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ミスト The MIST嵐の去った 翌日、町は霧に包まれた。B級 恐怖映画 かと思われる この作品。霧の中になにかいる!嵐が去った翌日、主人公デービットは、息子と あまり仲のよくない隣人と共に スーパーマーケットへ買い出しに行った。一寸先も見えない霧にスーパーは包まれた。まもなく、霧の中の怪物に襲われた人が スーパーに逃げ込んでくる。異世界からやってきた 怪動物や 大きすぎる昆虫に襲われることになる。今までの恐怖映画とは全く違って、一番怖いのは 恐怖に襲われた 人間 だった。現実に立ち向かう人、目をそらす人、宗教に逃げようとする人!見えない怪物たち!スーパーの中で 協力し合わなくてはいけないのに、仲間割れしてしまう!人間は究極の恐怖の中では、パニックに陥ってしまう。ホントに怖い映画だった!映画が終わってタイトルバックに ヘリコプターの音、戦車の音。それが 気持ちを 少しでも いい方に向かわせてくれたらよかったんだけど、、、もし自分がそんな場面に遭遇したらどうしたらいいのだろうか?と考えさせられる、つらい映画だった!こんな映画も あるんだ。見たくない? ちょっと重いテーマだけど、映画ファンなら あまり期待しないで欲しいが、見た方がいいと 思うけど。
2008年08月15日
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最近見た 強烈な映画! ノーカントリー って、ホントの題は No country for old man (2007年の作品・今年のアカデミー賞4部門) だが、年寄りじゃなくったって、こんな犯罪が自由にできちゃうようなアメリカ社会は、国じゃないよ と思ってしまう。日本ではここまではないよ と言いたいけど、最近の日本も 秋葉原の事件があったりして、だんだん問題の国になりつつある。 保安官は、コーヒーBOSSの ジョーンズ !主人公かと思うと、 そうでもない。 1980年代のアメリカ・テキサス州を舞台に、メキシコ系の顔のモスが狩りに出かけたが、獲物を逃してしまう。その近くの、銃撃戦が行われた現場に遭遇した。麻薬取引の現金を つい、失敬してしまった。 それが原因で、追われる立場になってしまった。 追いかける男は、顔色一つ変えずに殺人をするシガー という男。スピルバーグの「激突」 を思わせる、何とも恐ろしい男に追いかけられることになったものだ。ベル保安官(ジョーンズ)は モスを追跡者の毒牙にかけないよう保護しようと試みるのだが、シガーの行動の後手後手に回ってしまう。この シガー 役の俳優 ハビエル !彼を見たのは初めてだったが、スペインの俳優だった。なんとも恐ろしい この役のために 生まれてきたと思わせるような 見ているときには 絶対に好きになれない男に見えた。 これから見る人もいると思うので、ネタばれさせないのは大変だ。なにしろ、アカデミー賞4部門 作品賞と、このハビエルが助演賞を取ったのだから。これをアカデミー賞にしたことには、賛否両論があるようだが、ボクとしては、こういう殺人を楽々成功させてしまうようなのは好きではない。でも、この手に汗を握るスピード。1回見てもいいんじゃない? 怖いけど、、 見終わったときには、好きでなかった ハビエル だったが、 時間が経つにつれ、ちょっと興味を持った。 今年公開の これらの時代の愛 はどうなんだろうか? 見るのがちょっと怖い。 宇宙人ジョーンズ は ちょっと影が薄かった。
2008年08月14日
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バーリの町のお城は、海の近くにある。 せっかく行ったが、お城は、冬時間で閉まっていた。から堀のあるお城だが、特別印象のある形ではなかった。 旧市街は迷路のような細い道になっていた。大聖堂の近くを回ってもわからなかったのだが、車から降りたばかりのおばさんに、道を聞くと 近くまで案内してくれた。この町の人たちは インフォメーションを除き、とても親切だった。この町の守護聖人・聖ニコラ(サンタクロース)の サンニコラ教会も細い路地を抜ける途中にあった。サンニコラ教会のところだけ広くなっていて、その広場を警察の車が警備して居た。サンニコラ教会はあまり装飾的でなく、ただでさえ教会に興味ないボクたちはそこを通り過ぎて、古い城壁に沿って歩いた。が、すぐ近くにあるはずの港へは出られなかった。(バーリのアドリア海も見たかったのだが、ベネチアでいっぱい見たので、つい後回しになっていた。あとで地図を見たら、お城の裏手がすぐ海のようだった)冬の夕刻は、早くも暗くなりそうだった。駅のロッカーへ荷物を取りに行ってから、ホテルへ戻って夜行列車での睡眠不足を補うため、夕寝することにした。20時半近くなってのこのこ起きて 先ほどのトラットリア(Trattoria)へ行った。トラットリアとは、リストランテのちょっと大衆的なお店。と言っても、このお店は、半地下の本格的な雰囲気のお店だった。20時半でもこの町の夕食時間としては早めだったようで、2-3客しか居なかった。半地下のフロアから、地上のカウンターへ階段を上ったり降りたり、奥へ行ったり、マスターらしきおじさんは、忙しいことこの上ない。この店はたぶんメニューもないおまかせにコースに決まっているようだ。ボクたちが食べている間にどんどん混んできた。飲み物だけ聞かれて、ハウスワインを注文すると、料理については何も聞かれず順番に出てきた。あとから来た客にも順番に同じ料理を配っていた。チーズとハムとオリーブのアンティパスタから始まって、豆と野菜の楕円形のパスタ、野菜もおいしいし、この地方の名物料理の魚介類の揚げ物(フリット・ミスト)とてもよかったです。食事を終えて、帰る道すがら、明日の朝のためにパンと牛乳を買った。朝食なしなのと、朝8時のバスなので、素早く出発する準備が必要だった。
2008年08月13日
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アルベロベッロのツルッリの見学は早々に 広場へ戻ると、インフォメーションは 中型の変形のツルッリだった。中で絵の展覧会をやっていたので、ツルッリの中も見たかったので見学した。違う道を大回りして、道を聞きながら駅へ戻った。列車乗車中に、ガイドブックやネットで仕入れた時刻表などで、マテーラへ行くか検討したが、今回の旅ではあきらめることにした。この日はバーリに泊まって、明日朝の長距離バスでナポリへ行くことにした。ナポリ近郊には見所がいっぱいあるのだ。■バーリ Bari私鉄で帰りも1時間半かかって、バーリの駅に着いた。明日のために、高速バス切符売り場を求めて、駅裏へ。駅前にあると聞いていたが、ない。通行人に聞きながら、半信半疑で数百m歩いたところに 狭い間口で、目立たぬバスの切符売り場があった。他にも客が居ないので、翌朝8時のバスの切符をすぐ手に入れられた。「高速バスのバス停はどこ ?」 と聞くと、「駅前の広場」だって。しつこく聞いたが、やはり、目印もなんにもないようだ。さてさて、肝心な、ホテル探しだ。(今回の旅では、ホテルの予約していない自由な日はこの日だけだった)駅表口広場のインフォメーションは、午後の時間も開いていなかった。仕方なく、地球の歩き方に載っている、住所で近くにあるホテルを探す。あった!あった。その住所では、1階・3階・4階と 3つ別々のホテルになっていた。どれにしようか と思ったが、1階左手のフロントのホテルに声をかけるとすんなり決まってしまった。部屋はエレベーターで4階だったか。シャワー付きだが、裏庭側で景色はよくない部屋だった。明るいうちに町歩きに出た。なんとかバスに乗らずに歩けるくらいのところに旧市街がある。バーリの町は、南イタリアとしてはかなり都会で、バスは駅から一方通行に走っている。ホテル近くの広場で、アフリカ人たちが、地面に物を置いて売っていた。怖くはないが、なんか変。聞いた話では、イタリアでも南の町でアフリカ人たちが中国産の粗悪品を売っているのだそうだ。確かに、顔がちょっと変なキティちゃんバックルのベルトとか、、、。駅前のインフォメーションにまた寄ると、夕刻の 今度は開いていた。が、インフォメーションには、応対がいい加減なイタリア男性だけだった。地図はもらえたけど、なんだか役に立たない対応だった。で、期待していなかったが、「おいしいリーズナブルなリストランテは?」と聞いたら、「どこだっておいしい、、、」 みたいなお返事。その中で無理にやり地図を見せて、3つ丸をつけてもらったが、そのうち2軒は夜も営業休止だった。 もう1軒のお店、おすすめトラットリア、「庶民的な海鮮料理なのでこの時間でも開いてるよ」と言われたけど、やっぱり午後3時以降は閉まっていた。地図を見ながら、うろうろ。この辺かな? と、建築現場のおじさんたちに聞くと、親切なことに、仕事の手を休めて、若い男が案内してくれた。3時過ぎて閉まっていたが、評判のお店らしいので、夕刻にはこの店へ行くことにした。
2008年08月12日
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広くなったところの先に、正面の丘が、ツルッリで占められている。ツルッリのおみやげ屋さんから 呼び込みのおばちゃんが見える。呼び込みばかりいっぱい居る風景を見るとボクはすぐ興ざめしてしまう。まだ見学もしていないのに、なんだかなあ~。呼び込みがないと思われた坂で、陽気な兄ちゃんに日本語で声かけられた。「見るだけ只」油断したわけではないけど、他にもお客さんが居たのでちょこっと入ってみた。アルベロベッロのワインはいかが?と試飲を勧める。 飲むのは只今度は、ビスケットにトマトベースのちょっと辛いのをのせて 食べないかってまたも言ってきた。押しつけでなく、断ると、おいしそうに自分が食べている。おみやげには何がいいか。アルベロベッロのツルッリの置物を物色していると、説明してくる。「こっちのは 瀬戸物で重いけど、こっちのは中を空洞になっていて上等、少し高いけど質がいいんだ。」と。小さな置物と、絵はがきだけで終わりにしようと思っていたが、ワインとビスケットもらった手前 ワインも買ってみたくなった。アルベロベッロ特産で、黒いボトルにツルッリのマークが入った物だ。旅はまだ終わりでないが、ま いいか。思わず寄り道してしまったが、呼び込みを断りながら坂を上る。突き当たって右へ行くと、大きなツルッリ型の教会があり、そこでは結婚式が行われていて、交通整理されていた。そこもすり抜けると、裏手の公園で、休憩。ハムとパンでサンドイッチにして食べる。そこへ、パッカパッカ という音。馬に乗った紳士が公園に乗り入れてきた。馬を木につなぐと、教会の方へ消えていった。かわいらしい家々ではあったが、それこそ観光だけで成り立っているようで、世界遺産って、こんな事でいいの? って、疑問になってしまいました。ボクってひねくれ者?ところでブログの写真ホントにいっぱいになってしまいました。楽天ブログって、写真の整理が難しいですね。写真もあまり消したくないし、、、、。
2008年07月21日
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バーリ駅を挟んで2つの私鉄があるが、アルベロベッロへ行く私鉄は 裏口方向にあると事前調査済みだ。私鉄の名前「Sud-Est鉄道」が書かれた地下通路を抜けて。Sud-Est鉄道は、ホームの端に 切符売り場の駅舎があった。得意のいい加減イタリアンを話すと、次のアルベロベッロ行きの時刻と往復の切符を手に入れた。最近イタリアでは、往復の切符を買っておかないと、帰りに切符を買えないおそれがあるのだ。1時間に1本もないはずのホームには、結構頻繁に列車が入ってくる。乗客にアルベロベッロ? と いちいち確認する。これじゃない、これじゃない と毎回教えてくれる。あまり暇なので、駅舎へ行って、アルベロベッロからの帰りの列車のことを聞くが、さすがに通じない。ちゃんと英語がしゃべれる駅員さんを呼んで説明してくれた。2-3時間見学しても、帰りは1時間に約1本走っている。日曜日は全部運休、土曜は相当少なくなるようだが、平日は安心だ。それにしても こんなに頻繁に来るのにアルベロベッロ行きは、なかなか列車が来ない。路線は、結構長く枝分かれもしているのには驚いた。路線図で見ると、アルベロベッロは終点でなく、途中駅だった。ようやく来た列車に乗り込む。車窓からは、田舎の風景と町が交互に現れる。畑が多くなってきたあたりから、ツルッリが見られるようになった。ツルッリとは、あの、三角屋根だ。たいていは畑のそばの物置に使われているようだ。アルベロベッロにしかないと思っていたものが、こんな車窓から見られるのだ。カメラを向けても車窓の写真は難しい。乗車時間1時間半。 Alberobello アルベロベッロの駅到着。駅前からいくつかの坂道があった。どの道だろうか? と 地図を見ている間に人々はそれぞれの道に消えていった。駅からは5-10分くらい歩くはずだ。家々は、込み入って建ってはいるが小さな町のようだから、見当で、真ん中の坂道を進む。あれっ?路地を見ると、ツルッリが見える。路地に入ってみる。塀があったりして、ツルッリが連なっているが、見物客は居ない。 写真も撮りにくい。ここが観光地のはずはない。ツルッリが密集している地区は、土産物屋が並ぶモンティ地区と、その向かいの静かなアイア・ピッコラ地区とがあるそうだ。でも、ここはアイア・ピッコラ地区でもない、普通の住宅街のようだ。もうちょっと愛想があるところに行きたいな。アルベロベッロ って、全体が ツルッリしか並んでいない町かと思っていたので、普通の町の一部であることにガッカリ!そして、逆に、こんなに普通の住宅街の中に ツルッリがあるのでガッカリ。ホントの世界遺産地域に行きたい!少しすると、標識があった。この先にあるようだ。
2008年07月10日
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夜行列車ベネチア・サンタルチア駅へ 少し早めに着いた。夜行列車のホームを確認すると、もう停車していた。車内はまだ明かりもついていないが、指定席なので乗車した。しばらくして、明かりがついた。夜行列車は季節はずれのせいか、あまり乗客がいない。6人部屋のコンパートメントなので、廊下側のカーテンを引いて入りにくくした。定刻に、静かに客車は出発した。幸い誰も乗車せず、2人で1部屋占領できた。3人分の席に鞄を枕に寝込んだ。残念なことは アドリア海がすぐ脇にあるのに、真っ暗で見られないことだった。ボクは乗り物の中で眠れない方なので、ボローニャとか途中駅にも目が覚めた。 到着は翌日6時半くらいだったが、5時半くらいから目が覚めて、列車が遅れていることに気がついた。途中駅で降りてみようかとも思ったが、我慢、我慢。バーリ・中央駅到着。寒くはないと思っていたのだが、ここで風邪を引いてしまったらしい。 バーリ到着バーリは この地方の中心都市で、私鉄がこの駅の両側にそれぞれある。まずは表口に出たが、まだ広場のインフォメーションは開いていなかった。実はこの日のホテルの予約がしていなかった。 バーリに泊まるか、 アルベルベッロか、マテーラ の2つの世界遺産の町のどちらかに泊まるか、決めていなかった。バーリから私鉄でそれぞれ1時間半から2時間くらいの場所に位置するのだが、あまり交通の便がよくない。 アルベルベッロは あのかわいらしいとんがり屋根のツルッリで有名な町だが、それ以外の名物がない。 マテーラは、古代からの洞窟住宅の町で、寂れていたのが、世界遺産になったおかげで少しずつよくなっているそうだが、治安がいいかどうか不安なところがあった。 バーリの町にもお城があるので、この町に泊まることにして、荷物は荷物預かり所に預けた。 さあ、アルベルベッロに向けて出発だ。
2008年06月30日
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キオッジャから 行きと逆に バポレットに乗って、バスに乗り換え、バスごとフェリーに乗って、リド島をバスは約半分6km走って、リドの港に着いた。この日の予定は、夜9時半の 夜行列車に乗ることだったので、まだ数時間ベネチアを楽しめた。リド島からは やはり 1番のバポレットに乗って、カナルグランデの好きなところで乗ったり降りたりして、夕刻にはようやっとバカロ(ベネチアのバー)も行かれたし、ローマ広場から本土への橋を見下ろしに行ったり、ベネチア最後の日を楽しんだ。カーニバルの写真、残りの分 載せます。 夜の彷徨の時間には バッテリーがなくなってしまい、残りは自分の目で楽しんだ。立ち食いピザのお店で、ワイン飲んだりした。ばいばい、ベネチア。 またいつか、、、
2008年06月19日
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EURO2008 見てます?オーストリア・スイス大会。 ワールドカップ4年のちょうど真ん中の年に行う ヨーロッパナンバーワンの強豪国を決める戦いだ。 WOWWOWが全試合中継のおかげで 民放は週末の数試合しか放送しない。 毎日毎日が目の離せないリーグ戦。その中でも死の Cグループ! オランダ・フランス・イタリア・ルーマニア のうち上位2チームだけが枠抜け! すごい、すごい! オランダがファンニステルロイ だけでなく どんどんシュートを決めて、 イタリアに3-0 フランスに4-1 と 2連勝で、準々決勝へ駒を進めた。 前回ワールドカップの 優勝国イタリア と 準優勝国 フランス が、かろうじて1敗1引き分け 勝ち点1で、首の皮1枚つながっているところ。 Cグループ最終戦で、フランス・イタリアのどちらが生き残るか? と思っていたら、 ルーマニアが 2引き分けで、勝ち点2 だった。ルーマニアがもし頑張って オランダに勝ってしまったら、フランス・イタリアのどっちが勝ってもグループリーグを突破できないのだ。 ルーマニアが引き分けても、フランス・イタリアが引き分けたらルーマニアが枠抜けだ。 なんてこった! グループ抜けは限りなく厳しい! でも、ゲームはそれだけ死にものぐるいなのだから、きっとおもしろいものになるだろう。もし、明日27:30に 早起きできたら、 TBS で この フランス・イタリア戦が見られる。 見る? 見ない? 昼間の仕事に差し支えるから 困ったものだ。 ほかの グループは? グループA は ポルトガルが2勝で枠抜け決めたあと、 トルコがポルトガルに勝って、2位通過。 グループBは、 クロアチアがドイツに勝ってグループ通過。 ドイツは次戦にかかってるけど、オーストリア相手だからたぶん大丈夫! グループD は スペインが2勝で枠抜け。 あと1つは デンマークとロシアでどっちが勝つか? まあ、おもしろいことになっている。 体をこわさない程度に 楽しもう!
2008年06月16日
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昨日 東京メトロ副都心線が開通した。テレビでもあちこち特集しているように山手線西側の 副都心 池袋・新宿・渋谷の3繁華街を結ぶ線だ。押っ取り刀で行ってみた。銀座線渋谷駅・地上3階から下る。「副都心線へのお乗り換えは赤い色の改札口から」とのご案内。赤い色の改札口は1つだけ。あまり需要はないようだ。改札を出たところに、副都心線の行き方標識がなくて、渋谷を知らない人だと困ってしまいそうだ。改札出て左手の階段を下りると、東横線の改札階。ここでも案内標識はない。ここも左手の階段を下りるところでようやく標識発見!1階部分で 駅員さんが 副都心線はこちら の看板を持ってご案内。宮益坂方面の外へ出ると、目の前は メトロの入り口。ここはもともと半蔵門線の入り口としておなじみ。ここから入るのか!ふと右手を見ると新たな入り口発見!ここは、上り下りのエスカレーターが並んでいるが、東急の入り口ということになっているらしい。(ここも正解)ここを降りる。地下通路は人でいっぱいだった。左手は半蔵門線、右手が副都心線。「立ち止まらないでください」のガードマンの声がうるさい。ここからも、安藤忠雄の 地宙船 イメージのカバーが見える。地上が見える吹き抜け構造 が売りだが、壁の一部が 自然風な崖の形にしているのが趣向だが、あまり開放感とはいかない。東横線開業時の完成時まで開放感はお待たせだろうか。中央の線路2本分に床がかぶさっていて、乗降客の通路を広めている。にわかカメラマンがあちこちで撮影している。親子連れも多く、都会のお金のかからぬイベント化している。この駅でのおみやげは、切符代わりの補充券で、かなり長い列に 手書き切符を書き込む駅員さんも重労働だ。ホームドアのおかげで、入ってくる車両の全貌は写せないが、東京メトロの有楽町線用だった7000系の帯の色が黄土色に変わっていた。10000系は、有楽町線でデビューしたときと特別変わらない。7000系の編成は少し短い8両編成になっていた。
2008年06月15日
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スペインの新幹線網 が ものすごい勢いで建設されているそうだ。 1992年、セビリア万国博の時に マドリード セビリア間が開業した。その後、マドリードからは さほど遠くない 古都トレドまで開業したのが2005年。このときには、ボクもブログで書いたが、セビリア線とも別個の単独路線だった。そのとき、マドリード~リェイダ開通 していたが、あまり興味を持たなかった。そのあと、2006年 リェイダ~タラゴナ開通していた。 それが、 なんと、 2008年2月20日バルセロナまで開業していた。 このことは、全然知らなくて、今日の 日経新聞の特集記事で知らされた。 実は、国防上の理由で、ヨーロッパのほとんどが採用している標準軌をスペインは採用していない。おかげで、フランススペイン間普通の車両は直通運転できない。 普通の! というのは、もう何十年も前の TEEの時代から、フランススペイン間を走行している列車「カタラン・タルゴ」があるから。 数年前に、この列車に乗った。(これもブログに書いた) この列車は、 線路幅に合わせて、車輪の幅が変更できるのだ!日本でも、このタイプの車両は研究されていて、これによって新幹線が、普通のJRの線路に乗り入れできるはずだが、まだ実現の方向は見えていない。 閑話休題! 話を元に戻すが、なんと、マドリード バルセロナ間を 2時間30分で走っているそうだ。 数年前に サグラダ・ファミリア教会の地下で、AVEのトンネルを造っているのが、サグラダ・ファミリア教会にとって問題だ というニュースがあったと思う。 バルセロナ近郊の粘土層は、AVEの高速運転には問題なのだそうです。 でも、2時間30分 で マドリード バルセロナ間がつながるって事は、日本の 東京大阪と同じ効果になるのではないでしょうか! そればかりでなく、スペイン全土に AVE網 が建設されているらしい。 マドリードはスペインのほぼ中央に位置するので、 どの主要都市にも2時間半で行かれるようになるという。 これはすごいことだ! そして、あと数年すると、バルセロナから アビニョン・マルセーユとの間に AVE TGV が 相互乗り入れしそうだ。 ポルトガルのリスボンとの間もこの路線が開通する予定!と、近いうちに夢は現実されそうだ。 ヨーロッパの旅の 夢が広がる話だ。
2008年06月10日
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キオッジャの町を一通り回ることにして、道路に張り出した 大聖堂を越えて、本土への橋を半分だけ渡りました。キオッジャと本土を結ぶ橋。路地裏のレストランに入りました。レストランで食べたのは、イカのフライと スパゲティボンゴレ。スパゲティは2人前から というので2人とも同じメニュー。キオッジャのアサリは小さめでした。珍しい魚介類は食べられなかったけど、満足して、キオッジャの町 から また バポレットとフェリーに乗るバスに乗って、リド島・ベネチアへ戻ります。
2008年05月29日
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路地を入ってみると、裏手に運河があった。小さな橋がいくつもある。そうそう、これがないと、海の上の町という感じがしない。この運河はおもに船の係留に使われている。運河脇に 小売店やバルなどが並ぶ。 真っ赤なテントは、小売り用の魚市場だった。 外国人なのに、かまわず声をかける。 買いたいけど、買えない。生のまま調理しないで食べられればいいんだけど、、、おいしそうな魚介類を前に、指をくわえて通り過ぎた。運河沿いの肉屋さんで、おいしそうなハムがいっぱいあった。 ベーコン風のものを500g買った。思ったより高かった。500gって、こんなにいっぱい? と思うほどきた。薄く切ってくれたハムに、1枚1枚薄いビニールを挟んでくれた。(とてもおいしいハムだった)よし、今日はサンドイッチだ!マヨネーズを小さなお店で買った。リンゴも。でも、考えてみたら、この町に来たのは海産物を食べるためだった。またもレストラン探しに歩き回る。立て看板があっても、レストランはまだ開いていなかった。もう少し食事時間とかの計算もする必要があった。イタリアだから、昼食は13時過ぎないといけなかった。せっかくなので、本土と繋がる橋も見に行くことにした。通りに出っ張ったように教会があった。大聖堂かな?
2008年05月26日
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■キオッジャ漁師たちの船が多く停まる港に、馬力の大きいバポレットは、直角に入らず、ぐるっと回るように、船着き場に付けた。 ボクたちは、荷物を転がしながら、 キオッジャの船着き場に降り立った。ここは気取らない雰囲気だった。船着き場から、ちょっと歩いただけで、年老いた漁師上がり風の男が多めだな という町の印象。「ドヴェ ア インフォルマション ツーリスモ ?」と、いい加減なイタリア語で聞く。おじいちゃんは、他のおじいちゃんも巻き込んで答えようとしていた。どうやら、船着き場近くには、インフォメーションなんて気の利いたものはないようだ。スタッチョーネ とか聞こえるから、駅に行かないとないようだ。グラッツェ と言って、彼らから離れた。この町の入口に、 たいこ橋があった。 5/4 日曜の 「ウルルン」で、 アリtoキリギリスの石井正則さんが、まぼろしの「モレッケ」を求め、 キオッジャへ着いたとき市長さんたちと会ったあのたいこ橋です。港からすぐのところに あるのですが、誰も気にしている様子はなく、観光名所という感じではありません。写真も撮らなかった。少し行くと、広めの表通りに出ました。大通りには、車道にまでバルのテラスのテーブル席がはりだしていて、車があちこち適当に停まっています。そうそう、ここはベネチアと違って、本土から車が渡れる橋が架かっているのです。車はたまにしか通らないので、車道を歩行者が我がもの顔で歩いています。漁師町らしい雰囲気の気取らない町です。アーケードの商店街が右手に、左手は教会などが並ぶ。ここはなんとも観光地という雰囲気ではない。ボクたちも、大通りの真ん中をバックをひいて歩いた。まだ午前中で、レストランも開く時間ではありません。道路にはりだしているバルも わずかに観光客がテーブル席に座っているくらいで、ウエイターたちも手持ちぶさたです。 何か面白いところはないか と路地に入ります。
2008年05月23日
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雑草が両脇に生えた変なところでバスは停まった。信号でも赤なの?しばらく停まっている。???ギュウギュウでバスの車内から、先に信号があるのかどうかよく分からない。それにしても、道路の真ん中に雑草の生えた道なんてあり?動き出した。のろのろと。と、小さな広場を経由して、バスは 10数台くらいでいっぱいになりそうな 小さなフェリーに 乗り込んだのだ。 バスごと乗ってしまった! なんてダイナミックな! 乗用車やトラックやバイクなども乗せて、すぐに離岸した。事前に学習していたので、なるほど と思ったが、ちょっとビックリ体験だ。 フェリーが出航すると、 バスはドアを開けた。ギュウギュウの客のうち 一部の人が ドアから降りて 車内は、少し余裕ができた。■10分くらいで、フェリーは、隣の島に着いた、乗客が戻ったところで、バスはドアを閉めて走り出した。この島は、ペッレストリーナという島 だそうだが、やはり細長い島だ。小さな集落と、工場があるくらいで、反対側は 護岸のような土を盛った土手になっている。道はまっすぐだが、何とも面白くない景色が続く。なにもないところのバス停でも乗客は少しずつ降りていく。郵便屋さんカップルも途中で降りた。ちょっとだけいすに座れた。 ■しばらくして、バスが停まると、乗客が降りだして、他の客がどっと乗ってきた。んん?ぼけっと座っていると、女性が声をかけてきた。?「キオッジャへ行くの?」「はい。」と答えると、「ここで降りないと、リドへ行ってしまうよ」大慌てで、バスを降りた。終着駅だとか、なんのアナウンスもなかった。■その少し先には、バポレットが待っていた。先に降りた人たちはすでに、バポレットに乗ったようだ。またも、 「ア キオッジャ ?」 と聞いて、シー という声を聞いて そのバポレットに乗った。ペッレストリーナという島はまだ続いていたが、工事船のようなのが停泊しているくらいのもう防波堤だけしかないような感じで、味気ない感じだった。 潟の方に目をやると、水上に浮いた小屋がいくつか見える。ベネチアの起源は、こんなような小屋かもしれないな という原風景だ。漁師たちが、養殖したりして、作業したり、ひょっとして水上に今も住んでいるであろうか? と思わせる風景だ。穏やかな潟の水面に、しばし目を楽しませられた。しばらくすると、正面に陸地が見えた。ああ、キオッジャ なのだった。
2008年05月20日
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霧の旗 松本清張は好きだけど、この原作は読んでいなかった。それが幸いしてか、この1ヶ月に2つの 霧の旗 の映画を見て、とても楽しめた。ある映画館で松本清張原作の映画特集があったのだ。清張は多作だけど、映画もいっぱいあるんですね。 1966年 と1977年に作成されたもの。1966年のものは、柳田桐子 : 倍賞千恵子 大塚欽三 : 滝沢修 監督 : 山田洋次 若き日の倍賞千恵子を アイドルから女優へアップグレードさせるために松竹が作ったという。なかなかの力作で、ストーリーも簡潔にまとめている。モノクロだが、それがより引き込ませられる。何よりビックリしたのは監督。山田洋次監督がミステリーものを撮ったのは、これ1本というが、すばらしかった。人情ものだけしか撮らない監督かと思っていたのでよけい。 1977年のものは、柳田桐子 : 山口百恵 阿部啓一 : 三浦友和 公開された当時はアイドルカップルものだと思っていた。恋愛ものなら無理してみることもないと思って期待していなかったのだが、今回比較のため見てみた。もちろん、百恵ちゃんファンってこともあるけど。もっとストーリーが、甘甘かと思っていたが、どうしてどうして、百恵ちゃんの演技も 丁寧なストーリー説明も好感が持てた。相対の大塚欽三役 : 三國連太郎 もよかったが、前作では思い出のみだった兄・柳田正夫役 : 関口宏 の兄弟愛の表現も見られた。製作者に ホリプロの 堀威夫 が名を連ねていたので、百恵ちゃんは堀社長にも愛されていたんだな と 思った。こちらも、百恵ちゃんを脱皮させようと、22歳で若すぎるかもしれないと起用に危惧もあったようだが、見た感じ問題はなかった。 倍賞千恵子も、山口百恵も、すばらしかった。 と、Wikpedia を見てみたら、テレビドラマで 6回もドラマ化されていた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/霧の旗 ドラマはどんな感じだったのだろうか?ドラマより映画を先に見られた幸運を 自分で喜んでいる。もし機会があったら見て欲しいです。倍賞千恵子 主演ものも、DVD化されているようだ。
2008年05月15日
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サンマルコ広場で、カーニバルを夜も楽しんだ後、リド島で、ホテルへ戻る際、またも迷子になってしまった。でも、ベネチア本島での散歩のような迷子と比べて、この迷子は、あまり楽しいものではなかった。自分が悪いのだが、、、■ 翌朝本日は、ベネチアから夜行で出立する。21時までたっぷりの時間がある。ベネチアの魚市場を担当するキオッジャ という町に行くことにした。行こうか行くまいかと考えていたが、古きベネチアを連想させるかもしれない町だそうで、やっぱ、行くっきゃないか。行き方は、リド島から延々バス・フェリー・バポレットで1時間くらい。(いったいどこにあるんだ? と 日本で地図で調べてみた)キオッジャへは、鉄道でも大回りで行かれるが、幸いなことに、リド島から11番のバスで連絡しているという。泊まっているこのホテルもリド島なので、バスは目の前を通るかもしれない。荷物をサンタルチア駅のロッカーに預けて身軽に とも思ったが、 時間がもったいない。※ちょうど先週日曜5/4の 「ウルルン」では、 アリtoキリギリスの石井正則さんが、まぼろしの「モレッケ」を求め、 イタリアのキオッジャの漁師さんのところに民泊していました。※ ※「モレッケ」とは、いわゆる「ソフト・シェル・クラブ」で、 脱皮直後の「ミドリガニのオス」だけを指す名称で 春秋のわずかな時期しか食べられない幻の味とのことでした。■結局、チェックインして、目の前のバス停でなく、始発のリド島船着き場まで行くことにした。※(目の前のバス停では停まらないということが後で判明)船着き場のバスを降りて11番のバス停を聞くと、商店街の方を指さされた。ちょうど11番バスが停まっていて、ちょうど席が満席くらいだった。これを逃すと、40~50分後なので、立ち席で乗ることとした。なあに、途中でどんどん降りて空いてくるだろうと高をくくっていた。バスが出発するまでしばらくあったが、その間にどんどん乗ってきて、余裕はあるが、結構いっぱいになった。リド島のバスは、いつ乗ってもいっぱいで感心した。リド島はカジノと海水浴だけの島かと思っていたが、なかなかどうして、生活感のある町だった。バスは出発すると、 海水浴場側の通りを南下する。ホテルのある通りは通らなかった。やがて直角に曲がって、芝生の張られたサッカーコートのようなところは低層のマンション住宅地域だった。結構頻繁に停まると、下車する人もいるが、乗る人の方が多い。もうギュウギュウだ。と、荷物を余分に持った制服の2人が乗る。なんと、郵便屋さんだった。彼らのために乗客は場所を作らざるを得ない。 バスは足の場所を確保するのがやっとのホントの満員になっていた。幅500mくらいの細長い島でも、時折直角に曲がって、大学のようなところを通り過ぎた。長さ12kmの島で、半分としたら、6kmくらい南下するはずだ。車窓の風景は意外と色々変わった。雑草が両脇に生えた変なところでバスは停まった。信号でも赤なの?しばらく停まっている。???動き出した。のろのろと。
2008年05月13日
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バポレットで、本島へ戻った。カナル・グランデの真裏の停留所で降りて歩く。地図を見ると、カ・ドーロへも ほぼまっすぐ。な~んだ、ベネチアって、わかりやすいじゃないか。あちこちに路地があって、人が歩いていく。なんとなくあっちの方が近いかな とか、興味本位で曲がってみる。近道かと思いきや、そこの住民専用の建物に繋がっていたり、住宅の間を抜けると、直接運河に繋がっていていたりして。ちょっと運河をのぞいてみようと、濡れた階段に1段降りてみたら滑りそうになった。危機一髪!こんなところで すごく寒くはないにしても運河に落ちて、冬にびしょぬれでは大変なことになってしまう。まあ、無事でよかった。カ・ドーロにあるという有名なバカーロの場所を探す。ベネチア人も親切だった。自分が知らなくても他の人に聞いてくれる。「カ・ドーロの商店街をちょっと曲がったあたりの銀行脇?」その銀行が見あたらない。??これも銀行かな?お店が見つからない理由が分かった!鉄の大きなドアが閉まると、看板も見えない。路地の奥まったところだった。あとで寄ってみたい。リアルト橋をまず見学することにした。リアルト橋は、橋の上にちょっとお高いおみやげ屋さんが並ぶ。対岸へ行って、夕刻。この時間には、まだバカーロもリストランテもあいている時間ではない。観光客向けに、小さな広場に席を出しているピザ屋さんに決めた。お店の中も勧められたが、広場の席の方がいいや。席に座った頃から日が暮れて、真っ暗に近い状態になった。2種類のパスタ(リゾットとパスタ)とサラダを分けあって食べた。味はまあまあだった。ぐるっと、あたりを回って、水上バス バポレットで、サンマルコ広場へ向かった。暗くなった中でも、カーニバルに参加する人々は多かった。残念だけど、暗くなると綺麗な写真はあまり撮れなかった。
2008年05月11日
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ムラノ島は、早めに切り上げて、待ち時間なしに、ブラーノ島へのバポレットに、さっと乗り込む。ブラーノ島は、少し離れていた。ブラーノ島に橋で繋がっているマッツォルボ島の停留所に停まるとマッツォルボ島にも数人の白人たちは降りていった。次のブラーノ島で降りる。さっきの島とも橋で繋がっていた。ブラーノ島は、漁師の島で、特産はレース編みだそうだ。特徴は特にないと地球の歩き方には書かれている。広場を抜けると、おみやげ屋さんの続く路地。運河に沿って、お店が続く。 おみやげ屋さんは、レース屋さんが少し多めにあるくらいで、大して変わらないけど、建物の一つ一つがとってもカラフル!かわいい町だ。 運河は工事中で、掘り返していたが、黄色の家、隣が空色、その隣が紫、黄色、オレンジ、肌色、青、オリーブ色。規則性はないが、なぜか建物はみんな極彩色。きれいだ!漁師が霧にあっても自分の家が分かるようにカラフルだ と書かれているが、この島だけとってもカラフルなのはちょっと不思議。他の島だって、カラフルであってもおかしくないのに。 ベネチア本島に比べれば、海鮮が割安に食べられるかもしれないと思いながらも、帰りの船の時間が気になって、リストランテには入れないで居る。おみやげは?買いました。ベネチアらしいもの とか言って、カーニバルマスクのミニとか。広場のリストランテには、フランスの貴族のような仮装した一群が広いテーブルを囲んで酒宴を開いていた。彼らの回りには、観光客がカメラを向けている。結局、反対側の漁師が住むと思われる民家の裏手の網が干してあるあたりを回って、船着き場へ。 こんな民家もそれぞれ極彩色で、最近塗り直したようにきれいだ。そのための予算が島民には配られるのであろうか?しばらく待って、次のバポレットで、本島へ戻った。
2008年05月08日
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サンタルチア駅で、明日の準備をすませた。駅前のバポレット停留所Ferrovia から また観光に出発。時刻表を見ていたら、ムラノ島へ行く船も 近道と遠回りがあるが、幸いなことに早回りの方の船の時間が近い。ムラノ島は、カナル・グランデからは真裏に当たる。運河を抜けて、真裏へ。墓地の島 サン・ミケーレ島を横目で見ると、ムラノ島はすぐそこだ。ムラノ島も いくつかの島を橋で繋ぎ大きな運河がある。 停留所もいくつかある。ガラス工場見学すると、高いおみやげを買わないといけなくなるので、工場見学はせずに、運河沿いの小さなお店をウインドウショッピング。 果物だったり、魚だったり、小さな作品がきれいに並ぶ。ムラノガラスの置物は以前に来たときに買っているので、今回は無理して買うつもりはない。小さな広場に 大きなガラスのオブジェが置かれていたり。運河に沿って歩いていたら、次第に対岸が離れていって、橋が架かっていない。橋のあるところまで戻らなくていけないので、対岸へ渡るのがおっくうだ。ムラノ島は、ガラスの博物館と、小さな教会があるくらいなので、このぐらいで切り上げようか、、、実は 船の時間が気になっていた。うまくすれば、待ち時間なしに、ブラーノ島へ行かれる。ムラノ島の簡単な地図で行くと、停留所は小さな灯台脇だ。灯台は? この先にあるみたいだ。灯台に着いたとき、ちょうどバポレットが着いた。「ブラーノ?」 と聞くと、シー と答えられた。36時間切符があるので、さっと乗り込む。
2008年05月08日
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ベネチアのメイン通りは、大運河(カナル・グランデ) だ。が、名前の付け方は大げさだ。その裏手の、ジューデッカ運河の方がでかいのだがカナル・グランデの方が、景色もすばらしいからOKだ。サンザッカリアからバポレットに乗る。 ホントにどこを切り取っても絵になるのが、ベネチアのすばらしさ。 1番のバポレットは、こまめに停まって、ゆっくり走る。景色は充分に堪能できる。 欠点は、後ろのデッキ席を確保できないと、乗降客が多いデッキに立たないといけない点。2番が急行のバポレットだが、 1番が邪魔していて、なかなか抜けないところが痛快だ。 こっちの岸、あっちの岸へ ゆっくりゆっくり進むが、着岸・離岸は とても素早い。タイのチャオプラヤ川の水上バスも素早いが、停まるか停まらないかの内に飛び降りないといけなかったり、まだ片足が着地していないのに離岸するので少し怖い。ベネチアの場合は充分に安全にも気を遣っている。リアルト橋が、カナル・グランデのハイライトだ。その次あたりの カ・ドーロ で降りることにした。ここまで来れば、駅まで歩いてもたいしたことはないだろうと。カ・ドーロは、「黄金の館」という意味の愛称だそうだが、金色というより白亜の建物に見える。元は商館、美術館になっているようだが、今日はどこも入る気がしない。船着き場から、路地を抜けると、商店街。 ここに、バカーロという種類の立ち飲みバーがあるはずであった。バカーロは、ベネチア独特のスタイルらしい。イタリアの他の町のバルBARでは、菓子パンはあっても、おつまみはない。残念ながら、朝からそんなお店を見つけるのは非常に難しかった。商店街をゆっくりウインドウショッピングしながら、路地や橋を抜けていく。どの道もまっすぐでないが、きっと駅に続くと信じて進む。ベネチア本当はさほど広い地域でないので、迷子になるのも楽しいことだ。途中の果物屋さんで、洋梨を買う。手で取ろうとして、チチチッと怒られた。現在では、果物を直接手で取ってはいけないようだ。いつの間にイタリアが清潔さを気にする国になってしまったのだろうか。2つ買って、量ってもらい、わずかのお金を支払う。運河沿いに沿って迷わず、駅に着いた。駅に行く理由は?実は、ベネチアからの鉄道の切符を買うため。逆回り と タイトルに書いたのは、アドリア海沿いに南下して、それから、西へ、ナポリ、ローマへ行く日程だから。アドリア海は、昼間下りたかったのだが、日程の都合で夜行列車の席が取れるかどうかが問題だった。バーリからアルベルベッロやもう1つの世界遺産マテーラ(断念)へも行きたかったが交通が非常に不便、またそこからナポリへの交通も不便、ベネチアの滞在時間や、ナポリでの時間を確保したかったので、夜行列車やむを得なかった。イタリアパスとか買っても採算合わないので、鉄道に乗るたびに毎回切符を買うことにした。切符売り場は、昼間から列ができていたが、さほど時間掛からずに 予定の列車の切符が手に入った。駅での用事は、ロッカーの位置だ。それもすぐ分かって、本日の任務終了。
2008年05月07日
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今日はヨーロッパから離れて、 朝ドラの話し。月島を舞台にしている 瞳。なんだかドラマらしくなくて、予告編だけでも充分なほど中身がなくて、先が予測できてしまう。そこへ行くと、 この3月に終わった ちりとてちん昨日今日と 総集編を見てしまったが、 面白かった。毎日見ていても、展開が早くて、ほろりとさせたり、笑わせてくれたり。総集編ではどのようにちょん切るのかな と思ってみていたが、A子とのエピソードとか、5番弟子のエピソードなど気持ちよくバッサリやっていて、気持ちいいほど!貫地谷しほり だけでなく、 回りを固めたそれぞれがよかった。こんな明るい物語、それでいて、人情話が入っていて、すでに都会となってしまった月島では ドラマが浮いてしまっている。NHKの朝ドラは、東京と大阪が交互に制作しているそうだが、東京の どんと晴れ はよかったけど、大阪は、芋たこなんきん の藤山直美さんもよかったし、2連勝だ。瞳 どこへ行くの?榮倉奈々さん・西田敏行さん・飯島直子さん、もうちょっと面白くしてくれぃ。
2008年05月06日
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カーニバルって、観光客も参加できる仮装して歩く お祭でした。 この不思議の国のアリスの 彼女が 入選するかもしれないということで、インタビューを受けているらしい と 他の観光客さんが話していました。夜のコンサート イタリア語なので ぜんぜん分からなくって、面白くなかったです。
2008年05月04日
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カーニバルの帽子は、KBが魔女の紅色のとんがり帽、ボクは、ピエロのような先が6つくらいの分かれている赤黄緑の3色の派手なもの。せっかくなのでかぶったまま、サンマルコ広場を歩く。かぶってしまって、逆に建物の中の見学しにくい感じとなった。カーニバルの扮装のカップルを撮影。ハトと人間のどっちが多いかというあたりの先には大きなステージがあった。夜にはきっとなにかのショーがあるのであろう。そして、今まで決して入ったことのないカフェへ行ってしまった。以前から高いと聞いてはいたが、しかし、「立ち飲みなら高くないだろう」と思って、中のショーケースをのぞく。値段が書かれていない。カプチーノとなにかパンでも食べようかな とぐずぐずしていると、ショーケースの中の女性が、とにかくボーイさんを呼んで席に座れとせかされる。座ると高い! のでぐずったが、ボーイさんに勧められてメニューをもらった。う~~ん、高い!カプチーノより安いエスプレッソで、9EURO。サンドイッチ と書かれているのは 15EURO以上!でも、ちょっと興味を持って、「このサンドィッチ ってどれっ?」とボーイさんにしつこく聞いたら、ショーケースの中の小さなパンを指した。いよいよ、恐ろしい。座ってメニューだけ見て出ていくのも、日本人代表としては 問題なので、エスプレッソを1つずつ頼んで、しばらくの間だけ、広場の景色とお店の中の雰囲気を楽しんだ。長くも居られないので、お店を出て、まずは当初の目的地・サンタルチア駅へ向かうことにした。広場には、小学校に入ったか入らないかのかわいらしい少女たちの仮装がとてもかわいい。でも、すぐ疲れてしまったり照れてお母さんの陰に入ったりして、なかなかいい被写体になってくれない。白い仮面で、いかにもカーニバルの主役は私よ!といった感じで、サン・ジョルジョ島をバックにポーズを取る人を写したりして、サン・ザッカレア船着き場へ。横のモーターボートやバポレットには、カーニバルの扮装の人たちがいっぱい、歓声を上げながら楽しんでいる。どうやら、サン・ジョルジョ島でなにか楽しいことが待っているらしい。ボクらは、それを横目に、各駅停車のバポレット1番に乗り込んだ。36時間切符で、水上バスを丸2日乗り倒すぞ っと。カナル・グランデを楽しむには 1番が もっとも優れていると思う。
2008年05月02日
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リド島の住宅街にある、ホテル・ヴィラ・デ・ティツィアーノは、冬の期間はあまり利用客がいないようで、朝食も付かない。ほんの少し、持っていたビスケットなどを食べて、早めに出発。ここに2泊するので、荷物を置いていける。朝からただ乗りは気が引けるし、朝の散歩で、リド島の長い東海岸を歩く。こちらは、海水浴場が続く。夏ではないので、海水浴場に人はいない。入っていいかはわからないけど、開いている入り口から砂浜へ。シーズンオフは砂浜も整備中の感じだ。スターウオーズに出てくる三角屋根みたいなコテージが並ぶ海水浴場もあった。船着き場方向へのロータリーから島を横切る。ここの幅は約500m。以前にも歩いたことがある通りだが、だいぶあか抜けてしまっていた。大きなスーパーだったところも他の施設とセットになって、小規模の食品スーパーに衣替えしていた。船着き場に着くと、早速にインフォメーションで バポレットの路線図をもらい、残りのベネチア滞在時間を考えて、36時間切符を買った。ベネチアでは、1回券より、こういった24時間券とか、48時間券の方が確実にお買い得だ。本日のリド島探索は、これでお仕舞いにする。リド島はほとんどのバポレットの終着点や中継点になっていて便利な場所だ。まずは、ベネチア観光のスタート地点・サンマルコ広場に急行する。カナル・グランデを巡る各駅停車バポレット 1番に乗る。さわやかな朝の 水上バス散歩、ここに始まる。船内でなく、後ろのデッキの席に陣取る。離れ去るリド島の景色を楽しむ。旅はまだ始まったばかりだ!カナル・グランデの風景もすばらしいが、ここ、リド島からサンマルコ広場までの風景もなかなかすばらしいと思う。いくつかの船着き場を経て、サンマルコ広場の1つ手前で降りる。朝からもうおみやげ屋さんが出ているし、嘆きの橋の横を渡って、サンマルコ広場へ行くのだけで、すでにベネチアを体感できている。KBは、もう感激しっぱなしだ。ディズニーシーは問題じゃない! 嘆きの橋 は、二度と戻れないかもしれない死刑囚がここで嘆いたということが由来だそうだが、まずここで記念写真を撮るのがお約束。ふと、ビックリしたことがある。白い仮面をかぶった人がいて、その人をみんなで写真を撮っていた。あれっ、カーニバルは、2月にならないと始まらないのでは?と、橋を渡っていく、仮装の日本人カップルに思える2人。あれっ?サンマルコ広場へ入る。向かいのサンジョルジョ島 と、ゴンドラ を眺め、ホントにベネチアという 異空間にいることを ボクも満足している。サンマルコ広場入口に、仮装用の帽子や仮面を売る出店がいくつか出ていた。とてもカラフル。早速に、写真を撮っていると、イタリア青年が寄ってきて帽子をかぶせる。見てるだけ と言うと、 どうぞ、どうぞ と 紳士的。カーニバルは まだ先じゃないの?と聞くと、 「もうカーニバルは始まっている」なんと、一昨日の土曜日からだって。ボクも悪のりして、カーニバルに参加したくなった。まだ旅は始まったばかりなのに、帽子や仮面を物色し始めた。1つ2つ値段を聞いてみても、そんなにふっかけた値段ではない。2人で、ああでもない、こうでもないと、選んだ。ホントはマントから仮面・帽子とそろえれば、どこの誰かもわからないカーニバルの主人公になれるかもしれないが、帽子だけを1つずつ買った。
2008年04月30日
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リド島についた時には、もう21時を回っていた。船着場の切符売り場はもう窓口を閉めていた。ベネチア地区というからには、この船着場から歩いて数分のところだろうと高をくくっていた。予約サイトにあった地図の雰囲気からして、このまままっすぐ行って、南方向へ運河を越えればいいだろうと、思った。通りの名前を歩く人に聞くが、分かる人にぶつからない。だいぶ南のほうへ行ったが、ついでに「おいしい」とガイドブックに載っていたレストランの場所も聞いたり。日曜のせいで、開いていないのかもしれない。レストランの場所はわかったが、ホテルの場所は分からなかった。やむをえず、船着場まで戻った。インフォメーションの窓口も閉まっていて、到着したバスの運ちゃんに聞くしかなかった。「ここに来る 何番のバスで3つ目だ。」次は何分後? と聞いたけど、それはイタリア、そのうち来るから と。困ったことがあった。実は、24時間切符とか48時間切符とかは翌日に買えばいいと思っていたので、窓口が閉まることは心配していなかった。ヨーロッパでは、切符を手に入れるのに苦戦することが多い。しばらく待って、バスが来た。運転手さんはさっと降りてどっかへ行ってしまった。バスの運転席との間には透明のアクリル板があるだけで、料金箱なんてものは無い。運転手さんが戻ってきたらすぐ切符買わなくっちゃ!こんな日曜の晩のバスだし、あまり乗車する人がいないかと思いきや、立つ人も多い、ほぼ満員になった。運転手さんが乗ったかと思うと、さっと出発してしまった。どうしようかと思ったが、3停留所なら、と、ただ乗りしてしまった。この乗客全員が切符持ってるのだろうか?と不思議でもあった。思ったとおりバスは南へ向かう。バス停の間隔は意外と長く、1つ目の停留所で降りる客もいる。実は、ベネチアにはローマ広場までで車の乗り入れが無い。しかし、ここリド島にはバス路線があるのだ。水上バス・バポレットと共通の乗車券でこのバスに乗れる。3停留所後に降りると、ちょっとしたお屋敷町だった。まっすぐに続く道を道なりに運河を越える。ホテルらしいものは見えない。番地を頼りに路地をのぞく。あった!本日のホテル・ヴィラ・ティツィアーノ。住宅街の中で、壁にホテル名が書かれていなければ、わからない。
2008年04月28日
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パリでは3泊して、午後シャルル・ド・ゴール空港を出て、早めにヴェネチア・マルコ・ポーロ空港へ着きたかった。明るいうちにエールフランスに乗ったが、ヨーロッパの冬は日が沈むのも早い。暮れかかったところで、ヴェネチア・マルコ・ポーロ空港に到着した。■ここからベネチアへ早く着くのはバスの便だが、 ヴェネチアには船で向かいたい。それに、今夜のお宿は、ベニスに死すのリド島なので、バスだとローマ広場までなので、そこからバポレットに乗り換えて、結局は、早くは着かない。■EURO圏内の移動は、荷物を受け取って、あっけなく税関も無い。空港の中でまずは切符売り場を探す。船もバスも一緒の切符売り場に並んだ。ホントは色々なセット切符があるので、72時間切符に空港からの乗船券をつけるのとか、別々に買うのとどっちが得か聞きたかったが、忙しい振りして、「どっちを買いたいのか?」 聞いてくる。やむなくバポレットでリド島までの切符を買った。次のバポレットは 約1時間後だった。空港もわずかだが移動したので、以前のように出たらすぐ港というわけではない。時間が半端なのだが、空港2階で、セルフのお店でパスタを食べた。■バポレット乗り場は、駐車場の奥のあまりよくわからない左手にあった。(以前は、空港ビルも小さかったので、ビルを出てすぐに岸壁で判りやすかった)高速船ではない、普通のバポレットだった。荷物置き場にバッグを積み上げて 窓際の席に座る。もう暗い時間なので、景色もあまり見えない。もっとも、この辺の景色は、防波堤や、ブイ、芦の茂る風景のみだ。時折 高速モーターボートやバポレットとすれ違うとびっくりするくらい。数世紀前に、ベネチアがどこにあるかわからなかったというのが、なるほどと思わさせる。ところどころに明かりが見えて、3つ目の船着場が リド島だった。※ この夜景は、リド島でなく、カナル・グランデ です。
2008年04月24日
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いつもご来訪ありがとうございます。8万アクセスしました。80003 2008-04-17 07:18:58 hmv203さん79991 2008-04-16 23:08:33 seoulmikiさん79985 2008-04-16 21:16:35 jiyma21さん80168 2008-04-20 23:21:37 虚空2さん80206 2008-04-22 00:35:53 haihaihaihaiさん80211 2008-04-22 06:46:23 ブルゴニッシモさん いつものみなさん、その他のみなさん、ありがとうございます。 さてさて、 パリ脱出作戦は、ある出会いで楽しくできました。■ 翌日は、パーティーに参加して若い市長さんと握手したりしたけど、何よりビックリしたのは、中国パワー!中国人のもてはやされ方は日本がアジアの代表でないことを思い知らされる思いでした。 ディナーパーティー自体は楽しかったけど。■翌々日午後、早めにイベント会場を出た。最寄りの駅まで送ってもらったのはいいけれど、またも切符の自販機で困ってしまった。シャルルドゴール空港だから、C だろうと押してみても、ダメ。高校生くらいに見える女性が来たので、助けてもらう。空港は、アエロポール で、A だった!1人11.5EURO。高いものだ。クレジットカードでなく、細かくお金を出している間に彼女は消えた。お礼も言わないうちに、、、さてと、時刻表は? と、進むと、彼女はホームから降りてきた。手に路線図を持って、ボクらのために時刻も見てくれていた。もうすぐ来るRERに乗ればいい って。とっても親切だ。お礼に持ってきた 根付け (今年の子年の) を、あげた。ラッキー・ゾディアックだ と言うと、 喜んでくれた。一緒の4人掛けの席に座ってくれて、お話が始まった。彼女は、英語は苦手だと言った。実は、彼女は 高校生でなくて 大学3年生 !そして彼女は メキシコ人だった。とてもかわいらしい女性で、 大学の専門は? と聞くと、その辺の英語は 思い出せないらしく、 フランス語になった。美術学科だろうか? と話を合わせた。すると、日本人にはすばらしい人がいる と言うのだ。誰?それは、タダオ・アンドウ と言う。話がようやくわかってきた。彼女は、アーキテクチャー 建築学科だったのだ。1年間の短期交換留学だという。メキシコはスペイン語の国だし、フランス語で授業を受けるというのもボクには想像もできない。そんなこんなで、楽しく話をしていると、そろそろ乗り換えの駅だ と彼女は行った。楽しい時間はあっという間に経つ。先に立って、シャルルドゴール空港 への RERのホームまで話は続いた。そこで時刻表を見て、 次のRERに乗ればいい と言うと、さよなら ありがとう と お互いに言ったが早いか、さきほどの階段を上がっていった。なんともさわやかな風が通りすぎていったような感じ。ボクも恩返しのため、東京のメトロなので困ってる外人がいたら、お手伝いするようにしている。彼女のおかげでストレスもなく、空港へスムーズに到着した。本日の目的地ベネチアまでは エールフランスだ。まだ日が暮れる前だが、ベネチアに着く頃には日が暮れている感じだ。ざんねん!
2008年04月22日
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朝早くから歩き回り、遅いランチも食べた。ギリシャ・ファーストフード店には、フランスの若者たち数人がどかどか入ってきて、 同じようにケバブを注文して食べて出ていった。彼らはコーラなどを持ち込んで店の中で飲んでいたが、なにも言われていなかった。結局、近くまで来たのにノートルダム寺院を見に行く時間がなかった。実は、夕刻にはホテルで友人と会う約束になっていたのだ。まずは遠回りだが、ホテルに預けていた荷物を取りに 北駅(ガル・ド・ノー)へ。北駅のRER駅は、多重構造になっていて、改札口もいっぱいあってわかりにくい。とにかく地上へ。地上へ出たら、国鉄駅裏手バスターミナル。遠い方の出口から出てしまった。 駅から数分のホテルへ。ホテルでは、顔を覚えていてくれて、荷物室の鍵をすぐ開けてくれた。コインロッカーを使わずにすんだので、その分チップを出した。小さなホテルだったが、気持ちいいサービスをしてくれた。北駅からまたRER。乗り換えて、パリ郊外のホテルへ向かう。 RERは、いくつもの線に枝分かれしているし、列車によって停まる駅が異なる。終点と、そのRERが目的の駅に停まるかを注意深く確認しなくてはいけない。幸いなことに2本目のRERに乗れた。こんな半端な時間なのに混んでいて大荷物と自分の立つ場所の確保が大変。凱旋門のエトワール駅を過ぎると、ほどなくRERはセーヌ川の橋を渡る。ここからはパリの市外になる。ここは、新しい町ラ・デファンスだ。この町は人間のみ歩ける空間となっていて、グランアルシュがでかくそびえる。車も鉄道も地下に追いやられていて、理想の都市設計かもしれないが、コンクリートジャングルでいくら彫刻があちこちに配されていても、ボクには好きになれない。(ここなら、ローマのEURの方が素敵な町だ。) ラ・デファンスを抜けると、RERは地上を走る。蛇行するセーヌ川を何度渡るのだろうか。ここまで来ると、通勤圏だが、結構田舎っぽくなる。 ■メゾン・ラフィットウィユの町を抜けて、ほどなくメゾン・ラフィット駅に着いた。とても簡易な橋上駅だったが、隣にインフォメーションがあった。すぐに飛び込んで、ホテルの場所を聞いた。ネットで調べた限りでは駅の近くかと思ったが、実際は住宅街の奥まった場所で、歩いて約10分くらいのところか。明日のイベント会場についても聞いたが、ここではわからなかった。荷物をごろごろ押して歩く。メゾン・ラフィットの町は、何となくセンスがいい。ちょっと大きなレストランには牡蠣が山積みになっていた。センスの良さそうなレストランで、あとで友人に聞いたらおいしかったそうだ。ここは高級住宅街みたいだ。メゾンというのはどんなお城があるのだろうか? でも、今は、ホテルへ行くのが一番大事な仕事だ。もらった地図を見て、横の道に行ったら、目印もなく、よくわからない。通りかかる人に片っ端から聞いたが、イービスホテルのことを地元民でもわからない人の方が多かった。少し不安になる。 イービスホテルと言ったら、フランスにいっぱいあるホテルチェーンなのに。わざわざ車道を渡って、教えに来てくれた人が居て、ようやくホテルに着いた。駐車場と芝生に囲まれたホテルは2階建てで、ちょっと見、ホテルらしくない雰囲気であった。チェックインして、友人の部屋を聞いた。なかなか見つからず、フロントで粘っていると、本人が部屋から出てきた。まずは再会を祝った。 荷物を部屋に入れてから数分後、友人は訪ねてきた。そこでおみやげの交換。「早朝から歩き回って、疲れた」と言うと、「じゃあ、夜にまた会おう」 と言って、彼は出ていった。昼寝しようとベッドに入ると、夕食もせず夜中までぐっすり眠ってしまった。彼とこの日は会えなかった。翌日にイベントで会うので問題はなかった。翌日はパーティーもあって、あっという間。翌々日パリを出ることとなった。結局、メゾン・ラフィットの町を歩く暇はなかった。
2008年04月16日
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ベルサイユ宮殿の見学も滞りなく終わり、計算違いは、朝早くから歩き回ったのに、さらっと流すはずだった宮殿内をじっくり見てしまったので、庭の散歩がカットになったこと。ベルサイユ・リブ・ゴーシュ駅まで、またも駐車場内を突っ切って戻る。 1日乗車券を持っているので、窓口に並ぶ必要もない。サンジェルマン・ノートルダムは乗換駅なので、たぶんすべてのRERは停まるはず。なので時刻表は見る必要はない!と思っていたが小心日本人のボクは時刻表を念のため確認。あと7-8分で出発。その次は少し時間があいていた。 RERは行き先表示板に、その列車のニックネームが表示されている。そんなに混んでない列車で、ささっと2階の4人がけ席を2人で占領。 あとは出発を待つのみ。 、、、、なにかアナウンスがあって、多くの人がぞろぞろ降りていく。 んん? フランス語がわからない数人が、ドアのところまで来て悩んでいる。 聞く相手がいない。でも雰囲気的にこの列車は走らないようだ。 向かいの列車に乗り移る。たぶん20分後の出発。2列車分の客が乗ると、席はほぼ満杯になった。 サンジェルマン・ノートルダム駅まで約30分の道のり。この駅で降りる人は多かった。 サンジェルマン・ノートルダム駅から即座に表へ出る。セーヌ川沿いの古本屋・絵はがき店は冬のせいかまばらに開いているのみ。 ボクらは遅い昼食を食べたかった。3時をすぎると、多くのレストランはコックさんが外に出ているくらいで、お昼休みになっていた。でも、この地区は、旅行者用のレストランが多いはず。今回の旅では、EUROの値上がりのせいで、どこへ行ってもメニューが高い。こんな中途半端な時間に高い料理も食べたくもない。以前に行ってまあまあだったお店を探して、ずんずん進む。ノートルダム寺院はセーヌ川の手前からチラッと写す。ずいぶん行ったけど、以前のお店は見あたらなかった。またも戻って、1本裏の路地を歩く。このあたりだ!その店はなくなっていて、2軒のレストランがあったところを大きな1つのレストランができていた。すぐに食べたかったし、お金も払いたくない。 結局のところ、ギリシャのファーストフード店を選んだ。名前は違うが、トルコのケバブと同じ料理だ。あの、羊肉を鉄棒にぐるぐる巻きにして焼いたものをそぎ落としてパンに挟むもの。サンドイッチ型と、クレープみたいなのに包んだを1つずつ頼んだが、大して中身は変わらなかった。
2008年04月11日
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ベルサイユ宮殿今回は、幅広階段を上って、なんかの企画展をやってるところから見学コースが始まりました。礼拝堂の脇なのに、以前には公開されていなかったような、、、。以前には礼拝堂を2階からのぞく人なんか少ししかいなかったのが、企画展が、あまりよくわからない展示だったせいか、それとも、ガイドツアーの人たちがいたせいか、礼拝堂をのぞける場所がないほどの人だかりだった。それほどのものだろうか。まあ、見なくても問題はないけど。今回は、ヘッドホンのおかげで、かなり詳しい説明を聞かされて、ホントはさっさと切り上げようと思っていたのが、これは誰の贈り物 とかいう知る必要もない情報まで聞かされた。まずは、2階の部屋を一つずつ、以前には、カーテンも開いていて、写真撮り放題だったところも、今回は展示物を貴重な調度品にしたせいなのか、カーテンが閉まって、ストロボ禁止の部屋が多かった。メインの鏡の間も昨年には工事が終わって、公開再開。鏡の間のシャンデリアの多さは圧巻だ!KBも大喜びだった。マリーアントワネットの部屋は、以前とは内装全部入れ替わってるみたいで、内装の色が全然違っていた。以前はとてもでかいタペストリーが日光に焼けるのを避けるため暗くなっていた。以前のはいつの時代で今度はいつの時代のものなのか気になった。その辺のかゆいところには手が届かない。今回は、ボクの好きなナティエの人物画があちこちに飾られ、ビックリした。ただ、ナティエの特徴である女性を神話の女神になぞらえた絵とか、天使のいる絵は少なく、(注:ジャックマール・アンドレ美術館へ行けば見られます)普通の人物画が多く、彼が宮廷画家としてこんなに成功していたと知らされビックリだった。2階を見て回ったあとに1階も公開されていた。2階のそでの方の大型の絵画が並んでいた部屋は今回は公開されていないのが残念!1階は、ささっと回った。ヘッドホンの順番が逆順だったのは鏡の間非公開の時の名残だなとひとり合点していた。でも、庭への出口がない。庭がそれぞれの部屋から見えるのに!朝から歩き回っていたので、庭に少しだけ出て、休みたかった。それと、昼食も食べずに歩き回っていたので、噴水脇で、非常食用のクラッカーとかも食べたかったし。結局1階を2周回らせられて、警備員とか、関係者らしい人に会うたびに庭への道を聞いて、思いっきり工事の搬入口みたいなところを通ってようやく庭に出られた、ベルサイユ宮殿は 庭を見るだけで、1日かかってしまうほど広大だ。今回は、KBには初めての訪問なのだが、今回は庭はあきらめてもらうことにした。次に来るときには、またゆっくり庭を回ってみたい。しばし、噴水の見える階段に座り込んだ。ホントは今日の計画になかった ベルサイユ宮殿 まで来られて、 KBは ご機嫌だった。ボクは もう、帰りのRERで座って足の疲れを取ることを考えていた。
2008年04月07日
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RERの終点、ベルサイユ・リブ・ゴーシュ駅で降りる。ベルサイユ・リブ・ゴーシュ駅から ベルサイユ宮殿までの道は頭に入っている。右手の方へ行って直角に曲がるのが正しい行き方だと思う。そちらの方が、長いアプローチが、ベルサイユ宮殿のすばらしさを期待させながら近づく、という点で、いいと思うんだけど、この日は、少しでも早く行きたいので、左正面の道へ。こちらだと、駐車場の中を斜めに突っ切って数分早く着く。駐車場の中から、ベルサイユ宮殿の門と、前庭が見える。門まで来ると、前庭のあちこちが工事で掘り返されているし、左手の建物も工事中だ。何年にも渡り、工事は続いているようだ。入場口はかって知ったる右手の建物2つの間、、、と思ったら、手前の建物。入口でぐずぐずしてるグループがいたので、先にボディチェックを受けて入った。最近はどこでもボディチェックがあるが、どのくらい効果あるのだろうか?ヘッドホン貸し出しコーナーがあるけど、入場券売り場はどこ?ヘッドホン貸し出しコーナーに行って聞くと、「入場券なしで、どうやって入ったの?」と、あきれられた。「じゃあ、この裏の団体用の入場券売り場があるから、そこで買いなさい。」と言われ、そちらへ。そこは、インフォメーションコーナーと、木製枠の古めかしい入場券売り場がいくつか並ぶ、昔の入場券売り場で、今はほとんど機能していないように思われるところで、いかにも官僚的に仕事しているふりの女性たちに しばし待たされた。いろいろな入場料金があるはずなのだが、1人15EURO と、一番高いのしか知らせてくれなかった。入場券なしで入った我々が悪いので、渋々払った。約2200円! ずいぶん高くなったものだ。「この切符を持って、ヘッドホン貸し出しコーナーへ行きなさい。」とそっけなく、追い出して、また彼女たちは無駄話の続きを始めた。ヘッドホンを借りて、いすに座った女性が1人いる入口へ。工事中とはいえ、変なところが見学コースの入口だった。
2008年04月07日
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エッフェル塔見学が終わって、ボクの計画では、セーヌ川の水上バス・バトービュースで、シテ島まで下る予定だった。先ほど橋を渡ったときに、バトービュースのライバルらしき水上バス会社の観光船の切符売り場をのぞいたけど、売り子はどこかへ行って留守だった。船の時刻を知りたかったんだけど、ライバル会社だからまあいいか!と思っていた。エッフェル塔から降りて、その場所へ向かうと、 切符売りの女性はブースの中にいた。次の船は? と聞くと、 45分後! と答えた。「え~、45分後じゃあ待てないね。」 とその場を離れる。バトービュースのブースは見あたらなかったので、護岸を降りてみると、そこに バトービュースの丸い看板があった。が、切符売り場は開く気配もない。冬場のせいなのか、運行している様子はない。この船着き場はお休み?そのあたりには、ディナークルーズの船の乗り場が続く。 どこからともなく、若い観光客がワラワラと現れ、とある乗り場へ向かう。実は、その場にはボクたちが先にいたのだが、どこへ行く船の乗り場だろうかと、眺めていたのが、邪魔と見られて、「そこに居てはいけない」と言われてしまった。ようやく聞く相手ができて 「この船はどこ行くの?」と聞くと、シテ島あたりまで行って戻ってくる船のようだった。シテ島では降りられないのか?と聞くと、めんどくさそうに それはダメだ と答えられた。乗る? と、KBに聞くと、「ベネチアへ行ったら、いっぱい乗れるから船はいいや」と答えられた。 あきらめて、メトロで移動することにした。エッフェル塔脇にあるはずの高速地下鉄・RERの駅は地図で見たよりも少し離れていた。 護岸の上の細長い公園を歩くと、そこから上流にある橋は2階建てになっていて、銀座線渋谷駅のようにメトロ3号線が一番上を走っている。次のメトロを待ち伏せて、写真をパチリ。 RERの駅に着くと、ノートルダム方面行きの時刻表を眺める。何番線かな?んん? ありゃ、あと1分で、ベルサイユ行きが来るではないか!しかも、ここから一番近いホームだ。 走れ!ベルサイユ・リブ・ゴーシュまで 乗れば20分くらい。わざわざ行くのと比べると 時間的に得した感じだ。実は、この日、パリ郊外のメゾン・ラフィットに宿をとっていたので、1日乗車券はゾーン4だった。ベルサイユリブ・ゴーシュ駅も、ゾーン4だったので、交通費も只というおまけ付き。勝手知ったる ベルサイユ宮殿は終点駅からわずかの距離だ。
2008年03月11日
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本日、アクセス77777 に達しました。応援ありがとうございました。このところ更新できていなかったので、楽天の人ではなかったみたいです。残念!ではでは、 ※ ※ ※ エレベーターは斜めに上る。しかも2階建て。お客があまり乗らないと出発しないのかな?と思っていたら、すいているまま、2階に乗せないで出発した。真下の池が見える。 第1展望台で降りるのはほんの数人。みんな金持ちだ。切符の1つ目の角をちぎられる。降りたところに、雪のエッフェル塔が建っていた。南極特集らしく、人工雪をこのフロアで作って片側は雪が敷き詰められていた。 シャイヨー宮が見える。なんだ!金網日かずけば、網なしで写せた。360度ぐるっと回ってみた。真ん中のおみやげ売り場の上の階で、ミレニアム2000年の花火の写真が公開されていた。美しい!係員に聞いてみたら、パリ祭の日には花火が打ち上げられるそうだ。今度来てみたいなあ。しばらく第1展望台でゆっくりしていたが、帰りは歩いて降りたい。歩きの人用のところは、一方通行マークがあった。エレベーターで登った人は降りてはいけないのかな?ちょうど、フウフウ言いながら日本人らしい女性が登ってきた。「時々降りる人とすれ違った」そうだ。じゃあ、降りてもいいのかな。切符の違いを聞いてみたら、ハンドバックからなかなか出てこない。値段を聞いてみたら、4EUROだって。わずか80円の違いなら、エレベーターの方がいい。彼女、帰りはエレベーターで帰りたがっていたけど、許されるのかしら。 係員に確認して、階段を歩いて地上へ降りることにした。
2008年02月20日
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シャイヨー宮から エッフェル塔へ向かう。セーヌ川の手前には、大通りがあった。あとで見たら、アベニュー・ド・プレジダン・ケネディ だった。メトロの駅に フランクリン・D・ルーズベルト とか 意外とアメリカが身近だ。橋は イエナ橋 逆光でうまく写らない。シャイヨー宮 は離れるほどきれいに見えてくる。大きすぎるんだ!セーヌを渡りながら写す。通りを渡って、やっと エッフェル塔 の 足下に来た。4本の足の真ん中下は 大きな広場になっている。4本の足それぞれにエレベーターがあるようだが、、、切符売り場はどこかな?乗り場は、団体用と、個人用と、レストラン客用と、あと歩いて登る人用。歩いて登るなんてやなこった。第1展望台まで 4.5EURO、 第2展望台まで 9EUROくらい、第3展望台までとなると 11.5EURO。貧乏日本人としては悩んだ。第3展望台までとなると、160X11.5= えっ、1800円!第1展望台で 720円。見上げてみて、コストパーフォーマンスの高い階を選ぼう。第1でいいか。 切符を買う前に、荷物検査と ボディチェックがある。まだ朝早めだったので比較的早く切符が買えて、エレベーターへ向かう。
2008年02月17日
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エトワール駅から エッフェル塔 へ向かう。エッフェル塔最寄り駅が工事で閉鎖中だった。遠くから歩くのはいやなので、セーヌ川対岸の シャイヨー宮殿から向かうことにした。シャイヨー宮殿の駅は 一つ手前の TROCADERO駅だ。2つの建物が大きくつばさを広げたような配置で並ぶ。シャイヨー宮殿は、1937年のパリ万博で造られた立派な建物だ。内部にはいくつもの博物館が入っているようだが、お上りさんとしては、そんなことには目もくれない。駅を出て、 この2つの建物の真ん中へ向かうと、朝日がまぶしい!思いっきり逆光で、その先には、 エッフェル塔 が見えるのだ!まさか、こんなにすぐに 夢が叶うと思っていなかったkbは早速カメラを向けるが、こんな逆光では うまく写真が撮れない。まった をかけて 右手へずれながら、ゆっくり近づく。眼でならまぶしいながらも見えるが、カメラのレンズはそうはいかない。 ゆっくり、回り込みながら、太陽に向かって近づいて、見事に 太陽を背にした エッフェル塔 が捕らえられました。シャイヨー宮殿の庭の部分。おっと、こんなところに遺跡が!小規模だけど、 なんの遺跡でしょうか? ここから、セーヌ川を渡って、エッフェル塔 へ行きます。
2008年02月15日
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初めてパリに来たkbにとって パリといえば 凱旋門 というイメージであったらしい。大きさと 道路のロータリーの真ん中にあることにいたく気に入ったようで、夜と朝と2度も来てしまった。ここは メトロの駅では 凱旋門と言わない。シャルル・ド・ゴール・エトワール駅。エトワールとは星だそうです。できた当時は、パリのはずれの森だったそうで、誰も行かないような場所だったようです。この凱旋門の名前は、 アルク ド トリーヨンフ が正式です。この前夜には、夜の 凱旋門を見ました。携帯で写したのですが、パソコンに取り込めていません。シャンゼリゼで、 マクドナルドに入りました。結構学生たちが集っていました。食の国フランスでも若者はハンバーグを食べるのですね。マックも、ユーロ高のおかげで結構高いです。
2008年02月14日
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モンマルトルの丘へは 裏側の 墓地の辺りから登ったことがあった。その時偶然見つけた 「壁から出てきた男」。もう1度会ってみたくて、テルトル広場から裏の道へ。途中、ダリの美術館 エスパスなんとか 前回の時お引っ越し中だったが、今回も見かけた。朝8時半頃なので、当然ながらまだ開館していない。なだらかな坂を下って、そろそろこの辺にないかな?と、人待ち顔の マドモアゼルに聞いてみた。ホントのフランス語の言葉は知らないので、ウエアー イズ ザ マン フー フラム ザ ウオール?と聞いてみた。ちょっとした間があいて、すぐ笑顔になった。さらっと、英語で、すぐそこ! と目の前の空間を指さした。メルシーブクー! なんと目の前で聞いてしまった!彼は健在だった。イメージとしては反対側にあったような気がしていたのだが、記憶とは当てにならない。 (追記) 日本語では 壁抜け男 でした。 ミュージカル壁抜け男 は 劇団四季でもやっていたそうです。 テルトル広場もまだ始めたばかりの閑散とした状態。それでも朝8時からもう絵描きさんたちご出勤とはご苦労様。同じ道を戻るのも芸がないので、違う階段を下りて、パリの裏道散歩を楽しむ。次の写真 なんだと思います?この古い建物 たぶん、靴屋さん。元教会? モンマルトルの丘 サクレクレール寺院最寄りの ANVERS駅。アールヌーボーです。芸術の都ですね。この路地をまっすぐ上がれば サクレクレール寺院です。
2008年02月13日
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何度目のパリであろうか。今回は、初めてのkbと一緒の旅だったので、思いっきりお上りさんツアーです。モンマルトルの朝日を見ようと思っていたのだけど、朝食をゆっくりしていたら、朝8時過ぎ太陽は昇り始めていた。カップルにシャッターを頼まれた。まだ観光客のたくさん来る時間ではない。太陽はこの左手。やっぱ太陽写すのは難しい。ムムム
2008年02月12日
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ご無沙汰です。パリ・ベネチア・バーリ・ナポリ・ローマと半周してきました。通常の1月2月だと普通東京より寒いのですが、今回はとても運がよく、パリはとても暖かく、イタリアも東京よりは寒くなかったようです。コロッセオは、夜景を見に行って、翌日もう1度行きました。カンピドリオの丘とフォロロマーノでゆっくりしている間にコロッセオの入場の列が長くなってしまっていたので、中には入りませんでした。各都市で プラスα の旅をしてきました。暖かかったと書きましたが、実はしっかり冬支度で行ったので、却って汗をかいてしまって、おかげで旅先で初めて風邪を引いてしまいました。なので、旅の最後がちょっとしんどかったです。はじめて、海外旅行保険のお世話になりました。イタリアの英語の話せるお医者さんに診ていただいたのですが、薬屋さんがタッチの差で閉まった時間だったので、翌朝まで薬無しでした。熱冷ましは効果絶大だったのですが、薬効が切れると逆に悪寒がしてとても辛かったです。それを除けば天候にも恵まれいい旅でした。ではでは
2008年02月07日
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釜山駅できっぷを買って、まもなく乗車時間となった。意外とすいている。進行方向逆向きはほぼ乗客0。たしか、逆向きは安いと聞いていたが、東海道新幹線と比べると充分に安いので、ここはケチらない。乗車するとほどなく発車。専用線区間に入るまでは それほどのスピードは出せないことは先刻承知。ボクにとっては、KTXであろうと、あまり新鮮さを感じない。ご本家 TGV はもう何回も乗っている。同じ系統の列車でも、ユーロスターの方が食事付きなので好きです。余談はこれくらいにして、KTXは 長らく川の蛇行と並行して走る。ソウル・釜山の幹線と言っても 結構田舎っぽい風景があるものだ。さてさて、釜山からソウルまででも東海道新幹線でいえば東京名古屋間くらいの距離なのだが、光明駅も停まるKTXは ほぼこだまのように全駅停車で、約3時間くらい。10時15分釜山を出た我がKTXは 13時1分 光明駅に着いた。硝子貼りのドーム型のなんとも とても大きな駅だ。韓国の駅というより、フランスっぽい近代的な駅だ。ここはKTX開業に合わせて作った KTX専用駅だった。端に 1面だけ申し訳程度に ソウル方面行きのホームがあった。次の竜山駅から、KTX連絡のために造られた路線だ。新型の通勤電車に まばらなお客。まもなく出発した。5分ほどで、竜山駅。 乗り換える。階段を上って、南方向のホームへ。実は水原へ行くために KTX光明駅で降りたのだ。 次の電車は水原行き であると確信して乗った。 むむむ?風景が さっき見たような感じだ。線路も新しい。 まさか! 実はこの電車は 光明行きだったのだ。降ろしてくれぇ~。 まもなく、光明駅に着いた。乗客はみんな さっさと降りていく。ボクらはホームにポツンと残された。時刻表を発見した。が、なんと40分か、1時間に1本くらいしか走っていない。やがて、乗ってきた通勤電車も 回送列車として出ていった。掃除人のような韓国人がなにか言っている。「当分電車は来ないから、ホームから出ろ」と言っているようだ。 渋々ホームから出た。KTXのところには駅員がいるが、他にはいない。人に聞くと、それぞれ違うことを教えてくれる。硝子貼りの空中散歩のようなデッキを右へ行ったり左へ行ったり、右往左往。バスがあるの?シャトルバス?インフォメーションできいても、肝心なことがわからない。 ここからどうしたら抜け出せるのだろうか?途方に暮れた。バスターミナルで、警官を見つけた。これで、なんかいいことになるだろうか?彼は英語も日本語もわからない。バスを待つ人に声をかけて聞いてくれている。ただ、その結果は思わしくないようだ。 わかる人がいない。 こんなことあり? やがてバス会社の関係者らしい男が現れた。なんの変哲もないバス停から、シャトルバスというのが出るらしい。 まさか空港へ行くんじゃないだろうなあ。彼の説明で、水原方面の途中駅のようだ。バスに乗る学生風の人に付いていけばいい と バスがくるまで何度も同じ事を 教えてくれる。恐縮してしまう。 結局バスがくるまで 警官も バス会社らしい人もみんなボクのために一緒にいてくれた。 ようやく、バスが来て、光明駅から抜け出すことができた。周りになんにもない光明駅で、気分的にそうとう消耗してしまった。
2008年01月18日
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釜山駅は、以前とものすごい変わりようだった。以前の駅は、2階か3階くらいの高さの改札階まで、幅広い坂道になっていて、おもしろいアイディアだな と感心したものだった。今は、普通の駅ビルになっていた。広い広い坂道をなくしたお陰でこんなに広い駅前広場ができた。ところで、この広場に地下鉄から登るところにあった自販機!こんなの有り? コカコーラ自販機なのに、コカコーラが入ってなくって、 ペプシコーラが入ってる! (2008.1.18加筆)韓国だから、ま、いいか。 次のKTXの時刻は?実は、ソウルの一つ手前の光明駅で降りようとしていた。インフォメーションで時刻表もらって、次の KTX の切符を買った。 さあ、初KTX だ! まあ、TGV亜流だから、ボクとしてはそんなに期待したものでもないが、、(光明駅 maze へ)
2008年01月15日
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チャガルチ市場で場外を端まで歩く。おばちゃんたち、みんな元気だ。おいくらなんでしょうね。おいも?歩行者専用でなく、ここでもバイクがどんどん入ってくる。結局 ここでは何も食べられず、表通りへ。表通りにも、この通りにお店を出せなかったおばちゃんが、小さなお店を出している。ロッテリア へ行くのもなんだし、 結局、このお店に入った。これらを食べて、お持ち帰りで キムパプも買った。 ハフェマウルで時間をとったので、釜山はこれでお終い。ホテルに荷物を取りに行って、地下鉄で、釜山駅へ向かいます。
2008年01月13日
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前回の旅でも今回の旅でも、チャガルチ市場に近いというのを理由に 同じホテルを選んだ。数年前と比べると体育館のような なんと立派な市場になってしまったのでしょう!反対を見れば釜山タワーが見える。見下ろせば、朝の市場界隈散歩をする。路上では、こんなスモールビジネスも。韓国では社会的弱者も なんとか生活することができる社会的許容の優しさがあるなあ、と思うんだけど、、、。 ではでは、押っ取り刀で 市場のビルに入ってみる。ここで買って、上の階の食堂で料理してもらって食べるのが、正しい楽しみ方なのだが、値段交渉とか面倒な気がして。それに、お醤油とわさび 持ってくるの忘れてしまったもので、、、素通りして、港へ。なんともつまらない建物になった と、一限のボクが言う言葉ではないが朝飯前なので、 どっかで食事したいけど、起きたばかりでまだお腹が空いていない。 ちょっと尻込みしてしまった。
2008年01月04日
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虚心庁のお風呂から出たら、一路ホテルへ、 じゃなくって、ホテル付近の国際通りへ。※チャガルチで降りると、北の路地へ。ここは深夜までにぎわう路地がある。ホントは普通の4mくらいの通りが、真ん中に夜店が出ているので人の多さもあって、狭くなっている。数年前に来たときも、このにぎわいだった。焼き肉屋とかいろいろあるが、お風呂の前に軽く食事してしまったので、今は重いものは食べたくない。やがて、大通りと平行する広めの通り(ここには屋台が2列で並ぶ)を西へと歩く。次第に刺身の屋台が増えてくる。この日はなぜか、閉め始めたお店もあって、盛り上がりに欠ける。たぶん、深夜にこの通りの工事があるようで、早仕舞なのかも。刺身の屋台からも声がかかるが、今ひとつ勇気が、、、。結局、トッポギ屋台へ。やっぱ人気のお店の方がいいかな?とさっき通ったときに流行っていたお店へ。ちょっと太めのかわいらしい店員さん。身振り手振りで、天ぷらとか、少しずつ頼む。お約束の おでんのお汁もちゃんとくれる。韓国人の屋台の食べっぷりを見たり、それなりに楽しむ。お金いつ払うのかな? と他人事ながら冷や冷やしたり。最終的には払ってるみたいだからいいんだけど。12時前だけど、今日はこのくらいでホテルへ引き上げる。お休みなさい。
2008年01月03日
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お正月らしく、皇居へ 一般参賀に行って参りました。今まで数回伺っているのですが、年々人が増えている気がします。以前には、1回目の10時の参賀はだいぶ早い時間から混雑しているのはわかっていました。11時のお目見え目指して、10時に二重橋前の入口から向かいました。ビックリしました!二重橋の交番前から列ができているのです。数年前の荷物預かり制はやめたものの、荷物チェックにボディチェックが加わりました。荷物を持った人は、1つ目のテント経由、持たない人も2つ目のテント経由。1時間で入れると思いきや、11時の参賀の頃ようやっと、ボディチェック終了。二重橋を渡る頃に、1110、1120には着きました。次の参賀は1150。ゆっくり待ちました。背が低い人たちの後ろに立ったのですが、おばさん軍団にいっぱい割り込まれました。まあ、目くじらたてても仕方ありません。11時 ちゃんと、天皇皇后、皇太子ご夫妻、秋篠宮様ご夫妻おそろいでいらっしゃいました。雅子様も今年はさぼらずにお目見えです。日の丸の旗は 入口で受け取りましたが、振らないでほしいなあ。わずか4分のお目見えなのに、前で振られると、見えなくなってしまいます。まあ、合間に 見えて、お正月らしい気分で、大手町へ抜けました。改めまして、あけましておめでとうございます。
2008年01月02日
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あけましておめでとうございます。大好き! ヨーロッパひとり旅 という名にも関わらず、中身は 日本のことだったり、韓国旅行だったりですみません。ヨーロッパは、飛行時間では12時間くらいですが、実際に行くには相当な時間とお金の余裕が必要です。今年も どうしたものかと考えましたが、やっぱり行かないと、ボクらしくないかなと気持ちの整理をしました。冬のヨーロッパは その年によりますが、東京より少し寒いです。今、航空券はすでに用意できたので、旅程を今組み立てているところです。これが終わったら、次は現実的に休むためにしっかり仕事を粛々と片付けなくてはいけません。今年もいい年になりますように!今書きかけの韓国旅行も 早く片付けないと、、本年もよろしくお願いいたします。ではでは
2007年12月31日
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ちょっとブログ更新していないなあ とは思っていたんですが、なんと2週間も開いてしまって、ごめんなさい。 すんばらしいこともないけど、韓国は 温泉とか銭湯があるんです。 前回は何カ所も廻ったけど、今回はここだけワンポイントで行きました。 ※ ※ ※ 駆け足が好きだな じゃないけど、時間がない!地下鉄で、海雲台から 乗り換えて、温泉場駅へ。釜山の地下鉄3路線あるけど、これで全部の路線終点までではないけど制覇できた。温泉場の駅を降りると、数年見ないうちに高層のアパートとかずいぶん増えたものだ。駅横の道路は、今も車の通りは激しく、渡るのは以前と同じ、少し離れた歩道橋のみ。 駅からさほど離れていないと思ったが、記憶とは当てにならないもので、逆に離れる方へどんどん進んでしまったようだ。途中で検討付ける方向を修正して、カップルに道を聞く。虚心庁はどっちですか?キョシンチョン って発音したが、わかってくれた。本当は ホシンチョン だそうだが。周りが派手になったので、やや暗くなった夕刻のこの時間ではこの建物は目立たなくなっていた。建物を入ると、噴水のあるロビーからエスカレーターで3階まで上り、そこから虚心庁専用の絨毯の階段を上ると、そこがフロント。勝手知ったる虚心庁、21:45で終わりなのですがいいですか?と自分の日本語に自信がない女性がもどかしそうに言う。いいです!と答えたが、心配だったようで他の人と代わった。だからといって割引はないようだ。せっかく来たので、1時間弱でも楽しみたい。(ホントはもっと楽しみたいのだが)ここから先は写真も写せない。パンフレットスキャンしようと思っていたけど、時間がなくってできませんでした。ごめん!以前とまるきり同じに吹き抜けの浴場。中央には、トロピカルな感じのお風呂がいくつか。周りにも、多くのお風呂が配置されている。まずは軽く洗い場へ。みんな歯磨きしたりひげを剃ったりしていたが、歯ブラシやひげそりはどこにも置いていなかった。(あとで帰りの通路で売っているのを見かけた)タオルを借りて、備え付けのボディシャンプーとかで軽く洗って、さあ浴場へ。韓国の男は前を隠さないっていうのも以前から知っている。まずは真ん中の南洋風の丸いお風呂へザブンと。そして、端から入っていく。温度が温めのお風呂、洞窟の中のお風呂、歩行浴、寝湯、など、順番に。洞窟風呂はいくつかあって、香料がそれぞれ異なる。そこのテレビでやっていたのは!なんと巨人戦!相手は中日だったか?イスンヨプが巨人に入ってから巨人戦が人気というがホントに見せてくれた。韓国人のお父さんたち数人が見入っていた。こどもたちが呼びに来ても、他に行ってなさい って感じで追い返していた。アイスクリームやグアバジュースが頼めるカウンターは閉める準備に入った。露天風呂へ行く。なんとずいぶん熱い湯温だが、そこに何人も入っている。熱すぎじゃない? 早々に引き上げ、サウナコーナーへ。閉館近くだからか、ひとけも少ない。土曜日の21時なんだが、、、あかすりコーナーもとっくに終わっていて、この温浴施設不人気? それとも、閉館近いからみんな帰ったの? 料金は1000円以下でこれだけ楽しめればお買い得だと思います。2回目なので、1回目ほどの感激がなくてうまく説明できませんでごめんなさい。 閉館時間の少し前に、出てきました。
2007年12月24日
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しばらくサッカーの話題は書いていなかったが、野球よりサッカ-の方が好きです。セパハンとの3回目の戦い!すごい!すごい!このところの レッズの戦いは 守って守って、何だよ ってかんじで、勝てばすべて許されるか って、感じの試合、そして、天皇杯のJ2に負けて、Jリーグもまさかまさかの鹿島に優勝を持って行かれるというふがいなさを見せていた。でも!アジアのカップを、セパハンとの決定戦で勝って、今回のチームワールドカップに出場を得た。セパハンは本来は、日本が負けたときのための日本枠であった。まさかまさか 同じチームと3回戦行うとは思ってもいなかった。しかし、昨日の試合 すばらしい としか言えない。次の ACミランとの準決勝さあ、どうなるのか? というほど楽な試合ではない。ほとんど、ライオンと羊との戦いかと思うが、ACミランと本気の勝負ができれば それがすばらしい勲章だ!ACミランは 今年のセリエアーではまだまだ大苦戦中だ。今がチャンス!がんばれ、 浦和レッズ!すべては 明日!大金星をあげてくれ! 応援してるぞ! 臨時レッズファンより
2007年12月11日
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明日で1000日。皆様ご愛顧ありがとうございます。1日あたり70人のアクセス水準を維持できてうれしいです。はじめた頃は、1日20人も立ち寄っていただけたかどうかで、才能ないのかな? と ブログにも自信が出ませんでした。やっぱヨーロッパだけじゃダメかな?と、身近なことを書いていたんだけど、ついに韓国の話しになってしまいました。このところ、韓国旅行の話題ばかりで、看板に偽りありです。すみません。更新頻度もこのところ少なくなってお詫び申し上げます。ボクなりの楽しみかたで、駆け足でゆっくり旅をしています。今後とも応援よろしくお願いいたします。※ ※ ※ さて、釜山には高速バスターミナルは何カ所もあるが、ここはどこであろうか?おっ、地下鉄マークがある。ラッキーなことに、このバスターミナルは地下鉄直結であった。2階に地下鉄の駅があった。駅員さんにハナロカード と、 1日乗車券とどっちが得か聞いてみた。英語がちょっとだけ話せる駅員さんでも、ちょっと複雑になると、日本語ができる駅員さんの応援を頼むことになる。「どのくらい乗るかによって、得なのは異なる」そりゃそうだ。河廻村 あたりで、楽しかったが、時間を費やしてしまったので、釜山に24時間滞在できない。24時間切符があったらよかったんだけど、ハナロカードは得じゃないみたい。結局駅員さんに手伝ってもらって、自販機で、1日乗車券を買うことになった。普通の切符と変わらない小さな切符だった。実は、この駅から2-3駅先の温泉場駅近くに、前回の旅でも楽しんだ入浴施設・虚心庁がある。途中で寄っていく方が時間の節約になるのだが、、、実を言うと、ちょっと失敗していた。バスターミナルで、電話して、以前と同じホテルを予約してしまった。「すぐ行く」 と約束してしまったから、 行かずばなるまい。地下鉄で約30分、チャガルチ市場の近くの 三和観光ホテルへ直行。「さっき電話したんだけど、、、」と言うと、わからない様子。このときのために名前を聞いておいた。もう一人のフロントマンを呼びにいって、バトンタッチ。無事チェックインした。なんと、パスポートも見ないし、名前も書かせない。「日本人は信用してるから」いいの?逆に心配なので、レシートをもらうことにした。7階の景色がいい部屋だった。広さも広くはないがちょうどよい。荷物を置くとさっさと出かける。夕日との競争だ。まずは、海雲台へ行く。前回の時は地下鉄が地図に載ってるのに開通していなかった。今回は1回乗り換えで、約30分の長旅。地図見たりしながらいると、親切な韓国のおじちゃんが、日本語が少しできるようで、一生懸命教えてくれる。駅名に番号が付いているから、全然心配していないんですけど、、、少ししかコミニケーションできないけど、一生懸命あといくつだとか、まだこの駅じゃないとか、言ってくれた。悪気はないのだが。海雲台駅をでる。目の前に国鉄の海雲台駅もあった。鉄道ファンのボクとしては、あっちも見たいが、海を見ないと、海雲台に来た甲斐がない。駅を背にずんずん進む。食堂がいっぱい並んでいて、歩道には小さな噴水があちこちにある。砂で足が汚れてもこれできれいになるからいいアイディアだ、なぞと思う。信号を渡ると、そこは海だった。隣のホテルの敷地では、音楽が聞こえていた。砂浜に出ると、そこにはカップルとか家族連れとかがぞろぞろ居る。対馬諸島は見えそうになかった。もう日が沈みかけてるのに、海岸は人でいっぱいだ。波とたわむれて水浸しになる女の子がいたり、子供でもないのにみんな結構無邪気な感じだ。日本でこの季節になると、海岸にはほとんど人がいないけど、韓国人は海が好きなようだ。ボクも旅行に行くと海を見たくなる。夕日は海に沈むのでなく、ビルの間に沈むのが少し残念。真っ暗にならないうちに、夕食を軽く食べたい。海は終わりにして、引き返し、海鮮市場の通りを歩くが、あまりお腹がすいていないせいで、良さそうなお店を見つけられないでいた。アサリのスープの写真が貼り出されているお店があった。そのお店に入って、アサリのスープと餃子を注文した。ほどなく出てきたアサリスープは薄味だった。毎食キムチの辛さになれてしまっていた我々は、この薄さに満足できなかった。付け合わせのキムチや豆板醤(?)みたいなのを入れて 真っ赤になったスープを飲んだ。 あとで聞くと、アサリのスープは薄味のまま飲むのが正しいようだった。ちゃっちゃっと食事したのは、理由がある。そう、虚心庁に行くためだ。お腹をすかしてお風呂に入っていられない。さあ、地下鉄を乗り換えて、温泉場駅へ向かう。
2007年12月03日
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