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ヴェローナ と シエナ が美しく描かれている映画。Letters to Juliet日本未公開作品らしき Letters to Juliet を飛行機の中で見た。ヴェローナ と シエナ が美しく描かれていて、魅せられてしまった。ヴェローナ賛歌を 書かせていただきます。ネタバレはなるべく避けたいと思いつつ、避けられないのではあるが、※ ※ ※北イタリアの VERONA、ここは かの有名な ロミオとジュリエットの舞台となる街だ。たぶん、多くのイタリア旅行ファンの人々は、この町を訪れているかと思う。シェークスピアは、この町に古くから伝わるロメオとジュリエッタの悲劇を元に戯曲を書いたという。この町は、世界遺産にも登録され、街の中心には夏にオペラが演じられるアレーナがあって、その川に囲まれた旧市街は 派手さはないが、城や、寺院、市庁舎など街歩きを楽しめる。その町には 当然 ジュリエットの家がある。ジュリエットの家は、映画などで見る素敵な大きな邸宅でないところが残念な、思ったより小さな家である。あの有名なバルコニーシーンの あのバルコーも 思ったより小ぶりである。ジュリエット像の右胸を触ると幸せになるというので、右胸だけピカピカに光っている。画像は、http://goitaly.about.com/od/verona/ig/Verona-Photos/Verona-juliet-house.htmからの借り物です。中庭へのアーチの横壁には、多くの相合傘の落書きが書かれていて、困っているようだが、、そこには、世界中から恋愛の悩みの手紙が貼られていたりする。これが 原題の意味することであった。※ジュリエットへの手紙には、1930年以降現在も、15人ものボランティアたちが返事を書いているそうです。原作 は小説ではなく、ジュリエットに届く手紙やボランティアたちについて紹介した本だそうです。※主人公ソフィーは ニューヨーカー という雑誌で、昔の恋愛相手を探し出して、いい話は記事にするライターの卵、実際にはまだまだリサーチャーを仕事にしている。ソフィは、婚約相手のビクターと 結婚したらイタリアンレストランを開く予定で、開店したら旅行なんてしてる暇がないと ヴェローナへ プレ新婚旅行でやってきた。ところが、ビクターは イタリア料理の勉強などで、ソフィーはせっかくのヴェローナでひとり放り出されてしまう。で、ジュリエットへの手紙へのボランティア・グループ 「The Juliet Club」に参加することになった。偶然にも 50年前の古い手紙を発見し、それに返事の手紙を出した。なにしろ 50年も前なのだから、、、、ところが、数日で、その手紙を書いた少女(50年前)クレアの孫チャーリーが「よけいなことはしないでくれ」 と怒鳴りこんできた。少女のような心を持つクレアのことが心配でならなかったのだ。****ここから物語が始まるってことになるんだけど、どうする? まだ読む?50年前の恋人を探すなんて、なんとも破天荒な話だが、そこは リサーチャーであるソフィーには とっても素敵な話だ。結局 3人で シエナの近隣地域にいる ロレンツォ 74人の消息を探すドライブ旅行に出る。シエナの景色が素敵だ。ストーリーはちょっと古臭い展開かもしれないけど、とっても、ロマンチックな話。日本でもきっと公開されると思う。外国では、先週9/18ブルーレイ発売されてるみたい。是非見てほしいな。Letters to Juliethttp://www.letterstojuliet-movie.com/ではでは
2010年09月23日
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イタリアの時期新幹線のデザインが発表されたそうだ。以下、msnニュース:レスポンス 2010/8/6 から 借用しました。イタリアの次期新幹線は最高速400km/h!ETR1000イタリア国鉄グループのトレニタリア社は2日、次世代新幹線車両を選定するコンペの結果を発表した。それによると、イタリアのアンサルドブレダ社とカナダのボンバルディア社が共同開発した車両が最高得点を獲得した。ローマで5日に行なわれるトレニタリア社の取締役会で、採用が正式に決定される。トレニタリア社はイタリア国鉄グループの傘下で、列車の運行を担当している全額出資の子会社。ちなみに駅などの施設インフラの運営は、グループの別会社に任されている。次世代新幹線は、トレニタリア社が『ETR1000』の名で計画しているもの。今回のコンペでは、車両の性能として、営業最高速度360km/h、スペック上の最高速度として400km/hを求めた。発注車両数は50両で、第1号の納期は30か月後と指定された。選考は技術点(70ポイント)と納入価格の安さ(30ポイント)の双方に点数をつけ、満点の100ポイントにより近い候補を選ぶかたちで行なわれた。選考は、最終的にアンサルドブレダ・ボンバルディア連合と、アルストーム社(フランス)が競うことになった。アンサルドブレダ社は、1854年設立のアンサルド社と、1886年設立のブレダ社が2001年に合併して誕生した鉄道車両会社。防衛産業を主体としたフィンメッカニカ社の傘下にある。トレニタリア向けには、すでにピニンファリーナ・デザインによる新幹線『ETR500』などの製作・納入実績がある。また、カナダのモントリオールを本拠とするボンバルディア社は、航空機製造事業と並ぶ基幹事業として鉄道車両製造を据えている。いっぽうアルストーム社は長年フランスTGVの製作で知られ、トレニタリアには新幹線『ETR600/ETR610』の納入実績があった。2000年には、フィアットが手放した鉄道部門も買収している。選考結果は、アンサルドブレダ・ボンバルディアが技術56.533ポイント・価格28.88ポイント(1編成3080万ユーロ:約35億1000万円)の計85.413ポイントを獲得。技術50.795ポイント・価格28.61ポイント(1編成3500万ユーロ:約39億9000万円)の計79.405ポイントだったアルストームを上回った。ETR1000が実際に360km/hで運転された場合、ドイツのICE、フランスのTGV、日本の新幹線の営業最高速を超えることになる。ただしイタリアの在来線は、都市近郊部のラッシュや慢性的遅延に加え、いまだ蒸気機関車時代の設備が平然と放置されていることに代表されるインフラの老朽化など、問題が山積している。イタリアを拠点とする筆者としては、新幹線と在来線のバランスある発展を望みたいところだ。
2010年08月06日
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紫式部は、平安時代の人で、その時代に 源氏物語を執筆した ということは知っていて当然のことだけど、、、廬山寺 ここは、紫式部 邸宅跡 ですって。ここで、源氏物語 執筆したんですって。京都御所脇の道を自転車で走って ふと見つけました。(単に ここを知らなかっただけなのですが、)平安京 の時代 この辺は中心地だったのですね。京都には、源氏物語ゆかりの場所がいっぱいあるようです(あたりまえだけど)源氏物語をテーマにした 博物館もあるそうです。夕顔のお墓 も あるそうです。次回の京都は 源氏物語 が テーマかな。
2010年03月30日
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本場ミュンヘンには行かれそうにないけど、日比谷・仙台・横浜・栃木でオクトーバーフェストが始まってるみたい。日本で飲むとちょっとお高いが、雰囲気はぜひ味わってみたい。日比谷のは、もう昨日からなので、あわててアップさせます。以下 各地からの引用です。 世界最大のビール祭り ミュンヘンの「オクトーバーフェスト」[ミュンヘン 8/25 ロイター] ドイツ南部バイエルン州の州都ミュンヘンで開催されるhttp://news.ameba.jp/world/2009/08/44266.html 今年で176回目を迎える同フェストは、9月19日から10月4日まで開催される。 ドイツのビール祭りに行こうキャンペーン (アップルワールド)http://appleworld.com/apl/recommend/campaign/1178252_160466.html世界最大のビール祭りといえば、この「オクトーバーフェスト」。会場のテレージエンヴィーゼ(=テレージエン広場。ミュンヘン子は“ヴィーズン”と呼ぶ)には多くの特設テントが設けられ、テントの外には観覧車やジェットコースターまで出現して、まさに巨大なお祭り会場に。期間中、数百万の人々が訪れるこのイベントに今年は参加してみませんか?【アクセス】ミュンヘンへは日本から直行便で約12.5時間。オクトーバーフェスト会場のテレージエンヴィーゼへは、ミュンヘン中央駅からUバーン(U4またはU5)で 1つ目の「テレージエンヴィーゼ(Theresienwiese)」駅で降りればすぐ。歩いても15分ほどです。アサヒビール オクトーバーフェスト 日比谷 秋の収穫祭 2009http://www.oktoberfest.jp/会期:2009年9月16日(水)17日(木)18日(金)会場:日比谷公園(噴水広場)東京都千代田区日比谷公園1-6料金:入場無料、飲食は有料主催:日比谷 秋の収穫祭実行委員会後援:千代田区特別協賛:アサヒビール株式会社協力:ルフトハンザ ドイツ航空会社お問合せ:日比谷 秋の収穫祭実行委員会 事務局03-5403-0026(平日10時~17時)「仙台オクトーバーフェスト2009」2009年9/18(金)~27(日)http://maruta.be/oktoberfest_sendai/info仙台オクトーバーフェスト事務局 「エルディンガー ヴァイスビア」や、「ビットブルガー ピルス」といったドイツビールを クーポン券さえあれば、いつ飲んでも100円引きに。クーポン券を、是非ダウンロード。コインロッカー設置! オクトーバーフェスト、初の試み お客様から「コインロッカーを設置してもらえたら、安心して楽しめる」との声を頂きました。 確かに、お買物したり、踊ったりと、席を離れる機会も多いですよね。そこで、初めてコインロッカーを設置することにしました。「会場レイアウト」決定!錦町公園内のお店の配置も決定しました。客席テントがとても大きくなりました。会場全体で約1,200席ありますが、その半数をカバー。また、ステージと客席が一体化して、雨の日でも安心してステージを楽しめます。お店の前には人工芝を設置予定。雨の日でも、少しでも快適になるよう充実させました。横浜オクトーバーフェストhttp://www.yokohama-akarenga.jp/oktoberfest2009/index.html日本のビール発祥地である横浜、ドイツ式建築の「赤レンガ倉庫」で開催する、今年で7回目を迎えます。本年も約5万人の来場者、そしてジョッキ約10万杯ものビール消費が予想されます。本場ドイツから来日する楽団による開催日10月9日(金)~10月18日(日)計10日間入場料 200円場所 横浜赤レンガ倉庫 特設ビアホール座席数 約1,866席(テント内 約420席 ⁄ テント外 約1,446席)※テントはドイツ製(30m×30m) アクセス JR・市営地下鉄「桜木町駅」より汽車道経由で徒歩約15分横浜赤レンガ倉庫 TEL:045-227-2002URL:http://www.yokohama-akarenga.jp/主催 横浜オクトーバーフェスト実行委員会オクトーバーフェストin蔵の街2009http://www.kuranomachi.jp/event/2009/10/in2009.php文豪山本有三の生誕の地である栃木市で、ドイツ文化を広く紹介するためにドイツの伝統的なビール収穫祭「オクトーバーフェスト」が開催され、今回で4回目を迎えます。山本有三は、ドイツ人の心の支えといわれる「心に太陽を持て」を翻訳し、これが今なお日本とドイツの心の架け橋となっています。ビールはエルディンガー、ケストリッツァー、ビットブルガーを、ドイツ料理はフランクフルトソーセージ、ラビオリ、アイスバインなどを販売します。ドイツ民族音楽と栃木市の音楽家たちによる演奏が行われます。本場の料理、ビール、音楽に囲まれて、会場はドイツ一色に染まります。期間:平成21年10月9日(金)~11日(日)場所:うずま公園(栃木市室町周辺)・瀬戸河原公園(栃木市境町周辺)問い合わせ 栃木市商工観光課 TEL 0282-21-2543 (社)栃木市観光協会 TEL 0282-25-2356ドイツビールゲステル 330ml
2009年09月17日
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MSNのニュースで、GTRの消防車を 日産が寄贈した との ニュースを見つけた。日産もなかなかやるなあ。どんな形をしてるのかな? と見てみたら普通のニッサンGTRでも中身は、トランク内にホース、後部座席を取っ払って、20リットルの水タンクを搭載 だって。いい宣伝になりそうですね。以下、そのまま転載させていただきました。世界最速!! 日産 GT-R 消防車仕様、ニュルブルクリンクに配備http://car.jp.msn.com/new/news.aspx/root=au006/article=16171/2009年8月19日欧州日産は14日、『GT-R』の消防車仕様をドイツ・ニュルブルクリンクサーキットに寄贈した。GT-Rはその俊足を生かして、ニュルでの車両火災の際に、現場へ急行する。ニュルブルクリンク北コースは、1周20.8km。高低差約300m、コーナー数172という超難コースだ。自動車メーカーが開発テストの場所として活用するほか、お金さえ払えば一般ドライバーも走行可能。それだけに、事故や車両火災は日常茶飯事だ。しかし、長く厳しいコースだけに、事故が起きても緊急車両が現場に到着するには時間がかかる。そこで、日産は、GT-Rをベースにした消防車を製作。ニュルブルクリンクに寄贈することにした。GT-Rは、2007年10月の東京モーターショーでデビュー。3.8リットルV6ツインターボ(480ps、60kgm)に、独立型トランスアクスル4WDとデュアルクラッチ6速ATを組み合わせ、0-100km/h加速3.5秒、最高速310km/h(リミッター解除時)というパフォーマンスを発揮する。GT-Rは発表以来、初の改良を2008年12月に受け、最高出力を480psから485psへ5psアップ。同時に足回りの設定も変更した。今年4月23日、GT-Rはドイツ・ニュルブルクリンクでタイムアタックを行い、7分26秒70という自己ベストラップをマーク。GMのシボレー『コルベットZR-1』が持つ市販車最速記録、7分26秒4に肉迫した。ニュルの消防車として、申し分ない性能だろう。日産はGT-Rの消防車両開発に当たり、ドイツ・ボンに本拠を置くM&Mオートモーティブ社と協力。トランク内に消火システムと全長20mのホースを搭載した。さらに、後席を取り払い、50リットルの水タンクを配置。水もしくは消火剤は、20バールの圧力で噴射され、初期消火に対応する2分間分の容量を確保した。レカロ製バケットシートやロールケージも装着されている。特別装備の追加により、車両重量は約200kg増加したが、欧州日産によると、「ニュルでのラップタイムは8分を切る」というから、超一級の性能に変わりはない。R32からのGT-Rはニュルブルクリンクで鍛え上げられてきただけに、GT-Rの寄贈は日産からのお礼と受け取れる。ニュルを走行する一般ドライバーにとっては、心強い「最速消防車」の登場だ。
2009年08月20日
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バーリの町のお城は、海の近くにある。 せっかく行ったが、お城は、冬時間で閉まっていた。から堀のあるお城だが、特別印象のある形ではなかった。 旧市街は迷路のような細い道になっていた。大聖堂の近くを回ってもわからなかったのだが、車から降りたばかりのおばさんに、道を聞くと 近くまで案内してくれた。この町の人たちは インフォメーションを除き、とても親切だった。この町の守護聖人・聖ニコラ(サンタクロース)の サンニコラ教会も細い路地を抜ける途中にあった。サンニコラ教会のところだけ広くなっていて、その広場を警察の車が警備して居た。サンニコラ教会はあまり装飾的でなく、ただでさえ教会に興味ないボクたちはそこを通り過ぎて、古い城壁に沿って歩いた。が、すぐ近くにあるはずの港へは出られなかった。(バーリのアドリア海も見たかったのだが、ベネチアでいっぱい見たので、つい後回しになっていた。あとで地図を見たら、お城の裏手がすぐ海のようだった)冬の夕刻は、早くも暗くなりそうだった。駅のロッカーへ荷物を取りに行ってから、ホテルへ戻って夜行列車での睡眠不足を補うため、夕寝することにした。20時半近くなってのこのこ起きて 先ほどのトラットリア(Trattoria)へ行った。トラットリアとは、リストランテのちょっと大衆的なお店。と言っても、このお店は、半地下の本格的な雰囲気のお店だった。20時半でもこの町の夕食時間としては早めだったようで、2-3客しか居なかった。半地下のフロアから、地上のカウンターへ階段を上ったり降りたり、奥へ行ったり、マスターらしきおじさんは、忙しいことこの上ない。この店はたぶんメニューもないおまかせにコースに決まっているようだ。ボクたちが食べている間にどんどん混んできた。飲み物だけ聞かれて、ハウスワインを注文すると、料理については何も聞かれず順番に出てきた。あとから来た客にも順番に同じ料理を配っていた。チーズとハムとオリーブのアンティパスタから始まって、豆と野菜の楕円形のパスタ、野菜もおいしいし、この地方の名物料理の魚介類の揚げ物(フリット・ミスト)とてもよかったです。食事を終えて、帰る道すがら、明日の朝のためにパンと牛乳を買った。朝食なしなのと、朝8時のバスなので、素早く出発する準備が必要だった。
2008年08月13日
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アルベロベッロのツルッリの見学は早々に 広場へ戻ると、インフォメーションは 中型の変形のツルッリだった。中で絵の展覧会をやっていたので、ツルッリの中も見たかったので見学した。違う道を大回りして、道を聞きながら駅へ戻った。列車乗車中に、ガイドブックやネットで仕入れた時刻表などで、マテーラへ行くか検討したが、今回の旅ではあきらめることにした。この日はバーリに泊まって、明日朝の長距離バスでナポリへ行くことにした。ナポリ近郊には見所がいっぱいあるのだ。■バーリ Bari私鉄で帰りも1時間半かかって、バーリの駅に着いた。明日のために、高速バス切符売り場を求めて、駅裏へ。駅前にあると聞いていたが、ない。通行人に聞きながら、半信半疑で数百m歩いたところに 狭い間口で、目立たぬバスの切符売り場があった。他にも客が居ないので、翌朝8時のバスの切符をすぐ手に入れられた。「高速バスのバス停はどこ ?」 と聞くと、「駅前の広場」だって。しつこく聞いたが、やはり、目印もなんにもないようだ。さてさて、肝心な、ホテル探しだ。(今回の旅では、ホテルの予約していない自由な日はこの日だけだった)駅表口広場のインフォメーションは、午後の時間も開いていなかった。仕方なく、地球の歩き方に載っている、住所で近くにあるホテルを探す。あった!あった。その住所では、1階・3階・4階と 3つ別々のホテルになっていた。どれにしようか と思ったが、1階左手のフロントのホテルに声をかけるとすんなり決まってしまった。部屋はエレベーターで4階だったか。シャワー付きだが、裏庭側で景色はよくない部屋だった。明るいうちに町歩きに出た。なんとかバスに乗らずに歩けるくらいのところに旧市街がある。バーリの町は、南イタリアとしてはかなり都会で、バスは駅から一方通行に走っている。ホテル近くの広場で、アフリカ人たちが、地面に物を置いて売っていた。怖くはないが、なんか変。聞いた話では、イタリアでも南の町でアフリカ人たちが中国産の粗悪品を売っているのだそうだ。確かに、顔がちょっと変なキティちゃんバックルのベルトとか、、、。駅前のインフォメーションにまた寄ると、夕刻の 今度は開いていた。が、インフォメーションには、応対がいい加減なイタリア男性だけだった。地図はもらえたけど、なんだか役に立たない対応だった。で、期待していなかったが、「おいしいリーズナブルなリストランテは?」と聞いたら、「どこだっておいしい、、、」 みたいなお返事。その中で無理にやり地図を見せて、3つ丸をつけてもらったが、そのうち2軒は夜も営業休止だった。 もう1軒のお店、おすすめトラットリア、「庶民的な海鮮料理なのでこの時間でも開いてるよ」と言われたけど、やっぱり午後3時以降は閉まっていた。地図を見ながら、うろうろ。この辺かな? と、建築現場のおじさんたちに聞くと、親切なことに、仕事の手を休めて、若い男が案内してくれた。3時過ぎて閉まっていたが、評判のお店らしいので、夕刻にはこの店へ行くことにした。
2008年08月12日
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広くなったところの先に、正面の丘が、ツルッリで占められている。ツルッリのおみやげ屋さんから 呼び込みのおばちゃんが見える。呼び込みばかりいっぱい居る風景を見るとボクはすぐ興ざめしてしまう。まだ見学もしていないのに、なんだかなあ~。呼び込みがないと思われた坂で、陽気な兄ちゃんに日本語で声かけられた。「見るだけ只」油断したわけではないけど、他にもお客さんが居たのでちょこっと入ってみた。アルベロベッロのワインはいかが?と試飲を勧める。 飲むのは只今度は、ビスケットにトマトベースのちょっと辛いのをのせて 食べないかってまたも言ってきた。押しつけでなく、断ると、おいしそうに自分が食べている。おみやげには何がいいか。アルベロベッロのツルッリの置物を物色していると、説明してくる。「こっちのは 瀬戸物で重いけど、こっちのは中を空洞になっていて上等、少し高いけど質がいいんだ。」と。小さな置物と、絵はがきだけで終わりにしようと思っていたが、ワインとビスケットもらった手前 ワインも買ってみたくなった。アルベロベッロ特産で、黒いボトルにツルッリのマークが入った物だ。旅はまだ終わりでないが、ま いいか。思わず寄り道してしまったが、呼び込みを断りながら坂を上る。突き当たって右へ行くと、大きなツルッリ型の教会があり、そこでは結婚式が行われていて、交通整理されていた。そこもすり抜けると、裏手の公園で、休憩。ハムとパンでサンドイッチにして食べる。そこへ、パッカパッカ という音。馬に乗った紳士が公園に乗り入れてきた。馬を木につなぐと、教会の方へ消えていった。かわいらしい家々ではあったが、それこそ観光だけで成り立っているようで、世界遺産って、こんな事でいいの? って、疑問になってしまいました。ボクってひねくれ者?ところでブログの写真ホントにいっぱいになってしまいました。楽天ブログって、写真の整理が難しいですね。写真もあまり消したくないし、、、、。
2008年07月21日
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バーリ駅を挟んで2つの私鉄があるが、アルベロベッロへ行く私鉄は 裏口方向にあると事前調査済みだ。私鉄の名前「Sud-Est鉄道」が書かれた地下通路を抜けて。Sud-Est鉄道は、ホームの端に 切符売り場の駅舎があった。得意のいい加減イタリアンを話すと、次のアルベロベッロ行きの時刻と往復の切符を手に入れた。最近イタリアでは、往復の切符を買っておかないと、帰りに切符を買えないおそれがあるのだ。1時間に1本もないはずのホームには、結構頻繁に列車が入ってくる。乗客にアルベロベッロ? と いちいち確認する。これじゃない、これじゃない と毎回教えてくれる。あまり暇なので、駅舎へ行って、アルベロベッロからの帰りの列車のことを聞くが、さすがに通じない。ちゃんと英語がしゃべれる駅員さんを呼んで説明してくれた。2-3時間見学しても、帰りは1時間に約1本走っている。日曜日は全部運休、土曜は相当少なくなるようだが、平日は安心だ。それにしても こんなに頻繁に来るのにアルベロベッロ行きは、なかなか列車が来ない。路線は、結構長く枝分かれもしているのには驚いた。路線図で見ると、アルベロベッロは終点でなく、途中駅だった。ようやく来た列車に乗り込む。車窓からは、田舎の風景と町が交互に現れる。畑が多くなってきたあたりから、ツルッリが見られるようになった。ツルッリとは、あの、三角屋根だ。たいていは畑のそばの物置に使われているようだ。アルベロベッロにしかないと思っていたものが、こんな車窓から見られるのだ。カメラを向けても車窓の写真は難しい。乗車時間1時間半。 Alberobello アルベロベッロの駅到着。駅前からいくつかの坂道があった。どの道だろうか? と 地図を見ている間に人々はそれぞれの道に消えていった。駅からは5-10分くらい歩くはずだ。家々は、込み入って建ってはいるが小さな町のようだから、見当で、真ん中の坂道を進む。あれっ?路地を見ると、ツルッリが見える。路地に入ってみる。塀があったりして、ツルッリが連なっているが、見物客は居ない。 写真も撮りにくい。ここが観光地のはずはない。ツルッリが密集している地区は、土産物屋が並ぶモンティ地区と、その向かいの静かなアイア・ピッコラ地区とがあるそうだ。でも、ここはアイア・ピッコラ地区でもない、普通の住宅街のようだ。もうちょっと愛想があるところに行きたいな。アルベロベッロ って、全体が ツルッリしか並んでいない町かと思っていたので、普通の町の一部であることにガッカリ!そして、逆に、こんなに普通の住宅街の中に ツルッリがあるのでガッカリ。ホントの世界遺産地域に行きたい!少しすると、標識があった。この先にあるようだ。
2008年07月10日
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夜行列車ベネチア・サンタルチア駅へ 少し早めに着いた。夜行列車のホームを確認すると、もう停車していた。車内はまだ明かりもついていないが、指定席なので乗車した。しばらくして、明かりがついた。夜行列車は季節はずれのせいか、あまり乗客がいない。6人部屋のコンパートメントなので、廊下側のカーテンを引いて入りにくくした。定刻に、静かに客車は出発した。幸い誰も乗車せず、2人で1部屋占領できた。3人分の席に鞄を枕に寝込んだ。残念なことは アドリア海がすぐ脇にあるのに、真っ暗で見られないことだった。ボクは乗り物の中で眠れない方なので、ボローニャとか途中駅にも目が覚めた。 到着は翌日6時半くらいだったが、5時半くらいから目が覚めて、列車が遅れていることに気がついた。途中駅で降りてみようかとも思ったが、我慢、我慢。バーリ・中央駅到着。寒くはないと思っていたのだが、ここで風邪を引いてしまったらしい。 バーリ到着バーリは この地方の中心都市で、私鉄がこの駅の両側にそれぞれある。まずは表口に出たが、まだ広場のインフォメーションは開いていなかった。実はこの日のホテルの予約がしていなかった。 バーリに泊まるか、 アルベルベッロか、マテーラ の2つの世界遺産の町のどちらかに泊まるか、決めていなかった。バーリから私鉄でそれぞれ1時間半から2時間くらいの場所に位置するのだが、あまり交通の便がよくない。 アルベルベッロは あのかわいらしいとんがり屋根のツルッリで有名な町だが、それ以外の名物がない。 マテーラは、古代からの洞窟住宅の町で、寂れていたのが、世界遺産になったおかげで少しずつよくなっているそうだが、治安がいいかどうか不安なところがあった。 バーリの町にもお城があるので、この町に泊まることにして、荷物は荷物預かり所に預けた。 さあ、アルベルベッロに向けて出発だ。
2008年06月30日
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キオッジャから 行きと逆に バポレットに乗って、バスに乗り換え、バスごとフェリーに乗って、リド島をバスは約半分6km走って、リドの港に着いた。この日の予定は、夜9時半の 夜行列車に乗ることだったので、まだ数時間ベネチアを楽しめた。リド島からは やはり 1番のバポレットに乗って、カナルグランデの好きなところで乗ったり降りたりして、夕刻にはようやっとバカロ(ベネチアのバー)も行かれたし、ローマ広場から本土への橋を見下ろしに行ったり、ベネチア最後の日を楽しんだ。カーニバルの写真、残りの分 載せます。 夜の彷徨の時間には バッテリーがなくなってしまい、残りは自分の目で楽しんだ。立ち食いピザのお店で、ワイン飲んだりした。ばいばい、ベネチア。 またいつか、、、
2008年06月19日
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キオッジャの町を一通り回ることにして、道路に張り出した 大聖堂を越えて、本土への橋を半分だけ渡りました。キオッジャと本土を結ぶ橋。路地裏のレストランに入りました。レストランで食べたのは、イカのフライと スパゲティボンゴレ。スパゲティは2人前から というので2人とも同じメニュー。キオッジャのアサリは小さめでした。珍しい魚介類は食べられなかったけど、満足して、キオッジャの町 から また バポレットとフェリーに乗るバスに乗って、リド島・ベネチアへ戻ります。
2008年05月29日
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路地を入ってみると、裏手に運河があった。小さな橋がいくつもある。そうそう、これがないと、海の上の町という感じがしない。この運河はおもに船の係留に使われている。運河脇に 小売店やバルなどが並ぶ。 真っ赤なテントは、小売り用の魚市場だった。 外国人なのに、かまわず声をかける。 買いたいけど、買えない。生のまま調理しないで食べられればいいんだけど、、、おいしそうな魚介類を前に、指をくわえて通り過ぎた。運河沿いの肉屋さんで、おいしそうなハムがいっぱいあった。 ベーコン風のものを500g買った。思ったより高かった。500gって、こんなにいっぱい? と思うほどきた。薄く切ってくれたハムに、1枚1枚薄いビニールを挟んでくれた。(とてもおいしいハムだった)よし、今日はサンドイッチだ!マヨネーズを小さなお店で買った。リンゴも。でも、考えてみたら、この町に来たのは海産物を食べるためだった。またもレストラン探しに歩き回る。立て看板があっても、レストランはまだ開いていなかった。もう少し食事時間とかの計算もする必要があった。イタリアだから、昼食は13時過ぎないといけなかった。せっかくなので、本土と繋がる橋も見に行くことにした。通りに出っ張ったように教会があった。大聖堂かな?
2008年05月26日
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■キオッジャ漁師たちの船が多く停まる港に、馬力の大きいバポレットは、直角に入らず、ぐるっと回るように、船着き場に付けた。 ボクたちは、荷物を転がしながら、 キオッジャの船着き場に降り立った。ここは気取らない雰囲気だった。船着き場から、ちょっと歩いただけで、年老いた漁師上がり風の男が多めだな という町の印象。「ドヴェ ア インフォルマション ツーリスモ ?」と、いい加減なイタリア語で聞く。おじいちゃんは、他のおじいちゃんも巻き込んで答えようとしていた。どうやら、船着き場近くには、インフォメーションなんて気の利いたものはないようだ。スタッチョーネ とか聞こえるから、駅に行かないとないようだ。グラッツェ と言って、彼らから離れた。この町の入口に、 たいこ橋があった。 5/4 日曜の 「ウルルン」で、 アリtoキリギリスの石井正則さんが、まぼろしの「モレッケ」を求め、 キオッジャへ着いたとき市長さんたちと会ったあのたいこ橋です。港からすぐのところに あるのですが、誰も気にしている様子はなく、観光名所という感じではありません。写真も撮らなかった。少し行くと、広めの表通りに出ました。大通りには、車道にまでバルのテラスのテーブル席がはりだしていて、車があちこち適当に停まっています。そうそう、ここはベネチアと違って、本土から車が渡れる橋が架かっているのです。車はたまにしか通らないので、車道を歩行者が我がもの顔で歩いています。漁師町らしい雰囲気の気取らない町です。アーケードの商店街が右手に、左手は教会などが並ぶ。ここはなんとも観光地という雰囲気ではない。ボクたちも、大通りの真ん中をバックをひいて歩いた。まだ午前中で、レストランも開く時間ではありません。道路にはりだしているバルも わずかに観光客がテーブル席に座っているくらいで、ウエイターたちも手持ちぶさたです。 何か面白いところはないか と路地に入ります。
2008年05月23日
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雑草が両脇に生えた変なところでバスは停まった。信号でも赤なの?しばらく停まっている。???ギュウギュウでバスの車内から、先に信号があるのかどうかよく分からない。それにしても、道路の真ん中に雑草の生えた道なんてあり?動き出した。のろのろと。と、小さな広場を経由して、バスは 10数台くらいでいっぱいになりそうな 小さなフェリーに 乗り込んだのだ。 バスごと乗ってしまった! なんてダイナミックな! 乗用車やトラックやバイクなども乗せて、すぐに離岸した。事前に学習していたので、なるほど と思ったが、ちょっとビックリ体験だ。 フェリーが出航すると、 バスはドアを開けた。ギュウギュウの客のうち 一部の人が ドアから降りて 車内は、少し余裕ができた。■10分くらいで、フェリーは、隣の島に着いた、乗客が戻ったところで、バスはドアを閉めて走り出した。この島は、ペッレストリーナという島 だそうだが、やはり細長い島だ。小さな集落と、工場があるくらいで、反対側は 護岸のような土を盛った土手になっている。道はまっすぐだが、何とも面白くない景色が続く。なにもないところのバス停でも乗客は少しずつ降りていく。郵便屋さんカップルも途中で降りた。ちょっとだけいすに座れた。 ■しばらくして、バスが停まると、乗客が降りだして、他の客がどっと乗ってきた。んん?ぼけっと座っていると、女性が声をかけてきた。?「キオッジャへ行くの?」「はい。」と答えると、「ここで降りないと、リドへ行ってしまうよ」大慌てで、バスを降りた。終着駅だとか、なんのアナウンスもなかった。■その少し先には、バポレットが待っていた。先に降りた人たちはすでに、バポレットに乗ったようだ。またも、 「ア キオッジャ ?」 と聞いて、シー という声を聞いて そのバポレットに乗った。ペッレストリーナという島はまだ続いていたが、工事船のようなのが停泊しているくらいのもう防波堤だけしかないような感じで、味気ない感じだった。 潟の方に目をやると、水上に浮いた小屋がいくつか見える。ベネチアの起源は、こんなような小屋かもしれないな という原風景だ。漁師たちが、養殖したりして、作業したり、ひょっとして水上に今も住んでいるであろうか? と思わせる風景だ。穏やかな潟の水面に、しばし目を楽しませられた。しばらくすると、正面に陸地が見えた。ああ、キオッジャ なのだった。
2008年05月20日
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サンマルコ広場で、カーニバルを夜も楽しんだ後、リド島で、ホテルへ戻る際、またも迷子になってしまった。でも、ベネチア本島での散歩のような迷子と比べて、この迷子は、あまり楽しいものではなかった。自分が悪いのだが、、、■ 翌朝本日は、ベネチアから夜行で出立する。21時までたっぷりの時間がある。ベネチアの魚市場を担当するキオッジャ という町に行くことにした。行こうか行くまいかと考えていたが、古きベネチアを連想させるかもしれない町だそうで、やっぱ、行くっきゃないか。行き方は、リド島から延々バス・フェリー・バポレットで1時間くらい。(いったいどこにあるんだ? と 日本で地図で調べてみた)キオッジャへは、鉄道でも大回りで行かれるが、幸いなことに、リド島から11番のバスで連絡しているという。泊まっているこのホテルもリド島なので、バスは目の前を通るかもしれない。荷物をサンタルチア駅のロッカーに預けて身軽に とも思ったが、 時間がもったいない。※ちょうど先週日曜5/4の 「ウルルン」では、 アリtoキリギリスの石井正則さんが、まぼろしの「モレッケ」を求め、 イタリアのキオッジャの漁師さんのところに民泊していました。※ ※「モレッケ」とは、いわゆる「ソフト・シェル・クラブ」で、 脱皮直後の「ミドリガニのオス」だけを指す名称で 春秋のわずかな時期しか食べられない幻の味とのことでした。■結局、チェックインして、目の前のバス停でなく、始発のリド島船着き場まで行くことにした。※(目の前のバス停では停まらないということが後で判明)船着き場のバスを降りて11番のバス停を聞くと、商店街の方を指さされた。ちょうど11番バスが停まっていて、ちょうど席が満席くらいだった。これを逃すと、40~50分後なので、立ち席で乗ることとした。なあに、途中でどんどん降りて空いてくるだろうと高をくくっていた。バスが出発するまでしばらくあったが、その間にどんどん乗ってきて、余裕はあるが、結構いっぱいになった。リド島のバスは、いつ乗ってもいっぱいで感心した。リド島はカジノと海水浴だけの島かと思っていたが、なかなかどうして、生活感のある町だった。バスは出発すると、 海水浴場側の通りを南下する。ホテルのある通りは通らなかった。やがて直角に曲がって、芝生の張られたサッカーコートのようなところは低層のマンション住宅地域だった。結構頻繁に停まると、下車する人もいるが、乗る人の方が多い。もうギュウギュウだ。と、荷物を余分に持った制服の2人が乗る。なんと、郵便屋さんだった。彼らのために乗客は場所を作らざるを得ない。 バスは足の場所を確保するのがやっとのホントの満員になっていた。幅500mくらいの細長い島でも、時折直角に曲がって、大学のようなところを通り過ぎた。長さ12kmの島で、半分としたら、6kmくらい南下するはずだ。車窓の風景は意外と色々変わった。雑草が両脇に生えた変なところでバスは停まった。信号でも赤なの?しばらく停まっている。???動き出した。のろのろと。
2008年05月13日
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バポレットで、本島へ戻った。カナル・グランデの真裏の停留所で降りて歩く。地図を見ると、カ・ドーロへも ほぼまっすぐ。な~んだ、ベネチアって、わかりやすいじゃないか。あちこちに路地があって、人が歩いていく。なんとなくあっちの方が近いかな とか、興味本位で曲がってみる。近道かと思いきや、そこの住民専用の建物に繋がっていたり、住宅の間を抜けると、直接運河に繋がっていていたりして。ちょっと運河をのぞいてみようと、濡れた階段に1段降りてみたら滑りそうになった。危機一髪!こんなところで すごく寒くはないにしても運河に落ちて、冬にびしょぬれでは大変なことになってしまう。まあ、無事でよかった。カ・ドーロにあるという有名なバカーロの場所を探す。ベネチア人も親切だった。自分が知らなくても他の人に聞いてくれる。「カ・ドーロの商店街をちょっと曲がったあたりの銀行脇?」その銀行が見あたらない。??これも銀行かな?お店が見つからない理由が分かった!鉄の大きなドアが閉まると、看板も見えない。路地の奥まったところだった。あとで寄ってみたい。リアルト橋をまず見学することにした。リアルト橋は、橋の上にちょっとお高いおみやげ屋さんが並ぶ。対岸へ行って、夕刻。この時間には、まだバカーロもリストランテもあいている時間ではない。観光客向けに、小さな広場に席を出しているピザ屋さんに決めた。お店の中も勧められたが、広場の席の方がいいや。席に座った頃から日が暮れて、真っ暗に近い状態になった。2種類のパスタ(リゾットとパスタ)とサラダを分けあって食べた。味はまあまあだった。ぐるっと、あたりを回って、水上バス バポレットで、サンマルコ広場へ向かった。暗くなった中でも、カーニバルに参加する人々は多かった。残念だけど、暗くなると綺麗な写真はあまり撮れなかった。
2008年05月11日
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ムラノ島は、早めに切り上げて、待ち時間なしに、ブラーノ島へのバポレットに、さっと乗り込む。ブラーノ島は、少し離れていた。ブラーノ島に橋で繋がっているマッツォルボ島の停留所に停まるとマッツォルボ島にも数人の白人たちは降りていった。次のブラーノ島で降りる。さっきの島とも橋で繋がっていた。ブラーノ島は、漁師の島で、特産はレース編みだそうだ。特徴は特にないと地球の歩き方には書かれている。広場を抜けると、おみやげ屋さんの続く路地。運河に沿って、お店が続く。 おみやげ屋さんは、レース屋さんが少し多めにあるくらいで、大して変わらないけど、建物の一つ一つがとってもカラフル!かわいい町だ。 運河は工事中で、掘り返していたが、黄色の家、隣が空色、その隣が紫、黄色、オレンジ、肌色、青、オリーブ色。規則性はないが、なぜか建物はみんな極彩色。きれいだ!漁師が霧にあっても自分の家が分かるようにカラフルだ と書かれているが、この島だけとってもカラフルなのはちょっと不思議。他の島だって、カラフルであってもおかしくないのに。 ベネチア本島に比べれば、海鮮が割安に食べられるかもしれないと思いながらも、帰りの船の時間が気になって、リストランテには入れないで居る。おみやげは?買いました。ベネチアらしいもの とか言って、カーニバルマスクのミニとか。広場のリストランテには、フランスの貴族のような仮装した一群が広いテーブルを囲んで酒宴を開いていた。彼らの回りには、観光客がカメラを向けている。結局、反対側の漁師が住むと思われる民家の裏手の網が干してあるあたりを回って、船着き場へ。 こんな民家もそれぞれ極彩色で、最近塗り直したようにきれいだ。そのための予算が島民には配られるのであろうか?しばらく待って、次のバポレットで、本島へ戻った。
2008年05月08日
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サンタルチア駅で、明日の準備をすませた。駅前のバポレット停留所Ferrovia から また観光に出発。時刻表を見ていたら、ムラノ島へ行く船も 近道と遠回りがあるが、幸いなことに早回りの方の船の時間が近い。ムラノ島は、カナル・グランデからは真裏に当たる。運河を抜けて、真裏へ。墓地の島 サン・ミケーレ島を横目で見ると、ムラノ島はすぐそこだ。ムラノ島も いくつかの島を橋で繋ぎ大きな運河がある。 停留所もいくつかある。ガラス工場見学すると、高いおみやげを買わないといけなくなるので、工場見学はせずに、運河沿いの小さなお店をウインドウショッピング。 果物だったり、魚だったり、小さな作品がきれいに並ぶ。ムラノガラスの置物は以前に来たときに買っているので、今回は無理して買うつもりはない。小さな広場に 大きなガラスのオブジェが置かれていたり。運河に沿って歩いていたら、次第に対岸が離れていって、橋が架かっていない。橋のあるところまで戻らなくていけないので、対岸へ渡るのがおっくうだ。ムラノ島は、ガラスの博物館と、小さな教会があるくらいなので、このぐらいで切り上げようか、、、実は 船の時間が気になっていた。うまくすれば、待ち時間なしに、ブラーノ島へ行かれる。ムラノ島の簡単な地図で行くと、停留所は小さな灯台脇だ。灯台は? この先にあるみたいだ。灯台に着いたとき、ちょうどバポレットが着いた。「ブラーノ?」 と聞くと、シー と答えられた。36時間切符があるので、さっと乗り込む。
2008年05月08日
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ベネチアのメイン通りは、大運河(カナル・グランデ) だ。が、名前の付け方は大げさだ。その裏手の、ジューデッカ運河の方がでかいのだがカナル・グランデの方が、景色もすばらしいからOKだ。サンザッカリアからバポレットに乗る。 ホントにどこを切り取っても絵になるのが、ベネチアのすばらしさ。 1番のバポレットは、こまめに停まって、ゆっくり走る。景色は充分に堪能できる。 欠点は、後ろのデッキ席を確保できないと、乗降客が多いデッキに立たないといけない点。2番が急行のバポレットだが、 1番が邪魔していて、なかなか抜けないところが痛快だ。 こっちの岸、あっちの岸へ ゆっくりゆっくり進むが、着岸・離岸は とても素早い。タイのチャオプラヤ川の水上バスも素早いが、停まるか停まらないかの内に飛び降りないといけなかったり、まだ片足が着地していないのに離岸するので少し怖い。ベネチアの場合は充分に安全にも気を遣っている。リアルト橋が、カナル・グランデのハイライトだ。その次あたりの カ・ドーロ で降りることにした。ここまで来れば、駅まで歩いてもたいしたことはないだろうと。カ・ドーロは、「黄金の館」という意味の愛称だそうだが、金色というより白亜の建物に見える。元は商館、美術館になっているようだが、今日はどこも入る気がしない。船着き場から、路地を抜けると、商店街。 ここに、バカーロという種類の立ち飲みバーがあるはずであった。バカーロは、ベネチア独特のスタイルらしい。イタリアの他の町のバルBARでは、菓子パンはあっても、おつまみはない。残念ながら、朝からそんなお店を見つけるのは非常に難しかった。商店街をゆっくりウインドウショッピングしながら、路地や橋を抜けていく。どの道もまっすぐでないが、きっと駅に続くと信じて進む。ベネチア本当はさほど広い地域でないので、迷子になるのも楽しいことだ。途中の果物屋さんで、洋梨を買う。手で取ろうとして、チチチッと怒られた。現在では、果物を直接手で取ってはいけないようだ。いつの間にイタリアが清潔さを気にする国になってしまったのだろうか。2つ買って、量ってもらい、わずかのお金を支払う。運河沿いに沿って迷わず、駅に着いた。駅に行く理由は?実は、ベネチアからの鉄道の切符を買うため。逆回り と タイトルに書いたのは、アドリア海沿いに南下して、それから、西へ、ナポリ、ローマへ行く日程だから。アドリア海は、昼間下りたかったのだが、日程の都合で夜行列車の席が取れるかどうかが問題だった。バーリからアルベルベッロやもう1つの世界遺産マテーラ(断念)へも行きたかったが交通が非常に不便、またそこからナポリへの交通も不便、ベネチアの滞在時間や、ナポリでの時間を確保したかったので、夜行列車やむを得なかった。イタリアパスとか買っても採算合わないので、鉄道に乗るたびに毎回切符を買うことにした。切符売り場は、昼間から列ができていたが、さほど時間掛からずに 予定の列車の切符が手に入った。駅での用事は、ロッカーの位置だ。それもすぐ分かって、本日の任務終了。
2008年05月07日
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カーニバルって、観光客も参加できる仮装して歩く お祭でした。 この不思議の国のアリスの 彼女が 入選するかもしれないということで、インタビューを受けているらしい と 他の観光客さんが話していました。夜のコンサート イタリア語なので ぜんぜん分からなくって、面白くなかったです。
2008年05月04日
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カーニバルの帽子は、KBが魔女の紅色のとんがり帽、ボクは、ピエロのような先が6つくらいの分かれている赤黄緑の3色の派手なもの。せっかくなのでかぶったまま、サンマルコ広場を歩く。かぶってしまって、逆に建物の中の見学しにくい感じとなった。カーニバルの扮装のカップルを撮影。ハトと人間のどっちが多いかというあたりの先には大きなステージがあった。夜にはきっとなにかのショーがあるのであろう。そして、今まで決して入ったことのないカフェへ行ってしまった。以前から高いと聞いてはいたが、しかし、「立ち飲みなら高くないだろう」と思って、中のショーケースをのぞく。値段が書かれていない。カプチーノとなにかパンでも食べようかな とぐずぐずしていると、ショーケースの中の女性が、とにかくボーイさんを呼んで席に座れとせかされる。座ると高い! のでぐずったが、ボーイさんに勧められてメニューをもらった。う~~ん、高い!カプチーノより安いエスプレッソで、9EURO。サンドイッチ と書かれているのは 15EURO以上!でも、ちょっと興味を持って、「このサンドィッチ ってどれっ?」とボーイさんにしつこく聞いたら、ショーケースの中の小さなパンを指した。いよいよ、恐ろしい。座ってメニューだけ見て出ていくのも、日本人代表としては 問題なので、エスプレッソを1つずつ頼んで、しばらくの間だけ、広場の景色とお店の中の雰囲気を楽しんだ。長くも居られないので、お店を出て、まずは当初の目的地・サンタルチア駅へ向かうことにした。広場には、小学校に入ったか入らないかのかわいらしい少女たちの仮装がとてもかわいい。でも、すぐ疲れてしまったり照れてお母さんの陰に入ったりして、なかなかいい被写体になってくれない。白い仮面で、いかにもカーニバルの主役は私よ!といった感じで、サン・ジョルジョ島をバックにポーズを取る人を写したりして、サン・ザッカレア船着き場へ。横のモーターボートやバポレットには、カーニバルの扮装の人たちがいっぱい、歓声を上げながら楽しんでいる。どうやら、サン・ジョルジョ島でなにか楽しいことが待っているらしい。ボクらは、それを横目に、各駅停車のバポレット1番に乗り込んだ。36時間切符で、水上バスを丸2日乗り倒すぞ っと。カナル・グランデを楽しむには 1番が もっとも優れていると思う。
2008年05月02日
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リド島の住宅街にある、ホテル・ヴィラ・デ・ティツィアーノは、冬の期間はあまり利用客がいないようで、朝食も付かない。ほんの少し、持っていたビスケットなどを食べて、早めに出発。ここに2泊するので、荷物を置いていける。朝からただ乗りは気が引けるし、朝の散歩で、リド島の長い東海岸を歩く。こちらは、海水浴場が続く。夏ではないので、海水浴場に人はいない。入っていいかはわからないけど、開いている入り口から砂浜へ。シーズンオフは砂浜も整備中の感じだ。スターウオーズに出てくる三角屋根みたいなコテージが並ぶ海水浴場もあった。船着き場方向へのロータリーから島を横切る。ここの幅は約500m。以前にも歩いたことがある通りだが、だいぶあか抜けてしまっていた。大きなスーパーだったところも他の施設とセットになって、小規模の食品スーパーに衣替えしていた。船着き場に着くと、早速にインフォメーションで バポレットの路線図をもらい、残りのベネチア滞在時間を考えて、36時間切符を買った。ベネチアでは、1回券より、こういった24時間券とか、48時間券の方が確実にお買い得だ。本日のリド島探索は、これでお仕舞いにする。リド島はほとんどのバポレットの終着点や中継点になっていて便利な場所だ。まずは、ベネチア観光のスタート地点・サンマルコ広場に急行する。カナル・グランデを巡る各駅停車バポレット 1番に乗る。さわやかな朝の 水上バス散歩、ここに始まる。船内でなく、後ろのデッキの席に陣取る。離れ去るリド島の景色を楽しむ。旅はまだ始まったばかりだ!カナル・グランデの風景もすばらしいが、ここ、リド島からサンマルコ広場までの風景もなかなかすばらしいと思う。いくつかの船着き場を経て、サンマルコ広場の1つ手前で降りる。朝からもうおみやげ屋さんが出ているし、嘆きの橋の横を渡って、サンマルコ広場へ行くのだけで、すでにベネチアを体感できている。KBは、もう感激しっぱなしだ。ディズニーシーは問題じゃない! 嘆きの橋 は、二度と戻れないかもしれない死刑囚がここで嘆いたということが由来だそうだが、まずここで記念写真を撮るのがお約束。ふと、ビックリしたことがある。白い仮面をかぶった人がいて、その人をみんなで写真を撮っていた。あれっ、カーニバルは、2月にならないと始まらないのでは?と、橋を渡っていく、仮装の日本人カップルに思える2人。あれっ?サンマルコ広場へ入る。向かいのサンジョルジョ島 と、ゴンドラ を眺め、ホントにベネチアという 異空間にいることを ボクも満足している。サンマルコ広場入口に、仮装用の帽子や仮面を売る出店がいくつか出ていた。とてもカラフル。早速に、写真を撮っていると、イタリア青年が寄ってきて帽子をかぶせる。見てるだけ と言うと、 どうぞ、どうぞ と 紳士的。カーニバルは まだ先じゃないの?と聞くと、 「もうカーニバルは始まっている」なんと、一昨日の土曜日からだって。ボクも悪のりして、カーニバルに参加したくなった。まだ旅は始まったばかりなのに、帽子や仮面を物色し始めた。1つ2つ値段を聞いてみても、そんなにふっかけた値段ではない。2人で、ああでもない、こうでもないと、選んだ。ホントはマントから仮面・帽子とそろえれば、どこの誰かもわからないカーニバルの主人公になれるかもしれないが、帽子だけを1つずつ買った。
2008年04月30日
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リド島についた時には、もう21時を回っていた。船着場の切符売り場はもう窓口を閉めていた。ベネチア地区というからには、この船着場から歩いて数分のところだろうと高をくくっていた。予約サイトにあった地図の雰囲気からして、このまままっすぐ行って、南方向へ運河を越えればいいだろうと、思った。通りの名前を歩く人に聞くが、分かる人にぶつからない。だいぶ南のほうへ行ったが、ついでに「おいしい」とガイドブックに載っていたレストランの場所も聞いたり。日曜のせいで、開いていないのかもしれない。レストランの場所はわかったが、ホテルの場所は分からなかった。やむをえず、船着場まで戻った。インフォメーションの窓口も閉まっていて、到着したバスの運ちゃんに聞くしかなかった。「ここに来る 何番のバスで3つ目だ。」次は何分後? と聞いたけど、それはイタリア、そのうち来るから と。困ったことがあった。実は、24時間切符とか48時間切符とかは翌日に買えばいいと思っていたので、窓口が閉まることは心配していなかった。ヨーロッパでは、切符を手に入れるのに苦戦することが多い。しばらく待って、バスが来た。運転手さんはさっと降りてどっかへ行ってしまった。バスの運転席との間には透明のアクリル板があるだけで、料金箱なんてものは無い。運転手さんが戻ってきたらすぐ切符買わなくっちゃ!こんな日曜の晩のバスだし、あまり乗車する人がいないかと思いきや、立つ人も多い、ほぼ満員になった。運転手さんが乗ったかと思うと、さっと出発してしまった。どうしようかと思ったが、3停留所なら、と、ただ乗りしてしまった。この乗客全員が切符持ってるのだろうか?と不思議でもあった。思ったとおりバスは南へ向かう。バス停の間隔は意外と長く、1つ目の停留所で降りる客もいる。実は、ベネチアにはローマ広場までで車の乗り入れが無い。しかし、ここリド島にはバス路線があるのだ。水上バス・バポレットと共通の乗車券でこのバスに乗れる。3停留所後に降りると、ちょっとしたお屋敷町だった。まっすぐに続く道を道なりに運河を越える。ホテルらしいものは見えない。番地を頼りに路地をのぞく。あった!本日のホテル・ヴィラ・ティツィアーノ。住宅街の中で、壁にホテル名が書かれていなければ、わからない。
2008年04月28日
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パリでは3泊して、午後シャルル・ド・ゴール空港を出て、早めにヴェネチア・マルコ・ポーロ空港へ着きたかった。明るいうちにエールフランスに乗ったが、ヨーロッパの冬は日が沈むのも早い。暮れかかったところで、ヴェネチア・マルコ・ポーロ空港に到着した。■ここからベネチアへ早く着くのはバスの便だが、 ヴェネチアには船で向かいたい。それに、今夜のお宿は、ベニスに死すのリド島なので、バスだとローマ広場までなので、そこからバポレットに乗り換えて、結局は、早くは着かない。■EURO圏内の移動は、荷物を受け取って、あっけなく税関も無い。空港の中でまずは切符売り場を探す。船もバスも一緒の切符売り場に並んだ。ホントは色々なセット切符があるので、72時間切符に空港からの乗船券をつけるのとか、別々に買うのとどっちが得か聞きたかったが、忙しい振りして、「どっちを買いたいのか?」 聞いてくる。やむなくバポレットでリド島までの切符を買った。次のバポレットは 約1時間後だった。空港もわずかだが移動したので、以前のように出たらすぐ港というわけではない。時間が半端なのだが、空港2階で、セルフのお店でパスタを食べた。■バポレット乗り場は、駐車場の奥のあまりよくわからない左手にあった。(以前は、空港ビルも小さかったので、ビルを出てすぐに岸壁で判りやすかった)高速船ではない、普通のバポレットだった。荷物置き場にバッグを積み上げて 窓際の席に座る。もう暗い時間なので、景色もあまり見えない。もっとも、この辺の景色は、防波堤や、ブイ、芦の茂る風景のみだ。時折 高速モーターボートやバポレットとすれ違うとびっくりするくらい。数世紀前に、ベネチアがどこにあるかわからなかったというのが、なるほどと思わさせる。ところどころに明かりが見えて、3つ目の船着場が リド島だった。※ この夜景は、リド島でなく、カナル・グランデ です。
2008年04月24日
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先日の”超” 格安航空券 の続き実はまだ出発していないのですが、フランクフルト・ハーン空港って、とんでもなく遠いっていうので、いくらシャトルバスが出てるからといっても心配になるじゃないですか!どこにあるのだろうか? と 探してみました。ハーン空港のHP見たけど、わかりにくいところにようやく地図を発見しました。マインツのそばかと思ったら、コブレンツより西側、ルクセンブルクへ行く途中の変な山の中にあるようです。見つけた地図を貼り付けました。シャトルバスで フランクフルト中央駅から105分、ケルンからも2時間強と とんでもなく変な場所であることが確認できました。どうせだから、なかなか行かれそうもないドイツの古都ツリーア とか、ルクセンブルクまで足を延ばそうかしら、、、もっとも、天候とか友人の気持ちとか、不確実要素はいっぱいあって、行かれるかどうかはその時次第。ライアンエアに乗り損ねた実話なども知ってしまって、戦々恐々です。どんなことになるやら、、、まあ、旅はトラブルから ですからね。楽しみたいものです。
2007年01月20日
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今日新聞見て、喜びました。パリに路面電車復活のニュースです。実は、今年の1月にパリをほんの数日訪れたのです。観光はルーブル美術館とセーヌ川沿いの散歩(寒かった!)だけだったのですが、ひょんな事から、フランスの友人のおんぼろ車に同乗して、パリ南部の町に行きました。その時にこのトラムウエイの工事現場の横を通ったのです。彼に聞くと、「この工事は数年前からやっている。いつ開通するかわからない。ケセラセラだ。」ということだった。実際ボクが見た日もまるっきり工事をしている場面を見なかったのです。この地域は観光とは縁のない、ポルトイタリイとか中国人街とかのどちらかというと、あまり近寄りにくい地域です。でも、一部で、線路のところが芝生になっていることで、いつか開通するのかな と楽しみにしていたものです。セーヌ川沿いの新交通システムは数年前から開通していて、いつか乗ってみたいなと思いつつ、行かれていません。またの機会に行きたいところはあちこちポケットに詰まっています。 (以下読売新聞の記事から参照しました。)パリに路面電車が復活、70年ぶり70年ぶりにパリで路面電車が復活=ロイターhttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061218i402.htm?from=main4 【パリ=島崎雅夫】フランスの首都パリに約70年ぶりに路面電車が復活し、16日、運行を開始した。 市南部の大通りの7・9キロの区間で、17駅を24分間で結び、1日約10万人の利用客を見込んでいる。 路面電車は白色をベースに緑の線を入れたデザインで、パリ市が3億ユーロ(約465億円)をかけて導入した。計画を推進した左派・社会党のドラノエ市長は、「地球の人口の半分が都市で生活している。交通渋滞解消などの都市問題を見直すうえで、路面電車の導入は重要な契機となる」と語った。 パリの路面電車は、20世紀初めには主要交通機関だったが、地下鉄の開通と自動車の普及で1937年までに廃止された。(2006年12月18日10時25分 読売新聞)
2006年12月18日
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リヨン (8) LYON リヨンの町の散策にお付き合いいただきありがとうございます。 旧市街は、これくらいにして、ソーヌ川を渡り、 中心のベルクール広場まで歩いた。ここには骨董のお店が並んでいた。 その後も歩き続けてローヌ川へ。 丘の上のローマ劇場へは行かれなかったけど、 リヨンの芸術文化の中心地という テロー広場が残っている。 歩けない距離ではないが、そろそろ散歩も終わりにして、 メトロで移動することにした。 雨上がりのさえない空の色で、あまりはっきりしないけど、 ここがテロー広場。 バルトルディ作の4頭立ての馬の噴水があった。これは市庁舎これはリニューアルされたオペラ座。この近辺には美術館もあるそうだけど、時間切れ。ボクのリヨンの散策はこれでおしまい。
2006年10月11日
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リヨン (7) LYONサンジャン教会の周りの リヨン歴史地区(世界遺産)旧市街には、RUE DU BOEUF と言う石畳の道がある。「なにそれ? 牛肉屋横丁?」昔は肉屋さんがいっぱいあったんだって。今は、肉屋さんは特別目立たない。飴だけを売ってるお店があったりするけど、、、 この町の売り物は?なんの変哲もなさそうな通りだけど、友人は番地をしきりに気にしている。 そしてとあるドアを開ける。勝手にドアを開けていいの?中へずんずん進む。建物と建物の間の1mくらいの通路。別に珍しくないと思っていると、「これは、トラブールという抜け道だ」と教えてくれる。建物や中庭を抜けて反対側の道まで抜けている。(ユダヤ人居住地区の特徴であるらしい魔よけ?の犬)抜けきったところは、ソーヌ川に沿った道。 と、また番地を探して、トラブールへ。(このトラブールは開放的で開けっ放し) またも肉屋横丁へ戻る。 次のトラブールは、ドアに鍵が掛かっている。すると、友人は、隣のお店にトラブールのことを交渉に行く。えっ、そんなこといいの?と思ったが、店員ではダメだったけど、店主が出てきて、裏から開けてくれることとなった。オーナーや住民達によって公開されていないものらしいのだけど。このトラブールは、すごかった!公開されていない分、全然手入れされていなくて、途中からはホーンテッドマンションにでも入り込んだみたいな気分になった。 この トラブール(抜け道)は、元々は、織物業者が品物を雨に濡らさないために使っていたものだが、その後レジスタンスや、ユダヤ人もナチスの探索から逃れるためにここを使ったそうな。フランス語のガイドブックには、この番地までしっかり載っている。さすがの歩き方でもそこまでは載っていない。 まあ、おもしろいようなおもしろくないような、 歴史的な価値をどこまで感じ取れるでしょうか、、
2006年10月11日
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リヨン (6) LYON この町のへそはサン・ジャン教会のようだ。(これは絵はがきから。大きいのでなかなか全景は撮れません)実は、フェルヴィエールの丘から降りてきたら、14時まで昼の休憩時間だったので ホントはあとから教会に入った。薔薇窓も意外とキレイに撮れた。12のキリスト教ゆかりの話が絵に表されているそうです。内部のからくり時計は、1時間後に自動演奏されるが、そんなに待っていられない。お昼は、サロン・ド・テ で軽くいただくことにした。フランスでは、カフェが当たり前かと思っていたが、サロン・ド・テ[SALONE DE TEA]というお店がある時期はやって、現在でもあちこちにあった。お店の中には、いっぱいキッシュがあるけど、ほとんどは甘いもの。甘くないサーモン・キッシュを注文。飲み物はやっぱコーヒーかな。
2006年10月10日
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リヨン (5) LYON旧市街の、とある建物で、友人は立ち止まった!「これはなんの建物ですか?」と聞くと、しばしフランス語のガイドブックを読んでいる。有名な建物なの? とたたみかけるように聞くと、「これは、パレコート、昔は裁判所だった。」と答えてくれる。建物は、ベネチア様式の古い建物だそうです。らせん階段の天井はこんな感じ。2階のテラス通路は こんな感じ。へぇ、3階の床は木造なんだ!勝手に入って見てもいいのかしら。今はなんの建物になっているのかは、友人も知らなかった。
2006年10月09日
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リヨン (4) LYONフェルヴィエールの丘の上、フェルヴィエール教会 リヨン市の観光案内パンフによると、 フェルヴィエール教会は、1872年、 リヨン市民の寄付によって建てられたものだそうだ。 モザイクや大理石を多様化した教会で、リヨンのシンボル。 中央の礼拝堂の奥の屋上には「青い天使の像」(正面からは見えない)、 西の塔には金色に輝く「聖母マリア様」の像が、リヨンの町を見守る。フェルヴィエール教会の礼拝堂裏手には、リヨン市を一望できるテラスがある。残念ながら、ボクの撮った写真は、霧に包まれて白っぽい町並みだったので、今回はパス。丘の上からは、ケーブルカーに乗らず、階段を歩いて降りる。次第に霧が晴れてきた。目の前に見えるのがサン・ジャン教会だ。
2006年10月08日
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リヨン (3) LYONリヨン・パルデュー駅から乗ったバスは、ここVIEUX(歴史地区)が終点。ここでケーブルカーに乗り換えきっぷは、これ2時間有効なのでしょうか? このバスのきっぷ1枚で、ケーブルカーも乗れました。パルデュー駅で見た エアポートバス。サイドミラーが耳みたいでおもしろい。(この型のバスはパリでもどこでも走っていた)女性は、ボクの前を横切っただけ。リヨンのトラムは、今はやりのデザインリヨンのメトロは2系統メトロの改札口は、JRの簡易suica用みたいな形。2両編成のトロリーバスは、他の車が邪魔してうまく写せなかった。リヨン市庁舎前のトロリーバス。(市庁舎前は素敵な広場がありました。) 乗物編終わり (つづく)
2006年10月06日
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リヨン LYON (2) 2つの大きな川ローヌとソーヌの町 リヨンには、リヨン・パルデュー駅と リヨン・ベラーシュ駅がある。そして、ここは、ボクの降りた駅・パルデュー駅 part-deue近代的な駅で、リヨンへ来たのは間違いだったかな、 と思ってしまう。しかし、バスに乗れば心配ご無用!ちゃんと古い町並みがすぐお出迎えしてくれる。インフォメーションの女性が、見所までの道筋をしっかり教えてくれる。28番バスに乗って、終点でケーブルカーに乗り換えれば、フェルヴィエールの丘に着く。そこには、フェルヴィエール教会があるのです。おっと、この町は、フランス女性に案内されてで、ひとり旅ではありません。フランスの人々はおしゃべりが好きです。ヨーロッパの人々はみんなコミニケーションを楽しんでいますが、インフォメーションの女性と、この友人も 何を話しているんだか、なかなか話が終わりません。 バスは早速、ローヌ川を渡ります。 このローヌ川に浮かぶ船、船上で生活している人たちの船です。川と川に挟まれた中州のような部分にこの、ベルクール広場があり、この町のショッピングの中心街のようです。写真は、行きにバスの中から撮ったものなので、木が邪魔しています。大きな観覧車があります。ベルクール広場のすぐ近くです。あとで歩きました。広い通りも歩行者天国です。こちらがソーヌ川です。この川を渡ったところが、世界遺産に指定されているリヨン歴史地区です。
2006年10月04日
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リヨン LYONフランス第3の町、リヨン。日本人の観光客は、素通りされてしまう町。ボクだって、そうだった。鉄道の旅を得意としているが、パリからは、この町を素通りして、アビニョンや、ニースへ抜けていた。でも、パリで会った若い日本人は違った。彼の目的地は、リヨンだった。ボクは勉強不足でこの魅力的な町を、単なる都会としてしか知らなかった。彼は料理人修行中で、フランス料理をこの国で習いたくて、今回は下見に来たそうだ。(来年には本格的に修行するらしい)言われてみれば、食の町・リヨン!明治時代から、コックをめざす日本人が、マルセーユへ行く船に密航したり(?)、3等船室に片道の切符だけでこの町に来たというのを聞いたことがあった。この町は、ローヌ川とソーヌ川をまたぐ広い町並みだが、世界遺産になっているのは、ソーヌ川を渡ったところ一帯の、「リヨン歴史地区」と言われている場所。この写真は、絵はがきからとったものだが、フェルヴィエールの丘の上の 「フェルヴィエール教会」と、丘の下の「サン・ジャン大司教会」だ。この町は、リヨン市の観光協会パンフレットによると、紀元前43年、シーザーの元副官が、この丘に町を作ったことがリヨンの町の始りだそうだ。紀元前15年に築かれたローマ劇場は今も残っている。ボクの行った日は霧が掛かっていたが、次第に晴れていった。
2006年10月02日
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ベルサイユ (5) VERSAILLESプチトリアノンからいつの間にか、グラントリアノンに抜けていました。中は豪華なゲーム室が並んでいるそうですが、長く庭を歩いていて、頭から冷えてきて、頭が痛くなりそうでした。幸いフードが付いていたので、頭からかぶります。白人は、フードなどかぶらず、このくらいは寒さの中に入らないようです。もう、戻ろうとしたら、方向感覚が狂っていました。池が続く方向へ行ってしまっていました。地図を見ながら軌道修正をして、あっ!あと1歩のところで、トレインが走り去っていきました。あ~あ、やはりこの距離を歩いて戻る運命なのか!宮殿の裏手に乗り場がありました。もう今更遅かった。出口がなかなか見つかりませんでしたが、ようやっと出られました。ベルサイユ宮殿(おわり)ベルサイユ宮殿の王様とマリー・アントワネットの肖像 ルイ14世ルイ15世ルイ16世 マリー・アントワネット
2006年10月02日
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ベルサイユ (4) VERSAILLES プチトリアノン Le pettit Trianonここは女性には特によく知られている、言わずと知れたマリー・アントワネットのプチトリアノン。ベルサイユ宮殿の庭のなんと広いこと。並木道をゆっくり歩くと、ようやっとプチトリアノンの入口らしいところに出る。プチトリアノンの門からまだ数100m先に、ようやっとプチトリアノンが見える。プチというだけあって、小さな宮殿とは思えない、変哲もないものに見えた。マリー・アントワネットにとっては、豪華な宮殿より、ルイ16世から送られたこの小さな建物の方が自分だけの世界が守れて気に入っていたようだ。プチトリアノンは、思い入れのないボクにとっては拍子抜けするような小さなものではあった。しかし、そこから入った、マリー・アントワネットの「農村」は、なかなか感慨があった。当時貴族の間にはやった「お城の中の人工的に作った農村」!マリー・アントワネットが、王女様としてハプスブルク家で育ち、幼くして嫁入りしたフランス王家は居心地が悪かったに違いない。「パンがなかったらケーキを食べればいいのに!」と言ったかといわれるマリー・アントワネット。彼女は、この「農村」がことのほか気に入っていたようだ。もし彼女が、本当の農村を視察したりして、世の中の人々の窮状を少しでも理解していたら、お母様であるマリア・テレジアのように立派な治世まではいかないかも知れないが、フランス革命の最後に断頭台の露と消えることはなかったかも、 と。この「農村」には選ばれた6軒の農家が住んでいて、ここでマリー・アントワネットもおままごとのような農業を楽しんだそうだ。フランス革命のあとここもだいぶ荒れて、元々ここは植物園として作られていたものなので、貴少な植物が多く残っているそうで、大変貴重なものだそうだ。最近はその保存に力を入れていたそうだ。それが、3年前の自然災害でかなりひどく荒れてしまったそうで、ボクが行ったときには「農村」の部分には立ち入り禁止地域が設けられていた。(現在は再開されたでしょうか?) 歴史的にも生物学的にも大事なものであるらしい。心ある人は是非、ベルサイユに行ったら、ご寄付を!
2006年10月01日
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ベルサイユ (3) VERSAILLES 誰もが知る、このベルサイユの庭の広さ。まっすぐに続く池は、距離にして2Kmくらいあるでしょうか。これだけの距離を端まで歩きたくはなかった。(ところが、この一番奥まで結果として行ってしまったのです。(第5話にて))1月のちょっと肌寒い日でしたが、マリー・アントワネットのプチトリアノンと彼女の農村が見たかった。プチトリアノンは、地図で見ると、向かって右側の奥にある。池の周りに、多くのギリシャ神話の彫像が並ぶ。ベルサイユの庭師の人は、なんてひょうきんなデザインに刈り上げるのでしょう。振り向いて、宮殿を確認して、プチトリアノンに向けて歩き出す。 プチトリアノンまで横方向へ約1kmの並木道を進む。(つづく)
2006年09月30日
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ベルサイユ宮殿 (2) VERSAILLES入館するとそこは「ヘラクレスの間」、ここで希望者は音声ガイドを借りられる。そして右手には、大きな 「礼拝堂」がある。 入り口から見て右手側は、礼拝堂の入口までしか見学できない。見学コースは、2階に上がって、2階からも 礼拝堂を見下ろす。そして、そこから7室続くのが 王の大広間。 豊穣の女神の間、ヴィーナス、ダイアナ、マルス、マーキュリー(寝室)、 アポロン(玉座)、そして戦争の間。これらは北側の花壇を見下ろす大きな窓を持っている。遠方からの賓客は1つ1つ豪華な金ぴかだったり紅色だったりする壁と天井いっぱいに描かれたギリシャ神話に驚かされながら、ルイ14世との謁見に望んだのであろう。一部屋ずつ写真を撮っていってもきりがない。(ストロボ禁止)当時王様はベッドの上から賓客を接待するのが正式であったようだ。 豪華絢爛な部屋それぞれを各国のツアーの人々が説明に耳を傾ける。ボクは2回目なので、いくらか早足で抜けようと思うのだが、時々立ち止まってしまう。 解説書によると、王のパーティの際はそれぞれの部屋を 立食、ビリヤード、ダンスなどの部屋に当てたという。 (こんなに、こざっぱりしてしまったのは、フランス革命以降のことであろう) そして、 ベルサイユ宮殿最大の部屋、「鏡の間」 「鏡の間」の部屋の全長73M、幅10.5M、高さ12.3M。 これだけの数のろうそくに火を付けるだけで相当な人と時間が掛かったであろう。 (これについては、ベルサイユ宮殿を模倣したヘレンキムジー城で聞いた) この部屋が一番庭に多く面している。 そして「平和の間」を抜けると、 こちらのウィングは 王妃の広間4室。 王妃の寝室、貴族の間、会食の間、王妃付き衛兵の間。 歴代の王妃、王太子がそれぞれの間を好みのように改装し、 最後の王妃は、マリーアントワネットだった。 彼女の部屋は、200年以上前の大きな刺繍があり、 この部屋だけは日の光も入れず、照明も暗くして撮影も禁止となっている。 「王付き衛兵の間」があって、 その次にある「1792年の間」と「戦闘の間」は、とても大きな絵画がぎっしりと並ぶ。戦闘の間再訪であったが、やはり堪能させてもらった。ようやっと宮殿を見終えると、庭へ。おっと!宮殿には当時トイレがなかったと聞いていたが、現代にないはずがないので聞くと、「外にある」と教えてくれた。 さて、ベルサイユ宮殿ご自慢の庭へ (続く)
2006年09月28日
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ベルサイユ VERSAILLES パリ郊外のベルサイユには、ちょっと行きにくい。 でも、パリ高速地下鉄RER C線を利用すれば、意外に近い。 (ただし、RER利用には注意が必要です。行き先標示がニックネームであること。 駅間が長いので、不審人物が乗っている時の用心が必要です) ベルサイユには複数の路線と3つの駅がある。 ベルサイユ宮殿の正門に一番近い駅は ベルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅。ここはほぼ正面斜め前なのだが、降りたところからは宮殿は見えない。駅から道路を渡って右手に進む。すると、突如、宮殿への参道が見える。(この写真は少し近づいてから)ゆっくりゆっくり宮殿が近づく。門を入ると、ガードマンがいるが、特別呼び立てられない。中庭中央に太陽王ルイ14世の銅像が。銅像のあたりから右側のウィングを写す。ベルサイユ宮殿の入り口があるのはこの建物グラン・アパートメントの裏手。実は、この2つの建物の間にあります。(右側は礼拝堂)入場券売り場がどこにあるのだろうかと思いながら、他の人の後を追いました。ここで入場券を買って、ようやく中に入れるのです。※ ベルサイユ宮殿は2回目の訪問でした。これは昨年1月、とても寒かったです。小トリアノンから大トリアノンまでぐるっと回ったら、風邪引きそうになりました。今回は、宮殿に入るまで、(続く)
2006年09月27日
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コッツウオルズ バスの旅。B&Bで朝食をとって少ししたら、バスの時間だった。WOODSTREETのバス停に、10分くらい前ミニバスが来た。ステージコーチ「コッツウオルズ シャトル 221番」運転手はかっぷくのいい(?)おばちゃんだった。イギリスの普通のバスと同じような、細長いきっぷだった。お客は10人もいなかった。運転手のおばちゃんは、ちょっとした会話のあと、「すぐ後ろに座れ」というので、その通りにした。おばちゃんは、時々、村々の説明をしてくれて、(全部は理解していないのだが、すばらしいだろといわれれば、 WONDERFUL! とか調子を合わせた。)場所によっては、「ここが一番いい場所だから、」と、シャッターチャンスのところで、バスを駐めてさえしてくれた。(他のお客もいるのに!)ブロードウエイの村は、文字通り真っ直ぐの道(ブロードウエイ)坂道だ。なぜか、バスの中から写したはずの写真が見あたらない、残念!そして、目的地、ストウ・オン・ザ・ウオルド に到着した。まず聞かなくてはならないのは、「次のバス停はどこ?」「ここだよ!」村の中心の教会裏の図書館前! なるほど、チラシには、「ストウ・オン・ザ・ウオルド・ライブラリー」と書かれていた。ストウオンザウオルド STOW-ON-THE-WOLD 「この町は、コッツウオルズの中でももっとも標高が高い」と書かれている。どおりで寒い!? と思ったが、標高は200m、なんだ、それしかないの!この町は、過去には、コッツウオルズの中心地であったそうだ。当時は、羊毛がよく売れて、羊の市がこの町で行われたそうだ。それが、羊の産業が寂れてしまい、今は、アンチークで有名な町となったそうだ。この町はホントに小さな町だった。インフォメーションでこの町の地図をもらった。歩いて回る地図だ。地図の通りに散歩してみた。かわいらしい路地も確かにある。なんと、道幅数十CMのすれ違うのも難しいような通りまで地図に書かれていた。骨董に興味が深ければいいのだが、ボクは残念ながら、ダメでした。2-3軒のアンチークショップを覗いたが、時間を持てあましてしまった。2時間半もこの町にいられない。タクシーでボートンオンザウオーター まで行こうか?タクシーなんて影も形もない。いいものを見つけた!ライバルのバス停だ!ボートンオンザウオーターへ行くのはあと10分後だ。ラッキー!てなわけで、この町は1時間少々でおさらばした。アンチークファンにはお勧めの町です。なぜなら、ボクと一緒に降りた白人2人組は、帰りのバスで、両手いっぱいに骨董品を持って乗ってきました。結構有名な町みたいです。
2006年09月20日
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コッツウオルズバスの旅 COTSWOLD誰もが、コッツウオルズをバスで行くなんて不可能だという。いや、全ての村々を訪ねるなんて事を望んでいるわけではない。ちょっとだけでも入門編で、コッツウオルズの魅力の一端だけでも、見られれば、というのがボクの希望だった。歩き方で見ても、観光バスか、レンタカーでないと行かれないであろうと書かれていた。インフォメーションの美しい女性も同じだった。「どこの村がコッツウオルズらしい素敵なところなの?」「それぞれが、小さくても魅力ある村です」その中でもここから行かれそうなすてきな村を紹介して、と食い下がって、ブロードウェイ・ストウオンザウオルド・ボートンオンザウオーター がいいということを聞き出した。インフォメーションの女性は、ようやくバスのチラシを引っ張り出してくれた。あるじゃないか!ちょっと待って? 7 DAYS A WEEKはいいけど、この、21st JULY UNTIL 31st AUGUST ってなに?と聞きに行くと、その UNTIL 31st AUGUST を、ボールペンでグリグリ消してくれるのだ!えっ! ホント?確か10月から冬時間で、この日は、10/27 ホント?大丈夫だって!よくよく読んでみると、往復料金の下に、DISCOUNT TRAVEL の料金が書いてある。あちこち降りるのは、こちらの方がお買い得だ。 でも1日3本しかない!てなわけで、 ストウオンザウオルドの村と、ボートンオンザウオーターを選んだ。「切符はどこで買うの?」「バスに乗ってから、、」と半信半疑ながら、これ以上ここで粘るのもあまり得策ではない。 THANKS A LOT!そのあとパブで食事して、先ほど教えてもらった、WOOD STREETのバス停を下見に出かけた。どこにもそんな印はない。他のバスのバス停はあるんだけど、、、 てな訳で、他のバスの運転手に聞くと、「ここでいい」まあ、イギリスらしいって言えばその通りだが、、、翌日の朝は確かにそこから、バスは出発した。こんな、普通のバスのきっぷと同じ形で、1日乗車券なんです! 信じられる?ちなみにバスは、 ミニバス(続く)
2006年09月19日
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パリのメトロ1号線 パリの町を北西から南西に斜めに走る主要路線です。 北の新凱旋門「アルシュ」のデファンセから、凱旋門・シャンゼリゼ・ルーブルを抜け、 南の玄関口リヨン駅、そしてバンセンヌのお城までの路線です。 全部数年前にこの型に置き換わりました。 「今日はなんだか落ち着かないワン!」 「でもメトロの中では静かにしとかないと、、、」 「ガードリヨン駅」 南方向のTGVの出発駅の乗換駅
2006年08月24日
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マルセイユ Marseilleフランス第2の都市。古都リヨンから第2位の座を奪った港町。ジダンが育った町としても有名。ところがこんな有名なこの街に日本人はあまり関心を示さない。せいぜいブイヤベースくらいしか知らないであろう。 この街の入り口 「マルセイユ・サンシャルル駅」をご紹介します。パリからほぼ真南に下って最初に海(地中海)に行き着く町。 2階建てTGV TGVとローカル電車客車をこの駅まで引っ張ってきて、その列車が出発してしまったため、ホームに取り残された電気機関車 その駅は実は丘の上にあります。 まずは、町から坂を登って、階段を見上げるとその上に駅があります。 駅から向かいの丘の教会を望みます。 駅から町を見下ろします。 ※ ここはアフリカやアラブからのフランスの入り口だ。そのため治安状況は? とよく言われてしまうが、思ったほど悪くはないように思える。そして意外や意外、紀元前、もっと古いクロマニヨン人の壁画が発見されるような人類の歴史に関わるところだった。その話はまたいつか。
2006年08月23日
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法王庁から出たトラムは、町中をあっち曲がったりこっち曲がったりして、 時々停車してフランス語と英語で説明が入ります。 でもつまらないのです。歩くのと大してスピードは変わらないし、建物の説明されても「これは○○美術館です」と説明されても中に入る時間をくれるわけでもないし、、、レプブリック大通りを突っ切って、ぐるっと回って、法王庁の絶壁のような要害の脇を抜けて戻ってきました。 法王庁前広場でトラムを降りると、散歩することにした。不自由なトラムで観光するより自分の足の方が楽しいことがわかった。 法王庁のお花が咲いている坂道の上のロシェ・ド公園まで歩きました。 そこからは、ローヌ川、先ほどのサンベネゼ橋、対岸の町もしっかり見下ろせます。 サン・ベネゼ橋 を見下ろす 絵を描いてる人や、寝そべってる人など思い思いの様子です。ボクもしばし下界の様子を眺めてから、法王庁の裏側の階段状の公園を降りました。行き止まりじゃないか?と思うようなところも通って、先ほどの絶壁の脇の道を戻りました。 あまり人が通らない裏路地で、ひとり遊びをしていた少女。最初はボクに興味を持って近くに来たりしていましたが、言葉が通じなくって、カメラを二三度向けたら、気分が変わったのか逃げていってしまいました。 いったんホテルへ戻り休憩。夜になってまた出てきた。レプブリック大通りを散歩しつつ、ひとり旅のわびしさ、一人でレストランに入るのも淋しいので、バーみたいなお店の外のテーブルで、ひとり旅のフランス人と軽い料理とビール。片言の英語で話した。彼は「コートダジュールの人で、近いのにアヴィニョンは初めて」と言う。ボン・ボャージだったかな、オーボァだったかで別れてからも、またアイリッシュパブに寄ってギネスを飲みました。 でもパブはグループさんばっかだったので、あきらめてホテルへ早めに戻りました。 だまし絵の家
2006年08月16日
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レプブリック大通り(アヴィニョンの門から法王庁まで真っ直ぐの通り) 途中からレプブリック大通りは、突然車道のない歩行者天国の道になります。そこでは、車道であった部分までレストランがテーブルを並べていたり、大道芸や絵を描いている人がいたり、小さなメリーゴーランドまでありました。 荷物を安ホテルに置いて、ボクはこの道を何度も往復しました。歩いてるだけで幸せな通りでした。 劇場を過ぎて、レプブリック大通りの、真ん中に建物が邪魔して建っているのを左右に避けてそのまま進めました。 目の前にとても広い、広い、広場がありました。 そこが 「法王庁前広場」です。 右手に、白っぽい威容を誇る建物が、「法王庁」です。 真ん中あたりに数段の階段があって、二段階のなだらかな坂になっている広場です。 本来ならすぐに法王庁見学すべきなのですが、ボクは暑さにやられたのと、法王庁のあまりの要塞のような形に押されて、広場の段差のところで休憩することにしてしまったのです。(失敗!) 広場に世界中からの旅人が座り込んでのんびりしています。それと、ミニSLのようなトラムに乗ってみたかったのでトラムを待っていたという言い訳もありました。(これも失敗!いい若い者は自分の足で見て回らないといけない!) トラムは2系統あって、1つは法王庁の上のロシェ・ド公園を廻るだけ、もう一つが街をぐるっと回るものでした。 街を回るトラムはなかなか来ませんでした。トラムはほぼ満席に客を乗せると、こんな細い道に入れるのかと思うほどの商店街に突っ込んで、ベネゼ橋へ向かいました。城壁のくりぬかれたところを抜けて、ベネゼ橋で数分の休憩。城壁の外は意外と車の通りが多くて、シャッターチャンスがなかなかありませんでした。
2006年08月16日
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AVIGNON アヴィニョン 世界遺産の街 アヴィニョン ・・・ たぶん日本人なら、アヴィニョンのことは、、「アヴィニョンの橋の上で」のサンベネゼ橋のことしか知らないでしょう。 でも世界的に有名なのは、ベネゼ橋でも、大道芸でもありません。 ※※※ 世界遺産の街であるゆえんは、法王庁が置かれたことにあります。この街は、ローマ法王庁が1309年から1377年まで置かれたことで有名なのです。(イメージとしては日本の場合に置き換えると、室町時代の1336-1392年の天皇家が分かれた南北朝の時代と同じような状況でしょうか。)ローマ法王庁とフランス王との勢力争いが続き、当時、法王に選ばれたクレメンス5世(フランス人)がフランス王の庇護を求めて、この地に移ってきたのです。このアヴィニョン時代に7人のフランス系の法王が在位し、この町は、富と権力(政治腐敗もあった)によって大いに栄えたそうです。街全体が城壁に囲まれ、その一番奥にある法王庁もまるで要塞のようです。 ※※※ ボクは、この街に2001年10月に訪れました。パリはすでに涼しくなっていましたが、アヴィニョンに着くと真夏の暑さが待っていました。 アヴィニョンへはパリからTGVコートダジュール線で 2時間40分。しかし、そこは、「アヴィニョンTGV」駅という離れた駅でした。近代的なその駅はなんとホームが1本しかなかったのです。 アヴィニョンの街へ接続する列車があると思いきや、そこからはバス連絡でした。暑さの中 バスの出発は15分後、こんなに乗れるのかなという人だかり。大きなリュックをしょって乗り込むとバスはぎゅうぎゅうの人を乗せて約10分で着きました。 アヴィニョンの門を回り込んだバス停を降りると、門の外には、「アヴィニョン・セントラル」駅があり、門から真っ直ぐの並木道は レプブリック大通りです。 車道より歩道の方がゆったりしたレプブリック大通りはなかなか感じのいいところです。この道を真っ直ぐ歩いていくとローマ法王庁があるのです。 ※実は、パリ・ガードリヨン駅からのTGVはすべて「アヴィニョンTGV」駅経由ではありません。時間は多少余分に掛かりますが余裕があれば、「アヴィニョン・セントラル」駅を通るTGVもありますし、昔ながらのコンパートメント客車(それぞれが6人部屋)のインターシティも走っているのです。ボクは旅人同士が知り合えるコンパートメントの車両が大好きなのですが、フランスではどんどんTGVに置き換わっています。
2006年08月16日
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いよいよ、来月半ば(2006年2月10日~26日 17日間)トリノ冬季オリンピックが始まりますね。トリノは数年前に訪れて思い入れのある町なので気になります。トリノは、イタリア北西部、フランスとスイスに接するピエモンテ州の州都で、人口約85万人、ミラノから鉄道で1時間弱の町です。以前にも書きましたが、現在のイタリア共和国発祥の地です。そのため、トリノは自動車工業だけの工業都市ではなく、至る所にアーケードがあり、17世紀のサヴォイア家の都市計画による格子状の整然とした区画割の美しい町並みを誇る古都でもあるのです。またサッカー・セリエAのユヴェントス(Juventus)と、ACトリノ(AC Torino)の2チームの本拠地です。 ユヴェントスの人気は大変なもので、試合のある日は、広場(ピアッツア・サンカルロ Piazza San Carlo)は大騒ぎになるようです。正式名称は 「第20回オリンピック冬季競技大会(2006/トリノ)」 期間 2006年2月10日~26日 17日間日本オリンピック委員会のトリノオリンピックHP。http://www.joc.or.jp/torino/イタリア北部の トリノと、その山岳地帯で開催されます。競技会場は、開閉会式やスケート、カーリングなど屋内競技がトリノ市内で、スキー、ボブスレー等の屋外競技は山岳地域で行なわれます。そして、表彰式は、なんと、ボクも紹介した町の中心、カステロ広場 ( ピアッツア・カステロ PIAZZA CASTELLO)http://plaza.rakuten.co.jp/lovingEuropeTrip/diary/200504200000/で行われるのです。ここは、トリノの王宮(レアーレ宮殿 パラッツォ・レアーレ PALAZZO REALE)http://plaza.rakuten.co.jp/lovingEuropeTrip/diary/200504260000/の前庭でもあり、市民の憩いの場です。果たして、入場券なしで見られるのかどうかわかりませんが、これによって多くのトリノへ始めてきたオリンピック参観の人々にもこの町の良さがわかるのではないかと楽しみです。ボクが行ったときにはまだ工事中だった地下鉄も開業しているようです。(トリノ地下鉄 METROTORINO HP 英語)http://www.metrotorino.it/UK/home.html2003年から部分部分、数駅ずつ開業して、2005年3月にようやっと全線開業したようです。ポルタ・ヌオヴァ駅から3駅目が、ポルタ・スーザ駅、その先FERMIまで11駅、合計15駅 9.6KMです。ボクは旧市街地近くのポルタ・ヌオヴァ駅付近と、パリへののんびりTGVの出発点ポルタ・スーザ駅あたりまでしか行っていないので、今度行ったらよりトリノの町を楽しめるんじゃないかと期待しています。---------------------------------------NHKトリノオリンピック オンラインHPhttp://www3.nhk.or.jp/olympic/ NHKトリノオリンピック放送は 地上波・BS 合計657時間 放映されるそうです。総合テレビの主な放送競技・種目:フィギュアスケート女子シングル スピードスケート男子500m ジャンプ個人NH・LHノルディック複合個人 アルペン男子回転 スノーボード女子ハーフパイプ NHKトリノオリンピック放送テーマソング "誓 い" by 平原綾香 テレビ観戦で応援したいと思います。行った人はいろいろ教えてください。たぶん、地下鉄の新線区間に市内の主な競技場はあると思います。
2006年01月06日
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□ストゥピニージ宮殿 Palazzina di Caccia di Stupinigi 入場料 6.2EURO。 Piazza Principe Amedeo 7 Stupinigi - Nichelino(TORINO) Tel.011-3581220 Fax.011-3582580 月曜休トリノ・チェントロから西南へ10kmに位置する。1729年にサヴォイア王のヴィットリオ・アメーデオ2世(Vittorio Amedeo II)のために建てられた狩猟用の別荘。例えるのがいいのか悪いのかわからないが、東京の迎賓館を門から眺めたような感じだ。(あれよりもっと大きいが)立派な門から、広い芝生の前庭と、その真ん中の道には貴族の紋章の旗が立ち並び、正面奥にストゥピニージ宮が見える。こんな立派なお城に他に誰も観光客がいなくて、一人で入るのは何となく気後れしてしまう。でも、せっかく来たのに入らないというわけにもいかない。門番に会釈して入場。ここには入場券発売所はない。貴族の紋章の旗の間はチェーンによって入ってはいけないような雰囲気なので、前庭の脇をゆっくり歩いて進む。赤やピンクや白い花がきれいに植栽されている。ストゥピニージ宮は鶴翼の陣ではないが、両翼のようにこの前庭を包み込むように建物が配置されている。中央のドーム状の屋根上には、狩猟の宮殿らしく鹿の姿が飾られていた。ようやく入場口が見つかったので、早足で進む。トリノカードで、今回も入場券と交換。音声ガイドを借りることにした。王宮でほとんど理解できなかったことから知識を吸収したかったのだ。パスポートを預けるシステムだった。音声ガイドを聞きながら、ゆっくりとそれぞれの広間と絵画を見て進む。壁面が有田焼きのようなブルーの広間は、中国の間(Sala di Cinese)だそうだ。東洋の風景や人物たちが描かれている。ゆっくり、ゆっくり音声ガイドの解説を聞いてまわっていると、アメリカ人の団体さんが後から回ってきた。先に進もうと思ったが、音声ガイドのおかげでそれぞれの絵ごとの滞在時間が長いため、人々に抜かれ、一番ゆっくりの人と一緒くらいになった。まあいい!また静寂の中で見学が出来る。それぞれの部屋は、天井画と立派なシャンデリア状のろうそく立てで飾られている。みごとだ!これが、狩のためだけに作られたものとはとても思えません。中央のドームの部屋には彫刻が飾られていて、また、いくつも張り出した窓から裏庭が見える。ん?窓というか、扉は、ノブを回すと簡単に開いた。そうか、庭に出られるのか。庭は広く、1階のこの部分が、バルコニー状になっていた。とてもいい天気なので、庭も散歩したかった。が、そのすぐそばで工事を行っていた。「なんだ、庭には降りられないのか」と、軽く失望した。さて、ドームの部屋に戻るか。と、白い枠のガラスの扉のノブを回す。ん?ん、ん?ノブがまわらない。なんと閉め出されてしまったのだ。ガラスを叩いたりしたのだが、次の観光客は現れなかった。しばし、ノブと格闘しようとしたが、こわすわけにもいかず、あきらめた。しかたない。建物の裏から表側に、工事現場の境の部分をたどってどこかから入らなくてはならなくなった。工事現場の途中を通してくれて、なんとか表側に戻ることが出来た。入場券売り場に表からまた入ってきたボクを、彼女たちは、少しけげんな様子で眺められたが、何も言わなかった。ドームの間までしか見ていないが、ボクのミスなので「もう1度入れてくれ」とも言えませんでした。音声ガイドを返して、パスポートを交換にもどしてもらった。約半分は見損ないましたが、半分見ただけでも充分満足でした。ここを後にすることにした。※トリノへ行った人でもたぶんここまで足を延ばす人は少ないのでは、という掘り出し物のお城でした。締め出しにあったものの、ラッキー!というところです。◇-----------------------------------------------------◇もしよろしかったら、『人気blogランキング』へ一票お願いいたします。http://blog.with2.net/link.php/66003人気blogランキングへ◇-----------------------------------------------------◇メールマガジン「大好き!ヨーロッパひとり旅」 の登録はこちら から。 http://www.mag2.com/m/0000111151.htm 楽天トラベル 海外航空券予約リンク先。 http://www.mytrip.net/air/
2005年05月11日
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「ストゥピニージ宮殿」へ行くことにした。□バスに乗って、車窓の景色を楽しみます。トリノ・ポルタ・ヌーヴォー駅を通り過ぎてから、近くの乗客に、「乗り換えのバス停カイオ・マリオはまだか」と聞きました。イタリア語で言葉は通じないながらも、「もう少し先で、降りる場所は知らせてあげるから」と、周りの2-3人のお客が言葉を揃える。イタリア人は親切だ!□カイオ・マリオ バスターミナル CAIO MARIO「カイオ・マリオはここだ」と教えてもらって、バスを降りた。周りを見回していたら、後から降りてきた人が、「ここじゃなくて、あっちの広場だよ、付いてきなさい。」と、バス停の裏の、市電の電停のもっと裏手に案内されしてくれる。彼はボクを案内すると、去っていった。あわてて、「モルト・グラッツィエ」と声をかけた。そこは大きなバスターミナルだった。離れたところにまた別の市電も何系統かあった。午後の時間のせいかバスはあまり停まっていない。待つ人もまばらだ。ストゥピニージ行きのバスもいつ来るのだか、、、気候も温かく、なんだかのんきな雰囲気だ。バス停に、3人グループが来た。若いちょっとかっこいい女性とあまり若くない女性と若い男。立ち話を続ける2人と1人は座って、のんびり過ごしている。あまり暇なので、「遠景の市電でも写真を撮ろうかな」と思ってカメラを出した。すると、バス停の道路のヘリに座っていた方の女性がボクに声をかける。???イタリア語は「ノン・オカピート」と首をかしげると、カメラを指さす。??そして、かっこいい女性に声をかける。!彼女は立ち話をやめて、ボクの前に来て、ポーズを取ってくれた。ボクは慌てて、カメラを構え、シャッターを押した。グラッツェ!ようやく目的のバスが到着して、すぐ出発するかと思って、ボクは慌てて飛び乗った。しかし、運転手は逆にこのバスから降りてしまった。さきほどの3人はまだバスの外だ。しばし時間が経った。どこからか若い男が来て、3人に合流。とても楽しそうな再会に見えた。やがて、バスがエンジンをかけると、その4人も何事もなかったかのようにバスに乗り込んだ。バスは、そのまま南へ向かった。やがて、バスは、道路脇の並木道から歩道を越えて、細長い駐車場に乗り入れて停まった。多くの人が降りるようだ。近くの席の人に、「ストゥピニージ?」と確認すると、「シー」と答えられたので、降りることにした。運転手さんにもさらに確認すると、この先にストゥピニージ宮はあるようだった。並木道をさらに進んで、ようやく正面にお城がありそうな門が見えてきた。車道はその門を避けて左右に分かれていく。あれほど多くの人が降りたが、彼らは観光客ではないようで、お城の方へ歩いていく人はほとんどいなかった。門の前でしばしたたずみ、さきほどの4人の不思議な姿を見送る。お城の右手の道を楽しげに歩いていく。どこへ行くのだろうかと眺めていると、彼らはヒッチハイクを始めた。しばらくはヒッチハイクも成功しない。男女4人も乗せるようなヒッチハイクなんて乗せる人はいるのだろうか。と思っていたら、彼らはバラバラになって歩き、女性陣がそれぞれヒッチハイクのサインを出しながら歩く。あの魅力的な彼女が少し離れて先頭に立つ。やがて、彼女の魅力で、ヒッチハイクも成功させた。バラバラと、残りの3人も走り寄って乗ってしまった。どこへ行ったのであろうか?どうでもいいことなのであるが。お城の門の前で立ち止まっていたのは、彼らのことだけでなく、入っていいものやらと、考えてしまったから。◇-----------------------------------------------------◇もしよろしかったら、『人気blogランキング』へ一票お願いいたします。http://blog.with2.net/link.php/66003人気blogランキングへ◇-----------------------------------------------------◇メールマガジン「大好き!ヨーロッパひとり旅」 の登録はこちら から。 http://www.mag2.com/m/0000111151.htm 楽天トラベル 海外航空券予約リンク先。 http://www.mytrip.net/air/
2005年05月10日
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