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うろこの館を出て、北の天満宮に向かいました。 鳥居の向こうは長い長い階段です。娘ははあはあ言いながら登っています。私は職場でいつも階段を上り下りしているせいか平気です。ん、私の方が若い(?)はずはないよね。(笑)階段を上りきると神戸の町が一望できます。う~ん、きれい。すぐ下には風見鶏の館も見えました。 反対側には舞楽を行う舞台もあります。 娘がおみくじを引きたいと言ったので試してみることにしました。ここのおみくじは、扇を選んで開いてみるという形式になっていました。う~ん、残念『末吉』でした。でも、まあこれからドンドン良くなる余地があるということで納得することにしました。北野天満宮を出て、いっぱい並んだお土産物やさんを覗きながら下っていくと元の英国館とかフランス館とかのある通りにでました。ふと見ると、可愛いバスが止まっています。ん、もしかしたらこれがシティループかな。中華街に行くには丁度良い、早速乗り込むことにしました。バスの中もちょっとレトロで可愛い。新神戸駅を通って三ノ宮経由で中華街へ降り立ちました。 予定通り民生で軽く食事をすることにしました。おなじみの、レタス巻きとイカの天ぷらなど。やっぱり、おいしい。 中華街をぶらぶらすると、いろんなお店があって面白いですね。 露店も良い匂い、食べたくなっちゃう。娘は豚マン、ショウロンポウ、にら饅頭、護摩団子など食べ続けています。やっぱり、若さには勝てないわ~(笑) あ~、今回の日帰り旅行、楽しかったわ~。たまには母と娘の旅も良いものですね。
2007.04.09
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ランチを食べ、次は異人館に向かいました。英国館が見えてきました。 近くにフランス館も有りました。 雰囲気の良いお屋敷がたくさん並んでいます。ここはどこだろうと思ったら、なんとゼクシィなんかで紹介された結婚式の後の披露宴をするところだそうです。最近はホテルなんかよりも、手作りって感じのこういったところでするのが流行っているのだそうです。この辺りには可愛いものを売っている雑貨屋さんがたくさんあります。娘は色のついた動物の形の輪ゴムを買いました。輪ゴムとして使えるのですが、はずすと元の形( キリンやペンギンなど)に戻るのです。私は大きなダイヤモンドがついたキーホルダーを買いました。お買い物は楽しいですね。ここで時間を使い果たしてはいけないので次へ進むことにしました。次はうろこの家です。 中へ入ってみると美術館がありました。入り口の近くにマリーローランサンがありました。 ユトリロ、も素敵です。 上に上がると異人館らしい昔の生活をそのまま留めているようなお部屋がありました。 隣のお部屋も覗いてみました。昔、映画で見たような雰囲気です。お土産物も買いました可愛い小物がいっぱいあるのです。私と娘は選びきれないくらいの素敵なものの中から玄関に飾るためにレオタードとイスの小物を買いました。それから、うろこの館を出て風見鶏の館へ向かいました。ここからは次回に致します。
2007.04.08
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娘が突然「神戸に行きたい!」なんていうので、行ってきました。何で、神戸なのかと思ったら娘は陣内さんのファンだったのです。そういえば、握手会なんかも行っていたななんて思い出しました。桜も綺麗だし、私も一度神戸へ入ってみたかったので快く賛成したのでした。三ノ宮駅を降りたら真っ先に生田神社を目指します。駅の近くの生田ロードを歩くと向こうに赤い鳥居が見えてきました。中をくぐると、感じの良い神社が見えてきました。 娘は言います。「テレビではものすごく大きく見えたけど、意外にこじんまりしてでも閑静な良い神社だよね。」 目的のお守り選びが始まりました。お守りの種類はたくさんあって、しかも若い女の子が喜ぶような可愛いものがいっぱいあるのです。桜の形をしたお守り、クローバーの形をしたお守り、キラキラ星やちっちゃな月がついている可愛いお守り、迷っているみたいです。でも、娘はちゃんと縁結びのお守りを買っていましたよ。(笑)生田神社は裏手もとってもいい感じです。 生田の森もありました。一番の目的の生田神社に行くことが出来ニコニコの娘もそろそろ(?)お腹がすいてきたのかレストランはどこ?なんて聞いてきました。さすが私の娘です。(笑)以前、夫と北のへ来た時に評判の良いレストランを知りそのまえで2時間近く並んだことがありました。その時はゴールデンウィークで人がいっぱいだったのです。今回は平日でどうかなと思って行って見ました。なんと、誰もいません、確かに11時半は早すぎだったのかもでも、ラッキー。カジュアル・フレンチのお店で『ラ・カッセット』というお店です。 お店の雰囲気もとっても素敵、壁には何かのコンテストで金賞を撮った時の金メダルも飾ってありました。 前菜はエンドウのムースにシーフードをゼリー固めしたものでそれもとってもおいしかったです。お腹いっぱいで満足して、次は異人化に向かいます。この続きは次回です。
2007.04.07
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琵琶湖疎水を通って、天智天皇陵を目指します。 桜が綺麗でしたよ。やっと着きました。天智天皇陵です。 御陵さんは正直言ってどこも同じ形式なので、いくつ行ってもどこがどこだか良く分らないのです。でも、周りの雰囲気がそれぞれ違って婉曲にいろいろなことを伝えてくれます。ほとんど同じ形なので、それだけによけいに実際足で歩いて御陵さんを見に行くのは意味があるような気がします。さて、是で今回の旅の目的は全部果たしました。次回はどこへ行こうかしら。桜の咲いている間にどこかもう一箇所くらい出かけたいものです。★。.:*:・´゚☆。.:*:・´゚ 。.:*:・´゚☆。.☆話は変るのですが、どなたか京都の『椥辻』の『椥』って何かご存じないでしょうか。もし知っておられる方、教えていただけないでしょうか。よろしくお願い致します。m(_ _"m)ペコリ
2007.04.06
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せっかく、コメントを書いてくださっているのになかなかお返事をかけなくて(*_ _)人ゴメンナサイね。なるべく時間を作って書くことにします。本当にすみませんm(_ _"m)ペコリ
2007.04.05
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三井寺って知っていますか。ここへ引っ越してくるまで、和歌山の紀三井寺の近くに住んでいたので紀三井寺は知っていたのですが、実は紀州にある三井寺で紀三井寺とはちっとも知らなかったのです。お恥ずかしい次第ですp(´⌒`。q) グスン。というわけで、滋賀の三井寺はどうしても行ってみたいお寺の一つでした。大津歴史博物館の直ぐ近くにあるのです。 三井寺は園城寺というのが本当の名前なのだそうです。天台寺門宗の総本山で日本四箇寺の一つです。天智、弘文、天武天皇の勅願により弘文天皇の皇子・大友与多王が建立されたのだそうです。俗に三井寺と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり「御井(みい)の寺)と呼ばれていて、後に法水に用いられたことに由来しているのだそうです。大晦日の除夜の鐘で有名な三井の晩鐘もありました。 この鐘は弁慶が引き釣り上げたという伝説もあります。そのお話はこうです。昔、俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を三井寺に寄進したのだそうです。その後、延暦寺との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて見ると、“イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので弁慶は「そんなに三井寺へ帰りたいのか!」と怒って、鐘を谷底へ投げ捨ててしまったのだそうです。その時のものと思われる破目などがが今でも残っているのだそうです。この三井の晩鐘のそばに、茶店がありました。そして、その茶店は『弁慶の力餅』がおいしいので有名なのだそうです。早速私も食べてみることにしました。抹茶味で、とても柔らかくて本当においしかったです。そのあと、三重塔の横を通り、観音堂の方へ行ってみました。 観音堂は山のほうにあり、琵琶湖が眺望できとても見晴らしがとてもいいのです。 観音堂の横に観月舞台というのがありました。 ここで、舞楽などをおこなうこともあり明治天皇や昭和天皇も見に来られたそうです。さて、名残惜しくはありますが三井寺も後にし、最後の目的地天智天皇陵へ向かいました。途中の琵琶湖疎水沿いの桜はとても綺麗でした。この続きは次回とさせていただきます。
2007.04.04
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「近江神宮前」から京阪石山坂本線にのって「皇子山」の次の駅、「別所」で降りました。この辺りは、『皇子』と名の付くところがいっぱいです。「皇子山球場」「皇子山中学」「皇子山総合運動場」「皇子山陸上競技場」…。『皇子』というのは勿論、大友皇子のことでしょう。大友皇子の父は天智天皇です。正妃は天武天皇と額田王との皇女、十市皇女ですね。壬申の乱で儚く命は落としますが、若くして亡くなったことを考えると涙を誘うものがありますね。土地の人々はいろいろなところに『皇子』という名前をつけて、大友皇子をしのんでいるのではないでしょうか。若くて凛々しい皇子様にこの土地の人々は守られているいるように感じました。大友皇子・弘文天皇陵は「別所」駅の前の市役所の裏手になります。頑張って歩いていきました。 直ぐ近くには駅や市役所や消防署などがあり、結構にぎやかなところなのに、ちょっと入っただけで、とても静かでひっそりとしているのが不思議なくらいです。ちょっと迷っただけに、やっと見つけた嬉しさも手伝って印象に残る御陵さんでした。それから、大津歴史博物館へ行きました。ちょっとした高台にあり、琵琶湖がよく見えます。そして、その対岸の近江富士もはっきり見えましたよ。 大津歴史博物館は、大津京と近江国府の歴史を出土遺跡やイラストで紹介してありました。また、大津京の復元模型も展示してあったので分かりやすかったですよ。それから、古代だけでなく大津の中世、近世、近代のいろいろなものも展示されてありました。(近江八景を描いた浮世絵版画なども面白かったです。)近江歴史博物館を出て、園城寺(三井寺)へ向かいました。私は、和歌山に住んでいたので紀三井寺は知っていましたが、実は三井寺のことは何も知らなかったのです。ナサケナイハナシデス…。こんなに大きなお寺とは…。 本当にびっくりです。おいしかった弁慶の力餅のことも次回にお話させていただきます。では、今日はこの辺で。読んでいただいてありがとうございますm(_ _"m)ペコリ。
2007.04.02
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朝から湖西線に乗って西大津で降りました。少し歩いて、近江神宮に着きました。 近江神宮の御祭神は天智天皇です。天智天皇は今から1350年ほど前に大化の改新を行いました。また、667年都を近江大津に定められました。大津内裏には漏刻(水時計)を設置、時報を定め告知されました。日本で始めての時計です。6月10日「時の記念日」は、天智10年4月25日「始めて候時(とき)を打ち鐘鼓を動かす。始めて漏刻を用ふ」と日本書紀に記録される日を太陽暦に換算したものだそうです。 近江神社に漏刻の模型がありました。また、時計博物館があったのでちょっと覗いてみました。珍しい時計とかたくさんあって面白かったですよ。 この日はお宮参りの赤ちゃんが何人かいたり、車のお払いをしていただいている人たちもいました。桜がとても綺麗でした。近江神宮を出て近江神宮駅に向かう途中に「近江大津宮錦織遺跡」がありました。大津宮は、天智6年(677)に、中大兄皇子が飛鳥より遷都した宮です。遷都は663年の「白村江の戦い」での敗戦によって、国内外情勢が揺れ動く中での皇子の断行でした。そして、皇子没後の672年、実弟大海人皇子と実子大友皇子との間に起こった「壬申の乱」によって、わずか5年5が月で廃されました。 また、大津宮は『日本書紀』に「浜台」「大蔵」「宮門」「漏刻台」「内裏仏殿」などの建築物に関する記述がある程度で、その正確な位置や実態は長らく謎に包まれていました。しかし、昭和49年に大津錦織で行われた発掘調査によって、ついに大津宮に関する遺構が発見され、その後進められた調査の結果ここが宮の跡地であると推定されました。長い間謎に包まれていたために実はその上に住宅が建ち、本当にここに宮があったのかしらと思われるほどの住宅地になってしまっています。たまたま、引っ越されたのか発掘できる状態に一区画とか二区画とか開いた土地を発掘したあとがありました。今は公園のようになっています。 私が小学校や中学の歴史の時間には大津宮はまだ発掘されていなかったのか習った記憶がありません。今、このようにして研究が進み本当に、天智天皇がここで大津宮を開いておられたことが分りました。そして、実際に自分がその場所に立つと、まるで歴史の一部に乗っかっているような不思議な感じがして、何だか感慨深いものがありました。この後、弘文天皇(大友皇子)陵、大津歴史博物館、三井寺、天智天皇陵へとまだまだ続くのですが、それは次回のお話とさせていただきます。久々に書いたのに訪ねてきてくださった方がいてとても嬉しく思いました。覚えていてくださったのですね。忙しくてなかなかPCのまえに座ることが出来ず忘れられたのではないかと、ひやひやしていました。ありがとうございます。
2007.04.01
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