ぽっぽ・ろんのあたふた日記

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治療 後編


2000年10月
体外受精(IVF)
卵子を取り出し体外で精子に会わせて受精させ、受精して胚となった
受精卵を子宮へ直接戻すこと。
点鼻薬を使用しながら月経開始の3~10日より排卵誘発剤を
約1週間、毎日筋肉注射し、卵胞が18ミリ以上になったら
HCGというホルモン剤を注射し、34時間後に採卵する。(病院やその人に
ってやり方はさまざま)
私の場合は、排卵誘発剤に過剰に反応しすぎて、卵胞過剰刺激症候群に
なり、採卵前に入院した。腹水や胸水がたまり、痛み止めの注射を毎日
打ち続けた。夜も眠れず、横になると胸が苦しくなるのでずっと起きたまま
の状態で死ぬかと思った。そのなか、採卵をし10個の卵子が取れた。
無事、9個の受精卵ができ、数日後2個の胚を戻した。
お腹の痛みが治まり退院。
14日後、妊娠反応をしたところ、陽性。まだ超音波ではみえなかったので
1週間後に病院へ。やっぱり、みえなかった。うっすら出血と腹痛が
続いていたが、もう少し様子をみることに。
12月の始めに生理痛のような腹痛と出血があり、流産。

2001年2月
凍結胚移植
体外受精で良好な受精卵が多数できた場合、これを凍結保存して
胚移植する方法。
今回も2個、胚移植した。
胚を子宮の中に入れるだけなので、私の場合はほとんど痛みは無し。
胚移植後は、そのままの体勢で2時間、ベットに戻り2時間休んで帰る。
(ぜったいに歩かせてはもらえなかった)
私は、生理前5日くらいから腹痛があるため、もうすぐくるぞというのが
わかる。結果は陰性。

2001年2月~6月
再び、点鼻薬で内膜症の治療。

2001年10月
2回目凍結胚移植  結果は陰性。

2001年11月~4月
点鼻薬で内膜症治療

2002年4月
2度目の体外受精
前回、卵巣過剰刺激症候群になったので、今回は少し弱い排卵誘発剤を使用。
そのため、2週間も筋肉注射に通う。
無事採卵終了。静脈麻酔をしたので痛みは無し。終わってから少し痛かった。
7個の卵子が取れた。そのうち5個が受精し、順調に育ったのは3つ。
結局、3つのうち1つは形がいびつなため、2つに。
凍結胚は無し。
3日後胚移植。また手術室で2時間、べッドに戻って2時間そのままの姿勢で休んでかえる。
12日後妊娠判定をしに病院へ。結果はまたうっすら陽性。
もう少し様子をみましょうと言われ薬を追加され帰宅。
出血と腹痛があり5日後、生理痛のような出血と痛み・・流産。
着床までは大丈夫だが、そこから育ってくれない・・。
卵の状態や受精卵になる数など正常で問題ないとのこと。この前のうっすら陽性も、私が帰ったあとくっきりにかわっていたらしい・・・。

流産ですと言われたにもかかわらず、胸の張りなど気になりもう一度市販の妊娠検査薬で試してみるとすぐにくっきり陽性に。
おかしいので病院へ行ってみてもらうと胎のうが確認できた。
胚移植した時期から計算すると7週目(胎児が確認できるころ)なので育っていない可能性大。様子をみることに。
ほんの少しずつ胎のうは大きくなっていたが、出血があるため入院。
出来る限りの努力はしてみましょうと言われ、24時間点滴をつけたまま、
移動は車椅子の生活で出血が止まり4日後退院。
退院後も何回か超音波で確認したが、胎のうしかみえなかった。
最終の胎のうの大きさは1センチで2つ(双子)。
掻爬の手術をしましょうと言われるが、自然に出ていくのを待つことに。
生理痛のような痛みと、出血があり流産。
内容物を持ってこれる様なら持ってきて下さいと言われていたので持っていく。
私がみても「これが胎のうだ」ってわかった。1センチくらいで丸く薄い膜の中に水が入っていた。きっとこの袋がもっと大きくなってその中で赤ちゃんが育っていくはずだったのに・・。
担当の先生ではなかったが、膜が破れないでそのまま出てくることはめずらしいと
言われた。
今回も流産。受精卵の異常ではなく、私の子宮の状態が悪いのかもしれないと言われる。
とりあえず、この先半年は何もしないで治療お休み。

2003年1月
子宮内膜症の治療開始。
月1回の注射で、生理を止める。

2003年5月末
子宮内膜症の治療の注射終了。
自然に生理がくるのを待つことに・・。

2003年8月
生理がくる。





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