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おばあちゃんの予言通りだった。河廻村入口のインフォメーション前で、Uターンして停まる。数人の客を追加して、バスは素早く出発した。今度は、あの三叉路を左に折れて、ようやく安東へ向かった。バスは、安東高速バスターミナルのすぐ近くに停まった。次の釜山行きのバスまで 40分くらい。食事ができる!反対側に渡って、冷麺のお店に飛び込んだ。さっと注文してさっさと食べる。よしよし、あと10分あるから大丈夫だ。高速バスの切符売り場へ直行。よい子のみなさんはこんなギリギリ作戦はくれぐれもしないように。バス乗り場もちゃんと確認。目の前に陣取った。でも、並ぶ場所は、ちょっとだけずれていた。バスが入ってくると、列に並んでいた人たちが優先だった。バスは、高速に入ると、がんがん飛ばして、時刻表の定刻よりだいぶ早く、釜山のバスターミナルに到着。
2007年12月02日
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仮面博物館前の道路に出る。どこにもバス停らしい標識はない。次に来たバスは停まらなかったのでちょっとあせる。(反対方向行きだった)やがて路線バスが来た。安東に行きますか?OKのようで、900ウオンで乗り込んだ。どうやら、これがおばあちゃんの言っていたバスのようだ。バスは安東に向かっているようだ、、、その調子だ。と、安心する。と、三叉路で、思っていた方向と逆へ曲がる。「路線バスだからな」 と一人納得。んんん、、、なに~!バスは、すれ違いもできそうにない山道を登る。路線バスだからな と 無理矢理納得しようとする。山道経由で 安東へ行くんだよね。すれ違いの車が来ると、たいていは相手の車がバックする。こんな道通って、安東に行くんだ。やがて、ちょっと広くなったところで、バスはUターン気味に変なところへバックする。 乗客は全員降りる。残ったのは運転手と、ボクら2人。むむ。ひらめいた! あの、おばあちゃんの謎の言葉、、、「 走ったら停まる、そこで目を大きく広げてみる。」運転手に聞きに行った。時計を示して、何分に出発するの?果たして、思った通り15分くらい先の時間を示す。ここが おばあちゃんの言っていた、目を大きく拡げる場所なのだ。Cは初めてのことで、目を白黒させている。さあ、降りるぞ!この日は 9月にもかかわらず、とても暑かった。ボクは 観光の案内板を見て、それからなだらかな坂道を上った。ここは、屏山書院 ビョンサンOO だった。小さなお寺みたいな建物があった。書院と言うからには学問所のたぐいのようだ。建物の下をくぐって上ると、建物の板の間の上に多くの学生たちが講話みたいなものを聞いているようだ。ここの環境は学問にもいいのかもしれない。隣に一軒の家があるだけで、ほかに何もなさそうだ。山に囲まれて、なんとものんびりした場所だ。屏風書院 は、日本統治の時代に取り壊されるはずのところを誰かさんが意見して、この場所に移設して残したものだそうだ。Cは?どこ行ったんだろ?もう少しこの場にとどまっていたかったが、バスに戻る。そこにCは居た。水飲み場に運転手さんと一緒に行って、おいしい水を確保したという。「荷物置いていっていいよ」 と言われたようだけど、ここに居た。「まだ時間があるから、5分 見て来たら?」 と勧めた。15分以上待って、乗客が全部は戻ってこないことを確認して、バスは出発した。同じ道を下って、あの三叉路を、またも河廻村方向へ進む。おばあちゃんの予言通りだった。河廻村入口のインフォメーション前で、Uターンして停まる。数人の客を追加して、バスは素早く出発した。今度は、あの三叉路を左に折れて、 ようやく安東へ向かった。バスは、高速バスターミナルのすぐ近くに停まった。おばあちゃんの言うとおりだった! 運転手さんも正しかった!あは!
2007年11月19日
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小規模のお城みたいな建物が見えた。そこが、仮面博物館 だった。バス停は?どこにもバス停の印はない。仮面博物館の入場券を買いながら、バスのことを聞く。バス停は博物館前の道路のところで手を挙げるようだ。時刻は、おばあちゃんが言っていた次の時刻と同じようだ。時間は30分以上あるので、この小規模な博物館ならちょうどよい。独特な仮面が並ぶ。 最初の仮面は、貝殻に穴を開けたもの。大きな仮面もある。動物のものがおもしろい。蛇。物語ごとに登場人物が違うようだ。見たかったなあ~、仮面劇!仮面博物館の中でビデオ上映していないかな?2階になると各国の仮面が並ぶ。日本のお面も。アジアの仮面と、ヨーロッパ、アフリカ、南米とそれぞれに特徴がある。一番奥にビデオ装置らしきものがあった。大きな液晶があって、さすが液晶では自信を持つ韓国だ。と思ったが、ビデオデッキが相当に古い。いくらスイッチを押しても始まってはくれなかった。9月とはいえ、外は暑かったので、ビデオ前のベンチで一休み。さてさて、バスの時刻前に、博物館前の道路に出る。どこにもそれらしい標識はない。温室みたいなところに人がいた。バスはここでいいのですか?といい加減な韓国語で聞くと、素っ気ない態度だが、そこでいい と言ってくれているようだった。右側通行なので、バスの来る方向を錯覚してしまう。反対向きのバスが止まらないで通り過ぎたときちょっと焦る。やがて路線バスが来た。安東に行きますか?OKのようで、900ウオンで乗り込んだ。どうやら、これがおばあちゃんの言っていたバスのようだ。バスは安東に向かっているようだ、、、その調子だ。と、車窓からの風景で安心する。と、三叉路で、思っていた方向と逆へ曲がる。「路線バスだからな」 と一人納得。んんん、、、
2007年11月18日
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「あんたたちはゆっくりしてるから一緒には行かれないね!」一緒に行きますから、、、「次のバスは、10:50発だからそれで行きなさい。」一緒に行きますって。「もう村は全部見たのか?」昨日見たけど、10分ちょっとだけ近くを見てきます。そんな会話をして10分後、、、ほんの10分くらいで戻ってみると、おばあちゃんはもうそこにはいなかった。おばちゃんが、裏の畑や、ちょっと部屋をのぞいたりしてくれたけど、 やっぱりいなかった。さあ大変!おばあちゃんを追いかけて荷物を持って走る走る。おみやげ屋さんのおばさんが何か言ってる。「ボスは XXX!」(ボスって韓国語でバスのこと)「あっち?」えっバスはあっちで乗るの?ボクが思っていたのと反対方向を指さす。もう一度確認して、村の中へ戻る。どっちだ?川に沿っていった方が、バス停が近いのか?他の人にも聞いてみたいが、都合よく外に出ている人がいない。川にすぐぶつかる。右か左か。左を選択。川沿いの林を走る。なんだか離れているような、、、そこのおみやげ屋さんのお兄さんに聞く。反対方向だよ。、、、、そうであったか、、、。もう間に合わない。荷物が肩に重くなっていた。しかし、次のバスまで、1時間の猶予ができた。おみやげ屋さんの指した方向が正しかったのか、うそを言っていたのかわからない。前向きに考えよう。村を見学する時間が生まれた。両班のお屋敷を見ながら歩いて、仮面博物館へ行くことにする。のどかな田園風景を見ながら、村のゲートへ。ゲートの外に仮設のインフォメーションがあった。「仮面博物館は、バスで行く?」歩いても1km?仮面博物館からのバスのことを聞く。日本語での説明がとたんに怪しくなる。仮面博物館の前にバス停があるのですね?んん?バスの時刻表をまたもらったが、安東でもらったものと同じだった。ハフェマウルの日本語版の地図を今更もらう。ゲートから、なだらかな坂道を ゆっくり歩く。たまにしか車は通らない。 蝶々がお迎え。道の両脇に、お墓があった。そのまま進むと、小規模のお城みたいな建物が見えた。そこが、仮面博物館だった。バス停は?どこにもバス停の印はない。
2007年11月15日
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朝食は魚の干物朝からおばあちゃんに いろいろお話を聞く。ここに司馬遼太郎が泊まったんだって!えっ! すごいじゃん!すごい有名な作家ですよ。あの日はいっぱいで、そこの狭い部屋に泊まった。そして、証拠として新聞の切り抜きやら、いろんなものを持って見せてくれた。その日は混んでいて、この部屋しか空いていなかったので、司馬先生はこの手前の部屋に泊まったのだそうだ。ところでおばあちゃんのお名前は?と聞いてみたら、 ぼけちゃってうまく写らないけど、おばあちゃん結構有名人なんだ!日本からのお手紙を抱えてきて、どれでも持っていっていいから。いや、おばあちゃんへのお手紙だからもらえない。「ところで今日はどこへ行く?」今日は、できたら仮面博物館へ寄って安東へ行ってから 高速バスで釜山へ行きます。と言うと、なにやら違うことを言い出した。「私と一緒にバスに乗っていくか?バスは900ウオン、出発は9:50。」「出発すると、停まる、そうしたら目を大きく開けて周りを見る、15分。そしたら、またここへ来る、それから行く。」んんん?安東行きですか?インフォメーションにもらった時刻表に載ってないけど??「そう! 走ったら停まる、そこで目を大きく広げてみる。」??仮面博物館のことですか?「あんたたちはゆっくりしてるから一緒には行かれないね!」一緒に行きますから、、、「次のバスは、10:50発だからそれで行きなさい。」一緒に行きますって。「もう村は全部見たのか?」昨日見たけど、10分ちょっとだけ近くを見てきます。そして、ほんの10分くらいで戻ってみると、、、、
2007年11月13日
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ほどなく、食事の時間になった。このおばちゃんが調理してくれる。ここの縁側で食べる。大きな鍋に、いっぱいの鳥と唐辛子。キムチの皿の数は少な目。おばあちゃんが「鍋があるからキムチ少ない。明日の朝はキムチもっと出す。」と聞かなくても言ってくれる。唐辛子をよけながら食べる。韓国の人はこの唐辛子全部食べるのだろうか?2人でよけた唐辛子30個以上。もっといっぱい入っている。辛いのは辛いが、食べられる許容範囲内。でも量は半端じゃない。「食べきれなかったら残していいよ。家族で食べるから、、。」ある程度食べて、あとは安心して残した。食事が終わって、トイレとシャワーの場所を聞いたり、そのあと、おばあちゃんがカヤを吊ってくれた。蚊取り線香があるが、それだけでは済まないようだ。縁側寄りの扉も閉めてくれた。お休みなさい。いつもより早めのお休みです。 夜中にトイレで目が覚めたけど、曇り空で、満天の星は拝めなかった。
2007年11月11日
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河廻村(ハフェマウル)バスの中のおじいちゃんの紹介で、おばちゃんに付いていって、お宅の中庭に着きました。おばちゃんは日本語まるでダメ。シャキッとしたおばあちゃんが出てきた。おばあちゃんは、おもむろに日本語で聞いてきた。「あんたたちはここに泊まる?」もちろんそのために付いてきたのです。「そっちに部屋があるから見るか?」と白い小さな戸から中へ入るようにうながす。オンドルの5畳ほどの部屋。隣は3畳くらいの部屋か。「あんたたちどっちがいい? 2人だからここでいいか?」5畳の部屋を勧める。 「両方使ってもいい。」窓の外には縁側があって、ここがいいかな。3畳の方がもう少し開放的な部屋で扉はみんな空中に収納されていた。もうおばあちゃんは5畳の部屋に決めているようなので、OKすると、「あっちはいくらこっちはいくら」、と言う。ずるいよ、後出しジャンケンじゃん!まあ、民泊だけで生活していて、ほかにお客いないようだから ここでいいか。「食事はここで食べるか?」もちろんお願いします。「夜は鳥の名物料理、朝は魚でいいか? 両方で ウオン。」それでお願いします。夕食の時間まで、村を散歩することにした。安東でもらったこの村の案内図はハングルで、歩き方と照らし合わせるのもおっくうだ。 小さな村のようなので、まずは川に出て全体を把握したい。川にはすぐに着いた。 地図に描かれた仮面劇はこの河畔で勢揃いしている写真だった。川は、この村をぐるっと半円のように蛇行している。「こんにちは。」お散歩ですか?さっきのおじいちゃんとまた会った。確か、さっきのバスの中のおじいちゃんだけど、ちょっととんちんかん。川岸の小さな林から、畑の中の道を通って村内へ戻る。畑のおばちゃんと目があって、「アンニョン」と声をかけると、そばへ寄ってきてくれて、自分の作っている野菜のことを話してくれているようだ。言葉が通じないのでよくわからない。アンニョン と言って別れる。村の中程が、お屋敷が多いようだ。村の入り口方向へ向かう。おみやげ屋さん、お食事屋さん、焼酎屋さん と細々とやっていたが、夕刻で観光客がいないせいか、閉まっていたり、閉店準備していたり。そろそろ日が暮れる。バスを降りたあたりで、またおじいちゃんと会った。「来てくれてありがとうね。」さっきバスで会った人ですよね。 と、つい聞いてしまった。お住まいがこのすぐ裏なのだそうでした。あの民泊のおばあちゃんの話が出て、ようやく話がつながった。ほとんど地図も見なかったが無事わが民泊へ戻れた。もう少し時間があるようなので、部屋へ戻った。ほどなく、食事の時間になった。
2007年11月10日
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安東で、ゆっくり食事と散歩の後、目的地・河廻村(ハフェマウル)へ向かいます。※ 漢字で書くと、ハフェマウル という読み方が何となく予想できます。ここは、豊臣秀吉の朝鮮出兵でも、川がくねって行きにくかったせいか攻められずにすみました。お陰で、朝鮮の中世の両班(ヤンバン)の村がほぼそのまま生き残ったようなのです。 バス停に着いて、ハフェマウル行きは、ここでよいのか確認しようとしたら、にこやかなおじいちゃんが、「ここから出る! 私も乗るから大丈夫だよ。来てくれて、ありがとうね。」 と日本語で話しかけてくれた。しばらくして、「このバスだよ」「値段は1300ウオンだよ。」 と先に立って、乗った。信用しないわけではないけど、運転手さんに確認して乗った。バスは観光バス型で ゆったりしていた。あちこちのバス停で乗降する人がいて、バスはゆっくり進む。山奥って程ではないが、水辺の田舎の風景を走る。おじいちゃんが、後ろから声をかける。「今日はここに泊まるのかい?」そうです。 と答えると、おばちゃんを連れてきて、「降りたらこのおばちゃんが案内してくれるから着いていくといい。」と親切に話をつないでくれた。人の親切は素直に受けなくてはいけない。やがて、村の入口のようなゲートのところで、みんな降りていく。運転手さんが、ここで降りろ とジェスチャーする。おじいちゃんが、「降りなくていいから、、 ここで泊まる?」 と再度確認。すると、バスは走り出した。村にバスは入っていって、ほどなく、お屋敷前の猫に額のようなところで停まった。ここがホントの終点のようだ。さっきおじいちゃんが お金は払わなくていい と言っていたのは、入村料のことだった。おじいちゃんとは、そこで別れた。おばちゃんの買い出しの荷物をお手伝いして持って、後を付いていく。迷路とは言わないが、村のクネクネした路地を着いていって、道がわからなくなりそう と思ったが、ここまで来たら ままよ! だ。とある門から入って、中庭まで案内された。このおばちゃんは、日本語も英語もまるっきりダメなようで、全然コミニケーションはとれなかった。中庭に入ると、かなりのおばあちゃん、(シャキッとしてはいたが、)が出てきた。
2007年11月04日
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安東のインフォメーションを出て、バス停を確認したとき、ハタと気付いた。今日両替しないと、土日とも両替不可能ってことになってしまう。あわてて、近くにいる人に聞くが、今ひとつ要領を得ない。あとでわかったが、銀行であっても外為の許可がない銀行もあるので、知らせるのにためらっていたようなのだ。もちろん、英語が通じない人もいたが。「横断歩道を渡って、3つめくらいの道を左に曲がったところにある」そうだ。銀行は、商店街の角にあった。両替に来る日本人が珍しいのか、日本に最近観光に来たという行員が相手をしてくれた。 両替はもちろんしてくれたが、次に日本へ行ったらどこがお勧めですか?とか聞いてきて、非常にフレンドリー。安東まで来てくれてありがとう とまで言ってくれる。今日は河廻り村に泊まるだけなので、あわてて行く必要がない。「安東の町で おいしいお店はどこ?」と聞いたら、何人もで話し合って、3軒のお勧めをしてくれた。カムサハムニダ!ほんのちょっとしたところでも、韓国人のフレンドリーさがうれしい。銀行の向こうにアーケード街があって、意外と華やかな町なのかもしれない。お勧めのお店が並ぶ食堂街へ向かう。そのうちの一つ、安東館 メニューを見たけど高くないぞ?夜の 焼き肉が高いのかしら?クッパを2種類注文して、いつもどおり、テーブルいっぱいのキムチたち。2人で9000ウオン。おいしい!、安い。マシッソヨ!食事を終えて、バスの発車時間までは30分以上ある。まずは、アーケード街へ。広いアーケードなのに、その真ん中に屋台が出ていて、通り抜けるのがやっとの状態だ。屋台のおばちゃんたちは、屋根があるから雨の日も心配ないいい場所だ。そんな狭いアーケードの中をゆっくりながらもバイクが走り抜ける。インフォメーションでも銀行でも、安東は狭い町で見るべきものはないと言うが、食堂街に戻って、裏手の方も歩き回る。教会がある。公園がある。なんだか歴史がありそうな建物が公園にあった。説明をチラッと読んだが忘れてしまった。歴史的建造物を再建するのが韓国でははやっているようだ。その建物の縁側で、じいちゃんたちがなにかのゲームをやっているようだ。 反対側の縁側では、おばちゃんたちがお話に高じている。お金をかけずに楽しむ方法をみんなよく知っている。部外者は近寄らずに静かに去ることにした。そういえば、町のあちこちで唐辛子を干していた。9月は、お店も家庭も1年分の唐辛子を干して備蓄するようだ。安東の町散歩、意外と楽しかった。教えてもらったとおり、バス停に行って、 ここでよいのか確認しよう。にこやかなおじいちゃんが、「ここから出る! 私も乗るから大丈夫だよ。 来てくれて、ありがとうね。」 と日本語で話しかけてくれた。
2007年10月31日
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翌朝、 ていうか、午前様なので同じ日。3時に帰って、眠っても2-3時間後、眠いながらも目が覚めて、7時から朝食。安東までの列車(清涼里900-1315安東)の切符は買ってあるので、嫌でも出かけなくてはいけない。ていうか、ここで寝てしまったら、この目玉の安東経由の旅はめちゃめちゃになってしまうのだ。清涼里までは昨日の下見どおり、トレースして、時間のロスもなく40分くらい、8:40くらいに到着。セマウル号の改札を入った。ローカルの中央線のセマウル号の外観は、京釜線のKTXにちょっと見似た面構えの車両でなく、普通のディーゼルカーだ。車両の中はそれなりに有料列車らしく整っていたが。(こちらは特室(グリーン車クラス)) 出発時間まで、座席に着いて、駅構内の風景を眺める。隣の線路は、今まさに電化工事中。KTX本格導入の準備工事であろうか?9:00定刻発車して、しばらくすると、ローカルな風景が車窓から見える。いくつかの停車駅は、思ったより大きな町になっていたが、途中風景はのどかなものだった。写真は撮れなかったが、屋上にカメが並べられた家ばかりある村とか。 高速道路の建設中の現場。高低差のないダム?対向のセマウル号と、停車駅ごとに交換する。1日の本数は少ないが、意外と重要路線のようだ。座席指定のせいか、車掌さんも顔と席を確認している様子ではあるが乗車中1度も検札は行われなかった。韓国でもハイテクの利用で乗客の手間を減らす工夫がされているのだ。4時間少々で、安東へ到着。駅を出ると、すぐタクシーの運転手につきまとわれた。無視して、インフォメーションへ。インフォメーションでは、 いくつもの質問を片っ端からする。まずは、河廻村へのバスの時刻、バスの乗り場。民泊の泊まり方。仮面劇の始まる時刻、安東の町の見所、レンタサイクルがあるか、、、。河廻村から戻ってから釜山への高速バスの時刻、バスターミナルの場所。さすがインフォメーション全て答えてくれたが、 結果は思わしくない答えが多かった。明日は土曜日なので、仮面劇が見られるかと思ったが、午後3時からだという。そんな時間まで河廻村にいたら、もう1日いないといけなくなってしまう。安東の他の見所は、みんな衛星的に散らばっている。距離的にもタクシーでも利用しないといくつも行くのは不可能だという感じ。ガッカリ!
2007年10月30日
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夜のイベントそれは、韓国人の友人を作ること!何てむちゃな作戦でしょうか?でも決行します。 ***一昨日、更新しようとして、もう少しでアップできるところで、消えてしまい、断念しました。なぜ?行き先は、 「カケハシ」ここは日本語喫茶です。ここ新村は、延成大学があって、日本語学科があったり、逆に日本人が韓国語学校へ通っていて、いわば、日韓の交流地点なのです。だからといって、うまくいくか?屋台で食べ過ぎたので、喫茶店でOKです。お店に入ると、奥の方に十数人のグループが居て、あとはパラパラ。考えてみれば、喫茶店だから、いくら日本から来ました! といっても大歓迎って訳はありません。どこへ座ろうか とキョロキョロしていたら、「交流会参加の方ですか?」と日本語で声がかかった。いえ初めてで、何もわからず来たんですが、、、参加されますか?どうぞ、どうぞ!会費は5000ウオンで 飲み物1杯付です。飲み物は3000から4000ウオンだけど、まあいいか。僕たちが座った頃また数人増えて20人以上の大所帯になった。ところが、隣も隣も日本人、いや参ったな!向かいには韓国人のようだけど、、、実はこの日に日本から来た旅行者が多く混じっていたのだった。主催者は、かわいい感じの日本人女性たち。この日は、交流会の名前は聞き漏らしたが、木曜の交流会なのだそうだ。曜日によって異なる交流会があるそうだ。向かいの韓国人と少し話したけど、後から入っても話しについていけない。女性陣は、韓国語教室に通っていて、かなり達者なようです。幹事のアヤさんとばかり話していました。韓国事情少しはわかったけど、ボクは何しに来たんだか、、、。そろそろ二次会の時間ですが、参加されますか?日本人ばっかだとヤダな と思いつつ、参加。人数が多くなって、どうなるかな?と思ったけど、さすが学生街 ホフがいくらでもある。※ ホフって?前回の旅でおそるおそる入ったけど、実はビールが飲める喫茶店みたいなもの。女子学生も深夜までしゃべりまくっているほど安全なもの。 ※ホフでも トッポギとかおつまみと、ビールと焼酎。焼酎はおちょこだが一気飲みが韓国流だそうだ。おちょこを回していくのはなんだかテレビで見た沖縄みたいな習慣かな?お腹いっぱいだったので、おつまみにはほとんど手を出さずに飲んだ。キムタクが好きで日本語を勉強し始めた女性。今年、日本へ旅行してから日本に興味持った人。韓国の人とのコミニケーションも楽しい。時々の単語がわからないことも、女性陣が訳してくれたり、日本語がうまい韓国男性が中に入ってくれたり、もどかしいながらも、楽しい。Cと共に話した日本語がうまい人、金さん!彼は、日本人の感覚にも精通している。そんな彼でも、「すみません」について どうして という疑問があった。ありがとう と言うべきときに なぜ、すみません と言うの?日本語学校の先生も教えられなかったという。ボクなりの解釈で説明してから意気投合した。日本と韓国の歴史的関わりについても、忌憚のない話ができた。2次会でも、いったん帰る人が多くなって〆た。3次会も、店を代えるのではなく、他のテーブル席に移ってまたも盛り上がり。日本から2泊3日での若者たち。アヤさんの武勇伝とか、とても盛り上がった。午前3時に名残惜しいながらも、先に帰ることにした。残る5人は、始発まで飲み明かすようだ。所期の目的のお友達作る話、、、金さんといいお友達になりました。
2007年10月24日
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ホテルでシャワーを浴びたりして一息入れます。雨のソウルは思ったより歩き回れなかったが、夜にはまた新村の町で自分なりにイベントを考えていました。 * * * ゆっくり休んでから、出発です。雨はやんでいました。すぐ新村では芸がないので、お隣の梨大(イデ)駅まで1駅地下鉄で。交通カードがあるので、できるだけ利用しないと、、、梨大駅は、斜めに上がるエレベーターがエスカレーター上下の真ん中にありました。フランスのパリにもあるけど日本では見たことありません。日本と違って一般人はエレベーターには乗らないみたいでしたが、試しに乗ってみました。(観光客だから許してね)ケーブルカーみたいで不思議な気分です。両脇の窓からエスカレーターの人も見えるし、ケーブルチェーンも見えました。新村は 名門延成大学の学生街、梨大は、名門梨花女子大のお膝元、どんな感じかとちょっとだけ歩いてみたかったのです。さすが女子大のある町、女の子がいっぱい。靴屋さんとか帽子屋さんとか、ファッション系のお店が多いです。ガイドブックではわからなかったが、この町は、坂になっていました。この日はちょい見だけで、このまま新村まで歩きました。新村へ戻って、計画を実行に移す前に、お食事を。お食事は、屋台 !前夜にも見かけて、いつもはやっていて早じまいのお姉さんのお店へ。まずはトッポギ !ウィンナーかと思ったら、ちょっと堅めのお餅。唐辛子の辛みもあるものの、甘い! しかも量も多すぎ!韓国の人は、夕方にこんなもの食べたら、夕食これで終わり? スンデ こっちこそ、ソーセージだろう! と勢い込んでたのんだが、3種類もあるんだって! どれでもいいから1種類だけ と言ったが通じた。黒っぽいのが出てきた。 プニプニ!これも量が多かった。 天ぷらも たのんだ。ちなみに、この紙コップのは、おでんのおつゆ。これはサービスで付いてくる。お代わりも自由だ。薄味でちょうどいい。これはこの日は食べなかったけど、はんぺんみたいなもの。韓国の料理は、見た目と違って意外性たっぷりでした。 2人で食べても腹ふくるる思いなり って、ホントにお腹いっぱい。 イベント前にお腹いっぱいだ! いいのかこれで、、、
2007年10月21日
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久しく更新しておりませんでした。雨の中の都市散策は辛いものがあります。写真もないし、書こうか書くまいか悩んだ末、先に進まないので、書くことにしました。おいしい昼食のあと、さてどちらは?歩いて、明洞へ行って、そのあとソウルタワーへ登る計画でした。鐘路から南へ。清渓川公園は、東京の首都高みたいな高速道路があったところを全部ぶちこわして、以前の川の形に戻して、2kmにも及ぶ長い公園にしたそうです。橋の上から見える部分は、真ん中を小川が流れ、その周りは緑の木々があって、自然公園みたいでした。ここのことは、エルマチャイさんの以前のブログにレポートが載っていて、都会のオアシスみたいで歩いてみたかったのですが、雨脚がひどくなって、断念しました。ここを抜けるとすぐ明洞です。明洞は新宿と銀座を混ぜたような所と、ガイドブックに載っていたりしますが、新宿と原宿くらいを混ぜたくらいかな?おなかが空いていないので、食べ物には興味がわかず、かといって、傘をつぼめたり開いたりしながらお店を覗くのもおっくうでした。そうこうしてまっすぐ南へ進むと、明洞駅に着きました。ホテルへいったん戻ろうと思いましたが、同行の友人Cがまだ歩こうと言うので、デパートへ入るのもかなわず山登りと相成りました。地図をいい加減に記憶していて、地下鉄の所から坂を登ります。ロープウエイがあるということなので、どこかに立て札でもないだろうか? と、登っていきます。右へ右へと進んでいくのですが、全然それらしくないので、たばこ休憩らしい若いビジネスマンに聞いてみました。右へ来たのがいけないようで、まっすぐ登ればよかったようです。引き返して、まっすぐの坂を登ります。雨はいよいよひどく、景色は見えそうにありません。ロープウエイ乗り場を発見したところで、乗り場まで行かずにソウルタワーを断念しました。山頂に登っても景色は見えそうにないから。それにしてもロープウエイ乗り場なんでこんな上の方にあるのでしょうか?これでは観光客だって集まりそうにないです。ずぶ濡れ状態で、ホテルへ戻ることにして地下鉄入口へ降りました。明洞からの5号線は大回りして東大門運動場経由で、新村に戻ります。
2007年10月20日
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景福宮と民族博物館見学を終えて、次はお昼ご飯。まずは、景福宮の東側の通りに、地元の人にも人気のランチに向くお店が並んでるという情報を見て、北へ向かう。骨董屋さんやイタメシ屋はあっても、なんだかそれらしきお店はない。あきらめて、市内へ戻ることにした。さっきの仁寺道裏手の あの路地が気になる。行ってみることにした。仁寺道のクルタレ屋さん、黒山の人だかりだった。人気のお店だったんだ!と思いながら素通り。稼いでネ! **** 路地に戻って、さてどのお店がいいか?どの店もうらぶれていそうで、楽しそうだ。でも、ホントは、その中で一番古そうなお店がやっぱり気になっていた。高級店かな?おそるおそる入ってみることにした。「ここはなんのお店ですか?」営業中ですか?から始まって、ご予算とお勧めを聞いた。フロントに座ってる店主らしいおばさんは、日本語もお上手。プルコギが15000ウオン と、カルビクッパが7000ウオン の組み合わせがいいんじゃないですか?と親切に教えてくれた。ここは有名なお店なのだそうだ。ガイドブック見てきたの?と聞かれたが、たまたま偶然、見つけたのだ。と答えた。中庭に、瓶が積み上げられて、中庭を囲んで廊下の部分と、オンドルの部屋にテーブルがあった。もう午後2時を大きく廻っていて、お客はちらほら。うるさすぎるよりいいか。 オンドル部屋に案内され、メニューは見たけど、お勧め通り。まずはお約束のキムチ。出てきた プルコギ。丸く盛り上がった鉄の器で焼くタイプのでなく、甘辛く上等の肉を焼いてお皿に並べてある。うまい!引き続き、カルビクッパ。これは普通のカルビクッパに入っている肉のかたまりだけでなく、なんだかプニプニの固まりも入っている。このプニプニは食べきれなかった。付け合わせのキムチと共に十分堪能した。おかみさんと、日本語でのコミニケーション。一つ一つの質問に優しく答えてくれた。「東京は夏は暑くて大変だったでしょ」と、日本の情報まで知っていた。「プルコギは、普通と違いますね」 と聞くと、「うちのは安東の肉を使ったプルコギだから」「ちゃんと、練炭で焼くのよ。あそこで焼いているから見てきていいよ。」安東はあした行くんですよ! と、ボクも呼応した。と、とても、名残惜しかったが、おいとました。お会計は、2人で、プルコギ15000ウオンと、カルビクッパ2人前で、明朗会計29000ウオン。このくらいなら、お買い得のお店じゃないでしょうか。お店の名前は、日本語の意味では 田舎屋。民家4軒を丸ごと買い取って、以前には旅館だったそうだ。そのまま、料理屋にしたから、古いままのたたずまいが、いい味出しているんだ。
2007年10月06日
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なぜか画像のサイズは問題ないのにアップできなくなってしまいましたので、次のページにしました。今のところうまくいっていますが、画像の容量が50MBに近くなってきたせいでしょうか?民族博物館には期待せずに入ったが、韓国の人々の生活の一部をかいま見たようで思ったより楽しかった。でも展示は全て1階で、上に付いている五重塔はなんなの?という疑問は残った。
2007年09月30日
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景福宮の入場券は、国立民族博物館と共通券になっていた。それならちょっとだけでも覗かにゃソンソンとばかりに、入ってみることにした。景福宮からも見える建物の上の五重塔の形。日本人の感覚とちょっと違うかな?十二支の像が円形に並ぶ。 さあ、館内へ。王様と皇后の衣装民家の生活画像が、アップできなくなりましたので、途中ですが、終わります。原因がわかればいいのですが、、
2007年09月29日
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仁寺洞から 安国経由で 景福宮へ。 景福宮景福宮は、数年前の時はお休みで中へ入れなかった。光化門はなんと取り壊されていた。朝鮮総督府を作ったときに、光化門は移転、前庭は取り壊されていた。光化門は、大きなものだったが今ひとつ風格が感じられなかった。3年後には歴史的な正しい場所に、作り直されるようだ。前回の旅の時には、前庭を作っていたが、今回は完成。 チャングムの時代と同じいでたちの官吏の門兵が17-8人景福宮の門を守っていた。門兵は人形のようにあまり動かないものだが、これだけ人数がいると微妙に動く人もいて、ちょっとおかしい。切符売り場は、正面少し離れた右側。入場料は 景福宮と民族博物館の共通券。早速入ってみる。2つめの門で、3つめの門から門兵の一団が屋根のある周り廊下に沿ってこちらへ向かっている。あっ、衛兵の交代だ!しばらく眺めることにした。表の門で、門兵の仕事が終わった訓辞が示されていた。と思うまもなく、彼らは、その職場をあとにした。普通、衛兵の交代は門のところでやるんじゃないの?彼らも周り廊下に沿って、第2の門へ向かう。第2の門をくぐって、第3の門から来た一団と、簡単な引継ぎ式。すれ違うと、これから仕事に就く一団は最後の注意事項、終わった一団も最後の訓辞。 雨だったが、ちょっとだけ楽しい見物ができた。きっと、景福宮についてはほとんど全部の人が知ってるであろうと思われるので、さくさく進めます。世界遺産だけ合って立派な建物です。日本でいったら皇居みたいなものでしょうが、現在は宮中がなく主がいないであろうものです。同じような建物がいくつもあります。池の上に浮かぶような建物は超有名ですね。クルタレは、ここの縁側で座って食べました。不思議なことに食べてる間は誰も来ませんでした。結構長い時間、のんびり過ごしました。縁側から見上げると、戸が天井との間の不思議な高さの所に収納されていました。ほぼ全部の建物を見て、 9月初旬のまだ半袖でちょうどいい気温でしたが、8月のソウルは寒かったそうで、紅葉している木もありました。民族博物館へ向かう。コンクリートの建物に五重塔の載った民族博物館は独特のデザインだ。
2007年09月23日
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仁寺洞 名物 クルタレ鐘路3街から、裏通り散歩をして、仁寺洞にうまく出られた。高級定食屋? の看板が出てる。高級な店は古い作りが売りなのですね。歩き出したばかりでまだおなかも空いていない。通り過ぎる。仁寺洞 は雨が降ると、車の通りが目立って、狭い歩道のみで歩くのはとても歩きにくい。仁寺洞は、骨董の町だそうだが、観光客目当てにどんどん新しいお店ができている。雨なので、お店のぞきは最低限に。写真を撮っていたら、お店の若い男に声をかけられた。「買わなくていいから、こっち来て! 説明するから。」ホントウ?「これは宮廷に残る貴重なお菓子です。とってもおいしい!日本語がとってもお上手。変わったお菓子だ。16384本の絹のような糸で包まれたくるみ。ハチミツと麦で作った固まりを8日間熟成させたもの。「これはとても堅~い」「日本のどこから来たの?」などとたわいのない話をしながらトウモロコシの粉に付けながら、薄くしたり、ゆっくりもんでいく。棒で穴を開ける。その穴に指を入れて、少しずつ広げていく。顔が入るような輪になった。そこからが本番!粉を付けながら、伸ばす。伸ばすとねじって2つの輪にする。「1本が2本」 「2本が4本」 「4本が8本」お上手な日本語で、歌うように伸ばしていく。2-4-8-16-32-64-128-256-512-1024-2048-4098-8196-16392「食べたらとてもおいし~い」とそそることを言う。時々寄ってくる観光客もいたが、最後まで見てたのは我々だけ。まあ、試食もしていないけど、食べたくなるじゃないですか。「くるみのを1つ下さい。」10個入りで5000ウオン。お札が3種類入った箱がひょこっと出てくる。「10000ウオン札を入れて自分でおつり取って!だって僕らの手は粉だらけだから、、」楽しい経験だった。 ※ ※あとで景福宮の縁側に座って食べた。甘さ控えめで、くるみの味がおいしい。宮廷用なので、品のいいお菓子に仕上がっている。「とっても」ではないけど、おいしい に入れておきます。楽しい経験でした。参考 : 韓国旅行コネットhttp://www.konest.com/data/gourmet_food_detail.html?no=316クルタレ■辛さレベル:0 ■価格帯:3000-4000 ■主材料:はちみつ 4000-5000(10個入り1箱) ☆ はちみつ蜂蜜で作ったふわふわの飴で、松の実、くるみなどをくるんだ、繭玉のような伝統飴菓子。韓国の伝統的な宮中菓子で、昔は王様や貴族達に献上されていたという。不思議な形をした「クルタレ」は、ハチミツと麦芽の粉を混ぜて8日間熟成させたものを、トウモロコシの粉をまぶしながら糸状に加工し、最終的には16,384本まで増やして中身をくるんだもの。中には、松の実、落花生、クルミ、きなこなどが包まれ、蜂蜜のあっさりした甘さと、 中身の香ばしさがマッチしてとっても美味しい。仁寺洞では実演販売もしており、いつ行ってもその見事な手さばきに見物客が絶えない。 主に、仁寺洞(インサドン)、お土産物ショップ、免税店、空港など販売されている。
2007年09月18日
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3街駅から、タプゴル公園にチラッと寄って、信号を渡ると、 映画街がある。韓国人は日本人以上に映画が好きで、あちこちにシネマコンプレックスがあると聞いていた。建物から出てるあれは何?近寄ってみたら、クロワッサンだった。がっかり!ハンガンの怪物でも出てるのかと思った。映画を見る気分でもないので、そのまま裏通りを進む。表通りのすました景色に比べると、正直あまりきれいな道でない。この辺は表通りには宝飾店とかが並んでるようだが。出前下げのおばさんとか、すれ違う。雨なのに、傘を差していたり、お店のひさしの下や建物の階段の前に立つ男たち。用心棒? 案内人?なんだかよくわからないけど、おばちゃんが それぞれにアンニョンハセヨ と声をかけ、彼らも笑顔で挨拶したり会話を楽しんでいる。ソウル市民の生活を見たようでうれしい。路地も終わって、表通りへ出た。ありゃ、鐘閣だ。地下鉄1駅歩いてしまった。仁寺洞 は?ありゃりゃ、あの映画館の右手斜めにある道だ。 ※ ※ ※あの映画街まで戻るのは悔しいので、少し戻って、途中の路地から、仁寺洞 へ 斜めに繋がる道を探してみることにした。はてさて、 ※ ※ ※ 作戦成功!なんだか古いホントの路地に迷い込んだ。ガイドブックには載っていないみたいだ。「ぶらり街角旅歩き」みたいな気分。古いお店!何屋さんだろう?こんな狭い道にバイクが時折通り過ぎる。行き止まりかな?と思ったが、さらに狭い道を抜けて、無事、仁寺洞 に続いています、、、
2007年09月16日
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清涼里駅で明日の切符は手に入れたので、 仁寺洞からまずは景福宮に向かうことにした。1号線だと、乗り換えなしで、鐘路3街(チョンノ3ガ)で降りればよい。 鐘路3街 駅で降りると、清涼里駅ではポツリと落ちただけだった雨が本格的に降り始めた。ボクは晴れ男の方だが、今回はとんだお迎えであった。傘を差して、かまわず歩き出す。 まもなくの門に差し掛かる。多くの人が門のひさしなど屋根があるところで雨宿りしていた。 通り過ぎるつもりだったが、ちょっと中へ入ってみた。 過去には記念日の3月1日には、日本人が立ち寄ったら危ないと言われた。 今は誰も気にしない普通の公園となっている。晴れた日にはじいさんたちが朝鮮将棋にいそしむところだが、この日は、公園内のお堂の中にも多くの人が雨宿りしている。 タプゴル公園は、日本語のパンフをもらって古い記憶を思い出した。1919年3月1日ここタプゴル公園から始まった独立万歳運動発祥の地であった。日本併合からの平和的な独立運動だったそうだ。 奥には「円覚寺址 十層石塔」がある というので奥まで行くと、ガラスのケースに入った12mの高さの石塔があった。
2007年09月15日
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韓国第2日 翌朝は、ゆっくり起きてホテルの朝食を摂って、ソウル観光に出かける。新村の地下鉄駅前で、交通カードを購入。12000ウオン。これ1枚で 地下鉄もバスも切符を買う面倒がなくなる。 まずは、翌朝の安東への列車の切符の購入と駅の下見に出かける。新村駅から乗換1回。市庁駅の長い連絡通路を歩いて1号線へ。地下鉄の出口は韓国国鉄の清涼里駅からは遠い側だったが、雰囲気を知るためかまわず地上へ。見たところ普通の町。駅のように見えるものはロッテデパートだった。ロッテデパートの先で、駅を聞くと、ちょうどデパートの裏手の、ちょっとさえない橋上駅だった。 韓国国鉄は大きな駅でも列車の出発10分くらい前にならないと、改札を始めないので、広いスペースにベンチが並ぶ。駅員のいる切符売り場が7-8窓口あったであろうか。時刻表をもう1度確認してから窓口へ向かい、 「明日の朝の9時発の安東行きの切符を下さい。」と英語で言った。言葉は通じなかったが、時刻を液晶に標示してくれたので、この列車と指を差して指定。1人16000ウオン。無事購入完了。
2007年09月15日
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金浦空港駅から5号線で12駅 乗り換えて、2号線で4駅 新村駅到着。 予想外に時間がかかって、23時を少し過ぎてしまった。 今日のホテルは、新村カサビラレジデンス。ここは、ソウルナビで2泊予約している。前回の旅で、この新村という学生街が気に入ったことでこの町を選びました。 駅の真上というのが気に入っている。部屋の窓から、角度はあまりよくなかったが、町を見下ろす。 飛行機では軽食しかでなかったので、夜中にもかかわらず、町へ。新村は、学生街だが、まるで新宿のように眠らない町だ。ほとんどのお店が夜明けまで開いている。 ディスプレイの料理の写真やハングルの文字をガイドブックと照らし合わせる。まずは安くてうまいという デジカルビに挑戦する。店は空いていたが、従業員が空いた席で談笑しているお店でに、入った。 申し遅れましたが、今回は友人C との二人旅。お互い、韓国の食べ物に興味津々。デジカルビ2人前と、トンドンチュ注文。 言葉は通じないものの、ジェスチャーも交えて何とかなるものだ。このお店にはトンドンチュは置いてなかったが、買いに行ってくれた。 まずはお約束のキムチが並ぶ。日本ではお通しが有料だが、韓国ではキムチ類は全部サービスで、追加料金はない。 初心者と見てとった店員さんは、全部やってくれる。食べ方も時々レクチャーしに来てくれる。デジカルビ、 おいしい。マシッソヨ!と言うと、店員さんは笑顔を返してくれる。 スープと卵スープもサービスで付けてくれた。 夜中にもかかわらず、最初のディナーとなった。 安い!うまい! マシッソヨ! アンニョンハセヨ!
2007年09月14日
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韓国 仁川空港着陸ユナイテッド航空はタイムテーブルより10分ほど早く着陸した。でも、入国審査とバゲージクレームで結局1時間くらいかかって普通通りの入国となった。仁川空港は初めてだ。まず両替して、今年2007年3月開業した「空港鉄道(A'REX(エーレックス))」A'rexの駅へ向かう。まだソウル中心地まで開通していないので、今のところ終点金浦空港で地下鉄に乗り継がなくてはいけない不便さがある。KALリムジンバスなどで乗換無しの方が簡単だとはわかっているけど、一応鉄道ファンのボクとしては A'rex に乗らざるを得ない。※(Arexは、ホームドアなので現車は撮れなかったが柱の液晶を写す)タイムテーブルは事前に調べてある。仁川空港 600.603.615.627.639.651から21:51までは 同じ時刻で 00分発がノンストップの28分で金浦空港に着く速達タイプ残りの4本は各駅停車で 33分かかる。22時以降は各停のみで、2209.2228.2247.2306.2326が最終。もっと早い電車に乗りたかったが、最初考えていた 2155発 2230金浦空港着と予定通りになってしまった。空港ほぼ中央から、地下へ降りるとArexの駅に着く。切符は日本語へのボタンも付いてる自販機。なのに、1000 10000 ウオン札と小銭しか受け付けない。(10000ウオンが 約1300円なのだが)ノンストップは7900 79000ウオン各駅停車は 3100 31000ウオン。車両はノンストップが全席進行方向向き2座席で、各停はロングシート。値段の違いはビックリするくらい。 (※訂正いたしました。ご指摘ありがとうございます) 切符はカード式でスイカのようにタッチ式改札機で入場できた。 新しい駅は当然ながら、現代的なデザイン。ホームドアで、さすが液晶世界一のシェアを持つ韓国らしく随所の広告が液晶のようなパネル。 しばらくして 2155発は各停が入線してきた。仁川空港駅ではあまり客は乗らなかったが、2つめの駅から酔客などサラリーマン風の人たちが乗り込んできた。 暗くて車窓の風景はよく見えないが、空港のあるこの島はまだほとんど開発されていない荒れ地になっている。 各停とは言っても始発終着駅含めて6駅のA'rex は かなり飛ばして走る。でも33分は33分だ。空いているからいいようだが、長い道のりだ。 トンネルに入り、金浦空港駅到着。 金浦空港駅の出場はタッチでは出られず、カード差し込み口で吸い込まれる。 Arex側の2台の旧式自販機は 地下鉄用、10mくらい進んだ地下鉄寄りにArexの自販機がある。ソウル地下鉄バス用の「交通カード」が欲しかったが、残念ながらここでは手に入らず切符を買う。 ここから地下鉄乗り場まで長いアプローチだ。 さあ、旅はここから始まる。
2007年09月13日
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マシッソヨ 韓国!無事帰ってきました!わずか1週間で韓国を食べ尽くすことは不可能でした。以前にも訪韓しているボクとしてはエキサイティング と言うことはないけれど、今回も韓国人の優しさに触れ、楽しく過ごせました。みなさまありがとうございました。清涼里から安東までの時刻表教えていただいて。ローカル線の旅も高速バスもKTXも楽しめました。旅行計画は以下の通りで、9/5 水 東京 15:33発(Ne'X31)16:28着 成田空港 (15:03 (Ne'X29) 15:57) 2,740 円 成田1815 (UA0883 座席35AB) 2055仁川 2155(A’REX) 2230金浦空港乗換 地下鉄 23時頃到着予定 ソウル新村 新村カサビルレジデンス 02-6220-40009/6 木 ソウル市内見物 新村 新村カサビルレジデンス9/7 金 清涼里900-1315(700-1212、1100-1512)安東 河回村9/8 土 am 仮面劇 pm安東 (高速バス) 釜山9/9 日 釜山825 (KTX120) 902 密陽1052 (KTX138)1301 光明 水原9/10月 水原華城 仁川市内見学 仁川 ロバートホテル9/11火 仁川1005 (UA0884 34AB) 1225成田仮面劇が見られなかったりしましたが、河廻村に民泊できたし、KTX光明駅から抜け出すのに苦労したり、一部変更はありましたが、ほぼ計画通りに過ごしました。9/5 水 東京 15:33発(Ne'X31)16:28着 成田空港 成田1815 (UA0883 座席35AB) 2055仁川 2155(A’REX) 2230金浦空港乗換 地下鉄 23時頃到着予定 ソウル新村 新村カサビルレジデンス 9/6 木 ソウル市内見物 新村 新村カサビルレジデンス9/7 金 清涼里900-1315安東 河回村9/8 土 仮面博物館 屏山書院 安東 (高速バス) 釜山9/9 日 釜山1045 (KTX) 光明 水原華城 ソウル泊9/10月 仁川市内見学 仁川 ロバートホテル9/11火 仁川1005 (UA0884 34AB) 1225成田これからおいおい楽しかった韓国旅行の思い出を書いていきたいと思います。
2007年09月12日
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本日2007/9/1 22時32分 60000アクセスとなりました。いつもご訪問コメントありがとうございます。今回は、59998 2007-09-01 22:07:51 虚空2さん 59995 2007-09-01 21:54:31 きた@0258さん 59991 2007-09-01 20:56:21 47弦の詩人さん 虚空2 さんが、59998で、ニアピン賞でした。ありがとうございました。 60002 2007-09-01 22:44:39 ***.itscom.jp 60001 2007-09-01 22:44:19 *.t-com.ne.jp 60000 2007-09-01 22:32:01 *.nttpc.ne.jp 59999 2007-09-01 22:22:46 ***.ad.jp 59998 2007-09-01 22:07:51 虚空2さん 59997 2007-09-01 22:05:11 *.scn-net.ne.jp 59996 2007-09-01 22:01:57 *.odn.ne.jp 59995 2007-09-01 21:54:31 きた@0258さん 59994 2007-09-01 21:42:36 *.infoweb.ne.jp 59993 2007-09-01 21:37:50 ***.nifty.com 59992 2007-09-01 21:26:42 *.wakwak.ne.jp 59991 2007-09-01 20:56:21 47弦の詩人さん 59990 2007-09-01 20:29:17 211.10.*.* 59989 2007-09-01 20:25:52 ***.bbtec.net 59988 2007-09-01 19:53:00 208.66.*.* 59987 2007-09-01 19:42:46 *.ocn.ne.jp 59986 2007-09-01 19:39:03 *.so-net.ne.jp 59985 2007-09-01 19:38:33 *.ocn.ne.jp 8月になって、時にはブログネタを見つけたこともありましたが、落ち着いて文章を書けませんでした。ボク自身の身辺ではありませんが、知り合いのところでコンセントからの自然発火のボヤがあって手伝ったり、いろいろ落ち着かないことがあって、更新がだいぶ怠けております。タイトルのヨーロッパとはほど遠いブログとなっておりますが、引き続き遊びに来てください。みなさま本当にありがとうございます。
2007年09月01日
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長きに引き延ばしていたポルトガル旅行記 そろそろ終わりにしますか。ケーブルカーに乗ったあとに、ファドクラブの場所を下見していったんホテルへ帰りました。前日より宿の主人に勧められていたファドクラブの予約を頼んで、夜20時の開店早々に地下鉄で入りました。ファドは、悲しいメロディーのポルトガル独特の音楽だそうですが、遠い昔に聞きに行ったとき、あまり感動しませんでした。今回はリベンジできるか。宿の主人はこの店が最高にいい店だ! と力説してました。店の前に黒服が立ち、うやうやしく迎えてくれます。すでにいくつものテーブルで、会食が始まっていました。気がかりなのは、一人客はボク一人だけというところ。テーブルに案内されると、早速に、海鮮のどっさり載ったワゴンがボクのテーブルに横付けされました。「いかが?」ワゴンには、カニ・車エビ、バトリョ、、、アサリ。断ればよかったのに、アサリなら安いかな?と注文してしまいました。お飲み物のメニューや料理メニューはそのあとです。場違いでした。よく見れば、周りはカップルばかり。しかも金持ちそうな。最終日だし、お金は50EUROと クレジットカードだけを持っていました。白ワインを頼んで、料理メニューには悩みました。今日の昼は安いレストランながらおいしいものを食べてしまっていました。メニューはショーチャージが含まれることもあって、高め。オムレツとか安いものもあったんだけど、高い魚介類は避けて、ステーキにしました。 楽しいファドクラブ、、、、のはずだったのですが、結果は惨敗。敗因は、早く行き過ぎたのと、アサリのワイン蒸しを注文したこと。早々に帰って、カザ・ダス・ビファーナ へ寄りました。終わり (翌朝リスボン空港から帰国の途につきました)
2007年08月29日
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韓国鉄道旅行考えています。身の回りに、いろいろ変化があって、ホントは旅行するどころではないのだけど、マイレージで来月上旬にソウル往復取っちゃったので押っ取り刀で旅行計画しています。安東が、両班の町だと聞いて、行きたくなりました。韓国国鉄の時刻表日本語版が文字化けで開きません。どなたか、平日朝 清涼里出発の 安東着の時刻表ご存じの方教えてください。バスの方が早いとは聞いているんですが、できれば鉄道で移動したいので、、、ヨロピクお願いいたします。 ペコ 、
2007年08月24日
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リスボン名物だとボクが勝手に思っている ケーブルカーが、今回の旅では、ここで初めて動いてるのを見た。ちょうど下から来たケーブルカーが、終点でお客を降ろしている。写真を撮って、すぐに乗り込む。乗客はおばあちゃん。あと、運転手らしきおじさんも客席にデンと座る。数分たっただろうか? おじいちゃんが乗ってきた。全く動く気配がない。何分間隔なのであろうか?ボクは決断した。上から下へ乗っても、また上がるのが歩きでは大変だ。ケーブルカーの階段を歩いて下る。ケーブルカーが出発しないことを祈りながら。ケーブルカー乗り場は下の方だけ駅舎になっていた。(レールは6本、2つの車両がそれぞれ3本ずつ使っているが、 中央のすれ違い部分以外では交わらない)少し建物を迂回して、 駅舎に飛び込む。改札のような感じで、スイカの読み取り機がある。ピッと1日乗車券をかざして、ケーブルカーに乗り込む。作戦成功!もし上で待っていたらまだ上にいたままだった。まもなく、ケーブルカーは上の駅に向かって出発した。中間点で先ほどの上からのケーブルカーとすれ違って、上の駅に着いた。ほんとに、何分間隔なのであろうか?10分間隔?日本人のエレベーターの閉まるボタンをすぐに押す感覚と比べると、こののんびりした感覚はなんとも言えない。
2007年08月03日
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新宿エイサー2007今年も7月28日(土)に新宿エイサーまつりが開催されました。 新宿エーサーHP http://shinjuku-eisa.jp/dn.html 歌舞伎町商店街振興組合 ageha@kabukicho.or.jp 後援 :新宿区、沖縄県、那覇市 他何年か前に行ってボクは2回目ですが、今年はもう6回目を向かえる。年々見物客、出演団体が増えて 新宿の夏の風物詩となってきている。新宿通は、東口アルタ前から タカノ 紀伊国屋書店 丸井 三越 伊勢丹と並ぶ商店街だ。この道を道路封鎖して、エイサーが演舞される。 ボクはこの日午後はここ新宿のエイサー祭 夕方からはすでにご紹介した隅田川の花火と掛け持ちした。 「沖縄が新宿にやってくる!」 をテーマに 19チームの エイサー_が見られる。 梅雨も明けないが、幸いこの日もいい天気だった。 っていうか、暑い! 参加者もさぞ暑いと思うが、見物人も暑い。新宿通も、車道4車線が演舞場となって、見学は舗道上から。始まる前から結構な人出で人垣に間から見物するのも結構大変だった。 沖縄の熱い気持ち と、東京の チーム。 沖縄らしい衣装と 沖縄の音楽。 十分楽しませてもらった。 (長太郎)エイサーの季節に沖縄に行ってみたい、、、
2007年07月30日
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なかなか梅雨明けしないし、参議院選挙のせいで順延無しの隅田川の花火 無事予定通り開催されました。隅田川の花火2007このところ気に入ってる場所へ18時頃に到着。予想外の陣取り合戦の早さ。いつもに比べてガードマンの警備の厳しさだったが、ギリギリ座れる場所を確保できた。「立ち止まらないでください」 のアナウンスも、そのずっと先から立ち止まられていては効果もない。幸い、座る場所を確保できた我々は、まだ花火の終わらない20時頃には次の人たちに席を譲って帰路に着いた。毎年花火が見られる幸せを感じながら、、、
2007年07月28日
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お腹もいっぱいになって、バイシャ地区へ歩こうと思ったが、目の前に市電が停まったので乗ってしまった。きっと2-3電停くらいだろうけど。リスボン 市電28番古い市電は混雑していた。観光客は市電に乗りに来ているようだ。2-3電停で目的地にはずなので車窓を眺める。あった!ケーブルカー乗り場だ。降ります!降ります! という気持ちで、イクスキューズミーと小さい声で言いながら 運転席側出口へ進む。ヨーロッパでは、日本と違って、ラッシュ時でも体と体がくっつくことはまずない。そんな場合は、相手の方からも イクスキューズミー と言う声が必ず来る。ところがこの時は違った。ボクの前の降りるはずの男がデッキのところで立ち止まった!降りるのか降りないのか?気が付いた。ボクの周りだけ不自然に混んでいる。ボクの右手の男が、週刊誌のような本を不自然に水平にしている。周り4人グルのようだった。スリだ!本の上から、ノーと言いながら、ボクは叩いた。 すると、彼はなんと言ったと思います?「イクスキューズミー」 と 悪びれもせずにニヤッとしてボクの顔をのぞき込むように言った。さっきまでボクの前を塞いでいた男も、スッと引いて、 わずかにボクの降りるスペースを空けた。そして何事もなかったかのようにボクは市電を降りた。 それで事件終了。ガイドブックに載っていた スリの事例そのままだった。リスボンは、こんなに平和で、のんびりした所なんだけど、こんな事もあるのだ。実はボクはパリでもどこでもラッキーなことにスリにあったことがなかった。損害もなく、こんな経験は 今となっては、むしろ一つの思い出だ。
2007年07月26日
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リスボン熱帯植物園の次は 国会議事堂。町中に普通にあるんだから平和な国なんだろうなあ、 と思ってしまう。さて、そろそろ猥雑な雰囲気の細道に市電の道は入っていく。バイシャ地区だ。レストランの厨房が大きなガラスで外から見えるようになっている。バカリョウ という魚 この国では一番人気なんだけど、ボクには、大きな太刀魚のような魚がとてもうまそうに見えた。う~ん、今日はリスボン最後のひだから最後のディナーを楽しみたいと思っていたけど、 今も大事だ。ランチも豪勢に行くか。高級ではないけど、市民に人気らしいそのレストランに入った。席に着く前に、ウエイターに あの、あの魚が食べたいんだ と指さして教える。そして、メニューをうやうやしく持ってきてくれる。やっぱポルトガルなら、野菜のスープは欠かせない。そして、あの大きな太刀魚。今日はポルトガルご自慢のデザートも付き合ってやるか!前菜は今日も ノンオブリガード。うま~い。満足満足。窓際には素敵なお嬢様2人で遅いランチとおしゃべりを楽しんでいる。盗み撮り。隣の席にご夫婦とお母さんといった3人組が座った。食事を終えて、ボクがデザートを注文すると、「きっと全部食べられないよ。ボクが保証する。」と、英語で話しかけてきた。えっ!ポルトガルへきて、一般の人から話しかけられたのは初めてだった。「そう言うあなたは食べられるの?」と、逆質問してみた。「いや、ボクも食べられない。」甘党でないポルトガル人もここにいた。いや実際、バターたっぷりのこのデザート、日本人の男ならギブアップだろう。ボクももちろん半分も食べないうちにギブアップ。彼は、日本食に興味を持っているというのだ。通称ガリと呼ばれる、生姜を どっかの市場で買ってきて、家族の中では彼一人食べているんだそうだ。みそ汁も作るって。今 リスボンでも 寿司レストランがあって、人気だそうだ。でもとても高いので、めったに行かれないって。寿司もこんなはずれのポルトガルまで人気になっているのだ。ただビジネスから行くと、寿司種は、韓国資本に握られているそうだ。日本人の職人のいる寿司屋さんもめったにないそうだ。日本人よ!もっとガンバレ!柔道みたいにフランスのお家芸になっちゃったり寿司も韓国製の寿司に席巻されてしまうぞ!ともあれ、彼はとてもいいヤツで、写真も撮らせてもらった。「日本に来れば、もっと安い値段ですしでも日本料理でも食べられるから」「是非2-3年のうちに日本へ行ってみたい」 と意気投合した。思いもかけず、レストランでの会話は楽しかった。
2007年07月25日
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リスボンリスボンは、7つの丘の町。ゆっくり歩きが似合う町なので、全ての丘の制覇は無理だ。サン・ジョルジュ城から町中へ降りてきて、今日も市電の旅。市内まで降りてきて、28番の市電に乗った。このルートも乗ってると、車窓からの風景も楽しい。坂を登って、バイシャ地区。なかなか素敵な繁華街だ。この辺に、もう一つのケーブルカーがあるはず! あった! 帰りに乗らなくっちゃ!あの白い建物はなんだ?国会議事堂だ!熱帯植物園風の公園、教会、教会!そして終点は、花のあふれる公園墓地だ。ここが終点。なんとも魅力的な風景が続いたので、市電で戻るのが惜しくなった。なので、帰りは市電道を 結局全部歩いてしまった。白亜の教会 広い通りに出て、エストレラ大聖堂その向かいの公園は、熱帯植物園的な公園。さすがリスボン こんな公園があるくらいに1年中暖かいのだ。無料で入れる、市民憩いの公園みたいだ。ボクもベンチで一休み。公園1周はしませんでした。変なところに変な市電が停まっていた。(写真は場所が違いますが)なにかと思ったら、サイトシーイングトラムだった。多くの観光客が、カゴの鳥みたいに市電に押し込められて、公園も教会もゆっくり歩けない かわいそうに! なんて思ってしまいました。(自分だってそんなコトしてることもあるのに)メモリーが足りなくて、何気ない町の風景が写したけど消してしまい残念!(つづく)
2007年07月21日
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下谷朝顔市下谷朝顔市に、先週行ってきました。七夕と同じ日です。一連の 下町シリーズこれで終了です。近くで、渋滞に巻き込まれたりしながらも、なぜかこの 朝顔市 には行ったことがありませんでした。朝顔は こどもの頃自分で種から育てたもので 買うというのがぴんと来なかったせいです。日比谷線の入谷駅 からすぐの所です。広い車道を全部通行止めにして開催されていました。駅を降りるとゲートができていました。朝6時からやっているそうなのですが、ゆっくり出かけました。すごい人出で、 まるでどっかアジアの他の町にいるようです。朝顔にうちわ付きで売っていました。午前もゆっくりとなると、 朝顔にはちょっとツライ時間帯でした。入谷鬼子母神です。完売御礼です。 下町シリーズお付き合いありがとうございます。 リスボンの続き 再開いたします。
2007年07月16日
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かっぱ橋本通り 下町七夕祭り2007 (3)かっぱ橋本通り かっぱ橋道具街 のかっぱの由来は?かっぱ橋道具街 http://www.kappabashi.or.jp/home/history.html のHPでは 以下のように記載されていました。<合羽橋名前の由来>河童が居たから"かっぱ橋"?実は、名前の由来には2つの説があります。1つめは、金竜小学校跡地辺りにその昔伊予新谷の城主の下屋敷があり、小身の侍や足軽が内職で作った雨合羽を、天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたという、「雨合羽」説。もう1つは、お待ちかね「河童」説。曹源寺通称"かっぱ寺"に墓所がある合羽屋喜八のお話しです。今から約180年前の文化年間、合羽川太郎(本名合羽屋喜八)は、この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出して掘割工事を始めました。なかなか捗らない工事の様子を見ていた隅田川の河童達は、川太郎の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったそうです。そして、なぜか河童を見た人は運が開け、商売も繁盛したといいます。・・・さて、どちらの説がお気に召しました?ですって。かっぱ伝説の方 が なんだかイメージですね。かっぱ橋道具街には かっぱの河太郎の像ができていました。かっぱ橋本通りの 曹源寺は かっぱ寺と通称されています。かっぱ堂には かっぱの手のミイラがあると、みんなで並んで拝観します。川太郎の 工事風景です意外とかわいい かっぱの手のミイラです。全国他にも、いくつかあるみたいです。図鑑も並んでいました。 ※※「下町七夕祭り2007」 に協賛した 東京電力の「テプコ浅草館」には、下町七夕祭りの 萩原楽一による かっぱ 原画展も行われていました。かわいいかっぱたちですね。 もう20枚もあるって訳ですか。そう言えば、 今年の夏公開映画「河童のクゥと夏休み」 見てみたいです。 ET みたいな感じの 楽しそうな映画です。かわいいクゥが 七夕の短冊でさりげなく 下町七夕祭り に参加していました。
2007年07月15日
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「かっぱ橋本通り」 というのは、かっぱ橋道具街のことではありません。かっぱ橋道具街の真ん中辺を直角に貫く商店街で、東は、浅草六区近くの交番 西は、上野と入谷の間くらいの首都高速の所までの約1kmの長い商店街です。とまあ、いろいろ楽しませていただきました。(つづく)
2007年07月14日
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浅草へ行く前に、七夕最終日に寄りました。かっぱ橋本通り 下町七夕祭り2007 (1)数年前から毎年のように、お邪魔しています。平塚や仙台の大規模にはかなわないけど、数年前には細々とやっていた印象だったのが、今年は結構な人出でした。やっぱり、つくばエクスプレス・浅草ブームの一環で人気が出たのでしょうか?下町の素朴さがうれしいです。手弁当で商店街の人が利益は少なめでもてなしてくれます。この日は、体調不良だったので、缶ビール1本しか飲まなかったけど、あちこち食べ歩いて楽しかったです。(つづく)
2007年07月14日
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浅草の締めは、 蛇骨湯。 ここは知ってる人は少ないかも、つくばエクスプレスの浅草駅開業で人気のROX にも、温浴施設がありますが、あっちは高いので、こちらの 銭湯料金で入れる 温泉です。 Rox ビルの 1本手前のなんの変哲もない路地から、またも細い路地に曲がります。なので、浅草よく来る人でも知らない人の方が多い、隠れ家的な場所にある。 蛇骨湯 http://www.jakotsuyu.co.jp/ 温泉法第2条に適応する、「メタけい酸」及び「重炭酸そうだ」の天然温泉です。外観は、黒褐色澄明、微塩味無臭の通称「黒湯」と呼ばれる温泉です。 (HPより抜粋)HPには、テレ朝「ヒロシです」とか、テレビ放映されたときの内容が4つも見られておもしろいです。 午後1時からの営業です。ボクたちは夕方4時過ぎからの明るいうちから入浴です。 入湯料は、東京銭湯組合価格 430円、タオル・シャンプーのない人は、手ぶらセットで、430+150=570円サウナに入りたい人は300円プラス。(ここから先は写真を撮れません、HP参考にしてください) 浴室には、男女の浴室全体に大きく、立派な富士山のタイル画です。カランの水もお湯も、薄い黄色っぽい色。カランから出る水まで温泉成分が入っているのだ。 ガラスで仕切られた、小さな池と、屋根のある露天風呂。ここはぬるめで、ゆっくり楽しめます。ホントに小さなお庭でも、浅草の喧噪を忘れさせてくれます。浴室の奥にある浴槽も、熱すぎずちょうど良い。ジェット風呂の圧力はいくらか強めでこれまた気持ちいい。 普通の銭湯では1時間居ることはないボクだが、火照りをさましたりしながらゆっくり1時間楽しみました。 こどもの頃、銭湯の帰りにおじいちゃんに買ってもらったイチゴ牛乳を飲んで、相撲もチラッと見て 明るいうちに帰りました。(ご紹介の順番が逆になりますが、かっぱ橋本通りの七夕 に続く)
2007年07月11日
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浅草 以前と比べて、なんだか少しセンスがよくなったようです。浅草寺お参りのあとは、ぶらぶら歩きです。花やしき は古い遊園地です。今日は外から眺めるだけ。 手裏剣とかクナイとか 子供の頃あこがれた忍者用品とか、刀が。こんな場末っぽい雰囲気が今となっては懐かしい感じです。浅草寺のすぐ横のこの蔦のからまる建物は、 浅草観音温泉 です。ちょっと熱い江戸っ子用のお湯なので、今日はパス。入湯料 700円、朝10時から 早めの18時閉館です。六区へ回ります。昔、タケシが修行していた フランス座は、東洋館 となっていました。このあと、知る人ぞ知る 浅草の温泉銭湯 蛇骨湯へ行きました。
2007年07月10日
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本日7/9と7/10は 浅草ほおずき市 そして「四萬六千日」この日お参りすると、四満分の御利益があると言います。ボクは、以前にお参りしたからいいか、、、実は、フライイングで昨日ちょっとお邪魔しました。 ほおずき市 もう昨日から準備が始まっていました。実は、昨日までは 下谷朝顔市 と かっぱ橋本通りの下町七夕があったので、そのついでに寄りました。あしたまで の 四萬六千日 をとりあえずご紹介です。(元々は、7/10にお参りすると1000日参りだったのが、江戸時代のいつの日か、46000日分のお参りの価値があることになったそうです)その四萬六千日のために、ほおずき市が行われているのだそうです。 仲見世東京へ来て 東京らしいところ って、たぶん 浅草ではないとは思うけど、まあ、ちょっと異空間です。以前の 不人気だった時期を脱して、今更に人気の町になったみたいです。 たまにはいらしてください って、ボクのゆかりの所ではありませんが。
2007年07月09日
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リスボンは7つの丘と7つの坂の町と呼ばれている。人々は、坂の多い町で、たくましく生活している。ケーブルカーや坂も問題としない市電、自分の足で、坂がある生活を楽しんでいる。サン・ジョルジュ城の周りにも、多くの人が生活している。サン・ジョルジュ城 (2)幼稚園くらいのこどもたちが、社会見学しながら、追いかけっこしたり、歌を歌ったり、ほほえましい風景が見られた。いつの時代からこんな立派なお城になったかわからないが、古くはローマ時代にすでにお城として使われていた。その後、イスラム教徒(ムーア人?)に永く占領され、レコンキスタによってポルトガルに回復されたそうだ。笛吹のおじさんの 音楽を上から聴かせてもらいながら、ゆっくり景色を楽しんだ。いつものごとく、ゆっくりしてしまった。が、まだ午前中だ。これはお城のすぐ前で行われていた工事。1時間半くらいはお城の中にいたと思うが、どのくらい工事が進んだか見てみた。石畳の石は1辺8cmくらいの立方体であろうか、さっき見たときと、1列くらいしか敷き詰められていない。工事している人2人と、眺めている、いや監督(?)1人。のんびりしたものだ。帰りは自分の足で坂道を降りる。
2007年07月09日
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朝食を済ますと、まずは、このリスボンの町の丘の上の サン・ジョルジュ城 に、行きたかった。バスが連絡しているのを地図で確認した。バスの時刻を待たず自力で登ることにして、歩き出した。狭い石畳の坂を登っていると、同じ番号のミニバスが下ってくるのを見た。この坂道は、駐車車両を避けながら上下の車がゆっくり行き交う。ふと見ると、後方にバスが見えた。さあ、大変! 先ほどまでの決意はどこへやら、バス停を探してバスと競争だ。ひいこら登って、バスに抜かれずになんとかバスをキャッチ。細い道をバスは登る。観光客だけでなく地元の人も乗るバス路線だった。お城の少し手前で、バスの終点となった。おみやげ屋さんなどの連なる道を進むと、お城の入口に着いた。門を入ると、回転式のバーを押してはいる改札が。切符売り場は、門の手前のおみやげ売り場のような建物。ここのチケットも、バーコードをSUICAのような読み取り機に読ませてから、回転式のバーを手で押してはいるタイプだ。やはり、ガードマンが横で見ている。お城は、丘の上の公園のような広場になっていた。驚いたことに、日本人客がそちこちにいた。ここは有名な観光地でないし、ボクのようなお城ファンくらいしか来ないはずなのに。 なぜかと思ったが、すぐに理由がわかった。ここは、リスボンの町を見下ろす素敵な展望台なのだ。 日本人観光客の年配カップルが近くにいたのでこんにちは と 話しかけたら、変な顔されてしまった。ツアーの仲間以外と話して、なにか問題があったらと思ったのかもしれない。まあ、気にしないで、お城を楽しむことにした。 (サン・ジョルジュ城 つづく)
2007年07月08日
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翌朝も カザ・ダス・ビファーナ に行きました。お勧めがいくつもあったのに、お腹いっぱいで何も食べられなかったから。カザ・ダス・ビファーナこれが、ビファーナ うっかり写す前にかぶりついてしまいました。おいしいです。ポルトガルのハンバーガーまたはケバブってとこでしょうか?もう一つ、このお店のお勧め。アップルパイです。写真加工差し替えしましたが、おいしそうになりましたでしょうか?すみません。食べたら、丘の上の お城へ向かいます。
2007年07月07日
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リスボン、市電博物館を見て、雨の断続的に降る中をホテルに戻って休んでいた。リスボンの普通の夜雨が軽くなってきたので、夜遊びに。 いや、夕食に行きます です。ロッシオ広場裏手あたりのレストラン街をのぞいてみる。大衆的なお店ではグループ客だけで楽しんでいるし、高級そうなお店は入りたくないし、一人でレストランに行くのはあまり楽しくない。あちこちさまよっている割には、どこも気が乗らない。お得意のバーでの立ち食いかな? と、 気に入ったバーも、なぜか見あたらない。スーパーで買って、部屋で食べる?帰国まであと2晩しかないのに、 そんなこと考えたくない。困ったときのケバブ屋さん。あった!缶ビールもあったので、ここで立ち飲み食い。陽気なトルコの若者たちのお店だった。ここの隣は、小さなおみやげ風の瀬戸物を売っている。キリストと13人の使徒の 瀬戸物は、 真面目なものに混じって、よく見ると、 飲んだくれて、おどけたものも飾ってあった。こんなはしゃいだ最後の晩餐でもいいのかしら?ケバブは安くておいしいのはいいが、 今度はお腹いっぱいで、困ってしまった。このままでは帰れない。 いいバーはないか? と探し回るが、なかなか見あたらない。強い酒をクイッと飲むようなお店があったが、ボクには合いそうにない。フィゲイラ広場の裏通りをぐるっと回ったら、 立ちんぼのお姉さんに寄ってこられた。ごめんなさい。そういう気分でないもので。この辺にも、歩き方に書かれた安ホテルがあったけど、環境の点も考えて載せない方がいいのではないでしょうか?スーパーで、ミネラルウオーターとか、おみやげになりそうなチョコとかを買う。日本の情報が見たいけど、ネットカフェもこの町にはないみたいだ。※あきらめて、ホテルのあるフィゲイラ広場 に戻る。広場に面して、カフェっぽいお店が、ホテルの2-3軒隣にあった。広場にテーブル席、お店の中もテーブル席を勧められたが、ボクは、カウンターでの立ち飲みを選んだ。 「白ワインを!」お金は商品と交換で支払う。 「いてんご」 ? ??? いてんご 、、、、、※ ここでちょっとポルトガル語講座 1 ウ ンノ UM 2 ド イス DOIS 3 ト レ イス TRES 4 ク ワ トロ QUATRO 5 シィ ンコ CINCO 6 セ イス SEIS 7 セ ッチ SETE 8 オ イト OITO 9 ノ ービ NOVE 10 デーイス DEZ スペイン語やイタリア語に似た数字の数え方。 「イテンゴ」 なんてないぞ? 彼はにこにこして、 「 日本人ですか? 」 と聞いてきた。YES! と答えながら、ボクも 「ブラジル人ですか?」と聞くと SI! だったかな、 「はいそうです」 だったかな。 ちょっと待て、 いてんご って、 1.50EURO のこと?「日本語わかりません。」 とか言いながら、日本語と英語とポルトガル語の奇妙なコミュニケーションが始まった。店員が何人もいる中で、 彼は結構人気者だった。彼の受け答えの合間合間に声をかける。彼は、 大泉村にいた。 と言う。彼は、埼玉にも居た。日本にいた5ヶ月間でいろんな事をしたそうだ。たぶん、日本語にうまく適応できなくて、日本を去ったのだろう。このカフェに来て、まだ半年。ポルトガル語 は 上手だ。ブラジル人だから、当たり前か。楽しい夜になった。「彼は英語がしゃべれる」 と 紹介してくれたウエイター。でも、彼は、ボクの相手するより、さっさと、掃除に入ってしまった。近寄ったら、少しは相手してくれたが、 「掃除の邪魔するな」 と怒られてしまった。彼はオーナーだった。彼も英語はしゃべれるじゃないか! ※ ※青い鳥はすぐ近くにいた。この晩と、次の晩もファドからの帰り、 ここで飲んだ。実際は、翌朝も 朝食とコーヒーを飲みに寄ったが、彼らは居なかった。 「カザ・ダス・ビファーナ」 というのがこのお店の名前。オーナーが教えてくれた この名前の由来は ビファーナ のお店。ビファーナ って、何? 実は、煮豚のサンドイッチ なんです。店頭でぐつぐつ煮てるスープ、なんだろうか と思っていたらこれでした。この日は食べられなかったけど、翌朝食べに行きました。すごく親しくなったわけではないけど、この写真は翌晩のもの。最初は彼らは写真をいやがっていたが、オーナーが許してくれて写真に入ってくれた。オーナーの写真ピンボケで、ごめんなさい。ポルトガル人とは、もっと早く、積極的に話せばよかったな! (反省でしゅ)
2007年07月06日
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話は前後するが、エヴォラやシントラへ行く前の日に、バイシャ地区で、夕食を食べました。(写真が見つかったので、再掲します)そこにある店舗が、歩道のど真ん中にテント小屋を出店しているのです。ビールは 2.30 EUROブロセット(肉の串焼き)6.00 EURO追加でワイン 2.50 EUROポテトチップは、ナオンオブリガードだったかな? ※これは、なんだと思います?過去にはバイシャ地区と、バイオ・アルト地区を結ぶ重要な交通機関であった 、、、、 「エレベーター」です。実は、これも機能していないのです。エレベーターから、丘の上のバイオ・アルト地区を結んでいる通路が危険なので通行止めになっているのです。でも、今も運行しています。市電・バスを運行しているのと同じ会社です。この エレベーター は、観光施設として、今も観光客を楽しませてくれています。 (不思議の国、ポルトガル です)
2007年07月04日
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市電博物館 見学終了。帰り道は、時間制限もなく気楽なものだ。リスボン ホテルまでの気楽な旅ポツリ 雨が落ちてきた、ほんの少し。傘を差すほどでもない。今朝起きたときのザンザン降りを思えば、今日は信じられないほどの青空だった。まっすぐ帰らず、ちょっとだけ冒険。違う番号の 連結バスで、反対方向(ベルン地区)へ行ってみた。連結バス の 乗り心地は意外とすばらしい。新型LTRトラムと ほとんど乗った感じが変わらない。ジェロニモ修道院の近くで、 おっと、曲がって行きそうだ。あわてて降りた。そろそろ少し暗くなってきた。そろそろ戻ろう。路線地図によると、ほとんどはカイスドソドレ駅を経由している と にらんだ。番号も見ずに飛び乗った。 小さな ミステリーツアーだ。市電博物館の前を通って、「しめしめ、このバスも中心街行きだ」と思ったら、「4月25日橋」の下の交差点で、左へ曲がっていく。ありゃりゃ、そのまま北へ向かうようだ。 次のバス停、小さなバスターミナルで、あわてて降りる。多くの人と一緒に降りると、そこは、郊外電車の始発駅だった。日も暮れて暗くなったので、暗い駅舎は、うらぶれた感じだったが、リスボンの鉄道びは、お客さんはいっぱいいるのだ。軌道修正、市電の通りへ戻って、今度はちゃんと15番の市電を待つ。路線図を見たら地下鉄に乗り換えずとも、ホテルのあるフィゲイラ広場にもこのまま行かれそうだ。15番は、古いタイプの市電が来た。「こりゃ、おあつらえ向き」 と思ったが、退社時間のラッシュにはちょっと小さすぎだ。つり革にぶら下がりながら、車窓の外へ。そのまままっすぐかと思ったら、市電は、路地を直角に曲がって坂をぐんぐん登っていく。丘の上は、バイオ・アルト地区 というリスボンのもう1つの繁華街だった。雨は断続的に降り窓も少し曇って、狭い市電の中は決して快適ではない。時々曲がって、こんどは 坂を下って、またも路地を走る。広場は見あたらないけど、この辺は、ロッシオあたりかな(?)と見当を付ける。やがて、広い広場に出た。こんどこそロッシオかなと思った。ここまで来れば、たぶん歩いて帰れる。そこで飛び降りた。その広い広場は、ロッシオでなくフィゲイラ広場でもなく、 コメルコ広場だった。5階建てよりも大きい、すばらしい門のような建物がある。この素晴らしさは、なかなか写真ではあらわせそうにない。夜景の風景はうまく撮れない。また次の日に行こうと思いながら時間が取れなかった。残念!雨が大粒になってきた。コメルコ広場だとわかれば、この後ろは、碁盤の目のような有名な ショッピング地域、バイシャ地区だ。たしか、この バイシャ地区を 突き抜ければフィゲイラ広場にたどり着く。ボクは、お店の軒先を 駆け走った。傘を差していても、石畳からの跳ね上がる雨粒。(傘を持っていなかった、頭だけパンフレットで濡れないようにして)よく見ると、ボク以外にあせって走る人はいない。みんな雨宿りしている。ボクも走るのをやめて、ウィンドウショッピング。雨の中、傘差して歩いている人も少ない。お店に入ったりしているうちに雨は小粒になった。今のうちにホテルへ戻ろう。フィゲイラ広場では、大音響と大きな液晶スクリーンが。大型トラックに、大型スクリーンが載ったデモンストレーションだが、意味は わからなかった。ホテルへ3日ぶりに戻った。フロントには、先日の若い男でなく、おじいちゃんがいた。「3日前に、予約していた者だ」 というと、ノートを開いて確認してくれた。 「荷物も預けてある」 と言ったが、預かり証だけでなく、用心して、どこへ預けたか? とちゃんと確認してくれた。部屋は、前回の広場側でなく、裏通り側でちょっと残念。
2007年07月02日
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リスボン市電博物館 (3) (Museu da Carris)「どうぞ降りて、あちらへどうぞ!」赤い市電から降りて、歩いて、車庫へ向かう。振り返ると、運転手さんは、市電のポールを、ひもで引っ張って、架線からはずし、ポールの向きを変えていた。車庫の中は展示スペースだ。2階建てバスと市電でいっぱい。片っ端から写真を撮る。年代物の市電ばっか。惜しむらくは近くにぎっしり置かれているので、1台1台を写しにくいこと。運転手さんは、いつのまにか車庫の入口のイスに腰掛けていた。ボクは気にせずに1台ずつ写真に収める。まあ、だいたい撮ったかな?出口は?運転手さんの居るところかな?運転手さんはおもむろに立ち上がると、ボクの前を歩き出す。先ほどの赤い市電の前で立ち止まり、「どうぞ!」なんと、赤い市電で、帰りも送ってくれるんだって!ボク一人のために、なんとも手厚いおもてなしだ。赤い市電は、大回りして古いバスの前を通って、守衛所の前まで、どうぞ!ビックリするくらいのおもてなし。(今も使われている市電の車庫まで、もっと乗っていたかったけど、)オブリガード! ※ 実は、この市電送り迎えは、ボクだけの特別サービスでなく、通常のサービスのようだ。もらったパンフレットを後で読むと、 1切符売り場 2展示場 3トラムツアー 4展示場 と地図の所で 紹介されていたのだ。閉館ぎりぎりとか人が多すぎなければ、全員この古いトラムに乗れます。もし、リスボンに行ったら、是非寄ってみてください。
2007年06月27日
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リスボン市電博物館 (2) (Museu da Carris)屋内展示の狭いスペースをゆっくりみていると、黒人の女性係員が、近くまで来てボクを眺めている。「閉館時間? それとも写真を撮ってはいけないの?」 と、いぶかしく思った。後ろからジッと見られることほど気持ちの悪いものはない。まだ16時前のはずだが、ボクしか居ないから早じまいの準備なのだろうか?と、不承不承、出口へ。すると、女性は、ドアを開けてくれようとしながら、 「ちょっとここで止まって!」 ???ドアを出たところで制止する。1分くらいしたであろうか? 赤い電車が近づいてくる。一本ポールの相当古い市電だ。 と、 我々の数m先に停車。よく見ると運転手は、 あの、 駅長さん風のおじさん。「どうぞ、乗って!」 と手招き。女性も今頃になって、笑顔を見せ、 乗った乗った! て感じだ。この車両の座席は、京急の2100系のように 座席の背がぱたんと倒れて進行方向に向いて座れるタイプ。(自動式ではなく、手動、簡単に倒れてしまう)乗客はボク一人。早速走り出す。ボク一人のために、1台の市電が走ってくれているのだ。感激!座ってなんかいられない。前行ったり後ろ行ったり。少し走ったところで停車。運転手さんが手に鉄の棒を持って、市電から降りる。線路に引っかけて、 「あっ! ポイント切り替えだ!」そこは線路の分岐点だった。ポイントを切り替えて、市電はもう少し違う方向へ走り出す。 そろそろ終点? 降りようとしたらまたも制止される。目の前に溝があって、そこには、直角に線路が敷いてある。 溝の先は、車庫のようだ。すると、右手の方から、市電が、横腹を見せながら横に移動してくる。鉄道ファンなら知ってるとは思うけど、コレは何て言うのかな? 転車台でもないし、、あっちの線路からこっちの線路に移動させるもの。目の前近くまで、もう1台のベネトンデザインの市電が移動して停まった。そこでショーはおしまい。「どうぞ降りてあちらへどうぞ!」(てっきり、この赤い市電も横移動してくれるものと思ってましたよ!)ボクは、そこから車庫へ向かい、振り返ると、運転手さんは?なんと、市電のポールを、ひもで引っ張って架線からはずして、ぐるっと引っ張ってポールの向きを変えていた。古い市電の楽しさを余すことなく見せてくれたのだ。 (市電博物館 車庫内へ 続く)
2007年06月26日
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リスボン・セッテリオスから、おいしく昼食をとって、地下鉄の駅プラサデ・イスパンニャから、再スタート。市電博物館 (Museu da Carris)行き先は?初日に見つけた 市電博物館 (Museu da Carris)急がないと入場時間が終わってしまう。地下鉄でカイスド・ソドレへ、そして市電の15番で、「4月25日橋」まで。下見をしてあるので、問題なく到着。ホントに、「4月25日橋」の真下だ。広い門があって、中央に守衛所、右手に博物館だ。さらに右手に市電の車庫。守衛さんが居るのに、勝手に入ってはいけないだろう。守衛さんに声をかける。「博物館に行きたい」と言うと、「左のオフィスに行け」と言う。(博物館は右手に見えるのに!)(写真は4月25日橋と、その真下の左手にあるオフィス)まずは、オフィスへ。そこは、オフィスに見える。長方形の部屋に、大きなデスクが2つ、それぞれに1人ずつがなにか業務をやっている。 定期券売り場? なんだか、場違いの所に来てしまったような気がしたが、「博物館の切符が欲しい」 と言うと、おもむろに、手を休めて、 次の瞬間、コンピューターを打ち出し、レシートをよこして、「2.50EUROだ」 と言う。2.50EURO支払って、レシートと、しおりをもらった。なんともお役所仕事だ。場所も念のため確認。 やはり右手の建物だった。守衛さんに会釈して、博物館へ。入口に、邪魔に仕事用のデスクを置いて、黒人女性がレシートを確認。その脇に駅長さん風の でぶった男が立っていた。(失礼!)どうぞ! と通してくれたが、展示室は、わずかなスペースだ。切符とか写真とかをゆっくり眺める。実写展示は見られるにしてもこれは貧弱かな?と思いつつ、ゆっくり古い切符などを眺めていると、駅長さん風の男が、後ろを通り過ぎて、裏のドアから出ていった。少しして、今度は、黒人の女性がボクの所を遠目に眺めている。「閉館時間なのだろうか? それとも写真を撮ろうとしたら注意しようとしているのか?」といぶかしく思った。ところがこれはとんでもない誤解で、むしろ歓迎の準備だった。
2007年06月25日
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楽しかったシントラ観光を終えて、電車でリスボン・セッテリオス駅到着。セッテリオスに近い地下鉄駅を聞く。なかなか親切なポルトガル人に出会わない。午後2時半、ボクには急がなくてはいけない理由があった。見当付けた出口方向に進みながら、道を聞く。ホントに知らないのか、英語はいやなのか?都会人は嫌いだ!駅の出口を出て聞くと、「その先だ!」 といつもの親切なポルトガル人に出会った。 地下鉄と他の鉄道との乗換は意外に考えられていない。少し先まで歩いて、地下鉄の入口を見つけた。その前に、バーがあった。飲み物、いや、なにか食べ物を買いたい。考えてみれば、朝は菓子パン、お昼はお菓子しか食べていない。店に入ると、小柄なおばちゃんがガラスのカウンターの上のお皿で、立ったままおいしそうなものを食べている。冷蔵庫からコーラのびんを取り出してから、そのお皿を指さして、「それが食べたい」と言った。「パンは?」「ナオン・オブリガード」「どこで食べる?」 とポルトガル語とジェスチャーで聞いてくる。軟弱もののボクは、そこのテーブルを指して座った。ちゃんと温めて出してくれた。ポークの野菜たっぷりシチューはおいしかった。食べ終わって、会計しようとすると、まあ待て! の制止。やはり、コーヒーとデザートのお勧めだ。ボクには時間がない。いつもなら飲むおいしいエスプレッソもお断りして会計完了。
2007年06月24日
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