まぐ ? まぐ ~ 不妊治療 もう一つの選択 特別養子縁組 ~

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不妊治療(3)

子ども(養子を迎えるまで)~不妊治療 ~ (3)


どきどきの腹腔鏡手術(ラバロ

腹腔鏡手術をすることになった。
手術前日から入院して
手術当日翌日そして翌々日には退院するという日程だった。

手術前日から手術に向けて腸内洗浄のために
下剤を飲む うえええ(><)
夜ご飯もなし。
生まれてこの方一度も入院なんてしたことないので
慣れないベッドも緊張する。
寝付けない、、、どきどき

手術当日 朝毛をそられる(><=)いやん
そんで有り得ない量の浣腸もされる。
前日から下剤飲んでてもうこれ以上は何も出ないよ~
無理!無理!ってな感じ。
旦那は当日会社で手術時間には間に合わないけど
終わる頃には様子を見にくると言ってくれてた。
昼過ぎ まぐさーん手術ですよ~と担架が運ばれてきて
乗せられる。
いよいよか!!
点滴を付けられて 
「はい麻酔が入ります数を数えてくださいね」と言われ
麻酔注入。
「1、、、、」
こっから先覚えてないです(--=)
一数えて意識なくなりました。

次に気がついたのは ベッドに戻され
気管につけていた管が抜かれるときだった。
終わったんだ~
ふと横をみるといも(旦那)もいる。
いつの間にか2~3時間過ぎてたのだ。

後で聞いた話だけど
いも(旦那)は昔から顎のラインが
はっきりしない顔をしているのだが
手術が終わり戻ってきた私は
「いもの顎がないよ~顎がないよ~うわーん うわわぁん」と
大声でうなされていたらしい。
看護婦と医者はチラっといもの顎を見る、、、ぷぷ
殺す!といもは思ったらしい(--;)
わざとじゃないって!!!

翌日検査結果を聞く。
2年前に両方きれいに通ってたはずの卵管だったが
右側は詰まっていたらしい。
でもそれ以外は内膜症も癒着もなく
異常なし、、ということだった。

これ!といった決定的な原因が私にもいも(旦那)にもない。
じゃあなんで妊娠できないんだろう、、

5度目の体外受精(顕微授精)計画

ラバロが終わり 体を少し休ませてから
次の体外受精の相談を先生とした。
5日目の胚盤胞を目指したい。
培養液を変えてみた。
誘発方法を今までのアゴニストからアンタゴニストにする。
今でこそアンタゴを使う病院も増えてるのかもしれないけど
このときはまだアンタゴは日本では未承認薬で
先生にお願いしてアメリカから取り寄せてもらった。
もし5日目の胚盤胞ができたら前に凍結しておいた
卵とで2段階移植する。
今やれるだけのことを全部試してみようということになった。

5度目の挑戦

5度目の挑戦がはじまった。
新しい薬を使い痛い注射にも耐えて
14個の卵が採れた。9個受精。
全部長期培養をお願いした。

どきどきの5日目 胚盤胞が2つできていた(><=)
うおおおおおおお!!
嬉しい!すごく嬉しい!!
夢の5日目胚盤胞。
これが移植できれば今までのどの挑戦のときより
妊娠できる確率が高いのだ。
培養士さんと抱き合って喜んだ!!(^^=)嬉しい!!

この月にすぐに戻すことはやめて
凍結して3ヶ月体を休ませて
万全の状態で胚移植することにした。
今までフレッシュ胚で戻すようにしていたけど
採卵した直後は薬でホルモン値が異常になってることが
多く、
それよりは少し時間をあけたほうがいいということになったのだ。

それからの3ヶ月は楽しかった。
夢の5日目胚盤胞がある♪それだけで気持ちは楽だし
ウキウキしていた。
そして移植日が近づいてくると 今度はだんだん怖くなってきた。
なんだか移植したくない気持ちになってきたのだ。
移植してまた陰性だったら
また一からやり直し、、、(><)夢の胚盤胞も水の泡。
このショックに耐えられるか不安。
ストックがあってウキウキしている今のままがいいような気さえしてくる。
でも移植しなければいつまでたっても妊娠できないのだ。
覚悟をきめて移植することにした。

移植は前に凍結していた分割卵を3日目に戻し
そして5日目に二つ胚盤胞を戻した。

この回のときから通っていた病院が建て変わり
設備も新しくなって
移植する卵の写真ももらえるようになった。

きれいな胚盤胞、、、これ私達の子供なんだと
感激する。

やるだけのこと全部やってそして結果を待った。

判定、、、陰性。


不妊仲間

私には治療の間 ネットの掲示板やHPなどを通じ て
沢山の不妊仲間がいました。
お互いの治療を慰めあったり情報交換したり、
その存在にはどれだけ救われたか。
でも反対に一人また一人と卒業(妊娠)していく仲間を
笑顔がひきつりながらも見送ることにもなりました。

治療が終わる頃あれだけ沢山いた不妊仲間も
治療を始めた当初から交流のある仲間は
最後の一人になっていました。
彼女とは本当にお互い慰めあってきて、大切な友人となっていました。
私が最後と決めていた治療と彼女の凍結卵移植の時期が奇しくも同じで、
彼女ももしかしたらこれが最後かもしれないと言っていました。

彼女は3つの胚盤胞を戻し、最後の最後に双子を授かることができました。

その妊娠がわかったとき、私は撃沈していて、
彼女は私になかなか事実を伝えられないでいました。
なので私から電話しました。

「よかったね おめでとう ずっと友達でいよう」

今まで沢山の仲間に同じ台詞を言ってきましたが、
彼女には本当に本当に心の底からおめでとうと思いました。

私もそんなに心が広い人間ではないので、
見送った仲間の中には 素直な気持ちになれないときもあったんです(><)

最初から一緒に苦労した仲間。
その最後の一人を気持ちよく見送ることができました。
よかった、、、。

治療終了を決断する。

がんばった治療 はここで終了することにした。
やるだけのことをやったので
ある意味すがすがしい気持ちにさえなった。
先生は「これだけやってダメとなると原因がないのではなく
原因があるのだけど今の技術で見つけてあげられないと
言ったほうがいい、、ごめんね」と言われた。
いえいえ ありがとうございます。
今までがんばってこれたのは
先生が精一杯努力してくださったからです。
一緒にがんばってくださったからです。
本当に感謝しています。
だからこそ私達は気持ちよく治療を終了させることができるのです。

こうして治療を終了し
前々から考えていた「養子」という選択に向け
新たなステップを踏むことになった。




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