碧山窟

里山を買うまで(2)

夕刻の目覚め

自分では、気づかなかったのです。

うつ病とは恐ろしいものです。

私は農学部で昆虫学を学んで卒業はしたものの、いわゆる「専門バカ」になっていました。
自分の将来の仕事とか就職なんて、考えもしなかったアホな学生でした。
親は「お前は長男だ。帰って来い。」と、言うのです。
でも私はその大学周辺に居残りたかった。
この葛藤は、つらかったです。今、長男がその大学の大学院にいますけどねっ。

喧騒の東京から故郷に帰ることにしました。
でも、就職先はありませんでした。
そりゃぁ そうでしょう。 地方に帰れば昆虫学なんて、「変な勉強したやつ」でおしまいです。就職試験も受けましたけど、大学では目標もない奴に就職指導なんてできる筈もありません。

その頃の私は、部屋の窓から星を眺めていました。
眠れない。どうすればいいんだ。
なんてぼんやりしていると、星空がゆうるりと流れていきます。

*

なんとかしなくちゃいけない。
私は、パソコン教室がある専門学校にいってみました。
そして、シャープのMZシリーズと出会ったのです。
カセットテープにプログラムとデータをセーブできたアレです。
BASICを覚えたのもその頃です。
それと、自社製マシンにこだわらなければ世界を席巻したであろう和製表計算ソフトのPIPSなんてのもありました。
そこで年末調整のソフトを組んだら、できちゃったんです。

私はその学校に勤めることになりました。

*

今までいろいろな会計にかかわってきましたが、学校法人会計はキャッシュフローが中心な、独特の会計です。それと税務上の事業収入があって、会計って複雑だなぁ。。と、思っていました。
その後、学校法人の部門と本部の連結決算ソフトも作っちゃいましたが。
でも、給料が安かった。
結婚して子供が生まれて、ある日、子供の手が動かなくなったんです。
脱臼だったので、すぐ直りましたけど、その当時、年収200万ぐらいでした。
これで、いいのか。(自分)。。と思っていたとき、転機が来ました。

*

世の中はバブルにむかってまっしぐらだったんです。
私は、とある銀行の関連会社からオファーを受けました。
アクセスにこたえました。
そして、PV PMT FV を使いこなして、カネをころがしました。
ジャパンマネーは世界をかけめぐっていたんです。
売掛債権のうち半分は国際シンジケート団の取引だったと思います。
青色申告で、外国税控除ってしたことある人はぴん!と、くるかもしれません。
金融の本質は「実体がない」。
これでいいのか。自分。。

*

でも、まぁ、いつのまにやら係長になって課長になってました。
収入もそこそこだったし、けっこう、ばぶりぃ~な暮らしをしてました。
すし屋に行って、「タコが食いたい」というと 大皿いっぱいにタコが出てきました。
銀行の役員たちが底抜けにバカだと気づくまでは、平穏な毎日でしたし、責任感の強かった私は、休日に出勤して、決算書をまとめて、連結決算の資料をつくって、税効果会計と別表五と別表四のまとめに、瞑想したりしてました。

*

私がうつ病になった経緯は、ちっと、書く勇気がありません。
でも、これほどひどいとは思いませんでした。
私は、「決算なんてどこの会社でもやってるだろ!」という銀行役員出身の社長とケンカしたのです。「営業しながら決算ができるわけないだろっ!」
人事権握って、怒鳴って脅せば社員は動くと思ってたんでしょ。
つくづくアホです。
時折、私は理系の知識のなさに情けなくなって聞いたものです。
「等比数列と等差数列の違いがわかりますか?」
「・・・・」
高校生レベルの回答が彼にはできませんでした。
あげくのはてにエクセルでへんてこな損益予想をつくって「どうだ」と言うから「いいんじゃないですか」と言うと、営業会議で指摘され、それを私のせいにするのです。「あのとき、おまえ、いいと言ったな。」
「ダメだ。。」
「ふざけるんじゃない!」私は会社を飛び出しました。

*

家に帰るにも、ナニだし、誰かと話したい気分でした。
そして、炭焼きをしている、第四のじいさんのところに行きました。

ぢぃ「どうしたんだい。」
おれ「社長とケンカした。」
ぢぃ「建ててから100年ぐらいたってる民家を買うことにしたんだわ。」
おれ「そりゃすごい。」
ぢぃ「見にいくかぃ。」
おれ「行く。」

それが里山との出会いだったのです。


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