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2008 4/23 会津白虎隊の鶴ヶ城と桜

> 会津白虎隊の鶴ヶ城と桜  2008/4/23撮影

「史跡若松城跡 鶴ヶ城」パンフレットより

鶴ヶ城は至徳元年(1384年)葦名直盛が造った東黒川館が始まりといわれている。
その後、会津領主だった葦名盛氏が改築し現在の城郭の原型を築いた(黒川城)。
その後文禄2年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を築城、名前も「鶴ヶ城」と改められた。
この時に積まれた石垣が現在の天守台で、400年経た今でも朽ちることなく往時の姿を偲ばせている。
慶長16年(1611年)会津地方を大地震が襲い、石垣はもとより天守閣は大きく傾いた。
この天守閣を改修し、西出丸・北出丸といった出丸を築き、ほぼ現在の姿を作り上げたのが加藤明成である。
幕末、鳥羽伏見の戦いに端を発した戊辰戦争も、戦いの場は会津へと移り、約1ヶ月の籠城戦を戦い抜いた鶴ヶ城も明治7年には陸軍省の命令により取り壊された。
その後、城跡は旧会津藩士遠藤敬止らの尽力により、陸軍省から払い下げられ、昭和9年に国から史跡として指定を受けた。
現在の天守閣は昭和40年に昔の姿をそのままに復元されたものである。
鶴ヶ城は奥羽の要・鎮守の意味もあり、名だたる戦国大名・勇将が相次いで入部した。
独眼流で知られる伊達政宗、「天下人」と目された蒲生氏郷、関ヶ原の上杉景勝、賤ヶ岳の七本槍で名高い加藤嘉明、そして、名君誉れ高い保科正之である。
その武人たちが築いた広大な縄張りは東日本一の規模を誇っている。


2008/4/23 会津白虎隊の鶴ヶ城と桜(1)

2008/4/23 会津白虎隊の鶴ヶ城と桜(2)

2008/4/23 会津白虎隊の鶴ヶ城と桜(3)

2008/4/23 会津白虎隊の鶴ヶ城と桜(4)

2008/4/23 会津白虎隊の鶴ヶ城と桜(5)


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