ぱんだの喘息日記

ぱんだの喘息日記

主治医のいる大学へ


酸素は、取られたまま過ごす羽目になり、かなりの日数、苦しむ?事になった。
酸素を吸って、ある程度、足りていたから取られたんだと現状を黙って受けとめた私は東京の病院は何て厳しいんだろうと思っていた。
後々、マスクで6L吸って70あるからってOFFにはしないと皆に言われて、そぉだったんだ~と思った能天気者(^o^;
知らないって恐い(汗)
最初のうち、トイレに行こうとすれば怒られ、カーテンを開けても怒られ、とにかく説教三昧。
おまけに、私が連れてかれた時には、丁度、循環器と呼吸器科の入れ替えの時で、循環器の人ばかり。
カーテンを閉められてしまう私は、おばちゃまたちに
『カーテンも開けないで!』と叩かれ。
しかも一般庶民の私とは違った、お金持ちのお高くとまったような人ばかり。
お高くとまった人、苦手なんだよね(--;)
次の日から学校は始まるし、場違いな感じがして、とにかく早く帰りたかった。
主治医以外には誰一人として知ってる人はいないのに、その主治医といえば怒ってるし…
ただ、ただ凹んだ。
それから長々、入院生活が始まるとは思っていなかった。
その日の日記には、こう記載してある。
『誰も知ってる人いない。
先生しかいないんだよ?
私は、どぉすればいいんだろう。
また振り出し…
帰りたい』


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