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こんにちわ。 --- On Wed, 2011/9/7, > wrote:
September 7, 2011
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何年も更新しなかったブログに、久しぶりに書いてます。 今まで書けなかったのには理由があるし、そんな何年かの間に、たくさん学んだこともありました。 言葉がないことが、たとえば返信がないことが、返事であること。とか。 更新できなかったことが、私のその間の一つの更新でした。 でもそれとは別に、日々、新しい出会いや、小さな、でも心温まるつながりに満ちた時間をすごしています。 電車の中で、だっこしてるママに気づかれなくても、赤ちゃんと会話したり、雨の中、傘をもたずに杖で歩いてたおばあさんと、歩きながらたくさん話せたり、携帯やさんで、ここ数年、通ってる京都のディープな情報をもってる店長さんと知り合って盛り上がったり。 また少しずつ、アップしていきたいなと今日思いました。 > wrote:
July 23, 2009
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自己嫌悪になりますが、まあ、いろいろありまして、口の、というか、ペンの、というか、メールを打つ手の重い、道聞かれです。無事に本が出たご報告まででしたが、その後、自民総裁選も終わり、安倍さんが見事、総理大臣になりました。ついでに言うと、取材させていただいた自民党の方3人とも、官邸入りするという、素晴らしい結果になりました。改めて、ありがたいご縁で、素晴らしい方たちにお目にかかれたのだと、それは自負するところです。先週、新内閣発足後、官邸にお邪魔してまいりました。世耕さんが、広報担当首相補佐官という立派な職につかれ、それが決まる以前から、本のことでお礼に伺うお約束をいただいていたのです。官邸は2度目ですが、前回は安倍官房長官への取材で、貴賓室に通され、全く余裕のない訪問でしたが、今回は、幾分様子を見ながら歩くことができました。中の様子は、セキュリティ上、書けないのですが、内閣発足後、階段に並んでお披露目をする場所では、撮影を許され、赤じゅうたんはないものの、写真を取ってまいりました。今日は、とりあえず、生きてますというご報告まで。本はおかげさまで、4刷までいっているようです。
October 2, 2006
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また、ご無沙汰してしまいました。8月下旬に、本は無事に出版されました。著者名は娘になっています。二人で二人三脚で作り上げました。よろしければ、ご覧ください。ちょっと気恥ずかしいです。『14歳からの政治』ゴマブックスより出ています。今まで、お付き合いいただいたので、ご報告まで。応援、ありがとうございました。たくさん学びました。
September 13, 2006
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次のご縁は、原口一博衆議院議員でした。「ビートたけしのテレビタックル」「みのもんたの朝ズバッ!」「太田光の私が総理大臣になったら・・秘書田中。」などにレギュラーで出る方です。ここでも驚くような発見がありました。深くは、ここでは書けませんが、ものすごく素敵な発見です。こんな政治家の方がいるとは思わなかったといえるような、テレビでは伝わってこない面の発見です。この一連の流れの中、私はもちろん、素晴らしい政治家の方との出会いに感謝なのですが、それと同じくらい、その周りの方との出会いにも恵まれたのです。ある、政治家の方のインタビューの後、あまりに感激して私の思いを話していたら、「偶然を必然に転化するのは、その人の思い・志、そして、行動・チャレンジです」という言葉をいただきました。政治家の方のブレーンの一言です。まさに、私の思いを一言で表してくれたような言葉でした。そんな言葉を、初めて会った私に話してくれるような、そんな出会いに冗談じゃなく、涙が出ました。新たな勇気をもらいました。
July 24, 2006
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次の出会いは、世耕弘成参議院議員でした。昨年の衆議院総選挙のとき、自民党の広報を引き受け、歴史的大勝利のかげの立役者だったと、評判を呼んだ方です。今回の出版社が、たまたま世耕先生の本を昨年末に出したところだったので、私の企画にも目を留めてくださったのかもしれません。そのご縁で、取材させていただくことになりました。そのご縁があって、本当によかった。と、心から思えるお話しが聞けたのです。やっぱり、偶然ではない。そう思うのは、世耕先生は、安倍晋三長官の、再チャレンジ推進議連の一員でもあり、つながり深い方だったからでした。これから、自民党総裁選、来年の参議院選挙に向けて、目の離せない議員の一人です。そして、次は;;;;今日は出版社に缶詰でした。今から作業が待ってます。つづきはまた。
July 22, 2006
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私がこの企画を立ち上げたとき、全く、根拠がありませんでした。私が政治について書く根拠です。キーワードは”子ども”だけだったのです。そこで、まだ、海のものとも山のものともしれない段階で、お願いしたのが、民主党の小沢さきひと衆議院議員でした。企画書を書くための、プレインタビュー。なんて失礼なお願いでしょう。それなのに、小沢議員は、快くお引き受けくださったのです。初めて、お会いする方でした。それにもかかわらず、お受けくださったには、理由もあったのです。それは、小沢議員の息子さんは、縁あって、我が家の食客。よくやってきては、よく食べ、よく眠り、よく話す。そして、ぽろっと、「自分にとっての家庭の味は、このうちです。」なんて、私を泣かせることを言うやつです。そんなつながりがあって、小沢議員は、私の厚かましいお願いに、議員バッジをはずしてまで、時間を作ってくださったのです。頭が下がる思いでした。そしてそれが元となり、採用につながる、企画書が生まれたのです。さて、次は、小池百合子環境大臣。ここは、さすがに敷居が高い。それでも、「小池がうけさせていただくとのことです。」女性秘書からのお返事!!!!!自分で自分が。信じられません。すごいなあ。しかも、「なかなか時間がとれないけれど、せっかくですから、大臣室でインタビューできるように、調整いたしました。」の一言で、環境省大臣室に伺うことに!!!!!道聞かれ親子政治企画、大変なことになってきました。昨日はほとんど寝ていないので、また、つづく!
July 21, 2006
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このストーリーは、横浜から始まりました。その日、私はめったに行かない横浜にいました。目的は、マッスルミュージカル。たまたま、体操の池谷直樹さんが、サッカーの武田修宏さんにあげたチケットが、私に回ってきたのです。さすが、いい席、かぶりつきの最前列に座り、音がじゃーんとなって始まったとたん、携帯がぶるぶる震えました。あれ?知らない電話番号だ。一瞬、そのままにしようかと思いましたが、なにか胸騒ぎがして、外に出て、メッセージを聞きました。”安倍晋三事務所の○○です。 先日のご依頼の件、お受けさせていただきたく、ご連絡おまちします。”電話を持つ手が、ぶるぶる震える番でした。音がうるさいので、小屋の外にまで走り出て、コールバック。雨に打たれるのも気にせず、電話をかけました。秘書まで忙しい、官房長官は、もう、別の秘書に話しがうつっていたものの、”では、○月○日、○時に、首相官邸にいらしてください。”えええええ!!!!!!首相官邸????あの、小泉さんがいつも、テレビに映るときの、あの、シャープでモダンな新しい官邸に?道聞かれ親子が足を踏み入れる!?奇跡だと思いながら、感謝がこみ上げてきた瞬間でした。そして、まだまだ奇跡は続くのでした。つづく!!!
July 20, 2006
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お久しぶりです。あまりにも久しぶりすぎて、もちろん、私のことは多くの人の記憶からなくなってしまったと思います。なんと、同時に、私自身がこのページにアクセスするIDの記憶をなくすという醜態があり、何日もチャレンジしましたが、だめで、今日久しぶりにヒットしました。もう、忘れないようにしなくては。前回、お伝えしたのが最後かもしれないのですが、長年の夢であった出版に向けて、動き出しました。本の内容は、子ども達(中学生とか、分かる子なら小学生にも)、または、興味があるなら大人でもいいのですが、に、政治のことを分かりやすく説明する本です。世間的にいい人のイメージがない政治家を、子ども目線で、ほんとはどうなのよ?いい人もいるかな?的に、具体的な仕事の内容、また、子どもの頃のお話を聞きながら紹介していくという企画です。インタビュアーは、14歳の道聞かれ娘、わが娘です。母娘の体当たり、政治家企画が出版社に採用されて、実際に動き始めたのが、5月、連休明けのことでした。当初、若手政治家話しを伺い、まだ、政治の世界に毒されていない、フレッシュな意見を聞こうとか言っていましたが、どうせなら、だめもとで、もっと、影響力のある人にお願いしてみよう。と、まずは、今をときめく、安倍晋三内閣官房長官に、当たって砕けるべく、お願いしてみたのが始まりでした。そこから、奇跡は始まりました。安倍長官が、ポスト小泉とささやかれ、その一挙手一投足が注目される、安倍長官が、取材を受けてくださったのです。!!!!!原稿に追われているので、つづく!!!!!!
July 19, 2006
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友人がご両親の経営する会社を手伝うことになりました。今まで、専業でもないけど、主に主婦だった人が、従業員300人を抱える企業の取締役です。彼女なら、と、経営トップである、ご両親も安心しているのだと思いますが、すごく重い。。。と、彼女は私に打ち明けます。その為に、会社の近くに引っ越し、うちから少し遠くなります。今までみたいに会えなくなるね。と、言う私に、”私はあなたがいないと生きていけないのよ!”電話の向こうで、小さくうめき声をあげました。とんでもない、彼女はなんでもできる、しっかりした人。私のほうがどれだけ、助けられているか。一言、”助けて!”と、SOSを出せば、無理をしてでも駆けつけてくれます。引越しでは、どっちが主が分からないほど、働いてくれました。私が誘ったフリマの準備はほとんど彼女がやりました。どれだけ、ムリをさせたか、後で知って、涙が出たこともあります。”わかった、わかった。”私は胸を張って言いました。”あなたが社長になったら、コンサルティングに雇って。 私が行ったら、社長室締め切りのお人払いで。 思う存分、バカ話して、笑わせてあげるから。 そして、言われるのよ。 社長はあの方がお帰りになると、化粧が落ちてますね。って。”そう。私にできることは、いつもバカな話で大笑いして、涙が出るほど笑って化粧落ちて、笑じわ増やすことくらいなのに。それでも、誰かに必要とされていることは、生きるのに、必要なことです。
June 3, 2006
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昨日の続編です。わかっちゃいるけど、さみしいよ!しかも、私はご飯作って、掃除洗濯して、お弁当作って、なんだい、ただの家政婦かい。と、すっかり、がっくりきたのでした。息子が離れていくことを、認めつつ、でも、私の覚悟も知らしめるために。何日か、距離を置いてるということを、わからせるために、息子に私からは話しかけない。いつものように笑わない。目を合わせない。そんな日を送ってから、思ったのでした。ほんとに、これじゃただの家政婦だ。次の日曜、私は意を決して、息子を呼びました。なぜ、私がこんなにしゃべらないのかを、伝えとこうと思ったのです。ただ、不機嫌な母親。として、片付けられないために。ただ、話の最後はこう締めくくったように記憶しています。”私の子どもに生まれてくれて、ありがとう。 私の人生を何倍もにしてくれて、今までありがとう。”話してるうちに、また、なんだかぐしゃぐしゃに泣き崩れてしまった私の話を、息子は一言も言わずに聞いてました。それから、彼からながーいメールが届いたのです。今の気持ちや、向かっていること。それを私に全部わかってもらえるはずはないところまで、自分はきている。と。いろんなことを考えて、いろんなことを我慢したり、ベストを尽くしたりして、目標に向かっていると。だから、見守っていて欲しいと。とてもとても感謝している。と。大人になったんだね。知らない間に。そして、ありがとうの一言だけで、今までのいやな気持ちがふっ飛んだよ。息子が出かけて、夜塾から帰ってきたとき、今度は夫と悲しいけんかをして、私はたまたま玄関にいました。やっぱり、人間、気持ちがくさってた後は、身体にも響くし、他の人ともうまくいかなくなる。そんな流れ。玄関に飛び込んできた息子が、私を見て、開口一番いったこと、それは、”ごめん、なんも買えなかった。”私は思わず、何?って、聞いたら、”母の日のプレゼントだよ。買う時間、なかった。ごめん。”って。いいよ、もちろん、そんなのいいの。その言葉と、昼間のメールだけで。そんな涙の多い母の日でした。
June 1, 2006
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昨日、電車を降りようとしたら、隣で絵本を読んでいた幼稚園の男の子が言った。"死んだら、どんな気持ちなんだろう。"読んでいた絵本の中で、何かが死んでしまったらしい。息子の小さい頃のコトを思い出した。3匹の子豚の絵本を読んでいたら、泣いて泣いて止まらなくなってしまったのだ。3匹の子豚がお母さんと離れて暮らすというところで、悲しくなってしまったのだ。"ママは行かないで。ずっとボクと一緒にいて。”息子は、小さな肩を震わせて泣いた。昨日の男の子も、"死"ということを考えたら、いろんなことがめぐってきて、小さい頭の中が一杯になってしまったに違いない。そんな風に、私と一心同体だった息子も、今では立派な反抗期にいる。この間は一人前に、私に、暴言を浴びせた。私は悲しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。こんなにいとおしんで、大切に育ててきた者から、そんな言葉を吐かれる日が来るとは、夢にも思っていなかったからだ。翌日になっても、涙が止まらなかった。泣いている私に気づいた夫が、びっくりして、跳ね起きた。”そんな年頃なんだよ。”同じように親に暴言を吐いた経験のある夫は言う。"今までとは違ったの。"私はしゃくりあげながら言った。"今までは、どんな乱暴な事言っても、どこかで、言ってるだけだって思えたの。 でも、昨日は違った。 本当に、あの子と私の間には大きな大きな溝があったよ。”"言ってるだけだよ。今だけだよ。 でもね、こういう考え方もあるよ。 子どもにそういう気持ちがないと、男として、社会に出て行けないんだ。 親との決別、自分でいきていこうという決断。 いつまでも、親の懐では暮らせないんだよ。 それがあるから、あいつは大丈夫だ。 ちゃんと、自立して、生きていくよ。”そうなんだ。男はいつか、ひとり立ちして生きていかなきゃならない。私は、どうしても嫌だった、マザコンの同級生たちを思い出した。絶対、息子とそんな関係になりたくないと、心に誓った日を思い出した。3匹の子豚はいろんなことを教えてくれる。親から離れる時の寂しさも。子が離れていく時の寂しさも。
May 31, 2006
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大変です! すごい大変な事が、奇跡がおきています。 随分前に書いたかもしれませんが、夢に向かって、足を踏み出していると。 その夢がどんどん現実に向かっているのです。 私の夢。 それは、自分の本を出すことです。 ここでは初めて言いました。 随分遅いスタートです。 でも、小さい頃から、何になりたいかといわれたら、私は迷いなく、 "書く人" と、答えていたと思います。 小さい頃、書き続け、書き続け、なんと、断筆したのが12歳でした。 経験がなさすぎるから、もっと経験をつんでから書こう。と、思ったのです。 経験をつんだら、怖くなって書けなくなりました。 何を書いていいのか、わからなくなりました。 人生をここまで生きてきて、ここ数年、やはり、書きたい。と、思いました。 そう思ったときから、私の中の時計がまた、動き始めました。これまでの人生が、たくさんの細い糸が、一つになり、つながるように、太く、しっかりとした縄になってくるように、つながっているのを、体で感じたのです。 人生の中の、どの部分も私であり、どこにも、無駄も、遠回りもなかったのだと、わかったのです。 気づいたときがスタートだと、感じたのです。 そして、たくさんの出会いがあり、奇跡があり、このたび、某出版社より、私の企画の出版が決まったのです。 連休前のことでした。 そして、その出版に関して、思いもかけない、忙しく、又、要職に付く方の、取材のお約束を今日いただけたのです。 ダメでもともとのアタックでした。 最初から、そうでした。 企画を立て、出版社の方から、話しを聞いてやると言われ、社長プレゼンしました。 そこまで行くのも、奇跡でした。 そして、企画にGoサインが出ました。それだって、奇跡です。 そして、今日。 私は、信じようと思います。 信じて、言葉に出して、行動することの意味を。 必ず、かなう、という、信じる力を。 思えば、道聞かれ顔日記のスタートと共に、夢も動いてきました。 スタートして、歩き始めました。 改めて感謝です。 改めて、言葉にしたいです。 願って、信じて、言葉にして、行動する。と。 wrote:
May 17, 2006
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私がお見合いしたんじゃありません。先日企画した、東京名古屋と言う、距離を越えた出会いを実現させる食事会があったのです。名古屋から来た男親友とは、まず、積もる話しをするために、1時間半前に待ち合わせて、それぞれの生活の事や、仕事や、考えてることをお互いに機関銃のようにしゃべり、それから、東京の女の子との待ち合わせ場所へ向かいました。実は、その女の子とは、道聞かれ的出会いですから、ゆっくり座って話したことはありません。いつも、立ち話、それも数回。あとはメールでのお付き合いです。どんな雰囲気で現れるのか、私も興味津々。そしたら、すごくかわいく髪の毛をくるくるさせて、メイクもきらきらで来てくれて、思わず、かわいいい~って、感動しました。結果として、二人はばっちり、気が合ってました。男の子の方は、すぐに惚れちゃうってタイプではないので、たちまち付き合うとかではないですが、かわいいし、いい子ですね。って、好感触。女の子の方は、多分、すごく知らなかったタイプと出会って、かなり新鮮で惹かれてたと、私は感じました。いいなあ。出会いのある年頃。二人とも、最近、人を好きになれない、という悩みが共通で、多分この出会いをすごく楽しみにしてくれていたと思います。そんな二人を見ているだけで、私も楽しかった。嬉しかった。帰り道、いつものように、バカ話で、お腹が痛くなるほど笑いながら、二人にアドレス確認うながしつつ、後は私を気にせず、やりとりしてね、って、言ってきた道聞かれなのでした。どうなったかなあ。その後。
May 10, 2006
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楽天広場になかなかつながらず、何度か、書き込もうと思ってスルーしてしまいました。 最近、近所で仲良くなった人の話、します。 彼女は20代の、明るい感じのかわいい女の子です。 近所で、何度か顔を合わすうちに、偶然にも、中学高校が私の後輩だとわかりました。 多分、もともと、そういう校風なのだと思いますが、お互いにすごく信頼感をもてて、もっと話しがしたいなあと、漠然と思っていました。 かわいいし、いい子だから、あの子に紹介してあげたいなあ。 私がふと思ったのは、やはり20代の、でも、私の男親友と言っても過言でないくらいの、仲のいい友達の事でした。 今、仕事で名古屋にいて、東京に帰るたびに連絡があり、会いますが、彼とは彼が学生時代からの仲良しです。 いやいや、あんなにかわいい子だもの、彼氏なんているに決まってる。 と、ふと思いついたことを振り払ったのが、、もう、何ヶ月か前でした。 めちゃくちゃ、波に乗っているぞ!と、思っていた先々週。 偶然にも彼女と立ち話の中で、サッカーワールドカップの話になりました。 彼女が今仕事でその件に関して、ドイツとやり取りがあるというのです。 "カーンが正キーパーはずれちゃったら悲しい。” ふと、漏らした私の言葉に、彼女が反応したのです。 "カーン、好きなんですか?私の憧れの男性です。” って。 それから、話しが思いもよらず、理想の男性像に及びました。 彼女とはなにか、同じ空気を持っていると感じていましたが、理想の男性について、彼女が語ることがとてもよくわかり、納得がいったのです。 そのとき彼女が言いました。 ”だれか、紹介してくれませんか?” って。 私はびっくりして、"彼いないの?”と叫びました。 それから、話しは一直線。私は、名古屋にいる友人の話をして、彼女は興味津々。 彼が東京に来たら、会おうという事になりました。 偶然てすごい。 彼女は今、真剣に転職を考えていて、その第一希望は、彼の会社でした。 学生時代に付き合っていた人は、彼と同じ大学でした。 しかも、彼女には言ってないけど、彼のほうがずっと付き合っていた人は、彼女と同じ学校だったのです。 夜、彼にメールをして、電話していい?って、聞いたら、何かあったかと思って、すぐに電話がかかってきました。 ”どうしたんですか?なんかあったんですか?” そんな感じが、私のその子のこと、大好きな感じです。 かいつまんで話すと、連休に帰るから、とのこと。 さっそくセッティングです。 しかも、彼の中学高校の友人が、彼女の会社の元同じ部署にいたことまでわかりました。 それ以来、私は彼女と、偶然、毎日別の時間帯に、違うところでばったり出会います。 引っ越して、前より家は遠くなったのに、毎日会います。 その度に私たちは笑っちゃいます。 又、会ったね。って。 さてさて、この話し、どう進むと思いますか? 一緒にご飯食べるのはいよいよ、明後日です。 期待しすぎないでね。出会いは相性だから。っていう私に彼女は笑って言います。 ”いいんですよ。キャロルさんとお話しできるだけで嬉しいんですから。” それにしたって、こんなに偶然が重なった、素敵な感じは、うまくいくのでは、何かあるのでは、と、期待満々の道聞かれ顔なのでした。 wrote:
May 4, 2006
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楽天広場になかなかつながらず、何度か、書き込もうと思ってスルーしてしまいました。 最近、近所で仲良くなった人の話、します。 彼女は20代の、明るい感じのかわいい女の子です。 近所で、何度か顔を合わすうちに、偶然にも、中学高校が私の後輩だとわかりました。 多分、もともと、そういう校風なのだと思いますが、お互いにすごく信頼感をもてて、もっと話しがしたいなあと、漠然と思っていました。 かわいいし、いい子だから、あの子に紹介してあげたいなあ。 私がふと思ったのは、やはり20代の、でも、私の男親友と言っても過言でないくらいの、仲のいい友達の事でした。 今、仕事で名古屋にいて、東京に帰るたびに連絡があり、会いますが、彼とは彼が学生時代からの仲良しです。 いやいや、あんなにかわいい子だもの、彼氏なんているに決まってる。 と、ふと思いついたことを振り払ったのが、、もう、何ヶ月か前でした。 めちゃくちゃ、波に乗っているぞ!と、思っていた先々週。 偶然にも彼女と立ち話の中で、サッカーワールドカップの話になりました。 彼女が今仕事でその件に関して、ドイツとやり取りがあるというのです。 "カーンが正キーパーはずれちゃったら悲しい。” ふと、漏らした私の言葉に、彼女が反応したのです。 "カーン、好きなんですか?私の憧れの男性です。” って。 それから、話しが思いもよらず、理想の男性像に及びました。 彼女とはなにか、同じ空気を持っていると感じていましたが、理想の男性について、彼女が語ることがとてもよくわかり、納得がいったのです。 そのとき彼女が言いました。 ”だれか、紹介してくれませんか?” って。 私はびっくりして、"彼いないの?”と叫びました。 それから、話しは一直線。私は、名古屋にいる友人の話をして、彼女は興味津々。 彼が東京に来たら、会おうという事になりました。 偶然てすごい。 彼女は今、真剣に転職を考えていて、その第一希望は、彼の会社でした。 学生時代に付き合っていた人は、彼と同じ大学でした。 しかも、彼女には言ってないけど、彼のほうがずっと付き合っていた人は、彼女と同じ学校だったのです。 夜、彼にメールをして、電話していい?って、聞いたら、何かあったかと思って、すぐに電話がかかってきました。 ”どうしたんですか?なんかあったんですか?” そんな感じが、私のその子のこと、大好きな感じです。 かいつまんで話すと、連休に帰るから、とのこと。 さっそくセッティングです。 しかも、彼の中学高校の友人が、彼女の会社の元同じ部署にいたことまでわかりました。 それ以来、私は彼女と、偶然、毎日別の時間帯に、違うところでばったり出会います。 引っ越して、前より家は遠くなったのに、毎日会います。 その度に私たちは笑っちゃいます。 又、会ったね。って。 さてさて、この話し、どう進むと思いますか? 一緒にご飯食べるのはいよいよ、明後日です。 期待しすぎないでね。出会いは相性だから。っていう私に彼女は笑って言います。 ”いいんですよ。キャロルさんとお話しできるだけで嬉しいんですから。” それにしたって、こんなに偶然が重なった、素敵な感じは、うまくいくのでは、何かあるのでは、と、期待満々の道聞かれ顔なのでした。 wrote:
May 4, 2006
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先日の、美容師さんとの事は、思った以上に私にダメージが残りました。すごく、いろんなことがついてるついてる、と思っていたところで、思わぬところで、足元すくわれた感じがして、取り乱したし、夜になったら、その人の事考えてしまって、朝になったら、体がぐったりしていたんです。彼のつらさが、勿論ほんの少しだろうけれど、私に移って、やりきれなさやきつさが、身体を支配していました。それでも、なんとか、取り直し、彼にとって、今はつらいけど、きっとそれがいい方向に向かうきっかけになるのだと、祈り続けることにしました。いいほうへ。いいほうへ。私の今の、心がけでもあります。心を落ち着けて、鎮めていると、又、流れが変わりました。先週は奇跡のように、立て続けにコトが起こったのです。いい子だな、好きだな。と思っていた近所の挨拶程度の女の子と、すごく仲良くなったり、私の長年の夢に向けて、一歩進んだり。そして昨日、もう知り合って10年くらいになるダウン症の女の子のそばを通りかかったとき、突然、がっと、腕をつかまれました。????知っているとは言っても、今まで、一度もそんな接点のない子です。びっくりして、足を止めたら、彼女が私の手をとり、握手を求めたのです。そして私の手を握りました。きつく。かたく。しっかりと目を見ながら。私は、迷わず、両手で彼女の手を握り返しました。もっと、きつく。もっと、かたく。そんな毎日のご褒美が、私に元気をくれています。私を支えてくれています。
April 30, 2006
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最近、ありえないことばかりが続いていて、何でもありなような気になっています。今日まで、一言で言えば、ついてる。連続だったのです。小さなことの連続ですが。本当に小さなことだけど、ずっとあっていなかった友人との、久しぶりの再会で、魂がつながったかのようなひと時がもてたり、絶対に信じていたことが(夢として)、現実味を帯びたり、車を停めたいと思うと、すっと、空きができたり、知らない人とのひと時の心のふれあいがあったり、そんな連続を、私は、小さなご褒美と、呼びました。心にある決断、それは、苦痛を伴うものだったのですが、それをしたことへの、ご褒美だと思ったのです。ごく小さいことですが、息子の友達から、ストレートにいつもありがとうとの、感謝の言葉をもらったり、ふられた彼女からのラブレターを、こっそり見せてもらったり、そんな小さなご褒美で、私は、元気になり、生き返りました。たくさんのありえない、が、続いていたのに、それでも、今日はびっくりしました。いつもの美容院で、座って、どうするかを話す段階で、突然、担当美容師さんが言ったのです。”離婚しそうなんです。 ていうか、もう、それは決まったんです。”って。前回、初めて彼が若いのに結婚していて、子どもが二人もいると知ったばかりだったので、本当に驚きました。25歳の彼。何があったの?と、思わず聞くと、どうやら、奥さんから、離婚を切り出され、寝耳に水で、理由を聞いても納得できずにいたら、彼の友人たちが、奥さんの浮気を突き止めて、教えてくれた。というのです。しかも、奥さんは二人の子どもも要らないと、一筆まで書いて出て行ったのに、その後、その親から、子どもは渡せと言われたところらしいのです。浮気相手とは、結婚するつもりも無く、今は子どもより、その人といたいとまで言ったらしいのに。美容師の彼は、最後まで、自分の浮気を認めようとしなかった妻に、そして、子どもを見捨てたのに、今度は自分から奪おうとしている妻に、本当に傷つけられていました。今となっては、妻への未練は全く無いが、どこまで裏切ればすむんだと、痛々しいほど傷ついていました。今自分が考えるのは、子どもたちの事だけだと、それ以外何もいらないと、真剣なまなざしで、訴えました。2ヶ月前より、がくんと痩せた体を見て、恐ろしいほど、人間不信になっている彼を感じて、私は本当にかわいそうで、かわいそうで、気がついたら、号泣していました。美容院で。大丈夫、ばれてないばれてない。ドライヤーの音がうるさいから。と、自分を慰めるのも、限界があり、遠巻きに通り過ぎるほかの美容師たち。わあ、私今、やっちゃってるよ。痛恨の自覚。それでも、止まらない涙と格闘しながら、”そんなことで、あなたの中の、人を信じる部分をなくさないで。 そんなで負けたら悔しすぎるでしょ。”とか、言いながら、自分の過去を、言わなくてもいい過去を、なんだか、真剣にしゃべっちゃいました。おかしいなあ。今、最高についてる時だったのに。”すみません、最高に、ついてない男に会っちゃって”なんて、謝られながら、”負けるな! 幸せになって!”と、エールで別れた道聞かれ顔なのでした。
April 24, 2006
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"今日、ときたま君に会ったよ!"娘の声にびっくりして振り返る。”え?どこで? 本当にときたま君だったの?”ときたま君。思い出は、もう、はるか、何年もさかのぼる。娘が小学1年生の時、ある公園に行ったときの事。そこで、幼稚園の男の子と友達になった。初めて行った公園。初めて会った男の子だったけれど、すっかり意気投合して、遊び、しゃべりまくり。その子の家がその公園のすぐ隣で、公園との境の垣根の、子どもだけが通れる穴を通って、娘はその子の家にまで行ってしまった。冷たい麦茶をご馳走になったといって、又穴を通って帰ってきた娘が、ビックリして私に報告する。”ママ、ママ、あのね、おうちに、アリスの写真が会ったの!”アリスというのは、当時の娘の担任だった先生が持っていた馬で、その写真がうちにもあったのだ。娘は写真の前で立ち止まり、じっと写真を見て、男の子のママに聞いてみたら、やはり、馬はアリスだった。”あの子のママも、恵子先生に習ったんだって!”娘はちょっと興奮気味。男の子のママが、娘の担任の先生の教え子だったのだ。つまり、先輩。実は娘と私は同じ学校で、つまり、そのママは、私の先輩でもあった。後を追うように表から、公園に来たママと、すっかり話し込んで、私の2級上の先輩であると判明。家から少し離れた公園だったこともあり、それから一度もその親子に会うことは無かったのだけれど、娘は時々思い出して、その子の話をしていた。我が家で、彼のことは”ときたま君”と、呼ばれていた。それは、その子が、話のはしばしで、ときたま、という言葉をはさむから。娘には耳慣れない言葉だったので、印象的で、”ときたま君が言ってたけど・・・・”みたいに、話に出ていたのだ。あとから、ときたま君のママの同級生と話したとき、”あの人はね、岡本太郎の末裔なんだよ。”と、教えられびっくりした。末裔といっても、直系ではないけれど、かなりの近い存在だったらしく、へえええ、思わぬところで、、、なんて、また、話題になっていた。うちが引っ越したのは、ときたま君の家とは反対方向で、家はもっと遠くなってしまっている。1年生だった時に、たった一度遊んだ男の子に、又会ったって、本当にときたま君かな?そんな私の疑問を強く否定して、娘はきっぱり言う。”絶対に、ときたま君だった。 昨日も会って、あれ、って思って、今日も会って、確信した。 向こうも分かってると思う。ガンミしてたし。 中学生になってたよ。”へええええ。そうなんだ。わかるものなんだ。すごいなあ。どんな中学生になってるのかな。今でも、ときたま、って、言うのかな。よっぽど楽しかったんだね。垣根を越えて、遊んだ、あの日の公園。
April 23, 2006
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大学を卒業して、あまり、真剣に考えたことも無かった営業の仕事に配属になりました。営業の強い会社なので、その可能性は強かったのに、自分なんかにできるのだろうかと、不安はすごく大きかった。でも、やるからにはやるしかない、という、開き直りが、私の負けん気から発生して、とにかく、結果を出そう、成果を出そうと固く心に決めたのです。3月まで、女子大生と呼ばれていた新卒が、4月から直面するには、ものすごい現実が待っていました。渡された名刺、営業ツール、営業バッグ。それをもって、毎日の営業が始まりました。新規開拓。それはひたすら、電話のアポ取りや、飛び込み営業の連続です。テリトリー内のビルを見上げる。顧客リストを見て、すでに顧客ではないかをチェックする。そして、飛び込み営業です。受付に行き、社名と名前を名乗り、用件を述べる。そして、なんと、面会希望は、社長のみ。トップアプローチ営業です。トップアプローチ、そして、即決を求める営業。それが、私たち、新人営業に求められた、現実でした。なんだか、ごめんなさい、書いてるうちにちょっと苦しくなってきちゃいました。初めてのことですが、今日は、ここまで。途中ですが、もう少し、頭を整理して、出直します。いろんなことを、思い起こさせれる、あの時代の思い出です。
April 19, 2006
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このところ、なかなか筆が進まず、ごめんなさい。今日はエピソードではなく、自分の原点を考えてみようと思います。もともとではありました。道聞かれ。若い頃から、よく聞かれてきたし、それで得をしたこともありました。新卒で入った会社では、けっこう過酷な新規開拓営業だったので、それまでの人生からは考えられないような、飛び込み営業とかしましたが、そんな時、道聞かれ顔はすごく得でした。受付とかで、にこっと笑ってみると、なんとなく、追い返さずに、入れてみようかなとか、思ってくれたようです。それでも、何社飛び込んでも、何枚名刺出しても、だめな日はダメ。何の収穫もない日だっていっぱいあります。雨に打たれ、靴もかばんもびしょぬれで、足は棒になり、荷物はますます重く感じ。そんな毎日を、魔法の言葉で支えていました。一生懸命、頑張っている若者を、上に、上に、引き上げてくれる力が、必ず社会にはある。と。靴をすりへらし、雨に濡れてい頑張っている若者をほっておけない、なんとかしてやろうと、思ってくれる人が必ずいる。と。その、力に乗っていけ。流れにのっていけ。と。どこかに、お前を待っていてくれる人が、必ずいる。その人に出会うまで、がんばれ。と。先輩たちから貰った言葉です。私の気持ちを奮い立たせ、待っている人をこれ以上待たせてはいけないと、再び、足を動かしてくれた、魔法の言葉です。ありがたいことです。私のような、新卒の、駆け出しの営業の話を聞いてくださる経営者がたくさんいらっしゃいました。私の話を聞いて、何百万という、契約書に判をついてくださいました。本当に感謝です。今も、声に出していいたい、ありがとうございます。です。あなたに、払うお金ですよ。と、言っていただきました。あなたを信頼して、つくハンコですよと。自分の友人の経営者を紹介しょうと、言っていただきました。信頼されて得た自信は、内面から湧き出て、次の成功へとつながります。いい循環を生み出します。私はそこで、成功体験をつめたのです。営業の仕事の中で、私の道聞かれ度は、まず、一段階アップしたはずです。心がけたから。初対面の人との距離感をつめるには。と。一瞬しかない、社長たちとの出会い、どうつかむか、その瞬間を。一度でつかみ損ねたチャンスは、なかなか、めぐってはこないから。道聞かれ、それは、単に顔立ちの問題ではない、自分の内面の開き方の問題なのだと、私は思っています。道気聞かれ度アップの次のステージがあります。それは、次回に。お待ちください。
April 12, 2006
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暮れなずむ、夕暮れ時。駅からの道すがら。空気や空の色に、春を感じながら、歩いていると、信号待ちのところで、隣にいた、自転車にまたがる、9歳くらいの外国人の男の子が、私を見て、突然、泣き声をあげた。わああああああああああん!何?私?何かした?あわててあたりを見回す。でも、やっぱり、私を見て泣いている。”どうしたの? 大丈夫?”聞いてみる。ええええーん!!!"自転車が壊れちゃったんだよ!”彼がペダルを踏んでも、自転車の車輪が動かない。信号が青に変わり、彼はますます強引にペダルを踏む。動かない自転車を引きずるように、またがったまま、地面を蹴る。”ねえ、そんなじゃ、ますます壊れちゃうよ。 ここに置いておいて、後からお父さんかお母さんにきてもらうほうがいいよ。”最寄の自転車やまでの距離を頭の中で図りながら、言って見る。彼は、その意見には全く耳をかさない。しかたない。メカにはおそろしく強い事で、我が家で有名なわたしだが、しかたないから、自転車の様子を眺める。”ギヤははずれてないね。 ん?後ろのタイヤが完全にロックしてるね。”その子も降りてチェックする。”ほんとだ。ブレーキかかってる。”"ブレーキの問題?”言いながら、後輪を見て気づく。!!!!!!!!!!!!!!!!!”!? 鍵がついているじゃない!!”短いチェーンキーが、はずされてないで、思い切りこいだから、巻き込まれて、絡みついた状態になっている。”ほんとだ!”思わず明るくなる、彼の声。番号を合わせて、キーをはずす。絡みついたチェーンがなかなかとれない。”とれないよ~””大丈夫! これくらい、私が取る!”無事に鍵がはずれた自転車にまたがって、ほんとに安心した様子の男の子。よかった。この子はちゃんと、言えるのかな。私の目を見て、言えるかな。ペダルを踏み出そうと足をかけ、照れくさそうに、目は見れなかったけど、最後に彼は、はっきりと、”ありがと”そう言って、力強く、こいでいった。よかった。もう、大丈夫だね。大事な自転車。帰り道。
April 5, 2006
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寒さをものともせずに、上野動物園のふきっさらしの中、冷たいビールを飲むエローヒンたち、ロシア人大人と別れ、私は孫娘のサーシャと、いよいよ、本格的に言葉なきコミュニケーション開始です。 サーシャは本当に動物が好きで、片言の英語で、 "キリン!" とか、 "ペンギン!" と、叫びながら、次々見て回ります。 途中、石の碑があり、たくさんの千羽鶴や花が手向けてあるところでふと足を止め、コレは何かと聞くので、 死んだ動物の供養だと説明すると、立ち去りかけた私たちをとどめ、お財布を出して、献金しようとしています。 娘があわてて戻り、そばで見守りましたが、わたしに、 "貨幣価値わからないから、大金投じないように見てたら、大丈夫、ちゃんと、2円出してた。" ちゃあんと、わかってるんだ。一番小さいお金は。 かなりくたくたになって、家にたどり着きました。 サーシャはすっかりくつろいで、娘とゲームボーイして遊んでます。 でも、せっかくだからと、それからプールに行きました。 水の中では、言葉はますますいらない。 子どもたちは、水しぶきを上げて、はしゃいでいます。 ジャグジーでは、真っ赤にのぼせながら、言葉の教えっこが始まりました。 ロシア語の1から10までさえ、うまく発音もできません。 いつもは使わない口の筋肉をフルに使って、娘と私、どっちが先に覚えるかで競っているのを、 いつものプールのスタッフたちが笑いながら見ていました。 手巻き寿司を上手にまいて食べ、たくさん笑って、サーシャは娘と一つのベッドで並んで寝ました。 二匹の色の違う、動物のように。向き合って、丸くなって、信じきって。 かわいいなあ。 ほんとに、かわいい。 少し離れたあと、私が顔を見せると、信頼しきった笑顔で、手を振ってくれるサーシャ。 食事の後、帰宅した息子が、 ”よお!サーシャ!” と、声かけたらフリーズして、にこりともせずに、薄い色素の目でじっと見た時とは別人の笑顔を、私に向けてくれます。 ロシア人だなあ。 小さくても、ロシア人。 心を開いた相手と、知らない人への距離がこんなにも違う。 サーシャという小さな、でも、しっかりした人格の、もっている見えない陣地の内側に今私もいる、と、強く感じながら、私も眠りにつきました。 翌朝、突然やってきた、以前仲良くなった内装やの職人さんや、 うちのお隣さんたちに紹介して、日本人たちとの関わりを持たせてから、 近所の桜のすごく美しい公園に行きました。 満開の桜の花の下、 青い空の下、 二人が次々と遊びを考えては、飽きることなく遊ぶ様子を見て、 私は幸せだった。 今日の幸せをかみしめた。 お蕎麦を食べに行った神田の町で、エローヒンに、 ”この町は、戦争から焼け残った地域があるから、古い家屋が残っている区画がある。” と、私が親からたびたび聞かされてきたフレーズを伝えたら、 ニコニコしていたエローヒンが突然、真剣なまなざしになり、 "戦争中、ご両親はどこにいらしたか” と、尋ねてきて、 改めて、彼が、ジャーナリストであったこと、ロシア人であったことを思い出した。 そんな事を超越した笑いが、公園でひたすら遊ぶ子どもたちにはあって、 わたしはすごく幸せだった。 ホテルまで、送っていき、お別れのときが来ました。 エローヒンとも、奥さんのガリーナとも、長い長いハグをして、 それぞれの国の言葉で、別れを惜しんだけれど、 ほんとに、言ってることはわかりました。 6月7月8月の三ヶ月の間に、必ず、一週間は来てくれ、と、 サーシャを本当にありがとうと、 確かに彼らは言っていました。 私こそ、ありがとう。 大事な孫娘を、預けてくれた信頼を。 言葉なきコミュニケーションを。 本当に、ありがとう。 wrote:
April 2, 2006
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ロシアからやってきました。 去年の夏、ハバロフスクでダーチャに招いてくれた、エローヒン夫妻と、孫娘のサーシャです。 あちらでは、ロシア語を話せる友人がいてくれたので、会話もはずみましたが、 この度は、友人夫妻もいず、どうなることやらです。 "日本語を話せる学生をつけようか?” ハバから心配してくれた友人に、きっぱり、言いました。 ”いい。やってみる。言葉がなくてどこまで通じるか。” それから、再び、昨夏以来の、"初めてのロシア語”を出してみましたが、無論のこと、全く頭には入りません。 ええい、ぶっつけ本番だ! しかし、私たち家族以上に危機感をもったエローヒンは、自ら、日本語を話せるロシア人の大学院生を通訳として雇っていました。ああ、つまんないの。 とは思いつつも、思い切り、再会を喜び、勝手にそれぞれの母国語でしゃべり、 私は習慣で、目の青い人間には、英語を口走り、 しかし、さすが、ロシア人。 腐っても米語なんざ、口にしません。 今回は、孫のサーシャのお誕生日プレゼントの旅、ということで、 サーシャの希望の上野動物園に行きました。 パンダを初めて見たサーシャは大興奮。 それまでは、さすが、ロシア人。という冷静さで、浮き足立った感がなかったのに、 すっかりはしゃぎモードです。 エローヒンが道聞かれ娘とサーシャに、ぬいぐるみをプレゼントすると言い出しました。 おいおい、もう14歳ですから。 と、思いきや、道聞かれ娘は、大喜びだ。 パペット売り場で迷った挙句、見事なたてがみのライオンを選び出しました。 サーシャは、パンダのパペット。 動物の耳のカチューシャも、買ってもらいました。 サーシャは、かわいらしく、パンダの耳で、パンダのパペット。 娘は、ウサギの耳を選び、見事に、ウサギの皮をかぶったライオン、という、自分を表現しています。 エローヒンの買い物を見ていた娘は心配顔になりました。 ”ねえ、ママ、エローヒン(呼び捨てかい!)200円の物買うにも、千円札出してるし、このぬいぐるみ、全部で5150円だったんだけど、そしたらもう、1万円札だよ。おつり、じゃらじゃら、小銭だらけだよ。” 私もおかしくて、つい、エローヒンにそれを伝えてみました。 すると、奥さんのガリーナが、どうやら、この7年間、エローヒンはそうやって、日本の小銭長者になっていると言っています。 このたび、それを全て持ってきたらしいのですが、小銭は使わずに、たまる一方の様子。 そこで、エローヒン夫妻と通訳が、買い物に行かなくては、と、言い出しました。 サーシャはもっともっと、動物見たいでしょう。私があずかることになりました。 ついでだから、サーシャはうちに来て、とまっちまえ! さあ、いよいよ。 言葉なき冒険の始まりです。 ちなみに、桜満開の上野公園。 ほんとうに美しいのですが、ほんとうにもうすぐ4月?!というこの冷え込み。 手袋はめて、完全防備の私に対し、さすが、ロシア人。 暑いくらいだと、言い放ち、セーター一枚。 冷たいビールなんて飲んでます。 そして、特筆すべきは、ダーチャでは、裸で腰にタオル巻いて、サウナに入っていたエローヒンが、セーターにハンチング。かっこいいぞ! 白髪の髪に笑うと灯りのともるように陽気になる、色のうすい瞳。 かっこいいぞ!エローヒン! ただのエロ親父ではない。ただものではない。 では、冒険はつづく、です。 wrote:
March 31, 2006
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こんな事ばかり書くと、絶対作っていると、思われそうですが、私のこの日記は今のところ、創作なしです。何年ぶりかで、ジョンというアメリカ人の友達に再会しました。新橋の交差点を反対から歩いてきたんです。”ジョン!”と、叫んで、そのまま、話し込み、赤になったから、片方に渡って再会を喜びました。古いつきあいです。学生時代、初めてのハワイで、わすれもしない、ロイヤルハワイアンの横の小道ですれ違ったのがジョンでした。小脇にスケートボードを抱えて。ひょっとした感じで話しかけられ、友達になりました。彼は日本にものすごく憧れてる、アメリカ本土出身のナイスガイで、ハワイのレストランで働いていました。彼が初めて憧れの日本にやってきたとき、ハワイで一緒だった友達と、成田まで迎えに行ってあげました。どんよりと曇った、いや、小雨まじりの重い日で、京葉から首都高へと続く高速からの東京の風景は、全くさえなくて、スカーンと晴れたハワイから来て、何が楽しいのかと思いましたが、ジョンは何を見ても嬉しそうで、ひたすら感動していました。それからのジョンは頭が下がる、努力の人でした。私たちの仲間と、どこに行くにも、片手に辞書をもち、日本語の勉強をしていました。英会話の先生をしながら、彼の日本語はめきめき上達し、やがてビザが切れて、ハワイに戻った時には、とても、丁寧な日本語が使えるので、カラカウアのルイヴィトンで職を得ました。ハワイに行くたびに会っていましたが、彼は又、日本へやってきました。私の結婚も、子どもたちの成長も、よく我が家にやってきては見守ってくれました。日本のソフトウェアの会社の、海外窓口として責任を負いつつ、日本人のスッチーを奥さんにして、彼の成長は止まりません。いつか、勤めていた会社の関係の仕事で独立して、経営者になっていました。アメリカの高校を出て、ハワイのレストランでウェイターをしていたジョンが、今では、私より立派な日本語の手紙をかけます。私には、ある、IT関係の元社長の、元奥様という知人がいるのですが、その人と知り合えたのも、実はジョンの仲立ちからでした。その方は、飛行機で隣り合わせたジョンと交友を持つようになったのですが、私はいつも言います。”E子さんは、いいですよ。 ファーストクラスで隣だったから、そんな怪しい人じゃないと思ったんでしょう? わたしなんて、ハワイのビーチですから。”って。怪しいアメリカ人だったのに。その、E子さんは、アメリカ時代、まだ若かりしビルゲイツが、元ご主人と大の仕事仲良しで、ほとんど3人で共同生活していた、なんて、すごい過去がある人です。何の縁も無い、私とビルゲイツを結んでくれたのは、名も無い、当時、本当にただのウェイターだった、ジョンなのです。そう思うと、ほんとに人生って不思議。出会いって不思議。その、最近何年も会っていないジョンと、新橋でばったり再会なんて、これまた、不思議。出会いを大切に、と、今日も道聞かれ顔は思います。
March 20, 2006
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我が家によくやってくる道聞かれ娘の友人から、ちょっとびっくりな事を聞いた。それは、一緒にゴハンを食べている時だった。”ツルご飯は、大受けだったよ。”と、言われてびっくり。なんで、知ってるの?それは、つい何日か前のこと。娘の担任が、手術で、入院するので、クラスのみんなで千羽鶴を折っていたのだ。私もついつい夢中になって、夜になっても折り続けていた。”ねえ、ママ、ツルはもういいから、ご飯作って。”と、飢えた娘が言い始め、ちょっとわれに返ったものの、もう、ぐったり疲れて何も考えられず、手は機械的にツルを折り続ける。”ねえ、ママ、今日のごはん、なあに?”と、聞いてくる娘につい答えたのだ。”きょうは、ツルを煮て、ツルご飯。”と。つい、二日前の話なのだ。”なんで知ってるの?”と、驚く私に、娘の友人は、けろりと、”あ、それは、かなり有名な話だから。 で、結局、ツルご飯の正体は、肉じゃがだったってオチだよね。”しかも、続けて、”carolさんの話は毎日、みんな楽しみに待ってるから。 もうすぐ語録ができるよ。 学校では伝説の女になってるもん。”私の隣で噴出す夫。”中学生から、伝説よばわりされてるんだ! やっぱり。”ふん。よかったね。伝説の女を妻にもてて。”ある意味、ガッツを超えたから。carolさんは。 よく、みんな思い出し笑いするよ。 聞いた話、思い出して。 あ、これね。(横にある本を手に取る。) 病気にならない生き方(ほんのタイトル) これよんで、1週間、肉出さなかったんでしょう。(笑顔) でも、もう、そのブームは終わったんでしょう?(と、しゃぶしゃぶの肉をつまむ。)”わー!なんでも、知ってるんだ。私の言動を。つい、娘をにらむ。”こら! なんでもかんでも、しゃべらない!””だって。 みんな聞きたがるんだもん。 昨日は何、しでかしたの?って。 ママが言ってる横から、メールで実況報告することもあるよ。 おかしいんだもん。”あああ。ほんとに、もう少し、きちんとした人になりたい。
March 19, 2006
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ずっと前にもそんな話を書いたのですが、 私には本当に偶然がよく起こります。 一番最近ビックリしたこと。 うちにもう、7年以上来てくれているクリーニング屋さんとの出来事です。 そのクリーニング屋さんは、私が何軒も電話して、いろいろ聞いて探し出したお店なので、 お店自体が一体どこにあるのか、私は7年間知りませんでした。 先週、取りに来てくれたとき、ふと、聞いてみようと思ったのでした。 すると、なんと、私の大親友が以前住んでいた町から来てくれていることがわかりました。 それでまた、ほんとにふと、 ”近くにラーメン屋さんがありますよね。” と、たずねてみると、クリーニング屋さんが、 ”あそこ、店変わっちゃったんですよ。” と、よく知っている風だったのです。 なぜ、私がラーメン屋さんについて聞いたかと言うと、 知り合いがやっていたお店だったからなので、ちょっと驚くと、 クリーニング屋さんは、そのラーメン屋さんのオーナーをよく知っていたのです。 私がしっているのは、オーナーではなく、そのお婿さんのほうだったのですが、 クリーニング屋さんはそのお婿さんのこともよく知っていて、 しかも、家がすごく近いと言うのです。 懐かしいなあ。 それしか浮かびませんでした。 なぜなら、ラーメン屋さんをやっていたお婿くんと、私は、ほんとに偶然の間柄だったからです。 私が高校生のとき、たまたま、友達と雨宿りに入ったお店で、働いていたのが、彼でした。 駆け込んだ二人の高校生を、その喫茶店の人たちは温かく迎え入れてくれ、 寒い日で、お客もなく、すっかり意気投合して、仲良くなったのです。 大人ばかりの中で、一人だけ、私たちより年下の彼が、そのラーメン屋さんで、 私たちは、彼のファーストネームで、じろうちゃん、と、呼んでいました。 つまり、それ以来、すっかり馴染みになってものすごく、よく通ったということです。 俳優さんがオーナーだったそのお店には、俳優や、歌手の卵たちが働いていて、 いつのまにか、私たちの仲間が、年がら年中集まる憩いの場所になっていました。 しかしあまりに憩われて、採算合わずと、お店じまいになってからは、 携帯電話もないそのころ、 だれの連絡先を知っているでもなく、じろうちゃんともそれっきりになったのです。 ところが、また数年して、はじめてそのお店に行ったとき一緒だった友達と、 西麻布のキャンティに行ったとき、(しかも、初めて) オーダーを取りに来たのが、なんと、じろうちゃんだったのです。 ”わ!なにしてるんですか、キャロルさん、グレースさん!” と、ビックリ仰天のじろうちゃん。 その、じろうちゃんにまた会う日が来るとは、そのときは思いもしませんでした。 その親友、グレースが、引っ越した街で、たまたま立ち寄ったラーメン屋さんで、じろうに会った!と、興奮して電話してくるまで。 じろうちゃんの奥さんのご実家がもっているラーメン屋さんだったのです。 早速、グレースの家から二人で行ってみました。 通りの車の中から、 ”じろうちゃん!” と、叫ぶと出てきて、 ”わ!キャロルさん!二人、まだ、仲いいんですね!” と、びっくり仰天のじろうちゃん。 その後、ラーメン屋さんに一度もいけないままに、グレースは東京を離れ、遠い街へ越してしまったのです。 それが再び、クリーニング屋さんによって、縁を結ばれるとは! なんでも、じろうちゃんが身体を壊して、ラーメン屋さんを閉めることになったとのこと。 しかし、どこまでつづくのか、じろうちゃんとの縁。 しかも、お互い、苗字とか知らないから、 ”もし、またお会いになったら、プランタンのキャロルがよろしく言ってたとお伝えください。” なんて、意味不明の伝言を、クリーニングやさんにお願いした、道聞かれ顔なのでした。
March 15, 2006
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朝、テレビをつけるとニュースで言っている。中学生が男から道を聞かれて、駐車場に連れ込まれ、ペットボトルの液体をかけられてライターで火をつけるまねをされた。中学生が後ろから声をかけられ、振り向いたらナイフできりつけられた。ああ、毎日そんなコトが、起きている。日本中で起きている。起きてきた道聞かれ娘に声をかける。”ねえ、こんな事件、あったみたいだけど。”娘はけろっと答える。”昨日も一昨日も道聞かれたし。””えっ! どんな人?””両方おばさん。 一昨日なんて、私は自転車で走ってたのに、おばさんも必死だった”ふーん。彼女は続けて言う。”大丈夫。 どっちも私が絶対勝ちそうな人たちだったから。”それで安心していいはずはないが、なんだか、笑ってしまった。私は信じるしかないのだ。今まで、この子を育ててきて、伝えてきたはずの、人との距離感や、人を見る目や、信頼感を。子どもが大きくなって、一人で社会との関わりを持ち始めたときから、いつも思う。一日中、ついてまわって、教えることはもうできない。子どもを信じて、今まで、自分が伝えられたことを信じて、子どもの無事を信じて、祈って、待つしかないんだ。と。それにしても、こんな社会になるとは思ってもいずに育てたんだけど。こんなとき、道聞かれ顔は憂鬱になる。
March 9, 2006
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職人ウィークが終了したけれど、次の仕事が待っていました。ついに届いたのです。納戸用の本棚が。二重三重に可動できる棚の、かなりたくさん本が入る予定の本棚。たった本棚一つ分。そう思って臨んだ作業は困難を極めました。たかが、狭い納戸じゃないの。そう思っていたところから出てきたダンボールは、計17こ。しかも、頼りの夫は韓国対日本の野球の試合のチケットもらって、うきうきでかけてしまい、子どもたちは当てにできず、私一人の孤独な作業です。作業を始めて、本当に思ったことは、その17個って、いわゆる、生活には全く必要のない、一番先に箱詰めされた17個だったってこと。つまりは、捨て去るわけにもいかない、思い出の詰まった、17個でした。そして、私は自分の一番弱いところ、つまり、整理、(一番最初に、ベースとなる形を決める)ことが本当にできない、という現実と一日中向かい合い、ため息混じりに、出る言葉と言えばネガティブで、途方にくれた一日を過ごしたのでした。捨てられるようになった。片付けた状態をキープできるようになった。そんな小さな自己満足など、吹っ飛んでしまう、現実。そう、私は最初の形が決められない。一番の困った点は、17個のほとんど大半を占めていたのが、本ではなくて、アルバムだったってコト。しかも、すごく重くて大きい、いわゆる昔の形のヤツで、本棚なんかに入りきらない。それから、いくつも出てきた、[未整理写真、ネガ]という箱。これだけの写真を撮ってきた自分をのろいながら、せっかくの暖かそうな(外に出ないからわからない)日曜を、納戸の中で、本棚と壁と床をにらみながらすごした、悲しい道聞かれ顔でした。
March 6, 2006
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やっぱり、私はついている!結果的には、本当についている!そう、思った昨日だった。職人ウィークにかけて、引っ越してからのやらなきゃいけないことを片付けなくてはと、家具のオーダーもしていたので、昨日は某大手通販D社から、テレビボードが届いた。昼のうちに連絡があり、夕方、二人組でやってきてくれた。かなり、組み立てが難しそうなものだったので、組み立てサービスを頼んでいて、二人組は共用内廊下で大きな梱包を開けはじめた。15分位でできるとのことで、さすがプロ!と思いながら、少ししてのぞくと、リーダー的なほうの人が、”問題発生です”と、困り顔。組み立て説明書が入っていないと言う。すでに内廊下は、ボードやビスや、部品がきれいにならべられ、かなりお店を開いた状態。”じゃあ、Dに電話してみますね。”そういって、フリーダイヤルしてみた。状況を聞いた、オペレーターが、”業者に代わってください、”と言うので、電話を代わると、リーダーが、”そんな簡単に言わないでくださいよ。 もう全部開いてますよ。 この雨の中、持ち帰ったら、商品だめになりますよ”と、強い口調で答えて電話を切った。聞くと、持ち帰って、再度、説明書を持って出直し、と言われたらしい。私は思わず、家に入ってもう一度、リダイアルでアクセスした。もちろん、別のオペレーターが出たので、もう一度、状況を説明しなくてはならない。”組み立て説明書をファックスしてもらうことはできませんか?”オペレーターは誰かに聞いてきて、できると言った。すぐ送るとの事。切ろうとする彼女を引き止めて、私は言った。”ちょっと、待ってください。 どこの配送業者の方か知りませんけど、自分たちのミスでもない事を、 頭を下げて作業してくれてるんですよ。 その人たちに対して、先ほどの人は、あまりに心無い言葉だったんです。 考えてください。 雨の中、重い物をここまでもってきてくれてるんですよ。 なんとかしようとしてくれてるんですよ。 もう少し考えてください。 その事を受け止めてください。”だいたいにおいて、最初のオペレーターは、彼らの名前はもちろん、顧客である私の名すら聞こうとしなかったのだ。電話を切り、廊下に出てみると、彼らは作業に入っていた。”説明書なしでやってみます。 できると思います。 万が一、支障が出たら、自分が責任持ちます。 いいでしょうか。”リーダーが私の目を見て言った。ああ、プロだな。こんな力が、今まで日本を支えてきたに違いない。私が感動しながら、”会社には私からも言っておきました。 現場の人たちのことをもっと考えて欲しいと、 言い方には気をつけて欲しいといいましたから。”と言うと、黙々と作業していたもう一人の人が、手を止め、顔を上げ、”ありがとうございました。”と、私の目を見てそういった。案の定、ファックスはなかなか来ず、彼らの作業の方が早く進み、私はもう一度、D社に電話をかけた。もう一度、同じ事を繰り返す。私がいけないのだ。オペレーターの名前を聞きそびれている。3人目の人は、きちんと対応ができ、私も名前を確認し、彼女はすぐにファックスの進捗状況をコールバックしてくれた。さらに15分ほどして、ファックスは無事届き、オペレーターでない、本部の人から電話があった。その人に私はもう一度、繰り返す。”自分たちのミスでもない事を、尻拭いしながら作業している人たちの事を、きちんと受け止めて、ねぎらって欲しい。 心無い言い方はやめてほしい。”と。本部の人は、わかりました、申し訳ありませんでした。と心から言ってくれているように聞こえた。廊下に出ると、作業はほぼ終わり、室内への搬入となった。ご迷惑をおかけしたからと、DVDやビデオの設置もしてくれて、完成した時、3人で拍手した。帰るとき、感謝をこめて、作業の間に焼きあがった焼きたてのパンをお土産にわたした。”えいちゃん、一口だけあげるよ。”リーダーがいかにも信頼関係がある仲間という口調で、笑いながらエイちゃんにそういった。”昨日来てくれた業者の方も、エイジさんだったんですよ”そんな事を言いながら、とても温かい気持ちになって見送った。10分後に電話が鳴った。”先ほどの業者です。 今日はありがとうございました。 パンもすっごくおいしかったです。 ご馳走様でした。”私はまたすごく嬉しくなりながら、会社の名も、リーダーの名も聞いていなかった事に気づいて、名前を聞いた。”エイちゃんにもくれぐれもよろしくお伝えください。”私はこんな時、日本人であることがすごく嬉しくなる。自分の仕事にプライドをもって、きちんとプロの仕事をしている人たちを見ると、この国が好きになる。こんな力が、日本を支えてきたんだ。オーバーだけど、ほんとにそう思う。いつか、どこかでまた、あの二人組に会ったら、私はきっと手をふって、彼らもきっと笑ってこたえてくれる。今日もこんないい出会いがあった、と。冷たい雨の夜、すごくいい昨日だった。心残り。エイちゃんはどこからどうみても、沖縄県人の顔立ちだった。どうして言えなかったんだろう。”説明書無くて、ちむどんどんだったよね”って。
March 2, 2006
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ごぶさたしちゃいました。ちむどんどんについてはまた。なんて、書いといて、大変失礼しました。ちむどんどん。なんでしょう。それは、今私のお気に入り、沖縄弁です。しかも、その意味は、心臓どきどき。こんな風につかいます。”ああ、もうすぐ発表、自分のばんだね。ちむどんどんする~”みたいな。職場の沖縄出身の子から、メモ取りながらヒヤリングするのですが、なかなか使いこなせるまでにはならない中、なんとかこの、”ちむどんどん”と、”きじむなー””なーべーらー”は自分の物にできたところです。その二つに関しては、過去ブログ参照です。さて、毎日いろんなことがありますが、今週は私のダイスキな職人ウィークでした。職人ウィークとは、内装とか頼んだ時、毎日日替わりでいろんな職人さんが来て、その仕事振りを間近で見られる、千載一遇のチャンスウィークです。ちょっと手を入れた最終日の昨日、クロスやさんが二人組みでやってきました。ほんとについてる私は、だいたい当たり!っていう、素敵な職人さんと会えるのですが、昨日の二人組みはまたいい感じで、すっかり友達になりました。親方と呼ばれるでも、30代の親分は、笑顔がソフトな千代の富士そっくりな端正な顔立ち。ウルフ顔ということです。20代の若い人は、誰かに似ているなあと思いつつ、でもわからなくて、やっと気づいたのは、みっちょんでした。”みっちょんだ!”と、言ったら、”芳本美代子ですね。”と、即反応は親方。”誰ですか?”と、若いエイジさん。いろんな話、して、一番盛り上がったのがなぜか相撲ねた。ウルフ顔から始まったのだけど、本名保志の四股名が思い出せず、親方と二人で苦しんで、あまりに苦しいから、相撲部屋やってる友達にすぐ電話して、”保志、の四股名は?”と聞くと、”北斗海じゃない!”で、一安心。それなのに、次々とお相撲さんの名前を忘れ。全然わかりません状態のエイジさん。話が一転して、あいぶさきの話になると、食いつき抜群のエイジさんに対して、全くついてこれない親方。ミスドのコマーシャルの子!といくら言ってもぴんときません。どちらも食いつきが良かったのは、ミルマスカラスねた。メキシコの英雄、往年の覆面レスラーです。うちにそのミルマスカラスが実際の試合で使った覆面があるので、見せてあげると二人とも大興奮。すぐさま親方がプロレス通の友達に電話して、その価値を確認。かなりなものらしいですが、いただいたものなので、売るわけにもいかないから、まあ、値段を知ってもしょうがない。そんなこんなで、すっかり仲良くなったので、焼きたてパンをご馳走して、頼んでないところもたくさん手を入れてもらって、大満足で、一日を終えた道聞かれ顔でした。ああ、ひさしぶりなのに、こんな感じ?なんか、ま、いっか。
March 1, 2006
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いけしゃあしゃあ。最近使わないフレーズだと思いませんか。聞いた私も久しぶりに聞いたよ。って思いました。直接言われたのははじめてかも。しかも、言った相手は、相棒である夫でした!一昨日の夜、”しゃあしゃあとしてるよな。”って。”ゴミがゴミ箱の前に落ちていても、しゃあしゃあとしてるよな。”だって。なんだとーーー?じゃあ、拾って捨てればいいだけじゃない!整理上手で、片付け上手の彼。全然、片付けに向いていない私。そんな二人が普通に出会い、普通に結婚して、今日の日まで。お互い、なんと成長した事か。私は、少しずつですが、片付けられる女になり、彼は、世の中にはいろんな人間がいることを知り、懐の深い男になり。それなのに、たかが、ゴミ一つのことで、この言葉?!しかし、私も大人になっているので、一昨日の彼の疲れ具合はすぐに見て取りました。夫は疲れているといろんなことがすごく、響くのです。だから、キッチンでぶつぶつ言っただけで、夫はそっとしておいてあげました。翌朝、睡眠をとり、すっかり元気になった夫のベッドサイドですかさず逆襲です。”ねえ、しゃあしゃあって、最近聞かない言葉だよね。 死語だよね。 たかだか、ゴミ一つで使わない言葉だよね。”朝の夫はとても許容範囲の広い男なので、詰められても黙って私の言葉を聞いていました。昨日は仕事の日だったので、早速、ランチタイムの話題にしてみました。しゃあしゃあ。変な言葉。最近使った人はもちろん、実際に聞いた人もいませんでした。いけしゃあしゃあ。という人もいれば、いきしゃあしゃあではないか。という人もいます。私の職場は、英語教育ですが、言葉へのこだわりの強い人の集まりですから、さっそく辞書を引いて確認です。正解は、いけしゃあしゃあ。”いけ”は接頭辞で、いけすかない、いけまどろっこしい、みたいに使われるようです。それにしても、しゃあしゃあ。って。どうしても、かえるの面にしょんべん。が頭に浮かんで、それから来ているような気がしてならないのですが、まだ、語源は調べていません。話題はそれから、ちむどんどん。に及びましたが。ちむどんどんについては又明日。
February 8, 2006
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昨日、買い物をして、家に帰り、エレベーターを降りてはっとした。耳慣れない音、騒音が、エレベーターホールで耳に入ってきたのだ。まさか、まさか。不安を打ち消しつつ、うち廊下を進む。しかし、私の不安は的中し、まさにその騒音は、我が家からのものであった。玄関を開ける。きんきん耳に響くような若い笑い声が響く。”ちょっと! すごい、声なんだけど?”思わず叫ぶ私に、いっせいに、”おっかえりなさーい!”という、明るい声。そう、道聞かれ娘の、仲良し、総勢6人が集まり、楽しいパーティを開く予定の日なのだった。”声のトーン落として落として”言う私に、皆明るく、”はーい!”と、至って素直。今日は一人のメンバーのサプライズバースディパーティをするべく、大集合。今、我が家ではやっていることの一つ。詳しくは改めますが、こんな風にうちにはしょっちゅう、しょっちゅう、子どもの友達が集まってくる。引っ越す前の古いふるい家にも、もう、身体も大きな男の子達が何人も、”ただいまー”と、やってきては、自分の家か、と、言いたくなるほどくつろいで、”行ってきます。”と、帰っていった。彼らの共通の心配は、うちが引っ越したら、この居心地のよい家とお別れしなくてはならなくなるということだった。うちの家族が、早く新居に越したくて仕方ないときに、”あああ、この家スキなのになあ。””今度の家も、居心地いいのかなあ。”と、別れを惜しみにやってきた。引越しの日には、わが子が塾で帰ってこられないのに、息子の友達が何人も手伝いに来てくれた。そして、新居。みな、前の家と同じくらい、やってくる。わが子がいなくても、くつろいでいる。昨日、やってきた、娘の友達の一人も、前の家が大好きだったのに、昨日はもう、新しいソファにくつろいでこう言った。”この家は、人を呼ぶね。”それは、私にとっては、一番のホメ言葉。”ありがと。いつでも来て。”つい、言ってしまう、私のいつもの返事。すると、驚くほど、彼らは、すぐ、またやってくる。”ただいまー”って。はい、おかえりなさい。
February 4, 2006
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道聞かれ顔の人みんなかどうか、わからないのですが、私の場合、人のこと(外見)判断がすごく下手です。。たとえば、年齢とか、職業とか。その人と気が合って、話し込んだりしても、全然わからないのです。いい人だとか、話が合うとか、そんな思いは重なるのに、表面的なことははまるで、見えてないみたい。私の中では、勝手に、自由が丘で中華料理屋さんを営んでいる、というカップルがいました。お子さん一人のご夫婦です。私の中では、奥さんは中国人。。その二人が、実際には、夫婦それぞれが違う医院を開業している医師だと知った時には、本当に驚いたし、わが見る目にはほとほとあきれました。奥さんの微妙なアクセントが、勝手に私の想像を暴走させたのですが、それは、彼女の父上も医師で、しかも、研究医で、小さい頃、スウェーデン、中国で育ったという経歴からでした。最近では、ものすごく仲の良い夫婦と出会い、いつも一緒にいるし、ご主人は角刈りだし、てっきり自営のでえくだとばかり思い込んでいて、夫が、聞いてきた情報にはおどろかされました。不動産持ちで、働く必要なし、というのだから。なんじゃそれは?と、驚かされるような、いかにも実直そうな地味な夫婦なんですから。ちなみに、わが夫は、そのご主人のことを、私が、”あの人は僧侶だよ。”と、言ったときかないのです。そんなこと、言った覚えはないのに。私はでえくだと信じていたんだから。夫は、”失礼ですが、どちらのお寺の?”って、聞いてしまって、大恥かいたと私のせいにするれど。その時のそのご主人の返事は、”いえいえ、ぷーたろうですから。”だって。すごいなあ。大金持ちのぷーたろう。
February 3, 2006
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昨日、あるパーティに出席しました。出版社や編集者、多くの人と会えたのですが、ある会社の人と、道聞かれ顔の話でもりあがりました。もと、私がいた会社の営業マンだったいかにも切れる(いい方の意味)感じの男性、横にいる社員の女性。その女性も、道聞かれ顔だと言うのです。年の頃、顔のタイプ。背格好、髪型、全てにおいて、私とは違うタイプで、客観的に眺めていると、なぜ、この人も、私も、道聞かれ顔なんだろうと、改めて不思議な気持ちになりました。男性に聞いてみると、確かに彼女も道聞かれるタイプだというのですが、実際に聞かれているのを見たわけではなく、彼から見て、そんな感じがする、というのです。そんな感じって?なぜ、わかるのだろう。突っ込んで聞いてみると、彼は大阪出身で、大阪には、やたら人に話しかけるおばさんがうようよ生息しているので、あまり、知らない人同士が話しているのを見ても違和感がないらしいのです。でも、それって、私の知りたい事の答えにはなっていないよね?しかも、彼は見知らぬ人から話しかけられたりはしないらしい。その会社の女の子、全員が道聞かれ顔だと聞いて、今度、皆さんのお顔を拝見しようと、心に決めた、道聞かれ顔なのでした。改めて。なんだろう。共通点は。
February 1, 2006
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わたしが好きなタイプの、道聞かれ的出会いは、思いもかけない方向に進む友情です。新橋発明家集団でちらっと登場した、”大金持ちの友人”は、まさにそんな出会いの友人です。あまり、詳しくは書けないのですが、その人とは、何の関係もないところから、つまり、何度かすれ違う中で、話し、友情が芽生えるに至った道聞かれ的出会いの友人です。すなわち、知り合った時は、黒いジャージと黒いスウェットをはいて、突っ掛けを履いているような、別になんてことの無い風貌で、時計も、お財布もなんにも持たずに歩いているような感じだったのに、知り合ってみると、とてつもない大金持ちだった。ってことです。大金持ちの人にはありがちな、自分が大金持ちだという事を、できるだけ隠しておきたがっていたのですが、そんなことに特に興味も、関心も無く、ただ、人と人との出会いや、その人の内面と共鳴できるかの方が大切だと思っている、わたし、という人間を理解してくれて、次第に、自分が大金持ちだという事を知らしめてくれたのでした。わたしの人生には、たまたまが多く、しかも、私がそのたまたまをとても大切に思っているのですが、(たまたまということは、偶然でははく、必然だと)その人の話を、名前も無くたまたま、友人に話していたら、その友人が、偶然にも彼のお兄さんを知っていた、ということもあり、私たちの距離は急激に近くなったのでした。そうはいっても、特に待ち合わせて話したり、会う約束をしたわけでもなく、いつも、たまたま出会い、そこで立ち話をするような関係です。お互いの内面をかなり、理解しあっている、と、私は思っていて、多分、彼も私を信頼してくれていると信じているのですが、きっと、この不思議な関係は、ずっと、このまま続くような気がします。歩いてばったり出会うのでない時は、とんでもなく 大きな、高そうな車を、靴下を履きかえるように、あれやこれや乗り換えて現れる(それを見かける私ですが)のですが、お互いにパッシングしながら、ただすれ違う。それだけのことです。それでも、すごくなにかあったら、私は彼にいつでも相談するだろうし、彼はきっと受け入れてくれる。そんな確信のもてる友情を、私はすごく大切にしたいし、すごく好きな出会いでした。
January 30, 2006
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昨日の夜、初めてオペラシティのコンサートホールに行き、とても素敵だったのだけど、”3月並の暖かさ”につられて、帰りが夜なのに、コートも着ないで出かけた私は、凍えながらバスに乗っていた。バスはすいていて、どこかで一日遊んできたらしき、おば様のグループ。今からお茶をするか、それとも帰るかでもりあがり、一刻も早く靴を脱ぎたいという理由でお茶は却下。きりっとした、実直そうな顔立ちのご婦人。手に持つ紙袋が、ユニクロとMUJIなのが、まさにぴったり。手をつなぎっぱなしのカップル。数えるほどの乗客のまま、私の降りるバス停に到着。ハンチングをかぶったちょっとおしゃれな感じの男性に続いて降りようとすると、キキキーーーーーーーーーーーッバスはあまりの急停車。反動で、はじき出されるようにバスから飛び出した。なに、この運転手。お年寄りだったら、倒れてるよ!乗客の反射神経テストしてるの?前を行く男性も、ちらっと運転席に目をやった。寒いので、目の前のマンションまで走って帰り、集合ポストのメイルコーナーに立ち寄り、そこから飛び出したところで、人とぶつかりそうになった。”こんにちは。”お互い、普通の挨拶をしてすれ違う時に気づいたら、バスで一緒のハンチングの人だった。相手も同じ状況だったらしく、お互いもう一度振り返って、会釈しなおした。なにか言いかけて、開いた口を閉じた彼の、言いたい事がはっきりと、私に伝わってきた。”バスで、ご一緒でしたね。 ひどい運転手だったね。””本当に。”そのとき、確かに、言葉にならない会話があって、うなづきあって、そのまま別れた。人間の隠された本能的な能力を感じ、言葉なき会話をかみしめ、それから私は、言葉の無かった太古の人間に思いがめぐる。言葉なき時代に、同じ経験をして、思いを共有して、その時、発した音が言葉になったのだろう。その音に共感した仲間がそれを又、発しては伝え、発してはつたえ、今につながったのだろう。言葉は言霊。魂のこもった言葉だけが、生き残り、今に続いたのだろう。中には、魂をこめて新しい音を生み出す、言霊づくりの個体もいて、きっと彼の周りに、人間たちは車座になって、洞穴の中で、火を囲み、彼の発する音に聞き入ったに違いない。一番、手軽で、身近で、道具もいらずにできる、人間に与えられた、表現方法、言葉を、私は大切にしていこう。大切に作り、大切に発していこう。そんな事を思った夜。ハンチングしか覚えていなくて、再び、あの人に会っても、わかるかどうか自信がないのだけれど。
January 28, 2006
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新橋で思い出したことがある。新橋の裏通り。大きくない、雑居ビルの1フロア。ナゾの発明家集団とであったときのことを。そのとき私は、人生のどん底から、少し這い上がるきっかけを見つけたような時期だった。自分を嫌い、否定し、自分を嘆き、後悔し、泣いても泣いても涙が止まらない。そんな時期を経て、ようやく動き出したときだったのだ。自分でなくても全くかまわない。経験も、特別な才能も、必要ない。そんな仕事を選んで、仕事仲間には、自分の話もせず、どこに住み、どんな暮らしをして、どんな人たちと過ごしているのか、話もせず、何も考えずに、自分の肉体を追い込み、どこまでいけるのか、ただ、ためし、今までの自分と、切り離された一人の人間として自分を見つめてみよう。そんな時期だった。その仕事で、とある新橋の会社を訪れたのだった。事務的な用事を済ませば、あとは訪問先の人と接点を持つ必要もない、そんな用件だったのに。その会社で私はいつのまにか、元気なときの本領を発揮して、夢中になって話しを聞いていた。小さなその会社には、人が一人だったか、二人ほどはいたのか。それすら記憶にないけれど、数々の発明品についての説明を、分厚いファイルを前に聞き入り、発明品の一つの浄水器の水で入れてもらったコーヒーを、心からおいしいと、味わっていた。怪しげに壁にかかっている、毛筆で書いた格言の額。どうやらそれが、発明家の親玉、その会社のドンの手によるものらしかった。後から人に話せば、皆、人は相当眉唾だと言うけれど、そのとき私は大真面目で、その浄水器だって買ってもいいと本気で思い、そのとき住んでいたところに不似合いに大きかった、というだけが、断念した理由だった。どんなに本気だったかと言えば、アトピーで苦しむ子がいる友人に、パンフレットを送ったり、その水を、改めて、ボトルにもらいに行って、水にはうるさい、夫や息子に飲ませてみたり、挙句の果てには、大金持ちの友人にも話したら、その人は本気でその会社を買収したいとまで言ったのだから。結局、私は、浄水器を買わなかった。発明家も別にしつこく営業もしなかった。それからしばらくして、私はその仕事を辞めた。今にして思うと、私はあの時、ようやく、外の世界に再び目を向け始めていたのだ。それが、あの発明家との意気投合の理由だったのだ。地震や、大雪や、そんな天変地異が起こるたびに、あの会社は今、まだ、あそこにいるのかな。と、思い出す。発明家たちは、確実に地震を予知できて、そのときには、生き延びることのできる土地に逃げるのだと、言っていたから。そのための土地ももう、用意してあると話していたのだから。まだいるかな。そしたら、まだ、東京も大丈夫。大雪の日に、あの日を、あの人たちを、思う。
January 21, 2006
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新橋駅の駅員さんに、”ジョナサンはどこですか?”と、聞いてみるときっぱり、”ジョナサンはありませんよ。”なぜそんなに、自信満々なのだ。明らかに不満そうな私の表情にきづいたか、”あそこに交番があるから、聞いてみたら。”と、助け舟。指差した、交差点に向かう。しかし、そこには交番はない。いくら見渡しても、ない。土砂降りの雨の中。SLの周りを、意地になって掘り起こす2台のブルドーザーと、工事現場の人たちを見ながら、私は、ジョナサンを探すのか、交番を探すべきなのか、もうすっかり混乱してしまったのだ。人に聞き、聞き、たどりついたジョナサンには、待ち合わせ仲間が一人、やはり、なんとかたどり着いてすでに4杯目の飲み物を取ろうとしているところだった。彼女はもともとジョナサン直行組みだったので、状況を話した。驚いた事に、待ち合わせ時間は、私が思っていたのと30分違っていて、私は、それから30分、みんなを雨の中、待たせているのではないかSLの周りを探し回らせているのではないかと自責の念に駆られながら、待つ事となった。みんながそろって現れたときにはほっとして、その日の目的はすでに達せられたような気になり、腰を浮かして帰りそうになるほどだった。次回の打ち合わせは、SLではなく、直接ジョナサンにした。足は靴、靴下ともにぐっしょりで、それがだんだん冷えてきて、氷水はった洗面器に足をひたしているような気分だった。その日の打ち合わせが、とても順調に進み、成果があった事が救いだった。
January 19, 2006
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私の、若い友人の一人が、海を渡っての新生活に出発しました。といっても、1年間の留学です。彼は今大学3年ですが、知り合った頃はまだ、高校生でした。私が取っていた英語のクラスで同級生だったのです。なぜだかも、きっかけもわからないけれど、いつのまにか、すごく仲良くなっていて、学ラン姿の彼と、夜の盛り場ってほどでもないけど、歩いてたこともありました。お互い飲めないのにね。今思っても、あんな高校生いるなら、日本もまだ安泰だ。って、思えるほど、一言で言っていいやつ、で、それは今もそのままです。少しだけ、立派な大学生に変わりました。新年明けて、メールが届き、旅立ちが近いとの事。ああ、引越しで忙しくして、出る前会えなかったな。と、思っていると、”今日が準備の山です。 行く前に会いたかったですけど、ムリそうです。”とのメールが朝の四時に入りました。なんだか、死に物狂いな感じが、まさに私の引越し前のようで、身につまされて。でもちょっとおかしくて、だって、考えてみたら何がそんなに大変なのかな。なぜなら、その子の夏のワードローブは、Tシャツ3枚で、それを毎日交換して着るんだけど、一枚はすごく派手な色で、目に残りやすいから、それだけはローテーション、一回飛ばしできている。って、言ってたのに。そんな彼の、準備って、いったい何をどれだけ持つのかなあ。考えてたら笑えてきた。”切れるようなNYの寒さ、思いっきり楽しんできて!”って、打ったら、”NYの切れるような寒さに備えて、ユニクロで大量購入しました!”って。成田から、”いってきます!”と、さわやかな電話をくれて、飛び立ちました。その数日後、見に行ったミュージカルの主役が、その子にあまりに似ていて、芝居なのに、彼が演じているようにしか見えなくなりました。一緒に見ていた娘の共感も得て、プログラムの写真を携帯で写しました。NYに早速送ろう。新しいステージに足を一歩踏み出した、期待や、不安や、ガッツでいっぱいの若者に。心から、エールをこめて。
January 18, 2006
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新橋駅からのおはなしはちょっとおいておいて、今日は、引越し後の生活に触れてみたいと思います。マンションの引渡しが、引越しの前日でした。手続きを終えた夫は仕事のため、新居を見ることもなく私に鍵を渡して去っていきました。残された私はまず、駐車場で格闘です。地下の駐車場が迷路のようなんです。わからない!すでにうろたえながら、そこにいたスタッフにすがりつくと、私の様子を不憫に思い、車の横を走りながらの誘導です。やっとうちのブースに着きましたが、機械式。しかも、入るのかなあという大きさです。隣は高いのに。もし、つっかえたらどうしよう。またうろたえながら、切り返すこと10回近く。やっとの思いで入庫しました。さて、やっと我が家に入れるぞ。そう思ったのもつかの間。今度はどうやってオートロックを開けるのかわからない。まるでサルのように、あちこちいじって、鍵穴さがして、断念。再び、スタッフを求めて広い駐車場をさ迷い歩きます。やっと見つけて、教えてもらって、又迷いながら、我が家にたどりつき、わが目を疑いました。さっき、”5こあるからね。”と、夫から渡されたはずの鍵が、4個しかないではないですか!うそ!うそ!完璧に涙ぐみながら、新居の玄関の前で、荷物をひっくり返す私。心配そうに見守る、母。結局のところ、夫が一つ持って行っていたことに気づくまで、玄関も入らずに、駐車場を探し回ったしだいです。それから1週間の間に、私がしでかしたこと。警報のボタンを間違えて押し、防災センターから人がかけつけました。エレベーターでも間違えて押しました。あわてて降りて、又乗ってみると、中で、”どうしましたか?”と、呼ばれ続けてました。備え付けの洗濯機が動かないと、朝9時からメーカーに電話しました。ただの操作ミスでした。ドイツ製の洗濯機はすごく時間がかかるので、びっくりし、でも、すっごく汚れがおちるので改めて、ドイツの底力には敬服でしたが、もう何度も選択している夫の濃紺のニットを洗ったら、威力が強すぎて、ほかの白物が全部、見事な水色に染まりました。夫の白いポロシャツは、キレイな水色に染まりましたが、私の白いインナー、別名ババシャツは、ねずみ色になって、ババシャツ度に磨きをかけました。機械式駐車場の操作の鍵を、抜き忘れて出て行きました。年末でとまりで家を空けるのに。出先で気づいて、家族に言えず、挙動不審で荷物をひっくり返し、こっそり104でマンションの電話番号を調べたりしましたが、登録されていず、確認できませんでした。帰宅してすぐに聞きにいくと、ちゃんと届けられていて、やれやれでしたが、それまで、夢にうなされました。そんな失敗を繰り返しながら、よかったことは、新しいマンションのスタッフの人たちがあっというまに覚えてくれたことでした。(そりゃ、そうか?)遠くからでも気持ちよく、挨拶をしてくれたり、粗大ごみを、玄関まで取りに来てくれて、置き場に何往復も運んでくれたりします。すでに隣近所の小さい子たちとは仲良しになって、今度遊ぼう約束をしています。道聞かれの行くところ、道聞かれが集まるみたい。ここの人たちはみんな気持ちいい挨拶をくれます。やれやれ。少し慣れてきました。
January 16, 2006
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ただいま!大変ご無沙汰いたしました。それから、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。それから、今日のこの気持ちのよい朝に、おはようございます。越してきて、我が家でうつ初めての日記なので、ものすごく景色が新鮮です。体調のみならず、pcも修理に出していて、前回の2回は、ヤフーカフェからの便りでした。昨日は久しぶりに、ルーティーンワーク以外の打ち合わせで外出。そうしたらこれまた、久しぶりの雨。というか、嵐。新しい家で初めての雨で、11月の誕生日に友達がくれた傘を初めて使いました。考えてみたら、その傘もらってから一度も雨がふらなかったんです。駅に着くまでにすでに足の中までずぶぬれでしたが、なんとか、待ち合わせ場所の新橋まで行きました。待ち合わせスポットは、新橋のSLの前だったのですが、改札を出て、わが目を疑いました。SLを中心にぐるっと、広い広場が工事の柵で囲われて、今まさに、周り中をブルドーザーで掘り返しているではありませんか。しかも、土砂降りの中。約束より5分前だったのですが、まだ誰も来ていません。というか、来ていたとしても、どこを探せばいいのかぜんぜんわからないのです。だって、SLに近寄れないんだもん。ぼーぜんと立っていると、隣から声がしました。”SL工事だから、どこにいるのか、わからないよ。 どこにいる?”びっくりしました。私の心の中の言葉が、外から聞こえてくるのですから。見ると、傘をさしたおじさんが携帯に話しているのです。”それにしても、すごい雨だなあ。 こんなことになるとは思わなかったよ。”またしても、心の中の声。思わず、笑っておじさんを見てしまったら、おじさんも、私の状況がわかったらしく、携帯片手に笑ってしまいました。ただ、すごく違ったのは、”ああ、いたいた。”の、声とともに、おじさんの待ち合わせ相手の若者が、別の方角から携帯片手に歩いてきて、二人は出会えたのでした。残された私と、おじさんの一番の違い。それは、私が待ち合わせ相手の携帯番号、携帯アドレスを一つも知らないということだったのです。このご時世に。私が仲間たちとであるのにはまだ時間がかかるのですが、それはまた後ほどにします。今日は本当に気持ちのいいお天気です。どうぞ、みなさま、よき一日をお過ごしください。
January 15, 2006
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引越先は近いものの、通勤手段が変わりました。JRから、東京メトロで一本になったのです。初めての出勤日。意外と混んでるなあと思っていたのに、座れたら、隣から話しかけられました。”あああ、ずっと立ってて疲れちゃったよ。 でも、サッカーやってるから、大丈夫なんだ!”小学生の男の子が一人、首から水筒をぶら下げて、座ってました。聞いて見ると、サッカーのほかに囲碁もやっていて、今日はその稽古に向かうところのようでした。はきはき賢そうに話すその子がすっかり気に入って、しかも降りる駅も一緒だったので、道中話し込みました。半ズボンから出る膝小僧がかわいくて、でも、しっかりした速そうな足。"いい足だね。 サッカーに向いてる足だ。”って、褒めたら、少し照れくさそうに、でも、誇らしげに、”去年の得点王だからね。”と、教えてくれました。勝ったことのないチームに初めて勝った試合で、2得点したそうです。囲碁の教室までは、駅から遠いの?って、聞いたら、”ううん。すぐそば。 4番出口で出て、すんごい大またで4歩歩いたら、右の坂を上るんだ。”って。すごくわかりやすいよ。今度私も行ってみよう。未来のJリーガー。未来のひかるくん。まだ2年生。ぴかぴかに光ってた。
December 28, 2005
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ただいま! 地獄からの生還です。 20日に、引越し。 何回やっても引越しは大変。というけれど、 どんなに覚悟していても、やはり、ほんとに大変でした。 ダンボール70を目指して、何ヶ月も捨て続けたのに、 最後は怒涛のごとくの箱詰めになり、やはり、数なんて、わからないよー状態に陥りました。 マンションの方は年配の方も多く、涙ぐんでのお別れになり、 引越しできるのかな、というほど荷造りが追い込まれ、別の涙になりました。 頼りの綱の、片付けられる女、友人がついていてくれなかったら、 実際、越せたかわかりません。 道聞かれ一家のやりとりを、プロ根性で黙って聞き流していた引越しさんのリーダーの Sさんに、 ”プロってすごいですね。” って言ったら、 ”今日はすごく楽しませてもらってます。 いつも、こんなかんじですか? ご家族とお友達は。” って、言われました。 ほめてもらったことにしよう。 それはそうと、今パソコンが修理中で、家にないので、 こんなにお休みしちゃいました。 ではでは、取り急ぎでした。 おやすみなさい。
December 23, 2005
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足の踏み場もなくなり、ダンボールも残り少なくなり、どこかで調達しなくてはいけない、残された時間はあと、5日。かなり、追い詰められてきたというのに、まだ、ほかにやり残していることがあります。クリスマスカード。実は、クリスマスは私にとって、かなり、重要なシーズンなんです。毎年、とても大切に思って過ごすし、一年で一番、好きなシーズンだし、それは、宗教的バックグラウンドもありますし、思い出が詰まっているからでもあります。海外の友人からくるクリスマスカードは、毎年、我が家を美しく彩ってくれるし、私にとっても、カードを書く時間は、すごく嬉しい、温かい時間なんです。部屋を整えて、ツリーに明かりをつけて、ローソクもともし、音楽ももちろん、クリスマスソング。それなのに、今年はどうにもならない部屋の状態。もちろん、クリスマスの飾りなんて、ひとっつも出てません。でも、意地になって、音楽だけかけて、買ってきたカードを並べて、気持ちだけは集中して、書き始めました。でもねー。突然帰ってきた息子に、この期に及んで、なにやってんの。とばかりの白い目で見られ、言い訳しようとしても、さっさと音楽消され、テレビつけられ、引越し体制の我が家には、そんな甘いひと時は存在しないと、突きつけられたのでした。今年はしょうがないか。何通か書き上げて、さっさと息子から逃げて郵便局に走りましたとさ。
December 15, 2005
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娘が美容院にカットに行きました。今日は私が一緒に行ってあげられなかったのですが、私がいつも行くところと同じお店です。何人かのスタッフはよく知っているし、行くと必ず、人生語り合うような美容師さんももいるのですが、どうやら、今日、娘が切ってもらった人は、私も知らないし、娘も初めて見る人だったとのコトでした。娘は、”後ろと横はいいんだけど、 この前髪、どう思う?”と、ちょっぴり不満そう。かなり、パッツン系(ごめんよ。千代寿ちゃん)なのです。”あなた、すぐ伸びるし、いいんじゃないの?”とは、慰めたものの、ピンで止めて伸ばしてるのを見て、ちょっと、かわいそうだし、笑えました。”次にはちゃんと言わないとね。 前髪だけ、この間と変えてください。って。”と言ったら、”でもねー、すっかり仲良しになっちゃったから、 いいにくなあ””仲良しになったの?”って、聞いたら、”うん。 人生相談されてた。 仕事、つづけるべきか、やめるか。とか。 早く結婚したいんだけど、親に反対されてる。とか。” でもね、相手はいないんだって。 ただ、早く結婚したいんだって。”なんじゃ、そりゃあ。”お母さんが美容師で、本人もなったらしいんだけどね。”家庭環境まで聞いているのかい!!!!”中学2年に相談しても、答えは出ないと思うけどね。”同感です。でも、この流れ、どっかで聞くような。ていうか、私とおんなじ?もしかして。やっぱり、完全に、血を引いている、道聞かれ娘なのでした。
December 14, 2005
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私は物欲ないよ。なんて言って生きてきたけど、それが真っ赤なうそなのでは、と、思い始めました。私があまり、興味がないのは、どんどん変わっていく流行の服やバッグだというだけで、時間がたつと、価値がなくなってしまうはやりモノに興味がないだけだったんです。私が惹かれるのは、時を越えても、変わらぬ価値を持つもの、でした。だから、服やバッグや、くつより、いい時計や、宝石のほうがずっと興味があるし、それもいくつもはいらないんです。本当に気に入った、よいものをずっと、身に着けていたい。そう思うんです。だから、形に見えなくても、大切な友人とか、遠くにいてたまにしか会えない人との交流とか、泣きながら読んだ本とか、家族とか、いつもその時代に連れて行ってくれる音楽とか、そんなものがダイスキなんです。高い宝石でなくてもいい、道端に転がっているような石でも、出会いがあれば大好きです。その石が、どんな風にこの地球上に生まれて、どんな道をたどってここに来たのか、考えるだけでどきどきして、子どもたちとストーリーを作ったりしてきました。子どもたちに私が残せるのは、立派な家や財産や、蔵や財宝ではなくて、毎日を一緒に暮らし、同じものを見て感動したり、暗いニュースを見て、一緒に泣いたり、小さなことで一緒に笑ったり、そんな風にしながら、私の価値観を分かち合い、伝えていくこと、生きる気持ちや勇気、感じる心を植えつけていくことしかないと思っています。だから、最初の話にもどると、欲がないよ。なんていうのは、きれいごとで、本当は誰よりも欲張りなのだと、最近気づいたのです。モノではなく、見えないもの、形のない宝物。それはいくら働いても、お金では買えないから。そして、それを求める私の心は、とてつもなく貪欲で、新しい感動や、出会いを、求め続けているのです。
December 12, 2005
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最近のテーマが、道聞かれに関係なかったので、今日一日を振り返ってみました。ほとんど家から出ないで、でも、引越しの作業もはかどらない、あまりよくない流れの一日でした。でも、ちょっと、外に出たとき、クロネコヤマトのお兄さん(同じ人)に3回会いました。さむいよ~って、毎回震えてました。それから、知らない人とすれ違ったときに、二人から挨拶されました。やっぱり、この街が、道聞かれ街なのかも。と、思った、寒い寒い、日曜日でした。
December 11, 2005
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汚屋敷。捨てられない女たち。そんなテレビは必ず見る。くいいるように見る。興味本位ではなく、自分自身への警告のために。多分、ほっといても、あの、テレビまでは行かないと思うけれど、私は以前、相当、捨てられない女だったから。そして、しかも、結婚するまで、自分が捨てられない女だとは、気づきもしないで生きていたのだから。洋服を買い込んだりとか、買い物依存の傾向だとか、そんなものはないのです。ただ、小さな思い出を捨てられない女だったのでした。あの、海岸で拾った貝殻。とか。あのとき、川で見つけたすごくきれいな石。とか。好きすぎて使えなかったかわいい便箋とか。人からもらった手紙。とか。結婚した相手が、おそろしく捨てられる男だったのに気づいたとき、相当、反抗もしたし、抵抗もしました。しかし、そこで一つ、気づきがあったのです。捨てなくては、生活って破綻するんだって。そこには、苦しいけど、違うものを受け入れる、という、心のけじめをつける行為がありました。今では相当、捨てられる女になっています。いったん、思いを変えると、ほんとに今までなんだったか、と思うほど、捨てられるのです。でも、一つ間違えたら、ああなっていたのかも、と思うと、空間が天井から1メートルくらいになって物に埋もれて暮らしている人や、廊下にうずたかく積まれている袋や、冷蔵庫の中で干物になっている元食品、そんな、テレビの中の捨てられない女から、目が離せないんです。こうなってはいけない!って、戒めながら。
December 11, 2005
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引越し準備で、ダンボール25を数えたときに気づいた。パッキングした25のダンボールの中身がなくても、全く日常生活に支障がないと。じゃあ、この25は一体何なんだろう。と、考えた。結論は、心のゆとりの部分と、それから、思い出だった。めったに使わない食器。ずっと前に見ていたビデオ。いいにおいのするキャンドルセット。今は飾っていない絵。特別な料理用の調理器具。ストックのいいバスタオル。そして、子どものビデオ。小さい頃の作品。膨大な写真。子どもたちが毎日書いていた日記。そんな一度目を通し始めたら、100年はかかりそうなものの山。そのとき人が何を求めるか、で、心のゆとりの部分の色づけは変わるので、今では未練なく捨てられるものもあり、物理的に保管がムリ、という思い出も、仕方なく捨て、相当、ゆとり、思い出部分にもメスを入れたはずが、25。結構なかさです。そして、これらは、越した先でも当面、必要でなく、当面、ダンボールのままで、何事も起こらずに日常が流れていくのでしょう。シンプルに生きていきたい。って、本当に思うのに、生きれば生きるほど、いろんなものを体中に、心に、まとって生きていくのかな。それは置いといて、本当に困っている、今、捨てられないものって、火山灰なんです。少し前に、娘と、区内の遺跡発掘に参加して、江戸時代の下屋敷を凍えながら掘り、茶碗のかけらや、銅銭などを発掘したのですが、そのとき、参加賞としていただきました。富士山が最後に爆発したときの火山灰。そのときの注意事項が、”みなさん、これを普通に捨てたら大変です。 いつか、みなさんの住まいが遺跡になったとき、 歴史を覆す発見になってしまいますから。”だった。じゃあ、どうやって捨てればいいの~~~~?って、ここ3週間、富士山の火山灰はビニールに入ったまま、キッチンの床に転がっているのです。
December 10, 2005
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