颯HAYATE★我儘のべる

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雨が止まない 16



ぼうっとしていた頭に妻の声が聞こえた。

「気がついた? もう意識はハッキリしてる?」

「―――ああ、すまん。 心配かけたな。」

「ううん、それにしてもビックリしたよ。」

つくしは気丈にしていた。 数日間のことはハッキリしないが、まったく意識がなかったわけじゃない。

薬のせいで朦朧としていただけで、この部屋で交わされた会話は多少、記憶に残っている。

だから――――精密検査を受けたことも知っている。

つまり、彼女は俺が癌だということを知っているということだ。

彼女はどうするだろうか。 俺に隠すのか、告知するのか。

俺は―――たぶん・・・・

「ねえ、颯介さん、具合・・・ずっと悪かったのよね? なぜ言ってくれなかったの?」

「―――子供もできたし、お前に心配をかけたくなかったんだ。 赤ん坊に悪い気がした。」

俺はこの期に及んでも正直に打ち明けることができなかった。

俺は癌だ、プロポーズをする前からわかっていた、と・・・。

「颯介さん、あの・・・颯介さんが寝ている間に検査をしたの。 結果が・・・昨日わかって、その・・・」

「ああ」

「それで・・・」

つくしはそこで言いよどんだ。 俺に言いにくい気持ちは理解できた。

当然のことだ、誰が面と向かって『あなたの命はあとわずかです』なんて言いたいだろうか。

俺はこれ以上、彼女を苦しめることはできなかった。 目を閉じ、勇気を振り絞る。

彼女が真実にどう反応するのか・・・。

「―――――癌、だったろ?」

彼女が大きく目を見開くのが気配でわかった。

「ど、どうして・・・」

「―――――知っていたからだ。」

さらに彼女が目を見開く。 これ以上はないくらいに絶句した彼女の顔は俺に説明を求めていた。

当然のことだと思ったが、それでも俺は、できることなら言いたくなかった。

彼女の愛情を疑っているわけじゃない、だけど道明寺が記憶を取り戻し、まだ彼女を愛しているという事実が俺の勇気を奪う。

俺が死ぬとわかれば、彼女は俺を捨ててアイツの元へ行ってしまう気がした。

そんな女じゃないとわかっているのに、不安でしようがなかった。

「お前にプロポーズしたときから癌だとわかっていたんだ。」

「―――う、そ・・・」

「本当だ」

彼女の顔をまともに見ることができず、俺は目を閉じて、ゆっくりと話はじめた。

彼女は口を挟むことなく、静かに俺の話を聞いていた。





話終えても彼女は何も言わなかった。 俺はただ、目を閉じたまま彼女の言葉を待った。

「――――そんなに前から知っていたの?」

どっちのことを言っているのだろうか。病気のことか、それとも彼女の存在を知っていたことか?

「そんなに前から・・・一人で闘っていたの?」

闘って、というからには病気のことだろう。 俺はゆっくりと目を開けて彼女を見た。

まさか泣いているとは思ってもみなかった。 怒りの涙か、同情の涙か―――――。

「すまん・・・自分が酷い人間だとわかっている。

でも、どうしてもお前と一緒にいたかったんだ・・・」

「―――それはいいの。私も颯介さんに救われたんだから。

私に黙って結婚したとか、そんなことはどうでもいいの。

でも、どうして結婚してからも何も言ってくれなかったの?

結婚を決めたときには、もう颯介さんを愛しているって気がついていたでしょう?

どうして一緒に――― 一緒に闘わせてくれなかったの?」

「愛してくれているのはわかっていた。でも道明寺の記憶が戻ったことで、いつ気持ちが戻るかわからなかったんだ。

俺は―――臆病者なんだよ。」

俺は自嘲気味に笑った。彼女はそんな俺を涙で潤んだ目で見つめていた。

同情はいらない、ただずっと俺のそばにいてくれればそれでいい―――――

「俺は臆病で、卑怯な人間だ。それを知っても俺のそばにいてくれるか?」

「―――当たり前でしょう? 颯介さん、私はキチンと颯介さんを愛して結婚したんだよ。

決して誰かの代わりじゃないの。 それはわかってね。

私はいつも人に頼られて生きてきた。両親、そして弟・・・。

人を頼ったことなんてなかった。

でも、颯介さんに会って初めて人に頼るってことを覚えた。

私も卑怯なんだよ、颯介さんとの幸せを壊したくて自分のことばかり考えていた。

颯介さんの一番身近にいたのに、体調の悪さにまったく気がつかなかった。―――ゴメン。」

まさか謝られるとは思ってもみなかった。

でも、彼女が俺のそばにいてくれることは間違いない。 それはこれからの俺の闘う力。

「颯介さん? 諦めてないでしょうね!? 絶対に死んだらダメだよ。

子供が生まれるんだよ、私一人に生ませて、育てさせるつもりじゃないよね?

赤ちゃんには父親が必要だよ!! 絶対に死なせないからね!!」

俺はこんなときだが、顔がほころぶのを止められなかった。

彼女はどこまでも「つくし」だった。

俺がずっと恋焦がれ、そして見つめ続けた彼女が目の前にいた。

「――――つくし、ありがとう。 愛してる・・・、絶対に死なない。死ぬもんか!」

俺がそう言うと、彼女の顔にホッとしたような笑みが浮かんだ。





鷹野颯介が癌だという情報はすぐに耳に入ってきた。

癌というと、どうしても不治の病というイメージがある。当然、その先にあるのは死だ―――――。

早期発見なら大丈夫とはいえ、運良く早期発見でき、治癒するのは癌患者の割合的には少ないだろう。

司は複雑な想いだった。

卑怯と言われても、心の片隅に嬉しい気持ちがあった。

もしも――――颯介がいなかったら、と嫌でも考えてしまう。

そんな自分が嫌で何度も戒めるのだが、どうしてもその思いが消えてなくならない。

「どこまで・・・どこまで俺は最低なんだ? 卑劣で狭量だ。

これじゃ、アイツが俺を自己中心的だと言っていたのも当然だ。」

本来なら、つくしのことを考えるべきなのだろう。

初めての子を妊娠し、ただでなくても不安だというのに、夫は闘病生活に入る。

さらに不安が重なるのだ、身体に異常をきたすかもしれない。

それなのに・・・俺は颯介がいなくなれば、アイツが俺の元に戻るのではないかと考えている。

つくしの苦しみや悲しみを何も考えていない、それが自分でもよくわかった。

司は・・・自分を顧みて呆れ果てていた。

自分に嫌気がさしていた。どこまで俺は落ちぶれたのだろうか・・・。





つくしは自分を責めていた。

颯介の身体は随分痩せていた。 それなのに自分は何も気がつかなかったという事実に愕然としていた。

彼が気づかれないようにしていたとはいえ、彼に触れ、一緒に寝てもいたのに・・・。

痩せたのは気がついていた。 最近は仕事が忙しいからそのせいだと想っていた。

それに、顔が多少スッキリとしたな、くらいにしか思っていなかった。

ここまで痩せていたとは自分で自分が信じられなかった。

以前は少し筋肉質だった体は、骨が浮き出て、筋肉は見事に削げ落ちていた。

「颯介さん・・・私・・・」

颯介は自分の身体を見ている彼女を見て、言いたいことを察した。

「―――つくし、自分を責めるなよ。俺はお前と結婚する前から癌だったんだ。

お前が気がつかないように俺は・・・ものすごく努力したんだぞ。

簡単にお前に気づかれるようじゃダメだろう?」

ちょっとからかうかのように言った。 つくしを安心させる為、落ち着かせるための言葉だった。

今は身重の大事な時期だ、余計な心配などかけたくないのに、自分が倒れたことで心労が重なっている。

子供は何としても無事に生まれて欲しかった。 

颯介は自分の辛さを堪え、つくしを励ましていた。

「つくし、俺は今から長い戦いをしなくちゃならない。 絶対に死にたくないから・・・

お前がしっかりしないと、俺は戦えない。 俺の勝手のせいでお前を苦しめて申し訳ないが、

それでも・・・俺はお前といたいんだ。 その為にはつくし、お前が自分を責めている時間がもったいない。

責められるべきは俺で、お前じゃないんだからな・・・。」

つくしは颯介の言葉にハッとした。 自分を責めている暇はないのだ。



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