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2005年10月28日、10月31日何事もないかのようにとても穏やかに、内心は本当に生まれるのかとても不安で家族中が言い知れぬ緊迫感に包まれる中、出産予定日が過ぎていきました。その後、2回ほど11カ月健診がありましたが、のんびり者の「ぴよ」はお腹の中でいつものほほんと元気にしていました。「ぴよ」のあまりののんきさに、このままずっとお腹の中に居続けるのではないかと思わず錯覚しそうでした。でも、11月になり、ようやく生まれてくる決心をしたようで、徐々に子宮口が開き始め、いよいよ入院することになりました。その翌日、とうとう陣痛が始まり、約5時間後これまでの陣痛に加えて自然ないきみも始まり、なんだかこれまでと違ってきた気がしたので、急いで担当の助産士さんを呼ぶと、「もう頭が見えています! 急いで分娩台へ!!!」・・・と言われても、もはや1人で歩くこともできず、スタッフに抱えられながら分娩台へ上がりました。あまりに急な予想外の展開に担当医も、スタッフも間に合わない中、出産が始まりました。のんびり屋の「ぴよ」も最後は『よしっ、生まれてやる!』と奮起したようで、約20分後に元気に生まれました。初めて見る我が子はとても目の大きな、小さな可愛らしい男の子でした。その後の様子は、初めまして、「ぴよ」です!初めまして、「ぴよ」です! その2 へと続きます。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録今回をもちまして、約1年前を振り返る「ぴよ」のいるマタニティ生活のシリーズは終了いたします。約1年間、いつも温かく見守っていただいて本当にありがとうございました。
2007年02月19日
2005年9月30日、10月7日、14日、21日とうとう妊娠10カ月、臨月となり、健診が毎週ありました。病院のスタッフからも「これまでよく頑張りましたね。 もういつ産んでもいいですよ!」と温かい言葉をかけてもらいました。30日は初めてのNSTが予定されていましたが、病院の不手際;(--)で延期となり、定期健診のみになってしまいました。この日の超音波検査で本で見た男の子のおしるし、「葉っぱ」のような、「動物の足跡」のようなものがちらっ、ちらっと一瞬見えた気がしましたが、この日の担当医さんは何も言いませんでした。7日はNST、内診、定期健診をしました。初めてのNST、器具をつけながら『もう陣痛が始まっていたら、どうしよう!?』と1人でどきどきしていましたが、残念ながら出産の兆候は全くなしでした。主人の強い要望と前回のおしるしのことが気になり、超音波検査の際にこの日の担当の若い女医さんに勇気を出して性別を聞いてみました。すると、先生は「ぴよ」の股間部分に集中的にプローブを当てながら「どの先生もおっしゃらないとなると、 私も自信がありませんが、 両足の間に『何か』が見えるので、 多分男の子じゃないかと・・・」とおっしゃいました。ようやく「ぴよ」がやんちゃ坊主だと判明しました。14日、21日もNST、内診、定期健診をしました。この頃になると、足の付け根が突然つったり、ようやくお腹が一瞬きゅーと張るようになり、『いよいよ陣痛か!?』と毎回どきどきしましたが、変わらず出産の兆候は全くなしでした。私はこれまでどの検査にも引っかからず、お腹の痛みも、出血も、張りもなく、子宮口もしっかりと閉じていました。「ぴよ」も早くから頭位の姿勢で落ち着き、これまで逆子になったことも、へその緒が巻きついたことも一度もありませんでした。病院のスタッフからの温かい激励もむなしく、母子共々、妊娠優等生?のまま無事に10カ月健診が済んでしまいました。そして・・・表面上は何事もないかのようにとても穏やかに、内心は本当に生まれるのかとても不安で、家族中が言い知れぬ緊迫感に包まれる中、出産予定日も過ぎていきました。ということで、さらに「11カ月健診」へと続きます;(^^;)2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年10月31日
2005年9月2日、9月13日妊娠9カ月目を迎え、実家のそばの総合病院へ転院しました。2日は初診だったため、定期健診のみでした。超音波検査の時に「ぴよ」は指しゃぶりをしていました。これまでは個人の産院へ通っていましたが、今回から年間数千の出産件数を誇る大きな総合病院への通院が始まりました。いろいろと話には聞いていましたが、まさか初日から夏休みに、緊急手術が重なって診察する担当医が足らなくなり、いきなり産科の診察がストップ状態になろうとは!?まだ慣れない病院の雰囲気にストレスばかりがつのって、本当にぐったり疲れた1日でした。13日は定期健診に加えて内診、血液検査、GBS検査をしました。今回から始まった内診(触診)。子宮口の開き具合や胎児の下がり具合を診るためのものですが、なにぶん初めての経験だったので、あのぐりぐり感はかなり抵抗がありました。すでにお気づきかもしれませんが、今回から超音波写真は載せていません。出産までその後も毎回必ずもらったのですが、「ぴよ」自身が大きくなりすぎたこともあって上手く説明できるきれいな写真がなくなりました。あしからず、です;(^^;)2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年10月16日
画像:「ぴよ」の超音波写真7 (「ぴよ」の顔立ちがはっきり分かる写真です)2005年8月5日、8月19日妊娠8カ月目を迎え、後期に入ったので、健診は2週間に一度になりました。5日は後期に入ってから最初の健診だったため、定期健診に加えて血液検査もありました。超音波検査では頭の大きさ(BPD)や足の骨の長さ(FL)、胴回りをX字に測って計算式に入れ、初めて「ぴよ」の推定体重を教えてもらいました。またカブト虫?のようなハート型の心臓や動脈と静脈を赤と青で色分けしてある血液の流れなども見せてもらい、「ぴよ」が元気であることをしっかり確認することができました。19日は定期健診のみでした。性別を教えてもらったというお友達の情報を頼りにさりげなく「ぴよ」の性別を聞いてみたところ、「原則、教えてはいけないことになっています!」と叱られてしまい、結局分からず仕舞いでした。私は里帰り出産を希望していたので、実家近くの総合病院の指示によりこの定期健診を最後に自宅近くの産院から予定通り転院することになりました。画像は、出産するまで私が一番よく眺めていた写真です。「ぴよ」の顔立ちを想像しながらこの写真を見ていると、一日も早く「ぴよ」と会いたくて、出産の怖さや不安よりも勇気が勝って非常に温かい、前向きな気持ちになれたからです。今改めて見てみると、6カ月健診のがいこつ写真と比べて格段に肉づきがよくなり、今の顔立ちをほとんど想像できるまでになっていますね。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年09月05日
画像:「ぴよ」の超音波写真6 (脳の進化が分かる写真です)2005年7月22日この日は定期健診のみの7カ月健診がありました。この超音波検査から本格的にBPD(児頭大横径=頭の大きさ)による成長度を調べるようになりました。画像は、この回から3回分のもので、上から見た「ぴよ」の頭の写真です。最初の頃(一番左の写真)はまだ脳も全くつるつるの状態で頭蓋骨だけが白く丸く写っていますが、それから2カ月の間に脳のしわ(丸い円の中の白くもやもやとしているもの)が段々と劇的に増えています。「ぴよ」もお腹の中でさまざまな訓練をしながら、生まれてくるために少しずつ賢くなっていたんですね。この頃、私も仕事に一区切りつけて、母親学級などに通いながら「ぴよ」の出産準備を本格的に始めました。私の職場は女性も多かったせいか、とても温かく祝福モード一色で送り出していただきました。そのおかげで「ぴよ」が生まれてきたら、『みんな、あなたに会える日を心待ちにしていたのよ』と胸を張って堂々と必ず伝えてあげよう、「ぴよ」にとって何よりも素晴らしい胎教になったと心から感謝しました。その反面、いよいよ迫りくる出産の時・・・いつどんな形で始まるのか、一体どれくらい大変なものなのか、全く想像がつかなくて、ただただ不安と恐怖でいっぱいでしたが、「ぴよ」が元気に生まれてくることだけを信じて、毎日祈り続けていました。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年07月28日
画像:「ぴよ」の超音波写真5 (頭蓋骨がくっきりのなんだか恐ろしい写真でした;)2005年6月24日この日は定期健診のみの6カ月健診がありました。超音波検査では、いよいよ「ぴよ」の頭蓋骨まではっきりと見られるようになりました。画像の説明ですが、「ぴよ」は真正面を向いていて、右側の半円部分が頭でそのままやや斜め左上へと目、鼻、口が続き、中央の上あたりがちょうどあごの部分でそこまでが顔になります。そのまま左半分はてっきり「ぴよ」の身体なのかと思いきや、先生曰く、それはただの胎盤だそうです。この画像の第一印象は、当たり前ですが、「人だな」と、「どうも目が大きいかな」(=私似?(^^)♪)でした。実は、この頃会社でクーラーががんがんにかかり始め、そのせいでのどをやられてしまい、そのままこじらせて珍しく風邪をひき、四六時中、夜中も咳が止まらない寝不足続きの状態でした。そんなつらい状態を定期健診の血圧の急上昇ぶり(生まれて初めて最高血圧140を記録!)で先生にすっかり見破られてしまい、あっさりせきどめ薬を処方されてしまいました。本当は妊娠中に薬を飲むことにすぐ抵抗があったのですが、私が咳をする度に「ぴよ」が驚き、つらい思いをさせているかと思うと、素直に服用して少しでも早く治してしまうのが一番だとしぶしぶ受け入れることにしました。妊婦さんへ妊娠中に体調を崩した際には、どんな症状でも必ずまずかかりつけの産婦人科で受診しましょう。知らずにうっかりそのまま内科や皮膚科、耳鼻科や歯科などへ直接駆け込む人が結構いらっしゃって、妊娠には適さない薬を処方されてしまう恐れがあるそうです。あと、先生から聞かれなくても、必ず忘れずに「妊娠中です!」、「授乳中です!」ははっきりと言いましょう。自分と子供の身は結局自分でしか守れません!2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年07月06日
2005年6月4日朝、ぽこん!とお腹を蹴られて目が覚めました。『何!?(?_?)』と一瞬訳が分からなかったですが、すぐにそれが「ぴよ」の胎動だと気づきました。これまで下腹のあたりをこちょこちょとくすぐられる感じは、妊娠初期からずっとありましたが、ここまではっきりとした胎動は初めてだったので、『これが巷で最も嬉しかったとよく聞く胎動なんだ』とすごく感動しました。「ぴよ」は生まれるまでいつも頭を下にしてひらがなの「ん」の字をひっくり返したような姿勢で私のお腹の中にいました。そのうちもっと胎動が頻繁に激しくなると、「ぴよ」が寝ている時と起きている時の違いがはっきりと分かったり、「ぴよ」が足(「ん」の字の「~」の部分)を思いっきり伸ばした時に、ぼこん!と私の右腹に大きなたんこぶのようなものが飛び出るようになりました。そのこぶを見ていつも私が笑いながら『もしもし、出てますよ!』と右腹の出っ張った部分をなでると、「ぴよ」はすぐにひょいっと足を引っ込めました。やがて「ぴよ」の身体がもっと大きくなると、私のお腹に耳をつけただけで、「ぴよ」の心音がはっきりと聞こえるようになりました(主人談)。主人にとって直接「ぴよ」を確認できる唯一の手段だったので、主人は毎日寝る前に欠かさず私のお腹に耳を当てて「ぴよ」チェックをしていました。しかし、主人の気配を察すると、すぐに「ぴよ」は警戒してさっと自分の気配を上手く消してしまったそうです。お腹の中の限られたわずかなスペースで、生まれてくるためのあらゆる準備や練習を一所懸命にしていた「ぴよ」。あの足癖の悪さは今や力強い巧みなキック力へ、あの警戒心は今や人見知り(今のところ兆候なしです)以上の旺盛な好奇心へと成長しつづけています。最後に、「胎動」はやはり頑張る妊婦への最も幸せなプレゼントだと思います。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年06月29日
画像:「ぴよ」の超音波写真4 (背骨がくっきりの写真でした;)2005年5月27日この日は定期健診のみの5カ月健診がありました。超音波検査ではようやく形成された骨や心臓を重点的に確認しました。上の画像の説明ですが、「ぴよ」は下を向いた状態で、左上にあるのが頭の左側の部分、左から右にかけて足を曲げた姿勢で写っています。ちょうど膝を抱えて、水の中で浮いているような感じです。そして、中央の上の方のげじげじのような形ははっきりと写った背骨です。ようやく安定期に入り、定期健診にも慣れてきて劇的に変わっていく「ぴよ」を冷静に喜んでみられる余裕ができてきました。お腹もはっきり分かるぐらい膨らみ始め、確かに「ぴよ」はお腹の中に存在していて、どんどん大きくなっていることを実感できた頃です。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年06月07日
2005年5月14日水天宮で安産祈願をした約2週間後の、妊娠5カ月/16週目の戌の日にいただいた腹帯(鈴乃緒マーク入り)を自宅で巻き、記念写真を撮りました。・・・が、その画像は残念ながら主人のPCのどこかに埋もれてしまっているようです。水天宮からいただいた腹帯は大切に神棚に飾っておき、この日からピジョンの妊婦帯&ささえ帯を出産まで巻き続けました。腹帯については賛否両論あるようですが、お腹の保温と胎児を守るために私自身はとても有効なものだと思いました。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年06月06日
画像:水天宮からの授与品2005年5月2日この日は、まだ妊娠4カ月/14週目でしたが、それ以降の戌の日のお日柄がしばらく悪かったため、日本橋の水天宮で若干早めの安産祈願をしました。私の両親は都合が悪かったため、主人と主人の両親の4人で行きました。幸い晴天に恵まれ、とても暑い日だったので、私の身体を気遣った義母が私の代わりに特別ご祈祷の順番待ちをしてくださいました。時代が変わったということなのでしょうか。義母の話では「妊婦さんが具合が悪くなったり、 お腹の子に何かあってはいけないから。」と、その日順番待ちしていたのは、実母や義母だらけだったそうです。お嫁さんも、お腹の子も大切にされるありがたい時代でよかったなぁと感謝しました。その後、人形町商店街でお土産に人形焼を買い、さらに亀戸まで足を伸ばして、亀戸天神社の藤まつりを見ました。ようやく安定期に入ってほっとした幸せな1日でした。<水天宮での参拝>1.特別ご祈祷や安産腹帯・小布お守りの希望者は、 申込用紙に住所と妊婦の氏名を記入して、 受付で申し込みをします。 (戌の日には臨時の受付ができます) 帯を持ち込んでご祈祷していただく場合は、 申込用紙に、氏名と年齢を記入し、 初穂料を納めます。 2.1.特別ご祈祷していただく人は書記へ進みます。 特別ご祈祷3,000円名前を短冊に清書していただき、書記で初穂料を納めます。 2.2.腹帯・小布お守りのみ購入する人は神札所へ進みます。安産の腹帯 3,000円小布お守り 1,500円神札所で、受付用紙と初穂料を納め、腹帯または小布お守りを受け取ります。 3.特別ご祈祷を希望する人は名前が書かれた短冊を持って 時間になるまで社殿の前で並んで待ちます。 時間になったら、社殿の中へ案内されます。 特別ご祈祷は30分間隔で、所要時間は10分程度です。最後に、おまけです。<子宝いぬ>社殿の左側に子犬とそれを見つめる母犬の子宝いぬという像があります。周囲を取り巻く十二支の内、自分の干支を撫でるとご利益があると伝えられています。 (でも、みなさん、お腹の子の干支を触っていました)忘れずに参拝しましょう!2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年05月26日
画像:「ぴよ」の超音波写真3 (私の一番お気に入りの写真でした)2005年4月30日この日は定期健診のみの4カ月健診がありました。たった1カ月の間に「ぴよ」は、また劇的に大きく成長していました。「ぴよ」は、超音波検査の際にちょうど両手を動かしていて、まるで私に『元気だよ!』と手を振って合図してくれているかのようでした。上の画像はまさに「ぴよ」が両手を振っている時の超音波写真です。左上が頭で真正面を向いて、右下の足へと斜めに写っています。私は「ぴよ」が無事に生まれるまでずっと男の子が生まれる夢ばかりを見ましたが、あらかたの予想は最後まで圧倒的に女の子でした。でも、この超音波写真を見て、私は直感で「ぴよ」がやはり男の子だと一人確信していました。これまでの超音波検査に加えて、この健診から初めて超音波ドップラーで「ぴよ」の心音を聞かせてもらうようになり、あのドッ、ドッ、ドッ、ドッ・・・という音が、「ぴよ」は確かに、力強く元気に生きていますよ!と教えてくれて、涙が出そうなくらい感動したのを覚えています。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年05月18日
画像:「ぴよ」の超音波写真2 (主人の一番お気に入りの写真でした)2005年4月1日初診から1週間後に3カ月健診がありました。この日は、定期健診に加えて1回目の血液検査と子宮ガン検査を行いました。たった1週間ではありますが、「ぴよ」はまた5mmぐらい大きくなっていました。しかも、前回の超音波写真では分からなかった体の右側の部分、目や手、足がしっかりと確認できます。妊娠初期の胎児は、短期間に身体のあちこちが順番に完成し、どんどん成長していくので、あまりに神秘的で驚きの連続でした。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年04月05日
画像:「ぴよ」の母子手帳2005年3月28日産院の先生からの指示で生まれて初めて母子手帳をもらいました。母親になった私自身とお腹の中の小さな「ぴよ」の存在を、ようやく公に認めてもらえた気がしてとても嬉しかったと同時に、頑張って出産しなきゃという責任の重さみたいなものをひしひしと感じました。さまざまな説明の最後に保健センターの方から「お気分はいかがですか?大丈夫ですか?」と突然聞かれ、仕事帰りに立ち寄った私はそんなに疲れきった顔をしているのかとちょっとどきどきしていたら、本来ならば、妊娠が分かってとても嬉しい時期のはずなのに、すでにつわりが始まって青い顔でふらふらしながら母子手帳を取りにくる妊婦さんがとても多いとのこと。思い返せば、つわりって妊娠の最初の試練ですよね。現在、つわり真っ只中の方へ一日がとても長く、憂鬱に感じられるかと思いますが、そのうち軽くなっていきますから、どうか頑張って乗り切って下さいね!2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年04月03日
画像:「ぴよ」の超音波写真1 (「ぴよ」の最初の姿です)2005年3月25日自宅で妊娠検査薬を使って陽性反応を確認してから、約1ヵ月後に近所の産院で初診を受けました。『どうか、どうか、小さな命の存在を無事に確認できますように!』それは本当に心からの切なる祈りでした。どきどきしながら、診察台に上がり、先生に超音波で検査をしていただくと・・・いました!まだ小さな、小さな「ぴよ」が!!!その姿を見ているうちに感動と安堵した気持ちが一挙にあふれ出てきて、今にも泣き出してしまいそうな自分を必死で抑えました。この日の診断は9W5D、大きさは約25mm、基礎体温表とも照らし合わせて予定日は10月25日となりました。母親になった実感と子供に対する愛おしさでとても満たされた感動の一日でした。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年03月29日
画像:「ぴよ」が入っている臨月のお腹時が経って色あせてしまわないうちに、大切な瞬間を少しでも忘れてしまわないうちに、『2005年マタニティ生活』をまとめました。非常に私事ではありますが、私と「ぴよ」にとって文字通り一心同体の共存生活、とても大切な思い出の一つです。そして、これから出産される方の何らかの参考になればとも願っております。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年03月15日
2005年2月19日ぴよちゃんがやってきた日♪今日、妊娠検査薬で陽性反応が出た。待望の妊娠だ。二人とも大喜びで妊娠関連の本を何回も読んだり、夕食でも軽く祝杯した。初めまして、ぴよちゃん!今日から生まれてくる日まであなたの名はぴよちゃんです。これから一緒に頑張ろうね!p(^^)q<当時の日記より>**********画像:生まれてきた感動をいつまでも忘れずに! 誕生以来、私の携帯電話はずっとこの待ち受け画面です。体調面ですでに妊娠の兆候がみられていたけれど、ようやくきちんと検査薬で検査することができたのがこの日です。結果は「陽性」、とても大喜びの幸せな1日でした。・・・そして1年後の今日。「ぴよ」は今日も元気で笑ったり、泣いたり、おっぱいを飲んだり、寝たり。そんな何気ない1日に『あー、本当に生まれてきてくれたんだなぁ』と改めて「ぴよ」に恵まれた幸せを感じた1日でした。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年02月19日
昔から漠然と『最初の子供は男の子がいいな』と思っていました。「ぴよ」を妊娠した時、なぜか産み分けに関する姉からのアドバイスを急に思い出し、チャンス到来の前後3日間慌てて「カルシウム」のサプリメントを飲み続けました。その後、妊娠中は圧倒的に『女の子に違いない』と言われておりましたが、めでたく長男「ぴよ」を出産しました。男女の産み分け方法については、学術的にも、占術的にもいろいろなことが言われていますが、経験上「カルシウム」作戦はとても手軽で、かつ姉のケースも含めて多少なりとも有効ではないかと思います。ですので、男の子をお望みの方には『試してみる価値あり!』とおすすめします。ただし、妊婦の牛乳摂取に関しては子供のアレルギーを引き起こすという説があり、妊娠中の摂取量がきちんと定められていますので、牛乳での「カルシウム」摂取は、くれぐれも過剰にならないようご注意ください。
2006年02月03日
2005年2月1日この日、「ぴよ」がこの世に命を授かりました。私のお腹の中の、あまりに小さいこの命の存在にまだ誰も気づいていませんでしたが、確かにこの日から「ぴよ」のいる生活が始まりました。1年前の今日は、なぜ私が仕事を休んでいたのか?(?_?)全く理由を覚えていないぐらい、恐らく何気なく普通に過ぎた1日だったようですが;(^^;)、それが今となっては、私の人生の中で絶対に忘れられない非常に大切な1日となりました。神様、仏様、ご先祖様、両親・・・すべてのありがたい尊い方々へこの日「ぴよ」と出会わせて下さったこと、心から深く感謝しています。本当にありがとうございました。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年02月01日
「ぴよ」のいる出産・育児生活と同時進行で、当時仕事等で多忙だったためにまとめることができなかった「ぴよ」のいるマタニティ生活を、約1年前を振り返るという形でこれから綴っていきたいと思います。2005年マタニティ生活-「ぴよ」が生まれるまでのマタニティ生活の記録
2006年02月01日
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