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・・・とか何とかゴニョゴニョ言っている間にも、僕が所属しております、世界制覇をもくろむ秘密結社機関誌の12月号の原稿締め切りは、否応無しに迫って来つつありまするだよ。これは僕の、隠れもなき生きがいでごじゃりまするので、とりあえず10月の歌会始めの儀というか、姫初めというか、筆おろしというか、小手調べ作業にぼちぼち取り掛かることにいたします。くまんパパ結社誌「短歌人」12月号のための下書きエスキス 1(ブログ既掲載作を含む。現代かなづかい表示。)さ庭べに実りしトマト齧りせば皮いと堅き野生の子ワイルド・チャイルド望月の光にトマト照り映ゆる窓辺に君と寄り添いている未熟なるトマトのごとき青臭さ我が詠む歌に認めつつ読む馬鹿だから反省などはせぬという小林秀雄貴とうとしとなすまじないを折々吾子に囁けりロールオーヴァー水原紫苑流血の惨事もありし夫婦めおとなりジャガー横田が他人に見えず月に問う存在理由レゾンデートル答なくすすきが原に高光りつつ生涯にひとたび接吻キスをさせてくれ綾波並みに美しき君倒錯と言うべきなるか人造人間サイボーグ綾波レイに抗あらがいがたくリアルにはお笑い草も短歌だと純化理想化美化七変化たわわなる稲穂まばゆき田園を我自転車で貫きにけり清らかになべて洗わる心地して我が身世にふるながめせし間におぢさんと猫が可愛いだけならむ妻の明星チャルメラ贔屓赤髭のジェントルマンにあくがれて今日も飲む飲むブラックニッカレノンの死知りたる渋谷駅頭に山手線のように還らむ夢想にし過ぐると思う「イマジン」の歌詞と思えど十八番おはこにしつつ初恋の痛みを思い出ずる夜は当該女子にメール送れりつらき日々綴れるメール送り来し君と僕とはつながっている東京はかつていた場所今君が住んでいる場所 秋の夕暮眠らない街に愛する人がいる。底無し沼に思い沈めて*桑田佳佑「祭りのあと」*この短歌作品は虚構フィクションであり、実在の人物、団体、感情等とは、一切関係ありません。著作権を有します。
2007年09月30日
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以前から時々触れてきましたが、本業(小売業)の方で、インターネットショップ(バーチャルショップ、エレクトロニック・コマース・EC・電子商取引)を本格的に展開する決意を固めまして、この間にホスティングサービス(ネットショップ運営サポート)の「Eストア」と正式に契約しました。操作性の良さはもちろん、テンプレートの充実やカスタマイズの自由度、決済システム、セキュリティ等々の完備に、信頼できると判断しました。また、地元で多くのネットショップを成功させている旧知の広告会社にもすでに渡りをつけまして、必要に応じて、ホームページ、ロゴなどのデザイン・レイアウト、その他の企画や細々したサポートを受ける手はずにもなっております。将来的には、モ-ルショップの楽天市場に進出するのがかねてからの悲願なのですが、何しろ出店料も高く、なかなかのアドベンチャーになりますので、初めてのことでもあり、とりあえず独自ドメインショップ(いわゆる「本店」)を開店してこの分野に「入門」し、一から勉強するつもりです。前にもちょこっと触れましたが、僕の場合は、インターネット、EC等に全く興味も理解もない石頭の旧石器時代人、というか20世紀の遺物である社長こと父親が目の上のタンコブでありまして、寺内貫太郎一家の西城秀樹状態ですまずは、そこいらへんのところが最初の主戦場になりますので、なるべくリスクの小さい(出店料の安い)独自ドメインショップを選んだ側面もあります。妥協といえば妥協ですが、最初から生き馬の目を抜くモールショップの荒波に揉まれるのはちょっと無謀かなとも思いますし、結果オーライという気もしてます。いまごろネット進出なんて、世間の常識から見れば、とっくに2~3周ぐらい周回遅れだよと、僕は危機感とともに重々認識しています。焦りもあります未だに、ネットが分からない、興味がない、面倒くさいなんて寝言を言っている小売業者も、世間にはかなりいますが(・・・むしろ多数派かも?)、はっきし言って、ぼちぼち首をくくる算段でもしといた方がいいんじゃないすか~、と言ってあげたいです。・・・そんなこと面と向かって言うわけないけどね~なお、このブログは趣味道楽・本音炸裂ブログとして温存したいので、ショップ開店の運びとなっても、そちらとはリンクせず、切り離しておくつもりです。仕事や公的な立場とリンクさせると、しばしば毒舌と評される、ワガハイの言いたいことが言えなくなってしまうことを、大いに危惧しております。時々毒を吐かないと、僕は自家中毒で死んじゃうのよ~ん「Eストア」は、ホスティングサービス会社としては、ITベンチャーの寵児・熊谷正寿さん率いる「GMO」グループ系の「アイル(iSLE)」に次ぐ2番手という感じ(参加企業、4万数千店)ですが、全体に明るくて快活なイメージ、取っ付きが良くてしろうとにやさしそうな感じと、社長さんがやる気マンマンで鼻息が荒そうな感じがいたく気に入りました。熊谷さんが、ご存知の通り、不動産業の雄・熊谷商事の御曹司でありながら、ITベンチャーの雄でもあり、しかも水もしたたるモテ男であり、あまりにも完璧なイケメンすぎて見ていてムカツク、ということも否定できません・・いや、尊敬はしてますけど当分の間、ショップ構築・運営システムツール「ショップサーブ2」と、日夜組んずほぐれつ格闘することになりそうで、とても趣味ブログに割く時間とエネルギーはないものと思われます。ネットショップの成功者の回顧談でも、特に最初の立ち上げの2~3年間ぐらいは、寝ている時間以外はパソコンとにらめっこだったとか、壮絶なことが当たり前に書いてあり、なるほどそうだろうな~、そうそう甘いもんじゃないだろうな~とは、拙者も覚悟しておりやす。純技術的には、このブログを管理するぐらいの腕があれば、一定の時間を投入して、何とかやっていけると判断してます。問題は、成功しているネットショップの例を見ても、何といってもやはり仕入れと企画力・コンセプト等々といったところに集約されるようです。そんなこんなで、このブログは、すみませんが、当分は半ば休眠に近い状態になることもあり得るかな~と思ってます。秋といえば、詩歌の世界ではまさに本番のシーズン。ご紹介すべき詩歌はたくさんあるのですが、撤収を余儀なくされそうです。最近は、心温まるすばらしいコメントが多くて感謝感激してますので、ホント心苦しく思っています。まずいといえば、まずいよな~ゴメンニャイ。・・・とはいえ、たまには何か書きますから、ヨロピクね~。ご愛読者の皆様には申し訳ないのですが、やはり誰しも本業の仕事が優先であるという事情をご斟酌いただきまして、何とぞご寛恕を賜りますことをお願い申し上げます(マジ)。
2007年09月28日
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短歌結社誌「短歌人」(小池光編集人)10月号に、拙作短歌が6首掲載されました。(旧かなづかひ)はちぐわつの饐すえしにほひの叢くさむらに殻のみ晒す蝸牛かな凄まじき驟雨襲ひ来くドストエフスキー新訳読む夏蔭にアリョーシャとスメルジャコフのまなざしの彼方に神の虚ろほの見ゆ人間に興味がないのかも知れぬ神と言葉と今宵たはむる物語なるもの既に飽き果てて夏の大三角形を見つ台風が去りぬるころは我ひとりスカーレットのごとくさぶしゑ自註:「凄まじき驟雨~」以下2首:フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」亀山郁夫新訳よりインスパイア。「スメルジャコフ」は、「イワン」の方が良かったかも知んないな~という気もしているが、どうせ誰にも意味が分からなさそうだから、ま、いいか直すとすれば、例えば「アリョーシャとイワン囁く○○の彼方に神の虚ろほの見ゆ」とか。・・・あとあと歌集にまとめる時には、こっそり直しときます「台風が去りぬるころは~」:マーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ」より。反省点としては、やっぱり観念的に過ぎたかな~、ってことです。僕の悪い癖です。もうちょっとリアルさとかライブ感が欲しかった。・・・今後の宿題。なお、「それからは薔薇を諦めひたぶるにトマトを植ゑて妻を愛して」が、8月号の「Selection」に選出されました。確かに割と自信作ではありましたが、内容はけっこうヤバイっす!!!〔ボツにされた詠草〕夏祭渡御とぎょの神輿のわかうどの炎ほむら立ちぬる魂なりき夏祭踊る阿呆に見る阿呆我と娘も両方阿呆すでにしてをんななるべしたをやかに浴衣まとひし我が子を見れば素麺を啜りなどしてディスカヴァーエキゾチックなジパングの宵幾十年いくそとせ一日ひとひのごとくNHKラヂオ体操第一第二赤とんぼてんたう虫にあげはてふ虫愛づる君。蝿蚊を除く第一次反抗期なる娘らのけふも楽しき減らず口かな囲碁脳といふものありと聞きしこそ韻律脳もあらむと思へ九歳で始めさせるか六歳で始めさせるか娘に短歌*選歌には納得。異存なし。
2007年09月28日
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くまんパパ ひろしかの人――山口・光 母子殺人事件に寄すちびてゆく石鹸を見て心より哀れむ吾子わこや愛めぐしかしこし弥生とううつくしき名の奥様はやさしく夏の夕べを愛めでつ三月は春のはじまり草萌ゆる弥生に生あれし吾子わこをしぞ思もう魘うなされて熟睡うまいしなさず西方の遠き長門の事件なりしも生き地獄なるべかりきと妻の母裁判長に陳述のべにけるかなゆくりかにむごたらしくも奪われしいのちに言葉無力なりけり凛とした男の中の男なりいかなる時もかくありたきも犯人の心からする反省をひた促せり洋ひろし彼かの人冷静は日本男児の美学なりCool Japanの本村洋沙漠なる空と君との間には今日も冷たき雨さえ降らず*中島みゆき「空と君の間」被告への慈悲は万死に値する罪を知らしめ泣かしむること甘すぎる少年法の規定さだめなり十八歳の獣けだもの笑えみぬ虱しらみではないと言うならその罪に従容しょんぼりとして罰を受くべしソーニヤを誰もが欲す浄きよらなる春を売りても心鬻ひさがず*ドストエフスキー「罪と罰」より千三つの三百代言笑うのみ嘘物語えせストーリーけがらわしかり単純ナイーヴな事実まこと捻じ曲げ笑うべし救世主すくいぬしなる「ドラえもん」かよ陰惨な顔をしている弁護団自分の顔に責任せめはあらずや弁護団イデオロギーの虜囚とりこにて滅びの道を疾駆するなり短歌より離るることも厭いとわざりこいつは僕の演説だから良民よきたみの憎しみ消えず国民くにたみの刃やいば刺さらむ悪と嘘とに(現代かなづかい使用)著作権を保有します。© Nosho Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年09月23日
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山口県光市の母子殺害事件で、殺人、強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元会社員福田孝行被告(26、犯行時18歳)に対する差し戻し控訴審の第10回公判が20日、広島高等裁判所(楢崎康英裁判長)で行われ、殺害された本村弥生さん(当時23歳)の夫であり、同じく殺害された夕夏ちゃん(同1歳1ヶ月)の父である本村洋さん(31)、および弥生さんの母親の意見陳述などが行われた。この日で実質的な審理は終了。10月18日に検察側、12月4日に弁護側がそれぞれ意見を述べ、結審する予定。判決は来春下される見通し。本村洋さんは、意見陳述で「弁護人が代わった途端に主張が変わったことが私を最も苦しめている。(被告人は)法廷で真実を語っているとは到底思えない。だから、いくら謝罪の言葉を述べようとも信じられない。・・・君の犯した罪は万死に値する。命をもって罪を償わなければならない。私は死刑を望みます。」と強い口調で福田に語り掛けた。犯人(被告人)に対する激しい憎しみを胸に秘めながらも、決して声を荒げることなく冷静に、しかし毅然と社会正義を訴える本村さんを、凛とした男の中の男であると、僕は深く尊敬している。いついかなる時も、男というものはかくありたいものである。ただ、考えたくもないが、僕なんかが同じ立場に置かれた時、ああいった冷静さを保てるかどうか、全く自信がない。逆立ちしても真似の出来ない振る舞いだとも思う。さて、事件の構図は、むしろ単純なものである。ケダモノのような男による、強姦を目的とする強姦殺人事件である(・・・正確に言うと、書くのもおぞましいが「屍姦」であるとされるが)。弁解・弁護の余地はほとんどない。せいぜい深い反省によって更正の可能性を示すか、生い立ちや生育環境に焦点を絞って情状面で訴える程度のことであろう。20数名も結集した、特殊な偏向したイデオロギーで理論武装した弁護団によって、公判廷が異常な展開を見せていることは周知の通りであり、国民の激しい憤激を惹き起こしている。人非人・福田孝行の態度には、本村さんならずとも心からする反省は見出せず、20日の公判でも、質問する検察官に対して「ナメないでもらいたい」という捨てゼリフを吐いたという。鬼畜め、正体を現わしたな、と思ったのは僕だけではあるまい。この他にも、読むだけでも虫唾が走る傲慢不遜な言動が、司法当局関係者によって目撃・現認され、メディアで報じられ、一部は公判でも証拠採用され、裁判長も言及した。詳しくはこちら。犯人・福田孝行に対して、国民およびそれを代表する司法の判断は、死刑以外にはありえない。もし死刑以外の判決が下された場合、警察・検察はやる気を失い、国民は司法行政への信頼を失い絶望し、正義の観念は虚妄化するであろう。日本国民はおとなしいから暴動は起きないが、その代わり広汎かつ全面的で深刻なアパシー(非共感・非関与・無関心)状態が世を覆うことになる。しかし、むろん、そんなことは万に一つも起きないであろう。裁判長は死刑を宣告し、粛々と執行される。・・・世はすべて事もなし(ロバート・ブラウニング)。なるほど、ある程度文学、特に外国文学に親しんでいる者なら、人間心理の深奥に闇黒の深淵がありうることは先刻ご承知であろう。「いろは」の「い」とは言わないが、「ろ」ぐらいには当たる。例えば、人類の至宝、巨人ウィリアム・シェイクスピア。彼の悲劇作品には、タナトス(死への衝動)が満ち溢れている。ちょっと思いつくだけでも、「ロミオとジュリエット」のクライマックス・シーンには、悲劇的なシチュエーションの中で、「屍姦」に近い衝動が象徴的に展開されている。傑作「ハムレット」のラスト、狂い死にして水面(みなも)を漂う美しきオフィーリア姫の死体。リア王やマクベスの盲目的な破壊と滅びへの衝動。・・・そして誰もいなくなる狂おしいまでの滅びの美である。人間、必ず一度は死ぬのであるから(・・・007は二度死ぬらしいが)、出来れば「人生は美しい」(マリオ・プーゾ「ゴッドファーザー」)とか、「光が見える」(ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」)とか言って死にたいものである。そういう一種の「結晶作用」(ロマン・ロラン)を、滅亡、破局、すなわち自他の破壊の中に見出すということは、人間精神の多様性においては十分ありうることであると、文学史および現実の歴史は告げている。わが国でも、近松門左衛門の浄瑠璃(戯曲)「心中天網島(しんじゅうてんのあみしま)」や「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」に典型的である。これは江戸爛熟期芸術の最高峰であり、日本文学史の一頂点を成すと評価されている。これらは、心理学的にいうと、エロスとタナトス(生/性衝動と死衝動)の問題である。精神分析学の発達によって、下意識(いわゆる深層心理)の存在は現代人の常識となったが、その人間精神の深奥にデ~ンと横たわっている、コア(中核)のようなものである。タナトスは二方向性(ダイヴァーシティ)であって、内向すれば自傷・自殺に向かい、外向性では他者への危害・殺人となる。これには個人差や環境差などがある。・・・が、精神分析学的には自殺・他殺の差は大きくない。石原慎太郎「乾いた花」では、さらに一歩進んで、「愛するがゆえに殺す」という倒錯した心理が、虚飾を剥ぎ取ったロマンティシズムの極北の姿として耽美的に示される。そのために主人公は情性を欠如した(ニヒルな)ヤクザであるという特殊なシチュエーションの設定を要した。むろん、これはおそろしく思考回路をショート(短絡)した論理であり、子供によく見られる、善悪の彼岸にある素朴な残忍さが、一切の掣肘を経ずに、怪物(モンスター)にまで極度に成長した姿である。なぜそうなるのかは諸説紛々でもあり、すいませんが僕の手に余る問題だから、興味のある方は関連書籍を読んでほしい。これは直感的に言うのであって根拠は乏しいが、おそらく個人個人の持っているエネルギー総量(フロイトのタームでいえば、「リビドー」)のマグニチュードには、それほどの大差はないのではないか?せいぜいが等差級数であって、等比級数的な差はないのではないかと思う。具体的にいえば、5~6倍の中には収まる程度の差なのではないだろうか。俗に言う、「運は皆平等に持っている、使い方の問題だ」ということともやや似ている。そのエネルギーの発動の方向性(ベクトル)の問題である。例えば、体が丈夫で、頭もそこそこ切れて、ケンカの強い男の子は、政治家で一家を成すかも知れないし、スポーツ選手になるかも知れないし、優秀な警察官になるかも知れないし、(昔だったら「軍人」という、きわめてディグニティの高いオプションもあった)、一歩間違えればヤクザにもなり得るわけである。これは、決して机上の空論ではなく、社会での我々の経験的な事実として観察されることである。ところで、ここまで書いて、テーマがデカすぎ、話が広がりすぎて収拾が付かなくなっていることに、薄々気が付いたところであるよく考えたら、優に一冊の書物が編めるほどの一大テーマである。とても僕のアタマのキャパシティの手におえるようなシロモノではない。・・・というわけで、シメに入るが、以上ちょこっと触れたような文学・思潮を踏まえた上で法制度もあるわけであって、法も人間が創り出したものであることは当然である。従って、近代における法制度は、個人の自由や尊厳・良心(信念・ポリシー)を尊重し、拡大する方向に、すなわち、緩和の一途を辿ってきた。これは先進国の国民が、時には血を流して獲得してきた権利であり、全く正当かつ正統的なことであることには疑問の余地がない。しかし、「越えてはならない一線」は厳然として存在しつづけるのだし、それは我々の市民社会から見れば、取りも直さず「譲れない一線」にほかならない。僕は、少年法の趣旨は理解するけれども、触法少年の可塑性(矯正可能性)を過大に見積もりすぎていると思う。少年法が制定された昭和20年代の純朴(ナイーヴ)な(?)少年犯罪と、昨今の陰湿・退廃の極みの少年犯罪とは、質的に全然違うと思う。抜本的な厳罰化への全面改正が必要だと思う。むろん、ごく軽微な触法の場合は、若気の至りってことも十分理解できるし、更正は悠々可能だろうが、凶悪事件の場合は、全く別のカテゴリーだろう。もう時効だろうが、かく言う僕も、生涯でたった一度だけ万引き(窃盗)をしたことがある。高校生の時、地元では名のある本屋・落合書店で、重厚な装丁の埴谷雄高「死霊」(講談社)全一冊を盗んだけっこう高価な本だった。非常に観念的な少年だったので、何となく思想的に(?)、この本は通常の商行為で入手しては(買っては)いけない本だと思い込んだドストエフスキーの読み過ぎで、多少気が変になってたかも知れない。バレなかった。この本は今も僕の本棚の隅っこにある。・・・いや、全く若気の至りです。落合さん、すみませんでした~!!皆さん、万引きは窃盗事件です。絶対にやってはいけまっせ~ん!!!それ以来、一度も悪いことはしていない(軽微な交通違反ぐらいはするが)。立派に更正した、善良な市民といえるだろう期待さるべき少年法の厳罰化には、残念ながら民主党が執拗・頑迷に反対している。民主党主導の政権が成立すれば、この問題はウヤムヤにされるのであろう。非常に心配している。折も折、また、というべきか、神戸市須磨区で、陰湿きわまりないいじめ自殺事件が発生した。手を拱(こまね)いていていいのか、と焦眉の感がある。しかし、何しろ筆者の能力を超える硬派な問題であり、なかなか忙しい身でもあるので、論考に委曲を尽くせず意を尽くせないことが残念だが、ご賢察いただき、被告には極刑を強く望むものである。裁判長の良識に期待したい。
2007年09月22日
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この異常とも思える残暑も、ようやく先が見えてきて、当地(北関東)では、明日土曜日いっぱいで一段落らしい。やっと人心地付きそう。これはやっぱり、地球温暖化ってことなのだろうか?諸説紛々で、僕にはさっぱり分からん。ともあれ、ようやくダイエット・エキササイズ・フィッットネス大作戦(オペレーション)の発動の日も近づいた、と言えるのだろうか?!?実は、現在90kg!!!特別何もしてないのに、すでに半月ほどで3kg痩せてる!!!猛暑で食欲減退、単なる夏バテ・夏ヤセという説が有力であるし、焼け石に水程度の話ではあるが女房にはうらやましがられている。ところで、昨夜はなんとなく無性にユーミンが聴きたくなって、ベスト盤「ノイエ・ムジーク」(ドイツ語で「ニュー・ミュージック」の意)を塵を払って引っ張り出してきて聴いていたら、これが秋は名のみの残暑の夜にマッチして沁みるんだな~(・・・ここ、山下清画伯の口調で)。酒も美味くて、つい飲みすぎてしまった。けさは二日酔い。それに伴い、何首かおキツネさんの自動記述よろしく浮かんできたのだが、これが何ともはや、いい年した妻子のある男が詠むような歌じゃないぜ~。・・・しかしまあ、こういうのも、紛れもなく僕の中にあるものであり、ひとつの持ち味だと自認してますので、とりあえず掲載します、・・・恥ずかしいけど。(現代かなづかい使用。)くまんパパ UPTOWN GIRL酒ふくみ「卒業写真」を聴きながら卒業写真開いていたり*荒井由実「卒業写真」かなしげな顔をしている君なりき卒業写真開いてみればかなしみが日本文学かなしくてやりきれないね愛しすぎるねとこしえに僕らの失恋記念日は染みついている棕櫚の木蔭にUptown girlだったねアメリカに今住んでいる届くかな?これ*ビリー・ジョエル「アップタウン・ガール」/松任谷由実「Downtown Boy」男の子死屍累々の君である好きなら好きと言えばいいのにオノ・ヨーコ気分でジャンプしたのかい汝なんじのジョンはここにいたのにエアメール必要ないねグーグルで検索すればつながるぼくら冬よ来い君とひとつになれるから風吹きすさべ雪降りしきれまいるよね時の試練を耐え抜いていよよつのれる恋かななんて著作権を保有します。万一、妻の目に触れた場合は、速攻削除します
2007年09月21日
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在原元方秋の夜の月の光しあかければくらぶの山も越えぬべらなり古今和歌集 195秋の夜の月の光が明るいので、くらぶの山も越えられそうだなあ。註し:強調の間投助詞で、特段の意味内容はない。現代語においても「なきにしもあらず」、「折しも」、「定めし」などに残滓的に存在する。くらぶの山:未詳だが、「比ぶ」、すなわち比叡山のことか。(・・・これ、くまんパパ新説かも。)
2007年09月21日
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壬生忠岑(みぶのただみね)ひさかたの月の桂かつらも秋はなほもみぢすればや照りまさるらむ古今和歌集 194(地上の桂もそうだが)月の中に生えた桂も、秋はやはり紅葉するから、いつもより(月が)ずっと照りまさるのだろうか。
2007年09月20日
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「美人薄命」を地で行き先日逝去した山口小夜子さんを偲んで 数首ともるーさんのブログへの拙者コメントよりコットンのワンピース着ておかっぱの髪に簪かんざし碧きかの人さっくりと木綿の白きワンピース風に揺るるにまかせて小夜子涼やかな切れ長の目の人なりき緑の中にとこしえに ああ黒人には黒人の美があるという君は東洋人の美なりき
2007年09月17日
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水原紫苑(みずはら・しおん、1959-)ひさかたの月を抱いだきしをのこらの滅びののちにわが恋あらむいつはらぬわたくしといふけだものの黄金わうごんの尾に病やまひひそけし魚のごと醜しといはれひたねむる歳月みづのきららかさにてひと恋ふる三日月ならむひそやけく繊ほそき四肢見ゆあくがれつるに星の刃にこころを研ぎしうたびとのひさしき恋をわが恋とせむ降りいでて雨は失ふいのちなれ花野にとほく礼楽ありぬ「くるしみは汝なが面上に在るものを何をか伝ふ 時こそ妾わらは」秋の日のひたかがやくにラブレーの糞尿語りなつかしきかな木の実食はみゐし前さきの世のこと抱擁のさなかに思ひいでてすずしも血流のしづかなる夜のかなしみを神は知らずも観音は知るはつかりのはつかに見えしくれなゐは汝ながうつしみのいづこともなし註現在トップランナーの、自他ともに認める驚異の天才女流歌人。紫式部といい勝負じゃないかとすら思う。・・・密かにお慕い申し上げている僕などが何らかの論評を加えるのも恐れ多いという気さえするが、ラブレーやロートレアモンなど広汎なフランス文学の素養の上に、日本古典文学の渉猟から得られる詩を、説明的な語句を排して呈出するため、きわめて難解晦渋ではあるが、前人未踏にして現代的でもある最尖端の言語世界が現出している。また、これらのことから、いわば正気と狂気の交錯、幻想性、およびエロティシズムは当然の要素である。平安女流文学はもとより、中世の能楽・謡曲(観阿弥・世阿弥)などの幽玄微妙な境地を、近現代世界文学の潮流の中で再照射している、というような感じ。彼女の短歌作品は、あまり論理的に理解しようとせず、高度な言葉とイメージの遊びとして、そのまま受け容れるのが早道であろうと愚考する。歌壇的にも、あまりの天才ゆえに孤高の存在であり、また気が強く、短歌雑誌の対談などでは大御所歌人に対して平然と突っかかったりする猛女でもあり(?)、けっこう美人でもあるのに、男たちも憧れて遠巻きに眺めながらも二の足を踏んで、もらい手がいないのは、お気の毒だよ~ん。・・・かわいそう。才女の悲劇。誰か、死んだ気になって、彼女に女の幸せをもたらしてやってくれい!!!歌集「くわんおん(観音)」(1999)
2007年09月17日
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さほど気に留めてなかったので、あやうく忘れるところでしたが、累積55,555アクセスのキリ番(切りのいい番号)を超えました。皆様、ありがとうございます。55555のゾロ目って、何とはなしにいい感じですよね~。55555目のアクセスは、いつもご訪問いただいている、敬愛する楽天ブログ「またあとで」のQuo Vadisさんでした。僕も、新約聖書の中のパウロの魂の叫び、「クオ・ヴァディス(主よ、いづくに行きたまふや?・・・どこに行かれるのですか?)」という言葉が大好きです。遅々たる歩みですが、これからもボッチラボッチラ書いていきます。今後ともよろしく~。 555612007-09-17 01:53:21*.yahoo.co.jp 555602007-09-17 01:48:17ともるーさん 555592007-09-17 01:47:04*.yahoo.co.jp 555582007-09-17 01:17:49*.ocn.ne.jp 555572007-09-17 01:10:26122.152.*.* 555562007-09-17 01:00:39*.ucom.ne.jp 555552007-09-17 00:01:04quovadisさん 555542007-09-16 23:58:08124.37.*.* 555532007-09-16 23:55:51*.yahoo.co.jp 555522007-09-16 23:54:55122.152.*.* 555512007-09-16 23:34:38@弥々さん 555502007-09-16 23:32:58halmikanさん 555492007-09-16 23:07:50たまにゃん1203さん
2007年09月17日
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最近うすうす感じているのだが、僕の場合、自分のブログ記事より、他の人のブログに書き込んだコメントの方が遥かに面白いという、ブロガーとして致命的な欠点があるのではないかと気づき始めているところだ同意して下さる方も少なくないのではなかろうか。・・・ま、いいけどねさて、愛読している楽天ブログ弥々*とはず語りの弥々さんが、このほど紀州和歌山の秘境・熊野の山奥に、語りライブの「でらうまライブ」に遠路はるばるお出かけになるという。(訂正:「でらうまライブ」は前回の話で、今回は「とんがらしライブ」だそうです。)ブログでの弥々さんの言語感覚はかなり独特なものがあり、言ってることがイマイチよく分からないことも少なからずあるのだが(爆!!)、最近ではそういった言葉遣いにしっかり影響されつつある自分が恐ろしいともあれ、言葉による表現に興味のある者のはしくれとして、彼女をリスペクトしているし、ライブという表現形態がうらやましくさえある。そんなわけで(・・・どんなわけで?)大ファンなので、ご紹介かたがた、とりあえずちょこっと詠んでみました。餞はなむけのうたのおけいこ熊野なる深山みやまの奥の爺婆ぢぢばばに語り聞かせに行くといふ君山奥に君を呼びしは紀の国の死なせ上手の酔ひどれ医くすし九十九折つづらをり昼なほ暗き森山の径みちに迷ひて行き倒るなよ(歌中の「君」は「弥々」に読み替え可。)急いで作った割には、けっこう上出来という説もある
2007年09月15日
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くまんパパ 秋のグラフィティ「泣かないよ強い子だもん」シャンプーが目に入いりし子の言葉いとしき「強いから泣かないんだよ」なだめつつ中山美穂の歌を思へり* 国分友里恵・中山美穂「ただ泣きたくなるの」僕もただ泣きたくなりぬほほゑみをかければかへす吾子わこの表情かんばせ僕もただ泣きたくなりぬいつの間に大人になりて恋ひてゐたるか限りなく優しかりける母にやや似てゐるのかも知れぬ君かな新しく古き季節はめぐり来ぬエースコックのワンタンメン茹ゆづ春に逢ひ意味なきやうな自由経て秋風吹けば恋しかりけり紅葉もみぢたる深山みやまの奥の温泉いでゆにて君とふたりで天の川見ついにしへの城塞都市を彷徨さまよへりなほ若かりき新郎新婦甘やかに束縛し合うといふこと恋愛至上主義かも知れず肉欲と慈愛の間ひたひたと滅びの前の涙の接吻キッス中華丼天津丼と奇妙なる名のもの愛す秋更けゆけり呪まじなひを吾子わこにをりをり囁ささやかむロールオーバー水原紫苑みづはらしをん自註「ただ泣きたくなるの」:今なお記憶に残る、中山美穂の代表曲であり最大のヒット曲。特に歌詞は秀逸であると思う。もみぢ:上古語の動詞「もみづ(紅葉する)」の連用形。現代語「もみじ」の語源。城塞都市:ローマなど。新婚旅行の思い出を詠んだ。水原紫苑:現在トップランナーの天才女流歌人。筆者は非常に尊敬している。著作権を保有します。© Nosho Sakamoto 2007 All rights reserved.
2007年09月13日
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・・・とか何とかホザいているうちに、政局は、皆さんご存知の通りの驚愕の展開となった。「政界は一寸先が闇」(大野伴睦)という名言が、またも具現化されてしまった。僕はきのうは休みで、一日かわゆい子供たちの相手をしてたので、夕方のニュースを見てブッ飛んだ次第である。安倍さんの方が何歳か年上だけれども、まあ、おおむねこむね同世代の者として、本当に残念である。マスメディアは言いたい放題だが、それなりに苦衷の決断であることは重々理解できる。いろいろと背景はあるだろうが、ここまで追い詰められてしまった最大の原因は、明らかに安倍氏自身に責任のない年金・社会保険庁問題であると思う。人身御供というか、全人類の罪を一身に背負って磔刑たっけいに処せられたイエス・キリストみたいなもんである、・・・言ってみれば。はっきし言って、僕はけっこう同情している。神経性胃炎、下痢など、胃腸が弱いということはずいぶん前から囁かれていたが、ここへ来て漏れて来はじめた内情によれば、すでに8月下旬から目はうつろ、上の空だったことが周囲に気づかれていたということで、精神的な病、例えば「抑鬱状態(または鬱病)」に罹患しているということも、しろうとの見立てだが十分考えられるのではないか(ジャーナリスト、政治評論家たちは、皆遠慮しているのか言わないが)。あの気の強い小泉前首相も、任期満了近くには頭がすっかり白髪になっていた。首相の地位に、それほどの重圧があることは想像に難くない。まだ若いんだから、しばらく休養して浩然の気を養ったあと、何とか再起を、・・・とか思うけれども、ま~リアルには無理だろうね~。いわば敗軍の将。昔だったら討ち死にか自刃である。政治の世界がそれほど甘いところだとは思えない。昭恵夫人とセレブリティなタレント活動でもして余生を過ごしますかね~。・・・ところで、このブログサイトは、最近はとっても知的でクレバーな、敬愛すべきすばらしい読者の皆さん(チミたちのことだよ~ん、いつもありがと~ with love!!)が増えてきて、以前ほど好き勝手なことを書きづらくなってきているのを感じるのだよ。そんなこんなで、ちょっとお上品に、短歌(狂歌)の形で詠み込んでみました暇つぶしにご一興いただければ本望ざんす。なお、お察しの通り昨晩大急ぎで詠んだ狂歌ですから、かなり荒っぽい詠草です。ご了承下さいまし~。王子様窶やつれ果てたり現実はお伽話のやうにはいかず人望がなかりけるかな誠実ないいひとなりと思ふけれどもひとごとにあらざる思ひ秋風の肌はだへに染しむるお坊ちやまくん目の下に深きくまありくまんパパ同情するも共感できず言ひ訳になるはずもなし健康は良くて当然悪くて屍かばねここからが戦いくさなりしをもののふは戦ふべきを血へど吐きても宰相がすたこらさつさ逃げ出せり見ておくのだよ反面教師もう二度と日が射すことはないだらう見ざるべからず反面教師クラヴィアの妙なる調べアヴェマリア世は事もなく太平記なり*J.Sバッハ「平均率クラヴィア曲集」。第一楽章は、いわゆる「アヴェマリア」。あはれ安倍晋三首相ダメ男レッテル永久とはに剥がれまじ、秋恐るべし小沢一郎いいひとの小渕に続き安倍を殺して「いいひと」の限界ならむ男とは「悪」なるべしといよよ思ほゆ国民くにたみは血を見ることとなりにけり自ら入れし票の報ひに「国民が馬鹿だからだね」自民党周辺からの繰り言聞こゆコノウラミハラサデオカジ民主党、朝日新聞、社会保険庁
2007年09月13日
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下記に引用した報道などによれば、「日本複合カフェ協会」は、報道等で「ネットカフェ難民」という用語を使用しないよう訴えているという。面倒くさいので委曲は省き、僕の結論を言うと、報道・出版各社は一切気にする必要はなく、このまま続ければいい。これは言論・出版・報道などを包含する表現の自由の問題である。わずか1400店ぐらいの一利益業界の圧力に屈してはならない。まず、この言葉、きわめて的確であり、簡にして要を得ており、報道に必要な適度なセンセーショナルさ(煽情性)とユーモアさえ湛えている。完璧な造語であり、クリーンヒットである。新聞、テレビなどマスメディアが名づけた事象の名作は多い。ちょっと思いつくだけでも、・・・古典的には「豪雪地帯」。それまで「豪雨」という言葉はあったが、「豪雪」という言葉はなかった。この一語で、日本海側の住民の苦労が鮮やかに表現された「駅伝」。長距離リレー競争のことを、当時読売新聞社会部長だった洒脱な持ち味の大歌人・土岐善麿が名づけた。最近では「貸し渋り」、「貸し剥がし」。これを正式にいえば、「(銀行等による)融資先の選別強化」ということになろう。一瞬、なんのこっちゃ分からん。「ネットカフェ難民」も、これら“ブン屋”の先輩たちの席に列するような名作だと思う。この一語で、問題点が非常に分かりやすく、鮮やかに浮き彫りになった。けさも、朝のNHKニュースではこの関連のニュースが報じられ、NHKの扱いも「いわゆる『ネットカフェ難民』といわれる人々をめぐる問題」であった。僕も、NTTの「ネットカフェ」には入ったことがあるが、ここで言われているような「ネットカフェ」に入ったことは一度もない。こんなものが全部潰れようが何しようが、99.9%の国民は痛くも痒くもない。報道は、最大多数の最大幸福(パレート最適)に準拠すべきだ。差別がいけない、なんてことは分かりきったことだが、「ネットカフェ難民」が差別語だなどという到底無理な主張は、大の大人がよく言えるもんだと呆れる。ヤクザの因縁みたいなものである。一顧だにする余地はないし、報道機関の矜持にかけて黙殺すべきである。このブログは、アクセス解析によると新聞、テレビ局などのマスメディア、いわゆる玄人筋の訪問者が多く、かねてより光栄に思っている。物事は、大局的に、総合的に判断すべきだ。圧力に怯えてブレるなど、プロの報道者の沽券に関わることであると、銘記をお願いしたい。「ネットカフェ難民」は差別語だ業界団体が声明発表 [スポーツ報知] 「難民」と呼ばないで―。全国のインターネットカフェやマンガ喫茶約1400店が加盟する「日本複合カフェ協会」は29日、「ネットカフェ難民」は差別語だとする声明を発表、今後は使用を控えるよう訴えた。イメージが低下し「風評被害に近い」ダメージを受けているという。同協会は、いわゆるネットカフェ難民が全国に5400人いるとの推計を発表した、厚労省の姿勢にも抗議した。 「難民」の言葉をはり付けられ、現場では深刻な問題が起きていた。「日本複合カフェ協会」によると、各店で女性客の足が遠のいたとの報告が7月ごろから増えた。本来、男性客が多かった業界で「ネイルサロンを設置するなど各店努力して、女性が増えてきていたのに」と肩を落とす。 また、オンラインゲームを楽しんでいた人が、対戦相手からカフェでの参戦を突き止められ「やーい、難民が来た」と書き込まれて傷ついたケースも。保護者や教師が、子どもに出入りを禁止する例も増えているという。 「『難民』はいくらなんでもひどすぎる」と、同協会は29日、メッセージを発表。「中には定職に就くことが難しい方もいらっしゃるでしょう。しかし、私ども複合カフェにとっては皆さん大事なお客様なのです。私たちはそのようなお客様を決して『難民』とは考えておりませんし、絶対呼びません」とある。 また「あたかも浮浪者風情の人が夜な夜なネットカフェに集まっているかのような報道が、多くのお客様の足を遠のけている」と指摘。7月17日に続いて、同様の趣旨をより強く訴えた。 日雇いの仕事などをしながらネットカフェを泊まり歩く人を指す「ネットカフェ難民」は「今年1月のテレビ局の深夜報道」がきっかけで流布したとされる。国会でも取り上げられ、厚労省が実態調査に着手。同協会も協力を打診されたが、言葉の定義や使用に疑問を投げかけてきたという。 28日に調査結果を発表した厚労省には「『初めに結論ありき』の調査手法」「『ネットカフェ難民』の存在をことさら問題視して対策費を計上しようとする厚労省の姿勢に抗議する」とした。 「年末の流行語大賞にでもなってしまったら…」と、同協会では最悪の事態を懸念。「就労支援をしていくなら、ネットカフェを隔離するのでなく、24時間使えるハローワークとしていかすような発想をしてもらえないか」と語り「柳沢さんよりは舛添さんの方がそういうセンスはありそうだ」と、新厚労相に期待していた。(2007年8月30日06時03分配信 スポーツ報知)
2007年09月10日
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くまんパパ 結社誌「短歌人」11月号掲載歌稿 間際で改訂 15首選者の先生に送る間際になって、あ~でもないこ~でもないと往生際悪くチョコチョコいじっているうちに、「決定稿」からけっこう変わってしまったので、改めて最終稿を掲載します(笑)この形で送付して、締め切りにギリギリ間に合いましたそんなさなかに、折りも良く中学校の同級生で無二の親友の玲子が、旦那を連れて喪服で遊びに来た。法事の帰りだという(笑)彼女とは、クラス会を名目にしょっちゅう飲み歩いている、危険な仲である(?)せがれは大学生と高校生。ますます優雅な有閑マダムになりつつある年下の旦那は僕の高校の1級下であり、長幼の序は心得てる奴だから、別に気兼ねはない。この玲子こそは、はやくから僕を「天才歌人」呼ばわりして嬉しがらせてくれる“乗せ上手”な女で、内心けっこう感謝している。彼女に対しては、一貫していわゆる「女」は感じてないが、厚い友情を感じている。暗号文よろしく、ひそかに彼女を詠み込んだ歌もけっこうあり、彼女を嬉しがらせている。大人の男と女の間に友情は成立するか、という言い尽くされた命題があるが、(旦那の理解など)一定の条件があれば、十分成立し得る、と言いたいね。考えてみれば、彼女は十代の昔からヨイショ上手で、学年のマドンナでのちにフランスに移り住んだほどの才女だったM子の取り巻きNo.1の忠臣として、学内の権力を手中にしていた栴檀は双葉より芳し、ざんすね。何だかんだいっても、やっぱホメ上手は人に好かれるよね。そこに、若干の如才なさというか、要領のよさを垣間見るとしても、それはこの世で生きていればお互い様だから。おまけに本人も、けっこう年齢を感じさせない明眸皓歯の美人とあって、今なおクラス会の人気者である。逆に、被害者意識の強い奴とか、いろんな形のひねくれた自己顕示欲を発揮するパーソナリティは、こりゃ絶対嫌われるよね。人の悪口を言う暇があったら、自分の夢を追うべし、と言いたいね。何? 夢がない? それはもう、出口がないというほかはない。そこで一首。あなたには夢がないつて?それはもう出口がないと言ふほかはなしさて、今回の詠草だが、彼女の評によると、とにかく読めない漢字が多すぎるので、全部ルビを振ってくれということであった。・・・ごもっともである黎明あかときの幻醒めず神かむさびし蒼古の陸くがに遥か呼びかく朔つきたちは密みそかに木霊こだまこぞり来よ黒蜻蛉くろあきつ游うくふわふわそは我あ夕立が造りし河岸段丘の先カンブリア紀なるさ庭べ*この「さ庭べ」ってのは、巨匠宮柊二氏の一首から恭うやうやしく戴いた古語なのだが、その実この歌では、何の事はない、昔の水はけの悪い小学校の校庭のことなんだよと、玲子と盛り上がってしまった。おそらく万葉集あたりに用例がある雅語だろう。実を言うと、この歌を着想したのは、十代の頃。一首詠むのに30年かかった・・その割には大した歌とも思えない(爆)!!さらさらと白粥流し込みながらけさの光に包まれてゐる十六夜いざよひの皓月冴えてしめやかにプールサイドの夏は畢おはんぬ季即ち玄冬、青春、朱夏、白秋。余白の人に我もなりつつ風立ちぬ生きねばならぬ天地あめつちと時のあはひに人の摂理ことわり*「風立ちぬ・・・生きねばならぬ」: ポール・ヴァレリー「海辺の墓地」秋されば萩の花野をゆきゆきて顛たふれ伏すてふ人ぞゆかしき* 河合曽良「行き行きてたふれ伏すとも萩の原」 土佐礼子走る最後の距離ファイナルディスタンス 晩夏の火照り冷めやらずけりその男いのちの果てに見しものは鞦韆ぶらんこ揺るる小さき公園パルコ・ピッコロ* 黒澤明「生きる」「孤悲こひ」といふ字が書いてある万葉集原文見つつ夜半よわ物思ふしめしめとほくそゑみつつ酒ふふむ秋の初めの文芸復興リナッシメント三人みたりの子連れて夕べの道端のおしろい花を見に行きしかな夫婦めをとにておしろい花のおしろいは役に立つのか論あげつらひをり利発なる吾子わこにてはある「シンデレラアンパンマン」とおのが名呼びつ註:「リナッシメント」は、英仏語「ルネサンス」の原語(イタリア語)。
2007年09月10日
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よみ人知らず白雲に羽うちかはし飛ぶ雁かりのかずさへ見ゆる秋の夜の月古今和歌集 191白雲のあたりに、羽根を打ち交わすように交錯させて飛ぶ雁の数までも見える、秋の夜の亮月。註万葉集2490「天雲に翼はねうちつけて飛ぶ鶴たづのたづたづしかも君し坐まさねば(鶴のように頼りない気持ちだなあ、あなたがいらっしゃらないので)」の本歌取り。
2007年09月08日
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くまんパパ結社誌「短歌人」11月号掲載予定 決定稿 15首さらさらと白粥流し込みながらけさの光につつまれてゐる0-10-0降水確率ほの低くけふの日和は凪なぎにかあらむ黎明あかときの幻醒めぬ心地して太古の陸くがに遥か呼びかく十六夜いざよひの皓月冴えてしめやかにプールサイドの夏は畢おはんぬ季即ち玄冬、青春、朱夏、白秋。余白の人に我もなりつつあえかなる夏の終りは蜩ひぐらしの妻問ふこゑに耳澄ましをり土佐礼子走る最後の距離ファイナルディスタンス 晩夏の火照り冷めやらずけりつのらせし思ひ沈める淡湖あはうみの淵にほのめく金色こんじきの魚いを秋されば萩の花野をゆきゆきて顛たふれ伏すてふ人ぞゆかしき* 河合曽良「行き行きてたふれ伏すとも萩の原」風立ちぬ生きねばならぬ天地あめつちと時のあはひに人の摂理ことわり*「風立ちぬ生きねばならぬ」:ポール・ヴァレリ「海辺の墓地」その男いのちの果てに見しものは鞦韆ぶらんこ揺るる小さき公園パルコ・ピッコロ* 黒澤明「生きる」より「孤悲こひ」といふ字が書いてある万葉集原文見つつ物思ふ夜半よわしめしめとほくそゑみつつ酒ふふむ秋の初めの文藝復興リナツシメント三人みたりの子手を携えて道端のおしろい花を見に行きしかな夫婦めをとにておしろい花のおしろいは役に立つのか論あげつらひをり*友人知人にメールマガジン形式で発表した旧作を含む。著作権を保有します。© Nosho Sakamoto 2007 All rights reserved.ま、なんとかかんとか形らしくはなった。今夜最終チェックして、明日朝には送付したい。ちょっとルビ(振り仮名)が多い、つまり難しい漢字を使いたがるのは僕の悪い癖で、どうも字面がゴチャゴチャしてしまうのが反省点と今後の課題。
2007年09月08日
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その男いのちの果てに見しものは鞦韆ぶらんこ揺るる小さき公園パルコ・ピッコロ黒澤明「生きる」より
2007年09月07日
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くまんパパ結社誌「短歌人」11月号のためのブレインストーミング 3 (未推敲)&自己批評お茶碗にごはんが湯気を立ててゐるかたへに鯵の開きと胡瓜(別案1)お茶碗にご飯が湯気を立ててゐる鯵の開きと茄子の浅漬(別案2)お茶碗にごはんが湯気を立ててゐるそこはかとなくしあはせである* この歌は、上手く磨き上げれば、傑作になるかも知れないような気がしないでもない。さらに研究してみる。・・・というか、あとはこの一首の推敲に専念する土佐礼子走る最後の距離ファイナルディスタンス 晩夏の火照り冷めやらずけり*宇多田ヒカル「FINAL DISTANCE」のタイトルを引用。この歌、自分で言うのも何だが、けっこうイケテルかも知れない。「冷めやらずけり」なんて、“佐佐木幸綱風万葉調”で、バーバルで(野趣があって)カッコイイと思う。一遍、ここぞというところで使ってみたいと、温めていた言い回しである。「がんばつて叶へたいもの」夢といふ言葉の定義夢辞書に見し*これは、言葉足らずの消化不良。要推敲。花の国目がける月夜君と行く冒険にこそ夢現ゆめうつつあれ友達でいいから永久とはにさりげなく stand by meわがかたはらにたつてゐてくれ「孤悲こひ」といふ字が書いてある万葉集原文見つつ物思ふ秋*ブンガクしてて、ナイス。音楽のはじまり歌のはじまりは同じき山の燃ゆる火に出づ*下3句、的外れで平凡。「蟹挟かにばさみ」好きな女だへらへらと笑ゑみて黙もだして挟まれてゐるおぢさんと猫がかはいいだけならむ君の明星チャルメラ贔屓恋をして大人になるは則のりなれば僕らの子らも恋をするらむ「引きこもれ 吉本隆明」何事かなすのはいつも独りでだから* 一部、旧作を含む。著作権を保有します。© Nosho Sakamoto 2007 All rights reserved.これで3回目。さすがに、当面出し切った感じかな確定稿(15首)は、改めてエントリーします。
2007年09月06日
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くまんパパ結社誌「短歌人」11月号のためのブレインストーミング 2 (未推敲)今何時?ちよつと待つてて何事か熱中しつつ時経ふる桃源郷まほら愛娘まなむすめ連れてゆふべの道端のおしろい花を見に行きしかな吾妹子わぎもことおしろい花のおしろいは役に立つのか論あげつらひけりしめしめとほくそゑみつつ酒ふふむ秋の初めの再生リナッシメントあえかなる夏の畢をはりは蜩ひぐらしの妻問ふこゑに耳澄ましをりふと財津和夫聴きたく風呂上がり睾ふぐりあらはにディスクもて来ぬ利発なる吾子にてはある「シンデレラアンパンマン」とおのが名呼びつ風立ちぬ生きねばならぬ天地あめつちと時のあはひに人の摂理ことわり「風立ちぬ生きねばならぬ」:ポール・ヴァレリ「海辺の墓地」より巨おほき梅花咲き誇り葉の繁り秋を迎へぬ余生のごとく猥談とゴルフの話題しか無きか地元中小企業の集ひ明らかに格差拡大それもよし万古不易の自然在ゆゑ土佐礼子そぞろ恋ほしみ気がつけば妻のそつくりさんにありけり踊ることかくも楽しく音楽の淵源見する子らの領分わが膝に坐つてほしい娘らは片時たりとおとなしからず夢一夜積もれば千夜いや万夜億兆京夜永劫とこしなへまで花の野に寝転び熟睡うまいする秋は君への思ひ募り来るのみぷつつりと切れたアクセス。言ひ過ぎた。君を傷つけたくはなかつた振られたの?振られてないの?男つて永遠の馬鹿つくつくぼうし爺さんと婆さんどうし友達でいいから花の俤かをはせ抱いて「友達でいいから」:川瀬智子「Stand By Me」(ザ・ブリリアント・グリーン)著作権を保有します。© Nosho Sakamoto 2007 All rights reserved.忙しい中でも、盟約集団に所属している以上、短歌作りはやんなくっちゃね。・・・ま、楽しい義務ってところだね。厳格なる締め切りに追われて焦っている自分を、もう一つの自分の目で突き放して見てみると、おかしくてコミカルでカワイイと思う。あられもなく言ってみれば、一種の自虐的快感だと思うね。・・・謙遜抜きで言えば、今回はまずまず上手く詠めてるかも知んない。締め切りまで数日あるので、まだまだ出来そう。確定稿は、改めてエントリーします。
2007年09月04日
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宮柊二(みや・しゅうじ、大正元年-昭和61年)一本の蝋燃しつつ妻も吾あも暗き泉を聴くごとくゐる悲しみを窺ふごとも青銅色せいどうのかなぶん、、、、一つ夜半に来てをり瑠璃色の珠実たまみをつけし木の枝の小現実を歌にせむかな告白と芸術と所詮ちがふこと苦しみてロダンは「面めん」を発見せりいろ黒き蟻あつまりて落蝉おちぜみを晩夏の庭に努力して運ぶ徐々徐々にこころになりしおもひ一つ自然在なる平和はあらずさ庭べに夏の西日のさしきつつ「忘却」のごと鞦韆しうせんは垂る昭和23年-26年註宮柊二:戦後正統派短歌の総帥。北原白秋に師事。結社「コスモス」創刊・主宰者。戦後短歌、ひいては文学全般に、計り知れぬ影響を与えた。鞦韆(しゅうせん):ぶらんこ。
2007年09月04日
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すいません、僕くまんパパは元気ではありますが、このところ仕事の方が忙しくて(・・・自分で勝手に忙しくしているとも言えるが)、時間がないのに加えて、いろんなことでアタマの中がパンパンで、ちょっと趣味ブログの方まで手が回らない感じです。家族は、至って円満。妻も娘3人(3歳半の三つ子三姉妹)の子供も、一時多少夏バテっぽくなってたようだが、涼しくなるにつれて元気元気。妻子のために、くまのお父さんはもっと稼がなきゃならんのだいつも細切れで見てるせいか、何十回も繰り返し見てる割には未だにストーリーがよく飲み込めてない、ディズニーの「美女と野獣」のDVDに出てくる、なんかたくましい荒くれ男がいるでしょ?あれが、子供たちによれば「おとうちゃん(僕)」らしいのだ。・・・けっこう光栄かも知んない。ちなみに、「あっちのおとうちゃんは怒りんぼだけど、こっちのおとうちゃんはニコニコ」なのだそうだ。・・・それはその通りだよん、ニコニコ。なお、ここ数日の長女の自称は「シンデレラアンパンマン」(長っ!)、次女は自分が「白雪姫ショクパンマン」であると自己主張しつつ、お互いに「バイキンマン」の汚名を着せようとしているのは、おぞましくも面白い。三女も何か言っていたが(「メロンパンナ」だっけな?)、ちょっと忘れた(・・ごめんね)。現在彼女たちの最もお気に入りのアニメは「ケロロ軍曹」である。異常と思えるほどノリノリで踊りながら見て、何度でもプレイバックを要求する。よほど幼児の心をつかむ何かがあるのであろう。「ケロロ小隊」は、何と、地球を侵略しにやってきたカエル、いや、宇宙人という設定である。NHKの「おじゃる丸」にしてもそうだが、最近の幼児向けアニメのキャラクターの一部には、僕らの子供のころには考えられなかったような“毒”と風刺性、批評性があって、一筋縄ではいかない。・・・むろん、今の方が面白いと断言できる。子供は、カエルってものがとにかく好きなようだね。お風呂でも、カエルのおもちゃに夢中。うちの子は、まだ実物を見たことはないんじゃないかと思うけど(僕の留守に、妻がどこかで見せたことはあるかもしれないが)。ところで、今日はネット上でDELLのビジネス用パソコンを発注した。配送料無料のキャンペーンがちょうど今日までだったので、決断した。PCとプリンタ一式合わせて8万円弱だった。リーズナブルっ!!数日で届く運びである。非常にハイスペック(高性能)ではあるが、使い勝手・動作の重さなどの面で悪評嘖嘖(さくさく)、世界総スカン、非常に評判の悪い Windows Vista は避けたいと思っていたので、手ごろで成熟したXP搭載機で、中小企業のビジネスユースで定評のあるDELLに決めたのは妥当な判断であろう。・・・とはいえ、SONYの Vaioシリーズのデザインは、世界で一番カッコイイんじゃないかと憧れてもいる。電気屋で見かけるとウットリしちゃう。一種のフェティシズム(物神崇拝)に近いものがある。SONYのデザイン感覚の良さは、伝説のトリニトロンテレビモニターもそうだったが、お家芸というか社風かな。コンピュータ技術は日進月歩、Vistaが成熟し、ずっと使いやすくなる日もそのうち訪れるのであろう。その間にお金を貯めて、将来はVista搭載のVaioを買いたいものだと思っている。・・・そんなこんなで、エントリーの更新は、当分すこ~し減速すると思いますので、悪しからずご了承くださいませ。
2007年09月03日
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中学・高校の同級生で畏友の片島一貴という男が、映画監督・プロデューサーとして活躍していますので、最新作をご紹介しておきます。なお、彼の父上(地元で建設会社を経営)は、僕の仲人であり、囲碁の師匠でもあるという、浅からぬ因縁があります。彼は、秀才ながら家業を継がずわが道を行きましたので、一時事実上の勘当(今どき珍しい!!)の憂き目に合い大変苦労しましたが、現在では映画・テレビのアクション物などの監督・プロデュースで一家を成しており、父親も認めて和解しております。先日若くしてお亡くなりになった絶世の美女・山口小夜子さんが出演した「ピストルオペラ」(鈴木清順監督)のプロデュースも彼がやりました。監督としては、アヴァンギャルドな持ち味で、自作ではかなりワケの分からない作品を作っております・・・僕の短歌もワケ分からないので、人のこと言えないか片島一貴プロデュース(製作指揮)映画 スピードマスター 監督:須賀大観 中村俊介 内田朝陽 北乃きい 大友康平 全国ロードショー(順次公開興行形態)絶賛公開中! 上映館など、詳しくは click here.[ENTER]、[THEATER]などをクリックしてお入りください。・・・ただ、この作品に関しては、正直言ってネット上での評判はそれほど良くもないようですので、無理にはお薦めしません。 映画監督・プロデューサー片島一貴(いっき)フィルモグラフィー
2007年09月02日
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