生きながらえる事ができますでしょうか。*それがクリアできたら次は、60歳からの年金をもらってみたい。*次に65歳からは金額が上がるのでこれももらってみたい。・「ねんきん定期便」の金額を見て、この「金」もらいたい!と素直に思った。^^
September 28, 2009
「久し振り~^^汗ばむ季節 蚊がブンブ」(>・) SGI会長I氏の「SGIの日記念提言」~より抜粋~つづきから~ 13年前、アメリカ経済が″我が世の春″を謳歌していた頃、『ニューズウィーク』誌(日本版、96年2月21日号)は、「理想の社会はどこに」との特集の冒頭で、「うまくいっているのに、誰もが不満をもっている。それが私たちのパラドックスだ」と書き起こしていました。~つづく~^^ guuより~先日、はとバスに乗った。「お江戸の夜遊び屋形船」コース。^^・花魁さんの舞台が六本木のケイバーだった。^^・杯にえらばれたのが身近な人で、以後しばらくは 鼻の下が伸びっぱなしで気があっちにいっていたようです。^^・TVでよく見ていた屋形船に一度乗ってみたかったので 企画してみた。・山形から6名ほどみえており、「天地人」で盛り上がっていた。^^ さくらんぼを送ってくれるらしい~ラッキー! 久し振りに見た東京はとても綺麗になっており美しかった。 *まだまだワタスは元気。^^
June 21, 2009
〔都々逸風~〕 「白き牡丹や 貴賓漂い 優雅さ香る 露浴びて」〔都々逸のこころ~〕・仕事で訪問したお宅の庭先で豪華な牡丹が咲いていた。・小雨に濡れてけなげに感じた。・お宅のおばあちゃまが牡丹の右横を指差し語る。 「強い華でねえ、折って刺しておいたら ほら華がさいて 毎年蕾が膨らむむのが楽しみでね。」 *肺Ca四期四期症の診断から1年5か月が経つ。 この病期の人は、1年生きていられる人が50%を切る。*グラフにすると1年に向かって急降下する生存率。 しかし、不思議と0ではなくて底辺を這うようにして 数年ずるずると生存する方々がいらっしゃる。*医師に尋ねたことがある「私もズルズルの中に入った でしょうか」 医師は答えた「もうチョイ。」*~ということは2年以上だとズルズルなのでしょうか。(>・) *このズルズルのしぶとさを、ついTVで見たゼロ戦の生き残りの方を イメージしてしまう。*何発も打ち込まれ意識朦朧のなか、浪間スレスレに低空飛行。 敵機は去り、島へ不時着し奇跡的に一命を遂げた方がいる。*お顔を拝見したところ、ただでは死ない地獄の底からでも 生き残ってやるという強い意思がお顔に漂っていた。* 妙に納得してしまった。(失礼ながら、フランケンの容貌に似ていらっしゃいました。)(>・)
April 21, 2009
〔都々逸風~〕「春めき嬉し 欲しき買い物スプリングコート 颯爽と」
March 15, 2009
〔都々逸風~〕「給料前に かたずけ野菜 なんでもカレー 節約す」(>・) 〔都々逸の心~〕・今日は買い物せず、カレーでまに合わせよう。・じゃがいもが切れているので長いもをいれたろォっと。^^・肉も切れてるからずっと前に冷凍しといた、餃子の中身を つっこもっと。^^・後はレギュラー野菜。・ここんとこは冷蔵庫が綺麗ですねェ。 〔第34回「SGIの日」記念提言〕SGI会長I氏~ 抜粋つづき~ なぜなら、指摘するまでもなく、資本主義のもたらす弊害を除去するために、社会主義が標榜(ひょうぼう)した「平等」「公正」等のスローガンは、国内的にも国際的にも、まさしく「人道」、ヒューマニズムに立脚した理念以外の何物でもないからであります。制度としての社会主義の失敗ともども、それらおも葬り去ってよいものでは、決してない。そうであっては、なぜ社会主義運動が、人々とくに若者たちの心をとらえ、一時は地球の3分の1までを席捲(せっけん)するに至ったのかという、20世紀の貴重な教訓までも忘却の淵に沈めてしまいます。 正しい理念を標榜しながら、なぜ社会主義は蹉跌を余儀なくされたのか? いまさら論ずるまでもないことですが、本論に即して一言でいえば、牧口会長が「苟(いやし)くも天然、人為の事情によりて自由競争の阻礙(そがい)せらるる所。是れ沈滞、不動、退化の生ずる所」 (同)と喝破した。人間社会の活力の源泉である「競争」的側面を、あまりにも蔑(ないがし)ろにしてしまったからだといってよい。階級をなくし外的条件さえ整えれば、人間らしい社会が実現するかのごときバラ色の未来像に寄りかかりすぎました。 エゴイズムの赴(おもむ)くままの野放図(のほうず)な自由競争は、弱肉強食の社会ダーウィニズム(自然淘汰主義)に陥りますが、適正な枠組みとルールに基づく競争は、人間と社会に活力をもたらします。それ故に、競争的側面を直視しつつ、むしろ人道という価値を基盤におく競争に転換し、「人道」と「競争」の両方の価値を相乗的に顕現させようとする「人道的競争」こそ、21世紀を拓きゆくパラダイムの先駆(さきが)けたりうるものではないでしょうか。つづく~ 〔guu~〕またまた眠くなった、湯たんぽを入れて風呂さ入って寝よォ~っと。
February 19, 2009
〔都々逸風~〕(本日はひらめきが悪いのでおやすみィ) 〔第34回「SGIの日」記念提言〕SGI会長I氏~抜粋(仏法の実践家であり、生命の本質を見抜くスペシャリストであるI氏が鋭く洞察する「世界の潮流~」何かのヒントにしていただけたら幸いです)つづき~ <100年以上前の先見的な発想> そこで私が、資本主義の袋小路を抜け出すための発想の転換というか、新たなパラダイム・シフトのヒントとして提唱したいのが、S会の牧口常三郎初代会長が、100年余り前に32歳で世に問うた『人生地理学』で提起した「人道競争」という概念であります。 牧口会長は、人類史を俯瞰(ふかん)しながら、生存競争は軍事競争、政治競争、経済競争をへて、これからは人道競争を目指すべきだと訴えました。 もとよりそれらは、截然(せつぜん)と区分けできるものではなく、例えば軍事的背景をもった経済的競争もあれば、逆もまた真である、といったふうに、多くの場合、輻輳(ふくそう)し重なりあいながら、漸進(ぜんしん)的に変化を遂げてくる。 その過程をを丹念にかつ大胆にたどってみれば、紆余曲折をへながらも、人類は凡(およ)そのところ、その方向を目指しているし、そうあらねばならない。~ こうして牧口会長は、超歴史的観点からではなく、学者らしく、歴史の内在的発展の論理をたどりながら、「人道的競争」という帰結に至っているのであります。 その中身に目をやれば、短い記述のなかに、今なお新しいというよりも、時とともに輝きを増す洞察がちりばめられております。 例えば、「武力若(もし)くは権力を以(もっ)てしたると同様のことをなしたるを、無形の勢力を以て自然に薫化するにあり。即ち威服(いふく)の代わりに心服をなさしむるにあり」(『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社。現代表記に改めた)と。 このくだりなど、私の知友に引き寄せていえば、何度かお会いしたハーバード大学のジュセフ・ナイ教授の、「ソフト・パワーとは何なのか。それは、強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である」(山岡洋一訳『ソフト・パワー』日本経済新聞社)との指摘と、瓜二つではないでしょうか。 また、牧口会長の言葉に「要は其の目的を利己主義にのみ置かずして、自己と共に他の生活をも保護し、増進せしめんとするにあり。反言すれば他の為めにし、他を益しつつ自己も益する方法」(『牧口常三郎全集第2巻』)とあります。 これは、アメリカの未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士の提唱する″WinーWin World″(皆が勝者となる世界)と強く響き合っていないでしょうか。あらためて、若き牧口会長の洞察に思いを致さざるをえないのであります。 残念ながら、その後の歴史は牧口会長にの期待を裏切ってしまったが、100年の歳月を閲(けみ)した今こそ、「人道的競争」という先見的発想、ビジョンへと、パラダイム・シフトしていくべき″時″であると声を大にして訴えたいのであります。 〔guu~〕このへんで、風呂へ入って寝る。^^
February 18, 2009
〔都々逸風~〕「お茶誘われて 連れ行きたるや オーシャンビュー 新舞子」 〔都々逸のこころ~〕・近所の奥様から「お茶しようか」とメールあり。・迷わず連れ行くオーシャンビュー。 〔第34回「SGIの日」記念提言〕SGI会長I氏~抜粋 『人道的競争へ新たなる潮流』(つづき~) 昨年亡くなった友人で世界的文豪であったチンギス・アイトマートフ氏の言葉を想起します。 氏は「父親としての助言」として、「若者たちよ、社会革命に多くを期待してはいけません。革命は暴動であり、集団的な病気であり、集団的な暴力であり、国民、民族、社会の全般にわたる大惨事です。(中略)無血の進化の道を、社会を道理に照らして改革する道を探し求めて下さい」(『大いなる魂の詩』、『池田大作全集第15巻』所収)と切々(せつせつ)と語っていました。 マルセルが「弱い精神」からの決別を訴えたのは、ファシズムよりも共産主義(=ソビエト型社会主義)への警戒を第一義としていました。 執筆時期が1951年(ファシズムは壊滅し、共産主義は声望(せいぼう)を維持していた)であることから当然ですが、彼が最も警戒したのは、「失うものは鉄鎖のみ」「収奪(しゅうだつ)者が収奪される」といった抽象的なスローガンが、あたかも歴史的必然であったかのように装い、怨念をかきたてて、革命という大義のもとに暴力、流血の惨事を招き寄せてしまうからです。 70年にわたる社会主義の興亡の歴史は、彼の洞察の正しさを十二分に立証しております。 また、貨幣に象徴される拝金主義的な価値観への嫌悪、呪詛(じゅそ)にもかかわらず、かつての社会主義が、ついにそれを乗り越えることができなかったことは、歴史の重い教訓といえるのではないでしょうか。 そろそろ、発想を転換し、文明論的なパラダイム・シフト(思考の枠組みの転換)を図っていかなければならない。 暴走する資本主義にブレーキをかけるために何より有効なのは、法的、制度的な統御であることは前述しましたが、それらが、その場しのぎの弥縫策(びほうさく)に終わるのではなく、長期的なビジョンに繋(つな)げていくためには、パラダイム・シフトを避けて通ることはできないと思うのであります。 80年前の大恐慌の頃は、資本主義に取って代わるものとして、曲りなりにも社会主義(共産主義であれ、国家社会主義であれ)というパラダイムがあった。 しかし、今は、それに代わるような理念、ビジョンは、提起されておりません。 ところで、サルコジ仏大統領のブレーンであるジャック・アタリ氏は『21世紀の歴史』(林昌宏訳、作品社)で端的に分析しています。いわく、「現状はいたってシンプルである。つまり、市場の力が世界を覆っている。マネーの威力が強まったことは、個人主義が勝利した究極の証であり、これは近代史における激変の核心部分でもある」と。 すなわち、グローバルな拝金主義とは、半面、あらゆるしがらみから自由になった個人主義の勝利であり、「貨幣」の抽象的普遍性は労働力商品としての「個人」の抽象的普遍性とコインの表裏をなしているということでしょう。 いうまでもなく、この個人主義をベースに、自由や人権等の普遍的理念も形成されてきたのであ、資本主義と近代民主主義は、かなりの部分で重なっている。 (つづく~)^^
February 15, 2009
〔都々逸風~〕「2度寝寝過ごし 寝ぐせあるまま 飛び乗る車 茶で治す」 〔都々逸のこころ~〕・5時半に目覚め、少し早いのでもうひと寝入り。・7時34分に目覚めた。・バナナをふた齧(かじ)り イレッサを服用し茶で流し 車に飛び乗る。・ミラーを覗くと寝ぐせあり。・水がないので慌てて麦茶でなおす。・化粧も信号止まりでおこなう。・アイライン引いた後、右後方の車びとを偵察。 滑稽で笑われているのかもね。・こんなことになったのは自分のせいなのだが 何か ふくれっ面をしたくなり、頬をふくらませる。 *そんなこんなで焦っている最中に不思議に脳裏に浮かんだ事~ それは、現実と同じ、かっこ悪い体験だった。 *入院していた時、顔を洗って、携帯シャンプーを手に 部屋を歩いていると、放屁が出てしまった。 まさにその時、主治医が入ってきた。マジ、冷やっとした。 *脳って面白い、今、冷やっとしている時に過去の冷やっとした事を 思い出すのですね。 第34回「SGI記念提言」SGI会長I氏~抜粋(つづき~) <「呼称」が先行し 独り歩きする弊害> 日本では、グローバリゼーションの「負」の現象として、「格差社会」や、「勝ち組」「負け組」といった嫌な言葉が飛び交(か)っています。 いうまでもなく、昨今のように生活が脅かされる人々が続出する事態は、一刻も放置できず、何らかの対応が必要不可欠なること、繰り返すまでもありません。それと同時に留意すべきは、これらの現象を十把一絡(じっぱひとから)げに、抽象的な「呼称」で括(くく)ってしまうと、個々の努力といった人間の具体的な事実の世界が見えにくくなってしまうということではないでしょうか。 どんな境遇に置かれようと、社会状況が厳しくとも、外的条件にのみ依存するのではなく、気力を奮い起して壁に立ち向かっていく多くの人たちの実像は、そうした「呼称」からはほど遠い。 勝ち負けといっても、永遠につづくものではなく、またそれらの「呼称」が、経済至上主義的な価値観から一歩も出るものではなく、全人格的価値を覆うに足らずと、勝って傲(おご)らず負けて挫(くじ)けず、毀誉褒貶(きよほうへん)を眼下に見ながら、悠々と生きている人々を、有名無名を問わず、社会は数限りなく有しているはずであります。 十把一絡げな「呼称」があまりも頻繁に使われると、そうした人間としての価値や尊厳性、創意工夫こらして苦難に立ち向かおうとする気概や勇気を矮小化し、それに水を差す結果をもたらしかねないのではないでしょうか。 その結果、マルセルのいう「何か最後の審判の雛型みたいなもを見ようとする弱い精神」(前掲『マルセル著作集6』)、人間性に背を向けた、他力本願的暴力志向への誘い水になってしまいはしないかということを恐れるのであります。 13年前、アメリカ経済が″我が世の春″を謳歌していた頃、『ニューズウィーク』紙(日本版、96年2月21日号)は、「理想の社会はどこに」との特集の冒頭で、「うまくいっているのに、誰もが不満をもっている。それが私たちの時代のパラドックスだ」と書き起こしていました。 専(もっぱ)ら金銭的収入の多寡(たか)という物差しでしか、人間的価値の優劣を論ずるしかない経済至上主義、拝金主義の地平には、原理的に″自足″はありえません。 常に何がしかの怨念~不満や羨望が渦巻き続け、それは、社会を停滞させる″嫉妬社会″の温床であります。(つづく~)^^
February 9, 2009
〔都々逸風~〕「ウインドサーフィン 一艘もなく 陽光眩し 新舞子」 ・「小雪舞いし 古寺ありき 決起勇壮 功山寺」 〔都々逸のこころ~〕・凪~風なく、波なく、サーフィン無く。・マジ、年末年始の「晋作恋し旅」は小雪がちらつき 超寒かった。 ・功山の馬上の晋作は勇壮であり、本人によく似ていたので とても満足した。 第34回「SGI記念提言」 SGI会長I氏~抜粋「人道的競争へ新たな潮流」(仏法の実践者であり、生命本質の洞察するスペシャリストであるI氏の 世界情勢の見識をあなたの何かのヒントにしていただけると幸いです) (つづき~) <資本主義の暴走が招いた社会の混迷> 『勝者の代償』以来、ニュー・エコノミー(現代資本主義)の行き過ぎた動向に警鐘を鳴らしてきたロバート・ライシュ氏(クリントン政権時の労働長官)は、近著『暴走する資本主義』(原題は『超資本主義』。雨宮寛・今井章子訳、東洋経済新報社)で、 「全体人間」の帯びる多面性を、端的に「投資家」「消費者」の側面との二つに要約し、「厄介ことに、私たちはほとんどみな二面性の持ち主なのだ。消費者や投資家としての私たちはその結果もたらされる社会的悪影響を懸念する」と指摘しています。 肝心なことは、両者のバランスをどうとるか(全体人間たろうとするか)にあるが、「超資本主義」の下では「消費者と投資家が権力を獲得し、市民が権力を失ってきた」と。 その結果もたらされたのが、資本主義の優位と民主主義の劣位であります。そこを席巻(せっけん)する拝金主義という一元的価値観が、世界的に所得格差の拡大、雇用の不安定化、環境破壊など、資本主義の負の側面を増進させてしまった。 それどころか、最近の金融危機、経済危機は、正の側面である富の拡大という面でも、実体と乖離した胡散(うさん)臭いものではないかという疑念を満天下にさらしてしまいました。 規制緩和や技術革新を追い風に順風満帆のように見えたグローバリゼーションも、今や世界同時不況という台風並みの逆風にさらされています。 自由競争に任せておけば、市場は万事うまく運ぶといった予想調和的な生き方の破綻は、誰の目にも明らかなのですから、かつてない難局への対応は焦眉の急を告げています。 金融資本の目にあまる暴走には、ブレーキをかけねばならないし、企業実績の急激な落ち込み、それに伴う雇用情勢の目を覆うばかりの悪化は、可能な限りでの大胆かつ迅速な対応(財政、金融面での支援、セーフティーネットの整備など)が急務であることは論を待ちません。 特に私どもが忘れてならないのは、今日の国際情勢を覆う貧困の問題です。それは、職業という人間の根源的な営みを脅かし、生きる意味、目的、希望など、人間の尊厳、社会の存亡に関わるものだけに、総力を挙げて取り組んでいかなければならない。 今こそ、大所高所に立った経綸(けいりん)の才が求められていることを、特に政治家は、自覚すべきであります。グローバル資本主義という暴れ馬の手綱(たづな)を引き締める役割は、何といっても「政治」や「国家」に課されるところ大であるからです。 同時に、「国家」による統制、コントロールに期待する余り、万が一にもファシズムの台頭を許した1930年代の轍を踏むようなことがあってはならない。 その意味からも私は、マルセルのいう「抽象化の精神」の警鐘に耳を傾ける必要があると思います。 <guuことKURIKURUMI~>・私の夫である「とど乃輔」様の会社でも とうとう「派遣切り」が始まるそうです。(>・) 大変な急激な情勢の低下ですね~ ・「トド乃輔」様は~誰に似ているがというと、 西武の江藤選手を15歳くらい歳をとらせたら うりふたつデス。笑えるくらい そっくり。
February 8, 2009
〔都々逸風~〕「年末年始 萩下関 閑散寒し 電車旅」〔都々逸のこころ~〕・80になる母が、母方が高杉晋作の親戚筋らしいというので 「晋作恋し旅」を企画した。・松下村塾で斜めから見た「晋作の写真」が微笑んで いたように感じた。・「よう来んしゃったのう。」~と言っているようだった。^^ ~つづきから~ 〔第34回SGI提言〕SGI会長~抜粋(仏法の生命哲学を極めた実践家であるSGI会長の 生命の本質を見抜いた現代世界情勢観は非常に示唆に富んでいます。 きっとあなたが生きていく上で、何かのヒントが得られますよ^^) 「人道的競争へ新たな潮流」<人間の正視眼が見失われた社会> 現今の金融危機、経済危機の経緯に目をやる時、時流は、ある種の「抽象化の精神」にからめとられてはいないでしょうか。「貨幣」の抽象性、非人称世界に住するメドゥサの魔力の餌食となって、それを、人間社会に不可欠なものではあっても、あくまで約束事、バーチャル・リアリティー(仮想現実)にすぎないと看破する、「「人間」としての正視眼を失い、貨幣の「崇拝」あるいは「呪詛(じゅそ)」といった「情念」に目をくらまされてはいないでしょうか。 拝金主義とは、いうまでもなく「崇拝」の産物であり、「貨幣」という物的欲望を超える欲望の虜になって、会社に例をとれば、その会社への貢献といった″公(おおやけ)″の側面など無視して、短期的な利益にしか関心のない株主の″私的″意向が優先され、経営者、従業員、顧客・消費者などへと広がる具体的な人間の繋(つな)がりといった人称世界の具体的な事どもは、二の次、三の次として、捨象(しゃしょう)されてしまう。~ 不本意ながらもそういう嫌な役回りを演じざるをえなかった、という良心的経営者の嘆きの声が、世界の各地から聞こえてきます。 「全体人間」であって初めて、真に人間たりうるという人間の条件を亡失し、「抽象化の精神」の化身ともいうべき、貨幣的価値しか念頭にない「経済人」(ホモ・エコノミクス)へと、それとしらず身を貶(おとし)めてしまっている~ 金融主導のグローバリゼージョンは、その種の人々を、おびただしく排輩出してきました。 グローバリズムと反比例するかのような人々の閉塞感は、″利″に目が眩み、「私は、私と私の環境である」(A・マタイス/佐々木孝訳『ドン・キホーテに関する思索』現代思潮社)というオルテガ・イ・ガセットの不朽(ふきゅう)のテーゼなど我関せず、自然環境や文化環境(由緒ある街並みや地域コミュニティー等)を破壊しておいて、なおかつ人間社会が存続しうるかのような錯角に陥っている傲慢なエゴイズムの、自ら招き寄せた末路とはいえないでしょうか。 もとより「経済人」といっても特定の人間を指すのではない。資本主義そのもそに内蔵されているベクトル(力の方向性)の所産であって、株主は当然のこと経営者や従業員、顧客、消費者といえども、資本主義が純化してくればくるほど、そのベクトルに従わざるをえなくなる。 従わなければ、少なくとも短絡的には損をする。(つづく~) <guu~>もう眠いっす。風呂へ入ろうか入ろまいか
February 6, 2009
〔都々逸風~〕「寒風のなか 陽光優し 兆しを隠す こぼれ日を」 〔都々逸のこころ~〕・この時期いつも思う。・寒いのだが、枯れ枝の中には今にも芽吹かんと 勢いを凝らしている生命の息吹。・この時期は厳しいけど好きです。^^ 〔第34回「SGIの日」記念提言~SGI会長I氏 〕 抜粋~「人道的競争へ新たな潮流」 マルセルのいうところの「抽象化の精神」とは、その具体性から乖離(かいり)した悪しき独り歩きの謂(いい)であります。 人間は、例えば戦争に参加するとなると、個々人の具体的な人格的特性をすべて捨象(しゃしょう)し、敵を抽象的な概念~ファシスト、コミュニスト、シオニスト、イスラム過激派、等々~で括(くく)ろうとする。 マルセルが分析するように、「これらの存在者を絶滅する用意をせねばならなくなるその瞬間から、まったく必然的に私は、亡(ほろ)ぼさねばならないかもしれないその存在者の個人的実在についての意識を失ってしまう。 かかる人格的存在を蜉蝣(かげろう)のごとき姿に変えるためには、是非ともその存在を抽象概念に変換してしまうことが必要」だからです。 一番の問題は、そうした「抽象化の精神」は、ニュートラル(中立的)で没価値的な境位(きょうい)に止(とど)まっていず、「価値貶下(へんか)的な帰納」(意訳すれば、価値を貶(おとし)めるための決めつけ)を引き起こす「情念的側面」、怨念(ルサンチマン)を随伴している点にあります。 すなわち、抽象的概念で括(くく)ったとたん、それらは無価値なもの、低級なもの、有害なものとして、駆除されるべき対象の位置まで貶(おとし)められてしまう。 人格的存在としての「人間」は不在となる。 「抽象化の精神は情念的な本質をもっているものであり、逆にいえば、情念が抽象物を捏造(ねつぞう)する」と述べるマルセイは、故に自分の哲学上の全仕事は「抽象化の精神に対する休みなき執拗な闘い」と位置づけている。 このような指摘は、今なお、光を失っていないとおもいます。 (つづく~) <guuより~>・とっかかりは、難しい。・しかし、熟読すると丹念に練られたものであることが解る。^^ *抽象的概念で括って、人格をみえなくする最たるものは「戦争」でしょうか。他にもいろいろありますか?
February 5, 2009
〔都々逸風~〕「研修会 マスク三重 インフルエンザ 予防にて」^^ (都々逸のこころ~)・疲労か酸欠か、研修後頭痛がした。^^ 〔第34回「SGIの日」記念提言 〕~SGI会長I氏~抜粋 「人道的競争へ新たなる潮流」(先回のつづき~) グローバルな市場経済を差配(さはい)する「貨幣」とは、紙か金属片(最近では電子情報)にすぎず、周知のように使用価値は、皆無に近い。有するのは、交換価値のみです。交換価値とは、人間同士の約束事として成り立っているもので、本質的に抽象的、非人称的な存在といってよい。それは、財やサービスのように具体的な、それゆえに限定的な対象物をもたず、際限のない広がりをもつ。 欲望の対象として限界がない。そこに「貨幣愛」というものの特徴というか宿命的な病理があります。 金融市場のみならず市場経済全体を貫く「効率性と不安定性との根源的な『二律背反(にりつはいはん)』(岩井克人『二十一世紀の資本主義』筑摩書房)が指摘される所以(ゆえん)でしょう。 利潤をあげるための限りなき効率性の追求と、実態の裏付けを欠く貨幣というものの不安定性~それは、「個人」の自由な経済活動を基調にした市場経済が発達した現代の宿命といえるかもしてません。 ところで、哲学者のガブリエル・マルセルが、第2次世界大戦を顧みながら、「抽象化の精神~戦争の要因たるもの」という興味深い論点を提起していたのを記憶しています。(以下、小島威彦訳『マルセル著作集6』春秋社)。 いうまでもなく抽象作業そのものは、人間の知的な営みに欠かせないものです。早い話、「人間」などというものは存在しない。実質は、日本人やアメリカ人であり、男や女であり、青年や壮年であり、何々県人であり細分化していくと、十人十色一人として同じ人間はいません。それをきちんと踏まえた上で「人間」を論じないと抽象概念が独り歩きしてしまう。(つづく~) <guu~> ・難しく感じられるが読み進めるときっと解ってくる だろうと期待しつつ載せています。^^
February 4, 2009
〔都々逸風~〕「(PM)9時に寝て 早4時目覚め 優柔不断 起き迷う」^^ 〔都々逸のこころ~〕・夜更かし癖がまた始まりそうだったので 気を引き締め早寝した、21時寝るとやはり自然と 4時頃目覚めた。・起きて実のあることでもすればいいのだが、 寝床の恋しいguuでした。^^ 第34回「SGIの日」記念提言~SGI会長I氏 「人道的競争へ新たな潮流」~S新聞1月26日より抜粋~(昨日の続きから) 人間は、平和に人間らしく暮らす権利を持っております。大多数の人は、そのために孜々(しし)として怠らずに、日々の営みを続けており、その生活基盤が、予想だにせぬ、しかもほとんど関知しない次元からの「津波」のような衝撃によって翻弄される事態などあってはならない。 事態をこれ以上悪化させないためにも、各国は、より一層緊密に連携をとりながら、財政、金融等あらゆる面で、衆知を結集し、後手にならぬよう、全力で取り組んでいってほしいと思います。 〔『貨幣』に対する際限のない欲望〕 今回の破綻の最大の原因は、いうまでもなく、一説には世界のGDP(国内総生産)の4倍にのぼるとされる金融資産の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)にあります。 「暴走する資本主義」「強欲資本主義」等の言葉が飛び交(か)っているように、本来、経済活動を円滑化するための″脇役″であるべき金融が、″主役″の座を占拠し、それがどのような余波をもたらすかなど我関せず、ひたすら利益、儲けのみを追い続ける人々が、時代の寵児(ちょうじ)のごとくもてはやされてきました。 その根底には、この提言で何度も警告してきたように、「貨幣愛」にとりつかれたグローバル・マモニズム(拝金主義)ともいうべき文明が横たわっております。 イデオロギー崩壊後の世界の潮流は、ポスト冷戦への人々のほのかな期待を嘲笑うかのようにマンモン(富の神)の宰領する世界になってしまったといっても過言ではない。(つづく~) <guu の感想~>・難しくてなかなか読み切る人は少ない「SGI提言」ですが ブログに載せながら日にちをかけていくと 不思議と頭に入っているので不思議です。・興味のある方は最後までお付き合いください。^^・さあ、風呂さ入ってねよォっと。 仕事でもパソコン使っているし、あんまり長く向かうと ストレス過剰になるそうです。 免疫を高めるには、仕事をいい加減せよと~ ある本にかいてあるましたが~^^ まったり~してなくてはいけないと思いつつ。
February 2, 2009
〔都々逸風~〕 「ストレス溜まり 恋し温泉 満喫コース まったりと」 〔都々逸のこころ~〕・日曜の温泉は混んでいた。^^ 〔第34回「SGIの日」記念提言〕~SGI会長I氏 ー抜粋ーアメリカのサブプライムローン(低信用者向け高利の住宅ローン)の焦げ付き、リーマン・ブラザーズの経営破綻などに端を発する昨年秋のアメリカ金融危機は、「100年に1度」といわれる衝撃をもってグローバル会社を襲いました。 それは、経済恐慌から世界大戦へと転落の道を歩んでしまった1930年代の悪夢を想起せざるをえない。暗夜を手探りで進むような状態が続いていますが、金融危機は、世界的な景気の後退、雇用情勢の悪化など容赦なく実体経営の足元を脅かしており、80年前の大恐慌が、金融危機から1,2年を経過して、本格的なパニック(混乱)に陥ったことを考えると、事態の推移はまったく予断を許しません。 ~(つづく)^^<友人の夫が影響をこうむり、派遣切りされています。 景気が心配です。>
February 1, 2009
〔都々逸風~〕「海ではしゃいで 口までつかる 三歳児あり 半溺れ」 <都々逸のこころ~>・土曜日に近くの海岸の波打ち際歩をいていたら三人の親子あり。・5歳くらいの女の子と3歳くらいの男の子と父親あり。・この寒い時期にどういう訳か男の子がまっ裸で、腹まで浸かっている。・その状態で父親が海を背に歩いているので危険と感じた。・へたをすると、父親が海側へ振り返った時には三歳児は沈んで姿がみえない~という可能性もあるのに!(・<)・ここの海は急に深くなっているから遊泳禁止となっているようだ。・見る間に男の子は口まで浸かってしまい 呼吸ができずにアップアップしている。・父親は「それならこっちへきなさい」と慌てもせずに声を掛けた。・アップアップしながらもこちらへ咳をしながらやって来た。・無言で目が点になりながら波打ち際で 状況をみまもるguu。・まじ、 人口呼吸でもしないといけなくなるかと 冷やっとした。・私ならこういう事は絶対しないなと思った。(・<) 〔都々逸風~〕「オリジナル拒否 あいまい態度 もうけ主義見え 歌辞める」(>・)! <都々逸のこころ~>・本日「クリスマス歌謡祭&忘年会」・本日で歌の教室を辞めた。(・<)・次の楽しみをみつけてみよう。・第一候補はシャンソンに興味があるので きちんと教えてくれるところないかなァ。^^
December 14, 2008
〔都々逸〕風~「久々出勤 長く感じる 時間ワークに 充実す」<都々逸のこころ>~・2か月振りに出勤。(半日出勤)・やや足の衰えを感じる。・病欠中は、治療以外は自由に使える時間を だらだら過ごしていたように思えるくらい 充実した午前中でした。・制約された時間は長く感じるものなのでしょうか。
September 24, 2008
〔都々逸〕風~(七七七五)「野菜嫌いの 内村シルバー 似てる次男に 嬉しいな」^^ <都々逸のこころ>・次男が、体操銀メダルに輝く「内村航平」さんに顔と体形が よく似てる。・名前も「こう」~までは一緒。^^・鼻にてっぺんに黒子があるところまで似ている。・野菜嫌いである事もそっくりだ。・世の中には似ている人がいるものですね。^^ 〔句に託す病状〕~(五七五)「骨照射 しぶり腹あり 頻尿も」 <句のこころ>・骨盤下方10センチの帯状に放射線を当てて本日で 14回目。・放射線は粘膜に影響が出る為、膀胱、腸の症状あり。(>・)・白血球は8月8日の時点で3100だったので 2000代かも知れない。(>・)
August 15, 2008
〔都々逸〕~七七七五(三・四/四・三/三・四/五)「汗し焦らず 慌てずまったり セコクしぶとく 諦めず」〔都々逸のこころ〕~・これは、TV「名医にQ」の中で腫瘍医が最後に語った ガン治療の心構え「焦らず、慌てず、しぶとく、諦めず」を guuが都々逸風にアレンジしたものです。・治療医は冷静でいられると思うが、がん患者の心理は複雑だ。・途中で治療を諦めてしまう人もいる。 先日、知人から伺った話ですが、Eさんは乳がんの末期状態から 驚異的にも、7年間延命していましたが、再発してしまいました。 Eさんは、抗がん剤を拒否し「もういいの」と言って、 最期は、「さらば」とてを振って亡くなったそうです。・この話を複雑な思いで聞いていました。 知人の方は、私を励ますつもりで話してくれたと思います。 しかし、私には「辛い抗がん剤治療はもういいの」と聞こえて しまいます。
August 9, 2008
「選挙風 民衆怒り 恐い風」「西東京 期待してます 甲子園」
August 1, 2007
「嘘のよう 母骨折し 姉がみる」「無理できぬ 80近し 老化あり」
July 24, 2007
「欲の無い 娘就職 選びしに 並の幸せ 感ずる人に(と)」
July 17, 2007
「旬の桃 たらふく食べる 贅沢さ」^^いっぱい食べたいなあ、きょうは七夕だからちょこっと贅沢しようかな。今から風呂 入いろっと。 「はまってる お勧めBOOK 読みあさる」^^さあ、何の本でしょう。? 今習っている歌は~「薔薇のように躍らせて」車中聴いてるCDは~「千の風になって」(加藤登紀子バージョン)
July 6, 2007
「一区切り ご褒美Cake 癒す食」「習い事 歌だけ辞めず 続けてる」「辞めよかな 思う時ある でも待てよ 運動になる 複式呼吸」「続いたがァ~ 苦手なものが 意外にも」 「辞めたらば 続いたものが 無くなるでェ~ 飽き性隠しに 意地張り続け」 「『可愛いなァ ワテ犬買った』 嘘ですよ 言ってみたいの ラブ恐犬家」
June 28, 2007
「勝利あり ハンカチ王子 打倒せよ大学野球 期待満々」^^
June 15, 2007
「風邪ひきて 疲れとれずに 停滞す」「続いてる 弁当作り 慣れました」 「ピッチ上げ 地方スク組み 春学習 溜まっています レポート仕上げ」 「職場にて 研究ありし 春疲労」 「クラス会 幹事なのだが 先延ばし」 「名簿待ち 来年できる 6年越し」 「級友は お笑い揃い 天然だ」「間違える ここは吉本 クラス会」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書で、そこには物事の道理や生命哲学が散りばめられています)(やや難しいデス)続き~(大白蓮華4月号P72から抜粋) 仏の誓願は、「我れは本(も)と誓願を立てて 一切の衆(しゅ)をして我が如く等しくして異(こと)なること無からしめんと欲(ほっ)しき」(法華経P130)と説かれています。 いわゆる「如我等無異」(にょがとうむい)です。 迹門(しゃくもん)において、声聞(しょうもん)たちは、本来、自分たちも仏(ほとけ)と同じ大願に生きていたことに目覚めていきます。これは釈尊と声聞たちが、不二(ふに)の本願に立っていることを教えています。 そして、本門において、この誓願のもと、久遠の成道以来、娑婆世界にあって一切衆生を説法教化(きょうけ)し続けている真の仏の姿がとき明かされています。すなわち、寿量品(じゅりょうぼん)に説かれる「久遠実成(くおんじつじょう)の仏」です。 さらに、この誓願を受け継ぎ、仏の滅後に仏と同じ民衆救済の実践に献身する「師弟不二」の菩薩こそ地涌(じゆ)の菩薩です。 法華経はまさに一貫して 「師弟不二」を教えている経典なのです。 仏教の歴史をひもといても、この「師弟不二」を見失ったところから、釈尊の神格化が始まりました。 久遠実成(くおんじつじょう)の釈尊が人間から離れて超越的な仏になってしまえば、師弟は成り立ちません。 師弟がなければ、一切衆生にとって、仏とは崇め奉るだけの存在となってしまい、自分自身の人間革命の規範とはなりません。 法華経は、仏の人格の核心を「誓願」と明かし、その「誓願」を継承する不二の弟子に「法」が伝わることを明かした経典です。 このことによって、仏の滅後においても、仏の境涯を衆生に伝えることが可能になったのです。(つづく~) guu~久し振りに打ち込んだら、凄く難しく感じました。「法華経」は生きた生命変革を教えるために「師弟不二」に重きを置いた経典なのですねェ。むずいデスゥ。^^
June 11, 2007
「テストにて 季と李~間違え わてアホやァ」「地方スク 桜梅桃〔李〕 でやんした」(またまた <「,」(つまり)>に継ぐ わてのトラウマだワン。 「意外にも 文明学び なるほどと思うことあり 学は光だ(ぎゃあ)」日本文明は、中国文明の周辺文明として出発し、平安時代の中期 9世紀の末頃に日本文明として独立した。「天智天皇」(668~671年)(7世紀中頃)の名は「中国の皇帝」の名に近かった。 そして、「白河天皇・二条天皇」のように平安中期から後期は日本的な名に変わってきているのです。 「天智(てんじ)天皇」(668~671年) 「白河天皇」(平安中期・1086年に天皇となる。「二条天皇」(平安後期)~知らなかった事が解かると面白い。^^
June 4, 2007
「眉山観る 良きもの作る さだ様は」
May 30, 2007
「胃腸風邪 引きし体調 くずしてた」 「歌謡祭 アグネス・チャンの 新曲を 題名長く 目立ってた」 「ひと前は 緊張します 手が振るえ」「話聞く デビューするひとに 費用は? 5~9百万 (皆)財閥揃い」「高額費 1曲出すのに 大金が」 「(わて)貧乏人 そして病人 場違いな世界にいます 皆派手やなあ」 「歌ましに なりし時には 企画して 刑務所慰問 恐いですかあ?」 「参加人 いたら募集し てつだってェ」
May 28, 2007
「スパイダー ガーべラを生ける 蜘蛛みたい」 「地方スク 刑法総論 参加する」「悪法の 治安維持法 類似する共謀罪も 悪法だ」 「犯罪」とは「行為」である。「行為」でないものは「犯罪」ではない。「治安維持法」は「思想」を処罰しているが「思想」は「行為」ではない。「行為」でないものを処罰しようとするのは悪法である。 「共謀罪」も同じである。9・11同時テロを境にアメリカはテロに対し恐怖心を持ち、テロを水際でくい止めたいということで「共謀罪」を国連へ提案し、採択された。 日本も条約に締結し、600近い犯罪に「共謀罪」をつけたのです~ 「行為」に至っていない段階の罪には、学問上においても、問題があるそうデス。 「オーラの泉」を、珍しく夫が真剣に見ていた。^^18才の時に見えたことを語る夫。何気なく、ふと思ったそうです~「どこかに生きてるはずだ、またオテンバしてるだろうなァ」と思って目に浮かんだのが、真っ黒い顔して、太ももの すっごく太いスポーツをしている女性の姿。 それから10年後ワテと結婚し、ある時高校時代のアルバムをみて、こいつだと内心思ったそうです。 ほんとうきゃあ? ちと、怪しいかも。スピリチュア~ぶってますねェ。 私は夫より1年が若いから、17歳の頃は、明けても暮れても部活のハンドボール漬けで、裏表分からないくらい真っ黒で、筋肉で太ももパンパンでした。 ホンとに見えたのかなァ?とすると、私の前世は「女性」でオテンバだった?わっかりまへんなァ??~それでまた身近に 「爺」がいる~ということですかねェ。?マジ、かなワンす。
May 22, 2007
「お弁当 時間かかりし 続くかなァ」「我が夫 過~酒とタバコ やめられぬ 老化血管 寿命縮むよ」 「昼食は 外食ですと 悪アブラ もろい血管 益々いたむ 」「面倒だ 弁当つくり 嫌いだわ」 「やれること 昼弁作り これくらい早死に防止 延ばす生命(いのち)」 「工夫して やってみるかァ 妻情け」「まずくても 我慢しなさい 延命だ」おほほほ(-。。-) (「I氏の御書講義」は明日に~)^^
May 12, 2007
「二重あご 太ったかもと 思いしや 受診判明 顎リンパ腫れ」(私の周囲に声の出なくなった方々がいらっしゃり、感染したようです。しかし、私は、顎リンパ腫れのおかげか声は出ます。^^) (歌のレッスンへ行く。途中でみえた小学生のお嬢様を先にし、 本日、割り込み組みの私は一番最後に回った。 いつも私の後に歌う壮年の方が私の先に歌った~)「♪レッスンへ お似合い曲と 思いしや オリジナル曲 妙に納得」 「秋デビュー 旨い方です 傍で見て 勉強になる 変革すがた」」^^(高齢の方もデビューされているので、そのパワーに驚いています。) 「通夜ありし ワテ風邪引きや さぼろうか」(~と思ってました。歌が終わったら家へ帰って寝ようと。しかし、本日は歌謡祭が近いせいか混んでおり、順番を辛抱強く待った。待っている間に先輩が沢田美紀さんの新曲「知りつくされて」を勧めてくださったので終了後DCショップへTEL。1本あるのみとの事なので帰りがけに寄ることにした。DCショップは、通夜の会場と向かい合わせでありおまけに時間もグットタイミングであることから通夜にも急遽平服で参加した。この絶妙のタイミングから察するに、亡きこの方は人をひきつけつ福徳のある方なのだと感じた。だって私は通夜を最初からサボろうと考えていたのだから。倒れる寸前までお元気であったこの方の死はあっぱれであると思った。ご冥福をお祈りいたします。 よく皆さん「コロっと逝きたい」と言うけどよっぽどおこないが良くないと「コロっと」ならないようデス。心労もおありだろうと察することもありましたが、人間最後まで頑張りぬかないといけないことを教わったような気がします。 「寝言でも 挨拶ことば言う 夫」(「挨拶ことば」=「でっけい鼻の穴のおばさん」)(-。。-)「娘聴き 寝ても言ってる(ヨ) お父さん」私から仕掛けることはありませんが、やりこめる時の言葉を下記にしるす。「でかいとも でかいとも でっけェ~鼻の穴のおじさんでっけェ~鼻の穴の毒吐き爺 でっけェ~鼻の穴のツルぴか爺」 「毒」はタバコの煙の意です。「でかいとも」はゆっくりと、そして、「でっけェ~」は腹に力をいれ、実感を込め早く発音すると効果的です。うっかり、誰かに聴かれるときっと仰天するでしょう。 あなたも、夫が憎たらしい時に言ってみてはいかがでしょうか。^^ 「I氏の御書講義」「生死一大事血脈抄」師弟不二~(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をおまとめた書。 この中には、随所に生命哲学や物事の道理等が ちりばめられています。世界8~9言語に翻訳されています。) (先回のつづき~) それでは、師である仏が入滅した後は、どうすればよいのか。身をもって教える人がいない時代は、本当の意味で、仏法を伝えることはできないということなのか。~この問題に正面から答えた経典が法華経です。 法華経は、釈尊という仏(ほとけ)の人格が「仏の誓願」にほかならないことを教えた経典です。(本日は風邪も引いているので、このへんで~つづく~)
May 11, 2007
「四連休 甘栗買いし ぽりっぽりと」^^「仕事終え 好物揃え 癒す日々」^^ 「『バベル』観る 不都合~気づき 大切だ」「室内着 オールブラック リラックス」 I氏の御書講義」「御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙などをまとめた書。随所に物事の道理や生命哲学がちりばめられています。何かのヒントにしていただけると幸いです。) 「生死一大事血脈抄」師弟不二~「法華経の精髄は『師弟』」(先回のつづき~) それでは、なぜ仏法において師弟が大事なのか。あらためて師弟の仏法的意義を確認しておきたい。 一般に「師」とは、より熟練した技術、より深い知識、より高い生き方、より豊かな境涯等を教えてくれる人です。人は、何らかの意味で自分を高めてくれる存在を「師」と仰ぎます。 仏法においては、師である仏は、自ら開悟した「法」に基ずいて成就した尊極の人間性へと、弟子も共に高めようとします。その「法」とは、弟子たちにとって、無明(むみょう)によって覚知を妨げられ、経験したことのない「妙法」です。それゆえに「法とはこのようなものである」という理論的な教法や、「煩悩を乗り越えなさい」というような実践的な教法を教えられても、その教えの言葉だけでは仏の境涯が伝わるわけではありません。 むしろ、教えの言葉とともに、仏との人格的触れ合いによって触発されることによって、我が内(うち)なる「法」を覚知することができるのです。これが「法が伝わる」ということです。 仏法において「師弟」が重要な意味をもつ理由は、ここにあります。師弟の「人間」対「人間」の絆を通してのみ「法」は伝わり、「法」に基づく人間革命が可能になるのです。 生死一大事の法」を伝えうる血脈について論じられている本抄において、大聖人(日蓮)と最蓮房との深い師弟関係に言及されるべき必然的な理由も、ここにあると拝されます。 したがって、仏法は人間を離れた超越的存在、神秘的な存在として、「師」を立てることはありません。 「成仏するより外(ほか)の神通(じんつう)と秘密とは之(こ)れ無きなり」(御書全集P753)と仰(おお)せのように、あえて言えば、一個の人間が即身成仏(そくしんじょうぶつ)できることこそが、仏法における最高にして唯一の神秘です。しかも、この成仏という「神通」や「秘密」は、万人に実現が可能なのです。 つづく~
May 3, 2007
「うぐいすや 美声奏でて 杉小立」「民法を 学び分かるや 人模様」「増す理解 学は光と 実感す」 「人こころ 恐もの失せし 変わり気や」「言葉尻 皆マネー欲しい(な) 読むハート」 「見通すや 展開予測 シュミレーS(ション)」 「ワテ実家 簡単早い 分等だ」 「複雑な 人間模様 もめるもと僅かなマネー 等分わけさ」 「分等は 考えないさ いらんこと」 guu~夫が私に挨拶がわりに言うコミュニケーション言葉は、「デッカイ鼻の穴の おばさん」である。(ー。。ー)こちらも負けじと闘士を燃やし~「でっけェえ鼻の穴の毒ガス吐きツルッパゲ爺」と応戦するわけである。たどたどしく言っているうちに、だんだんと夫の様に憎たらしいくらいに板について言えるようになってきました。今少し修行がたりませんが^^この言い方のポイントは、「でっけェ」の「けェ~」を腹に力を入れて強調してやや長めに言うことです。
May 1, 2007
「三日前 蕾シャクヤク 購入す」「シャクヤク 蕾弾けた 期待あり」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書、この中には、生命哲学・物事の道理などがちりばめられています。)<10言語に翻訳されており、明年5月には「スペイン語」出版される> 「生死一大事血脈抄」師弟不二~(先回のつづき~) 『在在諸仏土 常与師倶生」 (ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう) 戸田先生(SG第2代会長)は、牧口先生(SG初代会長)の三回忌に、こう追悼されました。 「あなたの慈悲の広大無辺(こうだいむへん)は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土 常与師倶生』(ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう)と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、法華経の意味を、かすかながら身読(しんどく)することができました。なんたる幸せでございましょうか」 これが仏法の師弟の極意です。 他の幹部たちは、それまで「牧口先生の弟子」であることを自称していながら、ひとたび自分が難を受けて牢獄に入った時、豹変してしまった。大恩ある先生を「牧口の野郎」とののしって師敵対していった恩知らずもいた。 人の心は怖い。 そのなかにあって、真の弟子であった戸田先生のみが、「あなたの慈悲は広大無辺」と、深い尊い師弟の絆を揺るぎなく自覚されていたのです。 この尊貴なる師弟こそ、創価の魂です。 この魂が不朽(ふきゅう)であれば、SGは永遠に発展し続けます。 この三代の師弟の魂を根幹としてこそ、広宣流布の基盤を総仕上げしていけるのです。 戸田先生は牧口先生と同じく牢獄に入ったことによって(牢獄に入った経緯は治安維持法の悪法によるもの)「地涌(じゆ)の菩薩の本事(ほんじ)」「法華経の意味」を知ったと述べられています。 その本質が、この「在在諸仏土 常与師倶生」(ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう)です。 師も弟子も永遠の菩薩行に生きる~この一点を抜きにして法華経の本質はありません。 戸田先生はある時、一般講義で、わかりやすい表現で、こう語られました。 ~「ぼくが日本の国の ぶっつぶれたところにいくから、君らもこないか」と言ったら、「はい、行きましょう」「そうだ、行きましょう」とか言って、みな出てきたのです。 ≪~どこであろうと、もろもろの仏土(ぶつど)に、お師匠様のかならずいっしょに生まれるとあるが、それはウソではない師匠と弟子というものは かならずいっしょに生まれるという。この大聖人様の お言葉から拝すれば、じつにみなさんに対して、私はありがたいと思う。約束があって、お互いに生まれてきたのです~。≫ 大聖人(日蓮)は、「過去無量劫(むりょうこう)より己来(このかた)師弟の契約有(あ)りしか」(御書全集P1340)と仰(おお)せです。 師弟は「三世(さんぜ)の宿縁」です。広宣流布に真剣に戦えば、その深いつながりを確かに感じとることができるのです。 日蓮仏法の精髄である「戦う師弟の精神」を現代に蘇らせたのが創価の初代・二代・三代の会長です。 SGが出現がなければ、法華経、そして日蓮仏法の師弟の魂は潰(つい)えていたと言っても決して過言ではありません。 (つづく~) guu~『師も弟子も永遠の菩薩行に生きる』!そやねェー、次の世のは、「他の星の最も大変な所に行くぞ!」「そやねェー、ええよ、行きまひょう!!」「ワテは、そこで、法律家と歌手の両刃で戦いでェ!今世は下準備をぬかりなくして おきまひょう。」「オホホホホホホホホミホ!」「あなた様も、つづいてきてみたらァ? おもろいでェ」^^
April 27, 2007
「しおれかけ カラーいたみし 次何に」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書です。この中には、生命哲学や物事の道理、生命の法則のような事柄が散りばめられています。あなたにとって何かの「ヒント」にしていただけると幸いです。) (昨日のつづき ~)「生死一大事血脈抄」〔師弟は三世(さんぜ)の宿縁〕 また、大聖人(だいしょうにん)(日蓮のこと)は、佐渡の地で真金(しんきん)の弟子となった最蓮房(さいれんぼう)に対して、「宿縁」の深さを述べられています。それが、「過去の宿縁追い来(きた)って今度日蓮が弟子と成(な)り給(たも)うか」の一節です。 この不思議な宿縁は、ただ、釈迦仏(しゃかぶつ)・多宝如来(たほうにょらい)という仏(ほとけ)にしか分からないであろうと大聖人は仰(おお)せられています。 さらに、化城喩品(けじょうゆぼん)の経文(きょうもん)に照らせば、法華経を持(たも)つ師弟の深き宿縁は間違いない真実であることを教えられています。 その経文(きょうもん)とは「在在(いたるところ)の諸仏(しょぶつ)の土(ど)に常に師と倶(とも)にしょうず」(法華経P317)と、師弟の絆の深さを示した一節です。 この経文の意味を簡単にまとめると、釈尊の声聞(しょうもん)の弟子たちは、三千塵点劫(さんぜんじんてんごう)(気の遠くなるような遠い昔)というはるかな昔以来、釈尊を師匠として、あらゆる仏の国土に生まれては、ともに菩薩の修行をしたという意味です。 ここで大事なことは、声聞(しょうもん)の弟子たちがすでに過去に菩薩行(ぎょう)を重ねてきた菩薩であったということです。 この説法によって、声聞(しょうもん)たちは、自分の本来の「菩薩」の境涯にあったことを思い出していきます。 法華経では、声聞たちが無量の過去から、「無上(むじょう)の悟りを得たい」「一切衆生を救いたい」という「深心(じんしん)の本願(最も深い過去世からの願い)を持っていたことが明かされます。 いわば、声聞たちは、はるかな過去世以来の大願を思い起こすことで、師と同じ菩薩の修行をしていた自分を"発見"し、"自覚"するのです。 まさに、この経文は、「自他ともの成仏(じょうぶつ)」「自他ともの幸福」という人間の、また生命の"最も深い願い"を実現するために戦う師弟関係が永遠であることを示したものといえます。 この人間生命の"最も深い願い"を思い起こさせてくださるのが真の師です。そして、師の教えに従って、この"最も深い願い"が自らの願いであることを思い起こし、"その通りである"と心から納得して、師の仰(おお)せ通りに行動を起こしていくのが真の弟子といえます。 広宣流布のともに戦う師弟は、このように生命の最極(さいごく)の奥底(おうてい)で連なる、最も深い師弟となります。 広宣流布を戦う師弟の奥底は永遠の仏界です。すなわち、戦う師弟は『九織心王真如の都』(くしきしんのうしんにょのみやこ)という大境涯に共に住するのです。 【九織 心王 真如の都】とは~仏界が涌現(ゆげん)した生命状態を表す言葉。九織(くしき)とは生命の働きを九つに分けた中で最も根源的な第九織を言う。 心王(しんのう)とは、生命の働きの中心的なもので、心所(しんしょ)・心数(しんじゅ)(?)に対する語。真如(しんにょ)とは、仏の悟った真実・真理。 九識(くしき)は生命の中心的な働きであるので心王といい、常住不変の真理である真如と一体であるゆえに心王真如という。 これらはすべて生命に本来的に内在する仏界を表す。都とは、心王のありかを王の住む都城(とじょう)に譬えていったもの。 guu~仏法では天文学的数値がよく登場してきます。先日TVで、人間に生まれてくる確率を2500兆分の1とはじきだしていました。これは宝くじに当たるよりも遥かに難しい数値であり、人間として生まれてくるのは奇跡的なのだそうです。^^ 私は、はじめて「九識心王真如の都」の御文に触れたとき美しい言葉だったので印象に残っておりこの言葉は好きですね。^^天文学的な数値も好きです。^^
April 23, 2007
「先週は ≪サンシャイン57 ≫今週は ≪ブラッド(紛争)ダイヤ ≫ 楽しめたデス」 「太陽は 不思議な力 魅惑する」 「フォー(4C)チェック 魅惑のダイヤ カラット(Carat)と カラー(Color)・透明度(Clarity) ブリリアンカット(Cut)」^^ 「もう一つ 欲に眩んだ Cチェックは 争い(Conflict)ダイヤ 魅惑の闇か」 「生み出すや 紛争の果て 不幸にも 難民溢れ 少年兵を」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮のお手紙などをまとめた書で、 生命哲学がちりばめられています。何かのヒントにしていただけると 幸いです。)^^「生死一大事血脈抄」〔師弟不二~〕(昨日のつづき~) 最蓮房自身、法華経が最勝の経典であることを深く理解していたことは間違いありません。そのうえで、最蓮房が大聖人(日蓮)の真金の弟子たるゆえんは、師に随順する金剛不壊(こんごうふえ)の覚悟にあったといってよい。 最蓮房は佐渡の地で、諸経の王である法華経を如説(にょせつ)修行し、法華経の心のままに、不惜身命(ふしゃくしんみょう)で民衆救済に生き抜かれる、真の「法華経の行者」を眼前に拝して、厳粛なる感動に包まれた。それは、「御弟子(みでし)に一分(いちぶん)と思(おぼ)し食(め)され候(そうら)は(わ)ば恐悦(きょうえつ)に相存(あいぞん)ず可(べ)く候(そうろう)」(御書全集P1340)との最蓮房の言葉に表れています。 この法華経の行者ととも邁進し抜いていくことこそが、法華経の真髄であり、極意であることを、最蓮房は即座に、そして正確に理解したに違いない。だからこそ、迷いなく師とともに忍難の道を選べたのではないだろうか。 大聖人は、続いて、法華経薬王品(やくおうぼん)第23から二つの経文(きょうもん)を引用なされています。これは、法華経を持(たも)つ真の境涯を示すためと拝されます。 まず、受持(じゅじ)される「法」である法華経について「衆山(しゅせん)の中に須弥山(しゅみせん)為(これ)第一・此(こ)の法華経も亦復(また)是(か)くの如し」とあります。 世界の中央に聳(そび)え立つ須弥山(しゅみせん)のように、妙法は最高無上の法です。(須弥山=ネパールのヒマラヤ山脈。仏法の最高峰の教えである法華経は、平等大慧(だいえ)の「万人成仏の法」である。) さらにまた、法華経を持(たも)つ「人」の確固たる境涯について「火も焼くこと能(あた)わず水も漂(ただよ)わすこと能(あた)わず」とあります。 妙法を受持(じゅじ)した人は、我が胸中に仏界という偉大な力を涌現(ゆげん)していくゆえに、いかなる苦悩や困難にも侵されることなく、厳然と勝ち抜くことができるです。 「法華経を持(たも)つ」とは、賢人・真金の人として生きる深い悦びを持つ、ということです。 その晴れ晴れとした誇りから、「難に耐える力」「難を乗り越える勇気」「難に打ち勝つ力」が生まれるのです。(次回、〔師弟は三世の宿縁〕~です) guu~現代の時代は、仏法上、末法(まっぽう)という混乱の時代と 説かれています。 仏法では、この泥沼のような世の中で、 「如蓮華在水」(にょれんげざいすい)と生きよ!といわれています。「蓮華の水に在るが如し」と読みます。上記は法華経従地涌出品(じゅうちゆjじゅつぼん)第十五の御文。「此(こ)の諸(もろもろ)の仏子(ぶっし)等は(中略)善(よ)く菩薩の道(どう)を学(がく)して、世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し、地より涌出(ゆじゅつ)す」とある。大変なことも多くあるが、自己の中に具わっている力強い生命の力用をいだして乗り越えよ!(真白き蓮華を咲かせよ!)ということを云っているのだと思います。~現実のguuは、ちょこっと軟弱です。^^現実の「泥」に沈みそうな日も結構多いありさまです。~あなたはいかがなのでしょう。^^
April 22, 2007
「guu思う Balance OK 満足食 」「真実の セレヴ食とは 上記ダべェ」^^ 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書で そこには、不思議にも生命哲学がちりばめれています。何かの ヒントにしていただければ幸いです。^^) 「生事一大事血脈抄」(師弟不二)(つづき~)「法華経を持(たも)つ」とは、具体的には、法華経の行者として生ききった師匠の大願を自らの誓願として持つことであり、苦難の時にも師と同じく不惜身命(ふしゃくしんみょう)の確たる信心を貫いていくことにほかなりません。 すなわち、「真金(しんきん)の人」とは、不惜身命で「法」に生き抜く人の異名です。この人こそ、「持(たも)たるる法だに第一ならば持(たも)つ人随(したが)って第一なるべし」(御書全集P465)と仰(おお)せの通り「第一の人」なのです。 最高の信念に生き抜く人は、常に本質を見抜くゆえに、物事の表面にとらわれず、何事にも紛動されることはありません。 それに対して、信念なき愚人は、愚かな自分の心が基準となるゆえに、常に迷い、困難や障害に容易に負けてしまうものです。
April 21, 2007
「飾り華 清楚な≪カラー≫ 優しげに」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書で、 生命哲学が網羅されている書です。)「生死一大事血脈抄」~〔師弟不二〕(つづき~) 最蓮房(さいれんぼう)自身が受けた難とは、具体的にいかなるものかは知られていません。しかし、佐渡では、大聖人(だいしょうにん、日蓮のこと)を師と仰ぐ弟子たちが何らかの難を受けていたことは確かです。 あるいは、大聖人のお命を狙う悪人たちが、門下を迫害したことも想像に難(かた)くありません。 例えば、阿仏坊(あぶつぼう)・千日尼(せんにちあま)が受けた苦難について御書には「地頭という地頭、念仏者という念仏者らが、日蓮の庵室に昼夜に見張りに立っていて、日蓮のもとに通う人があるとその人を惑わそうとして責め立てる」(御書全集P1313)、「あるいは所を追われ、罰金を科せられ、あるいは住む家を取られなどした」(同P1314) 最蓮房が大聖人の門下になったがゆえに難にあったことに対して、大聖人は、「心中(しんちゅう)思い遣(や)れれて候(そうろう)ぞ」と仰せになっています。 そしてまた、最蓮房が難に負けることなく、大聖人に随順し抜いたゆえに、最蓮房を「真金」の人であると賛嘆されているのです。 さらに、「真金」である理由は「法華経の金(こがね)を持つ故」であると明確に示されています。 (つづく~)^^
April 19, 2007
〔テーマ〕~恋「ときめきや 人を若うす 恋ごころ」 「I氏の御書講義」「御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書」「生死一大事血脈抄」師弟不二~(つづき~) そのうえで、「而(しか)るに貴辺(きへん)・日蓮に随順し又難に値い給(たも)う事}と仰(おお)せられ、最蓮坊が日蓮大聖人に随順し、しかも、それゆえに自分自身も難を受けたことをもって、最蓮坊を「真金」の人と讃えられています。(つづく~)
April 17, 2007
「癒される 薔薇は美し 緑濃葉 深紅な深み 優雅な花弁 」 「夕食後 ワイングラスに 注ぐレッド」 「I氏の御書講義」「御書=鎌倉時代の日蓮のお手紙等をまとめた書」 「生死一大事血脈抄」~(つづき~) このように、本抄では、万人を成仏させたいとの「広宣流布の大願」と、相次ぐ大難を勝ち超えていく「不惜身命の行動」という、末法広宣流布の戦いにおける「師」の心と行動の真髄があかされているのです。(つづく~)
April 16, 2007
「あるものね 最悪の日が 落ち込むねェ」「昨日夜 右目(結膜)出血 鏡見て ギョットするguu すぐ点眼す」 「車降り 右足くじく 痛み増し 冷湿布貼り ひきずり歩く」 「ホラーだわ 右目隠して ウインク(気味に)」(^_-) 「あるんだなァ ボロボロの日も 病人だ」 「氏の御書講義」は明日に~(今から寝る。)
April 13, 2007
「楚々一輪 ウェーブ美し バラ優雅」^^ 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮の御手紙等をまとめた書)「生死(しょうじ)一大事血脈抄」師弟不二~(つづき~) 次に、大聖人は、「環つて(かえって)日蓮を種種(しゅじゅ)の難に合わせ結句此の島まで流罪す」と仰(おお)せです。 御自身の二十年来の闘争を示されながら、広宣流布の戦いは即ち大難を乗り越えていく戦いであることを示されているのです。 仏法の師弟における「師の心」が「広宣流布の大願」であることは先に述べたとおりです。ここでは「師の振る舞いの真髄」は「不惜身命の行動」(ふしゃくしんみょう)にあることを示されていると拝することができます。 一切衆生の生命が濁る悪世末法(まっぽう)で正法(しょうほう)を弘通(ぐつう)すれば、生命に及ぶ大難を受けることは避けられません。 しかし、「悦(よろこ)んで云(いわ)く本より存知(ぞんち)の旨なり」と(御書全集P910)仰せられているように、大聖人は、大難を莞爾(かんじ)(にっこり微笑むさま)として受け止められ、真正面から勝ち超えていく悠然たるご境涯を生涯貫かれました。「環つて(かえって)日蓮を種種の難に合わせ結句此の島まで流罪す」との表現には、いかなる大難にも揺るがぬ、大聖人の「師子王の心」に満ち満ちた、「法根本」「不惜身命」(ふしゃくしんみょう)の澄み切った御境涯を拝することができます。(つづく~)
April 12, 2007
「訪問時 わんこ近寄り せがんでる 膝に乗せてと 手をバタつかす」 「(わて)知らん顔 わんこ諦め 戻り家 (わて)目配せチラリ 静来るわんこ」 「(わて)知らん顔 諦め早し 戻り家 座布団もぐり すね目のワンコ」「苦手ネン わんこ済まんなァ 触れセン」 (可愛いな~とは思ってるよォ) 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮大聖人のお手紙等をまとめた書)「生死一大事血脈抄」~(つづきから~) ここで、「万人に成仏の血脈を継がせてあげたい」という大聖人(だいしょうにん)の お心を拝察するうえで、第一に重要な点は、仏法の血脈は「万人に開かれている」ということです。 この血脈の本義は、どれほど強調しても、強調しすぎることはないと言えるほど重要なことです。なぜならば、この血脈の本義を弁(わきま)えるか否かが、「人間主義の世界宗教」と「権威主義の邪宗門」とを分ける分水嶺(ぶんすいれい)とも言えるからです。 最蓮坊は、当時の日本天台宗の血脈の実態に疑問をもっていたのではないかと推察されます。「立正観抄」(りっしょうかんしょう)を拝すると、高層が血脈相承(けつみゃくそうじょう)を神秘化して自身や流派を権威付ける道具にしたり、あるいは高額で売買するなど、血脈相承そのものが腐敗・堕落の温床になっていたのです。 (つづく~)
April 10, 2007
「何かない? 時間工夫で 成せる事」 「I氏の御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮大聖人の御手紙等をまとめた書)「生死一大事血脈抄」~師弟不二(昨日のつづき~) 〔通解〕 日蓮は、日本国の一切衆生に法華経を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難にあわせ、揚げ句の果ては、この島(佐渡)まで流罪した。 ところが、あなた(最蓮坊)は、日蓮の弟子となって付き従い、また難にあわれている。その心中が思いやられて、心を痛めています。 金は大火(たいか)にも焼けず、大水(たいすい)にも流されず、朽ちることがない。 鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。 賢人は金のようであり、愚人は鉄のようである。あなたが、どうして真金でないことがあろうか。法華経の金を持つゆえであろう。 法華経「あらゆる山の中で、須弥山(しゅみせん)が第一である。この法華経のまた、一切経の中で第一である」(薬王菩薩品第23)とある。また「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」(同)と説かれている。 あなたは、過去の宿縁に運ばれて、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」(化城喩品第7)との経文は、決して、嘘ではあるまい。
April 9, 2007
「ドライブし 桜を見に行く いい気分」「目的地 着きし降り際 バッグ整理 早く降りよと いらつく夫」 「降りてから 『お待たせしたわァ』とは言わず 『うるさ爺!』 妻が一喝」 「傍で聞く 笑う客背に 歩き出す 止まらぬ笑い 意外さうける」(私は常々、夫から挨拶がわりのように『デッカイ鼻の穴のおばさん』と言われているためその応戦のため『うるさ爺』は常用語になり、さらに、追い討ちの言葉が出そうになりました。言えばよかったなあ。 (『うるさ禿ジイ・毒ガス吐きジイ(禁煙できず換気をする意志のない夫にたいして)・つるつるツルちゃん・つるっぱげ爺・等等等・・・)^^知らん人が聞いたら、澄ました顔して尻に敷いている~としか思わないかも。 I氏の「御書講義」(御書=鎌倉時代の日蓮大聖人の御手紙等)「生死一大事血脈抄」~師弟不二 〔本文〕(御書全集P1337~1338) 日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈(けつみゃく)を継がしめんとするに、環(かえ)って日蓮を種種の難に合わせ結句(けっく)この島まで流罪す、 而(しか)るに貴辺(きへん)・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣(や)られて痛ましく候ぞ、 金(こがね)は大火(たいか)にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄(くろがね)は水火(すいか)共に堪えず、賢人は金の如く 愚人は鉄の如し・貴辺豈(あに)真金に非ずや・法華経の金を持(たも)つ故か、 経に云(いわ)く「衆山(しゅせん)の中に須弥山(しゅみせん)為(これ)第一・此の法華経も亦復(また)是(か)くの如し」又云(いわ)く「火も焼くこと能(あた)わず 水も漂わすこと能わず」云云(うんぬん)、 過去の宿縁追い来(きた)って今度日蓮が弟子と成り給(たも)うか・釈迦多宝(たほう)こそ御存知候(そうろう)らめ、 「在在諸仏土常与師倶生」(ざいざいしょぶつど じょうよしぐしょう)よも虚事(そらごと)候(そうら)はじ」~ (つづく~)
April 8, 2007
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