crying for the moon

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村山由佳さん(7)


どこで教わったわけでもないのにそういうワザが使えるところを見ると、どうやらキスってやつは人間の本能のひとつらしい。
(「僕らの夏―おいしいコーヒーの入れ方2―」P35より)


好きだ、とか。
愛している、とか。
そんなんじゃ全然足りない。
胸の奥にこれほど激しく渦巻いているものを、そのまま彼女に伝えられる言葉が見つからない。
本気で恋したことのあるやつならきっと、誰もが同じくらい激しい思いを抱いて、そのたびに同じようなもどかしさを味わい続けてきたはずなのに、どうして今に至るまでこの感情を正しく言い表す言葉が生まれなかったんだろう。不思議でたまらない。
(「遠い背中―おいしいコーヒーの入れ方6―」P167~168より)


記憶の入れ物というのはたぶん、古ぼけたオルゴール付きの小箱みたいな姿をしているんだろう。見た目は何の変哲もなくて、だからふだんはそんなものが自分の中にあることさえ忘れている。でも、何かの拍子に見聞したものが鍵となり、それがたまたま鍵穴にぴたりと合うと、おもむろに箱のふたがひらきネジが巻かれて、思い出にたちまち色や音が付いてあふれだす。
(「天使の梯子」P20より)


「誰に何を言われても消えない後悔なら、自分で一生抱えていくしかないのよ。」
(「天使の梯子」P152より)


待つというのは、想像していたよりもずっとつらいことだった。むくわれる保証などどこにもないとなれば、なおさらだ。
(「天使の卵」P114より)


僕のくだらない冗談に、かれんが声をたてて笑う。僕は、茶碗越しにちらりと彼女の顔を盗み見た。どうやら心から笑っているらしい。
ようやく安心した。
彼女が何かをごまかしていたら、僕に見抜けないはずはないのだから。
(遠い背中―おいしいコーヒーの入れ方6―P64より)


<夏姫さんにとって、俺は何?>
一度だけそう訊いてみたこともあるのだが、
<何だったら安心するの?>
逆に訊き返されてしまった。
鼻白んで黙った俺に向かって、夏姫さんは微笑みながら言った。
<友達だとか、恋人だとか、そういう言葉でくくることに何の意味がある?
私があなたのことを恋人だと言ったら、それだけであなたは安心するの?
それきり二度と不安にならないで済むの?
じゃあ私がもし『私にとっては恋人なんかより友達の方がずっと大切よ』って言ったら、あなたはどうするの?恋人をやめてでも友達になりたがるの?
――ね、わかるでしょ、呼び方なんてどうでもいいってことが。
大事なのは、あなたも私も、今お互いを必要としあってるってことだけ。違う?>
違わない、と俺は言った。もと国語教師を相手に、言葉で勝てるはずがないのだった。
でももちろん、納得なんてしていなかった。
どういうふうに言えばちゃんと伝わるのかはわからないけれど、俺が言いたいのはそういうことではなかったのだ。
呼び名なんてどうでもいいという理屈ははわかる。というか、俺だって最初からそう思っている。
なぜなら俺が知りたいのは、夏姫さんが俺を想ってくれる気持ちが、俺が彼女を想うのと同じ種類のものかどうか、ただそれだけだったからだ。
(「天使の梯子」P104より)


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