Marlaのオイシイ生活

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マーラとだんなの結婚までの道のり(2)



関東に友達がたくさんいるので(ほぼ全員がシアトルで知り合った人達)、

一旦九州に帰ってしまうと出ずらいため、成田経由で帰るとそこで

関東の友達の家に何泊かさせてもらって再会を果たしてから実家に帰れて

一石二鳥といいましょうか。その時も東京で友達に会って、みんな

私を応援してくれた。頑張ってお母さんを説得してねって。

1週間くらい友達の家にお邪魔した後、私は実家へ帰った。

空港では母がとても嬉しそうな顔で迎えてくれた。

姉も交えて、久々の家族水入らずはとっても楽しかった。

でも私には言わないといけない事がある・・・。

数日経って、私は母に彼との結婚話を切り出した。

母は声を上げるでもなく、でもきっぱりと「反対だ」と言った。

予想はしていたので、これは長期戦で理解してもらうしかないと思った私は

ある時は毎日、ある時は1日~2日おきに結婚の話をした。

母の考えは、私を日本に帰国させてしまえば、あとはどうにかして

日本に居させることができる、というものだったらしい。

ところが一向に諦める様子のない私に母はだんだんと怒りの意を表すようになった。

私自身、カレッジを卒業したらすぐ母の待つ日本に帰る予定だったから

アメリカに永住するなんて決めたこと自体予期せぬ決断だったのだけど・・・。


私はアメリカに留学する前に働いていた会社の仲間に帰国したと電話した。

彼の事も話し、とりあえずアルバイトを探さないと、と言うと、

じゃあうちでアルバイトしたら、と言ってくれ、早速福岡支店に連絡して

私のアルバイト許可をもらってくれた。

母にアルバイトの事を話すと、喜んでくれた。

母は私が日本に残ることに決めたのだと思ったらしい。

私は、母がずっとキープしてくれていた、私がアメリカに行く前に買った車に

乗って、毎朝地元の駅まで行き、そこから電車に乗り換えて通勤していた。

ちょっと結婚の話は冷却期間が必要だろうと思い、私は暫くアルバイトに

没頭することにした。


その頃、私が彼のところから日本に送った荷物が実家に届くはずだった。

荷物を実家に全部入れてしまったら、あとはそのまま一生家から出れないような

気がした私は、事前に福岡の宅○便支店に電話して、実家に荷物を配達しない

様にお願いした。私が自分で取りに行くので、うちの地元の宅○便事務所に

荷物が届いたら連絡下さいって。帰国してから約1ヵ月半経った頃、

宅○便から電話があり、私は事務所まで荷物を取りに行った。

そして母が家に居ない時に二つの箱を家の中で開けて、要る物、要らない物を分け、

それぞれを各箱に詰めなおし、要る物を入れた箱はまた車のトランクに入れ、

要らない物を詰めた箱は玄関に置き、

「今日アメリカから送った荷物が届いた」

と母に言った。こうすれば、母から荷物の事で怪しまれることがないと思ったのだ。

いまだに母は私がそんな事をしたなんて知らない。

これからも、一生言うつもりはない。そんな早い時期から母を裏切っていたなんて

絶対に母には言えないからだ。


彼には私が外出するたびに公衆電話から電話をかけていた。

母の家からは、とてもじゃないけど、彼に電話なんてできなかったからだ。

その頃はまだ国際電話がかけられる電話が限られていて、私はなけなしの

懐からテレフォンカードを購入して彼に電話をしていた。

彼は「コレクトでかけて来い」と言ってくれた。

その頃は、彼と電話で話してる時だけが、私が素直に笑える時だったのだ。


アルバイトを始めて2ヶ月くらい経った頃だったろうか。

母が急に結婚の話を始めた。

母は私がまだ彼との結婚の事を諦めてない事に腹を立てていて、

アルバイトもアメリカに戻るためにお金を貯めているんだろうって。

母にとっては今までほんわかしたいい子だった娘が急に自分の言う事を

きかなくなってパニックに陥ったんだと思う。

うちの家族は本当に親せき中がうらやむほど仲良しで、私も家族のためなら

何でもやる、みたいなタイプの子だったのに、その私が母の言う事を、

母が私に止めて欲しいと思っている事を無視して、押し切ろうとしている。

その日、母は私にアルバイトに行く事を禁じた。

もうアメリカに戻らないと言うのなら行ってもいいが、そうじゃなければ

たった今アルバイトを辞めろ、と言われたのだ。

私は会社に電話して、アルバイトにいけなくなった事を話した。

会社のみんなは、また働けるようになったらいつでも戻って来いと言ってくれた。

その日から、母と私は、姉も含めてドロドロの口論大会を始めた。

「子供には子供の人生があるんだから」

なんて生意気な事を私は言ってしまったりして。

そうすると母もますます噴火した火山のように火を噴いて怒り、

「それが今まで育ててもらった親に言う言葉か?!」

と、事態はどんどん悪くなっていった。

私は二階の自分の部屋にずっと篭るようになり、母は夕食の後、すぐ車で

どこかに出掛けて、朝まで帰ってこない日々がずっと続いた。

あんなに仲の良かった家族が、私のせいでボロボロになってる・・・。

姉も、私に日本に居て欲しいから当然彼との結婚には反対だった。

そしてとうとう親せきも交えた話し合いになってしまい、叔母達はみんな

「Marlaちゃんの気持ちはよく分かるけれど、叔母ちゃん達はやっぱり

Marlaちゃんのお母さんの姉妹だし、お母さんに幸せになって欲しい」

と母の味方だった。

母は、彼が日本に来て住むというのならちょっとは考えてもいい、と言ったが

弱い彼がそんな事ができるわけもなく、

「日本に行っても仕事が見つからなくて、君を養えないよ」

と言うしかできなかった。

私は一人、自分の部屋で考えた。

このまま家に居ても、私が彼といっしょになりたい気持ちは変わらないし、

彼との結婚に反対の母親とは、ずっとこのままの状態が続くだろう。

それなら、もう私が家を出るしかない。

そう思い立った私。大分市内の友達に電話をして、日曜日の早朝、彼女に

迎えに来てもらう事にした。

「本当にいいの?Marlaが決心したんだったら行ってあげるよ」

友達は100%私をバックアップしてくれた。

その日の晩、私は一人、家の中で家のいろんなところで写真を撮った。

飼っていた犬とも一緒に。もうこの家に帰って来れないかもしれないから

一生見れなくなる前に写真を撮っておこうと思ったのだ。

後でだんなにそれらの写真を見せたら、私の顔は笑っているものの

悲しさ、寂しさが伝わってくるらしく、そんな思いをさせてしまった事をとても

悪いと思ったそう。

「君が強い人じゃなかったら、僕らはきっと一緒になってなかっただろう」

って。まぁ、そうだろうなぁって私も思うけどね。

写真を撮った後、私は母と姉に手紙を書いた。

親不孝者でごめんなさいって。いろいろ書いたけど、今書くと辛くなっちゃうので・・・。


その日もいつものように夜中は車でどこかへ行っていた母。

早朝には帰って来て、洋間のカウチの上で仮眠を取っていた。

そして友達はやって来た。

「Mちゃんと約束してたから」

洋間から出て来ない母にそう言って、私は母に見られないように

自分の車のトランクに隠してあった自分の荷物が入った箱をMちゃんの車の

トランクに入れ替えた。

Mちゃんが車のエンジンをかけて、私たちは走り去った。


うるうるストーリー3





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