颯HAYATE★我儘のべる

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雨が止まない 17



「やあ、兄さん」

「―――煬介」

煬介は以前よりも更に痩せてしまった兄の顔に微かに顔を顰めた。

「噂が飛び交ってるよ」

「噂?」

「そう、鷹野財閥の跡取りが癌で余命幾許もないという噂。妙な期待をされてない?」

「―――そうか、じゃあ期待を裏切らないといけないな。」

「どっちの期待?」

煬介の質問の意味はわかっている。きっと煬介も答えはわかっているのだろう、だが自分から答えを聞きたいのだ。

「余命幾許もないってところだ。俺は長生きするつもりだ、女房は妊娠してる。

俺の子供が生まれるのに死んでいられるか?」

「――――そうだね。 でも・・・それじゃあ、癌ってことだよな。」

「ああ」

「それだけ? 家族にも秘密にしなくちゃならなかったのか? どうして親父やお袋にも言わなかった?」

煬介が責める気持ちは理解できた。だが・・・どうしても言えなかった。

両親や弟の心配がつくしに疑問を持たせることになると思っていた。

そこまでしても、つくしを手放したくなかった。どうしても・・・自分のものでいてほしかった。

「すまん・・・自分でも信じたくない気持ちだったんだと思う」

嘘を言うのは気が引けたが、事実を言っても怒りを煽るだけだろう。

それよりも・・・

「もういい・・・辛いのは俺たちよりも兄貴だからな。 でも安心したよ。

兄貴は諦めてはいないんだよな? 生きようという気持ちがあるなら大丈夫だ。」

「ああ。俺は生きるつもりだ。 子供の顔を見ずに死んでたまるか!」

「ああ。親父やお袋も心配してる。すぐに来たいんだろうけど、兄貴が入院となると・・・」

俺の代わりに仕事をする人間が必要だ、それを親父がしているのだろう。

「わかってる。 結局、みんなに心配をかけてしまったな・・・」

「気にするな。それは兄貴が完治したら責めさせてもらうから。」

煬介はそう言って笑った。颯介はその笑顔が羨ましかった。

「――――煬介、お前に・・・頼みがある。」

颯介の真剣な表情に煬介は息を飲んだ。 何を言われるにしろ、大変なことに違いない。

そして、それは辛いことでもあるだろう―――――。





颯介は余命3ヶ月という医者の診断を裏切り、必死で生きていたが・・・

命が尽きようとしているのは誰が見ても一目瞭然だった。

痩せ細り、骨が浮き出たような身体。

起き上がる力が出ずに一日中ベッドに横になったままの日もあった。

それでも颯介は必死に生きていた。

「あと・・・2ヶ月」

どうしても子供の顔を見たかった。

たとえ、その子の成長を見ることはできなくても、自分の子供という存在を実感したかった。

どうしても生まれるまでは生きたい。

颯介を支えているものは子供の誕生だけだった。

「大きくなったな・・・」

「うん、元気な子だよ。 いつも蹴ってばっかり。 凄い力だよ。」

「―――お母さんを蹴るなんて、ひどい子だな」

颯介はそう言って、つくしの大きく張り出したお腹にそっと手をのせた。

「本当だ・・・。元気だな。 つくし・・・この子は定期的に健康診断を受けさせろよ。

癌は遺伝するからなぁ。 癌のための徹底した健康診断を年に1回、できるなら半年に一度は受けさせろ。

全身を・・・きちんと・・・くまなく調べるんだ・・・」

しゃべることに疲れたのか、颯介は目を閉じた。

「颯介さん?」

すぐにつくしは不安になる。 目を閉じた颯介は青白く、生きているという感じがしない。

寝ている彼の口元に何度手をかざしただろう。

また、いつものように口に手を近づけると颯介は目を開けた。

「大丈夫だ・・・生きてるよ」

そう言って、つくしを安心させるかのように微笑んだ。 つくしも不安を隠して微笑み返す。






予定日よりも3週間はやく、つくしは産気づいた。

初産にしては安産で、すぐに生まれた。

女の子―――無事に生まれたことは当然、特別室にいる颯介のもとへすぐに届いた。

「兄さん、兄貴!! 生まれたぞ! 女の子だ!!」

煬介の興奮した大声に颯介は目を開けた。 女。 女の子・・・俺の子供。

「お、んな・・・早く会いたい」

颯介のつぶやきに煬介は車椅子を用意した。 衰弱した颯介は歩くとすぐに疲れる。

赤ちゃんは綺麗にされ、すでに新生児室に寝ていた。

目も開いていないというのに、その小さな指を口へと運ぶ姿はとても愛らしかった。

「抱かれますか?」

新生児室に入った颯介の膝の上に赤ちゃんがおろされた。あまりに小さく、脆く見えた。

「さつき・・・」

つくしに名前を考えてほしいと言われ、「颯希(さつき)」という名を考えた。

別に自分の字を一字使ってとか、そんなことを考えたわけじゃない。

生まれてくる子供は『俺の希望』だ。そう思って・・・この名にした。

つくしには内緒だが、実は「颯希」以外、考えていなかった。

男でも女でも「さつき」

男の子には極少ない名前だから、女の子でよかったかもしれない。

颯介の頬には涙が次から次に溢れ、流れ落ちていた。

「兄さん・・・おめでとう」

「―――ああ、ありがとう。 かわいいなぁ、つくしによく似ているな。」

「そうだね、でも兄さんにも似ているよ。」

生まれて数時間しかたっていない赤子、どっちに似ているかなど、本当はわからない。

真っ赤な顔に腫れた目。 かわいいとは思うが、まだ人間らしい顔ではない。

だが・・・煬介は兄に似ていると感じていた。

「―――そうか?」

「ああ、似ているよ。 特に口元なんかは。 顔の形は義姉さんかな?

でも、パーツの一つ一つは兄さんにそっくりだと思う。」

「そ、うか・・・似てるか・・・」

颯介は自分の膝の上に眠る娘を見ていた。

その目には止まらない涙が溢れ続け、零れ落ちていた。

涙が娘の頬に落ちる。 赤ちゃんが、何かを感じたのか手を小さく動かした。

ただそれだけの生命の証に身体が震えるほどの感動を覚えた。

俺の娘だ―――――



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