古代のロマンをたずねて part.3

古代のロマンをたずねて part.3

長岡天神





長岡天満宮の御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深いところであります。



公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立だそうです。




阪急・長岡天神駅から歩いてすぐです。
境内は結構広いのです。




長岡天神



私が気になっていた長岡京跡は、阪急長岡京駅の隣の西向日駅を降りてすぐだそうです。
残念ながら今回は行くことは出来ませんでした。


長岡京といえば、平城京から平安京へ都が移る間、僅か10年だけ都であった土地です。
たった10年の短い期間ではありましたが、確かにこの地に都があったのです。


何故、平安京から長岡京へ都を移したのかについては
「続日本紀」に桓武天皇とその側近であった藤原種継のやり取りが記されています。


「遷都の第一条件は物資の運搬に便利な大きな川がある場所」とする桓武天皇に対し、種継は「山背国長岡」を奏上しました。


長岡は種継の実家があり、支持基盤がある場所でもあった。その他の理由として、

・既存仏教勢力や貴族勢力に距離を置く
・新京の周辺地域をおさえる、帰化人勢力との関係
・父の光仁天皇の代から天智系に皇統が戻った事による人心一新

などがあります。


しかし、同年9月に造長岡宮使の種継が暗殺されます。
首謀者の中には、平城京の仏教勢力である東大寺に関わる役人も複数いたのです。


そして桓武天皇の皇太弟早良親王もこの叛逆に組していたことが明らかになった。
早良親王は配流され、恨みを抱いたまま死去します。その後、様々な変事が起こります。

・日照りによる飢饉、疫病の大流行や、皇后や皇太子の発病
・原因を探るために占ったところ、早良親王の怨霊であることがわかり、御霊を鎮める儀式を行う
・しかし、その2ヵ月後に大雨が襲い、都の中を流れる川が氾濫し、大きな被害となる

などといった災難や身内の不幸が重なり、和気清麻呂の建議もあって、わずか10年後の794年(延暦13年)に平安京へ遷都することになるのです。



この辺りのお話は、もっと深く調べてみると面白いかもしれませんね。




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