2006.01.15
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カテゴリ: 運営雑記
このころはめっきり野球少年になった私。

宿題もするようになり、少しは授業態度も良くなった。

まず 家庭訪問まではいい子でいようと、3年生の時 心に誓った。
(高校卒業する迄 ちゃんと心がけました・・・なんか違うかな,笑)

家庭訪問 以降は・・・・(あまり聞かないで下さい・・・でも少しはマシに)

テレビで野球をよく見るようになったのもこのころ。
父は仕事から早く帰ってきて、グランドに連れて行く。
ゴロ取り(右手にバット・左手にグラブの父) 
キャッチボールの練習(キャッチボールではありません・笑)


鹿児島代表は鹿児島実 静岡に3-4で負けた。

この年の甲子園決勝はPL対高知商。
逆転のPLにひかれていった。高知にも凄い投手がいた。
両校とも魅力を感じた。
決勝で両校があたるとは思わなかった。
両校とも応援していた。
結果は 3-2 でPLが優勝した。
PLの選手が逆転につぐ逆転で勝ち上がっていったことは今でも鮮明に覚えている。

この時、最後迄あきらめないことを学んだ。

それから私も自ら自主練をするようになった。朝は6時に起きて50本素振り。
父が付き合ってくれると 学校に行く前にへばった。笑



人並みにボールが取れるようになった。

チームのエース6年生が同じ学校で練習相手もさせられ、
キャッチャーの練習もするようになった。
キャッチーだけが道具をつけるが実はそれに憧れていた。
金隠しにも妙なあこがれが(笑)


めちゃくちゃ速かった。死ぬかと思った。
当時監督・コーチとも投手上がりで捕手には注文が沢山あった。
気がつけぼ3学期の最後の大会では正捕手になっていた。
だが大会前の打撃練習で指に デットボールを
右人差し指に日々が入った。受け大会には出れなかった。

しかし 甲子園でも怪我をした選手がランナーコーチでがんばっている姿を思い出し、
専属ランナーコーチになった。
あのころの甲子園は私にまぶしく映った。

甲子園への遺言







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Last updated  2006.01.15 19:54:39
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甲子園 優勝に向けて 気張れ高校球児


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