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事故で何が起こった?・転院


この事故により、父は、また多くのものを失ってしまいました。

一番大きく、わたしたちもがっかりしてしまったもの…

それは、食べ物を飲み込む神経をつかさどる部分が、ヤラレてしまったらしい…ということでした。

せっかくいろいろな物を食べられるようになってきていたのに、それが断ち切られてしまったのです。
うどんが食べたい、という父の思いも虚しく…。

事故で、どこがどのようになったのか、という事はハッキリ分かりませんが、やはり、頭を下にさげていた、という事が大きいらしく、少しではありますが、脳の一部分が影響を受けてしまったようです。


それから、いままでにもリハビリを続けていますが、この「飲み込む」ということが出来ません。その部分が麻痺しているようです。
なので、口に入れた物が、食道に行かず気道に入ってしまう、という事もあるわけで、それは、命取りになってしまいます。



もともと、口数の多い人ではないのですが、倒れてからは、理性の部分が飛んでしまったのか親父ギャグともいえるジョークを飛ばしたり、心配性の部分が顔をのぞかせたり、いろいろな父を見せてくれました。笑顔もありました。

本当に助かっているのが、倒れてから一度も泣き言、悔やみ事を言ったりしないことです。

そういう部分も飛んでしまっているようです。

一度だけ「あそこであんなに無理せんかったら良かったんやなぁ~…」と言っただけであとは全然そういうことを言いません。

だから、自暴自棄になってしまう…とかそういう心配はありません。

それでも、このころは、見ている方が辛かったです。


それからは、ずっと寝ている状態ではダメなので、とにかく体を起こし、少しでも車いすに座っていられるようなリハビリや、もうすでに筋肉の緊張が始まり硬くなり始めてしまっている、動かせる方の手足のリハビリを毎日頑張りました。

やる気もなかなか出ないのか、そういう部分も飛んでしまっているのか「頑張ろうな」と言うと「おー!」というのですが長続きせず「痛い痛い」の連続です。そんな中でのリハビリでした。

私も二男も連れて、リハビリの様子を見に行ったり、ハッパを掛けたりしました。
やはり、目の前に孫がいて、という状態は、張り合いが出るというのか、頑張れるようでした。

そんな日々を過ごしていた頃、リハビリ専門の病院に転院してはどうか…という話が出ました。

もうすでに倒れてから1年が来ようとしていました。
あまり長期間は同じ病院でいられないようです。

転院という事になれば、その時自宅から介護のために通院していた母にはかなりキツイ状態になります。この時の病院は自宅から車で5分という好条件の地にありました。

転院先を決めるのに、数ヶ月いろいろと迷いながらもなんとか決まりました。

母も、介護のためですが、週に数回、病院に通院する人のためのバスに好意で乗せて頂けることになりました。

そして、転院。


慣れない病院、知らない顔ばかりで最初は心配顔だった父ですが、徐々に慣れ、最初は泊まり込みをしていた母も、そのうち週に数回通う程度になっていきました。

リハビリも頑張って、ほんの少しずつではありますが回復を見せ、車いすに座って、洗面台のところで歯磨きを自分でし(仕上げ磨きは必要ですが)ガラガラペッも、飲み込まずになんとかこなせるまでに回復しました。

話も、このころには大体の会話が理解してでき、相談事もでき、頼れる父に少しずつ戻っていきました。

言語のリハビリも、飲み込みのリハビリも頑張ってこなしていました。

わたしの前で、車いすに座って、通路の手すりを自分でつかんで手元に引き寄せながら前に進んでいく…そういうことも見せてくれました。

少しではありますが、頑張る、という意欲を見せていたのです。


そんな時に、また辛い出来事が発生してしまうのです。

──────

この期間は、アップするのも、ちょっと辛い状態でした。

長い期間、なかなか進まない父のリハビリにイライラしたり、心配したり。やる気を見せない父に─イヤ、やる気はあるんです、ただ、それが長続きしないだけで。そんな父に、落ち込んだりもしました。これ以上良くなることはないんじゃないか、とか、悪いことも考えました。それでも、徐々に回復を見せてくれた父に、安心していました。このまま良くなるって思っていました。

それが、また崩れてしまうのです。
本当に山あり谷ありの日々です。



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