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2019.12.04
シュタイナーの世界観
カテゴリ:
表沙汰
シュタイナーよりも100年ちょいか前、あれはまだ量子力学とか、超弦理論とかそういう話がまだ少しもない時代、いわば、アトムすなわち原子が、ほんとうにそのギリシャ語の意味「ア・トモス=切ることができない」という意味そのものを表していて、今みたいに結局原子を切ると、中により小さい原子核だの中性子だのさらにクォークだの超ひもだのといくらでも「原子を分割することができる」わけでもなかったあの時代。あの頃にあったものの考え方として、「精神から物質が生まれた」という考えがある。
我々は総じて過去を見下しがちで、過去に対して五感的記憶喪失になった頃に「昔はよかった」、はたまた「昔もっと勉強しておけばよかった!」なんて無根拠なことを言いたがるものである。私のように、過去のトラウマを決して忘れない根に持つその根が深すぎる人間は、いつまでも過去のことを覚えているせいと、まあ実際結果的には勉強はしたので、そのような気持ちになかなかなれないのだけれど。
それはさても、やはり「精神から物質が生まれた」というと、啓蒙主義者以降の支配からいまだ抜けられない「現代常識」という形のない非存在と言えるものの集合体は、その言葉に彼らが頑張って打ち倒して息の根を止めたはずの「有神論」の気配を感じ取ってしまい、相手のアンチになるまでもなくそれを門前払いするものである。
しかしそこには、実際現代のそういった量子力学の世界と別に何か激しく対立する愚かさがあるわけでもない。私たちの現代は、むしろ世界がプログラムでできていると、むしろとても思いやすい時期にあると思う。世界はプログラムであると言えば、「プログラムしたのは神だ!」という発想に結びつきさえしなければ、コンピューターという非宗教的な言葉の響きに啓蒙主義者たちの精神的子孫である啓蒙主義主義者たちもある程度はいいねと言うかもしれない。
ともかく、世界には物理法則があり、それはプログラムのようなものだとしか言えないのは事実である。実際、物理法則なんてなくたって良いのだが、そのように「あらかじめ書き込まれている(ギリシャ語で、プロ・グラム)」のである。そして、物質を物質たるものは、物理法則に他ならない。物質とは、物理法則というプログラムによって成立しているものなのである。
では、そのような「物理法則」のない世界が、この世のどこかにあるだろうか。「この世」の範囲にもよるが、それはない、というと、皆は大喜びである。常識が守れるからである。
とはいえ、間違いではない。現代において、「物理法則」とされているもののなかに間違ったものもあるだろうし、逆に「物理法則に反している」と思われているもののなかに、実は正しいものがあるってことだって考えられる。それは大前提です。だからその度に常識は変わってしまいますが。
ではそのプログラムとはなんだろう。すなわちそれは「制限」である。物理法則というのは、つまり制限である。この事物は、こういう動きしかできない、という「制限」である。
物質に硬さがあるのは「不可能性」があるからで。まあミクロの世界でもそのイメージが通用するんじゃないかとは思うのですが、何か存在に対して、指でつついた時、その対象がつつかれた場所がへこんでしまう。それもまた物理法則にすぎないですが、そういう可能性が排除されるとものは「硬さ」を持つ。そうして同時に、ものごとはすべて「硬さ」を増していく。
これすなわち、想像すなわち「精神」でできること、そして「物理法則」のある「物質」あるいは「現実」でできること、とがあるということでもある。その上で「精神」から「物質」が生まれたのである。
それはつまり「精神」が自分に自己催眠的なプログラムを組むのである。「鉄の塊を指でつついた時、鉄はへこまない。鉄のほうが強く硬いから。」もっとミクロな世界の物理法則では、もっと複雑なことが起きていて、それが累乗的に波状的に複雑に混ざり合い、その鉄の塊に対するアクションの物理法則の現象をつくりだす。ミクロの視点で言えば、そのように「鉄の塊を指でつついた時へこまない」という原子配列だか質量計算的だか知らないがそのようになれるプログラムを組み、ミクロの世界とマクロの世界で同時にその現象が成立するのである。
ミクロの世界の原子がどうという現象とマクロの世界の「鉄が指でへこまない」という現象が同時に発生するわけなので、ミクロコスモスとマクロコスモスの一致でもある。
そこからは同じく、この「私たちの指によって鉄がへこまない」というのがむしろミクロコスモスで、人間の大きさがその者にとって原子あるいはそれ以下にすぎないような、もっと巨大な存在の世界において、そこで同時に何か現象がマクロコスモス世界での現象として発生しているとも言える。そのようなミクロコスモスとマクロコスモスの一致でもある。
何か存在が「精神」の状態にあると、想像の世界で素材さえあれば基本何でもできるように、現象および経験としてはそこでは完全に自由、何でもできるのである。ある意味では、素材がなければ何もできないので自由というべきかわからないが、ともかく「物理法則」を無視できるのが「精神」の本質である。それに対して、「現実」あるいは「物質性」では、「物理法則」のプログラムあるいはルールが適応される。「自由=精神の状態」に「制限=物理法則」を設けて「硬さ=物質」をつくるという図式のなかで、物理法則が先にあってそこから
「ナゼか」(これを唯物論者は決して問おうとはしない)
制限から自由が生まれたという考えか対して、精神が先にプログラムを組んでいるという観点が「精神から物質が生まれた」である。
これはニワトリが先か、卵が先か、の議論だろうか。「自由」か「物理法則」どちらが先に「物理法則」というプログラムを組んだか、がその違いである。自由(全てであるためすなわち無でもある)の中で、自由が扱える「素材(化学反応)」欲しさに自分の本質を制限する「物理法則」を生み出すのはわかる。例えば、人間の視界は目に入るもの全部見ていたら風景にならないから。
それに対し、先に物理法則が存在しているなら、なぜ同じものをもう一度欲しがるというのだろう?というか、制限されているから、そもそも同じものを作り出せないだろう。
仮に作り出すとして、自分がすでにいて、自分をつくるか、異性をつくるか、どちらを選ぶか、ずっと0進数のままでいるか、1進数の世界に飛び出してみるか。どちらが自然な欲求だろう。私たちひとりひとりのなかにも、この原理が働いている。そうでなければ、成長などしない。
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最終更新日 2019.12.04 12:35:39
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