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颯HAYATE★我儘のべる
雨が止まない 8
わざわざ東京から出てくるのは大変だったが、牧野に会うためなら仕方がない。
むしろ、海外でも地球の果てだったとしても俺は行くに違いない。
仲居に名前を告げると、すでに牧野は待っているとのことだった。
女将みずからの案内でアイツの待つ部屋へと向かう。
俺の鼓動はこれ以上はないというほど高鳴っていた―――――。
もしかしたら、このまま止まってしまうんじゃないか?
「お連れ様がいらっしゃいました。」
女将の声にハッとして現実に戻った。 開けられた部屋の中に牧野の姿が見える。
「牧野・・・」
俺が一歩踏み出したとき、男の声がした。 鷹野颯介がいる。
二人きりじゃなかったのか・・・?
「やあ、道明寺くん。 どうぞ、入ってくれ。」
颯介に促され、俺は無言で部屋へと入った。牧野は俯き、まだ俺をみない。
牧野・・・お前の顔が見たい・・・
女将はそのまま頭を下げると、部屋を後にした。
三人だけになると密室は・・・急に温度が下がったような気がした。
「・・・あなたもいるとは思いませんでした。」
正直な言葉に颯介は笑った。
「つくしが、君と会う場所を相談してきたのでね、俺も京都に用事があったから、ここを薦めたんだ。
俺が今ここにいるのは誤解をさけるためだ。 俺も君も不本意ではあるが有名人だ。
マスコミというのは恐ろしいからね。 どこでどう捻じ曲げた情報を公表するかわからない。
君とつくしが二人きりで会えば、不倫だの密会だのと騒がれるだろう?
それは避けたい。だから俺は今ここにいるんだ。
・・・そんな嫌そうな顔をするな。 俺はもうすぐ仕事だ。
しばらくすれば俺は出て行く、二人でゆっくりと話しあってくれ。
それまでくらい、辛抱できるだろう? 道明寺くん」
颯介の言うことはもっともだった。 それに気がつくのが悔しかった。
俺は・・・この男に敵わない・・・
それを認めることはできない。
「・・・わかりました。ありがとうございます。」
歯を食いしばって声をだした。
颯介はあまりにも感情が顔に出ている司に苦笑した。
ありがとう、と言いながらも顔はこわばり、目は俺を睨みつけている。
まだまだ子供だな・・・それが颯介の司に対する感想だった。
しばらく、三人で食事をしながら他愛もない話をしていた。
颯介は腕時計に目をやり、片膝を立てた。 仕事に行く時間が来たのだろう。
「時間だ。 つくし、一人で来られるか?」
「大丈夫。 地図もあるし・・・タクシーを呼んでもらうから。」
「電話しろ、車をまわさせる。」
「・・・遅くなったときはそうする。」
「わかった。 じゃあ・・・道明寺くん、後悔のないように。
つくし、君も後悔のないようにしっかりと話をしなさい。 じゃあな、行って来る。」
颯介はそう言って、部屋を出て行った。
司は颯介が何度も「つくし」と呼ぶことに激しい嫉妬を覚えていた。
本当なら颯介の立場にいるべき人間は俺だったのだと、怒りもあった。
最初に口を開いたのは彼女だった。
俺は二人きりになった途端、アイツの顔を見ることができなくなった。
あんなに会いたくて、会いたくて・・・たまらなかった女が目の前にいるのに。
のどから手が出るほど欲している女が目の前にいるのに・・・俺は動くことも言葉を発することもできなかった。
これは・・・いったいなんだ?
俺はいつだって自分の気持ちに正直に生きていたはずだ。
いつだって自分に自信を持っていたはずだ。
それなのに・・・今の俺はいったいなんだ!?
「道明寺・・・この間、滋さんが来たの。」
滋? 滋が牧野に会いに行った・・・。
俺が離婚をしようとしている時だ、牧野に会う理由は決まっている。
俺と牧野を引き離そうとしている・・・そう考えると怒りが全身を駆け巡った。
「アイツが・・・来ただと!? 信じられねぇ!! よくお前の前に顔を出せたもんだな!
滋のヤツ・・・ぶっ殺してやる!!!!」
「道明寺・・・」
つくしは司のあまりの怒りように驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻し、司を宥めた。
「落ち着いてくれない? 滋さんは・・・アンタとの生活を大事にしたいだけよ。
本当に、アンタを愛しているんだと思うよ・・・」
この言葉は火に油だったかもしれない。 つくしはすぐにそれに気がついた。
彼は、まだ私を愛していると思っている。 そして引き離した張本人を滋さんだと考えている節がある。
そこにこの言葉は間違いでしかないだろう。
「俺を愛している? アイツが愛しているのは自分だろう!?
俺が・・・ずっと、ずっと牧野を愛していることを知りながら、記憶喪失を利用して結婚したんだからな!
俺は友人として滋を好きだったさ、その信頼をアイツは裏切ったんだ!!
本当の友が俺を裏切るなんてありえねぇだろうが!!」
司の叫びはまるで自分を見ているかのようだった。
事実、彼の滋さんの婚約を知った時・・・そう、あの新聞記事を見たときに感じた気持ちそのままだった。
「そうよ、ありえない。 私も・・・アンタと滋さんが婚約発表したときに、そう思った。
友達に裏切られたってね。 滋さんはアンタだけじゃない、私の気持ちも知っていたんだよ?
私だって同じように感じた。 裏切られた・・・って。
でもね・・・私を裏切ったのは滋さんだけじゃない。」
つくしはここで一旦、言葉を切った。そして、大きく深呼吸をした。
司はただ黙ってつくしを見つめ、続く言葉を待っていた。
―――――道明寺は・・私が何を言おうとしているかわかっている―――――
「道明寺、アンタだって私を裏切った。」
司はつくしの次の言葉をわかっていた。 だからそれを発せられても動揺しなかった。
俺自身、彼女を裏切ったという自覚があり、罪悪感もあったからだ。
でも、それでも・・・俺は言いたかった。 何度でも同じ言葉を繰りかえす。
「俺は・・・わからなかったんだ。 記憶を失くしていたんだから・・・」
類には言い訳だと何度も言われた。 だけど俺にはそれしか言いようがなかった。
俺は最愛の女を忘れ、そして捨てたのだから・・・。
「5年前から俺はお前を忘れていたんだ・・・それは、俺の本意じゃない!!」
そうだ、忘れたくて忘れたわけじゃない。
医者だって言っていたじゃないか、強く考えすぎた結果だと・・・。
「―――――道明寺」
一瞬の間が俺を凍りつかせる。 その間に彼女が考えていることは何だろう?
ああ、考えが読めたらどんなにいいだろう。
俺は自信を失い、言い訳ばかりする情けない男に成り下がってしまった。
「道明寺、アンタが記憶を失った理由は私も医者に聞いて知っているよ。
ねえ、アンタの婚約の記事を見てから・・ずっと私が考えていたことを教えてあげる。
それはね、強く考えすぎた結果、その人のことだけを忘れるなんてありえるのか?ってことよ。」
司はその言葉の意味を理解できなかった。
「アンタが婚約発表するまでは、そんなこと考えても見なかった。 それも不思議だけどね。
滋さんとの婚約の記事を見て、アンタのことは忘れなくちゃいけない、もう終わったんだって思った。
はっきり言って、いつかは思い出してくれるって期待していたから・・・、泣いたし、傷つきもした。
だけど、しばらくして考えはじめたの。 強く思いすぎた、考えすぎたから記憶を失くすなんておかしいって。
普通に考えたら、強く思ったなら私だけを覚えていてくれるんじゃないかって。
他のすべてを忘れても・・・私だけは覚えていてくれるんじゃないかって・・・そう思った。」
話すうちに彼女の声が掠れていることに気がついた。 俯いた顔から煌めく雫が落ちていた。
「――――牧野」
俺に何が言えるだろう。 何を言っても―――――同じことだ。
どう言おうと牧野だけを忘れてしまったという事実は変わらないのだから。
「ねえ、強く思っているのに・・・忘れてしまうなんて、あるの!?」
牧野の心の叫びだと思った。 俺はどれだけ彼女を傷つけたのだろう。
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